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教育概論Ⅰ(中高)-7

栄養・環教 5/31
語学・心カ・教福・服美・表現 6/1

前回のおさらい

・コメニウスの教育思想。
・市民革命の経緯と理屈。人格の完成を目指す教育。

今回の目標

・自由とルールの関係について理解し、モラトリアムという言葉の意味を理解しよう!
・カントの教育思想を知ろう!
・憲法の役割と存在意義を再確認しよう!

自由とルール

・個人主義(ワガママで自分勝手=みせかけの自由:自然権)から個人主義(自主・自律=ほんものの自由:自然法)へ。資本主義(経済原理)に民主主義(政治原理)を追加します。
・教育とは、自由でないようなもの(子ども)を、自由にする(大人)ための営みです。
・子供は不自由で、大人が自由? →子供は生理現象に無条件に従わざるを得ませんが、大人は同じ生理現象に対しても様々な選択肢を持っています。
・モノは物理法則(生理現象)に従わざるを得ませんが、人格を持つ者は自分でルールを作ってそれに従うことができます。
立法能力:自分でルールを作って、自分で守ることができるような力のことです。他人の作ったルールに従う(他律)のではなく、自らの意志でルールに従う(自律)ことができる力のことです。

カント Immanuel Kant

・1724年~1804年。ドイツ出身。
・著書『教育学講義』『純粋理性批判』『実践理性批判』
・名言「人間は教育によってのみ人間となる。」「人間は教育されなければならない唯一の被造物である。

理性

*理性:人間だけが持っている(つまり他の動植物は持っていない)であろう、ルール(法則)を発見する力です。カントによれば、モノについてのルールを発見する力(純粋理性)と、人格についてのルールを発見する力(実践理性)は、別のものです。
*科学(純粋理性):モノに関するルール(法則)を発見し、利用する手続きのことです。個物の観察から普遍的ルールの洞察に至ります。
*法と道徳(実践理性):人格に関するルールを発見し、従います。
→人間に固有の「理性」を育むことが、「人格の完成」への第一歩です。

モラトリアム

モラトリアム:執行猶予。労働や義務や責任から免除されている期間を意味します。責任を追及されず、失敗が許される代わりに、自分でルールを作ることは許されず、大人から管理・拘束され、理性を獲得するために、指導・教化を受けなければなりません。
現代では、思春期・青年期が拡張して、大人と子供の距離が広ががり、モラトリアム期間が延びたといわれています。

小テスト

憲法と教育の自由

・人間の権利と自由を保障するために、憲法というものが存在しています。

思考実験:法律を破ったことはありますか?

・市民は、リーダーが作った法律は従う義務があります。法律を破ったときには、ペナルティが課されます。
・法律は、それぞれの市民が平和かつ幸福に暮らすことができるよう、選ばれたリーダーによって定められます。
・市民は、法律を破ることはできますが、憲法を破ることはできません。法律と憲法は、どこがどう違っているのでしょうか?
・そもそも憲法を守る義務があるのは誰でしょうか?→日本国憲法第99条。
・憲法は市民に何を期待しているのでしょうか?→日本国憲法第97条と第98条。

『日本国憲法』第十章 最高法規
〔基本的人権の由来特質〕
第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

〔憲法の最高性と条約及び国際法規の遵守〕
第九十八条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

〔憲法尊重擁護の義務〕
第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

基本的人権

基本的人権:誰がリーダーになったとしても、絶対に人々から奪うことができない生まれながらの人間の権利です。性別や身分や才能などの特殊性に関係なく、あらゆる人が平等に持っている普遍的なものです。*確認:多数の専制の怖さ。
自由権:国家が侵害することができない、個人が持つ権利です。「国家からの自由」のことです。具体的には、身体の自由、財産の自由、居住の自由、職業選択の自由、教育の自由などなどがあります。
教育の自由:自分の子供をどのように教育するかは、国家から関与されることではありません。←信仰の自由:どのような思想信条を持つかについて、国家が個人に命令することはできません。

教育基本法と日本国憲法

・教育基本法は、1947年に日本国憲法と一体のものとして制定され、準憲法的性格を持つと考えられています。→つまり、教育基本法を守らなければいけないのはリーダーの側であって、一般国民は守らせる側ということになります。

