【備忘録と感想】全国私立大学教職課程協会「第39回研究大会」

2019年5/25・5/26に大阪ガーデンパレスと近畿大学で開催された全国私立大学教職課程協会「第39回研究大会」に行ってきたので、備忘録がてら感想を記す。(土曜日には授業があるので、残念ながら5/25のシンポジウムは参加できず)

昨年までは「再課程申請」に備えた情報交換と対策に全面的に精力を割いていたが、無事に切り抜けた(?)今年は、少し落ち着いて、地に足をつけて今後の教員養成のあり方を振り替える感じになっていた。特に個人的に関心があったのは「教職課程コアカリキュラム」のあり方だったわけだが、分科会への参加人数を見ても、全体的に関心を持たれているような雰囲気ではあった。そんなわけで分科会2と10に参加してきたのだった。

第2分科会「大学における教員養成と教員育成指標・教職課程コアカリキュラム」

「教職課程コアカリキュラム」と「教員育成指標」との関係等について報告と議論があった。質疑応答では「コアカリキュラム」に議論が集中し、「教員育成指標」に対しては相対的に関心が持たれていなかった。まあ、コアカリに対しては直前の再課程申請で嫌な想いをさせられており、当然の反応であるとはいえる。とはいえ、個人的には、教員育成指標は長期的にボディーブローのように聞いてくるような気もしているのだった。

さしあたって結論としては、今のところ各自治体が定める「教員育成指標」が大学の教員養成に直接的な影響を与えることはないし、教育委員会としてはそうするべきだとも考えていないようではあった。逆に言えば、文科省が主張する「養成・採用・研修の一体化」がまるで貫徹されていないということでもある。
まあ、現実的に考えれば、教員養成指標に基づいた大学での教員養成には無理がある。すべての自治体の多様な要請を満足させる教員養成など、物理的にできるわけがないのだ。そういう現状を踏まえて、教員採用試験の全国共通問題という話も出てくるのだろうけれども。

現実的な問題は「教職課程コアカリキュラム」のあり方だ。報告でも、開放性原理との関係や、行政の介入に対する懸念が表明された。私の個人的な実感としても、事前の説明では「コアカリは参考程度」と提示されていたにも関わらず、大学内のシラバス作成の実務では「コアカリに示された内容を100%組み込むように」と指導されて、「話が違う」と思わざるを得ないのであった。まあ、組織に属する身としては、指示に従うしかない。
しかしこれはもちろん大学事務が悪いわけではなく、「再課程申請」に絡めて打ち出してくる行政当局の圧力の前では、空気を読んで「忖度」するしかないわけだ。敢えてコアカリを無視するという選択肢は、大学事務にはありえない。ここであえて開放性の原理や教育基本法第16条を踏まえて「行政の責任と限界」を思いつく動機は、教員の中にはあるだろうが、事務にはないだろう。
そんなわけで、教員の内に「これは教育と行政の原理に照らして間違っている」と思う人がいたとしても、大学全体として再課程認定に通るために事務方は全力を尽くしてコアカリ導入に努力を傾けるのであった。

しかし一方で、努力むなしく、教職課程から脱落した大学や学部・学科がある。身近なところでもいくつか聞いた。そして将来の日本の教育にとって極めて危険だと思ったのは、理科や工業や情報といった、科学立国を目指す上で必須の学科ほど脱落しているようだったからだ。将来、日本が科学的に没落したとき、教職課程コアカリキュラムと再課程認定は天下の大愚策であったと総括されることになるだろう。
このような危機的な状況の中で、理科や社会といった教科にもコアカリキュラムを導入しようとするのは、愚策の中の愚策であるようにしか思えない。誰にでも分かる簡単な論理だと思うのだが、果たして行政の論理や如何に。

とはいえ、分科会の報告から離れて、個人的に思うところもなくはない。昨今、「多様な背景を持つ人材によって教職員組織を構成」するための制度設計が検討されつつある。具体的には、いちど社会人を経験した人々に教職に就いてもらおうという話になる。現在は、大学で教員養成して、新卒で教員採用される形が一般的ではある。が、社会人経験者の教員も徐々に増えつつある。
そして一方、経団連だけでなくトヨタなども「終身雇用」の見直しを表面化させている時代だ。職を失う40代・50代はこれからますます増えるだろう。教員を目指す社会人経験者が増えるプッシュ要因は、おそらく今後も強まり続けるだろう。だからこそ、教員を目指す社会人が増えるようにプル要因を強めていけば、「多様な背景を持つ人材によって教職員組織を構成」することは、個人的には、比較的容易ではないかとも思ってしまうわけだ。たとえば、教員採用年齢制限の引き上げ、退職後(または在職中)の教員免許状取得の容易化(たとえば教職大学院を活用したリカレント教育の推進)、学級経営をやらずに教科教育だけ行える簡易免許の発行(および養成年限の短縮化)等は、プル要因となるだろう。
……まあ、教員採用のあり方を想像したら、非正規雇用の常態化が容易に思い浮かぶところでもあり、なかなか怖いことにもなりそうではある。

第10分科会「教職課程コアカリキュラムに関する私立大学教職課程担当者の意識と今後の課題」

コアカリに対するアンケート結果が分析されていて、なかなか興味深く報告を聞いた。おおむね肯定的な人が多いようで、率直に言って、個人的にはびっくりしたのであった。教育原理的には極めて酷い話だと思っていたのだが、まあこれも時代なのか。

実務的におもしろかったのは、他の大学の再課程申請で、文科省がどういうところに対して指導したかが具体的によく分かったところだ。(1)コアカリのキーワード明示(2)ICTの活用(3)チーム学校(4)教育の思想・哲学では具体的な人名、ということだ。私の担当が指導されなかったのは、シラバスにしっかりルソーとかペスタロッチーとか載せていたからなのであった。いやはや。そんなことくらいで授業の質は変わらないんだけれどもなあ、というのが授業担当者の率直な思いではある。
ともかく、「本質」を見るのではなく、単に表面的なキーワードで検索しているだけであろうことが推測されるところではある。まあ、本質を探るのは文科省の方々にとっても大変な作業なので、キーワード検索して指導するしかないのだろうが、AIでも使って効率よくやっていただき、もっと本質的なところにリソースを割いていただければ、というところだ。教員の働き改革はもちろん結構なことだが、官僚の方々にも働き方改革の恩恵がありますようにお祈り申し上げる次第だ。

研究大会「新教職課程カリキュラム運営の課題―現在と将来見通し―」

本務校の授業の関連で、配付された資料を見ることしかできないが。

他の大学の先進的な取り組みには、頭が下がる。特にこれからは「学校インターンシップ」の導入が一つの焦点になってきそうだ。
それから、「養成・採用・研修の一体化」の具体的な姿が、大阪府の取り組みから伺えた。「キャリアステージ」を0期から4期の五段階に分類し、大学の養成課程を終えた段階を0期とすることで、養成・採用から研修を経てキャリアを積み上げていくコースが見えやすくなる。その際、「教員育成指標」にはロールマップとして機能することが期待される。この有機的な構造には、なるほど、とは思った。
とはいえ、「開放性」との論理的関連や、「個性的な教師」との整合性がどうなるかは、大問題だろうとも思った。

そんなわけで、教員の養成・採用・研修のあり方に対して、これまでの常識が通用しなくなるような時代に突入しそうな感じが漂っている昨今であることを再確認した研究大会であった。恐ろしい制度改革に突入する可能性も考慮して、身構えつつ、成り行きは見守っていかなければならない。