【要約と感想】ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』

【要約】ギリシアの哲学者たちの経歴や思想内容を解説するものの、作者がいちばん興味を持って記録しているのはゴシップ的な雑知識だったりする。特に死に様を茶化して、おもしろおかしく書いていたりする。

【感想】哲学的な内容としては確かにショボイのだけれども、それでも本書が貴重な史料であることには変わりない。哲学内容に関しても、ほんとうに分かっているのかな?と不安になるところもあれば(特に哲学的対話法のあたり)、ストア派とエピクロス派の違いなど、よく分かるように描かれているところもある。

あるいは、哲学者の並び方自体に思想史的な背景を伺うこともできる。筆者はギリシア哲学者を、イオニア系とイタリア系と、大きく二つの系列に分けている。そしてイオニア系の始祖がタレスで、イタリア系の始祖がピュタゴラスだ。
そしてイオニア系は、タレスからソクラテスとプラトンを経て、アカデメイア派(正当プラトン流)、ペリパトス派(アリストテレス)、キュニコス派(アンティステネス)、さらにストア派へと展開する。
一方のイタリア系は、デモクリトスへと発展する一方、パルメニデスやエピカルモスでプラトンと合流したりする。
こういうふうに現在の常識となっている一連の哲学史的なストーリーは、既に本書に明確に現われている。そう考えると、人物の並び方自体に一つの知見が現われていると言えるわけだ。

またあるいは、哲学的な内容を離れ、哲学者たちのゴシップ集として興味本位に読むのも、けっこうおもしろいかもしれない。特に笑えるのは、飄々としたアリスティッポスの俗物ぶりや、樽のディオゲネスの風変わりなキャラクター描写だ。作者も、笑わそうとして、おもしろおかしく書いているように思える。

また、ちょっとした描写に、当時の価値観を垣間見ることができるのは、興味深いかもしれない。たとえば「子供」や「教育」に関する見解がそこかしこに現われていて、それぞれとてもおもしろい。(とはいえ、ギリシア語原典で読まないと言葉のニュアンスをしっかり理解できないので、翻訳文のみで早合点するのは迂闊であろうが。)

以下、気になったトピックを備忘録的に記録しておく。だいたい、みんな、素直じゃない。ひねくれた言葉が残っている。

【結婚について】
古代から結婚が人生の一大事であったことが、よく分かる。おおむね、ひねくれている。

■タレス
「彼の母親が彼をむりやりに結婚させようとしたとき、「まだその時期ではない」と彼は答えたが、その後、年頃をすぎてから、母親がもう一度つよく促すと、「もはやその時期ではない」と答えたということである。」上31頁

■ピッタコス
「あの子たちに見ならいなさい」とピッタコスは言った。そこでその男は子供たちのところに近づいた。
すると子供たちは、「お前のところにあるのを追いかけろ」と言っていた。
その男はこれを聞くと、子供たちの言葉に暗示されて、家柄の高い方から娘をもらうのを控えた。
ところで、あの者が身分の低い方の花嫁を家に迎え入れたように、
そのように君も、ディオンよ、君自身のところにあるものを追いかけるようにせよ。
ピッタコスのこの忠告は、彼自身の事情にもとづくものであったように思われる。というのも、彼の妻はペンティロスの子のドラコンの妹だったので、彼よりも生まれがよかったために、彼に対してたいへん横柄だったからである。」上74-75頁

■ソクラテス
「結婚したほうがよいでしょうか、それとも、しないほうがよいでしょうかと訊ねられたとき、「どちらにしても、君は後悔するだろう」と彼は答えた。」上144頁

■ビオン
「結婚したものかどうかと相談を受けたときには――というのも、この話はビオンにも帰せられているからであるが――彼の答は、「君の結婚相手が醜い女なら、君は代償を支払うことになろうし、また美しい女なら、君だけのものというわけにはいかないだろう」というのであった。」上375頁

