教育概論Ⅰ(保育)-10

短大保育科 6/21、6/30

【課題】
■締切:7/12(木)、7/14(土)
■形式:800字程度。手書きでもコンピュータ使用でも可。紙の大きさ自由。
■内容:授業内で扱った教育思想に関わる人物の中で、気になる思想家を一人選んで、教育・保育思想を書籍等で調べ、自分が感心・共感したことを記して下さい。

前回のおさらい

・近代初期の教育思想。身分制をのりこえて、全ての人に教育を与えようという考えが出始めてきました。

近代教育学の展開

・他の学問分野から独立した、固有の教育学が形成されていきます。

ペスタロッチー Johann Heinrich Pestalozzi

・1746年~1827年。スイス出身。
・主著『隠者の夕暮』『シュタンツだより』『ゲルトルートはいかにその子を教えたか』『白鳥の歌』
・キャッチフレーズ:実物教授。直感教授。労作教育。3つのH(Hand、Heart、Head)=知徳体。
名言:「王座の上にあっても、木の葉の屋根の蔭に住まっても同じ人間だ」=身分に関係なく、普遍的な人間を教育するということです。「生活が陶冶する」
・孤児や貧民の子供の教育を通じて、身分や階級に関わらない人間一般の教育原理を打ち立てました。ルソーが理論だけだったのに対して、ペスタロッチーは実践を通じて教育原理を明らかにしました。
・アメリカを経由したペスタロッチー主義(開発主義教育)は、明治初期に日本でも流行しました。

伊沢修二

・1851年~1917年。長野県出身。
・アメリカに留学して教育学を学んだ後、日本で開発主義を広めました。
・主著『教育学』。
・音楽教育や体操の普及、植民地での国語教育などにも深く関わりました。

高嶺秀夫

・1854年~1910年。福島県出身。
・アメリカに留学して教育学を学んだ後、日本で開発主義を広めました。
・主著『教育新論』。ジョホノット教育学の翻訳。
・高等師範学校の校長として、開発主義の普及に貢献しました。

ヘルバルト Johann Friedrich Herbart

・1776年~1841年。ドイツ出身。
・主著『一般教育学』『ペスタロッチー直感教授のABC』
・キャッチフレーズ:教育学の父。目的としての倫理学、方法としての心理学。段階教授法。
・名言:「教授のない教育などというものの存在を認めないし、逆に、教育のないいかなる教授も認めない
・ペスタロッチーの実物教授を引き継ぎながら、教育学を体系化された学問へと鍛えました。家庭教師による教育ではなく、学校における教師の教授法を理論化しました。

ヘルバルト主義教育学

・ヘルバルトを引き継いで、科学的な教育学を発展させました。
・チラー、ライン。
五段階教授法。予備→提示→比較→総合→応用。
・中心統合法。宗教(道徳)を中心としたカリキュラム(スコープ)構成の原理。
・開化史的段階。カリキュラム配列(シークエンス)の原理。

谷本富

・1867年~1946年。香川県出身。
・主著『実用教育学及教授法』『科学的教育学講義』
・ヘルバルト主義を日本人にわかりやすく改変し、流行をさせました。後にヘルバルト主義を捨てて、新教育にコミットしました。

フレーベル Friedrich Wilhelm August Fröbel

・1782年~1852年。ドイツ出身。
・キーワード:幼稚園の創始者。恩物
・主著:『人間の教育
・ペスタロッチーの影響を受け、幼児教育に人生を捧げました。

倉橋惣三

・1882年~1955年。静岡県出身。
・形式化した幼児教育を批判し、子供の個性と自発性を重んじた幼児教育の発展に尽くしました。
・「自ら育つものを育たせようとする心、それが育ての心である。世の中にこんな楽しい心があろうか」

