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信長の野望【天道】戦国最速の天下統一!スピード記録挑戦と攻略ヒント(終盤)

最速天下統一を目指す!(終盤)

『信長の野望【天道】』で天下統一のスピードを追求した記録、終盤戦です。→「序盤」「中盤

終盤戦:手を抜かない

終盤の課題は、手を抜かないことです。潤沢な経済力と豊富な兵力、優秀な家臣団で、もはや負ける要素はいっさいありません。が、まったく手は抜かず、全力を尽くして一直線に最短攻略を目指します。

勧告した城から出撃し、省エネ攻略(2年1ヶ月)

攻略スピードをさらに上げるコツは、勧告して支配下に入った城からすぐさま出陣して先を急ぐことです。たとえば具体的には、1557年8/7に岩附城太田家を勧告したら、岩附城に戦力を回すことなどせず、既有戦力だけですぐさま古河御所へと出陣します。兵力は10000程度しかありませんが、武将の能力が圧倒的に高いのと、技術によって部隊戦闘能力が高まっているので、簡単に勝てます。ちなみに武将も配下にしたばかりの北条氏康と太田資正が中心です。そして10/15に古河御所をおとしてしまえば、古河御所に隣接する久留里城、宇都宮城、太田城を勧告し、一気に関東地方を制圧することができます。内政や募兵に手間をかける必要などないわけです。
またたとえば、吉田郡山城毛利家を10/8に攻略して、隣接する四国の湯築城を10/14に勧告しています。海を渡って四国に上陸するのはそこそこ面倒で時間がかかるのですが、勧告した湯築城の既有戦力のみで黒瀬城攻略に向かい、省エネで四国を制圧することができます。
ちなみに1557年10月初旬段階の運用部隊は、以下のような感じになっています。

5正面作戦遂行中であることが分かります。東海道を小田原城まで侵攻した織田信長と松平家康が富山城に移動して上杉謙信征伐に向かい、山陰道は秀吉と勝家が西進して九州上陸を伺い、山陽道は島左近と酒井忠次と滝川一益、関東制圧には北条氏康と混乱持ち足軽適性Aの太田資正、機内制圧に朝倉宗滴と明智光秀が当たっています。

武田家攻略も開始

後回しにしていた武田信玄攻略も、1557年暮れから手をつけます。

九州地方は、隈本城を攻略して隣接する人吉城を勧告し、ここから山を越える道を開削して肝付城を落とし、隣接する内城と佐土原城を勧告するのがいちばん効率が良いように思います。
東北地方は太平洋側と日本海側との連絡が悪く、どうしても戦力を二方向に分割する必要があります。城間の距離が長く、戦力運用に時間がかかります。日本海側は、山形城を攻略して隣接する檜山城を勧告し、最終的に石川城を落として蠣崎家を勧告するのが最も効率が良いように思います。

結果的に、九州は1558年5/12に平定できたのに対し、東北地方制圧に6/7までかかっています。東北地方に戦力を割いていれば、もう一ヶ月は統一スピードを速めることができたかもしれませんね。

結果、1558年6/7に全国統一です。1555年10月に清洲一城から統一事業を開始し、2年8ヶ月あまり、967日での全国統一となりました。

攻略ルートを示すと、以下のようになります。この攻略ルートの総合的な構想が、スピードクリアの決定的な鍵を握っています。

主力となる信長本隊(白ルート)は、清洲城から時計回りに稲葉山城まで攻略した後、東海道を小田原まで東進し、そこから武田家攻略を手抜いて富山城に転じて上杉家と伊達家を攻略、さらに北上しました。
柴田勝家と木下秀吉を主体とする赤ルートは、室町御所から山陰道を進みますが、実質的に落としたのは八上城と鳥取城だけで、弓木城・月山富田城・山口館は勧告させて兵力を吸収し、九州に上陸します。九州でも実質的に落としたのは5城だけで、あとの6城は勧告させています。
島左近を主力とする青ルートは、稲葉山城から出陣して北陸道を制圧しますが、信長が富山城に転進したタイミングで室町御所から山陽道を西進して毛利家を攻略し、さらに四国で三好家を滅ぼします。
脇ルートとして、東北で太平洋側を制圧する部隊、勧告に応じない畿内勢力(本願寺と雑賀衆)を制圧する部隊、武田家攻略部隊等を同時運用します。終わってから見てみると、けっこう滝川一益が活躍していますね。足軽Cではありますが、統率力89はやはり腐らせておくには勿体ないところです。
はたしてこれが最も合理的な選択だったかどうか、他にも様々な可能性はありそうではありますが、現時点ではこれが一番だろうと思っております。

