「読書感想」カテゴリーアーカイブ

【要約と感想】吉田量彦『スピノザ―人間の自由の哲学』

【要約】17世紀オランダの哲学者スピノザの生涯を辿り、著書の要点を解説し、スピノザ研究史についても概略します。
 宗教的不寛容によって自由が失われつつあった時代に、実際にスピノザは自由を奪われましたが、しかし徹底的に自由の意義と可能性を考え抜きました。国家論的な観点からは、寛容性を失った国が必然的に滅び、自由を尊重する国が栄えることを唱えました。その自由とは単に考える自由だけでなく、それを表現し行動する自由でなければなりません。いっぽう倫理的な観点からは、いったん人間の自由など原理的にあり得ないかのような決定論を展開しながら、しかし最終的には現実の人間の在り様を考え抜くことによって「理性」の役割を解き明かし、人間にとっての自由の意味を根拠づけました。人間は目の前の出来事に必ず感情を揺さぶられてしまう受動的な存在ですが、しかし理性と直観を働かせて世界がまさにそうあるべき必然的な姿とその原因を判明に理解することにより、能動的に感情を馴致することができます。
 スピノザの思想は、しばらく宗教的不寛容や哲学的無理解のために不遇な扱いを受けていましたが、「自由」について根源的に考えようとするとき、必ず甦るのです。

【感想】やたらと読みやすく、初学者にも絶賛お勧めだ。平易な語り口で分かりやすいだけでなく、ところどころの悪ふざけがアクセントになっていて飽きが来ない。どうやら学術論文でも「悪ふざけ」していると叱られているとのことで、親近感が湧く。それに加えて語り口だけでなく構成も考え抜かれている印象だ。また主人公スピノザだけでなく、脇役たちの描写にも無駄がない。というか、脇役たちの描写によって時代背景が浮き彫りになり、スピノザ哲学が持つ意味がより鮮明となる。

 本書ではドイツ観念論の論者たちがスピノザ哲学の一部(エチカ第一部)にしか注目せず、政治社会的な議論については完全に無視していたとのことだが、個人的な印象では30年前の学部生の時に読んだ哲学史の概説書にもその傾向が根強かったように思う。単に私の読解力不足だった可能性もなくはないだろうが、実際にスピノザの本(翻訳だが)を読むまでは、スピノザといえば「一つの実体に二つの属性」と「汎神論」というくらいの教科書的理解から「デカルトの下位互換」程度に思い込んでおり、特にいま改めて読む必要なんてあるのかな、という印象だった。が、実際にいくつかの翻訳書に目を通してみると、これが意外にサクサク読めておもしろい。ひょっとしたら翻訳が良かったのかもしれないが、やはり内容そのものがおもしろくないと刺さらないはずで、俄然個人的なスピノザ熱が高まり、改めて基礎から勉強してみようとなった次第。本書を読んで、自分なりにスピノザ哲学の意義が明確になった気がするのだった。特に個人的な興味関心から言えば、ホッブズ社会契約論との相違に関する理解がものすごく深まって、とてもありがたい。

【個人的な研究のための備忘録】近代的自我
 個人的な研究テーマとして「人格」とか「近代的自我」というようなものの立ち上がりの瞬間を見極めようとしており、数年前から改めて西洋古代のテキストから読み始め、ようやく中世を抜けて17世紀に差し掛かりつつあるわけだが。やはり古代はともかく中世には「人格」とか「自我」というものの芽生えを感じさせる表現に出会うことはない。トマス・アクィナスやダンテやペトラルカはいい感じではあるものの、決定打にはならない。そして問題は、いわゆるイタリアルネサンスにも決定打が見当たらないところだ。確かにフィチーノやピコやビーヴェスやヴァッラはいい感じだが、決定打ではない。エラスムスやトマス・モアもまだまだだ。16世紀後半モンテーニュはそうとういい感じだが、明確な表現にまで成熟しているわけではない。そろそろ、近代的な「人格」や「自我」の概念に対してルネサンス人文主義は大した影響力を持っていなかったと結論してもいいような気がしている。そして、だとしたら、ポイントになるのはデカルト、ホッブズ、スピノザ、ライプニッツということになるのだ。
 そういう関心からすると、本書の以下の記述は見逃せない。

