「歴史散歩」カテゴリーアーカイブ

【感想】Bunkamuraザ・ミュージアム「ポーラ美術館コレクション展―甘美なるフランス」

 Bunkamuraザ・ミュージアムで開催された「ポーラ美術館コレクション展―甘美なるフランス」を観てきました。モネやルノアールなど印象派から始まって、ゴッホやセザンヌなどポスト印象派を経て、マティスやピカソやモディリアーニなど20世紀絵画に至るという、まあ、日本人好みの構成。全体的に気持ちの良い空間。
 で、なんとなくセザンヌの良さが分かってきたような気がしたりしなかったり。ちょっと前までは「中途半端に彩度の低い、つまらない絵ばかり描く画家(←中学生的見解)」としか思っていなかったけれども、今日はとても美しく見えた。相当上手ではなかろうか。なんでこれが分からなかったのか。これが大人になるということか。
 しかし一方、やはりゴーギャンは相変わらず下手くそにしか見えなかった。日本画では横山大観が下手くそにしか見えないのと同様(←あくまでも個人的な感想です)。しかしたくさんファンがついているということは必ずそこに何かしらの良さがあるに決まっているわけで、私の感性がそれをキャッチできないというだけのことだし、またあるいは凄いのだと理論的に説明されればシロウトとしては「なるほどそうか」と思うしかないのだけれど、自分の目で実際に見たら下手くそにしか感じないのだからどうしようもない。いつか私にも分かる日が来るのかどうか。
 まあ、今日いちばん気持ちが良かったのは、モネでもルノアールでもなく、マリー・ローランサン。なんとなく東郷青児を思い出しつつ。(2021年11/12観覧)

【感想】上野の森美術館「蜷川実花展―虚構と現実の間に―」

 上野の森美術館で開催中の「蜷川実花展―虚構と現実の間に―」に行ってきました。特に写真に強い興味関心があるというわけではないのですが、この歳(アラフィフ)になると感受性の衰えが甚だしく、意図的に自分の興味関心の範囲以外のものにアタックしていかないと今後マズいことになると脅迫観念的に危機感を煽り立て、どんどん外部に打って出るべきだと行動指針を決めた矢先に新型コロナでひきこもり、しかしワクチンも2回打ったし感染者数も激減、今がチャンスだ逃すな晴れてるしということで、いそいそと上野に向かって美術体験に出かけていったのでありました。

 「日曜美術館」を観ているので名前と作品の傾向についてはなんとなく存じておりましたが、生で見ると大迫力です。特に「色」は、やはりLED透過光と生の反射光では印象が異なります。

 とにかく彩度が高い。人工的に花の彩度を高くする技法が紹介されていて、納得。

 写真を超えて、空間全体をプロデュースする総合芸術となっております。圧倒的な空間。泣いていた子どもも黙る(←ほんとに)。

 どこかノスタルジックな印象を受けるのも不思議。

 ということで、会場内は写真撮影もOKだったのですが、写真作品を写真撮影するというのにもなかなかの違和感を覚えたり。そんなわけで、自分自身で写真を撮ろうと思い立って、しかも場所は風光明媚な上野公園、彩度高めな画角には事欠きません。帰宅後にデジタルデータをパソコンに取り込んで、フォトショで彩度スライダをぐぐーんと上げて蜷川風にしてみようと試みるわけです。
 下は自分で撮った写真をフォトショで加工した、上野公園の大噴水越しに国立東京博物館を見るの図。彩度アゲアゲに加えて、色相も60年代風にいじってみるのですが、単にフォトショでスライダを弄ぶだけではこの程度にしかならないので、やはり展覧会の作品群には相当な技術と経験と手間暇がかかっているのだろうということを想像するのでありました。

 さて、意図的に外に打って出て経験を積み重ね、私の感性に多少なりともヤスリがかかったかどうか。まあ、秋晴れの下の上野公園散歩が精神衛生的に悪いはずはないのでした。いい気分。そしてこの後は東京国立博物館に最澄展を観に行くのでした。(2021年11/11訪問)

【岡山県備前市】閑谷学校は庶民にも開かれた教育施設

岡山県備前市にある閑谷学校に行ってきました。全国に62しかない特別史跡の一つに指定されています。講堂は国宝に指定されています。というのも、教育史的に非常にユニークな場所だからです。

まず見えてくるのが「校門」です。左右の花頭窓がオシャレ。秋になると楷の木が見事に色づいて、観光客が押し寄せます。

扁額には「閑谷学校」とありますが、個人的には「閑谷學校」となっていないのが気にかかるところです。

駐車場に案内パネルがあり、かなり詳しい説明がされています。教育史の知識がないと内容が理解できないような気もします。

高山彦九郞や頼山陽、菅茶三や横井小楠などが訪れたり、幕末維新の混乱期には山田方谷が再興するなど、単なるローカルな庶民学校ではなかった重要な施設であることが伺えます。