以下、攻略の行程を表にまとめて終わります。SDとは、サーバに置いてあるsavedataの対応番号です。

年月日攻略城攻略状況SD
1555年10/1清洲城スタート
1556年1/16霧山御所信長
4/15筒井城信長+勝家
6/28室町御所信長+島
7/24桶狭間信長
8/15観音寺城島+秀吉
10/1小谷城信長+島
12/10稲葉山城信長+島+滝川
1557年2/17岡崎城信長+秀吉
3/1八上城滝川+勝家
3/3桜洞城島+光秀
3/6弓木城勧告10
4/8引間城信長+家康11
5/16富山城島+光秀
5/17駿府城信長+家康12
7/3姫路城酒井+滝川
7/7天神山城勧告
7/10鳥取城秀吉+勝家
7/18月山富田城勧告13
7/28尾山御坊島+明智
7/28七尾城勧告
7/29一乗谷城勧告14
8/1小田原城信長+家康
8/7岩附城勧告15
10/2石山御坊朝倉+光秀
10/8吉田郡山城酒井+滝川
10/9山口館勧告
10/14湯築城勧告
10/14春日山城信長+家康+綱成
10/15箕輪城勧告
10/15古河御所氏康+太田
10/18宇都宮城勧告
10/20久留里城勧告
10/20太田城勧告16
11/28岸和田城朝倉+光秀17
12/5新発田城信長+家康+綱成
12/10立花山城秀吉+勝家18
12/21黒瀬城元就+元春
12/24中村城勧告19
1/2躑躅ヶ崎館氏康+太田+長野
1558年1/8十河城島+酒井20
1/28米沢城信長+謙信+家康+綱成
1/28黒川城勧告21
2/1高遠城氏康+太田+長野
2/3隈本城秀吉+勝家
2/6人吉城勧告22
2/13雑賀城朝倉+光秀
2/19勝瑞城島+酒井
2/29柳川城元就+元春
2/30城井谷城勧告
2/30府内館勧告23
3/1西山城謙信+綱成
3/1小高城勧告
3/4村中城勧告
3/6山形城信長+家康24
3/15檜山城勧告
3/16砥石城氏康+太田+長野
3/30名生城謙信+綱成25
4/5高清水城勧告
4/15岡豊城島+酒井
4/22肝付城戸次
4/25内城勧告26
4/25佐土原城勧告
5/12大村城元就+元春
6/1石川城信長+家康
6/2三戸城謙信+綱成27
6/7徳山館勧告

序盤戦:有力家臣団を形成する
中盤戦:同時多発攻略と同時に内政を充実する

本プレイのsavedataを置いておきます。クリックするとダウンロードできます。上書きの際には取り扱いにご注意下さい。
■清洲一城から986日で全国統一のsavedata

信長の野望【天道】戦国最速の天下統一!スピード記録挑戦と攻略ヒント(中盤)

最速天下統一を目指す!(中盤)

『信長の野望【天道】』で天下統一のスピードを追求した記録、中盤戦です。→「序盤」「終盤

中盤:同時多発攻略と共に内政を充実させる

中盤戦の課題は、ここまでに揃えた人的資源をフルに活用して同時多発的に各方面で攻略を進めることと、また同時に内政を充実させ、兵力運用に必要な兵糧と共に「勧告」に必要な兵力と名声を確保することです。この二つを実現させるために重要なことは、統率や武勇の高いハイタレント武将には常に最前線で戦い続けてもらう一方で、能力の低い武将であっても一人たりとも無駄にはせず役割を分担してもらうことです。スピード攻略を極めるためには、無駄な武将は一人もいません。阿閉貞征や斯波義銀といった無能な武将にもしっかり活躍してもらう必要があります。
序盤戦は一本道だったので人材配置に頭を悩ます必要はそれほどありませんでしたが、中盤戦は多方面に前線が拡大して拠点間移動に時間がかかり、人材配置のミスに気がついても修正に手間がかかるので、後々の展開を見透したバランスの良い人材配置に神経を使います。

岡崎城・八上城・桜洞城を同時攻略

まず岡崎城・八上城・桜洞城を同時に攻略します。戦略学の常識では二正面作戦は愚の骨頂とされますが、二正面どころか三正面作戦を遂行します。下の図は3/1に陥落寸前の八上城周辺の様子ですが、部隊表を見ると岡崎城を攻略して引間城に向かう信長部隊と、また同時に桜洞城を攻略中の明智光秀部隊を確認することができます。

運用している部隊を一覧で確認すると、以下のようになっています。引間城に向かう信長部隊は兵力が22907まで膨れあがっていますが、募兵で増やしたわけではなく、大半は相手の傷兵を抱え込んだものです。

