「歴史散歩」カテゴリーアーカイブ

【感想】三菱一号館美術館「上野リチ ウィーンからきたデザイン・ファンタジー展」

 三菱一号館美術館の「上野リチ ウィーンからきたデザイン・ファンタジー展」を観てきました。

 上野リチは、ウィーン応用美術大学で学び、ウィーン工房に参加したデザイナーです。
 作品そのものは、手書きの味が残るフリーハンドの線と、微妙に彩度を下げた色のチョイスと配置が絶妙で、ぱっと一目で「かわいい」と思えるものばかりですが、近寄ってじっと凝視してもやはり「かわいい」のでした。個人的には70年代りぼんオトメちっくの陸奥A子や田渕由美子のカラーイラスト、あるいは榛野なな恵の低彩度カラーイラストを想起します。アール・ヌーヴォともアール・デコとも異なる何らかのデザイン・センスの系譜があるように感じます。そのセンスに名前を付けるなら、やはり「おとめチック」になりそうです。シンプルな機能美を旨とするブルーノ・タウトとそりが合わなかったのは、まあ当然のように思えます。彼におとめチックの要素はありません。

 学問的な興味は、やはり「応用美術」の概念的な位置づけにあります。純粋美術とは異なる「応用美術(あるいは装飾美術)」の価値というものが、どう認められていったか、あるいは認められていかなかったか。そのあたりの概念的なインスピレーションは展覧会そのものからは得られなかったので、買ってきた図録を見ながら改めて考えることにするのでした。
 「cafe1894」が満員で、上野リチ展タイアップの見た目も麗しい色とりどりの創作メニューをいただけなかったのは、多少の心残りであります。
(2022年5/13訪問)

【お得な切符の買い方】東京-金沢往復で「東京都区内→東京都区内」(付:東京-福井往復)

東京と金沢を安く往復する?

 東京と金沢を往復する場合、普通に往復切符を買うよりも安くする方法があります。「東京都区内→東京都区内」の一筆書き切符です。どのくらい安くなるか、下の表にまとめました。

種別経路乗車料金特急料金合計所要時間
東京-金沢 往復東京→金沢→東京14,960円
(片道7,480円×2)
14.200円
(北陸新幹線7,100円×2)
29,160円5時間
東京→東京 米原経由東京→米原→金沢→東京13,200円12,820円
(東海道新幹線4,620円+特急しらさぎ1,100円+北陸新幹線7,100円)
26,020円6時間30分
東京→東京 京都経由東京→京都→金沢→東京14,080円13,270円
(東海道新幹線4,960円+特急サンダーバード1,210円+北陸新幹線7,100円)
27,350円7時間
青春18きっぷ
※期間限定
東京→京都→敦賀→金沢4,820円(2,410円×2)0円4,820円23時間

※特急料金は、北陸新幹線は指定席、東海道新幹線と在来線は自由席で計算しています。というのは金沢へ行く場合、かがやきに自由席が設定されていないので、自由席での計算は現実的ではありません。東海道新幹線のぞみには自由席があります。
※北陸新幹線を大宮で下車する場合、指定席特急料金は6,890円となり、多少安くなります。

※米原乗換と京都乗換は日をまたがないことを前提にしています。日をまたぐと新幹線から在来線特急への「乗継割引」が適用されなくなるケースがあります。
※京都乗換のケースでは、乗換利用に限り例外的に一筆書きを認めているケースに当たりますので、京都駅では構外に出られません。駅の外に出ると、乗換以外の目的があるとみなされ、「一筆書き」でないことにされ、別に料金が発生します。同じようなケースに塩尻-松本間などがあります。
※青春18きっぷは、東海道線で京都まで行くルートです。北陸新幹線ルートでは在来線が繋がりません。

 運賃が安くなるのは、JRの乗車運賃は距離が伸びれば伸びるほどコストパフォーマンスが良くなるルールになっているからです。ただし経路が途中で交差すると無効というルールなので、一筆書き経路にする必要があります。
 東京→金沢一筆書き往復だと、選択肢が2つあります。
(1)琵琶湖の東側を通るルート:米原乗換で特急しらさぎ利用。
(2)琵琶湖の西側を通るルート:京都乗換で特急サンダーバード利用。
 どちらのルートでも、乗車時間は2時間程度増えますが、きっぷ代はそこそこ安くなります。
 きっぷ代はルート1のほうが安くなりますが、ルート2のほうは京都で途中下車して観光を楽しむという美味しい選択肢が発生します。ただし途中下車をすると一筆書きが適用されなくなりますので、別に「山科→京都」の往復きっぷ(380円)を用意する必要があります。まあ、380円余計に出せば、京都観光ができるということです。

 そして同じような発想で、東京-福井往復も安くなります。

東京と福井も安く往復する?

