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【要約と感想】セネカ『人生の短さについて』

【要約】無意味に長生きすることに、なんの意味もありません。真に「生きた」と言えるためには、意味のある人生を送らなければなりません。そしてそれは、「死に様」に現われます。だから、つまらない他人に人生を振り回されず、貴重な時間を自分自身のために使うべきです。本当の幸福とは、私が私自身であり続けることにあります。そのためには、自分が「死すべき運命にある」という必然を認識し、受け入れることが肝要です。

※2008年に改訳されましたが、学生のときに買った旧訳で読んでいます。

【感想】事実を積み上げて帰納的に論理を構築していく類の言論ではなく、あらかじめ結論が決まっていて、各事例を演繹的に斬っていくという類の言論だろう。そういう意味では、哲学的な緊張感をさほど感じない本ではある。

 とはいえ、一定程度完成した論理体系の完成度と射程距離を測定するという意味では、充分に機能してもいる。ストア派の論理から導き出される人生観と世界観について、具体的によく分かる本でもある。

 簡単にまとめると、セネカの言う幸福とは「わたしがわたしである」ということに尽きる。だが、これを実践するのはとても難しい。名誉や財産などを追い求めることは、他人のために人生を浪費することであって、わたし自身を失っていく愚かな行為だ。「わたし」とは本質的に「死すべき存在」だ。「死すべき存在」としての在り方を突き詰め、その本質を受け入れることが、平静であるということであり、自由ということであり、「わたしがわたしである」ということだ。その境地に達している人間を賢者と言う。
 なるほど、まあ、ひとつの卓見ではあると思う。だがそれは絶対的に無矛盾なのではなく、「死」という特異点を軸として構築された仮構的に無矛盾な体系ではある。これを受け入れるためには、「死」というものを特異点として無条件に受け入れるだけの覚悟と度量が必要となる。この姿勢を得ることがそもそも「死すべき存在」である人間には極めて難しいわけだが。

【個人的な研究のための備忘録】
 ところでセネカは、「自由」に関して、なかなか興味深い文章を残している。

「しかしソクラテスは市民の中心にあって、時世を嘆いている長老たちを慰め、国家に絶望している人々を勇気づけ、また資財のことを憂慮している金持ち連中には、今さら貪欲の危機を後悔しても遅すぎるといって非難した。さらに、かれを見習わんとする人々には、三十人の首領たちの間に自由に入って行って、偉大なる模範を世の中に示した。にもかかわらず、この人をアテナイ自身が獄中で殺した。僭主たちの群をあざ笑ってもなお安全であったこの人の自由を、自由そのものの力で持ちこたえることはできなかったのである。」pp.81-82

 この文章には、自由のアポリアが示されている。自由を破壊するのは自由である。こういう意味での「自由」は、人間の尊厳をも自由自在に破壊して恥じるところのない新自由主義者たちが掲げる「自由」に相当するものと言える。
 しかし同時に、セネカは以下のようにも言っている。ここで言われている「自由」は、上の新自由主義的な「自由」とはずいぶん違うように読める。

「宇宙の定めの上から堪えねばならないすべてのことは、大きな心をもってこれを甘受しなければならない。われわれに課せられている務めは、死すべき運命に堪え、われわれの力では避けられない出来事に、心を乱されないことに他ならない。我らは支配の下に生まれついている。神に従うことが、すなわち自由なのである。」p.149

 このような「自然を認識し、それに従うことが自由」という自然主義的な「自由」は、近代に入ってからもヘーゲル等の言葉に見ることができるだろう。

 また、「自分自身と一致する」ことに対する徹底的なこだわりも、印象に残るところだ。「個性」概念や「アイデンティティ」概念について考える際に、ストア派的伝統をどの程度考慮に入れるべきか、ひとつの参照軸にできるように思った。

「しかし自分自身のために暇をもてない人間が、他人の横柄さをあえて不満とする資格があろうか。相手は傲慢な顔つきをしていても、かつては君に、君がどんな人であろうとも、目をかけてくれたし、君の言葉に耳を傾けてくれたし、君を側近くに迎え入れてくれたこともある。それなのに君は、かつて一度も自分自身をかえりみ、自分自身に耳を貸そうとはしなかった。だから、このような義務を誰にでも負わす理由はない。たとえ君がこの義務を果たしたときでも、君は他人と一緒にいたくなかったろうし、といって君自身と一緒にいることもできなかったろうから。」p.13
「ルクレティウスが言うように、誰でも彼でもこんなふうに、いつも自分自身から逃げようとするのである。しかしながら、自分自身から逃げ出さないならば、何の益があろうか。人は自分自身に付き従い、最も厄介な仲間のように自分自身の重荷となる。それゆえわれわれは知らねばならない――われわれが苦しむのは環境が悪いのではなく、われわれ自身が悪いのである。」p.74

