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コミュニティ・スクール(学校運営協議会)とは何か?

コミュニティ・スクールとは

 「学校運営協議会」が設置されている公立学校をコミュニティ・スクールと呼びます。そう法律で決められています。(ちなみに私立学校は、これからの話とまったく関係ありません)
 しかし、そもそも「学校運営協議会」とは何なのか? 何のために存在しているのか? それまでの学校と何が違うのか? 以下、コミュニティ・スクールについて考えていきます。

1.コミュニティ・スクールの役割

 コミュニティは「地域」で、スクールは「学校」です。ですからコミュニティ・スクールとは要するに「地域・学校」のことです。そして「地域・学校」には3つの意味が考えられます。(1)地域の(2)地域による(3)地域のための学校です。

(1)地域の学校

 これまでの学校教育は、「地域の子供」を育てるというより、「地域を捨て去って都会の大企業に就職する有能な人材」を作るような教育をしてきました。地域の学校で頑張って勉強した子供たちは、偏差値の高い都会の大学に入るために地域を飛び出し、卒業後も地域には戻らず都会の大企業に就職し、地域には盆と正月にしか帰ってこなくなります。地域はわざわざ人材を失うために教育しているようなものです。
 コミュニティ・スクール(地域の学校)に期待される役割は、地域で活躍する人材を育てることです。地域の人々が先生となって子供たちの指導に当たったり、子供たちが地域の中で活動を行なうことにより、子供たちと地域の関係が深まり、これまで以上に愛着を持つようになります。学校情報を地域に積極的に公開したり、地域住民が学校運営に関わることで、お互いの風通しが良くなり、信頼関係が生まれます。コミュニティ・スクールは、地域の個性や特性に合った教育を実現することが期待されています。新学習指導要領の理念である「社会に開かれた教育課程」や「チーム学校」を実現する上でも、コミュニティ・スクールという制度は大いに役に立つでしょう。

(2)地域による学校

 これまでの学校制度では、地域住民の意向が学校運営に反映することがなかなかありませんでした。特に人事に関して、校長先生を始めとする教職員スタッフを地域住民の意向で決めることはできませんでした。地域住民の意向とは関係なく、教育委員会が決定した校長や教員が学校に赴任してきました。
 コミュニティ・スクール(地域による学校)になると、地域住民が学校運営に積極的に参加できるようになります。教育方針に対する承認権が与えられたほか、人事に関する意見も出すことができます。今後の展開によっては、教育委員会に代わって地域が教育方針を決める主体となったり、校長先生の採用や罷免に対して地域住民が決定的な影響力を持つような仕組みに変わっていくかもしれません。

(3)地域のための学校

 日本全体で少子高齢化が進行し、地方自治体の運営が行き詰まりつつあります。従来の地方行政では立ち行かなくなっている地域がたくさんあります。そんな中で「地方創生」の掛け声が大きくなりつつあります。そして学校を中心として地方を活性化しようという動きが具体的に進んでいます。
 コミュニティ・スクール(地域のための学校)は、子供たちのためだけでなく、大人も含めた地域全体を盛り上げるため、教育以外の場面でも多様な役割を果たすことが期待されています。地元の特産品を地域企業と生徒が共同で開発したり、地域の観光へ学校が貢献したりと、様々な取り組みが始まっています。

2.コミュニティ・スクールの制度

 コミュニティ・スクール(学校運営協議会)の法的根拠は、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(以下「地教行法」と省略します)という長い名前の法律の第46条の6にあります。学校運営協議会の設置を決める主体は、地域の教育委員会です。
 学校運営協議会の委員になるのは、地域の住民や生徒の保護者、さらに社会教育に関わる人等です。今のところ15人~30人程度で構成されている組織が多いようです。
 学校運営協議会には、法律で3つの権限が与えられています。法律で定められた権限なので、これに従わなかった校長や教育委員会は法律違反を犯したことになります。法的な根拠に基づいて権限を与えられているところが、従来のPTAや学校評議員のような類似組織と大きく異なるところです。3つの権限は以下の通りです。

