「読書感想」カテゴリーアーカイブ

【要約と感想】網谷由香利『子どもの「こころの叫び」を聴いて!』

【要約】子どもの話をよく聴けば、なんでも解決します。

【感想】オカルト全開で、ドン引きする本だ。エビデンス抜きの決めつけに満ちていて、これはさすがにマズい。クライアントが治っているならまだいいのだろうが、社会的な発言をするのなら歴史をしっかり勉強してからにしてほしい。
母親や保育者たちを威嚇してガッカリさせるような、教養が欠落した本だった。

網谷由香利『子どもの「こころの叫び」を聴いて!―笑顔を取り戻すための処方箋』第三文明社、2012年

【要約と感想】冨永良喜・森田啓之編著『「いじめ」と「体罰」その現状と対応』

【要約】「いじめ」と「体罰」をテーマとした2つのシンポジウムの記録です。いじめも体罰も、どちらも人権侵害です。教育関係者が力を合わせてなくしていきましょう。
いじめを防ぐためには、心の健康教育が重要だと推奨しています。道徳の時間の具体的な指導のあり方については、学習指導要領の記述を巡ってパネリストの間で見解の相違が見られます。
体罰については、特に学校の部活動の中で、それを許容する風土があることに警鐘を鳴らします。スポーツ本来の姿に立ち帰ることを提唱しています。

【感想】いじめに関しては様々な立場からの見解が示されて、根底的なところで一致しているようには見えなかった。まあ、それ自体は問題ない。多様な立場と多面的なアプローチで解決していけばいいものだ。
個人的には、「心の健康教育」を国家的に推奨することには多少の疑問を持っている。いじめとは本来的に「人間関係」の問題だと思っているので、それを個人の内面的な心の問題に解消することは、場当たり的で表面的な解決法だと思っているからだ。完全に無駄と主張したいわけではないが、本質的なアプローチではないように思う。優先順位の問題だ。このあたりの考えは、私が心理系の人と仲良くなれない理由ではあるのだが。保健体育の時間に「心の健康」を扱うこと自体には一般的な意味があるとは思うものの、いじめ解決のための抜本的な対応と言われると、ちょっと違うのではないかと思ってしまうわけだ。

体罰に関しては、これは法律で禁じられている以上、問答無用で撲滅していかなくてはならない。しかも子どもの側の問題ではなく、大人の側がやめればいいだけの話なので、いじめとは次元が異なる問題ではある。
特に部活動については、教育現場を歪めているものなので、本質的に考えた方がいいのではないかと思う。

【言質】いじめが一方的な悪意に基づくのではなく、「正義」に依拠していることが言及されている。

「いじめっ子の中にも「こいつを何とかしてやろう」という「善意」があります。」28頁
「事件が起きた学校には全国から匿名での罵倒の電話が殺到します。そこにあるのは、いじめの責任追及をする全国の「正義の味方」による集合的な非難です。自分だけが電話しているつもりかもしれませんが、いじめを非難する行為が、結果的に、いじめに酷似しています。残念です。」28頁、戸田有一執筆箇所

「まず学校は、正しいことを教え、正しくないことをだめだよと教えるところです。そして個人の意思にかかわらず集団が形成されるところでもあります。この二つの要素が「正しくないものはだめだ」「嫌なものを排除して、いい社会にする」という感覚を生んでしまいがちだということを自覚しなければならないと思います。(中略)つまり正しいことを教え実行させる学校文化は、それ自体が子どもを追い詰める文化なんだということに気づいているかどうかが、大事だと思います。」67頁、中村和子執筆箇所

いじめについて考える場合、このあたりの視点は、常に意識しておいた方がいいような気がするのだった。

兵庫教育大学企画課社会連携事務室企画編集、冨永良喜・森田啓之編著『「いじめ」と「体罰」その現状と対応―道徳教育・心の健康教育・スポーツ指導のあり方への提言』金子書房、2014年

