「読書感想」カテゴリーアーカイブ

【要約と感想】トマス・ア・ケンピス『キリストにならいて』

【要約】西郷隆盛「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして修道士の大業は成し得られぬなり。」
玉川カルテット「金もいらなきゃ女もいらぬ、あたしゃも少し愛が欲しい。」

【感想】世界中で聖書に次いでよく読まれた本という謳い文句で知られている本だが、確かに内容は分かりやすく、具体的な指針が明確で、人々の需要に応えたのもナルホドというところだ。言いたいことは非常にシンプルで、「世俗的な価値にこだわるな」ということに限る。だが、この実践が極めて難しい。本当に幸せになりたいのであれば、金や名誉に執着するな、食欲や性欲をコントロールせよ、という理屈は頭の中では分かるとしても、実際に行動に移すのは並みの人間では無理だ。だから「神の恩寵」に縋るしかないわけだが。
 また、現代的価値と決定的に異なるのは、自己肯定感を徹底的に挫こうとしているところだ。が、本書にとってみれば自己肯定感こそが最大の堕落の原因であり、悪魔の誘惑の根本なので、繰り返し繰り返し、徹底的に、執拗に、挫こうと試みることになる。まあ本書が修道士向けに書かれたものであって、世俗信者向けにメッセージを発したものではないだろうことを念頭に置けば、こういう姿勢にもそんなに違和感を持つ必要はないのだろう。(逆に言えば、こういう出家者に対する行動規範を世俗信者にまで求めるようになるとカルトになってしまうのだろう)
 で、それ故にというか、一本気な神に関する記述はともかくとして、糾弾の対象である世俗的な悪に対する描写は極めて精彩に富んでいて、おもしろい。人間的な自然から生じる悪の数々を微に入り細を穿って懇切丁寧に描写するのだが、これがたいへんな迫力だ。正義は一つだが、悪は多様だ、というところか。世俗的な快楽に流れようとする人間性の本質というものが、現代も中世ヨーロッパもまったく変わらないことがよく分かるのだった。

【個人的な研究のための備忘録】反知性主義
 本書の特徴の一つは、「反知性主義」的なメッセージを執拗に繰り返し発しているところだ。

「人間はみな生まれながらを望みもとめる。けれども神を畏れることのない知識が何の役に立とうか。まことに、神に仕える卑しい田舎の男は、自身をゆるがせにして天体の動きを測る傲慢な哲学者に優るのである。」第1巻第2章1
「つつましくわずかな理知によって、少しばかりの知恵をもつ方が、大そうな知識の宝庫を、空しい自惚れと共にもつよりまさっている。」第3巻第7章3
「神によって光を与えられた信心ふかい者の知恵と、学問のある篤学な聖職者の知識には、大した違いがあります。天上からの尊い御力より流れ出る教えは、人間の才能で骨を折って獲られる教説よりも、ずっと貴いものです。」第3巻第31章2
「お前がいろんな本を読んでたくさん知識を積んでいても、いつも唯一の根本原理に立ち帰らねばならない。人間に知識を与えるのは私だ、ということ、そして私が小さい者どもにわかち与える知恵は、人間の教えるところよりも、ずっとはっきりしたものだということを。」第3巻第43章1
「わが子よ、多くのことにおいてお前は無知なのがよい」第3巻第44章1
「お前に要求されているのは、信仰と真率な生活であって、理知の高遠さとか、神の玄義についての深い知識ではない。」第4巻第18章2

 人間の持つ「知識」などは大したことがなく、神の恩寵に由来する「知恵」こそが重要だというメッセージだ。近代的な価値観から見れば、とうてい受け容れることができない戯れ言ではある。完全に中世だ。
 問題はこの反知性主義の射程距離だ。少なくともルネサンス期のエラスムス『痴愚神礼讃』には明らかにこの反知性主義の反映が見られるし(そして初期人文主義者ペトラルカ『無知について』を想起してもよい)、啓蒙期ルソー『エミール』の自然主義教育(消極教育)や、啓蒙主義に反発したロマン主義の流れも同じベクトルの延長線上にあると考えてよいか。この反知性主義的な傾向を、どう思想史に位置づけるべきか。
 そして現代に至っても、カルト系キリスト教団体の教義の核心にはこの反知性主義が居座っており、それは信者から健全な批判能力を奪う結果に陥っているように見える。この反知性主義を、我々は実践的にどう扱うべきなのか。

【個人的な研究のための備忘録】わたしらしいわたし
 「わたしがわたし」というアイデンティティの思想は、もちろんプラトンから始まって古代ストア派哲学を経由し、キリスト教神秘主義にも見られる考え方だ。ご多分に漏れず、本書にも見られたのでメモしておく。

「人が自分と一つになり、内において単純となるにつれ、彼はいよいよ苦労なしにいっそう多くのさらに高いことを悟るようになる。」第1巻第3章3
「世の賞讃を博したからといって、それでいっそう聖人になるわけではなく、悪口されたからといって、それでいっそうつまらぬものになるわけでもない。あるがままのあなたがあなたであって、人がどういおうと、神の見たもうところ以上に出ることはできない。」第2巻第6章3

 こういう「誰から褒められようがけなされようが、わたしがわたしであることに対しては何の影響も与えない。気にするな。」という考え方は、古代ストア派もしばしば表明するテーゼだが、SNS時代の現代にも非常に良くマッチする。逆に言えば、人から何か言われるてクヨクヨするのは、SNS時代の現代文化に特有の現象ではなく、2000年前から続く人間の本質に根ざした何かだということだ。

【個人的な研究のための備忘録】人性(human nature)
 いつの世も変わらない人間の本性について執拗に記述しているのが興味深い。

「十字架を担い、十字架を愛し、身体を責め苛み、苦役に服させ、名誉を遁れ、侮辱を喜んで堪え忍び、自分自身を蔑み、人にも蔑まれるのを願い、あらゆる不幸を損失と共に忍びとおし、何の仕合わせもこの世では乞い求めないというのは、人性のままではない。」第2巻第12章9

 日本語で「人性」となっている言葉は、英語ではhuman natureだが、原文ではどうなっているのか。ともかく、人間というものが何かと快楽と名誉を欲し、苦役を避けて怠けたがることを、畳みかけるように表現している。そしてその「人間としての自然」を徹底的に打ち砕くことが、本書の目的だ。

「自分を愛することは、この世の他のどんな物事よりも、身を害なうものだ、ということをわきまえなさい。」第3巻第27章1
「人間の本当の霊における向上は、されば、我、すなわち自己、を否定し去ることにある。そして、自己を否定した人間は、全く自由であり、安固である。」第3巻第39章4
「完全な勝利とは自分自身に打ち克つことである。というのは、自身をいつも服従させておき、こうして官能を理性に従わせ、理性を万事につけて私に従うようにする者こそ、まことに自己に打ち克った者、この世界を支配する者なのだ。」第3巻第53章2
自己を内に捨てるというのが、すなわち神に結ばれることなのである。」第3巻第56章1

 特に「自己愛」とか「自尊感情」というものを徹底的に挫くことを目指している。現代的感覚からは信じられない。が、この自己否定のポイントは「自己を内に捨てる」というところなのだろう。外に捨てるのではなく、内に捨てるという感覚を掴めるかどうかだ。自己を内に捨てると、無限後退のプロセスに陥り、特異点が発生する。そしてこの特異点が果たして弁証法的なプロセスを経て近代的自我というものに繋がってくるのかどうかは気になるところだ。