「わたしがそれに固執しようとするのは、むしろ現に存在している一人の人間としてのわたし、つまり今ここにこうして生きているわたしが、そうあることを望んでいるようなあり方です。そのあり方はわたしに固有のものであり、同じ一人の人間ではあっても、他のだれかがそう望んでいるあり方とは(もちろん共通点も少なくないでしょうが)どこかが必ず違っています。そういう、それぞれの具体的な人間がそれぞれ具体的に望んでいるあり方に固執しようとする営みこそ、人間のコナートゥスの本質だとスピノザは言いたいのでしょう。したがってそれは、形式面からみればあらゆる人に共通する営みではありますが、内容面から見れば決して同じではなく、あくまで個々の人がそれぞれ現にそうありたがっているあり方に固執しようとする営みであり、その意味では「そのものの現に働いている本質」とでも表現するしかない営みなのです。」294頁
「このように、「自らの存在に固執しようとする」人間の力=コナートゥスは、最初から具体的に内実の決まったものではなく、むしろ一人一人の人間がそれぞれの人生を送る中で「これが自分の存在だ」と考えたことに、つまりひとそれぞれの自己理解に大きく左右されます。人間はどうあがいても結局は自分がそう考えるように生きようとするし、それ以外の生き方をめざすことが精神の構造上不可能になっている生き物なのです。」295頁

 ここで決定的に重要なのは、294頁の「形式面からみればあらゆる人に共通する営みではありますが、内容面から見れば決して同じではなく」という表現だ。この「形式的な共通性」と「内容的な独自性」こそが近代的な「人格」を理解するうえで決定的に重要なポイントであり、古代・中世にはそのどちらか片方を洗練させた表現には出会えても、この両方を満足させる表現には出くわさない(たとえばイタリアルネサンスの「人間の尊厳」という概念は前者にしか響かないし、いっぽうモンテーニュは後者にしか響かない)。さらに295頁の「それぞれの自己理解」という表現にみられるように、再帰的な自己理解まで至れば完璧だ。いよいよ17世紀スピノザで出てきた、というところだが、本書の表現はあくまでもスピノザ本人ではなく研究者による解釈なので、しっかりオリジナルな表現で確認しなければならない。ともかく、個人的には盛り上がってまいりました、というところだ。

【個人的な研究のための備忘録】属性
 スピノザ哲学を把握するうえで「属性」という概念の正確な理解は欠かせないわけで、もちろん本書でも「属性」概念について解説が施されるが、そこで眼鏡が登場したとあっては見逃すわけにいかない。

「一般的には、何かに本質的に属する性質、それがその何かに属していないとその何かをその何かと同定できなくなってしまうような性質、それが属性です。あえて変な例で説明しますが、きわめて個性的な、そこを捨象したらその人らしさが根こそぎ消えてしまうほど特異な性的嗜好を表現するのに「〇〇属性」という言葉を使ったりしませんか。メガネをかけた異性(同性でもいいですが)にしか欲情しない人を「メガネ属性」と呼んだりする、あれです。あれはじつは、属性という概念の基本に意外と忠実な用法なのです。」262頁

 筆者は私より年齢が一つ上でほぼ同世代であり、おそらく我々は文化的な経験を共有している。「属性」という言葉でもって「特異な性的嗜好を表現」することが広がったのは、我々が学生の頃だったはずだ。ひょっとしたら二回り上の世代や、あるいは二回り下の世代には通用しない恐れがある。いま現役のオタクたちは「属性」という概念でもって諸現象を理解していない印象があるし、そもそも使い方を間違っている例(もちろん彼らにとってみれば間違いではない)を散見する。