稲葉山城から中山道を北上して桜洞城攻略に向かったのはA部隊(足軽5000人)島清興、B部隊(足軽5000人)明智光秀です。このB部隊に戦法「混乱」持ちの簗田政綱がいます。それぞれ兵力は5000しか揃えていませんが、武将の能力の高さで優位に戦えます。
また一方、室町御所から八上城に向かったのは、A部隊(足軽7200人)滝川一益とB部隊(騎馬5500人)柴田勝家です。室町御所には周辺の武家町(室町+筒井+観音寺で兵舎24個)を集中させ、高まった募兵能力で充分な兵力を確保します。B部隊には戦法「混乱」持ちの海北綱親(小谷城で確保)を配置しておきます。海北綱親は騎馬特性Bの「混乱」持ちという、なかなか希有な才能の持主で、最終盤まで重宝します。ちなみにこの段階では足軽適性B以上の武将が枯渇しており、騎馬部隊を運用する必要が生じています。が、もちろん騎馬は育てたり購入したりするのではなく、奪った城にもともとあった馬を輸送して室町御所に集めておきます。
このときの具体的な部隊構成は以下の通りです。

 武将名パラメータ適性戦法
引間城へ
部隊A
足軽
兵数22907
織田信長統率100+15 知略94足軽A
柳生宗厳武勇105+10足軽A飛燕
蜂須賀正勝足軽A
木下秀長足軽A
小牧源太足軽A槍衾之一
引間城へ
部隊B
足軽
兵数5000
松平家康統率96 武勇87足軽S
森可成足軽B槍衾之二
織田信光足軽B槍衾之二
本多重次足軽B槍衾之二
石川数正足軽C混乱
三木城へ
部隊A
足軽
兵数5000
島清興統率90 武勇96足軽A
前田利家足軽B槍衾之三
佐久間信盛足軽B
森田浄雲足軽B槍衾之二
前田長康足軽B槍衾之二
三木城へ
部隊B
足軽
兵数5000
明智光秀統率88 知略92足軽B
北畠具教武勇97足軽A槍衾之三
稲葉良通足軽B槍衾之二
遠山友忠足軽B槍衾之二
簗田政綱足軽D混乱
八上城へ
部隊A
足軽
7200
滝川一益統率89足軽C
足利義輝武勇95足軽A槍衾之極
細川藤孝知略89足軽A
日根野弘就足軽B槍衾之二
十市遠勝足軽B
八上城へ
部隊B
騎馬
兵数5500
柴田勝家統率92 武勇93騎馬A突撃之四
毛利新助騎馬A突撃之一
遠藤直経騎馬B
金森長近騎馬B突撃之一
海北綱親知略80騎馬B混乱

こうして、岡崎城は1557年2/17、八上城は3/1、桜洞城は3/3というふうに、2週間のうちに3つの城を同時攻略することに成功します。岡崎城では家康と酒井忠次、八上城では騎馬適性Aの赤井直正と籾井教業が配下に加わり、多角的な部隊運用にも弾みがつきます。

弓木城の一色家を勧告する(開始から1年6ヶ月)

中盤戦の新たなポイントとして、「勧告」を効果的に用いることが付け加わります。スピードクリアには、絶対に「勧告」が欠かせません。最初に勧告の相手となるのは、弓木城の一色家です。「勧告」を成功させるには様々な条件があるのですが、まず絶対に必要なのは、相手の保有兵力に対して隣接した自城に5倍の兵力を確保することです。具体的には、弓木城には7836の兵力がいるので、隣接した八上城に最低でも39180人の兵力を入れる必要があるということです。しかし柴田勝家と滝川一益が落とした瞬間の八上城には15000程度の兵力しかありません。しかしこの状態でも、勧告を成功させることができるのです。バグのような仕様を突かせてもらいます。

【勧告を成功させるためのセコいテクニック】
天道の仕様では、ある城を目標としていた部隊は、その城が落ちた瞬間に、その城の所属となります。仮に東北地方にいる部隊が九州の城を目標にしていた場合、どれだけ遠くにいようとも、九州の城が落ちた時点で、所属が九州の城になります。
つまり本来はまったく八上城と関係ない部隊であっても、八上城が落ちる瞬間に八上城を目標に指定してさえいれば、八上城の所属となります。本当は引間城を落としに向かっていた信長部隊22000人および家康部隊5000人を、八上城が落ちる瞬間だけ八上城目標に変えれば、八上城には本来の所属15000人と信長+家康部隊27000人を合わせて、42000人が所属していることになります。この状態で弓木城を「勧告」すれば、条件を満たしていることになります。
そして信長と家康を引間城に向かうようにするためには、目標を八上城にしたまま、「中継」ポイントを引間城に設定すれば問題ありません。

そんなわけで、八上城を落とした6日後には、弓木城を勧告することに成功します。
「勧告」のメリットは、まず城を攻略する時間が省けて圧倒的に全国統一へ加速すること、勧告した城を拠点として次の城に向かうスピードが上がること、さらに人材登用や内政の手間が省けることが挙げられます。勧告できるところは絶対に勧告で手間を省いていくべきです。
ただし、「勧告」を成功させるには、内政を充実させて、充分な兵力と名声を確保する必要があります。このために、どんなに能力が低い武将であろうと絶対に無駄にせず、しっかり働いてもらわなければなりません。