近代西洋(17~18世紀)の教育思想

・神に与えられた人間固有の理性を育もうという姿勢や、私教育を重視して学校を軽視する態度が共通しています。

ロック John Locke

・市民革命、経験主義。
・1632年~1704年。イングランド出身。
・主著『市民政府論』(政治思想)、『人間悟性論』(認識論)、『教育論』あるいは『教育に関する一考察』(教育思想:翻訳が異なるだけです)
・キャッチフレーズ:紳士教育タブラ・ラサ(白紙説)
・名言:健全なる精神は健全なる身体に宿る。←まず体育(食物、睡眠、居住環境など)の重要性を強調しました。
・身分制を反映した古い教育を否定して、新しい市民社会を担う紳士(ジェントルマン)を作ることを目指す教育です。自発性を重視して詰め込み教育を否定し、大人になってから役に立つ習慣形成を重く見ました。

ルソー Jean-Jacques Rousseau

・市民革命、ロマン主義。
・1712年~1778年。ジュネーヴ出身。
・主著『社会契約論』(政治思想)、『人間不平等起源論』(政治思想)、『新エロイーズ』(恋愛小説)、『エミール』(教育思想)
・キャッチフレーズ:子どもの発見消極教育
・名言:万物を創る者の手を離れるときはすべてよいものであるが、人間の手に移るとすべてが悪くなる
・子供期の独自性を初めて主張しました。消極教育とは、書物による早期教育をいましめ、まず自然による教育(たとえば感覚の訓練など)を重視する姿勢を指します。また、思春期や青年期の持つ独特の意義について意識を向けたのも大きな特徴です。

復習

・「自由」とは何か、自分なりに深めておこう。
・「憲法」の役割と意義について、しっかり理解しよう。

予習

・「人格」「個性」「アイデンティティ」「自己実現」という言葉について調べよう。

発展的な学習の参考

ジョン・ロック『教育に関する考察』:新しい時代にふさわしい紳士教育の形が示されています。
ジャン・ジャック・ルソー『エミール』:普遍的な「人間」をつくるという、まったく新しい教育の姿が描かれています。

教育原論(保育)-7

短大保育科 5/30・6/1

前回のおさらい

・ヨーロッパが強くなった経緯=大航海時代・宗教改革・ルネサンス←印刷術

今回の目標

・コメニウスの教育思想を知ろう!
・市民革命の経緯と理屈を踏まえて、「人格の完成」を目指すようになった理由を理解しよう!

リテラシーと学校の広がり

・印刷術の発明によって進んだのは、「知識の民主化」でした。それまで「知識」は王様や貴族や僧侶が独占するものでしたが、書物によって一般民衆がアクセス可能なものに変わりました。
・それまでは「身分」によって人生が固定していましたが、これからは「知識」によって人生が変わるようになります。
・人々は書物を通じて知識にアクセスするため、リテラシーを獲得しようとします。学校が自然に増加していきます。

*現代の知識の民主化:インターネットの普及によって「知識」を簡単に入手できるようになり、それまで「知識」を一方的に独占・発信していた学校や報道機関に対する不信感が高まります。
→もちろん16世紀ヨーロッパでも、新しい知識を獲得した人々は、それまで知識(そして権威)を独占していた王様・貴族や僧侶に対する不信感を高めていきました。
→不登校の増加やテレビ離れ、学校へのスマホ持ち込み等をどう考えるか。
*格差の拡大:新しい知識を持っているか持っていないかで、格差が拡大していきます。デジタル・ディバイド。

コメニウス Johannes Amos Comenius

・1592年~1670年。モラヴィア(チェコ)出身。プロテスタント(ヤン・フスのボヘミア兄弟団)。
・主著『大教授学』、『世界図絵』(世界初の絵本)
・キャッチフレーズ:近代教授学の父
・名言:全ての人に全ての事柄を教授する

小テスト

市民革命と社会契約論(17~18世紀)

市民社会:欲望の解放と制御

市民社会:身分社会を否定し、個人主義(欲望にまみれた利己的人間)を満足させることを優先して組み立てられた世の中のことです。
・経済的発展は「欲望の解放」によって促進されます。「欲望の制御」を厳しくしすぎると、世界は停滞してしまいます。
・しかし人間の欲望には際限というものがありません。解放された欲望は、そのままでは世界そのものを破壊してしまいます。実際に、ヨーロッパの16世紀と17世紀は宗教戦争や侵略戦争が続いて荒れ狂った時代となりました。
・人間の欲望を解放して、自分勝手な利己的人間だらけになって、なおかつ世界を破滅させないような方法はあるでしょうか? →民主主義

