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【読み比べ】教職課程の教科書

教育課程論の教科書

 2017年に学習指導要領が改訂され、「社会に開かれた教育課程」や「カリキュラム・マネジメント」といった用語が全面的に展開され、「教育課程」を扱う教科書は従来の在り方から抜本的に変化することを余儀なくされている。また「主体的・対話的で深い学び」という概念によって教育課程論と教育方法論が原理的に結びついたため、「教育課程」を扱う教科書でも教育方法論に触れざるを得なくなっている。さらに「指導と評価の一体化」により、「評価」に対する記述も厚くしていく必要がある。
 それぞれの教科書が新学習指導要領にどのように対応しようとしているのか、確認しておきたい。

■田中耕治・水原克敏・三石初雄・西岡加名恵『新しい時代の教育課程 第4版』有斐閣、2018年

【特徴】2005年に初版が発行され、教育課程論の理論的な背景を一通り押さえられる定番教科書の一つではあるが、学習指導要領改訂を受けた2018年第4版では大幅な書き直しが行なわれている。「第2章 現代日本の教育課程の歩み」では「特別の教科道徳」や「主体的・対話的で深い学び」に関する記述が加わった。さらに「カリキュラム・マネジメント」が新たに章立てられている。戦前戦後のカリキュラム変遷に詳しい他、研究開発学校の具体的な取り組みや諸外国の教育課程が紹介されているのも一つの特徴。
【感想】理論的にも歴史的にも、そこそこ内容は盛りだくさんで、教職課程の初学者は読みこなすのが大変かもしれない。まあ、このくらいはしっかり読んで勉強して欲しいところではある。「社会に開かれた教育課程」という今時学習指導要領の理念が本書では前面に出てきていないのは、編集方針によるところかどうか、多少気になるところではある。

■細尾萌子・田中耕治編著『新しい教職教育講座教職教育編6 教育課程・教育評価』ミネルヴァ書房、2018年

【特徴】タイトルに「教育課程」と並んで「教育評価」と銘打ってあるとおり、「指導と評価の一体化」の流れに沿って、教育評価と一体化した教育課程論を目指している。戦前の教育課程や海外動向をばっさり切り落として、カリキュラム評価や学校評価に関する記述が手厚くなっている。
【感想】やはり「社会に開かれた教育課程」という観点の記述が薄いところが気になるところではある。特別活動や総合的な学習の時間の構想について最新改訂と絡めて言及されてはいるのだが、内在的なカリキュラム論として展開されるわけではない。編集方針なのか、単に展開しにくいだけか、どうか。

■松尾知明『新版 教育課程・方法論 コンピテンシーを育てる学びのデザイン』学文社、2018年

【特徴】従来は「教育課程」と「教育方法」を一緒に扱う教科書はあまりなかったように思うのだが、今時学習指導要領改訂は「過程を重視した学び」や「指導と評価の一体化」の掛け声に象徴的なように、教育課程と教育方法を一体化した記述となっている。それを受け、本書は「教育課程=カリキュラム・マネジメント」と「教育方法=主体的・対話的で深い学び」を一体化し、「コンテンツからコンピテンシーへの転換」を意識した記述となっている。
【感想】「教育課程」と「教育方法」を一体化して扱うことで学習指導要領が目指す教育の姿の全体をカバーしてはいるのだが、キーワードを表面的になぞるだけで、教育学的な本質に触れているかどうかについては気にかかるところ。少々論理的な記述内容が薄いような気はするが、一人の著者で膨大な領域をカバーしようとするとこうならざるをえないか。

教育原理の教科書

■木村元・汐見稔幸『アクティベート教育学01教育原理』ミネルヴァ書房、2020年

【特徴】西洋教育思想史の基本的事項について手堅く抑えつつも、近代教育(学校教育というシステム)の賞味期限切れという喫緊の事態に大きな危機感を抱いて、「教育」という概念そのものを根本的に捉えなおそうという意図で貫かれている。そういう意味では、教員採用試験で必要とされる知識の範囲を大きく超えているわけだが、これから教育という仕事に参入しようという人(教員に限らない)にはぜひ目を通してほしい充実した内容になっている。
【感想】さすが木村先生と汐見先生の名前が編著としてクレジットされているだけあって、基本的な知識や最新のトピックを着実に押さえながらも、読者に本質的な思考を促すような挑発的な仕掛けにも満ちている。教育原理の教科書は、「教育原理」と名乗るからにはこうありたいものだ。