 ルクレティウスを引用していることからも分かるように、ストア派といいつつも、けっこうエピクロス派の論理に親和的でもある。
 ちなみにセネカがこのように「自分自身」との関係性にこだわるのは、「理性」と「神」との類似性に由来すると思われる。

「理性は感覚に刺激され、そこから第一の原理を捕えようとしながら――つまり、理性が努力したり真理に向かって突進を始める根拠は、第一の原理以外にはないからであるが――そうしながら、外的なものを求めるがよい。しかし理性は再び自らのなかに立ち帰らねばならない。なぜというに、万物を抱きかかえる世界であり宇宙の支配者である神もまた、外的なものに向かって進みはするが、それにもかかわらず、あらゆる方向から内部に向かって自らのなかに立ち戻るからである。われわれの心も、これと同じことをしなければならぬ。心が自らの感覚に従い、その感覚を通して自らを外的なものに伸ばしたとき、心は、感覚をも自らをも共に支配する力を得ることになる。このようにして、統一した力、すなわちそれ自らと調和した能力が作り出されるであろう。そして、かの確実な理性、つまり意見においても理解においても信念においても、不一致も躊躇もない理性が生まれるであろう。この理性は、ひとたび自らを整え、自らの各部分と協調し、いわば各部分と合唱するようになれば、すでに最高の善に触れたのである。(中略)。それゆえ大胆にこう宣言してよい――最大の善は心の調和である――と。」p.136

 このような「再帰的な理性」という存在の在り方が、動物など他の存在にはありえない人間独自の在り方であり、人間と神との相同性を主張する理論的根拠ともなる。
 セネカの文章では、この「再帰的」な在り方の記述は徹底せず、論理がすべって一目散に「調和」のほうに流れている。このあたり、いったん自分の外部に出て、再び自分に返るという理性の運動については、ヘーゲル『精神現象学』が執拗に記述することになるかもしれない。そのときは、セネカが言うような「調和」ではなく、矛盾と闘争の果ての総合が問題となるだろうけれども。

 ところで、我が日本にもセネカと同じようなことを言っている先哲がいたことは記憶されて良いかもしれない。江戸時代初期の福岡の朱子学者・貝原益軒は次のように言っている。

「かくみじかき此世なれば、無用の事をなして時日をうしなひ。或いたづらになす事なくて、此世くれなん事をしむべし。つねに時日をしみ益ある事をなし、善をする事を楽しみてすぐさんこそ、世にいけらんかひあるべけれ。」貝原益軒『楽訓』巻上

 あるいは両者を比較して、セネカが「死」を思ってとかく悲観的なのに対し、益軒が「楽」を思ってとても楽観的なことについては、考えてみると面白いかもしれない。

セネカ『人生の短さについて』茂手木元蔵訳、岩波文庫、1980年

【要約と感想】ルクレーティウス『物の本質について』

【要約】神など持ち出すまでもなく、世界を説明することは可能です。雷だろうが、地震だろうが、日食だろうが、なんだろうが、すべて「原子」の振る舞いによって合理的に説明することができます。そうやって神様抜きで物事の本質を捉えれば、迷信から抜けだし、不安が消えてなくなり、平穏で幸福に暮らすことができます。

【感想】エピクロスの教説を、ほぼそのままなぞっている。原子説や、自由意思の発生の根拠や、気象地質学に関する見解や、幸福と倫理に関わる議論や、社会契約論など、基本的にエピクロスからの逸脱は見られない。

 顕著な特徴を挙げるとすれば、繰り返し強調される「宗教」への敵意だろうか。ルクレーティウスによれば、この世の不幸の原因は全て宗教(あるいは宗教による迷信)にある。雷や地震などの自然現象を徹底的に合理的に解釈するのは、宗教による迷信を取り払うためだ。
 とはいえ、彼の自然科学的な説明は、現在の科学水準からすると、思わず笑ってしまうほどトンチンカンではある。が、故に、真空中での物体の落下速度は等しいとか、可算無限の等質性とか、エネルギー保存法則への言及があるところには、けっこう驚く。