月山富田城の尼子氏勧告

難易度が高いのは、月山富田城の尼子氏を勧告するミッションです。隣接する鳥取城(7/10)を攻略した時点で、尼子氏の名声393を上回り、なおかつ月山富田城の兵力14132人の7倍である98924人を確保する必要があります。(勧告に必要な戦力は、大名の「格」によって5倍か7倍か違いが出ます)。春になった3/1時点では、織田家の名声は326、全兵力は56925ですから、ここから4ヶ月の間に名声を68上げ、兵力を42000人は増やさなければなりません。単純計算で、寺社や教会を23個増やし、募兵のために兵舎をたてまくる必要があります。ゲーム開始から1年半の経済力でこのミッションを実現するのは、なかなか大変です。そこで、効率よく内政を進めるための工夫を序盤から進めておく必要があります。

【内政の工夫1:農村では水田は作らずに畑を主力とする】
スピードクリアを目指す場合、3年以内に全国統一をすることが前提だから、水田を作っても2回程度しか収穫できません。むしろ畑の方が季節毎に兵糧をもたらしてくれるし、元手がかからないので、水田は絶対に作りません。

【内政の工夫2:施設建設に携わる武将は、基本的に一人】
一つの建設に3人の武将を費やすより、一人の武将がひとつずつ作った方が、全体的な効率が高くなります。しかも政治力がどんなに低い武将であっても、畑や市は60日程度で作ってくれます。よって、低能力の武将もしっかり一人で建設に携わってもらいます。

【内政の工夫3:頻繁に帰城させない】
城から建設地にを往復するだけで4日とか6日を費やしてしまうので、いちいち城に帰らないで、いっぺんに同じ町で3つ4つの建設に携わった方が効率が高くなります。

【内政の工夫4:季節の変わり目直前での完成を目指す】
収入がある月の直前に施設を完成させても、しっかり収入が上がりあす。よって、季節の変わり目目前になったら全力を投入して建設を間に合わせるようにします。

【内政の工夫5:鉱山からの収入を逃さない】
今回は1556年11/15に技術「鉱脈調査」を取得。金山銀山からの収入は極めて割がいいので、「鉱脈調査」は最優先で取得し、収入を確保していきます。

【内政の工夫6:効果的な募兵】
武家町を一個所に集中させて募兵する場合と、それぞれの城に分散させて募兵する場合を、うまく使い分けます。資金と兵糧の節約を考えた場合は、一個所に集中させて募兵した方が効率が良いのですが、しかし単純に兵数を増やしたい場合は個々の城で募兵するほうがよいです。

これら内政の工夫を組み合わせて条件を満たし、1557年7/18には尼子氏の勧告に成功します。

次々と勧告を成功させる(1年10ヶ月)

尼子氏を勧告させるほどの名声と兵力を確保できていれば、他の勢力を勧告することは難しくありません。7/28には尾山御坊を攻略し、すかさず隣接する七尾城畠山家と一乗谷城朝倉家を勧告します。さらに8/1には小田原城を落とし、隣接する岩附城太田家を勧告します。
7/1段階での部隊運用は、以下のような感じです。

東海道を小田原城に向かう信長勢の兵力は23000に、北陸道を制圧する島清興の部隊は14000まで膨らんでいます。さらに山陽道を進んで姫路城に向かう新部隊(酒井忠次+滝川一益)も増設し、攻略速度が上がってます。

兵舎ではなく湯治場を作る

ここまで来ると敵の傷兵を加えて雪だるま式に戦力が増えていくので、もはや募兵の必要もなくなっていきます。いっぽう効率的に傷兵を戦力に加えるために、「湯治場」の効果が高まります。

【次の戦いに備えて湯治場を用意しておく】
相手の城を落とすタイミングに合わせて、隣接する自城の武家町に湯治場を作っておきます。道が繋がっている必要がありますが、相手の城を落とした瞬間に自城の武家町の所属を落とした城に変更すれば、温泉効果によって傷兵が回復し、すぐに戦力として運用できます。

上の図は、稲葉山城から出陣した島清興+明智光秀部隊が桜洞城を落とした直後の様子です。手前に見える美濃の村落では、湯治場が3つ完成し、さらに4つ目が完成間近となっています。また左側から斎藤利三が道を引っぱっているところも確認できます。斎藤利三が道路を繋げれば、湯治場がある村落を桜洞城所属に変えて、傷兵を早急に回復することができます。
終盤戦では募兵の必要がなくなって「兵舎」の価値が暴落するので、武家町には兵舎を作らず、湯治場を中心に作る方が効率が良いわけです。
こうして効率よく内政を進めた結果、経済的な不安がなくなるので、いよいよ潤沢な資金と人材をフルに活用して最終的な詰めにとりかかります。終盤に入ります。

