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【要約と感想】クインティリアーヌス『弁論家の教育』

【要約】最強の弁論家を作るための教育をお見せしましょう。ちなみに最強の弁論家とは、道徳的に立派な弁論家です。道徳とは哲学の専売特許ではなく、雄弁術こそがまさに扱うべきものです。
 類書ではほとんどの著者が基礎教育を無視していますが、本書は幼年期の教育から丁寧に考察します。ちなみに地頭が良くないと優れた弁論家にはなれませんが、もちろん適切な教育が欠けてもダメです。教育は幼少期から始めるべきですが、もちろん発達段階を考慮して、遊びを適切に採り入れましょう。弁論家になるからといって言葉の勉強ばかりしていてはだめで、あらゆることを知っている必要があります。自発性や創造力を養うことが大事なので、子どもの自己肯定感を踏みにじるような叱責は厳禁ですし、体罰などもってのほかです。教師は学生個々の持ち味を見極め、適切な援助をしましょう。向いてないことをムリヤリやらせても時間の無駄だし、誰も幸福にしません。家庭教育ではなく、学校教育を推奨します。学校教育をディスる論者もいますが、学校に通ってダメになる程度の奴は、家庭教師をつけたところで大成しません。
 と書いたところで、将来有望と見込んでいた自慢の子供が死んでしまった。若くして死んだ妻のことも思い出した。うおおおおおお、辛すぎる。こうなったら学問に打ち込むしかない。
 話すことも書くこともたっぷり練習しましょう。良いお手本をたくさん読んで、暗唱しましょう。お手本としては特にキケロがお勧めです。座学だけでは立派な弁論家になれませんので、たくさん練習しましょう。

【感想】理想的な弁論家を教育するために必要な事項が思いつくままに羅列してあって、教育を実践する上で必要なことは一通り網羅されているような印象は受けるが、決して体系的・論理的な記述ではない。そういう意味ではローマっぽい(ギリシアではなく)と言えるのだろう。
 またルネサンス期にペトラルカからエラスムス、アグリコラ、ヴィーベス、あるいはモンテーニュに至るまで大きな影響を与えている一方で、啓蒙期を経てロック・ルソーあたりには射程が届いていないような感じも拭えない。産業革命と自然科学(コペルニクス・ニュートン)による断絶は超えられなかったと理解していいのだろう。雄弁術は所詮は蓋然性(如何様にもあり得る)について扱う技術であり、天文学やニュートン力学のように100%の確実性を扱う学問領域にはまったく噛み合わない。ラプラスの悪魔がリアリティを持って受け容れられる時代に、蓋然性の技術が顧みられなくなるのはまったく不思議ではない。だがその射程距離の限界も含めてマイルストーンとしての役割を期待できるような、人文主義的教育思想の起源の一つとして何度も立ち返って参照すべき教育学の古典であることは間違いない。

 しかし一方で想像力を逞しくしてみると、中世から近代への移行期に本書が重んじられたのは民主主義への離陸にとっては大きな意味を持つかもしれない。スコラ神学による階層的コスモロジーと身分制封建秩序が噛み合ったヨーロッパ中世では、一人の人間の雄弁の力によって世界を変えていくことはちょっとイメージしにくい。雄弁術自体、中世スコラ学の世界では単なる修辞学へと矮小化していた(あるいはクインティリアーヌスの生きた帝政ローマの時代に既に共和制を制度的な裏付けとする雄弁の精神は衰退していたわけだが)。しかし階層性ではなく多様性を基盤とする近代社会では、世界は如何様にもあり得るため、蓋然性をコントロールする技術である雄弁術が活躍する余地も生まれてくる。というか民主主義が公共的な対話の過程から立ちあがるものだとすれば、まさに雄弁術こそが民主主義を裏付ける技術となる(実際、福沢諭吉はそう理解していた)。また蓋然性をコントロールする雄弁術の試みの中から、特に人間と動物・人間と神との比較という主題(およびその練習)を通じて、「人間の尊厳」という観念が結晶化してくる。ピコ・デラ・ミランドラは、哲学に対する雄弁術の優位性を追求していたのではなかったか。はたしてルネサンス期に雄弁術が復活してくるのは、階層性秩序(キリスト教的・封建的)が崩壊する過程で何らかの蓋然性を確保しようという動機に裏付けられていたのかどうか。中世の秋における多様性と蓋然性という観念を補助線とすると、どうやら雄弁術というものが近代とは何かを考える上で重要な研究対象として浮かび上がってくる気がするし、そういう意味でクインティリアーヌスはなかなか侮れないのであった。