【個人的な研究のための備忘録】持ち味と個性
 人それぞれ個性を持っているという描写があったので、メモしておく。ただもちろん「個性」本来の概念を示したものではなく、人それぞれに持ち味があるという以上の表明ではない。この程度なら日本の戦国時代に織田信長や武田信玄も言っている。こういう意味での「個性」の把握と理解は、特に近代的な思考枠組みがなくても十分に可能だ、ということの証拠である。

「誰も彼もが、みな一つの勤めをおこなうことはできない。ある人々にはこれ、他の人々にはそれが、いっそう適するというものだ。さらにまた、それぞれの時季に応じて、それに従い、あれやこれやの勤めが適当しよう。」第1巻第19章5

トマス・ア・ケンピス『キリストにならいて』大沢章・呉茂一訳、岩波文庫、1960年

【要約と感想】P.O.クリステラー『イタリア・ルネサンスの哲学者』

【要約】一口にルネサンスといってもその中身は多様です。本書は14~16世紀のイタリアで活躍した8人の人物の事績と思想の特徴を、おおまかに4つの学派に分けて検討します。すなわち、(1)ヒューマニズム(2)プラトン主義(3)アリストテレス主義(4)新しい自然哲学の4学派ですが、それぞれ興味関心や活動領域が大きく異なっています。どれか一つの学派が決定的にルネサンスの思想を形づくったのではなく、それぞれが真実の何かしらの側面を表現しながら、総体として新しい時代を作り、近代に向かって行きます。
 ヒューマニスト(人文主義者)は、従来研究者が強調してきたほどには「人間の尊厳」に近代的な意味での関心を持っていたわけでもないし、もちろんルネサンス全体を代表する思想家たちでもありません。ヒューマニズムは中世スコラ学から出たものではなく、中世的伝統からすれば傍流から現れたものです。さらにヒューマニズムによって中世以来のスコラ哲学やアリストテレス主義が駆逐されたわけではないし、「哲学」の中心に位置を占めたなんてことはあり得ません。ヒューマニストは、あくまでも詩作を中心とした文学や、文法・修辞学ならびに雄弁術に多大の関心を示しており、哲学に対してはかろうじて実践倫理の分野で絡んでくるに過ぎません。ヒューマニズムが大きな影響を持ったのは専門分化した個別学科(神学・哲学・医学など)ではなく、ラテン語文法や修辞学など、その前段階の自由学芸の領域です。

【感想】おもしろかった。「痒いところに手が届く」とはこのことだ。私が知りたいことがまさにそのまま書いてあった。しかし都合が良すぎるので、警戒感も通常以上に持っておく必要がある。知りたいことだけ知るのは危険だ。

【個人的な研究のための備忘録】ルネサンスの定義
 本書は、外見的には静かな筆致であるにも関わらず、従来のルネサンスの定義に対してはかなり攻撃的で斬新な見解を示している。
 まずポイントになるのは、ルネサンスを「一言」でまとめようとせず、多様性をそのまま認めようとする姿勢だ。この場合の「一言」とは、たとえば「人間の尊厳」のようなものをイメージすれば良いのだろう。そんな一言で以てルネサンスを総括することは不可能だと、著者は繰り返し主張する。

「もしわれわれがわれわれの概観の終わりにあたって、ルネサンス思想がわれわれ自身の世紀をもふくめて後につづく諸世紀に残した知的遺産を評価しようとしても、ただ一言では答えられない。そしてその一言を解体して、われわれの議論してきたさまざまな傾向を別々に語る方が賢明である。」211頁
ルネサンスは中世後期から、高度に分節され専門化した学問の集成を継承した」226頁
ルネサンス思想こそは、その多様なしかも混沌とした努力を通じて、中世哲学をしだいに分解させていき、近代哲学の勃興への道を準備したのである。」

 そして「多様性」の具体的な中身のポイントは、おそらく「人間の尊厳」にこだわる人が見落としがちな「自然科学」の領域だろう。確かに、この時期の唯物論的な傾向を含む自然科学の発展を視野から外してしまうと、「近代」という時代の本質の大部分を見逃すことになる。
 そして自然科学も含めた多様性という観点を確保した後は、返す刀で「人文主義者(ヒューマニスト)」中心史観を切り捨てていく。

「私は、ルネサンス・ヒューマニズムが神学や思弁哲学に、また法律や自然科学に関心をもったのは、しばしば偶然にであって、けっして第一義的にあるいは首尾一貫してというのではなかったのであり、それゆえルネサンス・ヒューマニズムはこれらの他の諸学科の中世的伝統と密接に結びつけられえないということを、確証されたこととみなしたい。」227頁
ヒューマニストたちが、人文学者や作家としての彼らの仕事とは別に、まず第一に哲学史の中に位置を占めることになったのは、道徳哲学への彼らの関心によるものである。なぜなら、ヒューマニストたちの仕事の大部分は、哲学とは何の関係もなかったからである。またわれわれがその限界をはっきりさせようと試みたように、ルネサンスの哲学的思想の大部分は、ヒューマニズムの領域の外にある。」232頁

 高度に分節化した多様な学問体系の中で、人文主義の占める位置など僅かしかない。そしてその人文主義そのものにしても、中世的な伝統の真ん中(たとえばスコラ学)から出てきたものではなく、傍流が合わさってできた流れだという。

「中世的スコラ主義とルネサンス・ヒューマニズムとを対照することは容易であるが、後者を前者から引き出そうとすることが可能だとは、私はまったく思わない。」222頁
「私の意見では、ルネサンス・ヒューマニズムの勃興に寄与した中世の伝統は、基本的に三つある。すなわち、中世イタリアのアルス・ディクタミニス(ars dictaminis)、中世フランスの学校において育成されたような、文法、詩、および古典ローマ作家たちの研究、またビザンティン帝国において追求されたような、古典ギリシャの言語、文字、および哲学の研究である。」238-239頁
ルネサンス・ヒューマニズムの中世的先例は、スコラ哲学や神学の伝統――ある歴史家たちはそこにそれらを見いだそうと試みた――の中に見いだされるべきではなくして、むしろ、慣例的な中世文明像においてははるかに周辺的な位置を占める他の三つの伝統の中に見いだされるということを、私はできるだけ手短に占めそうと試みた。」244頁
「だがこれらの源泉はいっしょに結合されることによって、ルネサンス・ヒューマニズムがその中で発展した一般的枠組みを説明する。これらの源泉は、ルネサンス・ヒューマニズムのある限界を説明しさえする。多くの歴史家たちをたいへん驚かすことであるが、その限界とは、ルネサンス・ヒューマニズムがスコラ主義や大学の学問の構造を覆したり、取って代わることに失敗したというようなことである。なぜなら、ヒューマニズムは、人文学の外にある諸学科の中世的伝統を単に補足したり、修正したにすぎなかったからである。」245頁

 本書の主張に従えば、人文主義は中世的伝統の傍流から派生して、合流して大きな流れになったものの傍流のままであり続け、本家本元に取って代わることはなかった。今現在、「人文主義は死んだ」などと盛んに主張する人たちも現れているが、本書の見解が確かなら、人文主義はルネサンスの時からたいしたことはなかったことになる。いやはや。(日本の文脈に引き写してみれば、大田南畝みたいなものか?)

