「主体的・対話的で深い学び」タグアーカイブ

【要約と感想】田村学『学習評価』

【要約】「知識の構造化」を踏まえて、学習指導要領の理念に基づき、カリキュラム・マネジメントの一環として、妥当性と信頼性の高い学習評価を実現し、丁寧に子どもを見とって、質の高い授業改善に繋げていきましょう。
 いつでも・どこでも・だれにでも簡単に評価規準が作れるよう、特に分かりにくい「思考力・判断力・表現力」と「学びに向かう力」について評価規準を作成する際のフォーマットを示しました。フォームに具体的な文言を流し込むだけで、簡単に評価規準が完成します。

【感想】文部科学省の意図を丁寧に解説した上で、著者独自の「知識の構造化」の議論を展開し、さらにご丁寧にもフォーマットを用意して、誰にでも簡単に学習評価の評価規準を作成することができるようになっている。まさに、手取り足取り、懇切丁寧、という印象だ。学習評価に関して途方に暮れている現場の先生方にとっては、一縷の光明が見えるような本になっているのではないだろうか。

 ちなみに田村学『深い学び』と姉妹編のような関係にある本で、そちらを先に読んでおくとさらに理解が進むだろうと思う。
 で、やはり教育の理念とか授業の展開などについてはヘルバルトやデューイからそんなに進歩していないように見える一方、学習評価の技法に関してはものすごく進んだように思ったのだった。

■田村学『学習評価』東洋館出版社、2021年

【要約と感想】北俊夫『「ものの見方・考え方」とは何か』

【要約】授業が目指すことは、「一匹の魚」を与えることではなく「魚の捕り方」を身につけさせることです。ものごとを見る視点や考える方法を理解することは、子どもにとっては生きる力を身につけることになり、教師にとっては授業力を向上させることになります。

【感想】新学習指導要領では、「見方・考え方」という言葉が前面に打ち出されている。各教科の目標に「見方・考え方」という言葉が必ず盛り込まれている。主体的・対話的で深い学びとも密接な関連がある概念だ。
しかし学習指導要領を読むだけでは、その内実はあまりよく分からない。本書は、理解しにくい「見方・考え方」というものを噛み砕いて解説している。具体的な事例も数多く挙げられていて、分かりやすいように思う。

ただ教育史専門家から言わせてもらうと、このような考え方そのものは明治10年代の「開発主義教育学」に既に見られる。開発主義教育学は、単に知識を与えるような教育を批判して、「能力」を伸ばすことを主張した。そして具体的には観察や判断を通して「分析/総合」「帰納/演繹」といった論理的思考様式を身につけることを目指した。新学習指導要領が目指すものとまったく同じというわけだ。逆に言えば、150年前からあまり進歩していないとも言える。どうして進歩していないかをしっかり反省しないと、また同じ失敗を繰り返す。

北俊夫『「ものの見方・考え方」とは何か―授業力向上の処方箋』文溪堂、2018年

【要約と感想】河村茂雄『アクティブ・ラーニングのゼロ段階―学級集団に応じた学びの深め方』

【要約】協同学習を表面的に取り入れるだけでは、子どもたちの学力は伸びません。本物のアクティブ・ラーニングを実現するためには、学級経営で「安定と柔軟性がある学級集団」を作らなければなりません。学級集団の個性に応じて、働きかけ方を変えていきましょう。

【感想】最新学習指導要領から「アクティブ・ラーニング」という言葉は跡形もなく消え去った。形式的で無意味な実践が横行してしまったからだ。
本書は、そんな形式的で無意味なアクティブ・ラーニングに陥ることを戒めている。本質は「学級経営」にあることを看破している。本質的な学びになるかならないかは、学級集団の質に決定的に依存しているのだ。だから、小手先の協同学習を導入するのではなく、本腰を入れて学級経営に取り組む必要があるということだ。
まあ、なるほど、確かに、というところではある。学級経営に関しては、同じ著者の「Q-U」理論が大いに参考になるわけだが、それはまた別の本で。

河村茂雄『アクティブ・ラーニングのゼロ段階―学級集団に応じた学びの深め方』図書文化、2017年

【紹介と感想】田村学著・京都市立下京中学校編『深い学びを育てる思考ツールを活用した授業実践 公立中学校版』

【紹介】新学習指導要領では、アクティブ・ラーニングに代わって「主体的・対話的で深い学び」という言葉が打ち出されましたが、「深い学び」の具体的な中身は分かりにくいものでした。本書は、具体的な「思考ツール」を活用することで「深い学び」が実現できることを示しています。国語や数学など実際の学習活動の中でどのように思考ツールを使うかが分かりやすく示されており、様々な授業で応用できそうです。

【感想】著者の田村学氏は、別の著書『深い学び』で理論的に「深い学び」の在り方を明らかにしている。本書はその理論を踏まえた上での実践編といったところだ。ただの机上の空論ではなく、実際の授業の中で思考ツールを活用した記録が伴っているので、説得力がある。「深い学び」が何なのか困っている先生にとって、実際の授業で役に立つ何らかのヒントがある本かもしれない。
が、まあ、思考ツールを使うこと自体が目的になると本末転倒なので、「どうして手段として思考ツールを使う必要があるのか」を常に問いながら、「深い学び」について考えを深めていく必要があるだろう。表面だけ思考ツールを導入することに、さしたる意味はない。そういう意味で、理論編『深い学び』とセットになって初めて意味がある本であるように思える。

田村学著・京都市立下京中学校編『深い学びを育てる思考ツールを活用した授業実践 公立中学校版』小学館教育技術MOOK、2018年

【要約と感想】小針誠『アクティブラーニング―学校教育の理想と現実』

【要約】アクティブラーニングという言葉に乗せられて右往左往していませんか。これ、よく考えると(あるいは考えなくても)、とても胡散臭い言葉ですよ。歴史的に何度も失敗を繰り返しているし、理論的にも無理があるし、そもそも学校教育の理想と現実のギャップを踏まえれば、変だってことが分かりそうなもんですよね。

【感想】いい本だった。とてもありがたい。アクティブラーニングの胡散臭さに対しては授業でも多角的に指摘しているつもりではあるが、今後は「アクティブラーニングに違和感を抱いたら、この本を読め」と言っておけば足りそうだ。
個人的には、アクティブ・ラーニング問題の本質は、「教育目的」に対する議論を欠いたままで「主体性の調達」に躍起になっているところにあると思っている。本書は戦中にも「主体性の調達」のためにアクティブラーニングが利用された例を的確に指摘していて、とても説得力がある。現在のアクティブラーニングも、所詮は知識基盤社会や第四次産業革命下で斜陽化しつつある日本の産業界に寄与できる有能な人材を作ろうという偏った目的に奉仕するために構想されているだろうことは、誰の目にも明らかだろう。ここが胡散臭さの一番の根底にある。

と言いつつも。やはり教育に携わる身としては、教師が一方的に知識を与える19世紀型授業よりも、学習者の興味や関心に基づいて内側から個性を伸ばす21世紀型スタイルの方が、人間形成にとって本質的な在り方だろうという直感を抱くのも確かなのだった。時の政権や偉い役人たちが命令するから行なう他律的なアクティブラーニングではなく、「教育目的に即して本質的な教育方法=メトーデ」を模索しながら構想された主体的なアクティブラーニングであれば、きっと子どもたちの成長に資する有益な実践になるはずだ。そう信じて、頑張ろう。

小針誠『アクティブラーニング―学校教育の理想と現実』講談社現代新書、2018年