■佐々木司・熊井将太編著『やさしく学ぶ教育原理』ミネルヴァ書房、2018年

【特徴】平易な言葉で、分かりやすく書かれている。養護教諭課程でも使用されることを想定しており、教育の他に「看護」に関する記述が厚い。「働き方改革」や人工知能など最新トピックにも言及されている他、批判的思考を養うための配慮もされている。
【感想】平易なぶん密度は薄めになっているが、本質的なところを外しているわけではなく、コンパクトに要点がまとまっているように思う。誤字・脱字等も見当たらず、丁寧に作られているような印象を持った。初学者には入りやすいのではないか。とはいえ、教員採用試験に対応しようと思ったら、もうちょっと密度が高い知識が必要になってくるだろうとは思ってしまう。ここを入口にして、教育課程論や教師論等の詳細に入って行くと良いのかなと思う。

■寺下明『教育原理 第2版』ミネルヴァ書房、2012年

【特徴】典型的な教科書とは趣が異なって、全編が著者の言葉で語られている。トピックの解説に終始せず、著者の教育学的観点(人間の学としての教育学)が全面に打ち出されており、教科書的な読み方を超えて、読み物としても面白く読めると思う。ただしそのぶん、個々の人名や語句に対する解説は省かれており、引用のスタイルも学術的で、初歩的な知識を習得し終えている中級者向けか。
【感想】教育人間学に関するトピックでは原典を直接参照しており、手厚くて面白く読めるが、その一方で日本や東洋の教育に関する記述(たとえば儒教)には二次的な引用が多く、多少食い足りない感じはする。一人でオールレンジをカバーする教科書を執筆するのは大変である。
とはいうものの、読み物として体系的にまとまっていて面白いので、初歩的な人名や語句を覚えたばかりの学部生に読ませて総合的な概念の定着を図るためには優れた本じゃないだろうか。ありそうで実はあまりないタイプの本のような気がする。

教育制度・教育法・教育行政の教科書

 2006年の教育基本法改訂以後、教育委員会制度の改正や教育機会確保法制定、義務教育学校の登場、教員養成制度改革などなど、教育制度はめまぐるしく変化している。教育制度・教育法・教育行政に関わる教科書は、最新のものでないと用をなさないようになっている。5年前のものは、もう古い。

■川口洋誉・古里貴士・中山弘之『新版 未来を創る教育制度論』北樹出版、新版2020年

【特徴】「子どもの学習権を保障する」というコンセプトで中心的となる柱をがっちりと固めつつ、教育制度に関わる領域を満遍なく網羅していて、全体的な統一度・完成度が高い。コラム等で具体的な判例や実践例が数多く紹介されており、説得力も高い。
【感想】筋が一本通っていて、とても読みやすく、分かりやすい。好感度が高い。単なる知識ではなく、自分なりに物事を考えるための「観点」を得ることに意味がある。「子どもの学習権」という観点を身につけると、教育に関する様々な事象の問題がクリアに見通せるようになる。

河野和清『現代教育の制度と行政(改訂版)』福村出版、2017年

【特徴】一歩引いたような地点から、教育制度・行政を概観するようなスタイル。タイトルに「現代」とついているように、ポスト近代の流れを意識したような構成になっている。そのせいで「未完の近代プロジェクト」としての「子どもの学習権」は前面に打ち出されない。ここは好き嫌いが分かれるところなのだろう。
【感想】「理念」としての教育制度・行政を考えるのではなく、現実問題としての教育制度・行政をまず知るという点では良いのかもしれない。特に臨時教育審議会以後の教育制度改革について記述が厚かったように思った。

教育方法の教科書

 2017年度版学習指導要領に登場した「主体的・対話的で深い学び」という言葉によって、それ以前の教科書は基本的に用なしになっている。さらにGIGAスクール構想や令和の日本型学校教育によって、いま出回っている教科書もすぐに役立たずになってしまいそうだ。