市民革命と社会契約論

・ヨーロッパの政治体制を決定的に変えた事件をまとめて市民革命と呼びます。王様や貴族などが倒され、僧侶の権威が低くなり、身分制がなくなりました。
*市民:農村の生産者ではなく、都市に暮らし、市場でお金を使う人々を指します。基本的にお金持ちです。
*革命:「一揆」と勘違いする日本人が多いですが、いわゆる一揆は支配者の交代を伴いません。支配階級が覆る事態を革命と呼びます。
*市民革命:ヨーロッパでは様々な地域と時期に革命が発生しましたが、全て共通して「市民」が支配者になる革命だったので、「市民革命」と呼びます。

市民革命重要人物政治思想書教育思想書
清教徒革命1642トマス・ホッブズ『リヴァイアサン』
名誉革命1688ジョン・ロック『市民政府論』『教育論』
アメリカ独立戦争1776トマス・ペイン『コモン・センス』
フランス革命1789ジャン・ジャック・ルソー『社会契約論』『エミール』

・市民革命には、それぞれ理論的指導者と代表的な政治思想書が関わっています。市民革命の理論的根拠となったのが、社会契約論と呼ばれる考え方です。ホッブズ『リヴァイアサン』→ロック『市民政府論』→ルソー『社会契約論』というように展開します。

社会契約の「社会」とは?

社会:もともと日本語には存在せず、sociaeyやassociationの翻訳語として普及しました。ヨーロッパで成熟した「個人」を土台として組み立てられた世の中を指します。
・伝統的な「共同体」と新しい「社会」では、集団優先か個人優先かで世の中の形が決定的に違ってきます。共同体では身分が固定して人々の役割が決まっていましたが、社会では個人の力によって役割や組み合わせを変えることができます。
*たとえば「日本は集団主義」と言う人がいますが、本当でしょうか? 「集団」の質の違いを押さえずに言って大丈夫でしょうか?

社会契約の「契約」とは?

・自由で平等な個人同士が合理的な判断を下した結果として成立する合意と約束のことです。自由や平等が損なわれ、合理的な意志と判断が存在しない場合には、契約は成立しません。
・身分や性別などの「属性」によって条件が変わるものは契約と呼べません。契約とは、属性に関係なく、自立した個人の意志と判断によって成立します。←「属性」とは関係ない、「自立した個人」を作らなければいけません。

新しい社会にふさわしい新しい教育

・個人を作る:「個人」とは、身分や性別等の特殊性にはまったく関係がなく、何の特殊な属性も持たない、普遍的な人間のことです。
・新しい社会を作ることは、必然的に、新しい社会にふさわしい新しい「個人」を作ることを意味します。だから新しい社会について考えた思想家は、それにふさわしい新しい「個人」についても考えるし、それにふさわしい教育の形についても構想することになります。

人格の完成をめざす教育

・人格の完成:普遍的な教育とは、人間を作る=人格の完成を目的とする教育です。
・自発的に広がったリテラシーの教育(日本の江戸時代や印刷術発明後のヨーロッパ)と、普遍的な人間を作るための教育(市民革命後のヨーロッパ)の違いを考えてみましょう。教育を受ける人や、教育の内容や、教育への国家の関与などが、どのように異なるでしょうか? →決定的な違いは、教育が「人間の権利」であると考えられるようになったことです。
・「人間の権利」としての教育とは、性別や才能や財産や地位などの特殊性に関係なく、あらゆる人間に共通する資質を育てることを目指す普遍的な教育です。知識を注入したり偏差値を上げるような教育でもなければ、または特定の職業を目指すような教育でもありません。

復習

・コメニウスの思想を時代背景とともに押さえよう。
・民主主義に必要な教育が、リテラシーの教育と決定的に異なることを押さえておこう。

予習

・「憲法」とは何かについて、「法律」との違いを中心に調べておこう。

【備忘録と感想】全国私立大学教職課程協会「第39回研究大会」

2019年5/25・5/26に大阪ガーデンパレスと近畿大学で開催された全国私立大学教職課程協会「第39回研究大会」に行ってきたので、備忘録がてら感想を記す。(土曜日には授業があるので、残念ながら5/25のシンポジウムは参加できず)