【要確認事項】
 個人的に気になったのは、全体的な論調がルソーを思い起こさせるところだ。特に似ているのは、(1)自然科学に対する素朴な信奉、(2)人間の自然状態を根拠とした社会契約論にある。

(1)自然科学の知識に関しては、もちろんルソーの水準はルクレーティウスを遙かに上回ってはいる。また、ルソーは物理学というよりも普遍的な数学理論の方をより本質的なものと見ているようではある。とはいえ、自然科学的な知識を土台として世界を合理的に見ていこうとする姿勢は、極めてよく似ているように思う。

(2)そしてそれ以上に気になるのは、自然状態を根拠とした社会契約論がよく似ていることだ。特に本書の議論は、要所要所でルソー『人間不平等起源論』を直ちに思い起こさせるような言い回しに溢れている。ルソーがエピクロスやルクレーティウスからどの程度の影響をうけているのか、専門家でない私には今のところ見当がつくわけはないが、素人でも明らかに気がつく類似であることは、メモしておきたい。

 その上で、ルソーとの決定的な違いは、ルソーがそれでも最後には神の存在を認めている点と、社会契約論を単なる現状説明で終わらせずに理想の社会を描いている点にあるように思う。

【今後の研究のための備忘録】社会契約説
 本書に見られる社会契約説的な議論は、単にスローガンを掲げるだけのエピクロス教説とは異なり、人間の自然状態の記述から説き起こしており、近代の社会契約説を直ちに想起させるものとなっている。(ちなみにエピクロス本人も、今はすでに失われてしまった書物のなかで社会契約論を詳細に展開していた可能性は高そうだ)

「彼らには共同の幸福ということは考えてみることができず、又彼ら相互間に何ら習慣とか法律などを行なう術も知ってはいなかった。運命が各自に与えてくれる賜物があれば、これを持ち去り、誰しも自分勝手に自分を強くすることと、自分の生きることだけしか知らなかった。又、愛も愛する者同志を森の中で結合させていたが、これは相互間の欲望が女性を引きよせた為か、あるいは男性の強力な力か、旺盛な欲望か、ないしは樫の実とか、岩梨とか、選り抜きの梨だとかの報酬がひきつけた為であった。」958-987行

「次いで、小屋や皮や火を使うようになり、男と結ばれた女が一つの(住居に)引込むようになり、(二人で共にする寝床の掟が)知られてきて、二人の間から子供が生れるのを見るに至ってから、人類は初めて温和になり始めた。なぜならば、火は彼らにもはや青空の下では体が冷え、寒さに堪えられないようにしてしまったし、性生活は力を弱らしてしまい、子供達は甘えることによってたやすく両親の己惚れの強い心を和げるようになって来たからである。やがて又、隣人達は互いに他を害し合わないことを願い、暴力を受けることのないよう希望して、友誼を結び始め、声と身振りと吃る舌とで、誰でも皆弱者をいたわるべきであると云う意味を表わして、子供達や女達の保護を託すようになった。とはいえ、和合が完全には生じ得る筈はなかったが、然し大部分、大多数の者は約束を清く守っていた。もしそうでなかったとしたならば、人類はその頃既に全く絶滅してしまったであろうし、子孫が人類の存続を保つことが不可能となっていたであろう。」1011-1027行

【2022.8.18追記】ルネサンス期への影響
 ルネサンス期の人文主義(フマニスム)を勉強していて、このルクレティウス(およびそれを通じたエピクロス主義)が想像以上に大きな支持を受けていることを認識した。たとえばロレンツォ・ヴァッラ(『快楽について』)、テレジオ、パトリーツィなどがルクレティウスに好意的に言及している。また内容的にはルクレティウスを非難するピコ・デラ・ミランドッラも、雄弁的な観点からはルクレティウスを評価していたりする。実は感心していたのではないか。はたしてルネサンス期にルクレティウスが復活することを通じて、後の自然科学や社会契約説勃興への道ならしが行なわれたなんてことはあるかどうか。