■稲垣忠編著『教育の方法と技術Ver.2 IDとICTでつくる主体的・対話的で深い学び』北大路書房、2022年

【特徴】「主体的・対話的で深い学び」を実現するための具体的な方法が、豊富な理論を背景に説明されていて、実践に活用できるように思わせる説得力がある。またGIGAスクール構想や令和の日本型学校教育の方針も視野に入っていて、ICTを活用した個別最適化についても配慮している。
【感想】子ども主体の方法が貫かれていて、ひと世代前の「教育方法論」とはずいぶん雰囲気が異なるような印象を受けた。

教育史の教科書

■山本正身『日本教育史:教育の「今」を歴史から考える』慶応義塾大学出版会、2014年

【特徴】古代・中世の教育的事項にはあまりページを割いていないが、近代以降の記述が厚く、特に戦後教育史に関する分析が鋭い。
【感想】一人で通史を書くのはほとんどドン・キホーテ的な蛮勇に類するものになってしまっているが、本書は誤字脱字も見当たらず、教員採用試験に登場するような基本的事項は一通り網羅した上で、全体を貫く構想にも説得力があって、学生にも安心して勧められるように思う。個人的には、特に戦後教育史に対する見方を共有していて、心強い。

■片桐芳雄・木村元編著/木村政伸・橋本美保・高木雅史・清水康幸著『教育から見る日本の社会と歴史』八千代出版、第二刷2017年

【特徴】日本教育史の通史。古代から現代まで過不足なく網羅している。当代一流の執筆陣で、安心して読める。第二刷で、最新の状況にも対応している。
【感想】単なる固有名詞の羅列ではなく、歴史の原則を踏まえた説明がしっかりしている。そのぶん、単に教員採用試験合格を目指すレベルの層には難しいかもしれないが、これくらいは読みこなしてもらいたいところ。

【要約と感想】梅原利夫『新学習指導要領を主体的につかむ―その構図とのりこえる道』

【要約】新学習指導要領は、あらゆる面に渡っておかしいところばかりです。無理です。
上から押しつけたアクティブ・ラーニングは、単に実践を形式的で無味乾燥なものに貶めるだけです。カリキュラム・マネジメントは、無理矛盾を現場に押しつけてきただけです。
子どもたちが主体となる教育に変えるためには、教師の自律性を取り戻すことが不可欠であり、そのために学習指導要領の法的拘束性はなくすべきです。教師の主体性が侵害されているのに、子どもの主体性を育てるなんて、無理です。

【感想】いや、ほんと、仰る通りというか。学習指導要領で文部科学省が言っていることを本当に実現したいなら、学習指導要領を廃止するのが一番いいわけで。少なくとも法的拘束力をなくすのが筋なわけで。法的拘束力を強力に主張しながら「主体的になれ」とか言われても、「無理」としか。
まあ、そのあたりは私が言うまでもなく、文部科学省の官僚たちはおそらく認識していて、表面的にはなし崩しに「自由化」が進むものとは思われる。その兆しは、学習指導要領そのものの記述や構造改革特区の諸取組あるいはコミュニティ・スクールの構想などに現われてはいる。ただしそれはあくまでも表面的な自由に過ぎず、文部科学省が「PDCAサイクルのC」を握ることによって実質的な管理を強めてくるような、新しい形の権力行使に移行するだけではあるだろう。本当に自由を獲得するためには現場が「PDCAサイクルのC」をも掌握する必要がある。このあたりの新しい権力構造のカラクリを含めて「全国学力・学習状況調査」の在り方を観察していく必要があるだろう。