復習

・時代背景を考慮しながら、各教育思想の本質を押さえよう。

予習

・義務教育とは何か、その導入経緯について考えておこう。

発展的な学習の参考

ジョン・ロック『教育論』:新しい時代にふさわしい紳士教育の形が示されています。

ジャン・ジャック・ルソー『エミール』:普遍的な「人間」をつくるという、まったく新しい教育の姿が描かれています。

ペスタロッチー『隠者の夕暮れ・シュタンツだより』:ペスタロッチーの教育思想のエッセンスが詩という形式で表現されています。

フレーベル『フレーベル自伝』:フレーベルの教育観の一端を伺うことができます。

フレーベル『フレーベル自伝』

【要約】自分自身を一つの統一された生命と捉える傾向のある私は、断片的な知識を伝達するだけの旧来的教授に馴染めず、生徒が自発的に活動して生命力を発揮する新たな発展的教育を目指しましたが、世間には理解されませんでした。

【感想】まあ、体系的にまとまった著作ではなく、公開されることを前提としていない手紙の草稿だけあって、読みにくいことこの上ない。繰り返しや重複も多く、理解不能な晦渋な言い回しばかりで、とてもではないが学生には勧められない。

とはいえ、ある程度の知識と経験を持って臨めば、得られるものは以外と多いかもしれない(と覚悟して付き合うしかない)。
まずは、全体として陰鬱な印象を受ける抽象的な言葉の羅列の中で、フレーベル自身が創造的な授業をする光景が具体的に描かれている表現に出くわすと、かなりホッとする。フレーベルは自身が行う地理の授業で、従来の詰め込み型の指導ではなく、生徒の自発性を尊重する活動を試みる。授業はうまくいき、生徒の保護者からの称賛だけでなく、学校の上司からも褒められ、なおかつ生徒自身の熱心な活動そのものに喜びを見出している。フレーベル自身もこの授業の成功をそうとう誇りに思っているようで、文章から喜びが沸き立ってくるようだ。フレーベルがただの批評家ではなく、誠実な実践家であったことを示す、読み応えのある文章だと思った。

またあるいは、フレーベルが繰り返し繰り返ししつこく「生命」と「統一」への志向性を表明することに関して思ったのは、いわゆるアクティブラーニングと呼ばれる教育関連諸技術の根底に、こういった「生命の統一」への志向性が据えられるべきだということだ。フレーベル自身もアクティブラーニング的な授業を成功させているわけだが、彼はただの教授テクニックとしてアクティブラーニングを導入したわけではなく、自分自身の内側から滲み出てくる生命の統一への志向に促されて教授改革へと向かっていった。フレーベルの教育思想の根底には常にこの「生命の統一」への憧憬と確信が据えられており、いわゆるアクティブラーニングもそこから生じる必然的な系に過ぎない。こういった「生命の統一」への志向性が欠けているとき、どれだけ表面的な技術を磨いたとしても、授業の本質は何も変わらないのではないかとも思う。