終盤戦:手を抜かない
序盤戦:有力家臣団を形成する

本プレイのsavedataを置いておきます。クリックするとダウンロードできます。上書きの際には取り扱いにご注意下さい。
■清洲一城から986日で全国統一のsavedata

 

信長の野望【天道】戦国最速の天下統一!スピード記録挑戦と攻略ヒント(序盤)

最速天下統一を目指す!(序盤)

『信長の野望【天道】』で天下統一のスピードを追求した記録、序盤戦です。→「中盤」「終盤
シナリオ2「尾張統一」の織田信長(上級)でプレイし、1555年10月に清洲一城からゲームを始めて、1558年6月に天下統一しています。ゲーム内時間967日、およそ2年8ヶ月の天下統一です。
天下統一過程の記録と合わせて、一般的な攻略のためのコツとヒントも記しておきます。

※パワーアップキットではなく、無印天道です。
※Windows10でプレイしています。(ちなみに天道をWin10でスムーズに動かすには、directXの調整のため一手間かかります)
※Win10ではパッチを当てることができなかったので、インストールした状態そのままです。
※もちろん作成武将などは使用せず、起動したデフォルトの状態でプレイしています。
※当然、他の大名を自分で動かすことはしません。
※つまり、乱数部分以外は、誰でも再現可能です。

序盤:有力家臣団を形成する

序盤の課題は、スピード攻略の基盤となる人的資本を確保し、有力家臣団を早急に形成することです。そのため城を落としながら、探索を効率よく行ない、優秀な武将を配下に加えていきます。
最優先で押さえたいのは、木下秀吉(清洲城)、簗田政綱(清洲城)、北畠具教(霧山御所)、島清興(筒井城)、柳生宗厳(筒井城)、百地三太夫(筒井城)、足利義輝(室町御所)、明智光秀(稲葉山城)、松平家康(岡崎城)、酒井忠次(岡崎城)、渡辺守綱(岡崎城)、服部半蔵(岡崎城)でしょう。これら人的資源を確保するため、霧山御所→筒井城→室町御所→観音寺城→小谷城→稲葉山城→岡崎城の順に、清洲城から時計回りに攻略を進めます。

霧山御所を落とす(開始から3ヶ月半)

ゲーム開始直後、まず初手で行なうコマンドは「出陣」です。清洲城を空っぽにしても誰も攻めてこないので、全兵力を率いて北畠家の霧山御所に向かいます。内政は後回しで構いません。

天道に限らず、信長の野望シリーズで詰まる人は、内政に力を入れすぎて領地拡大速度でコンピュータに負けてしまう傾向があるように思います。優秀な武将は内政に回さず、常に前線で戦わせるようにした方が効率が良いでしょう。

清洲城から霧山御所に出陣する部隊は、織田信長+柴田勝家+前田利家+佐久間盛信+塙直政で、全兵種足軽で編成します。論理的にこの編成が最善でしょう。というのは、統率値が一番高いのが信長(100+15)で、武勇値が一番高いのが勝家(93+8)で、足軽戦法で最もすぐれているのが利家で(槍衾之三)、残る足軽適性Bは盛信だけで、足軽適性Cの武将のうち最も内政で使い道がないのが塙直政だからです。ちなみに利家から家宝を奪い、勝家に付与して武勇値を増強しておきます。
陣形は「錐行」で出陣して行軍時間を節約し、野戦も「錐行」のまま行ない、城に貼り付いたら「鶴翼」に変更します。攻城時間を早くするには、部隊の通常攻撃力を上げるよりも、戦法の連携を高くする方が効果的です。また包囲は使わず、足軽戦法でガリガリ削っていった方が早く落とせます。本プレイでは1556年1/16に霧山御所を陥落させました。

「兵種」は足軽を中心とします。騎馬や鉄砲は準備するのに予算と時間がかかって、スピードクリアにとっては効率が良くありません。「技術」も足軽兵科中心に上げていくことになります。
「陣形」は効果的に変更していきます。ただし一回陣形を変更すると気力を10消費してしまうので、頻繁に変更することはできません。移動中は錐行で、野戦も錐行のままで行ない、城に貼り付いた段階で鶴翼に変更するのが最も効果が高いように思います。ただしもちろん時と場合によるので、臨機応変に陣形を変形していきます。

この間、清洲城では人材探索を進め、木下秀長、木下秀吉、簗田政綱を配下に加えます。重要なのは、霧山御所を陥落させる段階で簗田政綱を配下に加えておくことです。この男が序盤の攻略スピード劇的アップの鍵を握っています。
また、統率の高い佐々成政(79)と池田恒興(72)には道を引かせておきます。残った丹羽長秀と林貞秀に内政を行なわせます。

筒井城を落とす(開始から6ヶ月半)