【今後の研究のための個人的メモ】
本書は「学力」に関して様々な見解を表明している。

しかし、これまでもそうであったように、教科等の学習指導は、広い意味での「学力」の深化をはかりながら「人格」の形成に向かって実践してきたのではなかったのか。(42頁)
日本の教育界でもっとも活発に論議と実践が繰り広げられてきたテーマの一つが、「学力とは何か」である。それは「教育とは何か」の問いにつながる永遠の課題である。教育実践のあるところ、必ずや学力論が沸き起こってきた。そうした活発な論議や実践の交流が豊かな学力論をつくり出してきた。しかし、教育がめざす学力の中身が法律で定められてしまった。これは教育の柔軟で多様な試みを破壊し、硬直化に向かわせる重大な損失をもたらしている。(80頁)
もともと学力の論議は、子どもと地域の実態に応じて自由闊達に行なわれる中で、次第に合意が図られていくものであり、それぞれ固有の表現でまとめられていく。そこで重要なのは、教育に関わる者がそれぞれの実践を背景に多様な捉え方をし、交流していくことである。学力の法定化は、こうした多様さや柔軟さの発揮を抑え込もうとする役割を果たしている。(81頁)

いやほんと、「学力」というものを法律で規定できるものか、あるいは規定していいものなのか、本来はしっかり議論するべきなのだ。特に現状の「学力」規定は、教育基本法第一条「人格」とどのような関係にあるのかがさっぱり分からないところが凄すぎる。よくもまあこんな整合性がとれない法体系で安穏としていられるなあと、呆れるところではある。この整合性のない法体系は、必ず将来に禍根を残す。

梅原利夫『新学習指導要領を主体的につかむ―その構図とのりこえる道』新日本出版社、2018年

【紹介と感想】佐藤晴雄『コミュニティ・スクール―「地域とともにある学校づくり」の実現のために』

【紹介】コミュニティ・スクールと一口に言っても、その実態は地域と時代によってバラバラです。現代日本のコミュニティ・スクールには二つの源流があります。一つは学校のガバナンスに重点を置いて地方分権を志向する行政的な発想で、教育改革国民会議など規制緩和論者が推進するような、校長の権限を強化するアメリカのチャーター・スクールをモデルにしたものです。もう一つはソーシャル・キャピタルとの連携に重点を置くもので、地域と学校の連携を実践する現場から立ちあがって来たような、カリキュラム論など教育学的な発想から生じた流れです。現在の制度は、この2つの流れが交錯したところで成立しています。本書では東京都足立区の事例を取り上げていますが、こちらは学校のガバナンスを比較的重視した制度設計となっています。
また、本書はアンケート等を利用した統計調査の分析が充実しており、教育委員会や校長の本音が垣間見えるなど、現在のコミュニティ・スクールの実像がよく分かります。
さらに「Q&A」が充実していて、委員会規則の傾向や委員の人数・任期など具体的な方針が分かり、これからコミュニティ・スクールを立ち上げようとする行政関係者や教育関係者にとっても大いに参考になりそうです。

【感想】コミュニティ・スクールの論理、現状と課題、これから立ち上げを考えている人々に向けての指針など、全方位に渡ってコンパクトに分かった気にさせてくれる、よくまとまったいい本だと思った。特に現在のコミュニティ・スクールの制度が、2つの異なる発想が組み合わさってできていることに関しては、とても分かりやすかった。教育改革国民会議で発議された時にはそこそこ過激な規制緩和論だったコミュニティ・スクールが、中央教育審議会の議論を経てそうとう骨抜きになって、現在の形に落ち着いたのだろうことが伺える。規制緩和論者からしたら中教審はさぞかし保守的で頑固な「抵抗勢力」に見えることだろうが、現状の日本社会にチャーター・スクールをそのまま導入したら既存の公立学校どころか地域社会そのものを破壊しかねないことを考えると、まあ、落ち着くべきところに落ち着いた感じはしなくもない。