まあ、この本だけでフレーベル思想の全体像を掴むことは難しいので、諸々の研究書にあたって勉強するべきなのであった。

【個人的備忘録】アクティブラーニング
「私はまた地理の教師としてこの機会を利用して、生徒に土地の表面の状態を直感させ理解させ、このようにして得た直感に地理教授を結び付け、そしてそこから地理教授を出発させた。」「学校取材の第一回公開審査の際、私は幸福にも――この最初の試みはひどく多くの不完全な点を含んでたにも拘らず――ただに出席した両親達の満場一致の賛成だけではなくて、更に特に私の上役の人々の賛成を得た。そして人々は言った。「地理は須くこのやうに教えるべきだ。少年は遠方に行く前にまずその郷土を知らなければならない。」生徒は実際町の周囲のことを恰かも家庭の自分の部屋のやうに熟知し、そして迅速に且つ適切に周囲のあらゆる地面の状態について答えた。この授業こそ私が後年十分改訂して、現在まで多年の間応用して来た授業の源になった。」(85-86頁)
「その際私は審査の人々を十分満足させる結果を得て喜んだだけではなくて、私の生徒が愉快に熱心にまた自発的に活動しているのを見た。」(87頁)
「成績そのものよりもむしろ私の善良な意志と火のような熱心とのために与えられた好意ある親切と獲得した好評とが私を鼓舞して、愈々深く教授の本質のなかに深入りさせた。併し一つの大きな学校の組織された全体は鞏固な形式があり、確実な・承認された・外部的に予じめ時間と目標とを規定し得るような課程を有ち、而も総ては時計仕掛けのように互いに噛み合っていなければならない。ところが私の流儀はただ目覚めた生命と目覚めた精神とだけを要求した。」(87頁)
「即ちこれまでの教育方法、殊に単に伝授的で単に外面的歴史的に伝達する基礎学校乃至練習学校の教授法は、一層高い真実の認識に対し、精神的の洞察に対し、将来の真の科学的陶冶に対し、本質直感に対し、従って真の知識に対し、知識における真理に対し、感応を鈍くし、否なそれのみか、私は率直に言いたいのであるが、此等に対して破壊的に影響している。
だから私はこれまでの基礎的な練習教授はその改良されてるものでも全く反対にされなくてはならない、即ち発生的発達的というような全く反対の方法で行われなくてはならないということを、今も確信しているがその時確信した。だから私は私の欲するものが抑々何であるかと尋ねる人には次の如くに答えた。
「今日一般に教育及び教授の部門において行われているものと全く反対のもの。」」(179頁)
「あらゆる現象と存在、従ってまた直感や認識や知識の出発点は実行であり行為である。
だから真の人間教育即ち発展的の人間教育は実行若しくは行為から始まり、実行若しくは行為のうちに芽生え、そこから成長し、そこに基礎を有たなくてはならない。」(185頁)
【個人的備忘録】統一への志向
「当時私の念頭に浮んだ最高原理は次のものだった。総ては統一である。「総ては統一に基づき、統一から出発し、統一に向って努力し、統一に至り、そして統一に還る。」
統一におけるこの努力と統一に向ってのこの努力とは、人間生活における百般の現象の基礎である。併し私の内的直感と外的認識、表現と行為との間には一箇の大きな深淵があった。
だから教育及び教授に依って人間のために生ぜしめねばならない・また生ぜざるを得ない総ての事柄は、人間のうちに・また人間がそのうちに生起する諸関係のうちに・更には人間の必然的の発達段階の本質のうちに必然的に規定され、また与えられると私には思われた。
人間が此等の関係を尊重し、認識し、それに通暁し、且つそれを概観するように教育される時、彼は教育されまた教授されるのだと私には思われた。」(99頁)
「併し私はまた人間は絶対的な統一を認識することが出来るものであり、事物及び現象の多様性を統一のうちに認識することが出来るものであり、この統一のうちに事物及び現象の多様性が不断に発展して行くものである、ということを洞察した。そして私がこのようにして人間の生活と活動と思考と感情と表現との諸現象の多様性を、人間の存在と本質との統一のうちに明らかにし、且つそれを意識した時、私はまたもや教育問題に向った。」(125頁)
「ところが更に進んで、このような生活に依って人類そのものは真にその本質において、自己をあるがままに認め、あるべき姿として認め、一つの大きな全体生命として認め、従ってこの教育は人間を真の人間へ、即ち人間の本質を自己のうちに発展させそして自己から生活し出すような人間へ教育しようとするのであるから、これはまた真の人類学校とならなければならなかった。而も私の始めた教育活動こそは人間をその本質のあらゆる方面とあらゆる関係とからりかいしなければならなかった。即ち――土地として――或いは自然物乃至地上物として――人間として――意識的なまた思索的な生類乃至理性的な生類として――そして神の子として理解しなければならなかった。」(187頁)

フレーベル/長田新訳『フレーベル自伝』岩波書店、1949年

教育概論Ⅰ(栄養)-10

▼短大栄養科 6/19(火)