吉田量彦『スピノザ―人間の自由の哲学』講談社現代新書、2022年

【要約と感想】山本文彦『神聖ローマ帝国―「弱体なる大国」の実像』

【要約】962年のオットー大帝戴冠から1806年の滅亡までの神聖ローマ帝国の権力構造と政治過程を、(1)皇帝と教皇の関係(2)開かれた国制/凝集化という2つの観点から複合的・重層的に描きます。
 皇帝と教皇の関係については、具体的には帝国教会を通じた支配構造を説明した上で11世紀の叙任権闘争の意味について考えます。
 権力構造の制度化という観点からは、一方では皇帝選挙制度や帝国議会制度の整備、地方分権的な安全保障体制の整備について記述しつつ、もう一方では三十年戦争の戦後処理や同盟・外交戦略における人的ネットワークの意義を強調し、中央集権的な国民国家とは異なる権力構造の在り方を描きます。
 総じて、神聖ローマ帝国は確かに近代的な国民国家の価値観から見れば時代錯誤の「弱体」な権力構造にしか見えないかもしれませんが、権力構造や政治過程の実態を丁寧に確認してみると、実は強大な権力を作らずに平和を維持するための知恵としては優れているし、その知恵は現在のEUにまで活きています。

【感想】前提として必要となる知識がそこそこあるのと、それ以上に既存の教科書的な通史記述を乗り越えようという意欲を感じて、ゼロからドイツ史を学ぼうという初学者には少々お勧めしにくい印象はある。多少なりとも西洋史の大枠や地理について分かっている人なら、封建制の重層的な権力構造の実態(皇帝と国王・大公の権力関係、有力貴族の婚姻戦略、皇帝選挙の実態、聖俗領邦の異同、宗教改革の影響、帝国外権力との同盟や権力均衡策など)が具体的に分かって面白く読めるだろうと思う。しかしやはり少なくとも近代国民国家を相対化することの意味が共有できていないと、個々の記述の狙いが掴めないんじゃないかという気がする(たとえば三十年戦争そのものの経緯ではなくその戦後処理に大量のページを割いていることの意図など)。

 自分の課題意識としてはビザンツ(東ローマ)帝国の皇帝との関係がいちばん気になっていて、基本的なところは序章で解説があるものの、最も知りたかった11世紀~14世紀あたり(イタリアルネサンス前夜)はもっぱら叙任権闘争と金印勅書の話になっていて、ビザンツ帝国は話題に上らない。そしてその後はルネサンスではなく宗教改革の話に突入する。意外なところでペトラルカの名前が出てきて勉強になったが。ともかく本当にこのイタリアルネサンス前夜にビザンツ帝国との関係は無視してもいいほどになっていたのか、あるいは著者が重点を置かなかっただけなのか、分からなくてモヤモヤするところではある。まあ、自分で勉強しよう。このあたりは神聖ローマ帝国の政治史ではなく、ハンザ同盟の経済史の方が示唆するところが多いかもしれない。

 ところで本書はところどころに日本史と比較する話が出てきて、分かり味は深い。ということでオットー戴冠から帝国滅亡まで約850年ということだが、むりやり日本史と比較しながら考えてみると、鎌倉幕府成立から明治維新まで約700年にわたる武家政権の道のりになぞらえられるだろうか。ローマが京都で教皇が天皇、レーゲンスブルクが鎌倉で皇帝が将軍、ウィーンが江戸。まあもともと無理がある比較ではあるけれども、日本に絶対起こらないのはフランスとトルコの連携という事態だろうな。