とはいえ、現在はもの凄い速度で教育行政改革と教育課程改革が進んでおり、この2つがクロスしたところでコミュニティ・スクールが要となって抜本的な大変革に至る可能性はあるだろうと思う。たとえば新学習指導要領で「カリキュラム・マネジメント」が前面に打ち出され、各学校が自律的な教育課程編成を行なうように方向付けがなされたわけだが、現状ではこの教育課程編成の主導権を握るのが校長だとしても、今後は学校運営協議会が積極的に教育課程編成に関与することがあり得るだろう。あるいは学校運営協議会が率先して教育課程編成をリードしていくことを見越して、「学校評価」と一体となった「カリキュラム・マネジメント」が打ち出されたとも見えるわけだ。そしてそれが向かう先には、学校運営協議会が自らの教育方針に従って校長人事(民間人校長含む)を決定づけるような、実質的にはチャーター・スクールとして機能するような制度が見える。そしてその傾向は、本書で示された教員人事に対するアンケートで、校長としては学校運営協議会が人事に介入することに反対の姿勢を示しているのに対し、一方地域の保護者たちは関与することを積極的に望んでいるという事実に垣間見える。地域の保護者たちが望む教員人事の最たるものは、「校長人事」に他ならない。地域の意向で校長人事が左右されることになれば、それは実質的にはチャーター・スクールだ。

現在のところ、地域住民もチャーター・スクール等の制度設計を知らないせいもあるだろう、校長人事に介入しようという動きは表面化していない。現状のコミュニティ・スクールでは穏健な「ソーシャル・キャピタルの調達」という機能が前面に打ち出されている。しかし今後、地域社会の崩壊がより一層進行し、新自由主義的な傾向を示す保護者が増加し、公立中高一貫校が定着し、規制緩和論者がチャーター・スクールの知識の普及に成功するような状況が重なれば、現在のコミュニティ・スクールは容易にチャーター・スクール的なものに変貌するのではないかとも思えてくる。それはそれで時代の趨勢であって抗うものではないのかもしれないが、さてはて。今後のコミュニティ・スクールの行方に対して、教育学者としては着目せざるを得ないのだった。

佐藤晴雄『コミュニティ・スクール―「地域とともにある学校づくり」の実現のために』エイデル研究所、2016年

【要約と感想】リヒテルズ直子×苫野一徳『公教育をイチから考えよう』

【要約】日本の公教育は完全に時代の流れから取り残されています。19世紀的な産業社会では画一一斉授業で作られる没個性的な人材が歯車として役に立ったかもしれませんが、ポスト産業化社会では自分の頭で判断し行動できないような他律的人間はもはや必要ありません。グローバル社会で生き抜けるホンモノの力を育むには、オランダで行なわれている「教育の自由」の思想に基づいた諸実践(イエナプランなど)が参考になります。本書が言う「教育の自由」とは、単なる学校選択制のような消費者的自由ではなく、教員や学校の自由に基づいた市民的な「精神の自由」に基づいています。

【感想】これからの教育の拠って立つ基盤は「自由の相互承認」にあり、具体的には「個別化・共同化・プロジェクト化」が成功の鍵を握っているという苫野氏の論理に対し、リヒテルズ氏が紹介するオランダの教育実践が見事に噛み合っている。今後の日本の教育の在り方を考える上でも、大いに参考になる。

【今後の研究のための備忘録】
とはいえ、気になるところは、なくはない。本書で紹介されているオランダの教育行政は、単純に見れば「学校選択制」以外の何物でもない。しかも私立学校に対しても公費を投入していることから、実質的にはバウチャー制やチャーター・スクール等に似た制度のようにも見える。

オランダで、「教育の自由」によって、多様な教育理念に基づく学校が公教育費で運営され、子どもや親が自分にとって最もふさわしいと思える学校を選ぶ自由が保障されていることは重要です。(52頁、リヒテルズ担当部)

しかしながら、現在の日本の教育制度や教育文化を前提としたままで学校選択制を採用すると、むしろ教育がおかしくなってしまう。そしてそのことにもちろん二人とも気がついている。

「日本における学校選択制についていうと、私自身は、これには長らく基本的には反対の立場です。いまの段階では、学校の序列化とその固定化が生まれやすいため、リスクが高すぎると考えています。」(苫野、204頁)
「日本に選択制をすぐに導入することについては、私も否定的です。その理由は、日本の学校教育は長らく上の学校への進学率という尺度だけで測られてきており、保護者の学校への期待も、大部分はそこに焦点が当てられているからです。」(リヒテルズ、205頁)