前回のおさらいと補足

・フレーベルと倉橋惣三。
・自由の落とし穴と、労働力の売買。社会権としての教育。
・義務教育の思想。コンドルセ。

コンドルセ marquis de Condorcet

・1743年~1794年、フランス出身。
・愛称:公教育の父。
(1)子供の学習権。
(2)教育費無償。
(3)ライシテ:政治的中立や宗教的中立。

義務教育の思想(つづき)

ロバート・オーエン Robert Owen

・1771年~1858年、イギリス出身。
・キーワード:性格形成学院。
・工場法の展開

1802年徒弟の健康と道徳に関する法律制定。
1819年繊維工場では9歳以下の労働禁止。16歳以下は1日12時間以内に制限。
1833年12時間労働。9歳未満の労働禁止。13歳未満は週48時間。
1844年女性労働者の労働時間制限。
1847年若年労働者の労働時間を1日10時間に制限。
1870年教育法制定。公費による学校設立。

教育権の構造

・教育に関わる4つの立場「子供/親(保護者)/教師/国家」が、それぞれどのような「権利/義務」を持っているかを明らかにするのが「教育権の構造」です。それぞれが教育で果たすべき役割が明確になります。

子供の学習権

・子供は学習権を持っています。教育を受ける権利があります。
・学習する権利が保障されなければ、自分にどのような自由や権利があるかすら分からなくなってしまいます。
・この場合の教育とは、普遍的な「普通教育」であり、人格の完成を目指す教育です。特定の知識や技術を身につける職業訓練ではなく、「人間」になるための教育です。

日本国憲法第26条-1
すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

親の教育義務

・親には、子供を教育する義務=子どもの権利を保障する義務があります。

日本国憲法第26条-2(前半)
すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。
教育基本法第5条-1
国民は、その保護する子に、別に法律で定めるところにより、普通教育を受けさせる義務を負う。

親の教育権

・子供を教育する第一の権利は、親にあります。
・しかしその自由は無限に認められるのではなく、あくまでも「子供の学習権」を保障するために与えられているという責任が伴っています。
→親には「監護権」が与えられますが、それはあくまでも「子の利益」のためです。

民法第820条、822条
*民法第820条:親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。
*民法第822条:親権を行う者は、第820条の規定による監護及び教育に必要な範囲内でその子を懲戒することができる。
教育基本法第10条-1
父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。

国家による親への支援

・どんな貧乏な親でも義務を果たすことができるよう、国家が支援する必要があります。社会権としての教育を保障します。

日本国憲法第26条-2(後半)
義務教育は、これを無償とする。
教育基本法第5条3・4
3  国及び地方公共団体は、義務教育の機会を保障し、その水準を確保するため、適切な役割分担及び相互の協力の下、その実施に責任を負う。
4  国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料を徴収しない。
教育基本法第16条-4
国及び地方公共団体は、教育が円滑かつ継続的に実施されるよう、必要な財政上の措置を講じなければならない。

国家による教育介入の制限

・国家はあくまでも親に対する支援者であって、積極的に教育の内容へ介入することは期待されていません。自由権としての教育を保障します。
*教育基本法が「準憲法的性格」を持っていることを再確認してください。

教育基本法第14条-2、第15条-2
*14条-2:法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。
*15条-2:国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。
教育基本法第16条-1
教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。
外的事項と内的事項

・国家は外的事項には積極的に関与すべきですが、内的事項に関与することには抑制的であるべきです。
*外的事項:財政的措置=学校設立費・水光熱費・授業料・教科書代、法的措置=就学義務・学校制度・教員資格・機会均等、教育環境整備=教員配置・補助員配置・衛生的配慮
*内的事項:教育内容、教育課程、教育方法。

教師の教育権

・教師は、親でもないのに、どうして権力を持ち、どういう根拠で子供を指導することができるのでしょうか。
→医師は、親でもないのに、どうして権力を持つのでしょうか?
・営造物理論、特別権力関係論:学校は刑務所等と同じなのでしょうか?
・親の教育権が信託されるから、教師は力を持つと考えることができそうです。