【個人的な研究のための備忘録】ペトラルカの位置付け
 ルネサンスにおける人文主義はたいしたことがなかったという主張は、具体的にはペトラルカに対する記述に表れる。

ルネサンス・ヒューマニズムは実際に、中世的アリストテレス主義に固有の異端的傾向に対する一つのキリスト教的およびカトリック的な反動であったという誇張された逆説的な見解」18頁
「そしてかなり奇妙なことに、ある著名な中世研究家が、スコラ哲学は根本的にキリスト教的であり、ルネサンスは神を取り去った中世であると主張しようと試みたのに対し、ひとは中世のスコラ学者の著作の中にキリスト教哲学の概念を探すとしてもむだであろう(トマス・アクイナスをふくむ彼らスコラ学者たちにとって、神学はキリスト教的なものであり、哲学はアリストテレス的なものであった。そして問題はその両者がいかに融和されうるかということであった)。そのような概念は、ただ何人かの初期キリスト教の著者たちの著作の中にのみ見いだされるであろう。それからまたルネサンスのキリスト教的ヒューマニストたちの中に、ペトラルカやエラスムスの中に、見いだされるであろう。」18-19頁

 実は私個人としては、ペトラルカの本を読んだ時に、これは中世的アリストテレス主義に対するカトリック的保守反動ではないかと疑問に思ったわけだが、さすがに本書はその立場は採らない。本書によれば、そもそも中世スコラ学そのものがキリスト教的ではないとのことだ。だとすれば、ペトラルカの主張は、確かに反アリストテレスであると同時に、反スコラ学ということになる。「中世スコラ学がキリスト教哲学ではない」という見解は、目から鱗だ。
 だとすれば少なくともペトラルカは新しい何かを示しているわけだが、それは何なのか。

「ペトラルカは中世的であるとともに近代的でもあった。」20頁
「ペトラルカは、ヒューマニズムの父でも最初のヒューマニストでもなく、彼の時代よりも少なくとも一世代前にはじまったある運動の最初の偉大な代表者にすぎなかった。」242頁

 この場合の「近代的」とは、具体的には著作の個人主義的な自意識を指していて、この方向の後継者をモンテーニュと想定している。そしてそれは具体的には詩作という文学的な活動に集約される。しかし印刷術発明後に個人主義的な自意識が発生するのはおそらく容易い説明できるが、印刷術発明前の写本時代にどうして個人主義的な自意識が生じるか、説明はそうとうに難しい。個人的には、フィレンツェというグローバル都市の資本主義的に発達した特異な環境を背景に考えたいところだが、本書はそこまでは突っ込まない。

【個人的な研究に関する備忘録】人間の尊厳
 ということで、本書は「人間の尊厳」というものの価値を多様性の観点から相対的に低めようと試みている。「人間の尊厳」という思想は、確かにルネサンスの一部ではあるが、一部でしかない。

人間とその尊厳についての強調は、われわれがすでに見たように、ストゥディア・フマニタティス(人文学研究)のプログラムそのものの中に暗にふくまれている。それゆえその主題は、ファーチョやマネッティにいたるまで、ヒューマニストたちによってしばしば言及された。」100頁
人間の尊厳についてのピーコの賛歌は、数世紀を超えてわれわれの時代にいたるまで、ルネサンス思想の他のすべての声には耳を傾けなかった者たちによっても、「フマニタス」(humanitas)が親しい感情のほかに、自由学芸の教育とある学問(私はこの概念を、ゲッリウスがかつてしたように、あえて俗なものとは呼ばないだろう)をふくんでいることを忘れてしまった近代の自称ヒューマニストによってさえも、傾聴されてきた。」106-107頁

 ピーコの言う「人間の尊厳」が不当に高い評価を受けてきたことを仄めかすような、皮肉っぽい響きのする文章だ。ただ本書は、「人間の尊厳」という主張の価値自体を否定しようとはしていない。それを多様性の相の下、同時期にあった他の有力な考えと合わせて総体的に評価していこうというわけだ。

【個人的な研究に関する備忘録】自然科学
 そして同時期にあった他の有力な考えとは、唯物論的で自然科学的な志向だ。確かに、中世と近代を分ける決定的な鍵は唯物論的な思考様式であって、「人間の尊厳」ではない、と考えることはできよう。

「彼[ピーコ]の攻撃の根本的な衝動は、宗教的なものであって、科学的なものではなかった。」103頁

 だから仮に「人間の尊厳」という主張が表面的には見えたとしても、それを主張する根本的な衝動が「宗教」に根ざすのか「科学」に根ざすのかで、評価が変わってくることになる。ピーコの言う「人間の尊厳」は、確かに表面的な表現は近代的だとしても、根本的な衝動は中世に属するというわけだ。「神様抜きでやろうぜ」と主張したわけでは、もちろんないのだ。

「ヒューマニズムとアリストテレス主義の共存、また時として両者の間の対抗は、ヒューマニズムが職業的にまたアカデミックに「人文学研究」(studia humanitatis)と結びついており、アリストテレス主義が哲学的学科、特に論理学、自然哲学、およびもっと少ない程度で形而上学と結びついていたということに気づくならば、きわめてよく理解される。ヒューマニストたちの主張するところによれば、道徳哲学のみは彼らの領域の一部であった。この二つの伝統の間の対抗は、ある適切な留保をつければ、近代における科学と人文学との間の対抗に比較されうる。」111頁

 アリストテレス主義が「科学」に、ヒューマニズムが「人文学」に相当するというのは、なかなか思い切った表現だと思う。しかし確かにそう考えると、ルネサンス期の思想全体をクリアに見渡すことができるようになる。特にペトラルカを相対化して考えることができる。

「イタリアのアリストテレス的伝統は、十五世紀と十六世紀を通じて繁栄しつづけ、十七世紀にいたるまでも生き長らえた。それゆえ、アリストテレス主義はペトラルカと彼に追随するヒューマニストたちによって打ち負かされた、と主張する文学史家たちを信じるのは難しい。」113頁
「ポンポナッツィの時代までに、イタリアのアリストテレス主義は数世紀の間栄えていたし、ペトラルカや他のヒューマニストたちの攻撃に耐えて生き延び、十四世紀の終わりころにはパリやオックスフォードから重要な新しい刺激を受け容れていた。」115頁
「この伝統は、その出典と権威のゆえにアリストテレス主義と呼ばれ、またその用語や、方法や文体のゆえにスコラ的と呼ばれるに違いない。しかしながらそれは、医学との密接なきずなのゆえに、また神学との結びつきの欠如のゆえに(それは、しばしば主張されたように、宗教にはもちろん、神学に対立してはいなかったけれども)、まったく世俗的であったし、またそう言ってよければ自然主義的であった。それはしばしばアヴェロエス主義と呼ばれているが、私としてはむしろ世俗的アリストテレス主義と呼ぶ方を選ぶだろう。」113-114頁
「自然哲学のアリストテレス的伝統は、ヒューマニストたちやプラトン主義者たちの外側からの攻撃によって、あるいは自然哲学者たちの示唆的な理論によって、打ち倒されはしなかった。その伝統は、ガリレオと彼の後継者たちが、堅固に確立された優れた方法にもとづいてその主題をあつかうことができた十七世紀において、またそれ以後になって、初めて瓦解したのである。」148頁
「多くの中世主義者たちがわれわれに告げたいと願っているように、ルネサンスが科学や哲学の分野において沈滞の時期であったとか、まして退歩の時期であったということは本当ではない。(中略)十五世紀はその後継者たちに中世の全遺産を伝え、それに古典古代の貢献を加えて、それを初めて完全に利用できるようにしたのである。」190頁

