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【熊本県人吉市】人吉城は、ぜひ球磨焼酎とセットで堪能したい

人吉城に行ってきました。日本百名城の一つに数えられている名城です。
行きは八代から人吉まで普通電車に揺られましたが、車窓から覗う球磨川の景色が実に絶景でした。

人吉城は球磨川沿いの河岸段丘に築かれています。川岸に整然と築かれた石垣に、さっそくテンションが上がります。

人吉城は球磨川と胸川の合流地点に築かれています。大手門は胸川沿いにあります。

大手門の脇には、胸川に降りていく階段もあります。なかなか珍しいように思いました。

大手門を入ると、西外曲輪で、かつては家臣の屋敷が並んでいたところです。現在は「人吉城跡ふるさと歴史の広場」として整備されていて、人吉城歴史館があります。

人吉城歴史館では人吉城と相良家700年の歴史を予習しましょう。全体模型もあって、ありがたいです。

模型だけ見ても、極めて広大な城であったことが分かります。現在城跡として整備されているのは球磨川沿いの台地部分だけで、模型手前側の部分は宅地になっています。

案内パネルによると、相良氏が地頭として入ってから700年間の支配が続いたようですね。

西外曲輪には、全国でも他に例がない地下室遺構が見つかっていて、しかも相良藩の歴史「御下の乱」に深く関わるなど、興味は尽きません。

西外曲輪だけで既にお腹いっぱいになってきますが、まだほんの序章に過ぎません。まずは三の丸に出ます。

三の丸も広大です。遙か前方に二の丸を構成する石垣が見えます。画面中央から右に伸びている石垣の曲輪は、まだ三の丸です。

三の丸の西側階段から二の丸に上がります。

二の丸には、案内パネルによると、江戸時代には城主の住む御殿が建っていたようです。現在は大きな杉の木が林立しているだけです。

三の丸から二の丸に上がる入口はもう一つあって、こちらの「中の御門」のほうが正式登城ルートでしょう。

たいへん立派な石垣です。築地塀や長屋が建っていたら、さぞかし壮観だったことでしょう。

そして二の丸から本丸へ向かいます。

現在は木が鬱蒼と茂っていて当時を偲ぶよすががあまり残されていません。当時はどんな感じだったんでしょうかね。

登りきったところに見える本丸は、こぢんまりとしているようには感じます。

が、三の丸や二の丸が巨大すぎたための錯覚で、普通の山城の規模を考えたら、かなり大きな曲輪のはずです。

本丸からは遙か彼方の山並みまで見晴るかすことができます。

風も爽やかで、とても気持ちいいです。いい季節に来ました。

本丸の気分をしばらく堪能してから、下城します。登りは西外曲輪から東に向かってきましたが、帰りは北側の球磨川に向かいます。
球磨川沿いに、御下門が構えています。こちらが正式な登城ルートなのでしょう。

素晴らしい石垣です。長屋門が残っていたら、さぞかし壮観だったことでしょう。

さらに城の東側に回ります。西側が西外曲輪などを中心に比較的よく整備されているのに対して、東側は整備が少し遅れていて、ワイルドな感じが残っているような気がします。

うん、ワイルド……。
猫から谷筋をまっすぐ登って行くと、「原城」という中世城があります。左側が城の東側で、地蔵院や春日社の跡が残っている機構を通って、球磨川に通じています。

球磨川に通じるさまざまな機構は、とてもおもしろいです。河川通運が発達していたことが伺えます。

こちらは「谷口船渡跡」で、対岸の商人町との交通に利用されていたもののようです。

こちらは水の手門。

中世城の特徴は「山」ですが、近世城の特徴は「水」です。海や川に付く城が増えます。近世城は行政の中心地であると同時に、物資の集散地としても機能させることが重要だったことが分かります。