種別経路乗車料金特急料金合計所要時間
東京-福井 往復(北陸新幹線)東京→金沢→福井17,160円
(片道8,580×2)
15,400円
(北陸新幹線7,100円×2+特急しらさぎ600円×2)
32,560円6時間40分
東京→福井 往復(東海道新幹線)東京→米原→福井17,820円10,440円
(東海道新幹線4,620円×2+特急しらさぎ600円×2)
28,260円6時間20分
東京→東京 米原経由東京→米原→福井→金沢→東京13,200円12,920円
(東海道新幹線4,620円+特急しらさぎ600円+特急しらさぎ600円+北陸新幹線7,100円)
26,120円6時間40分
東京→東京 京都経由東京→京都→福井→金沢→東京14,080円13,590円
(東海道新幹線4,960円+特急サンダーバード930円+特急しらさぎ600円+北陸新幹線7,100円)
27,670円7時間
青春18きっぷ
※期間限定
東京→京都→敦賀→福井4,820円(2,410円×2)0円4,820円22時間

 こうして見ると、福井は東海道新幹線経由でも北陸新幹線経由でも所要時間がほとんど変わらず、どうやら中間地点のような場所にあることが分かります。となると、逆に言えば、一筆書き切符の威力が最大限に発揮される場所ということでもあります。というのは、値段が安くなるのに所要時間は増えない、ということだからです。
 鯖江もまた同じ発想で安く行けるので、ぜひみんなで「めがねフェス」に参加しましょう!

【感想】国立歴史民俗博物館「学びの歴史像―わたりあう近代―」

 東京国立歴史民俗博物館で開催された企画展示「学びの歴史像―わたりあう近代―」を観覧してきました。
 この博物館の常設展示は、「日本と考えられているものの境界」を丁寧に掘り下げることで逆に「日本」を浮かび上がらせるような性格を示しているように個人的には思っておりまして、もちろん企画展示でも我々が通常イメージするような「学び」を打ち出してくることはありません。企画概要で「狭義の「教育史」ではなく」と示しているとおりです。「狭義の教育史」を専門とし、特に明治前半の「狭義の教育史」をメインフィールドとしてきた私としては、挑戦状を叩きつけられたようで、無視できない展示なのであります。まあ、楽しく観覧いたしました。

 企画展示では、課題を浮き彫りにするためにサブテーマを6領域設定しておりました。
(1)地図から浮かび上がる自国認識の変化
(2)幕臣が近代化に果たした役割
(3)博覧会を通じた社会教化
(4)衛生観念の普及
(5)アイヌによる教育の受容と利用
(6)学校教育の展開

 (6)はいわゆる「狭義の日本教育史」のフィールドで、私にとってはお馴染みの領域です。伊澤修二、能勢栄、湯原元一あたりについては、お馴染みすぎて、言いたいことがいろいろ胸に湧いてくるところです。とはいえ、八重山における学校定着過程を持ってくるところは、さすが「境界」を深掘りしてきた博物館なのでした。
 (1)(3)(4)のテーマに関しては、アカデミックの世界では30年前に流行っていて、院生時代によく勉強した領域のような印象があります。おそらく、(1)はポスト・コロニアルの文脈、(4)はフーコー生権力論の文脈で流行っていたという認識です。(3)についても本が立て続けに出版されて話題のテーマとなっていて、岡倉天心絡みで美術の研究にいっちょ噛みしていた私としても、一通り目を通したものでした。私の記憶にある資料もたくさん展示されていて、なんだか懐かしい感じがしました。
 (2)に関して、従来は勝海舟や福沢諭吉がよく参照されていたわけですが、今年に関しては渋沢栄一の印象が強いところでしょうか。いわゆる「教義の教育史」に関わる史料もたくさん展示されていたので、何か今後の研究のためのヒントは隠れていないかと目を皿のようにして舐めるように観覧したのでありました。
 (5)に関して、私の勉強不足の領域で、たいへん勉強になりました。常設展でも展示されているテーマですが、より深掘りした内容となっていて、見応えがありました。「境界」を掘り下げてきた博物館の知見に唸るしかありません。アイヌに限らず、一般的に植民地教育というものは「同化」の論理を押しつけるものであると同時に「上昇」のルートにもなり得るもので、両義的で複雑な意味を持ちます。それはイギリスに留学して弁護士資格を取得したガンディーなどの例を見れば分かりやすいでしょう。そこに意図的に「境界」を設けるのか、あるいは「越境」を志すのか、複雑な葛藤が生じるところです。葛藤の跡が生々しく刻み込まれている史料がたくさん展示されていて、なんだか涙が出てきたのでした。というのは、巨視的に見れば、それはアイヌに限った問題ではなく、日本全体に関しても、幕末維新期の「西洋化」や、あるいは現代のグローバル化に関わってくる問題に通じているからかもしれません。好きか嫌いかに関係なく、もはや我々は自主的自発的に英語を身につけてグローバルな商品経済に身を投じるしかありません。日本語を身につけて近代化を志すアイヌの気持ちを多少なりとも推し量れるかどうか、というところです。