昨年までは「再課程申請」に備えた情報交換と対策に全面的に精力を割いていたが、無事に切り抜けた(?)今年は、少し落ち着いて、地に足をつけて今後の教員養成のあり方を振り替える感じになっていた。特に個人的に関心があったのは「教職課程コアカリキュラム」のあり方だったわけだが、分科会への参加人数を見ても、全体的に関心を持たれているような雰囲気ではあった。そんなわけで分科会2と10に参加してきたのだった。

第2分科会「大学における教員養成と教員育成指標・教職課程コアカリキュラム」

「教職課程コアカリキュラム」と「教員育成指標」との関係等について報告と議論があった。質疑応答では「コアカリキュラム」に議論が集中し、「教員育成指標」に対しては相対的に関心が持たれていなかった。まあ、コアカリに対しては直前の再課程申請で嫌な想いをさせられており、当然の反応であるとはいえる。とはいえ、個人的には、教員育成指標は長期的にボディーブローのように聞いてくるような気もしているのだった。

さしあたって結論としては、今のところ各自治体が定める「教員育成指標」が大学の教員養成に直接的な影響を与えることはないし、教育委員会としてはそうするべきだとも考えていないようではあった。逆に言えば、文科省が主張する「養成・採用・研修の一体化」がまるで貫徹されていないということでもある。
まあ、現実的に考えれば、教員養成指標に基づいた大学での教員養成には無理がある。すべての自治体の多様な要請を満足させる教員養成など、物理的にできるわけがないのだ。そういう現状を踏まえて、教員採用試験の全国共通問題という話も出てくるのだろうけれども。

現実的な問題は「教職課程コアカリキュラム」のあり方だ。報告でも、開放性原理との関係や、行政の介入に対する懸念が表明された。私の個人的な実感としても、事前の説明では「コアカリは参考程度」と提示されていたにも関わらず、大学内のシラバス作成の実務では「コアカリに示された内容を100%組み込むように」と指導されて、「話が違う」と思わざるを得ないのであった。まあ、組織に属する身としては、指示に従うしかない。
しかしこれはもちろん大学事務が悪いわけではなく、「再課程申請」に絡めて打ち出してくる行政当局の圧力の前では、空気を読んで「忖度」するしかないわけだ。敢えてコアカリを無視するという選択肢は、大学事務にはありえない。ここであえて開放性の原理や教育基本法第16条を踏まえて「行政の責任と限界」を思いつく動機は、教員の中にはあるだろうが、事務にはないだろう。
そんなわけで、教員の内に「これは教育と行政の原理に照らして間違っている」と思う人がいたとしても、大学全体として再課程認定に通るために事務方は全力を尽くしてコアカリ導入に努力を傾けるのであった。

しかし一方で、努力むなしく、教職課程から脱落した大学や学部・学科がある。身近なところでもいくつか聞いた。そして将来の日本の教育にとって極めて危険だと思ったのは、理科や工業や情報といった、科学立国を目指す上で必須の学科ほど脱落しているようだったからだ。将来、日本が科学的に没落したとき、教職課程コアカリキュラムと再課程認定は天下の大愚策であったと総括されることになるだろう。
このような危機的な状況の中で、理科や社会といった教科にもコアカリキュラムを導入しようとするのは、愚策の中の愚策であるようにしか思えない。誰にでも分かる簡単な論理だと思うのだが、果たして行政の論理や如何に。

とはいえ、分科会の報告から離れて、個人的に思うところもなくはない。昨今、「多様な背景を持つ人材によって教職員組織を構成」するための制度設計が検討されつつある。具体的には、いちど社会人を経験した人々に教職に就いてもらおうという話になる。現在は、大学で教員養成して、新卒で教員採用される形が一般的ではある。が、社会人経験者の教員も徐々に増えつつある。
そして一方、経団連だけでなくトヨタなども「終身雇用」の見直しを表面化させている時代だ。職を失う40代・50代はこれからますます増えるだろう。教員を目指す社会人経験者が増えるプッシュ要因は、おそらく今後も強まり続けるだろう。だからこそ、教員を目指す社会人が増えるようにプル要因を強めていけば、「多様な背景を持つ人材によって教職員組織を構成」することは、個人的には、比較的容易ではないかとも思ってしまうわけだ。たとえば、教員採用年齢制限の引き上げ、退職後(または在職中)の教員免許状取得の容易化(たとえば教職大学院を活用したリカレント教育の推進)、学級経営をやらずに教科教育だけ行える簡易免許の発行(および養成年限の短縮化)等は、プル要因となるだろう。
……まあ、教員採用のあり方を想像したら、非正規雇用の常態化が容易に思い浮かぶところでもあり、なかなか怖いことにもなりそうではある。