だから、単純に制度を真似しようという話にはできず、その制度を成立させている「自由」の質の違いについて言及せざるをえない。単なる「経済的な自由」ではなく、教員や学校の自由に基づいた「精神的な自由」でなければならないのは、重要な条件だ。とはいえ、本書内では、オランダ国内ですらその条件が怪しいことに触れられている。

また、「自由」といいつつも、それは店で商品を選ぶような消費行動面での自由にとどまることが多く、必ずしも自分自身の「良心」にしたがった行動を選ぶという意味での自由、かつて啓蒙思想の広がりとともに議論された、どんな権威のも屈しない個人の「精神の自由」であるとは限りません。(97頁、リヒテルズ担当部)

本書の記述から察するに、オランダ国内で採用されている学校選択制とは、日本の規制緩和論者が盛んに導入を訴えていた「チャーター・スクール」のようなもので、確かに従来の硬直した公立学校を壊すものではあるだろうが、公立学校と同時に地域社会をも破壊するものだ。おそらくオランダでは、仮に地域社会が破壊されたとしても「市民社会」や教会が代替機能を果たせるから問題がないのだろう。しかし一方日本では、はたして地域社会が破壊し尽くされた後で人々の絆を取り結べるような代替団体があるだろうか。教会や「市民社会」が地域社会の代わりを担えないところでチャーター・スクールを導入したら、単に住民のエゴが野放しになり、生活基盤が破壊されるだけだ。
ここまで考えると、結局問題の要点は「市民社会」の成熟度や定着度なのであって、教育制度をいじることにあまり意味がないような気がするのだ。無い物ねだりをして他の国の教育制度を羨ましく思うのではなく、どうしようもなく変わらない我々自身の環境や条件を踏まえた上で理想の制度を模索し続けなければいけないのだろう。そういう意味で、オランダの教育制度を理想視しすぎるのも危険だと思った。公立学校の解体を目論んだ過激なチャーター・スクール導入を目指した規制緩和論者の野望が砕け、現在のように穏健なコミュニティ・スクール導入に落ち着いてきたのは、あるいは日本独自の在り方を模索し続けた結果なのかもしれない。地域社会で住民の絆をとり結ぶ核になるようなコミュニティ・スクールが構想されているのを見るにつけ、オランダの「教会」が果たしてきたような機能と役割を日本では「地域社会に根付いた学校」が担ってきたのかもしれないと思うわけだ。
とはいえ、そういう教会としての学校の役割も終りを告げつつあるのだろう。あるいは「地域社会」は、もはや滅びなければならないのだろう。地域社会消滅後の公教育の在り方を考えるときに、「教育の自由」を基盤としたオランダの学校選択制は一つの参考となる。

リヒテルズ直子×苫野一徳『公教育をイチから考えよう』日本評論社、2016年

【紹介と感想】田村学著・京都市立下京中学校編『深い学びを育てる思考ツールを活用した授業実践 公立中学校版』

【紹介】新学習指導要領では、アクティブ・ラーニングに代わって「主体的・対話的で深い学び」という言葉が打ち出されましたが、「深い学び」の具体的な中身は分かりにくいものでした。本書は、具体的な「思考ツール」を活用することで「深い学び」が実現できることを示しています。国語や数学など実際の学習活動の中でどのように思考ツールを使うかが分かりやすく示されており、様々な授業で応用できそうです。

【感想】著者の田村学氏は、別の著書『深い学び』で理論的に「深い学び」の在り方を明らかにしている。本書はその理論を踏まえた上での実践編といったところだ。ただの机上の空論ではなく、実際の授業の中で思考ツールを活用した記録が伴っているので、説得力がある。「深い学び」が何なのか困っている先生にとって、実際の授業で役に立つ何らかのヒントがある本かもしれない。
が、まあ、思考ツールを使うこと自体が目的になると本末転倒なので、「どうして手段として思考ツールを使う必要があるのか」を常に問いながら、「深い学び」について考えを深めていく必要があるだろう。表面だけ思考ツールを導入することに、さしたる意味はない。そういう意味で、理論編『深い学び』とセットになって初めて意味がある本であるように思える。

田村学著・京都市立下京中学校編『深い学びを育てる思考ツールを活用した授業実践 公立中学校版』小学館教育技術MOOK、2018年