さらに面白いのが、球磨川沿いの石垣の上部に設置された「武者返し」です。

石垣の上から板が出っ張っている機構で、単純な気もするのですが、西洋の建築技術で、他にあまり例がないようです。

そんなわけで、たいへん素晴らしい史跡でした。

そして夜、たまたまホテルの真ん前にあった居酒屋「大衆酒場CHABO」で晩飯にしようと思ったところ、陽気なマスターと偶然隣り合わせた蔵こんの偉い人のおかげで、美味しい球磨焼酎を味わいつつ、楽しい時間を過すことができたのでした。
鳥が美味しいお店だったので、気になってマスターに話を伺ったところ、人吉は文化的には宮崎や鹿児島に近いところがあるということでした。なるほどなあと。
蔵こんの取材は、渾身の記事「最もハイボールが美味しい米焼酎(球磨焼酎)の銘柄はどれ?」に結実していました。人吉城に行ったら、ぜひ球磨焼酎とセットで味わいたいですね。

(2019年7月訪問)

【千葉県佐倉市】佐倉城は百名城の名に恥じない土の城最高峰

佐倉城は、天守閣もないし、石垣もありません。普段から城に行かないような人にとっては、地味に思われる城かもしれません。が、ちょっとでも城を囓っている人には、たいへんな見所のある城だと思います。

本丸は、現在は草に覆われています。南西側に、かつては天守閣がありました。

天守閣跡は、現在は植込みで表現されています。

かつての姿は、佐倉城址公園管理センターの中の模型で偲ぶことができます。

本丸は、印旛沼に注ぎ込む鹿島川が河岸段丘を削ってできた絶壁の上にあり、天守閣はその西南隅に建っていました。断崖絶壁の崖の上に屹立していた天守閣は、江戸時代には壮観だったのではないかと思います。

しかし、「盗人の行灯」で天守閣が焼失って、どういうことですかね。

現在、天守閣跡の土塁には、平成29年に作られた、ちょっと謎の形をした石のモニュメントが鎮座しております。

ただの石碑でいいのに、なんでわけのわからない屋根の形とか作っちゃうんだろう。意味があるのかなあ?

謎のモニュメント越しに、かつての本丸が広がっております。

本丸御殿の様子についても、公園管理センターの模型で確認することができます。ありがたいです。

本丸から階段を降りて帯曲輪を通り、さらに出丸に至る搦手の様子は、とても興奮します。本丸との比高差がものすごいことを実感できます。

地図で見ると、南西側に水堀があり、北と南の端に出丸が設けられています。このあたりの様子が、ほんとに趣深いのです。土の城の本領が、存分に発揮されております。

出丸の方まで来る人が少ないのは、もったいないなあと思います。

二の丸の入口には、幕末の外交に当たった堀田正睦の像が、ハリス像と並んで建っております。

様々な歴史ドラマ等では、条約勅許に関する弱腰な姿勢が強調されがちな堀田正睦ではありますが、地元では開明派として愛されております。良かったですね。

二の丸も草に覆われて、当時の様子を偲ぶよすがはあまり残っておりません。

本丸と二の丸を分断する空堀は広大で、見応えがありました。草木で覆われてしまって全体像が見えにくいのが残念なところではあります。

全体の縄張図を見ると、本当に広大な敷地であったことが分かります。近世城郭として百名城に選ばれた土の城は、佐倉城の他は水戸城くらいですか? (戦国期の土の城は百名城としてたくさん選ばれているけれども)
土の城の素晴らしさがもっとたくさんの人に伝わればいいなと思いつつ、佐倉城を後にするのでした。
(2018年9月訪問)