(1)校長が作成した学校運営の基本方針を承認する。
(2)学校運営に関する事項について、教育委員会か校長に対して意見を述べることができる。
(3)学校職員の採用や任用に関して、教育委員会規則で定める事項について、職員の任命権者に対して意見を述べることができる。

 この3つの権限は、ひとつひとつ単独で見る場合は「ふーん、その程度か」という感じかもしれませんが、実は条文全体を有機的に組み合わせると、現状の公立学校システムを抜本的に破壊する可能性を持つような、凄い規定でもあります。その可能性については、後に検討することにしましょう。

3.コミュニティ・スクールの効果

 現状(2018年4月統計)、日本全国のコミュニティ・スクールは3,600校で、全体に占める割合は11.7%です(文部科学省統計)。文部科学省は、最終的には100%の導入を目指し、法律で努力義務化(2017年)したほか、特別に予算をつけたり専門家を派遣したりするなど、積極的な措置を講じています。「バスに乗り遅れるな」とばかり、各地方自治体は慌ただしく設置に向けての動きを見せています。
 各種報告や研究成果を見る限り、既にコミュニティ・スクールの実践を始めたところでは、その効果に対して校長も住民も高い満足を感じているようです。特に学校と地域の情報交換や連携の強化について、大きな効果が上がっていると感じているようです。学校運営に対して地域住民が協力的になったとか、学校に対する苦情が減ったなどの報告があります。補導件数が大幅に減るなど、生徒指導上の効果も報告されています。学校教育法(第42条)で規定された「学校評価」業務を学校運営協議会が実質的に担うなど、校長の学校運営上でも役に立っているようです。おおまかに言えば、コミュニティ・スクールの役割(1)「地域の学校」としての成果は大いに上がっているようです。

ソーシャル・キャピタル(社会資本)の調達

 専門用語で言えば、コミュニティ・スクールになってから「ソーシャル・キャピタル(社会資本)」の調達が容易になった様子が分かります。ソーシャル・キャピタルとは、地域社会に潜在的に眠っている教育資源(人・物・教材・場・情報など)の全体を指します。これまでの学校は、教員免許を持っているスタッフだけで仕事をこなそうとしてきました。従来はそれで充分だったかもしれません。しかし課題が複雑化・高度化した現代社会においては、もはや学校内人材だけでは問題に対応しきれません。そんなとき学校の外に目を向けてみると、いくらでも教育資源が眠っていることに気がつきます。特に「人」は教育資源の最たるものです。地域の人々は、子供たちの成長に大きな関心を寄せています。先生たちに協力してくれる人々はたくさんいます。授業補助、特別支援教育ボランティア、部活動支援、ICT支援、学校外部評価等、できることはいくらでもあります。コミュニティ・スクールになることで、こういった潜在的な人材を掘り起こすことが容易になったと報告されています。まずコミュニティ・スクールが現実的に果たした機能とは、地域に潜在的に眠っていた教育力を顕在化させることでした。

「チーム学校」と「働き方改革」に役立つ

 このように地域の教育力を掘り起こすことは、「チーム学校」を実現するために重要な条件となります。力のある校長は、地域の教育力を動員して、眠っていた資源を掘り起こし、学校運営に活用します。学校内のスタッフたちも、充分な資源が与えられれば、これまで以上の力を発揮することができます。ちなみに学校内のスタッフたちにとって最重要な資源とは、「時間」です。教職員に「時間」という資源を潤沢に与えられる校長が、要するにマネジメントの上手な校長です。いわゆる「働き方改革」が成功するか否かは、具体的には「時間」という資源の掘り起こしにかかっています。ソーシャル・キャピタルを調達して「時間」という資源を確保し、確保した資源を教職員に潤沢に配分することで、「チーム学校」が実現し、「働き方改革」が可能となります。
 コミュニティ・スクールとは、単に学校や校長に上から押しつけられる制度ではなく、効果的なマネジメントを実現するための有力な前提条件となるわけです。ここは校長としての腕の見せ所になります。残業はなくしましょう。