 これはまさに私の知りたいことがそのままそっくり書いてあるようなところだ。ペトラルカの本を読んだときから個人的にはペトラルカとアリストテレス主義の関係に大きな疑問を抱いていて、ペトラルカが批判の対象とするアリストテレス主義の方がむしろ私の目からみれば近代的に見えたわけだが、本書のようにアリストテレス主義を「自然科学」の萌芽だと考えることができれば、私の疑問も簡単に解ける。宗教にこだわるペトラルカのほうが中世的で、自然科学に目を開いたアリストテレス主義のほうが近代的、ということで間違いない。
 しかし自然科学ということでは、アリストテレスよりもエピクロスのほうがより重要かもしれない。

「空虚な空間についての彼[テレジオ]の主張は、ある意味において、アリストテレスが反駁しようと試みた古代の原子論の立場への復帰であった。この立場は、ルクレティウスから、またアリストテレス自身から、テレジオに知られたに違いない。」157頁

 ルクレティウスに好意的に言及するルネサンス人はけっこう多い(ヴァッラとか)のだが、このルクレティウスこそエピクロス主義のエッセンスを伝える唯物主義者代表だ(参考:【要約と感想】ルクレーティウス『物の本質について』)。ひょっとしたら実は、ルネサンスが決定的に重要なのは、このルクレティウスを通じてエピクロスを復活させたところにあるのではないか。実際、18世紀に説得力を持つ「社会契約論」などは、もともとはエピクロスを通じてルクレティウスが展開した思想だが、それこそまさに中世身分制社会を終わらせて近代市民社会を打ち立てる原動力になった。哲学界が華々しいプラトン(理想主義)とアリストテレス(現実主義)の対立に目を奪われている間、実は市井の人々にいちばん説得力を与えたのはエピクロス(唯物主義)だったのではないのか。

「独創性を求めることは、この時代に展開し始め、十七世紀にはるかに大きな規模に達することになった、ある確信を反映している。それはすなわち、新しい発見をし、古代人には近づきえなかった知識に到達することが、近代人にとって可能である、という確信である。十六世紀には実際に、数学や天文学、解剖学や植物学において、古代人を越えたことが明らかに分かる最初の進歩が見られた。そしてアメリカの発見のほかに印刷術の発明が、近代人の優越性に対する論拠として用いられはじめた。」147頁

 印刷術に関する記述が気になるからメモしたが、本書ではこれ以上に展開はしていない。しかし印刷術が決定的なターニングポイントになるだろうことは、私が言うまでもなく、多くの論者が指摘しているところだ。

【個人的な研究に関する備忘録】宗教改革との関係
 ルネサンスと宗教改革の関係をどう考えるかは極めて大きな問題だが、本書はさらっと触れているだけだ。

ルネサンスは、その特徴的表現を十五世紀および十六世紀初めのうちに見いだしたが、宗教改革の風潮の中では展開しえなかった。そうしたことから、宗教改革の到来した後には、ルネサンスは異なった思考態度や思考様式のために席をゆずらなければならなかった。」142頁

 この箇所を読む限り、本書はルネサンスと宗教改革を順接するものとは捉えていない。

【個人的な研究に関する備忘録】西洋教育史
 西洋教育史に関わる記述をメモしておく。

教育に関する数多くの論著において表明されたヒューマニズムの文化的理想は、グアリーノや、ヴィットリーノや、他の多くの人々によって創立された学校において実行に移された。諸大学において、また大学をもっていない多くの都市において、ギリシャ語をふくむヒューマニズム(人文主義)的諸学科における高等教育が、多少とも規則的にあたえられ、人気と威信を獲得した。」31頁
「文化的運動としてそれは、行きわたった古典主義や、十五世紀とともにはじまり、ほとんど今世紀の初めまで存続した古典主義的(あるいは人文主義的)教育の勃興の原因である。」212頁

 この記述を踏まえて考えてみると、ルネサンスの人文主義とは、特に高等教育に関わる教育運動であり、逆に言えば、教育に関わらない領域にはさほど大きな影響を与えなかったということなのだろう。たとえば経済や政治に対しては、さほどの影響力を持たなかった。経済に対しては人文主義ではなく大航海時代、政治に対しては人文主義ではなくマキアヴェリズムかエピクロス経由の社会契約論が決定的な影響を与える。ルネサンス・ヒューマニズムは、教育という領域の中でのみ影響力を持ったなにものかと捉えておくのが謙虚な態度というものなのだろう。逆に言えば、だからこそ教育学が扱うのに相応しいということでもある。

【個人的な研究に関する備忘録】ビザンツ帝国
 ビザンツ帝国に関する記述もメモしておく。

「ギリシャ研究の分野においてヒューマニストたちは、ビザンチンの学者の継承者となった。そして彼らのおかげで西ヨーロッパにギリシャ学が紹介された。ギリシャ語の写本は、東方から西欧の図書館にもたらされた。」32-33頁
「彼らのその時代への寄与のこのような重要な部分をなしたルネサンス・ヒューマニストたちのギリシャ学は、ある程度までビザンティン中世の遺産であったと、われわれは誇張なしで言うことができよう。なぜなら、ギリシャ的東方には全中世を通じて、ギリシャ古典学の多少とも連続した伝統が存在していたからである。」243頁

 ルネサンスを考える上で、ビザンツ帝国の存在はどうしても外すことができない。ビザンツ帝国抜きでルネサンスを語ろうとする態度は、おそらくヨーロッパを捏造したいという欲望に基づく。そういう意味では、ビザンツ帝国を視野に入れてルネサンスを語る本書が、知的に誠実なのは間違いない。

P.O.クリステラー『イタリア・ルネサンスの哲学者』佐藤三夫監訳、みすず書房、1993年

【要約と感想】ホイジンガ『中世の秋』

【要約】14世紀~15世紀のブルゴーニュ公国(現在のオランダとフランス東部)を主な対象とした歴史書です。この14~15世紀をルネサンス期と見なす人たちがいますが、実際には何もかもが中世、しかも爛熟期(だから秋)だということを明らかにします。
 中世思考の特徴とは、アレゴリー(擬人化)と過度の一般化・普遍化志向です。極端から極端へと激しく揺れ動く感情を枠に押し込む「形式」こそが決定的に意味を持った時代です。現実の経験から帰納的な論理を導き出す科学的な志向など一切なく、すべてが想像上の形式的な図式に当てはめられて解釈されます。それに伴って、生活の隅々まで騎士道精神と宗教的な形式で埋め尽くされます。ブルゴーニュ公国は騎士道精神を土台としたド派手な宮廷文化で彩られる一方、静謐で敬虔な「新しい信仰」も芽生えていますが、精神的な根は共通しています。
 しかし中世後期には生活全体が新しい「調子」に変わる兆しが見え始めます。古典主義には実は近代に向かう要因はなく、むしろ無為自然な感情に任せた表現にもっとも近代への可能性が見られます。もう少しでルネサンスです。

