「読書感想」カテゴリーアーカイブ

【要約と感想】下園壮太『人はどうして死にたがるのか』

【要約】人がウツになるのは、感情のメカニズムが誤作動を起こすからです。原始時代には合理的だった感情のメカニズムは、現代社会では必要のないときに作動して、ウツを引き起す原因となります。そして、混乱した自分の状態に絶望して未来への展望を失ったとき、人間の心のメカニズムが誤作動を起こして、死に向かいやすくなります。

【感想】科学的に正しいかどうかはともかく、実践的な考えとしては、ナルホドと思いながら読んだ。説明原理には進化心理学的な背景があるのだろうが、まあ、科学的に言えば仮説ではある。とはいえ、仮説だろうがなんだろうが、実践的に役に立てば問題ないわけだ。混乱している当人や周囲の人に「説明原理」を与えるものとしては、けっこういい本なのかもしれないと思った。文章も分かりやすい。

下園壮太『人はどうして死にたがるのか』サンマーク文庫、2007年

【要約と感想】長瀬拓也『ゼロから学べる授業づくり―若い教師のための授業デザイン入門』

【要約】主に新米教師向けの、授業づくり案内本です。常に自分の授業をゼロから見直し、先人から学び、新しいことにチャレンジし続けることが大事です。授業が上手くいかなかったときこそ、ゼロから考え直すチャンスです。楽しい授業を作る上で参考になる具体的な方策や事例をたくさん示しています。

【感想】理論と実践の往還を前面に打ち出しており、バランスがとれている本だと思った。理論だけでもダメだし、小手先のテクニックだけでもダメだというのは、ほんと、そのとおりだ。具体的な考え方や方策がたくさん例示されているので、迷っている人は、いろいろ試してみて、自分に合ったものを取り入れていけばいいんじゃないだろうか。参考文献が多いのも、初学者にとってはありがたいんじゃないかと思う。

長瀬拓也『ゼロから学べる授業づくり―若い教師のための授業デザイン入門』明治図書、2014年

【要約と感想】ルーカーヌス『内乱―パルサリア』

【要約】史実を元にした大河フィクションです。
ローマの運命を賭けて、カエサルとポンペイウスの二大巨頭が対決しました。エネルギッシュで狡猾で恐れを知らないカエサルを前に、かつての大英雄ポンペイウスは悲惨な最期を遂げ、ローマから自由が失われました。しかし外国と戦争して領土や宝物を獲得するならともかく、ローマ人同士で戦う内乱は、悲惨きわまりないものです。(著者非業の死により、未完)

【感想】どちらかというと、日本人は外国との戦争のほうを悲惨なものと認識し、日本人同士の殺し合いはエンターテイメントとして楽しんでいる感じがする。源平合戦とか戦国時代とか幕末維新とか。まあ保元平治の乱や真田父子の犬伏の別れのように、親兄弟が敵味方に分かれることは悲劇として描かれるとしても。どういうことか、少し気にかかるところではある。

文章は、なかなか激越で、おもしろく読んだ。カエサルとポンペイウスを対照的に取り扱うなど、人物を極端にキャラクター化している感じも興味深い。女性では、破廉恥で淫乱なクレオパトラと貞淑で甲斐甲斐しいコルネリアが対照的だ。
しかし読後にいちばん印象に残っているのは、カトーが砂漠を縦断するくだりだったりする。グロくて、悪趣味で、恐ろしい描写だった。

ルーカーヌス/大西英文訳『内乱―パルサリア』岩波文庫、2012年

【要約と感想】アリストパネース『女の議会』

【要約】男が政治をしている限り、アテナイに未来はありません。ということで、女が議会に潜入し、政権をのっとりました。
新しい世の中では、財産と女をすべて共有します。これで争いはなくなり、平和な世の中になります。下ネタ多数。

【感想】筋が通っていて、分かりやすく、面白かった。原文がおもしろかったのか、それとも翻訳のおかげなのかどうかは、分からないのだけれど。

圧倒的な量の下ネタの他に、主な見所は2点あったように思った。ひとつはジェンダー論、もう一つは原始共産主義的な主張だ。

ジェンダー論に関しては、女性が議会を占拠して政権をのっとるという構想そのものに、やはり興味が向く。こういう構想が著者独自のものなのか、あるいは当時ある程度一般的に広まっていたものか。まあ、現実には女性が政治から完全に排除されていたからこそ、こういう発想が「喜劇」として成立するのだろうけれども。
とはいえ、男性が攻撃的で無謀な戦争に突入するのに対し、女性が安定して保守的な平和を希求するという傾向が描かれていること自体が興味深い。こういう傾向に人類史的普遍性を認めるべきなのかどうかというところ。