山本文彦『神聖ローマ帝国―「弱体なる大国」の実像』中公新書、2024年

【要約と感想】菊池良生『ドイツ誕生―神聖ローマ帝国初代皇帝オットー1世』

【要約】西暦962年にローマ皇帝戴冠を果たしたオットー1世の生涯を辿りながら、ドイツという概念の誕生の場面に立ち会います。オットーが生きた時代にはドイツという概念も言葉もありませんでしたが、オットーによるイタリア遠征という一つの目的に集結することでそれまでバラバラだった東フランク諸大公国が(イタリア側から見ても)一つのまとまりを形作るようになります。しかし同時にオットーのイタリア遠征は東フランク領内の権力細分化と在地領主の自立化を促進し、ドイツが国として一つにまとまることを長く妨げる事にもなりました。

【感想】本書の発行が2022年11月で、三佐川著『オットー大帝』発行が2023年8月。ついでに山本文彦著『神聖ローマ帝国』発行が2024年4月ということで、何か流れができているのか、ただの偶然なのか。
 ともかくつい昨日読んだばかりの三佐川著『オットー大帝』とどうしても比べてしまうわけだが、分量がコンパクトなことも含めておそらく初学者はまずこちらを手に取る方がいいのだろう。一方大学院生レベルなら三佐川著のほうが史料への立ち向かい方などの歴史技法も含めて相当な勉強になるような気がする。良いとか悪いとかではなく、お互いに対象としている読者層が違っているような印象だ。
 また使っている史料が基本的に同じなので、判断材料となる歴史的事実はほとんど同じなのだが、細かいところでけっこう解釈が異なっていておもしろい。三佐川著のほうが史料を厳密に批判して少々禁欲的に解釈を施すのに対し、本書は同時代の文脈の方を重視して合理的な解釈を施しているような印象だ。
 で、私が個人的に興味を持っている「西洋における皇帝という称号の意味」については、三佐川著のほうは禁欲したのかほとんど語らないのに対し、本書の方は史的文脈も含めてそうとう分かりやすく整理している。オットー大帝だけでなくカール大帝の事績に遡ってビザンツ帝国の状況と立場と判断を整理してくれて、とても分かりやすい。

【個人的な研究のための備忘録】リテラシー
 文化史に関して気になる記述があったのでサンプリングしておく。

「ところがオットーが国内の行政機構の整備に取り掛かってきたころから、東フランクの非識字者の社会が様相を変えはじめるのである。歴史叙述が重視され、教養が尊ばれるようになるのだ。そして952年ごろからオットーの官房では文書が増大していった。(中略)
 オットーの文書覚醒は続き、オットーは第一次イタリア遠征の際にノヴァラの学者グンツォをその有名な蔵書ともども東フランクに迎えている。さらに晩年になると、彼はフランス人の最初のローマ教皇シルウェステル二世となるオーリヤックのジェルベールの数学、天文学に興味を示すのである。ある史家はこの現象をカール大帝の宮廷でのカロリング・ルネッサンスになぞらえてオットー・ルネッサンスと呼んでいる。」144-146頁

 オットー期から識字率が向上し文書による政治が一般化していったことはしっかり押さえておきたい。「ノヴァラの学者グンツォ」とか「オーリヤックのジェルベール」は完全ノーマークだったので、調査しておきたい。

「ニケフォロス二世はこのリウトプランドをあたかもスパイ同然に扱い、四ヵ月にわたってコンスタンティノープルに軟禁同然に留め置いた。リウトプランドはこの体験をつづるが、これが先にも挙げた有名な『コンスタンティノープル使節記』である。(中略)
 ビザンツに対する情報が極端に少なかった当時、この書が唯一の情報源であり、その後のヨーロッパのビザンツ観を形成していったのである。その意味で、この『コンスタンティノープル使節記』はビザンツの東方教会と鋭く対立していたローマ・カトリックの長である教皇ヨハネス十三世がリウトプランドに依頼して書かせた反東方教会のプロパガンダである、という説もあながち無視できないのである。」206頁