霧山御所の戦後処理で重要なのは、配下に北畠具教を加えることです。この剣豪は足軽適性がAの上に武勇が97もあり、最終盤まで縦横無尽に活躍することになります。霧山御所には簗田政綱も呼び寄せ、北畠具教を配下にした瞬間に筒井城へと出陣します。部隊構成は以下の通りです。

 武将名パラメータ適性戦法
部隊A
足軽
兵数8910
織田信長統率100+15足軽A
北畠具教武勇97+8足軽A槍衾之三
木下秀吉足軽S
前田利家足軽B
佐久間盛信足軽B
部隊B
足軽
兵数5000
柴田勝家統率90+10 武勇93+4足軽C
木造具政足軽C
長野植藤足軽C
藤方朝成足軽C槍衾之一
簗田政綱足軽D混乱

ポイントは、2部隊で出陣しているところです。城攻めのときは、できるだけ2部隊以上で出撃した方がいいでしょう。というのは、いくら野戦で相手を殲滅しても、敵の城を守備状態にしないかぎり城に戻った敵の傷兵が次々と回復してしまうからです。そこで、一つの部隊が城を攻撃し続けて敵の傷兵回復を妨げれば、安心して別の部隊で野戦を行なうことができます。
主力は部隊Aで、こちらに兵数を集中させます。B部隊の兵数は最小限の5000人で充分ですが、重要なのは簗田政綱を入れているところです。というのは、スピード攻略にとって、彼の持つ戦法「混乱」が決定的に重要なのです。戦法「混乱」が成功すると、相手からダメージを受けない上に、敵の被害を増加させることができます。B部隊の戦法発動で相手が混乱に陥ったところに、すかさずA部隊の強力戦法を叩き込めば、通常の3倍のスピードで城を落とすことができます。戦法「混乱」抜きでのスピード攻城戦は考えられません。
こうして1556年4/15(開始から6ヶ月半)で、筒井城を陥落させます。

室町御所を落とす(開始から9ヶ月)

筒井城の戦後処理で重要なのは、島清興・柳生宗厳・百地三太夫を配下に加えることです。島左近を配下に加えたら、足軽特性Cの柴田勝家はいったん道路建設部隊に回ってもらいます。
さて、柳生宗厳を配下に加えた瞬間、全戦力で室町御所へ出陣します。部隊構成は以下の通りです。

 武将名パラメータ適性戦法
部隊A
足軽
兵数12231
織田信長統率100+15 知略94足軽A
柳生宗厳武勇105+10足軽A飛燕
木下秀吉足軽S
前田利家足軽B槍衾之三
佐久間盛信足軽B
部隊B
足軽
兵数5000
島清興統率90+10足軽A
北畠具教武勇97+10足軽A槍衾之三
百地三太夫知略93+10足軽B
織田信光足軽B槍衾之二
簗田政綱足軽D混乱

ここまでまったく「募兵」はしていないのですが、霧山御所と筒井城の傷兵を抱え込んで、A部隊の戦力はかなり増強されています。また島左近と百地三太夫の加入によって部隊Bの戦闘力も格段に上がっていますが、期待される役割はもちろん戦法「混乱」です。百地三太夫の知略が高いので、「混乱」が欲しいタイミングでほぼ間違いなく成功させることができます。相手が混乱したところで部隊Aの柳生宗厳の戦法「飛燕」を連発で叩き込めば、あっという間に室町御所を落とすことができます。

ゲーム開始から霧山御所を落とすまで3ヶ月半、そこから筒井城を落とすまで3ヶ月、そこから室町御所を落とすまで2ヶ月半と、優秀な人材を配下に加えることで攻略スピードが確実に上がっています。

観音寺城を落としている間に桶狭間発生

さて、続いて室町御所から観音寺城に出陣したいところですが、このタイミングで歴史イベント「桶狭間の合戦」が発生しました。(京都を押さえた信長に対して義元が出陣するのは論理的にはおかしいのですが、気にしません)。清洲城に兵力3000いることが勝利条件なので、統率力が高くて足軽適性Cの柴田勝家を募兵担当にするなどして、しっかり用意しておきます。

桶狭間イベント発生時に信長本人が強制的に清洲城へ戻るかどうか選択肢が出ますが、実は慌てて戻らなくても桶狭間は成立します。そこで今川義元が清洲城直前に迫るぎりぎりまで、信長には清洲城で圧倒的な内政力を発揮してもらいます。ここぞというタイミングで「帰還」すれば、清洲城手前で義元を迎え撃つことができ、城へ戻る時間も節約できるというわけです。
いっぽう桶狭間の最中にもスピード攻略の手を緩めるわけにはいかないので、信長不在で観音寺城に出陣します。上の画像を見ていただければ、桶狭間最中に観音寺城へ2部隊が向かっているのを確認できます。このとき観音寺城に出陣した部隊構成は以下の通りです。

