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【要約と感想】山口裕也『教育は変えられる』

【要約】実際に教育委員会で教育行政に関わった立場から、日本の公教育の問題点を炙り出し、よりよい公教育を実現するための理念と哲学を踏まえて、実際に東京都杉並区で取り組んだ教育行財政改革の具体的な方策を紹介し、その狙いと成果を明らかにしています。
 これまでの教育とこれからの教育の一番の違いは、「みな同じ」から「みな違う」です。そして違うことによって孤立するのではなく(新自由主義の誤り)、協働に向かうことです。その理念を実現するために、単に学校単位や先生個人に責任を押しつけるのではなく、教育委員会にできることはたくさんあります。地域と一体になった組織作り(コミュニティ・スクール)、教育課程編成の個別化、理念を実現するための学校建築、教育委員会そのものの官僚制からの脱却、目的に即したテストの設計と活用など、現場の教師たちの豊かな実践を実現するための手立てが豊富に提示されています。
 つまり、教育は変えられます。

【感想】良い本だった。
 実際に自治体として取り組んだ実践を踏まえて、地に足のついた議論が展開されているのが、一番の特徴だろう。学者が頭で考えただけの教育論ではない(それが悪いというわけではなく、実際に苫野一徳氏の教育論が実践を支える確かな柱になっている)。公教育でここまでできるのだという参照点にもなる。教育関係者にとっては大きな刺激になるのではないだろうか。

【今後の個人的な研究のための備忘録】
 教育課程の個別化に関しては、他人事ではなく、いろいろ気になるところだ。

「考え方の始発点を「みな違う」に逆転するということは、学校の仕組みのもっとも深い部分にある教育課程の個別化に半ば必然的に行き着きます。教育が十分に公で在るためには、「すべての人の合意」を意味する「普遍意志」がその条件になる以上、個別化した教育課程の編成権について、学校という公的機関の校務一切の掌理権を有する校長のみならず、学習者が未成年である場合は保護者がその一部を有すこともまた、論理的に考えて半ば必然の帰結となります。」104頁

 なかなか凄いところに突っ込んでいる文章だ。教員養成課程に関わる立場としては忸怩たる思いを抱いているところなのだが、現在の教員養成は「授業ができる」ようなプロを養成するところだとは思われていても、「教育課程を編成できる」ようなプロを養成するところだとは認識されていない。まず、教育課程を履修する学生自体が、そう思っていない。授業さえできれば十分だと思い込んでいる。私個人は「教育課程論」という授業を抱えているので、その半期2単位で、なんとか学生諸君に「教員とは、単に授業ができる人ではなく、教育課程編成においても優れた見識を持つ必要がある」ということを伝えようとしている。が、キョトンとされて終わりだ。学生だけの問題ではない。日本社会全体が課題を共有していない。日本社会は、教員を単に「授業をする人」だと思い込んでいる。その日本社会全体の偏見に立ち向かうには、半期2単位というのは、なかなか短い時間である。まあ、精一杯頑張っているつもりではある。私にできることは、今のところ、学生諸君に教育課程編成の力をつけて現場に送り出すべく、最善を尽くすことしかない。筆者の言う「教育課程の個別化」を支えるのは、最終的には子どもたちと直接向きあっている教員だ。個々の教員が「教育課程を編成する力」を持たなければ、「教育課程の個別化」は悲惨な結果に終わる。「総合的な学習の時間」が理想通りに機能しなかったのは、各学校に教育課程編成の力がなかったせいだ。そう想像できるから、教育課程編成の権限がなかなか現場に降りてこない。多少は規制緩和されているし、その動きは加速しているようにも見えるが、果たして文部科学省が一番重要なハンドルを手放して教育現場に譲り渡すかどうか。たとえば具体的には教科書(編成と採択)の問題は極めて大きい。

 というように、「教育課程の個別化」だけで様々に複雑な論点が次々と沸き上がってくるわけだが、本書は全編がそういう論争的なキーワードに充ちている。教育委員会制度そのものの改革(いわゆる準公選制に近い)や、学力テストの利活用などに対しては、私個人としても言いたいことが次々と浮かんでくる。
 ともかく、そういうふうに論争的に読まれただけでも、本書のタイトル「教育は変えられる」に一歩近づいているということなのかもしれない。

山口裕也『教育は変えられる』講談社現代新書、2021年

【要約と感想】青木栄一『文部科学省―揺らぐ日本の教育と学術』

【要約】旧文部省と旧科学技術庁が2001年に合併して誕生した文部科学省は、科学技術・イノベーションの観点が強化されることで、旧文部省とは異なる新しい組織になっています。
 従来から内(教育委員会、国立大学、教育関連諸団体等)に強く外(政治家、他省庁、民間企業等)に弱かった文科省は、官邸主導で立案された教育政策や産業界の意向を背景とした他省庁からの「間接統治」の圧力を受けて、施策実現を目指すだけの下請け機関となりつつあります。具体的な様子は、高校無償化政策や高大接続改革等に見ることができます。
 文部科学省(および教育関連業界)がジリ貧状態を抜け出すためには、従来の殻を破って、積極的に外に打ち出していく覚悟が必要です。