【感想】原著出版が1919年ということで、さすがに具体的なところはいろいろと古い。しかし中世とルネサンスの関係に対する本質的な理解が、この100年でどれほど進歩したというのか。ホイジンガ手前のブルクハルトの見解が、未だに教科書的な理解となっていないか。「ルネサンス」という概念を相対化する上では、本書はまだ現実的な力を持っているように思う。
 しかし個人的な不満として、経済史的な条件を一顧だにしていないところは挙げておきたい。まあ著者自身もその程度のことには自覚的で、本書内で「形式/内容」を峻別するんだという方向で繰り返し言い訳をしている。ここで著者の言う「内容」の中に、具体的には経済史的な条件が含まれている。この「内容」を切り捨てて、本書はもっぱら「形式」の叙述に集中する。この場合の「形式」とは、生活の現実を解釈し表現する、騎士道精神とキリスト教に彩られた思考様式のことだ。まあ、言いたいことは分からなくもない。確かに、14世紀~15世紀の生活を彩る「形式」は、宗教にしろ騎士道精神にしろ、中世そのままの様式を貫いて、むしろ深めている。しかしだからこそ個人的には、経済的な発展を背景にした「内容」が与えたインパクトがよりいっそう気になる。「形式と内容」のズレやギャップというものこそ、歴史を動かすエネルギーになるはずだろうと思うからだ。14世紀~15世紀のフランドルが羊毛加工と流通によって経済的に隆盛していたことはハンザ同盟の活動等から周知の事実であり、その商品経済世界を背景にして現世重視の唯物主義思考が発達するだろうことは容易に想像できるところだ。内容(つまり衣食住の唯物的基礎)が根底から商品経済によって規定されている以上、形式(いわゆる中世的な生活の調子)が影響を受けないわけがない。ホイジンガの言う近代へ向けての「内容(つまり経済史的条件)」のほうは、もう十分に整っていたはずだ。しかしホイジンガは「内容」は扱わないと宣言したうえで、もっぱら「形式」のみを対象として記述を進めた。
 ここまでくると、ホイジンガが徹底的に「内容」を排除して「形式」から歴史記述を行なったのは、当時勃興しつつあったであろう唯物主義史観に対する貴族主義的な反抗だったのではないか、と想像してしまう。それはなんとなく、ヴェーバーに対するゾンバルト『恋愛と贅沢と資本主義』の関係にも似ているような感じがする。
 ともあれ結局、実際に中世を終わらせて近代を準備したのは、高踏的なペトラルカやダンテの人文主義でもなく、反動的(自由意志を認めないという意味で)な宗教改革でもなく、おそらく徹底的に唯物的な経済史的大転換であって、それは大航海時代から産業革命に至って決定的な流れになるように見える。地中海貿易を中心に経済圏が構築されていた中世の段階は北イタリア諸都市が文化をリードしていたのが、大航海時代以降はイギリスが近代化をリードする。どれだけ「形式」が貴族主義的に頑張ろうと、「内容」のほうは容赦なく現実を塗り替えていく。14世紀~15世紀のブルゴーニュ公国の「生活の調子」が本書の主張通り確かにどっぷり中世に浸かっていたとして、でもそれは単に大航海時代と印刷術発明の前だったからかろうじて成り立っていた、ということでファイナルアンサーにならないのか。
 まあこのあたりは私が指摘するまでもなく、アナール学派あたりがもの凄い勢いで展開しているところではある。だから逆にそういう歴史学の発展を踏まえて冷静になってみると、現代にまで語り継がれて読む価値があると認められている本書の凄さというものも、改めて認識せざるを得ない。確かに、おもしろく読んだのだった。

【今後の研究のための備忘録】マルクス主義からの距離
 おそらく当時勃興しつつあった唯物主義史観に対してホイジンガが意図的に距離を取ったような記述をメモしておく。

「それは党派の感情であり、国家意識ではない。後期中世は、大きな党派争いの時代であった。(中略)党派対立の様相を、近ごろの歴史研究のやりかたで、政治、経済上の諸要因から解明しようとしても、どうもうまくいかない。(中略)よく経済利害の対立が党派対立の基礎とされるが、それは、通例、図式にすぎず、資料にその根拠をよみとることは、どうしてもできないのである。」上巻36頁

 経済理解の対立を党派対立の基礎と見なす考え方は、たとえば日本史で言えば、幕末史において坂本龍馬や西郷隆盛などの下級武士を新興ブルジョワジーに見立てて、旧来の土地支配にしがみつく上級武士に対抗させる立場がある。実際、勝海舟や坂本龍馬のような金に汚い「商魂」を見ると、そう考えたくなる気持ちも良く分かる。またたとえば南北朝対立の理解においても、楠木正成のような「悪党」の興隆を商品経済の広がりから説明したり、南朝を支えた人々を狩猟採集経済の集団と捉えて農村経済に基盤を持つ北朝との違いを強調する立場がある。
 本書が議論の対象としている西洋15世紀については、もちろん北イタリア諸都市の羊毛産業を背景とした資本主義的発達段階が大きな論点となる。しかしホイジンガは、資料からよみとることはできないとして、経済史的な視点を切って捨てる。集団間の争いは経済的な立場の違いから生じるのではなく、「党派」の間の憎しみと報復の連鎖から生じるという。実際のところ、確かにそうかもしれない。日本史でも、平安末期の源氏と平氏の争いは、少なくとも平治保元の乱の段階では単に党派的なものに見える。南北朝の争いの基礎を経済利害の対立に見ようとするのは、さすがにやりすぎな感じもする。しかしとはいえ、鎌倉幕府成立の段階に至ると経済史的なものの見方(具体的には京都とは異なる東国独自の土地制度に立脚した政治体制の確立)をしたくなる誘惑に駆られるのと同様、中世末期西欧においても、たとえば仮にゲルフ党とギベリン党の間の争いには単なる党派性を見るとしても、宗教改革の段階になるとヴェーバーよろしく経済史的なものの見方(新興ブルジョワジーの立場の反映)をしたくなってくるのであった。

【今後の研究のための備忘録】ルネサンス概念への批判
 本書では、全編を通じて、主にブルクハルトとその追従者のルネサンス概念に対する批判が繰り返される。具体的には、14世紀~15世紀の諸事象を近代から中世の方に引き寄せようという意図で以て、中世とルネサンスの境界線よりもルネサンスと近代の境界線のほうが決定的だと主張する。

「ひとたび、積極的な世界改良への道が切りひらかれるとき、新しい時代がはじまり、生への不安は、勇気と希望とに席をゆずる。この意識がもたらされるのは、やっと十八世紀にはいってのことである。ルネサンスは、まだこの意識を知らず、そのおうせいな生の肯定は、さまざまな欲望充実のうちからひきだされていたにすぎない。まず、十八世紀が、人間と社会の完成という考えを、時代の基本ドグマにまで高めた。その考えの素朴さは、続く世紀の経済、社会の志向にはみられない。」上巻69-70頁
「生活の美についての考えかたには、ルネサンスと、それよりも新しい時代とのあいだにこそ、大きなへだたりがある。潮の変わり目は、生活と芸術とが分離するときである。」上巻73頁

 このあたりは、近年においてもアナール派のジャック・ル=ゴフが繰り返し表明している考えに似ているようにも思う。
 また、後にルネサンスに見られるような諸要素が、既に中世末期に豊富に見られることを繰り返し主張する。

「このように、はっきりと意識された生活芸術、ぎこちなく素朴なかたちをとってはいるが、これは、はっきりいって、完全にルネサンスである。シャトランのいう、シャルル突進候の「なにか人並みはずれたことをやって、ひとに注目されたいと願う心のはなやかさ」、それは、ブルクハルトのいうルネサンス人の、もっともきわだった特徴なのである。」上巻79頁
「シャルル突進候のケースは、ルネサンス精神、つまり、古代のイメージにあわせて美しい生活を追い求める心が、直接、騎士道理想に根ざすものであることを示すに、まことにふさわしい例である。」上巻133頁
「だから、ファン・アイクの自然主義は、美術史においては、ふつう、ルネサンスを告知するひとつの徴表と考えられているのだが、むしろ、これは、末期中世の精神の完璧な開花とみてしかるべきものなのである。」下巻216-217頁