4.コミュニティ・スクールの可能性

 さて、ここまで主に「ソーシャル・キャピタル」の観点からコミュニティ・スクールの効果を見ましたが、それは期待されている役割からすれば一部に過ぎません。本来期待されているのは、「柔軟で個性的な教育課程編成」を可能にすることかもしれません。それは、コミュニティ・スクール制度と並行して進められてきている、「教育課程編成の規制緩和」と絡めることで、理解することができます。

教育課程編成の規制緩和

 従来、教育課程編成に対しては強い縛りが課せられていました。学習指導要領を逸脱するような課程編成は、困難でした。ところが小泉純一郎の「聖域なき構造改革」によって、2002年から学習指導要領を逸脱する課程編成ができるようになっています。たとえば構造改革特別区域法によって「教育特区」に認められると、全国一律の規制から特例的に逸脱することができます。有名なのは、小中高12年間一貫教育の中で授業を全て英語で行なう「ぐんま国際アカデミー」でしょう。またたとえば同じく2002年から、スーパー・サイエンス・ハイスクールなど、学習指導要領によらない課程編成が可能な制度が開始されています。
 このように従来の強い縛りから解放されることで、地域の実態に合った柔軟で個性的な教育課程編成を行なうことができる可能性が広がっています。

校長と地域の裁量権

 しかしそうやって学習指導要領によらない教育課程編成ができる制度になったとして、学校に赴任してくる校長先生が相変わらず教育委員会から指導を受けて方針を決めるのでは、内容が変わるわけがありません。制度が変わっても、中身は同じままでしょう。制度を実質的に運用するためには、校長の裁量権を強化し、教育委員会からある程度自由に学校運営方針や教育課程編成を行えるようにする必要があります。そこで、次第に校長の裁量権を強化する方向へ変わってきています。
 ところがそうやって校長の裁量権を強化したとして、学校運営や教育課程編成に対して地域住民の意向が反映されないようでは、地域の実態に合った教育ができるはずがありません。校長の学校運営方針や教育課程編成に対して、地域住民が注文を出せる体制にする必要があります。それがコミュニティ・スクールに期待される役割です。
 コミュニティ・スクールとは、「ソーシャル・キャピタル」の調達を通じて一方的に地域住民が学校のために役立つというような仕組みなのではなく、地域住民の意向を反映しながら柔軟で個性的な教育課程編成を進めていくことが期待されている制度でもあるわけです。

5.コミュニティ・スクールの今後

 しかし、いま確認した側面は、政府の規制緩和・民間開放路線と関係して、既存の公立学校システムを根本から破壊する可能性に関わってきます。学校を取り巻く状況の変化を広く視野に入れながら、制度の射程距離を見極めていきましょう。