【要約と感想】向山洋一『「いじめ」は必ず解決できる』

【要約】いじめ解決に必要なのは、近代的なシステムと、技術です。今の学校には近代的システムも技術も欠けているから、いじめが解決しないのです。

【感想】まあ技術を向上させること自体は、いいことだと思う。本書に示された技術の数々も、なるほど、迫力がないわけではない。
とはいえ、「目的」に対する吟味を失って暴走する技術ほど恐ろしいものはない。「どうやって教えるか」も重要だが、「何を教えるか」はもっと重要だ。というか、内容に対する批判的吟味から目をそらすために、むやみやたらと方法や技術に固執しているようにすら見える。重要なものに目を向けず、ひたすら技術の向上に励む姿は、ちょっと、怖い。

【言質】「近代」という言葉の用法に関するいくつかのサンプルを得た。

「学校はもっと近代的にならなければならない。」71頁
「現在の学校のほとんどは、近代的システムになっていないのである。」229頁
「学校の運営を「近代的システム」にすべきなのである。」232頁

まあ、ここで著者が言う「近代的」は、単に「官僚的」という意味に過ぎないように読める。「人権」という「近代的概念」は、考慮に入っていないように見える。

向山洋一『「いじめ」は必ず解決できる―現場で闘う教師たちの実践』扶桑社、2007年

【要約と感想】小森美登里『いじめのない教室をつくろう』

【要約】先生や学校だけに責任に押しつけても、いじめは解決しません。大人全体の問題として、共有しましょう。
いじめを解決するために先生にできることは、たくさんあります。そのためにも、社会全体で先生たちを応援することが大切です。

【感想】当事者だからこそ醸し出せる説得力なのかどうか、静かな口調ながら、とても迫力のある本だった。本気で心からいじめをなくしたい気持ちが伝わってくる。やり返しても解決しないとか、親に相談できないこととか、いじめられるほうに原因はないとか、たくさんの人に伝わって欲しいメッセージだ。
具体的な方策についても、説得力を感じる。先生たちが最前線で頑張り、そんな先生たちを大人全体がバックアップすることで、かなりの部分がうまくいくように感じる。まあ、それができていないから、いじめがなくならないんだろうけれども。
私も微力ながらいろいろ頑張ろうと思った。

小森美登里『いじめのない教室をつくろう―600校の先生と23万人の子どもが教えてくれた解決策』WAVE出版、2013年

【要約と感想】早稲田大学教師教育研究所監修『いじめによる子どもの自死をなくしたい』

【要約】いじめとは、被害者から生きる力を根こそぎ奪う人権侵害です。人権という観点を大事にし、子どもたち自身が当事者として主体的に関わることが大切です。
実際の事件の分析や、弁護士によるいじめ防止の授業例、さらに北欧での取り組みなどを参考に、いじめを防止する方策を考えます。根本的な問題は、近代の原理が子どもに多くの負荷を与えていることです。

【感想】7人の著者による本で、論者によって多少の力点とニュアンスの違いはある。いちおう、「人権」と「子どもの参画」という観点は共有されていると言えるかもしれない。

【言質】近代的な学校システムそのものを問題視している文書を抜いておく。

「学校の制度的限界」26頁
「学校至上主義はすでに破たんし始めています」27頁
「資本主義がさまざまな形で変貌を遂げつつも生き続けているように、学校化された社会もまた問題の本質を巧みにずらしながらシステムをより確かなものにしてきたようにも見えます。専門家と言われる人々は、システムの枠のなかで「合理的な」処方箋を提供し、専門知自体が<近代>そのものを延命させていくことになります。」115頁
「子どもたちのありように自らが揺さぶられることを厭わず、<近代>なるものが切り捨ててきた価値を含み込む芳香でまなざしを転換していくことこそが、ホリスティックな視点に立つことにほかなりません、難題と向き合うなかでかすかに見えてきたもうひとつの学級づくりは、近代学校の限界を見極めながらほんとうに注意深く試みられてきた実践者の周辺で育まれてきたといってよいでしょう。」127頁

近代的な学校システムが必然的にいじめを生むと考えているように読めるわけだ。だがしかし考えてみれば、前近代はいじめどころか身分差別の原理が横行していたのだった。近代化によって「形式的な平等」が実現されたからこそ、実質的な差別化のためのパワーゲーム=いじめが剔出されてくる。それが果たして本当に前近代の身分差別に比べて悪いことなのかどうか、見極める作業は必要なようにも思うのだった。

早稲田大学教師教育研究所監修、近藤庄一・安達昇編著『いじめによる子どもの自死をなくしたい』学文社、2014年