ルクレーティウス『物の本質について』樋口勝彦訳、岩波文庫、1961年

【要約と感想】プロチノス『善なるもの一なるもの』

【要約】「存在」とは要するに「ひとつ」であることです。「ひとつ」とは、「知性」や「精神」や、あるいは「万有」といったものよりも先の何かです。われわれはその「ひとつ」と一体になることによってのみ、本当に存在し、幸福になることができます。しかしその有り様は言葉によって説明することがそもそも不可能な事態であって、実際に経験するしかありません。
ただし、どうして「一」から「多」が生じたのか、という問題に答えるのはとても難しいです。

【感想】プラトンが対話編で具体的に展開した議論を、筋道立てて抽象的な論理にまとめるとこうなるという、新プラトン主義の精髄のような論文だ。そして新プラトン主義の「存在」に対する議論は、キリスト教神学を経由して、近代西洋哲学の土台になっていく。これこそ「同一性の哲学」の核心だ。たとえば、ここに描かれた「一から多への運動」は、そのエッセンスをヘーゲル精神現象学もパクっているんじゃないかと思えたりするし、自己へ還る「ひとつ」という主体の様式の議論は、そっくりそのまま実存主義と重なる。極めて重要な霊感がたっぷり詰まっている論文であるように思う。

一方、訳者の翻訳の仕方にも関わってくるとは思うのだが、とても東洋的なセンスを感じる論文でもある。言葉では伝えられずに経験によって伝授するしかない真実の在り方に関しては禅が言う「不立文字」をどうしても想起せざるを得ないし、あるいは現実の物質的世界を解脱して「ひとつ」と精神的に一体化するという展望は、そのまま仏教の教えと重なる。神と一体化するというよりも歓喜のうちに神自体になるという論理には、東洋的なセンスを感じざるを得ない。

とはいえやはり、最終的には本書は「同一性」の哲学であって、東洋の「空」の思想とは決定的に異なる。この「同」と「異」をどう捉えるかは、西田幾多郎的な課題となる。

【この本は眼鏡論にも使える】
「一と二の関係」を原理的に考察する本書の論理は、もちろん眼鏡論にも多大な霊感を与える。なぜなら、「眼鏡っ娘は一」であるのに「眼鏡と娘は二」という根本的な絶望に対し、論理的な光明を与えてくれるからだ。

「かくて、見るものは見られたものと相対して二つになっていたのではなくて、見られたものと自分で直接に一つになっていたのであるから、相手は見られた者というよりは、むしろ自分と一つになっているものというべきであったろう。」47頁

プロチノスのいう「見るもの」と「見られたもの」との対立は、まさに眼鏡という視線を制御するアイテムが「媒介」するものにふさわしい論理構成と言える。

「ところで、これらの各は一つずつの知性であり、存在なのであるが、これらを合わせた全体は、知性の全体であり、存在の全体なのであって、その場合知性は直知することによって、存在を存立せしめ、存在は直知されることによって、知性にその有様を与え、直知することを得させているのである。とはいえ、直知の原因となるものは別にあるのであって、それはまた存在に対しても原因になっている。つまり両者に対して同時に原因となるものが別にあるのである。というのは、両者は同時に、しかもいっしょにあって、互いに見棄てることのない関係にあるけれども、この知性と存在のいっしょになっている一者は二者なのである。すなわち知性は直知する作用に即してあり、存在は直知されるものの側にある。これはすなわち、異の対立がなければ、直知は成り立たないであろうということなのである」63-64頁

この文章の解釈は困難ではあるが、眼鏡について語っていることは間違いない。「知性=眼鏡」と「存在=娘」を同時に成り立たせる原因である「別のもの=眼鏡っ娘」ということだろうか。さらに研究を深めなければならない。

プロチノス『善なるもの一なるもの』田中美知太郎訳、岩波文庫、1961年

【要約と感想】テオプラストス『人さまざま』

【要約】ギリシアでは気候も環境も教育も一緒のはずなのに、なぜか人々の性格が違ってしまいます。その現象に興味を持ち、様々な性格の特徴について書き記しました。
この本には、噂好きとか恥知らずなど、特に真似すべきでない人々の事例が集まっています。

【感想】著者は、アリストテレスの同僚で友人。アリストテレスも『弁論術』で人々の性格の相違について論じており、本書もそれに通じる。人々の性格が異なる現象に対して、昔から多大な興味関心が寄せられることを確認できるという点だけでも、本書の存在意義は大きいように思う。
ただしアリストテレスが比較的体系的に人間の性格を論じているのに対し、本書には体系性をまったく感じない。おもいつくままに様々な性格が列挙されているだけのように思える。
まあ、2300年も前の異国の人間たちについて書いているにも関わらず、現代日本人の私にも思い当たることが多く、なかなか興味深く読める。細かいギャグも多く、さくっと楽しみながら読める。