 読み物としては、亡くした子供と妻を嘆く第6章の特異っぷりが、意表を突かれて印象に残る。今も昔も変わらない人間性の本質が存分に表れた箇所と言うべきか。

【今後の研究のための備忘録】道徳性と普通教育
 まず本書で決定的に重要なことは、クインティリアーヌスが弁論家の教育の目的を単なる技術ではなく道徳性に置いていることだ。

「さて、ここでは完璧な弁論家を育てるのが目標なのですが、「よき品性の人」でなければそれたり得ないのです。それゆえ弁論家にはただ話す能力が卓越しているだけでなく、精神のあらゆる徳性を備えていることを要求するのです。」第1巻序文

 これが重要だというのは、本書の目指す教育がいわゆる「専門教育」ではなく「普通教育」の文脈で語られることになるからだ。単に技術を身につけることを目指すのであれば、弁論家という極めて限られたキャリアを志向する対象にしか当てはまらない。しかし道徳性の育成という普通教育の文脈に置かれると、全ての子どもたちを対象とした教育論として読むことが可能となる。本書が2000年の時間を超えて生き残ったのも、普通教育の書として読み継がれてきたからだ。
 ただし、本書全体を通覧した時、普通教育に関わる話は全体の2割以下の分量(特に全12巻のうちの第1巻)しか持たないことは踏まえておいた方がいいだろう。紙面の大半は弁論家を育成する専門教育の話に費やされている。(ラテン語の音韻変化や綴りの具体的な考察は、失礼ながら専門外の人間にとっては退屈ではある)
 普通教育に関わるトピックは、ルネサンス期の教育論に極めて大きな影響を与えている。たとえば幼少期の時分から教育をためらってはならない早期教育論はエラスムスなどにそのままそっくり引き継がれている。しかもしっかり発達段階を踏まえて、「遊び」を学びの手段として活用する論点も多くのルネサンス期教育論に引き継がれている。

「何にも増して避けるべきことは、まだ学業を愛することのできない年齢の子供がそれを嫌悪したり、一度味わってしまった苦い想い出のために幼児期が終った後までも学業をこわがってしまうようにさせてしまうことである、幼少の時の学習には遊びがなければならない。」第1巻第1章20

【今後の研究のための備忘録】体罰否定
 また特記しておくべきことは、明確な体罰の否定だ。

「勉学というものは強制され得ない学ぼうという意志にかかっているからである。」第1巻第3章8
学習するものを叩くということは一般に受け容れてもいるし、クリュシッポスもこれに反対していないとはいえ、私は少しも認める気にはならない。それは第一に、醜く奴隷的な扱いであり、疑いもなく(どの年齢にあてはめてもだとうすることであるが)一つの不正な侵害だからである。また第二に、その子供の心が叱責によっては矯正されないほどに〔自由民らしくなく〕下劣だとしたら、奴隷の中でさえ最も手に負えない者の場合と同様、たとえ笞に訴えても変わりはしないであろうからである。第三には、その子供の側について熱心に勉学を監督してやる者がいれば、こういう折檻さえ不必要となろうからである。」第1巻第3章14

 上げられている3つの理由が極めて明瞭で、一つめは自主性・自発性を阻害するという観点、二つめは教育可能性という観点、三つめは教育環境という観点だ。現代にも通用するかどうかは丁寧に検証する必要はあるが、2000年前から明確な理由と共に体罰が否定されていたという事実は踏まえておいて損はない。