民間人校長とコミュニティ・スクール

 2000年の学校教育法施行規則改訂によって、民間人が校長になることができるようになりました。それまでは教員免許を持って一定程度の教職経験を経た人しか校長になれなかったのですが、その条件が撤廃されたわけです。一方、コミュニティ・スクールの制度化(地教行法改訂)は、2004年のことでした。この一連の流れは、小泉純一郎首相が進めた「聖域なき構造改革」の一環である「教育の規制緩和」方針として一貫しています。
 現実の民間人校長は、地方自治体の「公募」によって採用されました。その是非についてはここでは問いません。問題は、「民間人校長」と「コミュニティ・スクール」制度が結びついた場合です。既にコミュニティ・スクールの制度で確認したように、学校運営協議会は教職員人事について意見を出すことができます。現状の制度運用では「指導力のある先生が欲しい」というふうに教員の希望を出している例があるようです。が、これはおそらく本来想定されていた人事権の使い方ではありません。もともと「規制緩和・民間開放」論者が想定していたのは、「地方住民による校長の選定」です。個々の先生は校長が連れてくればいいのです。まず決定的に重要な役割を果たす校長先生を、誰がどうやって決めるのかが問題になるわけです。従来、地域住民は校長選定にまったく関わることができませんでした。教育委員会によって決められた校長先生が、知らないうちに赴任してきました。仮に自治体の「公募」に替わったとしても、地域住民の意向が反映しないという点ではまったく同じです。しかし一方コミュニティ・スクール制度をフルに活用した場合、校長として地域住民の望むような人材が、教員免許や教職経験の有無にかかわらず、民間人であっても、採用できるようになります。「規制緩和・民間開放」論者からしてみたら、個々の教員の採用など些末なことであって、決定的な問題は「校長人事の権限とプロセス」にあります。誰を校長に任命するかという人事権を教育委員会から取り上げ、地域住民に与えることが、「規制緩和・民間開放」論者の本当の目的だったわけです。民間人校長採用とコミュニティ・スクール制度は、校長人事に関して一体化することで、公教育の仕組を根底から破壊する力を持ち得ます。

チャーター・スクール

 「規制緩和・民間開放」論者がモデルとしたのが、1990年代からアメリカで目立ち始めたチャーター・スクールです。具体的には、保護者など地域住民が既存の公立学校システムに不満を抱いたとき、「こんな学校が欲しい」というふうに希望を表明し、公募を出します。住民が提示した要望に応えられると判断した有志は、学校運営計画(予算・スタッフ・到達目標・教育課程等)を定め、設立の申請を行ないます。地域住民がその申請を審査して、要望に叶いそうだと認めたら、合意して契約を結びます。申請者は契約に則って学校を設立し、運営します。地域住民は契約に則って資金(基本的に税金から拠出)を提供します。校長は行政から派遣されるのではなく、契約を結んだ申請者が連れてきます。校長に求められる力は、契約内容を実現できる実力です。その実力主義の前では、民間人か教職経験者かなど、まったく考慮する必要がありません。
 実は日本のコミュニティ・スクール制度でも、民間人校長の採用を認める学校教育法施行規則などと組み合わせれば、アメリカのチャーター・スクールと似たような、教育委員会の手から離れた学校を作ることは可能です。現状条文では教育委員会規則などを踏まえる必要があるのですが、実質的に教育委員会の介入を極力排除して、地域住民が運営する「新しい公立学校」を作れる可能性は秘めているわけです。

学校のガバナンス

 ここまで見た校長人事の問題は、専門的な用語で言えば、「ガバナンス」の問題となります。ガバナンスとは「統治」のことです。従来は、公立学校を制御・指導してきたのは教育委員会でした。この教育委員会の影響力を排除し、地域住民が主体的に学校を設立・運営できるような体制を目指すのがコミュニティ・スクールの機能の一つです。十全な意味での「地域による学校」というわけです。
 「地域住民が学校運営を左右するなんて、とんでもない」という印象を持つ校長もいるでしょうが、それはその校長が「教育委員会の方を向いている」からそう思うだけです。どっちみち校長は教育委員会から統治(ガバナンス)されており、自分の意向でやりたい放題できるわけではありません。一方「地域住民の方を向いている」ような校長であれば、むしろ教育委員会の統治から解放されて、自分が理想とする教育が目指せるかもしれません。そしておそらく「地域住民の方を向いている」ような校長は、教育委員会から派遣された校長ではなく、住民と契約を結んだ校長であるはずです。ガバナンス問題の本質は、校長の学校運営を縛るものが「教育委員会の統治」か「地域住民との契約」かというところにあります。
 思い返してみればコミュニティ・スクールの権限の一つに「校長の学校運営の方針を承認する」とありましたが、教育委員会から派遣されてくる校長が作った方針に対して地域住民が「承認」を与えるというのは、よく考えれば不思議な話です。地域住民と契約を結んだ校長が契約に則って基本方針を作り、それを地域住民が確認して「承認」するのなら、話の筋が通ります。
 おそらく、ある程度筋を通そうとしたからでしょう。コミュニティ・スクールには「学校運営に関する意見を教育委員会または校長に述べることができる」という法的権限もあります。本来なら地域住民が校長人事権を握るのが筋であるところ、それができない以上、最低限、学校運営に関する地域の要望を校長に踏まえてもらおうというわけでしょう。まあ地域住民と校長が契約を結んでいるわけではないので、拘束力は格段に低くなりますが。