【備忘録】
「無駄口」について語る個所では、「今の人間は昔の人間よりも悪い」という例のアレを見ることができる。こういう話題は下劣な人間が口にするものだということが示されている好例。

▼無駄口
「さてそこで、いよいよ話に身がはいってくると、しゃべりつづける。近頃の人間は、ひと昔前のものより、相当たちがわるいですね、とか」p.21

テオプラストス『人さまざま』森進一訳、岩波文庫、1982年

【要約と感想】ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』

【要約】ギリシアの哲学者たちの経歴や思想内容を解説するものの、作者がいちばん興味を持って記録しているのはゴシップ的な雑知識だったりする。特に死に様を茶化して、おもしろおかしく書いていたりする。

【感想】哲学的な内容としては確かにショボイのだけれども、それでも本書が貴重な史料であることには変わりない。哲学内容に関しても、ほんとうに分かっているのかな?と不安になるところもあれば(特に哲学的対話法のあたり)、ストア派とエピクロス派の違いなど、よく分かるように描かれているところもある。

あるいは、哲学者の並び方自体に思想史的な背景を伺うこともできる。筆者はギリシア哲学者を、イオニア系とイタリア系と、大きく二つの系列に分けている。そしてイオニア系の始祖がタレスで、イタリア系の始祖がピュタゴラスだ。
そしてイオニア系は、タレスからソクラテスとプラトンを経て、アカデメイア派(正当プラトン流)、ペリパトス派(アリストテレス)、キュニコス派(アンティステネス)、さらにストア派へと展開する。
一方のイタリア系は、デモクリトスへと発展する一方、パルメニデスやエピカルモスでプラトンと合流したりする。
こういうふうに現在の常識となっている一連の哲学史的なストーリーは、既に本書に明確に現われている。そう考えると、人物の並び方自体に一つの知見が現われていると言えるわけだ。

またあるいは、哲学的な内容を離れ、哲学者たちのゴシップ集として興味本位に読むのも、けっこうおもしろいかもしれない。特に笑えるのは、飄々としたアリスティッポスの俗物ぶりや、樽のディオゲネスの風変わりなキャラクター描写だ。作者も、笑わそうとして、おもしろおかしく書いているように思える。

また、ちょっとした描写に、当時の価値観を垣間見ることができるのは、興味深いかもしれない。たとえば「子供」や「教育」に関する見解がそこかしこに現われていて、それぞれとてもおもしろい。(とはいえ、ギリシア語原典で読まないと言葉のニュアンスをしっかり理解できないので、翻訳文のみで早合点するのは迂闊であろうが。)

以下、気になったトピックを備忘録的に記録しておく。だいたい、みんな、素直じゃない。ひねくれた言葉が残っている。

【結婚について】
古代から結婚が人生の一大事であったことが、よく分かる。おおむね、ひねくれている。

■タレス
「彼の母親が彼をむりやりに結婚させようとしたとき、「まだその時期ではない」と彼は答えたが、その後、年頃をすぎてから、母親がもう一度つよく促すと、「もはやその時期ではない」と答えたということである。」上31頁

■ピッタコス
「あの子たちに見ならいなさい」とピッタコスは言った。そこでその男は子供たちのところに近づいた。
すると子供たちは、「お前のところにあるのを追いかけろ」と言っていた。
その男はこれを聞くと、子供たちの言葉に暗示されて、家柄の高い方から娘をもらうのを控えた。
ところで、あの者が身分の低い方の花嫁を家に迎え入れたように、
そのように君も、ディオンよ、君自身のところにあるものを追いかけるようにせよ。
ピッタコスのこの忠告は、彼自身の事情にもとづくものであったように思われる。というのも、彼の妻はペンティロスの子のドラコンの妹だったので、彼よりも生まれがよかったために、彼に対してたいへん横柄だったからである。」上74-75頁

■ソクラテス
「結婚したほうがよいでしょうか、それとも、しないほうがよいでしょうかと訊ねられたとき、「どちらにしても、君は後悔するだろう」と彼は答えた。」上144頁