【今後の教育のための備忘録】個性
 また繰り返し繰り返し、子どもの個性を把握してそれに適した方法を工夫するべきだという話が出てくる。

「教育を委ねられた子弟たちの才能の相違を周到に見分け、それぞれについて生来の傾向が主として何処に向っているかを知ることは、教師たる者の資質だと普通見做されているが、これはもっともなことである。実際生来の素質には信じ難いほどの多様性が見られ、体つきの違いにも優るとも劣らないほど色々な精神の型があるものだからである。」第2巻第8章1
「そのために、大抵の者には、個々の生徒を教えるには自然が授けた固有のものを、善き学問で育んでやり、生まれつきの才能をそれの傾く方へ向けて極力援助してやるのが有益だと思われたのである。」第2巻第8章3

 もちろん近代的な人権観念から個性を尊重しようという話ではなく効率や有効性の観点から語られているわけだが、教育の方法に関連づけられながら子どもの多様性が観察されていることは注意しておいていいだろう。そしてこの論点も、ルネサンス期教育論にそのまま引き継がれていく。むしろ啓蒙期以降の自然科学的な教育のほうが子どもの個性を度外視して進む傾向にあったりしないか。

 また、本文にも「個性」という言葉が登場する。

「アラトスは主題に盛り上がりが乏しく、その作品には変化も感情の起伏もなく、登場人物の個性も、どんな種類の弁論も見出されない。」第10巻第1章55

 原文のラテン語でどんな語が対応しているかは機会を見つけて確認しておこう。

クインティリアーヌス『弁論家の教育1』小林博英訳、明治図書世界教育学選集96、1981年
クインティリアーヌス『弁論家の教育2』小林博英訳、明治図書世界教育学選集97、1981年

【要約と感想】マキァヴェッリ『ディスコルシ―「ローマ史」論』

【要約】真の実力(ヴィルトゥ)を身につけて、運(フォルトゥナ)を乗り越えていこう!

【感想】代表作『君主論』と比較すると、こちらのほうが論の運びが丁寧で、実例も多く、視野も広い。が、その分、勢いには欠け、全体を通じての統一感は薄い。そして表面上、『君主論』のほうは君主制を称揚する一方、本書は共和政を重視しているように読める。また本書はローマ帝国の事例を豊富に扱っているだけあって、古典教養を重視する人文主義の傾向が強くなっている。
 とはいえ共通点ももちろん多く、まず解説でも指摘されているとおり「力(ヴィルトゥ)」への志向は一貫している。日本語ではいろいろな言葉に翻訳されているが、要するに、現実に影響を及ぼすことができる真の実力を意味している。偏差値や学力などのように相対的で潜在的な可能性を意味している言葉ではない。これがいわゆるマキアヴェリズム(目的のためなら手段を選ばない)に直接通じる傾向だ。
 そしてもう一つの共通点は、心理主義的な傾向だ。人々の行動の裏にある欲望や心情を推察し、その流れに乗ると何事もうまく運ぶし、逆らうと失敗する、と一貫して主張している。これは現代では当たり前のことなのだが、中世までは「こうあるべし」という規範を土台に据えた議論ばかりで、人間の欲望や心情を根本に据えて展開する議論にお目にかかることはない。この傾向が、いわゆるマキアヴェリズムの「手段」の説得力に関わってくる。
 ということで、「力への志向」と「心理主義」の二つが組み合わさって、目的のためなら手段を選ばないというマキアヴェリズムが成立するように思える。この2つとも中世までには見当たらないものだし、後の近代の傾向を先取りしているようにも思える。
 逆に言えば、「目的」についてはさほど大きな関心を持っていないように思える。『君主論』は確固たる君主制の実現を目指す方法を説き、『ディスコルシ』は国家を発展させるためには共和政のほうがよいと言っていて、表面上は矛盾しているわけだが、そもそも著者が「目的に関心を持っていない」と考えれば、辻褄が合ってしまう。いったん何かしらの目的を置いてしまえば、あとはそれを実現するための「手段」の考察に全力をかける、というわけだ。これは確かに「目的論の世界」にどっぷり浸かっていた中世から離陸した態度と言えるような気がする一方、アリストテレス(あるいはアヴェロエス主義)の姿勢を極端に推し進めたものとして中世から連続するものと考えてもよいような気もする。こうなると、マキアヴェッリが当時の「自然科学」からどの程度の影響を受けていたかが俄然気になってくるのであった。