規制緩和の行方

 しかし既に「コミュニティ・スクールの成果」で確認したとおり、日本で現実に根付きつつあるコミュニティ・スクールは、学校ガバナンスの構造転換に重心を置いたものではなく、ソーシャル・キャピタルの調達に重点を置いて展開してきています。小泉構造改革等で導入された民間人校長なども含め、規制緩和・民間開放路線は、現実には定着しているように見えません。おおむね失敗しています。定着しなかった理由として様々な要因があるでしょうが、要するに日本の現実とは噛み合っていなかったことは間違いないでしょう。
 しかし一方で、日本の現実を根本から変革すべく、教育委員会改革も進行しています。2015年には地教行法が改正され、教育委員長が廃止されて教育長に一本化された上で、首長が参加する「総合教育会議」が設置されました。着々と教育委員会の権限が縮小され、首長局に教育権限が集中しつつあります。教育委員会の権限縮小と首長の権限拡大の行き着く先には、「教育委員会ではなく地域住民がガバナンスの主体となるコミュニティ・スクール」が仄かに見えてきます。校長人事に対して地域住民がどれだけ発言権を持つかが、具体的なポイントになるように思います。

6.コミュニティ・スクールの副作用

 コミュニティ・スクールの役割として「(3)地域のための学校」と書きました。コミュニティ・スクールになれば、地域の発展に貢献できるという理屈でした。本当でしょうか? 実はコミュニティ・スクールが増えることで、むしろ地域が破壊される可能性もあります。それは「学校選択制」と関係してきます。

学校選択制による地域無視

 学校選択制とは、生徒や保護者がどの学校に通うか自由に選べる制度のことです。従来は教育委員会に決められた公立学校に問答無用で行かざるを得ませんでしたが、1997年から学校を選べるような制度も可能になりました。
 しかし自由だからといって、単純に歓迎できるわけではありません。たとえば学校選択制が導入されると、自分の子供が通う学校と隣の家の子供が通う学校が違っているということが普通に起こるわけです。通う学校が違うことによって、子供の育ち方も変わってきます。子供の友達も変わるでしょう。隣の家との会話のネタも少なくなります。地域の連帯感が希薄になっていくことは、容易に想像できるでしょう。学校選択制には、地域の繋がりを断ち切る恐れがあります。

コミュニティ・スクールと学校選択制

 ところがコミュニティ・スクールは、地域と密着した学校として構想されています。学校選択制によって同じ地域の住民がバラバラな学校に通うようでは、地域に密着した学校など実現できるはずがありません。常識的に考えて、コミュニティ・スクール制度と学校選択制は両立するわけがありません。
 しかし現在、文部科学省は学校選択制を推進しながら、同時にコミュニティ・スクールの100%導入を目指しています。どういうことでしょうか?