■ビオン
「結婚したものかどうかと相談を受けたときには――というのも、この話はビオンにも帰せられているからであるが――彼の答は、「君の結婚相手が醜い女なら、君は代償を支払うことになろうし、また美しい女なら、君だけのものというわけにはいかないだろう」というのであった。」上375頁

■アンティステネス
「どんな女と結婚したらよいだろうかと訊ねた人に対しては、「美しい女なら、それは君がひとり占めすることのできないもの(コイネー)となろうし、また醜い女なら、高い代価のつくもの(ポイネー)になろう」と彼は答えた。」中111頁
「賢者は結婚するだろうが、それは子供を産むためであり、そしてそのためには、最も育ちのよい女と一緒になるであろう。
さらにまた、賢者は恋もするであろう。なぜなら、賢者だけがどのような人たちを愛すべきかを知っているからである。」中117頁

■ディオゲネス
「どのような年頃に結婚すべきでしょうかと訊ねられたとき、彼は答えた、「青年はまだその年ではないし、老人はもうその年ではない」と。」中154頁

【教育について】
既に様々な立場から教育について論じられていたことが分かる。

■キロン
「教育のある者は無教育な者とどの点で異なるかと訊かれたときに、「よい望みがあるという点でだ」と彼は答えた。」上66頁

■クレオブゥロス
「彼はまた、ひとは自分の娘たちを、年齢の上では少女として、しかし思慮の点では女として嫁がせねばならないと言った。こうして、少女たちにも(少年たちと同様に)教育の必要があることを示したのである。」上84頁

■アリスティッポス
「教育を受けた者と無教育の者とはどの点でちがうかと訊ねられたとき、「それは調教された馬が調教されていない馬とちがうのと同じ点においてだ」と彼は答えた。」上174頁
「アリスティッポスは、立派な子供たちが学ぶべきことは何かと訊ねられたとき、「かれらが大人になったときに使うはずのことだ」と答えた。」上182頁

■アリストテレス
「彼はまた、「教育の根は辛いが、その果実は甘い」と言った。」中26頁
「教育を受けた人は無教育の人とどの点で異なるかと訊かれたとき、「生きている人が死んだ人と異なっているのと同じ程度にだ」と彼は答えた。」中27頁
「子供たちを教育した親のほうが、ただ産んだだけの親よりもいっそう尊敬されるべきである。なぜなら、後者は、生きることをもたらしただけであるが、前者は、立派に生きることをもたらしたのだから」中27頁

■樽のディオゲネス
「エウブゥロスが『ディオゲネスの売却』という表題の書物のなかで述べているところによると、彼は(主人の)クセニアデスの息子たちを、次のような仕方で教育したということである。すなわち彼は、他の学業をすませると、乗馬、弓引き、石投げ、槍投げの指導をしたし、またその後、息子たちが相撲場へ通うようになってからは、彼は体育教師に対して、競技選手向きの訓練を施すことを許さないで、ただ血色をよくし、身体を好調に保つことになるだけの訓練を行なわせたのであった。
また、その息子たちは、詩人や散文作家や、さらにはディオゲネス自身の書物のなかからも数多くの章句を覚えさせられたし、そして学んだことを記憶にとどめやすくするための早道となるありとあらゆる方法も練習させられたのであった。また家にあっては、彼らは身の廻りのことは自分で始末をし、粗食に甘んじ、水を飲んですますように彼はしつけた。さらに、髪は短く刈らせて飾りものはつけぬようにさせたし、また道中では、下着をつけず、靴もはかず、口はつぐんだままで、あたりをきょろきょろ見廻すこともないようにさせた。その上また、彼らを狩りにも連れて行ったのだった。」中135-136頁

▼ゼノン
「ところで、ある人たちは――そのなかには懐疑派のカッシオスとその弟子たちも含まれているが――多くの点にわたって、ゼノンを糾弾している。すなわち、かれらが非難しているのは、まず第一に、『国家』の初めのところで、彼が一般教育は無用であるという考えを表明している点である。」中232頁

そして、以下の引用は学校にまつわる話だが、とても酷い。今も昔もそんなに変わらないということか、どうか。

■ゼノン
「少年好きの一人の男に向かって、彼はこう言った。学校の先生たちだって、いつも少年たちの間で過していると、分別を失うものだが、あの連中だってそれは同じことだと。」中219頁

ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝(上)』岩波文庫、1984年
ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝(中)』岩波文庫、1989年
ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝(下)』岩波文庫、1994年