【個人的な研究のための備忘録】マキアヴェッリにおける教育
 「教育」に関わる文章がそこかしこに出てきた。が、いま我々がイメージする「学校教育」を語っているわけではないことには注意する必要がある。

「英雄的な偉業は正しい教育のたまものであり、正しい教育はよき法律から生まれる。」42頁
「こうした連中が腐敗した都市に住みなれて、彼らの心に立派な人格を作る教育を受けていないような場合には、どんなささいなことにでも必ず異議を差し挟むものだ。」595頁
「このように好運に恵まれれば得意になり、逆境に沈めば意気消沈する態度は、君たちの生活態度とか、受けてきた教育から生ずるものなのである。教育が浅薄であれば、君たちはそれに似てくる。教育がそれと逆の行き方であれば、君たちは違った性質になる。」602頁
「同じような行為とはいうものの、地域によってその内容に優劣があるのは、それぞれの地域で教育の仕方が違うので、それにつれて異なった生活態度を掴み取るようになるからである。」642頁
「それぞれ異なった家風をもたらす原因は、教育差に基づくものである。なぜならば、若者は幼い時から、事の理非善悪をたたきこまれてはじめて、やがて必然的にこの印象がその人物の全生涯を通じて行動の規範となるからである。」649頁

 上記引用文で言及されている「教育」は、明らかに社会教育を含意している。子どもたちを一定期間教育施設に閉じ込めてもっぱらトレーニングを課す学校教育ではない。そして社会教育とは、「法律」を通じた人格形成を意味している。知識を脳味噌に詰め込むことではない。マキアヴェッリは本書を通じて「良い法律」の制定と遵守を極めて重視している。それは単に治安を維持するためだけでなく、それ以上に、ここで言及されているように「教育=人格形成」に対する効果を考慮してのことだ。「法律」を通じた平時の教育によって確固たる人格を形成することで、緊急時(主に戦争)においても毅然たる行動をとることが可能となる。
 このような「法律」を通じた教育は、なにもマキアヴェッリだけが主張しているわけではなく、プラトン(あるいはソクラテス)以来の伝統だ。またあるいは、「学校教育」による人工的な教育など近代になってから初めて登場したものであって、西洋だろうが東洋だろうが、「教育」と言えば法律を通じた社会教育を含意していたことには注意しておいていいのだろう。だからinstituteという言葉は、現在では「制度を設ける、制定する」という意味で理解されているが、中世までは「教育」を含意していた。(そういう観点から、上記引用部の「教育」の原語が何かは調べておいていいのかもしれない・・)

 一方、「学校」に関して興味深い記述があった。

「市内の上流貴族の子弟が学んでいた学園の一教師が、カミルスとローマ軍の歓心を買おうと考えた。彼は城外において実習を行なうという口実を作って、カミルスの陣営へ生徒全員を連れて行った。そして生徒をカミルスに引き渡し、彼らを人質にすれば、この都市はあなたの手に落ちましょうと言った。だがカミルスは、贈り物を受け取らないばかりか、この教師をまる裸にして後手に縛りあげ、生徒の一人ひとりに鞭を渡し乱打させたあげく、生徒の手で市内に送り返した。」561頁