【宮城県仙台市】仙台城は仙台市博物館から歩いて登るのがお好み

仙台城に再び訪問しました。
やはり仙台城と言えば、伊達政宗の騎馬像がシンボルですね。かっこいい。

が、残念ながら当時の建物はことごとく消失しております。曲輪や石垣の跡を見て、当時の様子を想像するしかありません。

仙台城の鳥瞰図。

縄張は極めて広大で、一般に観光客が仙台城と認識しているのは、かつての本丸の一部に過ぎません。実際は、その何倍もの規模を誇っておりました。

個人的には、三之丸(現在は仙台市博物館がある)から本丸に登っていく坂道が、とても風情があって好きです。仙台市博物館に行く観光客が少ないのは、とても勿体ないと思っています。二の丸の方は東北大学のキャンパスとして整備されていて、当時を偲ぶためのヒントも少なくなっていますね。

仙台城の案内パネル。

建物等が「全滅に帰した」ことについて、「心無き俗吏」という言い回し等に無念さが滲み出ております。

かつて本丸に建っていた建物も、いまは礎石跡だけが整備されているいる状態です。

入場無料の学習施設では、大広間がCGで復原されていて、見応えがあります。

本丸をパノラマで見るの図。

極めて広大な曲輪です。当時の権勢が偲ばれます。

そして仙台城と言えば、天守閣がない代わりに、見事な懸造が威容を誇っていたことが有名ですが。

現在は、案内パネルが立っているだけです。懸造の復原は、さすがに大変なのかな。

かつて懸造があったであろう本丸東側から、眼下に広がる仙台平野。

広瀬川の作る蛇行と断崖絶壁が、雄大な景観を作っています。懸造から眺め下ろすのは、気分がいいんだろうなあ。

仙台城本丸の北側には、立派な石垣が聳えています。仙台市博物館から坂道を歩いて登っていくと、死角から急にこの石垣が現われて、興奮します。

かっこいいです。当時は土塀も張り巡らされていて、さぞかし立派な構えだったんだろうなあ。
ただしこの石垣は第三期のもので、伊達政宗の時代に作った石垣は奥に埋もれています。

観光客がまったくいなくなって閑散とする西側にも、石垣があります。

虎口の形状がしっかり残っていて、見応えがあります。が、西ノ門付近は立ち入り禁止になっております。

さて、2015年に訪問したときには仙台市博物館が改修中で見学できなかったのですが、2018年にはしっかり見学してきました。

常設展示では、やはり伊達政宗関連の展示が充実しています。天正遣欧少年使節団の遺物なども、ここでしか見られないものです。
他、寛文の伊達騒動の史料とか、幕末戊申戦争時の仙台藩の動向なども興味深く見ました。どれも充実しているのですが、近代以降の展示が手薄だったのには、少々食い足りない感じもします。

博物館の裏には伊達政宗の胸像もあります。

太平洋戦争のために金属を供出しなければならず、体の部分が失われてしまっています。仙台城本丸の騎馬像は、遠くて顔の表情などが分かりませんが、こちらは間近で見ることができますね。

それからまた、博物館の裏には阿部次郎の石碑があります。

山形県出身の阿部次郎は、東北帝国大学の教授となり、大正期に人格主義を唱道します。「人格」概念を研究する私としても無視できない重要人物です。
碑の右手から延びる道は、逍遙のために設けられた「哲学の道」ということです。

そんなわけで、本丸跡に建つ青葉城本丸会館の料理屋で名物のハラコ飯を美味しくいただき、仙台城を後にするのでありました。
(2015年9月、2018年8月訪問)

【山形県山形市】山形城と博物館3つに幕末維新の困難を見る

山形城は戦国時代に最上義光が整備した城で、日本百名城の一つにも数えられています。めちゃめちゃ広大な敷地面積の平城です。

山形城というと、まず有名なのは最上義光の騎馬像です。騎馬像は数多くあれども、躍動感に溢れているという点では一番だと思います。格好いい。
銅像の説明で「鎧兜は時代考証にとらわれず表現した」と言い切っているところも、すごいのであります。