 こうして豊富な具体的事例を挙げて先行研究の不備をあげつらった上で、ルネサンスという概念そのものに疑義を呈する。

「中世とルネサンスとを截然と分けようとの試みは、これまになんどもなんどもくりかえされてきたのではあったが、しかし、そのたびごとに、いわば、その境界線は、うしろへうしろへとすさるばかりなのであった。(中略)それならば、中世とルネサンスと、このふたつを対立させて考えることは、もうやめたらどうなのか。やはり、そうもいかないのである。(中略)だが、ともかくも、このルネサンスという概念を、できるかぎり、その初源の意味内容にまでひきもどすことが必要である。もともと、これは、中世という言葉とはちがい、ある限られた時間の区切りをさすというような性格のものではないのだ。」下巻236-237頁

 こう理論的に図式を提示した上で、返す刀で具体的にイタリアを腐す。イタリアをサゲようと思ったら、実はルネサンス概念を攻撃するのがよい。

「イタリア十五世紀の文化は、他の地域における中世末期の生活にひきくらべて、一見、輝かしい対照をみせている。だから、おおかたの人は、これを観察して、均整、歓喜、自由の文化、静穏晴朗の文化との印象をいだいた。そして、この諸特性をもって、ルネサンスの味わいとし、さらには、新しい時代、近代の到来を告げる指標とみなしさえもした。だが、これは、どうみても一方に偏したみかたであった。(中略)いわばルネサンスに対する偏愛からして、十五世紀のイタリアにあってもまた、その文化の基底には、なお、真に中世的なるものが、ぶあつく残っていたのだといゆことを、さらにいえば、ルネサンスの精神を体現しているとふつう考えられている人びとにあってさえも、その精神構造には、中世的なるもののしるしが、想像以上に深く刻みこまれていたのだということを、すっかり忘れてしまっていたのである。かくして、現在、わたしたちは、十五世紀イタリアに対して、いわば完全にルネサンス調のイメージをいだいているといおうか。」下巻330-331頁
「実際、わたしたちには、ペトラルカやボッカチオを、もっぱら近代の側からだけみるという傾向がありはしないか。わたしたちは、かれらを最初の革新者たちとみる。それは正しい。だが、もしこう考えるとしたら、それは正しくないのである。すなわち、だから、かれら、最初の人文主義者たちは、もともと十四世紀という時代から、すでにはみでていたのだ、と。いかに革新の息吹きがその著述に感じられようとも、やはり、かれらは、かれらの時代の文化のただなかに立っているのである。」下巻335頁
「この点で、フランスは、いわばイタリアとネーデルラントとのあいだの比例中項という役割を演じている。その言語、思想が、真正、純正の古代から遠ざかることもっともすくなかったイタリアにおいては、人文主義のスタイルは、高度な民族生活の自然の発展にさからうことなく、ごく自然に、人びとのあいだにうけいれられたのであった。(中略)イタリアの人文主義は、イタリアの民族文化の順当な成長を体現していたのであり、だからこそ、かれらが近代人の最初の典型とされるのである。」下巻342-343頁

 こうしてペトラルカやボッカッチョなどルネサンスの代表者と見なされていたイタリア人が中世人に引き寄せられるわけだが、勘ぐってみれば、それによってオランダ人である著者の民族意識を満足させるような形になっている、ような気もしなくない。そしてそれは、15世紀北イタリアの資本主義発達段階を無視するからこそ可能になる類の物言いでもあることは忘れてはならない。ホイジンガが経済史的な「内容」を無視して、言語とか民族生活という「形式」のみから論述を進めていることは、話の前提である。
 そしてさらに根底的な問題は、果たしていわゆる「人文主義」なるものが近代と順接するものなのかどうか、という問いだ。たとえば具体的には、自然科学的な観点から言えば、人文主義(特にプラトン主義)はむしろ近代的な世界の見方と矛盾しかねない。それに類することは、ホイジンガもさらっと述べている。

「だから、未来は古典主義にあったのではない、まさしく、その古典にとらわれぬところ、いわば無為自然にこそ、未来が約束されていたのである。ラテン語法をまねよう、古典をとりいれようとの努力は、むしろ阻害因としてはたらいていた。」下巻344頁

 ホイジンガは、ここでは具体的に詩を対象として議論を進めている。詩を近代的に前進させようとする時に、古典主義は役に立たないどころか、むしろ阻害要因になるという主張だ。そしてよくよく考えてみれば、後に西洋の優位性を確固たるものとする数学的自然科学の精神は、古典主義とはまったく関係がない。数式で世界を記述するという近代科学の姿勢は、人文主義からは逆立ちしても出てこない。ペトラルカやダンテの仕事は、コペルニクスやガリレオ、ましてやニュートンには結びつかない。(まあピュタゴラスに影響を受けたプラトン主義の数学重視の姿勢がどの程度影響力を持ったかは慎重に検討する価値はあるか)。

「たしかに人文主義的な諸形態をうけいれはしたものの、その実、十五世紀フランスの数すくない人文主義者たちの打ち鳴らす鐘の音は、けっして、ルネサンスを迎えいれるものではなかったのだ。かれらの心がまえ、かれらの志向は、いぜん、中世ふうのものであったのだから。生活の調子が変わるとき、はじめてルネサンスはくる。」下巻355頁

 というか、人文主義の本質そのものが世俗的な唯物論に対して反動的で貴族的だった可能性すらあるだろう。そして近代に直接繋がってくる世俗的な唯物論は、やはり商品経済の浸透による資本主義的発達段階に関わってくるのではないだろうか。だとしたら、「ルネサンスがくる」ということがどういうことか、形式をいくら分析しても理解できず、内容を精査しなければならない。

【今後の研究のための備忘録】ばら物語
 そしてルネサンス(世俗的な唯物主義としておこう)が浸透する上で、ホイジンガがエポック・メイキングな作品と見なしているのが『ばら物語』だ。

「教会用語を性的なことがらの表現に使うことは、中世においては、実にあけっぴろげに行なわれていたのである。」上巻218頁
「その完全な異教性において、『ばら物語』は、これをルネサンスへの第一歩とみなすことができる。」上巻227頁
「このにぎやかで淫蕩な中世紀の詩作のため、すすんで擁護者になろうとした人びとのサークルこそ、はじめてフランス人文主義の萌芽がみられた土壌であったのだ。」上巻231頁
「中世文化の愛欲表現の分野、真に異教の世界はここにあった。幾世紀このかた、ヴィーナスや愛の神は、ここを隠れ家とし、たんなるレトリックにはとどまらぬ讃仰の声を享受してきたのであった。」下巻353頁

 なるほど。これはしっかり読んでおく必要がある。

【今後の研究のための備忘録】キリスト教の現実
 そして中世キリスト教に対する一般民衆の態度についても、いろいろ教えられた。ルネサンス特有の現象だと思われていることが、実は中世から既に見られるという指摘だ。

「聖職者に対する潜在的な憎しみが、つねにあったのだ。」下巻9頁

 なるほど、このあたりの事実を知らないと、ダンテやボッカッチョが聖職者批判をしているのを見て彼らが何か途方もない冒険に踏み出したかのように思ってしまうわけだが、実は中世においても多くの説教師が同じように聖職者批判を繰り広げていたようだ。ダンテやボッカッチョは、聖職者批判という点では特別だったわけではなく、中世的な感覚でも彼らの仕事は可能であり、だとすれば特にルネサンスや近代の萌芽とみなす理由もなくなる。
 また、14~15世紀がむしろ宗教的に逆行的な現象を示しているともいう。