 街の外で「実習」を行なうということだが、いったいどんなカリキュラムでどんな実習を想定していたかがとても気になる。

【個人的な研究のための備忘録】昔はよく見える
 「昔はよかった」という語りをけちょんけちょんにやっつけている文章があったので、引用しておく。

「人間は、しばしば理由もなしに過ぎ去った昔を称え、現在を悪しざまに言う。このように古い時代に愛着をそそられがちな人びとは、歴史家が書き残した記録を手がかりとして知りうるような古い時代だけにとどまらず、すでに年をとった人びとがよくわるように、自分たちの若かった頃に見聞きした事柄までも褒めあげるものである。人びとのこんな考え方は、たいていの場合間違っていることが多い。」267頁

【個人的な研究のための備忘録】自由
 「自由な政体」のほうが軍事的にも経済的にも発展するという主張は、古代のトゥーキュディデース『戦史』にも見えるところだ。現代の中国やロシアは、果たしてどうなるか。

「国家が領土でもその経済力でも大をなしていくのは、必ずといってよいほどその国家が自由な政体のもとで運営されている場合に限られている」283頁

【個人的な研究のための備忘録】人格
 「人格」という言葉を見つけたのでメモしておく。原語が何かは未調査。

「当人の人格を侮辱すること」479頁
「この人物が立派な人格と力量とで」594頁

マキァヴェッリ『ディスコルシ―「ローマ史」論』永井三明訳、ちくま学芸文庫、2011年

【要約と感想】アープレーイユス『黄金の驢馬』

【要約】帝政ローマ期(2世紀)の小説です。魔術への好奇心をこじらせた育ちの良い若者が、手違いで驢馬に変身してしまい、次々と主人が替わる先々で辛酸を嘗めながらも、浮き世の容赦ない試練をなんとか耐え抜いて、最後にはイシス神のおかげで無事に人間に戻ることができ、感謝の修道生活に入ります。
 物語の本筋(箱)とは無関係に語られる挿話が質量共に富んでいます。クピードーとプシューケーの恋話、恋敵を殺して自分も殺される話、傲慢な兵隊の気紛れで酷い目に遭う一般庶民の話、強欲な領主によって破滅する一家の話、間男の奸智で夫が酷い目に遭ったり、迂闊な間男が酷い目に遭ったりする話など、男も女も金と愛欲に目がくらんで狡猾かつ無慈悲に力を振り回す人間ばかり登場します。

【感想】まあ、人間ってやつは二千年経ってもまったく変わらず、どうしようもなく度しがたい生き物だな、という感を強くする。みんな金を手に入れて愛欲を満たすため、自分の持てる力を最大限に発揮しようと必死だ。男は腕力を、女は毒を使う。油断も隙もあったものではない。他人を幸せにしようとする無私の行動などひとかけらも見あたらない。生き馬の目を抜く(本作の場合は生き驢馬の目を抜くか?)ような欲望全開のローマ帝政期に、無私の愛を説くキリスト教に救いを求める人が増えたのは、不思議なことではない気もする。まあ、著者があえて世間の裏面を意図的にクローズアップして、ゴシップ的に描写しているということはあるかもしれない。
 本書の著者はキリスト教(あるいはユダヤ教)については詳しい知識を持っていなかったらしく、本文中では怪しい「一神教」としてのみ扱われている。最終的に主人公を救って人間に戻してくれるのも本来はエジプトで信仰されていたイシスという神格で、他にシュリア・デア(シリアの女神)を信奉する怪しい淫乱宗教集団も登場するなど、ローマ帝政期の多神教の様子がうかがえる。
 一方、クピードーとプシューケーの挿話(日本では一般的にアモールとプシュケーとして知られている)は、西洋古典絵画や彫刻の普遍的なテーマになっていて、私もこれまで様々な作品を見てきたけれども、原典がこの小説に納められていたのは少々意外な感じがする。他の話が下世話で下品で残酷なものばかりなため、この美しい挿話だけが浮いている印象もある。まあ、この話を語った老婆は最終的に盗賊たちによって吊され、話を聞かされた娘の方も惨殺された恋人の敵討をしてから死んでしまうわけだが。まあ、おそらくクピードーとプシューケーの物語は当時の人々の人口に広く膾炙していたもので、大半の文献が散逸してしまった中、たまたま本書に収録されたもののみが時を超えて残った、ということなのだろう。