ちなみに城の東側にある最上義光歴史館前の広場にも銅像がありますが。

こちらは文化人としての側面を強調した出で立ちになっております。騎馬像との落差が激しいですね。

最上義光歴史館は、入場無料です。

義光の生涯と最上家の歴史の他、山形城の特徴についても知ることができる、充実した博物館です。最上家が鎌倉時代から続く名門であることがよく分かります。

が、この最上家、せっかく義光の時代に超巨大勢力まで成長したにも関わらず、跡継ぎ争いのせいで1622年に改易されてしまいます。
最上家改易後の山形には代わる代わる大名が配置されることになりますが、57万石を誇った最上氏ほどの実力を持った大名はおらず、超広大な面積の山形城を維持管理することができなくなっていきます。

明治維新時の様子の一端を、城の南東にある豊烈神社に伺うことができます。

豊烈神社は幕末時に山形藩の藩主であった水野氏と明治維新時の殉難者を祀っている神社です。鳥居脇に水野三郎右衛門元宣の銅像があるのですが、この説明パネルがなかなかふるっています。

戊辰戦争の際、山形藩が薩長側について、庄内藩と衝突し、ボロ負けしたことが記されています。
それにも関わらず「改革後山形市が米沢・新庄の大藩をさしおいて県庁所在地となり」と誇らしげに書いてあることに、「庄内」について触れていないことなども含めて、違和感を抱かざるを得ないわけです。
山形県の県庁所在地が鶴岡でも米沢でもなく山形である理由は、明治維新の性質を考える上で一つの材料になります。

さて、最上義光歴史館のほう(東)から城に向かうと、JR東北本線とお堀を越える橋の向こうに、東大手門が復元されています。かっこいい。

この東大手門の櫓には、入ることができます。

さらに長屋門の中を通って、歩いて反対側に出ることができます。大興奮。

二の丸をしばらく行くと、本丸に入る橋と門が見えてきます。こちらも復元されています。

お堀も石垣も、たいへん立派です。
ただし本丸は荒れたままになっています。現在本丸御殿の調査が行われていて、掘立柱建物や礎石の跡が確認されているようですが、明治以降の削平によって多くの痕跡が失われているようです。今後の発掘調査の成果に期待したいです。

二の丸の南東側には、県立博物館があります。

この博物館の目玉は、なんといっても国宝に指定された縄文時代の土偶「縄文の女神」です。先日、実物を東京国立博物館の縄文展で見てきたところでした。(特別展「縄文―1万年の美の鼓動」に行ってきました)。
一緒に出土した土偶破片の展示なども充実しておりました。

山形県が縄文の女神に誇りを持っているだろうことは、JR山形駅西口広場にあるベンチの造形からも分かりますね。

訪問したときには幕末以降の歴史展示が準備中で見られなかったのが残念でした。特別展では明治150周年記念展示を行っていたようですが、その案内によると「新庄藩戸沢家・庄内藩酒井家等の一藩一家による長期的な単独支配地域と、村山地方のように幕府領・旗本領などの交錯した地域とが混在した状態から、戊辰戦争、奥羽越列藩同盟の成立と瓦解等動乱の時代を経て、「統一山形」に至るまでの複雑な過程を紹介」となっていて、幕末維新期は本当に大変だったことが分かります。個人的には三島通庸についての見識を深めたいところでした。
また米沢と庄内の知見を深めながら、個別に勉強しよう。

さて、さらに二の丸を南に進むと、山形市郷土館があります。こちらの建物が素晴らしい。

明治初期に建造された擬洋風建築で、病院として利用されていた者のようです。展示は、主に近代医療関係のものが充実しています。

そして、この中庭がとても良かったのです。

禅様式の枯山水的な中庭と擬洋風建築のミスマッチが、なんとも言えない絶妙な味わいを醸し出しています。こういう場所は、他になかなかないように思います。

二階に上がる階段も、他に見たことがないとても不思議な構造をしていて、興奮しました。残念ながら三階と四階に上がる螺旋階段は封鎖されていましたけれども、下から見上げるだけでもなかなかの風情でした。いい建物です。

そんなわけで、山形名物「冷やしラーメン」に舌鼓を打ち、山形市を後にするのでした。
(2018年8月訪問)