 いろいろ勉強になって刺激を受けたので、私の方はしっかり自分の仕事を充実させていきたいと思います。(2021年12/10観覧)

【感想】江戸東京博物館「縄文2021―東京に生きた縄文人―」

 江戸東京博物館で開催された特別展「縄文2021―東京に生きた縄文人―」を観覧してきました。

 江戸東京博物館はたいへん見ごたえのある素晴らしい博物館ではあるのですが、いかんせん名前のとおり「江戸」と「東京」に特化した博物館で、中世の「武蔵の国」およびそれ以前の関東の様子は常設展でまったく扱っておりません。もちろんかつての東京の縄文時代については一切触れておりません。それはもちろんそうしたくてそうしたというより、予算等の都合でそうなっただろうことは想像に難くありません。そういう観点からすれば、この特別展「縄文2021」は江戸東京博物館としてもある種の感慨を込めて開催したものであるように推察するところです。

 さて、東京の縄文時代の決定的な特徴は、なんといっても「縄文海進」です。縄文時代は今よりも温暖で、南極や北極の氷が少ないため、海面全体がかなり高く、日本列島で現在陸地になっている多くの部分が海に沈んでおりました。特に現在関東平野として知られている地域には、ずいぶん奥地まで海が入り込んでいました。その結果、埼玉県にまで貝塚を見出すことができます。東京にも大規模な貝塚がたくさんありました。
 ちなみに貝塚は、一般的には「単なるゴミ捨て場」と認識されているようではありますが、実際はそんなものではなかったでしょう。仮にゴミ捨て場であるとすれば、貝殻以外にも他にいろいろなもの(動物や魚の骨など)が見られるはずですが、そういう気配はありません。だとすれば、貝塚は「貝だけを意図的に集めて加工していた場所」の痕跡ということになるはずです。そして仮にそうだとすれば、私の推測では、それは「出汁」の制作場だっただろうと思います。というのは、縄文時代にドングリなど木の実を煮炊きしていたことが知られていますが、単に木の実を煮炊きしたところで美味しく食べられるはずがありません。が、ここに「貝の出汁」を加えることで、圧倒的に美味しい料理になるわけです。
 で、本展示でも、貝塚が単なるゴミ捨て場ではないだろうことがしっかり解説パネルに書いてあって、我が意を得たのでありました。

