佐倉城は、天守閣もないし、石垣もありません。普段から城に行かないような人にとっては、地味に思われる城かもしれません。が、ちょっとでも城を囓っている人には、たいへんな見所のある城だと思います。
本丸は、現在は草に覆われています。南西側に、かつては天守閣がありました。
天守閣跡は、現在は植込みで表現されています。
かつての姿は、佐倉城址公園管理センターの中の模型で偲ぶことができます。
本丸は、印旛沼に注ぎ込む鹿島川が河岸段丘を削ってできた絶壁の上にあり、天守閣はその西南隅に建っていました。断崖絶壁の崖の上に屹立していた天守閣は、江戸時代には壮観だったのではないかと思います。
しかし、「盗人の行灯」で天守閣が焼失って、どういうことですかね。
現在、天守閣跡の土塁には、平成29年に作られた、ちょっと謎の形をした石のモニュメントが鎮座しております。
ただの石碑でいいのに、なんでわけのわからない屋根の形とか作っちゃうんだろう。意味があるのかなあ?
謎のモニュメント越しに、かつての本丸が広がっております。
本丸御殿の様子についても、公園管理センターの模型で確認することができます。ありがたいです。
本丸から階段を降りて帯曲輪を通り、さらに出丸に至る搦手の様子は、とても興奮します。本丸との比高差がものすごいことを実感できます。
地図で見ると、南西側に水堀があり、北と南の端に出丸が設けられています。このあたりの様子が、ほんとに趣深いのです。土の城の本領が、存分に発揮されております。
出丸の方まで来る人が少ないのは、もったいないなあと思います。
二の丸の入口には、幕末の外交に当たった堀田正睦の像が、ハリス像と並んで建っております。
様々な歴史ドラマ等では、条約勅許に関する弱腰な姿勢が強調されがちな堀田正睦ではありますが、地元では開明派として愛されております。良かったですね。
二の丸も草に覆われて、当時の様子を偲ぶよすがはあまり残っておりません。
本丸と二の丸を分断する空堀は広大で、見応えがありました。草木で覆われてしまって全体像が見えにくいのが残念なところではあります。
全体の縄張図を見ると、本当に広大な敷地であったことが分かります。近世城郭として百名城に選ばれた土の城は、佐倉城の他は水戸城くらいですか? (戦国期の土の城は百名城としてたくさん選ばれているけれども)
土の城の素晴らしさがもっとたくさんの人に伝わればいいなと思いつつ、佐倉城を後にするのでした。
(2018年9月訪問)