 リウトプランドは、中世の教養や知識人のあり様を考える上でとても重要な人物だということをよく理解した。たとえば10世紀にリウトプランドがギリシャ語を巧みに操ってアルプスの北側とコンスタンティノープルを結んでいたわけだが、13世紀にはフェデリーコ二世の宮廷がアルプスの北側とビザンツおよびイスラームを結びつける。そこまでは個人的には分かっているつもりだ。ということで個人的な課題は、一つにはこの流れがイタリア・ルネサンスや人文主義とどう結びつくか(あるいは結びつかないか)の理解であり、一つには10世紀から13世紀のイタリアの状況に対する理解である。勉強すべきことが多い。

菊池良生『ドイツ誕生―神聖ローマ帝国初代皇帝オットー1世』講談社現代新書、2022年

【要約と感想】三佐用亮宏『オットー大帝―辺境の戦士から「神聖ローマ帝国」樹立者へ』

【要約】時は10世紀、アルプス北方の辺境地域ザクセン王族から身を起こしたオットー1世は、度重なる内乱を抑えて周辺領域の統治基盤を固めながら、異教徒ハンガリー人の侵攻を退ける大戦功を挙げてキリスト教普遍世界の守護者の名声を得ると、アルプスを越えて先進地域イタリア半島へ侵出して「皇帝」の称号を得ます。イタリアでは二枚舌を弄するローマの統治に手こずりながらも三度の遠征を経て「皇帝」としての実権を固め、東ローマ皇帝(ビザンツ帝国)との関係も構築し、のちの神聖ローマ帝国の礎を築きました。

【感想】個人的にはとても勉強になったけれども、西洋史初学者にはちょっとお勧めしにくい。10世紀のビザンツ帝国や東欧情勢について大まかなあらましを知っているくらいには世界史の基礎的素養を持っていないとあらゆる点で「?」の連続だろうと思うし、ナショナル・ヒストリー(国民史)の枠組みをある程度相対化できるくらいには歴史学研究史の意義を理解できている人でないと、端々の表現で本当に言いたいことの意味というか叙述スタイルの前提そのものから伝わらないのではないか。
 が、世界史に対する基礎的素養を持っている場合には、痒い所に手が届く非常にありがたい本だと思う。単にオットー個人の事績を丁寧に理解できるだけでなく、それが近代史まで射程に入ってくるような長い文脈の中で持つ歴史上の意義に対する理解や、日本人が見落としがちな東欧やビザンツとの関係も含めたいわゆる「ヨーロッパ」という概念そのものを反省するための基本的な知識と観点が手に入る。逆説的な「ドイツ人」(およびイタリア人)概念の形成過程など、なかなかスリリングな行論だ。とても勉強になったし、痒いところに手が届いて気持ちいい。まあ、ここまで視野を広げて議論の射程を伸ばして深堀りしようとすると、ある程度は一見さんお断りのようなスタイルにならざるを得ない、ということなのかもしれない。
 とはいえ、やはりビザンツ帝国の「東ローマ皇帝」という称号と立場の意味が東ローマ教会(ギリシア正教)との関係を踏まえて理解できていないと、西ローマ教会(カトリック)によるオットー戴冠(あるいは遡ってカール戴冠)の歴史的意味は理解できないのではないか。そのあたりの事情が本書では触れられていないので、東西教会の分裂と相克の事情を知った上でオットー戴冠の意味を深めるべく本書を手に取った私のような立場であれば「痒い所に手が届く」と言って喜んでいればいいのだけれど、その基本的な背景を知らないで本書を読んでもカトリックにおける「皇帝」の本質的な意味や教皇との関係というものはぜんぜん分からないのではないかと思ってしまうのであった。

【個人的な研究のための備忘録】ギリシア語
 著者は文化史についてはほとんど触れられなかったと言っているが、少しだけ記述の中に入り込んでいたのでサンプリングしておく。