【長野県上田市】上田城は尼ヶ淵に降りて見上げないと来た意味がないんじゃないかな

長野県上田市の上田城に行ってきました。
上田城は真田氏ゆかりの城として有名ですね。近年では2016年の大河ドラマ『真田丸』が記憶に新しいです。

上田駅では、改札口から真田家のシンボル六文銭を大プッシュしております。

JRの駅にも大きな六文銭のデザインがあしらわれています。他にも、街中には至る所に六文銭を見ることができます。愛されていますねえ。手前の銅像は、上田駅に突進する馬上の真田幸村。かっこいいです。

二の丸と本丸を隔てる巨大な堀を超えると、立派な櫓門が待ち構えています。この光景には胸が高まります。格好いいですねー。

しかしまあ、案内板によれば、櫓は戦国の真田時代に建てられたものではなく、江戸時代に入ってから仙石氏によって築かれたものということです。真田氏が造った上田城は、煮え湯を二度も飲まされた家康によって徹底的に破壊されてしまったので、当時の遺構が残っていないのは仕方ないところですね。

櫓の中は史料展示スペースになっていて、特に真田三代の事績や、上田合戦の具体的な展開について知ることができます。なかなかお金がかかっていて、充実しています。

これも残念ながら真田時代のものではありませんが、尼ヶ淵から見上げる石垣も極めて立派で、見応えがあります。写真は、下から見上げる西櫓。本丸ばかり見て尼ヶ淵に降りてこない観光客も散見されますが、たいへん勿体ないですね。ここから見上げないと、上田城の神髄は分からないんじゃないかと思います。

江戸時代は、この石垣の直下まで千曲川分流の河原になっていました。こちら側から城を攻めることはほぼ不可能で、堅固な城であったことが推測できます。真田氏の居城時にはどのような土の姿だったのか、興味をかき立てられます。

かつての河原から西櫓を見上げます。格好いいですね~。

案内板によると、一部に古い時代の石垣も確認できるとのことですね。

写真は、東側から石垣を臨むの図。手前に見えるのが南櫓で、奥に見えるのが西櫓です。とことん格好いいなあ。

上田城がかっこよく見えるのは、姿形だけのせいではなく、それが辿った歴史に負うところが大きいかもしれません。二度も徳川軍を撃退するという実戦を経験していることが、極めて強く印象に残るわけです。我が鵜殿家も徳川氏との遺恨があったりなかったりするので、徳川氏に煮え湯を飲ませた上田城にはたいへん親近感を覚えるわけですね(?)。

さて、上田を訪れた2018年3/26は、東京では桜が満開になっていたようでしたが、こちらでは梅が盛りでした。紅梅が鮮やかです。

東側の土塁の上では、白梅が見事に咲いておりました。

二の丸の東側にある上田市立博物館も見学してきました。博物館本館の方では江戸時代の仙石氏や松平氏の治績が展示されており、別館の方で真田氏に関する展示が行われています。本館だけだと、実は真田氏関連資料をまったく見られないので、要注意ですね。
本館の展示では、幕末の兵学者、赤松小三郎の事跡を興味深く見ました。佐久間象山との交流もあり、幕末に大きな役割を果たした学者です。一般的には幕末の学者が注目されることはあまりありませんが、個人的には藤田東湖とか横井小楠とか学者たちの動向にとても興味があります。が、この赤松小三郎、志半ばで薩摩藩の中村半次郎(後の桐野利明)に暗殺されてしまいます。2018年の大河ドラマでは暗殺実行者の中村半次郎がなかなか重要な人物として描かれそうな感じがしますが、赤松小三郎暗殺エピソード等はどう扱われるんですかね。
いっぽう別館の展示のほうは、真田一色でした。上田城合戦や犬伏の別れなど、詳しく紹介されています。上田城もCGで復元されて、当時の姿を確認することができます。
(2018年3/24訪問)