国宝に指定されている講堂。オレンジ色の瓦が新緑に映えて独特の景観を醸し出しています。気品があります。中に入れるのが嬉しいですね。

講堂内はとても静かで落ち着いていて、ここで読書をしたらさぞ捗りそうな感じがするところでした。

儒教の施設なので、「大成殿」=「聖廟」があります。孔子が祀られており、単なる教育施設ではなく宗教施設でもあります。

というか、「教育」の「教」は「宗教」の「教」であって、教育と宗教は切っても切れない関係にあるものです。教育と宗教の関係が疎遠になったのは、近代以降(具体的にはヨーロッパではフランス革命以降、日本では明治維新以降)、教育がeducationではなくinstructionを重視するようになってからのことです。

敷地内にはもう一つの宗教施設「閑谷神社」(創設時は「芳烈祠」と呼ばれていた)があります。閑谷学校を創設した岡山藩主・池田光政が祀られています。

池田光政は江戸時代初期の藩主にしては極めて珍しく教育に熱心で、熊沢蕃山を招いて藩士のための教育機関「花畠教場」(1641年。後に公的な岡山藩藩学へ発展)を作った後、1667年には藩内123個所に庶民のための手習所を作る一方、閑谷学校の設置にも着手します。手習所は1675年に閑谷学校に統合され、閑谷学校は庶民にも開かれた藩立の教育機関となります。日本史上他に類を見ない、たいへん画期的な仕事です。
ちなみに鵜殿氏の庶流は池田家初代輝政に仕え、鳥取藩池田家の家老を務めております。光政とも関わりがあったと思われますが、詳しいことは分かりません。

講堂から少し坂を登ったところに資料館があります。

もともと「学房」と呼ばれる寄宿舎があったところですが、明治維新後に近代学校が作られました。建物は明治38年当時物のもので、これ自体がとても貴重です。
展示もたいへん充実しておりまして、閑谷学校に関わる史料のほか、日本の近代教育についてもよく分かる内容でした。

全体的に非常に雰囲気のいい場所なのですが、印象に残ったのは「石塀」です。

頭頂部をまるく削られた石塀が長々と続く光景は、他では見られないもののように思います。

訪れたときはあいにくの大雨だったので、今度は晴れたときにまた行こう。(2013年9月訪問)

【茨城県古河市】鮭延寺に熊沢蕃山のお墓参り

茨城県古河市にある鮭延寺に行ってきました。近世初期に活躍した思想家、熊沢蕃山(1619-1691)のお墓があります。

境内に入ると左手に「史跡熊沢蕃山之墓所」と刻まれた石碑が見えます。

蕃山の墓がどれかは、案内パネルが建っていてすぐに分かります。

説明文は簡潔にして要を得ているように思いました。
教育史的な観点から補足すると、まず中江藤樹(近江聖人)に師事して陽明学を学んでいることが重要です。というのは、江戸幕府公認の学問は儒教の中でも「朱子学」と呼ばれている流派で、身分制を維持するのに都合の良い理論を提供していました。しかし中江藤樹→熊沢蕃山ラインの陽明学は、朱子学の中でも「人間に共通する本性」に注目した論理を構成し、現実的には身分制を否定する根拠を与える反体勢的な流派でした。この陽明学の反身分制的な精神は幕末の大塩平八郎などに引き継がれ、江戸幕府を倒すための伏線となっていきます。
また岡山藩で池田光政に使えていたときの教育関連諸政策はたいへん画期的で、日本教育史の教科書にはだいたい載っています。具体的には、寛永18(1641)年に蕃山の主催により私的な教育機関「花畠教場」が創設され、これが後に公的な岡山藩校に繋がっていきます。教場に掲げられていたという「花畑会約」は、教育史的に貴重な史料です。
岡山藩主の池田光政は、さらに庶民のための教育機関「閑谷学校」を開設します。日本の歴史上、瞠目すべき先進的な業績です。身分に関係なく学べる教育機関を作ることができたのは、池田光政が陽明学に傾倒していたことなくしては考えられないでしょう。(いちおう、閑谷学校の創設は蕃山が岡山を去った後のことであり、直接の関連はなありません)。

蕃山のお墓が古河にあるのは、古河藩主となる松平信之に仕えたからです。が、江戸幕府の逆鱗に触れて処罰を受け、古河藩に身柄預かり=幽閉となり、そのまま古河で亡くなりました。時の将軍徳川綱吉は学問振興にたいへん熱心な将軍でしたが、綱吉が推す朱子学は、蕃山が奉ずる陽明学とは相容れない思想でした。政権にとって都合の悪い学問が弾圧されるのは、今も昔も変わりません。
後に再建されたという墓碑には「熊沢息游軒伯継墓」と刻まれ、妻の墓石と並んで佇んでおります。合掌。

墓碑の向かい側には、蕃山を顕彰する石碑が建っています。

蕃山が詠んだ漢詩「耕父春田事終否 期歌一曲騎牛還」が刻まれております。

蕃山が眠る鮭延寺は、出羽の戦国武将・鮭延秀綱の菩提寺として創建されました。鮭延秀綱、信長の野望シリーズではかなり使えるステータスという印象です。

鮭延秀綱の五輪塔にも合掌。

世間では別の五輪で盛り上がったり盛り下がったりしている真夏の日、学問の大先輩の行跡に思いを馳せて、お寺を後にするのでありました。次に古河に寄る機会があったら、「蕃山公園」に行こう。(2021年8月4日訪問)