 しかしガッカリしたのは、縄文時代の村落の復元ミニチュアで、竪穴式住居が藁葺きで再現されていたことです。縄文時代の竪穴式住居は一般的にも藁葺きで再現されることが多いのですが、いやいや、そんなわけはないだろうと。たとえばそれが弥生時代以降、農耕文化が根付いた時代であれば藁葺きにも説得力があるのですが、未だに農耕が始まっていない縄文時代に藁葺きは考えられません。そもそも今に至るまで、竪穴式住居が藁で吹かれていたという証拠は見つかっていません。
 そして縄文時代は、圧倒的な「土の文化」の時代です。世界に類を見ない独特な造形の火炎式土器や亀ヶ岡式土偶など、縄文時代は独特の「土の文化」を花開かせています。だとしたら、住居だけそれから外れていると想定する道理はありません。竪穴式住居だって、おそらく「土の文化」を見事に反映した造形になっていたでしょう。私個人の意見では、竪穴式住居は土葺きです。そのほうが、縄文時代全体の様式と整合します。
 ただ安心したのは、図録に収録されていた専門家の対談と、「竪穴住居復元プロセス」では、しっかり土葺きになっていたことでした。おそらく専門家レベルでは「竪穴式住居は土葺き」ということで問題なかったのが、一般展示になるところで何らかの変な圧力がかかって藁葺きになったのだろうと邪推するところです。
 一般に縄文の竪穴式住居を藁葺きだと思い込んでしまうのは、おそらく、現在知られている日本文化のテンプレートを縄文時代にまで遡って当てはめてしまうからです。具体的には現在みられる神社様式を竪穴式住居にも投影してしまうわけです。「日本文化が一貫して続いている」という無意識が働いています。しかしやはり農耕が始まって以降、特に青銅器や鉄器が入ってきてからの生活様式と、それ以前の生活様式は、まったく質が違っています。「戦争が始まった」という事情も決定的に大きいでしょう。現在の日本文化テンプレートを縄文時代にまで遡って適用してしまう心性には、つくづく用心しなければなりません。同じ事情は、古墳時代にも当てはまります。文字がなく、仏教との接触もなかった時代に対して、現在の日本文化テンプレートを当てはめると、おそらく根本的な勘違いを招くことになります。
 そんなわけで、縄文時代の竪穴式住居を「あえて土葺きで再現する」ことは、我々の無意識の歴史認識を暴き出していく良い実践だと思うので、各地でどんどんやっていただきたいわけです。それは日本文化テンプレートに対する無反省な思い込みそのものを相対化する実践にもなります。歴史的に真実かどうかも重要ですが、教育的にも大きな意味があります。本展示の復元模型で藁葺きだったことにガッカリしたのは、私個人のそういう歴史文化教育観のせいでありました。
(2021年12/5観覧)

【感想】伝教大師1200年大遠忌記念 特別展「最澄と天台宗のすべて」

 東京国立博物館で開催されている「伝教大師1200年大遠忌記念 特別展「最澄と天台宗のすべて」」を見てきました。タイトルに偽りなく、確かに天台宗の法統を一通り網羅していて、とても見応えのある展覧会でした。
 専門の教育史的関心からは、国宝の「光定戒牒」に大注目でした。奈良時代までの僧侶教育が、これを転換点として決定的に変わります。正式な僧侶になるためには受戒しなければいけませんが、戒壇院は奈良時代には東大寺、太宰府観世音寺、下野薬師寺の三箇所にしかありませんでした。最澄は延暦寺にも大乗戒壇を設立すべく、僧侶教育の方針を「山家学生式」に著すなど努力を重ねますが、その願いは生前には叶いませんでした。このあたりの事情は、私が大学で受け持っている「教育原論」の日本教育史パートでもしっかり触れるところです。さて、最澄入滅後11日経ってから、大乗戒壇院設立の勅許が降ります。これを受けて翌年、光定が延暦寺一乗止観院で大乗菩薩戒を受け、嵯峨天皇から正式な僧侶としての身分証である「戒牒」を与えられます。これを転機として日本における僧侶教育のあり方が大きく変わっていきます。延暦寺で学んだ僧侶たちが個性的な主張を展開する鎌倉新仏教の隆盛も、ここに起点を持つということになるでしょう。ちなみに嵯峨天皇の確実な真筆はこれのみだとも言われているようですが、筆跡は優雅なのに力づよく、実に見事で、眼福でありました。実物を見たという経験を加えて、今後の私の授業の説得力も多少は増すと良いのですが。
 しかし展示を一覧してしみじみと思ったのは、中学高校の教科書レベルでは天台宗=最澄でファイナルアンサーということになっているけれども、実は天台宗を土台で支えていたのは最澄の弟子たち(光定・円仁・円珍など)の献身的な努力だったんだなあということです。教科書には現れない弟子たちの努力があって、実は初めて師匠の最澄の業績が輝くことになります。「教育」というものの意味と機能を考える上でも、いろいろな示唆を受けるような気がしました。最澄と弟子たちの関係に留まらず、その後も延暦寺が教育機関としてズバぬけた力を発揮したことの理由と意味は、しっかり考えていく必要があるように思います。(2021年11/12観覧)