もう一つの原始共産制に関して。権力を握った女たちが、平和を実現するために具体的に採用する政策が、富と性の平等な配分だ。富と性が平等に配分されることによって、窃盗や姦淫や訴訟の原因と需要そのものが撲滅されるというわけだ。
「そんなこと本当に可能なのか?」という疑問には当然作者も気づいている。というか、この夢想的なアイデアの実現可能性こそが喜劇の駆動力となっているわけだ。富の配分に関して抜け駆けやズルをしようとする男性の醜くも人間的な振る舞いや、性の配分に関わって女性の価値(特に年齢に関わる)の有無が露骨に描写されることになる。理想の制度と現実の生活の乖離が離れていれば離れているほど、喜劇の完成度が高まるというところではあろう。
ちなみにだが、本書において「奴隷」の存在は自明視されている。本書が扱う「富」とは、我々が安易にイメージする「金」にとどまるものではなく、主に「土地」と「人=奴隷」を構成要素とする「生産手段」であることは承知しておく必要があるだろう。
また、「富」と並んで「女性」をも共有の対象となっていることは、興味深いところではある。思い返してみれば、ホメロスの叙事詩に端的に見られるように、古代ギリシアでは「女性」こそが所有すべき第一の対象物であった。男たちは、金よりも土地よりも、女性を争奪するために命を賭けたのだった。本書はホメロスの時代からはるかに下っており、女性の地位はずいぶん変化しているだろうけれども、女性を「所有すべき対象」と見るという視点は明確に引き継がれている。「女性をモノとして扱う」という観念の源泉を考えるとき、本書は有力なサンプルのひとつになるだろうと思った次第。

※本書は旧字体活字で組まれており、慣れていないととても読みにくいだろうと思う。

アリストパネース/村川堅太郎訳『女の議会』岩波文庫、1954年

【要約と感想】中野信子『ヒトは「いじめ」をやめられない』

【要約】脳科学的な観点から見れば、ヒトという種は、社会性を進化させてきた経緯から、もともと「いじめ」をするようにできています。脳内ホルモンによって、自然とそうなります。
しかしそのメカニズムさえ理解していれば、人間は「いじめ」を少なくすることができます。逆に、このメカニズムを理解することなく、単にスローガンだけ声高に叫んでも、「いじめ」をなくすことは絶対にできません。「いじめ」を発生させるメカニズムをメタ認知的に理解し、学校の役割を捉え直すことが重要です。

【感想】まあ、タイトルに「ヒト」というふうにカタカナで書いてあって、「人間」でないところを深く読み解くべきということか。
生物の種としての「ヒト」は、自然科学的な観点からすれば、もともと「いじめ=集団のリスクを高める可能性のある個体の排除」を行なう本能を備えている。他の動物と比較して極端に社会性が高いために、本能的に集団を維持するためのリスク・マネジメントを行なうわけだが、その逸脱した形として「いじめ」が出現する、と説明されている。
しかし逆に言えば、生物としての「ヒト」ではなく、倫理的な存在としての「人間」であれば、いじめを克服することが可能だということでもある。仮に「リスク・マネジメント」が生物学的な本能の産物であるとしても、その暴走と失敗を防ぐのは倫理的に人間らしい思考と行動である。その倫理的な人間らしさは、本書では「メタ認知」という言葉で表現されている。単に優しさとか温かみという感情的なアプローチではなく、人間に特有の知性を重んじるアプローチを試みているところが、本書の良いところだと思う。

【言質】昨今、教育学を専攻していない方からも、「近代の終わり」に伴って学校の役割が終わりつつあるという認識が示されてきている。そしてここにももちろん「個性」というキーワードが登場する。以下、一つのサンプルとして採取しておく。

私の理解なので極端かもしれませんが、そもそも義務教育の淵源としてあるのは、歴史的に学校は国民皆兵制のために、将来優秀な兵隊となる子どもを育てることを目的とした基礎教育だったのではないでしょうか。義務教育に求められたのは、兵隊の卵を育てることですから、均質な体力や学力を有し、統率の下で団結心が強い子どもを教育するということです。
この優秀な兵隊を育てるためのプレリミナリー教育機関という側面から言うと、子ども個々の能力を伸ばすということは、本来の目的とは合致しません。
指揮系統を乱さず、命令を理解できるだけの素養をつける。上のものに逆らわない優秀な兵士を育成するということが目的なら個性を伸ばすということは望むべくもないことです。
こうした教育方針において理想とされる姿は、個を殺して、上に同調し、仲間に同調する人を量産するということです。こうした教育は、実際に行われる戦闘行為や、工場労働など、労働集約的な事業に向いています。
義務教育の成功は、戦前には強い軍隊となって結実し、戦後においては、軍隊的な働きぶりで高度経済成長時代を牽引する原動力となりました。(150-151頁)

これからの時代、どういった人間が求められるかを考えたとき、それは、AIやロボットにない、不確実な人間だけが持つ独特な個性を備えた人なのではないでしょうか。(153頁)

時代のニーズに合わせて個性優先の教育を行うことは、いじめの防止にもつながります。(153頁)

まあ、いろんなところで異口同音に言われているところではある。たとえば文部科学省も同じことを言っているのであった。

中野信子『ヒトは「いじめ」をやめられない』小学館新書、2017年