地域を破壊するコミュニティ・スクール

 実は、地域のことなど一切考えない、むしろ積極的に地域の繋がりを裁ち切り、地域を破壊するような、そういうコミュニティ・スクールの形もありえるのです。現在の日本、特に都市部においては、人々は既に地域から切り離されています。自治会に加入する人々も減っています。利己主義が蔓延した現在においては、自分の子供を学校に入れるとき、「地域の発展のために尽くして欲しい」と願う親よりも、「地域の発展なんかどうでもいい。本人の幸せが一番」と考える親の方が多いかもしれません。そういう利己主義的な親が集まって、自分たちの利益を主張し始め、学校に対して大きな影響力を持った場合のことを想定してみましょう。彼らがコミュニティ・スクール制度を利用して、自分たちの意見を学校運営に押しつけることを想定してみましょう。彼ら利己的な親は、地域のことなどまったく考えず、自分の子供の進学や就職に有利な教育を実現することを優先し、そういう実績が高い校長を採用しようとするに決まっています。そうして一部の利己的な親たちが注文を突きつけた学校は、親の期待に応えて、進学実績だけに注目して受験勉強ばかり熱心な学校になります。コミュニティ・スクールとは地域住民の意向を反映する学校ですから、地域住民が受験勉強推進を熱望したら、そういう学校にならざるを得ないわけです。一方、そういう受験優先教育に乗れない保護者たちは、別の要望を突きつけ、別の学校を作り上げることができます。それはそれで自由ではあるのですが、保護者の主義主張によって地域が分断され、隣に住む子供がまったく異なる学校に通うようになります。高校ならまだしも、小学校や中学校がこういう状態になったら、地域の絆はズタズタに切り裂かれるでしょう。が、自分の子供が受験に成功すればいいという利己的な保護者が増えれば、地域の絆がズタズタになっても、誰も気にしないというわけです。コミュニティ・スクールと学校選択制がセットになると、実は地域を破壊する結果に繋がりやすいわけです。
 現在でも都市部においては、私立小中学校の大発展によって、地域の絆は破壊されつつあります。ただでさえ地域が破壊されているなか、コミュニティ・スクールと学校選択制がセットになると、さらに公立小中学校が分断され、地域の破壊がいっそう進むことになりそうです。しかしこれこそが、「規制緩和・民間開放」論者の望んだことでもあります。「規制緩和・民間開放」論者にとってみれば、地域の絆など破壊されるべき邪魔者に過ぎず、利己主義的な「選択の自由」こそが最大限に尊重されるべきものです。(まあ、彼らは「地域の絆」の代わりに「個人の絆」を尊重しますので、それはそれとして一つの知見ではありますが。)
 そんなわけで、コミュニティ・スクールを導入することによって本当に地域が活性化するかどうかは、特に「学校選択制」との関係で慎重に見極める必要があります。

まとめ

 以上、コミュニティ・スクールの(1)役割(2)制度(3)効果(4)今後(5)副作用について見てきました。いま、学校や教育行政をめぐる制度は急激に変化しつつあります。これまでの学校に関する常識が、これからは通用しなくなってきます。文部科学省が100%の導入を目指す「コミュニティ・スクール」は、教育制度改革の要となる制度です。今後の教育や学校がどうなっていくのか、注目していきましょう。

地方教育行政の改革に関わるできごと
1997年学校選択制開始。
1998年中教審答申「今後の地方教育行政の在り方について」学校の自主性・自律性確立と裁量権拡大を提言。
2000年学校教育法施行規則改正:民間人校長が可能に。
2002年構造改革特別区域法制定:学習指導要領を逸脱する教育課程編成が可能に。
2002年SSHなど、学習指導要領によらない教育課程編成を認める制度開始。
2004年地教行法改正:コミュニティ・スクール(学校運営協議会)制度発足
2008年学校教育法施行規則改正(第55条):教育課程特例校制度。構造改革特別区域研究開発学校設置事業として行われてきたものが文科相の指定により可能に。
2015年地教行法改正:教育委員会改革。総合教育会議設置。
2017年地教行法改正:コミュニティ・スクールの設置を努力義務化。