【感想】良い本だった。我々の来し方を踏まえ、現在の立ち位置を確認し、未来を展望するために、数多くの示唆を与えてくれる。勉強になった。
 私個人は私立大学の教職課程に所属しており、文部科学省とは二重に関わる(大学教員として・教員養成として)仕事を受け持つ立場として、まさに現在我が身に降りかかっている問題を整理するのにも役に立った。

 思い返してみれば、30年くらい前までは文部省を腐していれば何か言ったことになるような気になれた教育学徒だった私が、今現在は単に文部科学省を批判するだけでは何の意味もないことを主張するようになっている。私自身が、理想に燃えてピュアだった20代から、ある程度社会の現実を知って責任ある仕事を受け持つ40代に成長?したという側面もある。が、一方で、文部科学省の仕事や立ち位置も確かに変わっている。特にここ10年くらいは、文部科学省がむしろ防波堤となって、政治界や経済界の圧力から教育界を守っていることを実感する始末だ。今や私自身が、新自由主義に批判的なスタンスを取りつつ「教育の公共性」を前面に打ち出して、おおまかには文部科学省と同じ方向を向き、いわゆる「抵抗勢力」と化していることを自覚せざるを得ない。そういうポジションから見ると、若い頃のように文部科学省を腐して悦に入るどころか、もう同情するしかないような気分になったり、あるいはできることなら側面支援したくなったりすることもある。これが大人になるということかどうか、いやはや。

 ともかくまあ個人的には、教育界の末席に連なる責任ある立場として、専門家としての見識を磨きながら、文部科学省の仕事に協力したり批判したりしていこうと改めて思ったのであった。

【言質】
 「教育の商品化」がなしくずしに進行して教育の公共性が衰退し、民間教育産業が続々と市場に参入してくることについて、個人的には大きな危惧を抱いているわけだが、それに関する本書の言葉をメモしておく。

「今回暗礁に乗り上げた大学入試改革は、政治家と企業にとって新しい「市場」を生み出すという点で利益にかなっていた。税金で運営されてきたセンター試験を衣替えするのだから、官業の民間委託や「払い下げ」のようなものであり、官製市場の民間開放そのものである。この過程に携わる政治家は教育企業からの支援を期待できるし、少子化に苦しむ教育企業も売り上げが確実に見込める官製市場へ参入できれば一息つける。」(221頁)

 身も蓋もない話だが、GIGAスクール構想にも同じように金の匂いがプンプンするし、実際に民間企業がよってたかっている。私の個人的な危惧にも関わらず「教育の商品化」はどんどん進行するのだろうし、日本全体のことを考えれば危惧するしかないのではあるが、一方さて私個人の身の振り方はどうしよう?というところなのだ。本当にどうしよう??

青木栄一『文部科学省―揺らぐ日本の教育と学術』中公新書、2021年

【要約と感想】佐藤明彦『教育委員会が本気出したらスゴかった。―コロナ禍に2週間でオンライン授業を実現した熊本市の奇跡ー』

【要約】熊本市はもともとICT後進自治体でしたが、市長と民間出身の教育長のリーダーシップの下で環境を整備し、公立小中学校での双方向オンライン授業を実現しました。成功のポイントは、目的を明確にした上で採り得る手段を比較考量し、十分な資源(カネとモノ)を揃えた上で、フットワークの軽い学校支援体制を整え、現場の教師の力を信じ、フィルタリングなどの規制を最低限に抑えたことです。

【感想】公立学校でのオンライン授業に関しては、全国的に実現できた学校は5%程度と極めて厳しい状況なのだが、熊本市と広島県の実績は突出している。ネット記事でも、熊本市と広島県の成功事例は様々な形で紹介されている。本書は、熊本市がどのようにオンライン授業を実現したか、主に教育委員会の立場から紹介し、成功した要因を考察している。現場の教師や保護者の視点からはまた別の意見や考えが出てくるのだろうけれども、まずは行政がどのように考え行動したかを押さえておくことは大切だ。