 武将名パラメータ適性戦法
部隊A
足軽
兵数13007
島清興統率90+10足軽A
柳生宗厳武勇105+10足軽A飛燕
北畠具教足軽A槍衾之三
前田利家足軽B槍衾之三
百地三太夫知略93足軽B
部隊B
足軽
兵数5000
木下秀吉統率87+10 知略93足軽S
足利義輝武勇95+8足軽A槍衾之極
佐久間信盛足軽B
織田信光足軽B槍衾之二
植田光次足軽C混乱

室町御所で足利義輝を配下に加え、さらに忍者の植田光次を簗田政綱に代えて部隊Bに登用しています。足軽適性Dの簗田に対して植田は適性Cなので、植田のほうが総合的に戦力が上がります。ただし政綱の役割はここで御免となったわけではなく、今後も活躍の場はたくさん用意されています。「混乱」持ち武将はそこそこレアで、重宝します。
ちなみに桶狭間後には徳川家康との同盟イベントが発生しますが、もちろん同盟は拒否します。後に岡崎城を攻めて家康を配下に加えるためです。

小谷城から稲葉山城攻略へ(1年2ヶ月)

観音寺城を落としたら、信長を観音寺城に戻し、すぐに小谷城へ出陣して、1ヶ月半で落とします。剣先の血が乾く暇もなく、すぐさま稲葉山城へ出陣します。稲葉山城の戦いが序盤戦のクライマックスと言えるでしょうか。稲葉山城攻略の部隊構成は以下の通りです。

 武将名パラメータ適性戦法
部隊A
足軽
兵数16633
小谷城から
織田信長統率100+15 知略94足軽A
柳生宗厳武勇105+10足軽A飛燕
木下秀吉足軽S
木下秀長足軽A
小牧源太足軽A槍衾之一
部隊B
足軽
兵数5000
小谷城から
島清興統率90+10足軽A
北畠具教足軽A槍衾之三
織田信光足軽B槍衾之二
百地三太夫知略93足軽B
植田光次足軽C混乱
部隊C
足軽
兵数7162
清洲城から
滝川一益統率89+10 知略84足軽C
足利義輝武勇95+8足軽A槍衾之極
佐久間信盛足軽B
前田利家足軽B槍衾之三
森可成足軽B槍衾之二

小谷城から主力部隊と混乱サポート部隊を出陣させると同時に、募兵で兵を貯めた清洲城から部隊Cを参加させているのがスピードアップのための工夫です。部隊Cは稲葉山城の攻略スピードを上げると同時に、清洲城から稲葉山城への道路を開削して、次に来たる岡崎城攻撃の速度を上げる役割を果たします。下の図では、部隊Cが砦に貼り付いて、後ろから佐々成政が道を引いているのを確認できます。この道のおかげで、後の岡崎城攻略が10日は早くなります。ちなみに手前の方で道を引っぱっている柴田勝家は、足軽適性Cのため稲葉山城攻略戦では戦闘部隊から格下げになっていますが、後に騎馬部隊主力として前線で活躍します。

道を引く役割は、足軽適性C以下の高統率武将に任せます。足軽適性B以上は常に最前線で戦い続けるため、道を引っぱっている余裕などありません。本プレイでは、佐々成政(統率79)、斎藤利三(統率79)、九鬼嘉隆(統率78)、池田恒興(統率72)、氏家直元(統率70)、滝川益重(統率68)といった面々が道路工事の主役となります。地味ですがスピード統一にとっては絶対に欠かせない重要な仕事であり、募兵担当人材とも被るので、運用にはけっこう気を遣います。

稲葉山城は1556年12/10に陥落します。稲葉山城の戦後処理では、次の一手を睨んでこれまでとは違った工夫をします。ここまでは一度に一つの城しか攻撃していませんでしたが、今後は複数の城を同時攻略することを目指します。具体的には、稲葉山城には一万の兵(傷兵含む)を残しておいて、残りの兵で岡崎城へ出陣します。同時に桜洞城早期攻略のために、道路の開削を始めます。また、室町御所では八上城攻略の準備のため、募兵能力を上げ、道を延ばしておきます。このあたりから二手三手先を見越した部隊運用や内政処理、道路開削のため、多角的に知恵を働かせることになります。

岡崎城攻略(1年4ヶ月半)

岡崎城陥落は1557年2/17、ゲーム開始から1年4ヶ月半が経過しております。ここで家康と酒井忠次、さらに服部半蔵や渡辺守綱を配下に加えて、中核となる家臣団はほぼ完成します。
そしてまたこの時には、同時に桜洞城と八上城に火の手が上がっております。いよいよ優秀な部下を縦横無尽に活用し、複数城を同時攻略してスピードを加速度的に上げていく中盤戦に突入します。

中盤戦:同時多発攻略と同時に内政を充実する
終盤戦:手を抜かない

本プレイのsavedataを置いておきます。クリックするとダウンロードできます。上書きの際には取り扱いにご注意下さい。
■清洲一城から986日で全国統一のsavedata