「きわだって、十五世紀は、魔女迫害の世紀であった。十五世紀といえば、ふつう、わたしたちは、ここに中世が幕をおろし、ヒューマニズムの花がよろこばしくも咲きそめた時代とみなす。だが、中世思想のおそるべき増殖現象たる魔女妄想は、まさしくこの時代にこそ、その最盛期を迎えたのである。」下巻156頁

 確かにそうだ。このあたりはギンズブルグが敷衍していくところか。

【今後の研究のための備忘録】個性とペルソナ
 本書の本筋とはズレるが、「個性」とか「ペルソナ」という言葉の周辺についてメモをしておく。

「人びとが、事象のうちにさがし求めたのは、まさに、非個性的なもの、モデルとして、標準ケースとして使えるものであった。個別的理解の欠如は、ある程度まで、故意にもとづくものであった。それは、精神の発展段階の低さを示すものではなく、普遍主義的ともいうべきものの考えかたが、人びとの心を完全に支配したことの結果なのである。」下巻95頁
「中世人の日ごろのものの考えかたは、神学の思考様式と同じであった。スコラ哲学が実念論と呼んだ構造的関連論が、やはり、その基礎になっている。あらゆる想念を、ひとつひとつきりはなし、存在としてのかたちを与え、それらを集めて、階層的システムに組みたてる。ちょうど、子供が積木で遊ぶように、宮殿や大聖堂に組みたてようとするのである。」下巻123-124頁

 唯名論とか実念論について考える時、純粋にスコラ学の問題として捉えるのと、こうやって中世一般の傾向として捉えるのとでは、まるで結論が変わってきそうだ。注意したい。
 そして本文とはまったく関係ないところで注目したいのは、教会そのものを擬人化した人物がいて、そこで「人(ペルソナ)教会」(下巻83頁)なる用語が使用していたことだ。擬人化した教会のことを「ペルソナ教会」と呼ぶのは、どうしたことか。覚えておきたい。
 またあるいは、「個性」という言葉の使い方について。

「聖者は、それぞれ、はっきりした絵姿に描かれて、じかに民衆に語りかけていた。つまり個性をもっていた。」上巻345頁

  まあおそらく正確にいうと「個性」を持っていたというよりは「キャラクター化」を施されていたということだろう。日本の七福神と同じだ。このあたりは中世とかルネサンスの話というよりは、ホイジンガが生きていた1919年段階での「個性」という言葉の具体的用法として考えるべきところになるのだろう。

【今後の研究のための備忘録】子どもに対する意識
 中世における子どもに対する意識が記述されていたので、メモしておく。

「デシャンの詩は、人生に対する、うじうじした悪口でいっぱいだ。子供をもたぬものはしあわせだ。子供なんて、しょせん、わめき声、悪臭、面倒、心労だ。着物も着せなければならぬ、靴もはかせ、食べさせもしなければならない。いつ、どっかから落ちて、けがをしないとも限らない。病気になって死ぬこともある。大きくなればなったで、悪くなり、牢屋いきということにもなりかねない。人生の重荷、悲しみでしかない。育てあげる苦労、費用がべつにむくわれるでもない。」上巻66頁

 まるで伊武雅刀「子供達を責めないで」を彷彿とさせるが、もちろんデシャンの詩のほうが500年古い。作詞の秋元康がデシャンを知っていたのかどうか。

「このように心うたれる、子供の生命を惜しむ声は、後期中世の文学からは、ほんのまれにしか、きこえてはこないのだ。重苦しくもぎこちなく、壮大なスタイルの当時の文学には、子供をいれる余地なぞ、なかったというのか。はっきりいって、子供のことは、教会文学、世俗文学を問わず、当時の文学の知るところではなかったのだ。」上巻299頁

 このあたりの事情は後にアリエス『<子供>の誕生』が敷衍することになるが、1919年の段階で既にホイジンガが気づいていたということは記憶しておいてよいのだろう。

【要約と感想】会田雄次・渡辺一夫・松田智雄『ルネサンス』

【要約】タイトルは「ルネサンス」となっていますが、実はルネサンスを直接検討の対象とした本ではありません。マキアヴェッリ、エラスムス、トマス・モア、ルターの4人の思想と著作に関するエッセイ集です。著者が3人いて、ルネサンス観はそれぞれバラバラです。

【感想】中公バックス『世界の名著』冒頭の「解説」をある共通項に沿って一冊にまとめた叢書で、本書はルネサンスが一応の共通項。中公バックス『世界の名著』の解説は、原著者の履歴や内容の説明だけでなく、学問の歴史における位置づけや、日本が受容した経緯、その時点での最新研究動向などがコンパクトにまとまっている上に、解説者個人の関心や研究姿勢が伺えるエッセイ風の読み物としても読み応えがある。本書も斯学の泰斗の筆が冴えているのではあるが、ただしタイトルにもなっている「ルネサンス」について理解を深めようとすると、肩すかしを食らう。というか混迷が深まる。というのは、そもそも中公バックス発行当初の「解説」がルネサンス概念を明らかにしようという目的で書かれたものではないからだ。そしてもちろん著者3人で打ち合わせたわけもないので、ルネサンス観もバラバラ、共通点が見当たらない。「いわゆるルネサンスと呼ばれる時期に活躍した思想家3人のごった煮」という副題が相応しいかもしれない。

【今後の研究のための備忘録】ルネサンスの定義
 ルネサンスに関わる記述があったので、メモしておく。

ルネサンスとは周知のように、一四世紀のイタリアにはじまって全ヨーロッパにひろがった、ギリシアーローマの古典復興の運動をいう。中世の暗黒時代が去って、人々が封建制とローマ教会によって歪められた人間性を回復し、現実主義、合理主義にのっとって生きようとしだしたとき、かつてそういう立場で輝かしい文化と社会を築いたギリシアーローマ時代を再現しようとした運動である。」17-18頁。会田執筆「マキアヴェリ」

 ブルクハルト(1860年)以来の教科書的な見解である。しかしこの解説が書かれた時点で、既にこの教科書的見解には様々な疑義が寄せられている。著者(会田)もおそらくそのことを知っており、この文章の後にはイタリア・ルネサンスを可能にした北イタリアの経済史的条件についての解説が続く。グローバルな商業活動と羊毛産業による潤沢な資本を背景として北イタリア諸都市に大商人を中心とする共和的な政体が生まれ、それが世俗的で合理的な考え方を育んだという、わかりやすい図式だ。しかし一方その共和的な政体は、もちろん当時ヨーロッパで立ち上がりつつあった絶対王政へは向かわない。その弱点はフランスや神聖ローマ帝国による侵略という形で露呈する。この共和制と絶対王政の相反する2つのベクトルの力学から『君主論』が登場するという筋立てで、マキアヴェッリはこの矛盾の解決を「決断」と「力(ヴィルトゥ)」に見出した、と会田は見る。ここまでくると、実は本当の問題は「いわゆるルネサンス」にはなく、お互いに無関係に急速に発展する経済と政治との間の矛盾であることが分かる。ホイジンガ風に、「内容と形式」の間の矛盾と言っていいだろうか。

【今後の研究のための備忘録】ユマニスムの定義
 ユマニスム(日本語では伝統的に「人文主義」と訳される)の定義についてもメモしておく。著者の意見ではなく、フランス人歴史家の言である。

「ヘブライ、ギリシア、ローマなどの古代の学芸の復興から糧を与えられた人々が、まず具体的には、福音精神の探究と聖書の再検討という形でキリスト教の自己批判を要求し、ひいては既成のさまざまな制度や学芸にも批判を加え、より血の気の通った(humanior)制度・学芸を招来しようと望んだのが、人文主義(ユマニスム humanisme)の最初の姿であると考えたい。」94-95頁