教職の専門性

・安心して権利を信託してもらうためには、教師は教育のプロフェッショナルでなければなりません。教師が教育のプロである根拠を「教職の専門性」と呼びます。
・教師はどのような点で教育のプロなのでしょうか?
(1)教える内容:教科、教育課程、学習指導要領
(2)教え方:教授法、教育理論
(3)子供の個性:心理学、教育相談
(4)集団:学級経営、特別活動、いじめ防止
(5)プロとしての自覚:教職基礎論

復習

・コンドルセとオーエンの思想について押さえておこう。
・「義務教育」とは、誰の誰に対するどのような義務か、押さえておこう。
・「教職の専門性」について、自覚を持とう。

予習

・「産業革命」について調べておこう。

ペスタロッチー『隠者の夕暮・シュタンツだより』

【要約】教育というものは、相手が身分の高い人だろうが賤しい人だろうが、同じものであるはずです。なぜなら、教育とは人間をつくる仕事だからです。すべての人間は、その本性の奥底に、共通する素質と力を持っているはずです。

【感想】特定の身分や職業に即した教育を否定し、人間すべてに通じる普遍的な教育を目指したという点では、たしかにルソー『エミール』を引き継ぐものと言える。が、決定的な点で、ペスタロッチーの言っていることはルソーの主張とは異なっているように思える。

決定的な相違の一つ目は、「神」の位置づけだ。ルソーは、自然科学の見識が深まれば、必然的に内部から神の思想に至ると考え、早期からの宗教教育を戒めた。しかし一方ペスタロッチーは、神に対する畏敬の念こそがすべての教育活動の基礎とならなければならず、早期からの宗教的心情陶冶は必須である。ルソーは人間の普遍性の根拠としておそらく「理性」をイメージしているが、ペスタロッチーは「理性」というよりも「信仰」を共通イメージの基礎に置いているようにみえる。

もう一つの決定的な相違は、「君主」の位置づけだ。ルソーは、社会契約論の主張者だけあって、彼の体系のなかで「君主」というものが占める位置は大きくない。一方、ペスタロッチーは君主の教育権を最大限に確保しようとしているようにみえる。それは「父権」の絶対的な位置づけにも相通じる。ペスタロッチーは「国民を教化して彼の本質の浄福を悦楽するようにするためにこそ、人民の長たる父があるのだ。そしてすべての国民は家庭の浄福を悦楽することによって、君主の親心に対する子としての純粋な信頼のうちに安らい、そしてその君主が子たちを教育し向上させて、人類のあらゆる浄福の悦楽に到らせる父としての義務を果たすことを期待している。」(30頁)と主張する。ここだけ読むと、パターナリズムの思想であるようにも理解できてしまう。(ここは長田新が戦時中に翻訳したせいでこうなっているのか、あるいは原文もこんな調子なのかどうか。ドイツ語本文で確認しなければならないところだ…)。なんにせよ、自分の主人は自分だけというルソーからは逆立ちしても出てこない言葉であることは間違いない。

また、現代的な感覚で読むと、ペスタロッチーが体罰を肯定する文章(75頁)には困惑させられる。しかもその体罰肯定の根拠として、肉親の愛情に基づいた暴力は許されるという理屈を持ち出されると、困惑を超えてドン引きしてしまう。解説の長田新は、ペスタロッチーだからこそ体罰も許されるのだと擁護するわけだが。いやいや、ペスタロッチーだから許されるなんてことがあるわけはなく、単に220年前だったから大目に見られただけのことと理解するべきところだ。

そんなこんなで、書かれたものだけから判断するかぎり、完成度にしても人間教育への洞察にしても、どうしてもルソーのほうに軍配を上げざるを得ないというのが正直なところではある。とはいえ、難しいのは、書き遺した断片からペスタロッチーの全体像を判断してはいけないというところだ。というのも、彼の真骨頂は「実践」にあるからだ。一方のルソーは、言っていることは立派ではあるが、やっていることはゴミのようだ。実践的に見た場合、圧倒的にペスタロッチーのほうを尊敬せざるをえない。