専門的な視点からは、本書が「総合教育会議」の機能について高く評価していることに注目しておきたい。総合教育会議とは、教育委員会改革の一環として2015年に導入された、首長の意見を教育に反映しやすくするための制度だ。熊本市がICTの導入に迅速に成功できた要因の一つとして、まず間違いなく首長と教育長の意思疎通が円滑に図られたことが挙げられる。それを可能にした制度として「総合教育会議」の名前が挙がってくるわけだ。そもそも「教育長の任命」に関して首長のリーダーシップが前面に打ち出されることも、教育委員会改革の結果でもある。熊本市のケースは、総合教育会議を含めて首長のリーダーシップが前向きに働いた例として今後も参照されることになりそうだ。
逆に言えば、熊本市以外の自治体でICTの導入がうまくいっていないとすれば、教育やICTに対する首長の見識が頼りないということになる。つまり「総合教育会議」を導入したから物事がうまく運ぶということではなく、首長の教育に対する見識そのものが問題になってくる。制度設計そのものが良いか良くないかは、うまくいった例だけでなく、うまくいっていない例も参照しなければ分からないところだ。

そして熊本市の「教育に対する見識」が高いのが間違いないのは、現場の教師の力を信頼していることだ。教育の専門家としての教師の力を信頼して、現場の自由と裁量権を確保し、管理ではなく支援の体制を整えることで、全体がうまく回る。逆に、現場の教師の力を信頼せず、むやみやたらに管理を強化すると、なにもできなくなる。オンライン授業ができなかった自治体は、要するに現場の教師の力を信頼せず、自由と裁量権を抑え込み、管理ばかり強めていたということだ。行政に「教育に対する見識」があるかどうかは、現場の自由と裁量権をどのように考えているかに決定的に現れてくる。

さて、本書を読む限りでは、熊本市のチャレンジは成功しているように見える。ものすごく頑張っている。が、教育というものは結果が出るまでに時間がかかるものだし、「塞翁が馬」みたいなところもある。強みに見えたものがアッと言う間に弱点に変わることもあるし、また逆もある。たとえば「首長のリーダーシップ」は諸刃の剣だ。熊本市の取組みがどのような結果を出すか、今後も注目しつつ、応援していきたい。

佐藤明彦『教育委員会が本気出したらスゴかった―コロナ禍に2週間でオンライン授業を実現した熊本市の奇跡ー』時事通信社、2020年

【要約と感想】伊藤良高『増補版幼児教育行政学』

【要約】2006年の教育基本法改正以降、新自由主義的行政がさらに進行し、幼児教育を歪めています。幼児教育行政は、サービス消費の観点から営利追求を追認するのではなく、公共性の観点から子ども本位で構想するべきです。首長のリーダーシップの在り方にも注意が必要です。保育学の専門性を確立するために、関係者一同が協力していきましょう。

【感想】単なる事実の羅列に終始するのではなく、保育学確立を願う著者の志と理念を十分に感じられる、格調の高い本だった。2006年の教育基本法改正以来、幼児教育の分野も含めて、教育界では大激変が続いている。教育委員会の形も大きく変わった。そんな中、ただ世間の波に翻弄されるのではなく、自分の立ち位置を見定めるために、良い本だと思った。

伊藤良高『増補版幼児教育行政学』晃洋書房、2018年

【要約と感想】田原総一朗『緊急提言!デジタル教育は日本を滅ぼす』

【要約】学校や教育がおかしくなったのは、単に「正解」を教える場所に成り下がっているからです。その経緯は、ゆとり教育をめぐる論争に色濃く刻印されています。正解のない時代を生き抜くためには、「正解」を教え込む教育ではダメです。デジタル教育は単に「正解」を教える風潮を助長するだけです。もっと人と人が触れあって、多様な考えを受容しながらも自分の意見を主張できるような教育にするべきです。

【感想】タイトルの付け方が、ちょっと微妙だ。軽薄なタイトルに対し、内容はもうちょっと地に足がついている。もう少し本質的なタイトルにした方が良かったような気がする。

本書は、ジャーナリストらしく、関係者から直接言質を取っているのが、説得力を増しているように思う。たとえば小渕恵三や山谷えり子などの政治家、あるいは前川喜平や寺脇研や小野元之などの文部官僚、丹羽健夫や藤原和博や陰山英男などの実践家、または苅谷剛彦や佐藤学などの研究者から、様々な言質を引き出している。なかなか興味深く読める。
まあ、すでに教育行政に関して知識がある向きからすればさして新しい情報ではないものの、直接的な言質を加えることで、既存の枠組みの意味をさらに確認することができる。特に臨時教育審議会の持つ意味については、ひょっとしたらけっこうエグい形で本質を抉り出している本なのかもしれないと思った。タイトルも「臨時教育審議会は日本を滅ぼした」で良かったのではないか、と思えるくらい。なかなか良い仕事をしてくれたように思う。

ほか、少国民世代(昭和ヒトケタ)の教育実体験談サンプルとしても、ちょっと重宝できる本かもしれない。戦中から戦後の価値観の転換に戸惑う軍国少年という点で、極めて典型的な言質を得ることができる。

田原総一朗『緊急提言!デジタル教育は日本を滅ぼす-便利なことが人間を豊かにすることではない!』