第10分科会「教職課程コアカリキュラムに関する私立大学教職課程担当者の意識と今後の課題」

コアカリに対するアンケート結果が分析されていて、なかなか興味深く報告を聞いた。おおむね肯定的な人が多いようで、率直に言って、個人的にはびっくりしたのであった。教育原理的には極めて酷い話だと思っていたのだが、まあこれも時代なのか。

実務的におもしろかったのは、他の大学の再課程申請で、文科省がどういうところに対して指導したかが具体的によく分かったところだ。(1)コアカリのキーワード明示(2)ICTの活用(3)チーム学校(4)教育の思想・哲学では具体的な人名、ということだ。私の担当が指導されなかったのは、シラバスにしっかりルソーとかペスタロッチーとか載せていたからなのであった。いやはや。そんなことくらいで授業の質は変わらないんだけれどもなあ、というのが授業担当者の率直な思いではある。
ともかく、「本質」を見るのではなく、単に表面的なキーワードで検索しているだけであろうことが推測されるところではある。まあ、本質を探るのは文科省の方々にとっても大変な作業なので、キーワード検索して指導するしかないのだろうが、AIでも使って効率よくやっていただき、もっと本質的なところにリソースを割いていただければ、というところだ。教員の働き改革はもちろん結構なことだが、官僚の方々にも働き方改革の恩恵がありますようにお祈り申し上げる次第だ。

研究大会「新教職課程カリキュラム運営の課題―現在と将来見通し―」

本務校の授業の関連で、配付された資料を見ることしかできないが。

他の大学の先進的な取り組みには、頭が下がる。特にこれからは「学校インターンシップ」の導入が一つの焦点になってきそうだ。
それから、「養成・採用・研修の一体化」の具体的な姿が、大阪府の取り組みから伺えた。「キャリアステージ」を0期から4期の五段階に分類し、大学の養成課程を終えた段階を0期とすることで、養成・採用から研修を経てキャリアを積み上げていくコースが見えやすくなる。その際、「教員育成指標」にはロールマップとして機能することが期待される。この有機的な構造には、なるほど、とは思った。
とはいえ、「開放性」との論理的関連や、「個性的な教師」との整合性がどうなるかは、大問題だろうとも思った。

そんなわけで、教員の養成・採用・研修のあり方に対して、これまでの常識が通用しなくなるような時代に突入しそうな感じが漂っている昨今であることを再確認した研究大会であった。恐ろしい制度改革に突入する可能性も考慮して、身構えつつ、成り行きは見守っていかなければならない。

教育原論(栄養)-6

栄養科 5/28

前回のおさらい

・義務教育の思想:コンドルセとオーエン。
・教育権の構造。

今回の目標

・「人格」について深めよう!

人格の完成

・教育基本法第一条に、教育の目的は「人格の完成」であると書いてありました。
人格とは何でしょうか? 目に見えないし、触ることができないし、科学的に存在を確かめることができません。
・「好き」と「愛してる」という言葉の意味の違いをヒントに考えてみましょう。

 好き愛してる
個性代わりがある代わりがない
タイプ言える言えない
数値化表せる表せない
アイデンティティ変わる変わらない
様相主観的な感情存在のあり方
対象モノ(純粋理性)人格(実践理性)

・人格とは、比較できず、束ねられず、代わりがなく、変わらないようなものです。
・モノと人格は決定的に違います≒好きと愛してるの違い。
・「人格を尊重する」とは、どういうことでしょうか。→モノとして扱わないことです。

個性

・個性=Individualityの翻訳語です。
・長所とか特徴とか持ち味などという言葉とはニュアンスが異なります。
・他のものと交換することができない、かけがえのない、なにか。それが取り去られたら、私が私でなくなってしまう、なにかのことです。それは究極的には「自由」とか「意志」とか「自律」という概念に関わってきそうです。
・「個性を尊重する」とはどういうことでしょうか?
・教育者が言ってはならない、個性を否定するような言葉に気をつけましょう。
・一人一人の個性を大事にするとはどういうことでしょうか?