【今後の研究のための備忘録】学校
 学校に関するセリフが出てくる。

「あのアレーテのことでしょう。私の学校友達なのよ、お前の話しているのは。」巻の9、348頁

 ある奥方が不倫相手を物色しているときに、学校友達が旦那にバレないように上手に不倫をした賢いやり口を参考にするという、酷く下品な文脈で出てくるセリフだ。その不倫をしたい奥方と、不倫を成功させた奥方の関係が「学校友達」ということなわけだが、帝政期ローマの「学校」に女性がどういう関わり方をしていたかをうかがわせる貴重な資料ではある。

アープレーイユス『黄金の驢馬』岩波書店、2013年

【要約と感想】小川正廣『書物誕生ウェルギリウス『アエネーイス』神話が語るヨーロッパ世界の原点』

【要約】多民族共存の平和な世界を志向する普遍的な発達史観を提示したという意味で、現在のヨーロッパの原点にあるのはウェルギリウスの叙事詩『アエネーイス』です。歴史の節目節目で読み返され、そのたびに新たな価値を見出されてきた古典です。
 主人公のアエネーアスは、滅亡するトロイアから脱出し、父や仲間と友に地中海を彷徨、カルタゴでは女王ディードの犠牲に衝撃を受けつつ、冥界巡りなども経て、いよいよイタリア半島に上陸、強大な敵軍の将を大激戦の末に退け、永久のローマの礎を築きました。それはウェルギリウスが時のローマ皇帝アウグストゥスへのメッセージでもありました。

【感想】ダンテ『神曲』を読み終わって詩人ウェルギリウスに興味を持ち、本当は『アエネーイス』そのものを繙くべきところ、残念ながら手近に物がなかったので、代わりに本書を手に取って読んでみて、結果としてとても満足。そのうちアエネーイス本体も手に入れて読もう。あらすじを読んだだけでも英雄譚として胸躍る物語に感じたし、加えて古典の持つパワーを己の血肉とするべき所存。
  若い頃は、文芸的には圧倒的にギリシア>ローマだと思い込んでいたが、実際にギリシア・ローマ(ラテン)の古典にそこそこ触れてた現在では、ローマ文芸のレベルがそうとう高いことが分かり、そう簡単にギリシアの方が上だと決めつけるわけにはいかないように思っている。乱暴に違いを際立たせると、ギリシア文化が結局はローカルな思索探究に留まったのに対し、ラテン文化はヘレニズムを経て普遍的な世界を志向する。ウェルギリウスやキケローは、その普遍化志向の先駆けと呼べる人物に当たるということなのだろう。そしてキケローとウェルギリウスの影響をまともに受け取めたアウグスティヌスが、多神教と一神教で形式的な立場は違えど、古代ラテン文化の最終的な総括という感じか。

【今後の研究のための備忘録】ダンテの理解
 ダンテによるウェルギリウス理解に関する記述が興味深かった。というのは、「古代/中世/ルネサンス/近代」という歴史区分概念に直接深く関わってくるからだ。

「たとえば、一四世紀初めにダンテが『神曲』の中で地獄から煉獄をへて楽園に導く人としてウェルギリウスを登場させたのは、ヨーロッパ世界が中世から近代へと生まれ変わり始めた時だった。やがて、ルネッサンスは『アエネーイス』をモデルとする民族の理想を歌った各国の叙事詩によって彩られ、そしてヨーロッパの近代化が絶対王政を出現させたときには、この古代叙事詩は君主のリーダーシップの書として盛んに読まれた。」8頁

「『神曲』の冒頭部分でダンテが「あなたがあのウェルギリウスですか」と呼びかけたその瞬間に、八〇〇年以上前に消え去った古代世界と中世以降の新しい西洋との間に橋が架けられ、やがてこの詩篇の完成とともに、古代近代は、その橋を渡るヨーロッパ国際道とも呼ぶべき文化的・精神的な太い幹線道路で結ばれたと言うことができるだろう。」p.51