「リウトプランドが学んだパヴィーアの宮廷学校は、当時のイタリアではミラノと並んで最も高い学問水準を誇っていた。(中略)949年、リウトプランドは、ベレンガーリオにギリシア語能力を買われ、二人の父と同じくコンスタンティノープルに遣わされることになった。」133-134頁

 このあたりはビザンツ帝国についての基本的な素養がないと何を言っているのかチンプンカンプンだろうが、知っていると少しテンションが上がる。古代とルネサンスを繋ぐ道が見える。

三佐用亮宏『オットー大帝―辺境の戦士から「神聖ローマ帝国」樹立者へ』中公新書、2023年

【紹介と感想】沖田行司編著『人物で見る日本の教育 第2版』

【紹介】近世から近現代まで、教育史に関わる人物の簡単なプロフィールと思想を簡潔に紹介しています。それぞれその道の専門家が書いており、簡にして要を得た内容となっています。人物とその仕事を通じて、その時代の教育の特徴や課題も分かるようになっています。

【感想】教員採用試験に出てこないような人物も扱っているけれど、教職課程の学部生レベルでも読んでおいて損はないでしょう。近現代に厚い代わりに、菅原道真や世阿弥のような古代・中世の人物を扱っていなかったり、近世でも池田光政やシーボルト、近代では高嶺秀夫や井上毅が落選していることを云々しようと思えばできるのだろうが、そういう人選に教育観が具体的に出てくるもので、本書の在り方にはナルホドの説得力を感じている。天野貞祐、林竹二あたりを語ることで埋まってくるものはけっこう大きい。

【個人的な研究のための備忘録】人格
 倉橋惣三に関して言質を得た。こういう予定になかった出会いが生じるので、概説書は定期的に読んでおく必要がある。本書は倉橋が1919年から欧米留学に赴き、米国進歩派教育に学んだことに触れ、以下の文章を引用する。

「フレーベルの説は哲学的な人格本位教育であつて、従つて其の社会生活観も、個人の人格を完全なものとして、その個人が集まつて一つのよき社会を創るというのでありました。処が、現今は、非常に社会的生活を主体とする傾向になりまして、従つて教育も、個人的よりは一層社会的に考へねばならなくなつてまゐりました。……ミスヒル、及びキルバトリツク教授二人は、此の考へに基いて、社会的教育主義を幼稚園に実現さす事に力を尽したのでります。即ち、一般教育の原理なる社会生活を主体とした教育目的を幼稚園の日々の保育の実際に取り入れる事に尽力したのであります。(『幼児教育』22-10・11、1922年)

 これを踏まえて本文はこうなっている。

「アメリカにおいて倉橋が学んだもの、それは個人の人格の完成を目指す従来の「人格本位教育」から、社会的場面の学習を通じて、社会的性格や態度の形成を目指す「社会的教育主義」への大きな転換であり、それこそ複雑化し変動する社会に適応しつつ、主体的に生きるために必要な教育であるということであった。」200-201頁

 ところで私の理解では、「個人の人格の完成を目指す教育」はようやく1890年代以降に始まる。1880年代の「開発主義」は、徹底的に自然科学および能力心理学に基づく発想で組み立てられていた。だから倉橋が1922年段階で「従来の」と言っていても、それはしょせん20~30年の浅い歴史しか持たないものだ。そしていわゆる「社会的教育学」は日露戦争の後にヘルバルト主義に代わってナトルプ等の受容から勃興している(アメリカではなく)はずで、1922年段階では一周遅れだ。むしろ「個人の人格の完成を目指す教育」はグリーンを経由した新カント主義(ナトルプでない方)の受容を通じて「大正教養主義」として盛り上がっているはずで、1922年時点でことさら「人格の完成を目指す教育」を否定して「社会的教育」を称揚する姿勢には何かしらの意図を感じざるを得ないが、どんなもんか。

■沖田行司編著『人物で見る日本の教育 第2版』ミネルヴァ書房、2015年