参考文献

■佐藤晴雄『コミュニティ・スクール―「地域とともにある学校づくり」の実現のために』エイデル研究所、2016年

 コミュニティ・スクールに関する理論・制度・アンケートに基づく現状・新規立ち上げへのアドバイスなど、全方位に渡って参考になります。特に筆者は「ガバナンス」の観点からコミュニティ・スクール導入に踏み切った東京都足立区五反野小学校の実践に関わっており、具体的な仕組みがよく分かります。

■貝ノ瀬滋『図説コミュニティ・スクール入門』一藝社、2017年

 筆者は東京都三鷹市の学校長や教育長としてコミュニティ・スクール立ち上げに深く関わっており、生々しい実践経過がとても参考になります。特に「ソーシャル・キャピタル」の調達に関する具体的な取り組みや、その効果が参考になります。コミュニティ・スクールの実際の成果が気になる人にとっては、大いに参考になるでしょう。

【紹介と感想】佐藤晴雄『コミュニティ・スクール―「地域とともにある学校づくり」の実現のために』

【紹介】コミュニティ・スクールと一口に言っても、その実態は地域と時代によってバラバラです。現代日本のコミュニティ・スクールには二つの源流があります。一つは学校のガバナンスに重点を置いて地方分権を志向する行政的な発想で、教育改革国民会議など規制緩和論者が推進するような、校長の権限を強化するアメリカのチャーター・スクールをモデルにしたものです。もう一つはソーシャル・キャピタルとの連携に重点を置くもので、地域と学校の連携を実践する現場から立ちあがって来たような、カリキュラム論など教育学的な発想から生じた流れです。現在の制度は、この2つの流れが交錯したところで成立しています。本書では東京都足立区の事例を取り上げていますが、こちらは学校のガバナンスを比較的重視した制度設計となっています。
また、本書はアンケート等を利用した統計調査の分析が充実しており、教育委員会や校長の本音が垣間見えるなど、現在のコミュニティ・スクールの実像がよく分かります。
さらに「Q&A」が充実していて、委員会規則の傾向や委員の人数・任期など具体的な方針が分かり、これからコミュニティ・スクールを立ち上げようとする行政関係者や教育関係者にとっても大いに参考になりそうです。

【感想】コミュニティ・スクールの論理、現状と課題、これから立ち上げを考えている人々に向けての指針など、全方位に渡ってコンパクトに分かった気にさせてくれる、よくまとまったいい本だと思った。特に現在のコミュニティ・スクールの制度が、2つの異なる発想が組み合わさってできていることに関しては、とても分かりやすかった。教育改革国民会議で発議された時にはそこそこ過激な規制緩和論だったコミュニティ・スクールが、中央教育審議会の議論を経てそうとう骨抜きになって、現在の形に落ち着いたのだろうことが伺える。規制緩和論者からしたら中教審はさぞかし保守的で頑固な「抵抗勢力」に見えることだろうが、現状の日本社会にチャーター・スクールをそのまま導入したら既存の公立学校どころか地域社会そのものを破壊しかねないことを考えると、まあ、落ち着くべきところに落ち着いた感じはしなくもない。

とはいえ、現在はもの凄い速度で教育行政改革と教育課程改革が進んでおり、この2つがクロスしたところでコミュニティ・スクールが要となって抜本的な大変革に至る可能性はあるだろうと思う。たとえば新学習指導要領で「カリキュラム・マネジメント」が前面に打ち出され、各学校が自律的な教育課程編成を行なうように方向付けがなされたわけだが、現状ではこの教育課程編成の主導権を握るのが校長だとしても、今後は学校運営協議会が積極的に教育課程編成に関与することがあり得るだろう。あるいは学校運営協議会が率先して教育課程編成をリードしていくことを見越して、「学校評価」と一体となった「カリキュラム・マネジメント」が打ち出されたとも見えるわけだ。そしてそれが向かう先には、学校運営協議会が自らの教育方針に従って校長人事(民間人校長含む)を決定づけるような、実質的にはチャーター・スクールとして機能するような制度が見える。そしてその傾向は、本書で示された教員人事に対するアンケートで、校長としては学校運営協議会が人事に介入することに反対の姿勢を示しているのに対し、一方地域の保護者たちは関与することを積極的に望んでいるという事実に垣間見える。地域の保護者たちが望む教員人事の最たるものは、「校長人事」に他ならない。地域の意向で校長人事が左右されることになれば、それは実質的にはチャーター・スクールだ。