 教科書的な「人文主義」の定義からすると圧倒的に控え目な言い方になっていて、ここからは「中世を脱して近代へ向かう」ような強烈なエネルギーは感じられない。それは著者(渡辺)も踏まえていて、「生ぬるいほどの正気」(95頁)と評している。
 思い返してみれば、ユマニストたちが対峙したスコラ学の形式的表現には、たしかに寸分の血の気も通っていないような印象を持つ。ユマニストたちがスコラ学の「哲学」に対して「雄弁」を重んじた事情もある程度理解できる。しかしそれは、自然科学に通じるアリストテレス主義を批判し、キケロを経由してプラトンを称揚する貴族主義的な姿勢であって、近代の啓蒙主義にも民主主義にも繋がらない。むしろ社会契約説も含めて、近代化への傾向に関してはプラトンよりもエピクロスの方が重要ではないか(だからヴァッラは侮れない)。だとすれば、実はヨーロッパの近代(資本主義と民主主義)は、スコラ学でも人文主義でもないところから立ちあがってくるのではないか。たとえばコペルニクスは、どういうふうに人文主義の文脈に回収できるのか。アリストテレス主義から説明する方が素直に分かりやすいのではないか。むしろいわゆる人文主義は、勃興しつつある唯物主義・拝金主義的な資本主義の世相に対する道徳主義・高踏主義的な反動だったのではないか。ペトラルカが徹底的に批判したようなところ(アリストテレス主義に基づく自然探求)からホンモノの近代が立ちあがってきたのではないか。そういう疑問に本書はまったく答えてくれないのだが、もちろんそれは著者たちのせいではない。
 そんなわけで、ルネサンスや人文主義というものに対する理解がますます混迷の度を増していくのであった。

会田雄次・渡辺一夫・松田智雄『ルネサンス』中公クラシックス・コメンタリィ、2008年

【要約と感想】『エラスムス=トマス・モア往復書簡』

【要約】固い友情で結ばれたルネサンス期人文主義者二人の間に交わされた1499年~1533年の現存書簡全50通を収録しています。最初のうちはお金を無心する下世話な話が目立つものの、中盤からはヨーロッパを股にかけた人文主義者コミュニティの在り様が伺えるようになり、最終的には国家の命運を左右するような話題に至ります。

【感想】まず驚くのは、当時ヨーロッパで沸騰してたはずの大航海時代に関わる話がこれっぽっちも出てこないということだ。1503年にはアメリゴ・ベスプッチがアメリカを新大陸とする本を出版しており、この事実はエラスムスとモア両者存命中に広く知れ渡っていたはずだが、書簡ではアメリカ大陸なんかまるで存在しないかのような話に終始する。1516年に『ユートピア』を書いているトマス・モアのほうは明らかに大西洋を意識していたはずだが、ヨーロッパ全体に名声が轟いたコスモポリタン知識人エラスムスのほうはまったく関心を持っていなかったように見える。辺境イスパニアのほうで起こっているローカルな出来事のように思っていたのだろうか。もっぱらヨーロッパ中央、フランス・神聖ローマ帝国・イタリア諸都市に意を注いでいる。
 この界隈の先行研究においても、近代社会を準備したのはもっぱらルネサンス人文主義と宗教改革であることにされ、大航海時代は完全に視野の外にある。確かにエラスムスなどの人文主義者やルターなどの宗教改革者の資料を見る限りでは、まるでアメリカなんか存在しないかのように、中世以来のヨーロッパの枠の中で話が進んでいる。先行研究がそれを踏まえるのも当然なのだろう。しかし現実においては、大航海時代はヨーロッパ社会に決定的に大きな影響を与えているはずだ。ヨーロッパ近代を準備したのは、実はルネサンスと宗教改革ではなく、大航海時代とそれに続く産業革命ではないのか。
 だとすれば研究者が本当に考えなければいけない問題は、「どうしてエラスムスは大航海時代にコミットしなかったか」ではないだろうか。いま現在、世間では「人文学は死んだ」などと言う人もいる。仮にその見解が確かだとして、その方向で話を突き詰めていくと、実は人文学は大航海時代を視野に入れなかったエラスムスの時代から既に死んでいて、私たちが見ている「いわゆる人文学」はゾンビだったのではないか。いや人文学は死んでいないというのなら、大航海時代で沸騰するヨーロッパに生きていたはずの人文学者の王者エラスムスにどうしてその影すら見当たらないのかは明らかにしなければいけない。というのも、まさに21世紀を生きるいわゆる人文主義者の面々も、21世紀版大航海時代のインパクトを完全に無視しているように見えるからだ。

 それはともかく内容はとても興味深く読んだ。二人の友情や、あるいは高度な修辞でありつつ下世話で幼稚な論争だとか。この大人文学者2人にして児戯にも似た不毛な論争に血道を上げてしまう様子を見ると、現代SNSで毎日のように不毛な論争が発生するのも宜なるかなと思えてくる。人間は論争に突き進んでしまう生き物だ。
 また印象に残るのは「印刷」と「出版」に関わる記述が非常に多かったところだ。印刷術の登場が人文学の展開に決定的に重要な役割を果たしたことが伺える内容になっている。この印刷と出版の革命によって出現した大海原こそがエラスムスにとって臨むべき冒険世界の対象になり、大西洋は関心の埒外に放っておかれたということか。

【今後の研究のための備忘録】自由意志
 エラスムスとルターが袂を分かった教義論争の焦点が「自由意志」にあったことは両者の本のタイトルからして一目瞭然なのだが、エラスムスの「自由意志」に関する考え方がよく分かる文章があったのでメモしておく。

「パウロやアウグスティヌスの言うところに従えば、人間の自由意志にゆだねられている部分は、ごくわずかだということになります。確かにアウグスティヌスは、ウァレンティヌスに向けて晩年に書いた二冊の本のなかで、自由意志というものは存在すると書いております。とはいえ、神の恩寵はきわめて強く是認していますので、アウグスティヌスがどれほどのものが自由意志にゆだねられる余地があるとしているのか、私には見分けられないのです。彼は人間が神の恩寵をこうむる以前になしたことは死んだものと認め、我々が懺悔したり、善をなそうと思ったり、善行をなしたり、固く信仰を守ったりするのは、神の恩寵によるとしています。つまり、こういったことはすべて恩寵の働きによると、認めているわけです。とすると、人間の功績はどこにあるのでしょうか。この点で追い詰められると、アウグスティヌスは逃げを打って、神は我々の功績に応じてよきことを授けたまい、我々のうちにおいてその恵みに栄冠を授けたもうと、言っているのみです。なんともみごとに自由意志の存在が弁護されているではありませんか。私としては、我々は生来与えられた力だけで、特別な神の恩恵をこうむらなくとも、中世の神学者たちが言っているように、まずは神の恩寵に浴することができるという見解に傾いています。もっとも、パウロはさような見解には反対ですし、スコラ哲学者たちもこういった見方を受け容れないとは思いますが。」296-297頁

 アウグスティヌスの論理の射程距離が1000年以上の時を超えてルネサンス期まで及んでいるのがわかるが、ルターとエラスムスの論争は、このアウグスティヌスをどちらが味方につけるか、という争いだったのかもしれない。

『エラスムス=トマス・モア往復書簡』沓掛良彦・高田康成訳、岩波文庫、2015年