本人の著作から思想構造を再構成しにくいので、ペスタロッチーについて語るのはなかなか厄介だなあと思う次第である。が、授業ではしっかり扱わざるを得ないので、各種研究書で補足するのであった。

【個人的備忘録】自然や生活による陶冶
「わたしは事物のもっとも本質的な関係を人間に直感させ、健全な精神と天賦の知力とを発達させ、そしてなるほど人生のこのどん底に塵芥に埋もれているようにみえはするが、しかしこの環境の泥土のなかから浄化されると、明るい光で輝き出す諸力を刺激するために、生活そのものからくるもろもろの必要ないし要求が、どれほど多く寄与するかということを知った。」(51頁)
「しかも大抵彼らは、何ら人為的の方法によらず、ただ子供を取り巻く自然や、子供の日常の要求や、いつも活溌な子供の活動そのものを、陶冶の手段として利用しようとする思想も嫌えば、またその思想を実現することも嫌っていた。ところがわたしの企図を完全に実現する基礎をなしているのが、まさに右の思想だった。」(53頁)

ペスタロッチー/長田新訳『隠者の夕暮・シュタンツだより』岩波書店、1993年<1779,1799

流通経済大学「教育学Ⅰ」(9)

■新松戸キャンパス 6/29(金)
■龍ケ崎キャンパス 6/18(月)

前回のおさらい

・モラトリアム。
・大人と子供の境界線。生理的早産。
・むかし、子供はいなかった。

イニシエーション

・イニシエーションとは:日本語では「成人式」や「通過儀礼」とも呼ばれる。一人前の共同体(ムラ)のメンバーになるために、全ての若者が突破しなければならない試練。日本だけではなく、世界全体に共通して見られる。
・イニシエーションの必要性:肉体的に一人前の条件を揃えつつある(第二次性徴、14歳~15歳くらい)とき、精神的にも一人前になる必要がある。
・イニシエーションの内容:「死」と「再生」を象徴する。一人前の共同体(ムラ)メンバーになるために、家族と分離(親離れ、子離れ)し、ムラ全体の子供として再び生まれなおす必要がある。

若者組……学校がない世界での人間形成

・一人前になるために、年齢別集団へ加入して、様々な知識や技術を身につける。(女性の場合は「娘宿」など)
・「家族」でも「学校」ではない場所で、親や先生ではない人から、知識が伝達される。
・若者組の役割:集団労働力の提供、祭礼や村芝居の執行、消防・警察、性や結婚の管理など。
・近代の学校と決定的に異なるのは、「死」と「生=性」。

今と昔の子供の違い

・昔の子どもは活き活きしていた? →子どもが変わったわけではなく、子どもを取り巻く環境のほうが変化したと考えれば、理解できる。
・昔のお父さんは尊敬されていた? →お父さんが変わったわけでも、子どもが変わったわけでもなく、労働と教育のあり方が変わったことを考慮すれば、理解できる。
・少年犯罪は増加した? →増えてもいないし、凶悪化もしていない。しかしどうして増えているように思ってしまうのか?
・どうして「形成」ではなく「教育」が必要となったのか? →親と一緒の仕事をするなら「形成」で問題ないが、別の職業に就く場合には「形成」はむしろ意味がない。

復習

・「イニシエーション」の理念と実際の在り方について、現在の教育の在り方と比較しながら理解しておこう。

予習

・江戸時代の日本の教育について調べておこう。
・ヨーロッパ近代の歴史をおさらいしておこう。

参考文献

ファン・ヘネップ『通過儀礼』
文化人類学の観点からイニシエーション(通過儀礼)を捉え、人生の節目で危機を乗り越えるための儀礼と理解し、越境の過程を「分離→過渡→統合」という図式で理解する。古典的名著。

佐野賢治『ヒトから人へ』
「大人になる」ために昔の人々が行っていた伝統的な習俗を、「一人前」という視点から描き出すエッセイ集。高度経済成長後に失われた伝統的な人間形成の在り方について考えさせられる。

鵜殿篤の「人格の完成」はどっちだ?