現在のところ、地域住民もチャーター・スクール等の制度設計を知らないせいもあるだろう、校長人事に介入しようという動きは表面化していない。現状のコミュニティ・スクールでは穏健な「ソーシャル・キャピタルの調達」という機能が前面に打ち出されている。しかし今後、地域社会の崩壊がより一層進行し、新自由主義的な傾向を示す保護者が増加し、公立中高一貫校が定着し、規制緩和論者がチャーター・スクールの知識の普及に成功するような状況が重なれば、現在のコミュニティ・スクールは容易にチャーター・スクール的なものに変貌するのではないかとも思えてくる。それはそれで時代の趨勢であって抗うものではないのかもしれないが、さてはて。今後のコミュニティ・スクールの行方に対して、教育学者としては着目せざるを得ないのだった。

佐藤晴雄『コミュニティ・スクール―「地域とともにある学校づくり」の実現のために』エイデル研究所、2016年

【紹介と感想】貝ノ瀬滋『図説コミュニティ・スクール入門』

【紹介】著者は東京都三鷹市の教育長として小中一貫システムとコミュニティ・スクールの創設に関わっているので、制度の意義や効果の説明に説得力があります。コミュニティ・スクールの必要性や教育効果の他、「小中一貫教育」との関係、「チーム学校」との関係、「地域学校協働本部」との関係、既存の「学校評議員」制度等との関係、「地方創生」への効果、具体的な人材配置や組織交流の工夫など、広い視野から実践的な話題を扱っています。図表が多く、わかりやすい構成になっています。

【感想】コミュニティ・スクールに関する法律や制度は近年めまぐるしく変化しているわけだが、本書は2018年現在では最新の制度に則って記述されている。既存の制度との関係や違いにも丁寧に触れられていて、コミュニティ・スクールへ移行する道筋も分かりやすい。教員志望者向けというより、教育行政関係者や学校管理職の先生、あるいは社会教育主事など、実践的にコミュニティ・スクールに関わろうとする人には大いに参考になる本だろうと思った。特に東京都三鷹市での実践は、制度導入に反対する教員へ夏休みの間に個別に事前根回しした生々しい話なども含めて、現場で奮闘した人間にしか語れない内容が多く、とても興味深く読める。

とはいえ、不満というか無い物ねだりというか、本書で扱われているコミュニティ・スクールは地域の社会資本を学校運営に活かす組織ではあっても、もともと規制改革論者が導入を主張していたチャーター・スクール(校長のマネジメント権限や人事権を強化した上で地域と民間が契約を結ぶような形態)のように学校ガバナンスの大変革を目指すものではない。コミュニティ・スクールという概念が抱える歴史的な複雑さや規制緩和に絡む利害関係の錯綜ぶりの一端すら記述に見えないことに関しては、多少不安を感じなくもないのだった。ガバナンス形態の検討を置き去りにして無条件的にコミュニティ・スクールを普及させることは、ひょっとしたら、公教育を崩壊させる条件になる可能性すらあるのだ。まあ、本書で紹介されているような地域と密接に結びつきながら社会資本を効果的に調達する形のコミュニティ・スクールであれば、そういう心配はないのではあるが。
それから、誤字や「てにをは」の間違いが多かったので、もうちょっと編集者が頑張ってもいいのかなとは思った。

貝ノ瀬滋『図説コミュニティ・スクール入門』一藝社、2017年