アイデンティティ

・日本語では「自我同一性」や「存在証明」などと訳されることがあります。「あの私」と「この私」が一致していることを証明したいときなどに用いられます。「IDカード」=Identity card。
・自同律(principle of Identity):「A=A」「わたし は わたし」
・この世に変化しないものなどあるでしょうか? 「A→A’」
・私は常に変化し続けている(新陳代謝)にも関わらず、どうして常に「わたしはわたし」と言うことができるのでしょうか?
・わたしの属性について考えてみましょう。A=X、A=Y、A=Z・・・・。常に一致しているのは何でしょうか? 主語と述語の関係に注目してみましょう。
・常に主語であるものにはアイデンティティが成立していそうです。
・述語に重点を置くか、主語に重点を置くかで、同じ文章でも世界の見え方や関わり方が異なってきます。
・「主体性」や「自主性」とは何でしょうか?

自己実現

・どのように人格は完成へと向かうのでしょうか。
・自己実現≒ほんとうのわたしデビュー、わたしらしいわたし。本物の幸せ。社会的な成功とは基本的にはあまり関係がありません。
・直線的な発達ではなく、矛盾と葛藤が連続する、ジグザグの成長です。
・弁証法的発展:自己耽溺(自己中心主義)と自己疎外(世間中心主義)の葛藤から、自由で主体的な決断を経て、責任を引き受けて、自己実現へ向かいます。
・「自分こわし」と「自分つくり」の連続が、人格を完成へと向かわせます。

【中学校学習指導要領】
「生徒が、自己の存在感を実感しながら、よりよい人間関係を形成し、有意義で充実した学校生活を送る中で、現在及び将来における自己実現を図っていくことができるよう、生徒理解を深め、学習指導と関連付けながら、生徒指導の充実を図ること。」(総則、25頁)
「自主的、実践的な集団活動を通して身に付けたことを生かして、集団や社会における生活及び人間関係をよりよく形成するとともに、人間としての生き方についての考えを深め、自己実現を図ろうとする態度を養う。」(特別活動の目標、162頁)

「近代教育」まとめ:人格の完成とは・・

・個性の尊重:かけがえのないわたし。
・アイデンティティの確立:自(分が)主(語)。わたしはわたし。
・自己実現:夢と現実。ほんとうのわたし。

復習

・「人格」や「個性」、「アイデンティティ」、「自己実現」という言葉について考えを深めよう。

予習

・「新教育運動」と「児童中心主義」について調べておこう。

発展的な学習の参考

人格とは何か?
個性とは何か?
アイデンティティとは何か?

【要約と感想】千葉孝司『いじめは絶対ゆるさない―現場での対応から予防まで』

【要約】いじめを止めるのは先生の仕事です。解決を子どもに委ねるのは、単なる責任放棄です。教師集団として組織的に対応しましょう。
いじめ被害者は絶対に悪くありません。いじめは、加害者がいて初めて発生するものです。加害者への指導を徹底するのが、先生の仕事です。相手の気持ちを受けとめて信頼感を築きつつ、ダメなものははっきりダメと指導しましょう。
帯広市が取り組んでいるいじめ防止啓発資料「あつとほおむ」は、いじめ防止に効果的です。何が悪いかを事前に子どもたちと共有し、いじめを絶対に許さないという教師の姿勢を示すことで、未然に防止できます。
道徳の時間や特別活動で使用できる、いじめ防止のための指導案つき。

 加害者むけ被害者むけ傍観者むけ
あそびでもダメ安心してあおらない
つらい思いをさせるのはダメ伝えるつられない
友達がやっていてもダメ遠ざかるとめる
暴力はダメ誇りを持つ本気になる
おしつけはダメ大人に知らせる大人に知らせる
無視はダメ無理をしない無関心でいない

【感想】いじめの論理とか社会的背景には一切ふれず、先生が徹底的に現場でいじめに向き合うための実践書。責任感と覚悟をもって取り組んでいくべきことが分かる。特に加害者への指導を徹底することが大事だと強調されている。
まあ、現代社会でのいじめは単純ではないし、様々な社会的背景があって、教師にできることは現実的には限られていたりする。それでも、覚悟を決めて、やるしかない。教師として学級経営の方針を定め、自分の足場を固めるためには、実践的に役に立つ本だと思う。

千葉孝司『いじめは絶対ゆるさない―現場での対応から予防まで』学事出版、2013年