【宮城県白石市】片倉小十郎と真田幸村の墓が白石城の西にある

白石城は、残念ながら100名城には漏れてしまいましたが、続100名城に選出されております。その名に違わず、復元された三重櫓など、たいへん堂々として格好いいお城です。

三階の花頭窓がとてもオシャレであります。

大手一の門も復元されていて、奥の三重櫓と並べて見ると、とても格好いいです。
本丸御殿はありませんが、かつての勇姿はヴァーチャルで復元されております。

築地塀の中、いっぱいいっぱいの建築物ですね。

復元された三重櫓は、中に入ることができます。
江戸時代の図面どおりに復元されており、階段がとても急です。天辺から見下ろすと、白石の町を一望できます。けっこう高いところに建っているのが分かります。

暑い日でしたが、三重櫓の天辺に吹き抜ける風は清々しかったです。天上の梁の様子も観察できて、大満足です。

二の丸の方は、現在は公園や野球場として整備されています。

二の丸には地元の大横綱「大砲」の像が建っています。肩越しに三重櫓の勇姿。

二の丸から西に向かって20分ほど歩くと、片倉小十郎と真田幸村の墓があります。

廟所駐車場の入口にある「あたご茶屋」には、各種真田幸村グッズが取り揃えられておりました。ファンが訪れるのでしょうか? 私はソフトクリームとコーヒーをいただきましたが、コーヒーにはオマケで花林糖がついてきました。

駐車場から階段を登り、墓地の一番奥に片倉小十郎歴代御廟があります。片倉家の歴代当主はみんな小十郎を名乗っているんですね。

案内板を見ると、白石の人々もやはり明治維新で苦労しているようです。

諸行無常、静かに合掌。

片倉家御廟から真田幸村のお墓までは、残念ながら山の中の道は繋がっていません。一度駐車場まで降りて、一般道を西に向かいます。
幸村のお墓だけあるのではなく、正式には「田村家の墓」の中の一つが幸村のお墓です。

幸村の娘が田村家に嫁いだ縁で、幸村もこちらで慰霊されることになったわけですね。

墓所は、けっこう林の奥に踏み入った場所にあります。

こちらが幸村の墓石です。ほとんど加工されていない墓石の、その簡素さに、むしろ心を打たれます。
ちなみに墓石の左前方に据えられた石碑には、「二代片倉小十郎重長公後室御父眞田左衛門左源幸村御墓」と刻まれています。左の列は欠けていて読めない文字がありますが、元和元年五月七日戦死とあるのは読めますね。で、「信繁」ではなく「幸村」となっているところが、多少気にかかります。明らかに墓石とは作られた年代が違っているように見えるので、後世、何らかの事情でこうなったであろうことが推測されるところではありますが、詳しい事情はまったく分かりません。

諸行無常、強者どもが夢の跡、掌を合わせて白石を後にするのでした。
(2018年9月訪問)

【埼玉県北本市】学校給食歴史館は、想像以上に食品サンプルが豊富

学校給食歴史館」が、埼玉県学校給食会の敷地内にあります。その名の通り、学校給食の歴史を分かりやすく展示している博物館です。入場無料の上に、特製クリアファイルもいただいてきました。

食品サンプルで歴代の給食が再現されており、学校給食の変遷の様子がよく分かります。食品サンプルは壁一面に並んでおり、なかなか壮観です。

埼玉県の「学校給食調理コンクール」で優良作品に選ばれた献立も、食品サンプルとして展示されています。地元の食材を使ったり、伝統的な料理を再現したりと、どれも力作揃いです。

昭和の給食風景を記録した写真等も展示されています。

割烹着やエプロン姿の小学生が写っています。小学生の頃、割烹着や帽子が入った給食袋を家に忘れて冷や汗をかいたことなどを思い出しますね。

ほか、世界各国の給食を展示した「ワールドカップ給食」なんてコーナーもありました。

スウェーデンやチュニジアの給食については、普段は想像することすらありませんね。

また埼玉県は地産地消を進めていて、埼玉県の農産物やそれらを活用して開発した食材の展示も充実しておりました。

私は栄養学科の学生たちの教職課程科目も担当しているのですが、学習指導要領や食育基本法が言う「食育」について理論的に説明することはできても、実際の仕事に具体的にどう落とし込んでいくかについて話をするのは、とても難しいんですね。学校給食歴史館は、給食の歴史やコンクール受賞作品が目で見て分かるように工夫されていて、自分が関わる仕事に対する具体的なイメージを浮かべやすいので、栄養学科の学生にとっては様々な霊感が与えられる良い場ではないかなと思いました。

給食に関係ない人が行っても、懐かしい気持ちになれる場所だと思います。

北本駅からはちょっと離れているんですけれども、バス停からはすぐです。