■アンティステネス
「どんな女と結婚したらよいだろうかと訊ねた人に対しては、「美しい女なら、それは君がひとり占めすることのできないもの(コイネー)となろうし、また醜い女なら、高い代価のつくもの(ポイネー)になろう」と彼は答えた。」中111頁
「賢者は結婚するだろうが、それは子供を産むためであり、そしてそのためには、最も育ちのよい女と一緒になるであろう。
さらにまた、賢者は恋もするであろう。なぜなら、賢者だけがどのような人たちを愛すべきかを知っているからである。」中117頁

■ディオゲネス
「どのような年頃に結婚すべきでしょうかと訊ねられたとき、彼は答えた、「青年はまだその年ではないし、老人はもうその年ではない」と。」中154頁

【教育について】
既に様々な立場から教育について論じられていたことが分かる。

■キロン
「教育のある者は無教育な者とどの点で異なるかと訊かれたときに、「よい望みがあるという点でだ」と彼は答えた。」上66頁

■クレオブゥロス
「彼はまた、ひとは自分の娘たちを、年齢の上では少女として、しかし思慮の点では女として嫁がせねばならないと言った。こうして、少女たちにも(少年たちと同様に)教育の必要があることを示したのである。」上84頁

■アリスティッポス
「教育を受けた者と無教育の者とはどの点でちがうかと訊ねられたとき、「それは調教された馬が調教されていない馬とちがうのと同じ点においてだ」と彼は答えた。」上174頁
「アリスティッポスは、立派な子供たちが学ぶべきことは何かと訊ねられたとき、「かれらが大人になったときに使うはずのことだ」と答えた。」上182頁

■アリストテレス
「彼はまた、「教育の根は辛いが、その果実は甘い」と言った。」中26頁
「教育を受けた人は無教育の人とどの点で異なるかと訊かれたとき、「生きている人が死んだ人と異なっているのと同じ程度にだ」と彼は答えた。」中27頁
「子供たちを教育した親のほうが、ただ産んだだけの親よりもいっそう尊敬されるべきである。なぜなら、後者は、生きることをもたらしただけであるが、前者は、立派に生きることをもたらしたのだから」中27頁

■樽のディオゲネス
「エウブゥロスが『ディオゲネスの売却』という表題の書物のなかで述べているところによると、彼は(主人の)クセニアデスの息子たちを、次のような仕方で教育したということである。すなわち彼は、他の学業をすませると、乗馬、弓引き、石投げ、槍投げの指導をしたし、またその後、息子たちが相撲場へ通うようになってからは、彼は体育教師に対して、競技選手向きの訓練を施すことを許さないで、ただ血色をよくし、身体を好調に保つことになるだけの訓練を行なわせたのであった。
また、その息子たちは、詩人や散文作家や、さらにはディオゲネス自身の書物のなかからも数多くの章句を覚えさせられたし、そして学んだことを記憶にとどめやすくするための早道となるありとあらゆる方法も練習させられたのであった。また家にあっては、彼らは身の廻りのことは自分で始末をし、粗食に甘んじ、水を飲んですますように彼はしつけた。さらに、髪は短く刈らせて飾りものはつけぬようにさせたし、また道中では、下着をつけず、靴もはかず、口はつぐんだままで、あたりをきょろきょろ見廻すこともないようにさせた。その上また、彼らを狩りにも連れて行ったのだった。」中135-136頁

▼ゼノン
「ところで、ある人たちは――そのなかには懐疑派のカッシオスとその弟子たちも含まれているが――多くの点にわたって、ゼノンを糾弾している。すなわち、かれらが非難しているのは、まず第一に、『国家』の初めのところで、彼が一般教育は無用であるという考えを表明している点である。」中232頁

そして、以下の引用は学校にまつわる話だが、とても酷い。今も昔もそんなに変わらないということか、どうか。

■ゼノン
「少年好きの一人の男に向かって、彼はこう言った。学校の先生たちだって、いつも少年たちの間で過していると、分別を失うものだが、あの連中だってそれは同じことだと。」中219頁

ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝(上)』岩波文庫、1984年
ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝(中)』岩波文庫、1989年
ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝(下)』岩波文庫、1994年