 ここまでは高校の教科書にも書かれているような理解ではある。ダンテ+ペトラルカ+ボッカッチョの14世紀イタリア・ルネサンスを経て中世から近代へと突入するという教科書的理解。しかし個人的に気になっているのは、ダンテが中世に属するのか、ルネサンスに属するのかという見極めだ。教科書的には乱暴にルネサンスに属する扱いをされがちなのだが、話はそう簡単ではない。

「少なくともダンテは、西暦一三〇〇年代に生きる人間の立場から、太古よりそれまでの人類の歴史を見通して、その遠大な歴史の座標軸のうえにウェルギリウスの詩業を正確に位置づけ、そうして現在から未来にむかう歴史の方向を測定しようとした。ただし、その歴史の方向とは、中世のキリスト教徒ダンテによっては、もちろんルネッサンスの人々が描くような古代の復活・再生ではなく、最終的にイエスの再臨とともに実現する終末の世界にほかならないのであるが。」p.58

「ダンテの構想した世界の中で、ウェルギリウスはいわば自分の弱みさえさらけ出し、しだいに限界をあらわにし、最終的にしかるべき場所に配置されるのだ。そのような、言ってみれば古典詩人に対する批判と限定化は、中世の申し子である「息子」ダンテが新しい時代の詩人として成長し自律するためにはどうしても必要なプロセスであり、そして、その評価と吟味のプロセスをへることによって、ヨーロッパは初めて古代の精神を実質的に体内に吸収・同化して、近代世界へとしっかりした足取りで歩み始めるのである。」p.60

 本書は、ダンテをルネサンス人ではなく、明確に中世キリスト教徒と規定している。私も、専門家ではないから著者の厳密な考察には及ばないが、同じような感想を抱いている。ダンテは、まだルネサンスではない。おそらく同様にペトラルカも。しかしボッカッチョだけは近代に片足を突っ込んでいるかもしれない。

「こうしてダンテの徹底した鑑定をへて、ウェルギリウスの叙事詩は、地上世界のドラマとして、その後ルネッサンスから近代において再び広範に受容される下地が作られたと言える。」p.65

 しかしもちろんダンテの仕事があって、その後のルネサンスと西洋近代があるのも間違いない。あるいは、仮にダンテがいなくてもルネサンスと西洋近代が起こったとして、少なくともダンテは中世の終わりを可視化する役目は最大限果たしている。あるいは、14世紀においてフィレンツェという都市だけが異常に先を走っていたと考えるべきところか。

小川正廣『書物誕生ウェルギリウス『アエネーイス』神話が語るヨーロッパ世界の原点』岩波書店、2009年

【要約と感想】小池和子『カエサル―内戦の時代を駆けぬけた政治家』

【要約】カエサルを扱った本は既に山ほど出版されていますが、本書の特徴は、学問的な成果に基づいてごくごく基本的な事柄を扱いつつ、同時代の時代状況や政治制度、あるいはキーパーソン(特にキケロー)の動向を踏まえて、カエサルの一生と人となりを描くところにあります。
 政治史的には、マリウス(平民派)とスッラ(閥族派)の抗争から内乱の一世紀に突入し、ポンペイユス・クラッスス・カエサルの三頭制を経て、最終的にカエサルがポンペイユス等との内戦に勝利、独裁制を始めることになります。

【感想】『ガリア戦記』は読んだし、キケローの著作や書簡集にも目を通したし、サルスティウスやルーカーヌスなど同時代の歴史書も読んだので、本書は「答え合わせ」の意図をもって読み始めたのだけれども、いやいや、知らないことだらけだった。勉強になった。
 で、私の個人的な好みとして、歴史が動くのは一人の英雄的行為ではなく、経済史的背景が決定的な要因になっていると考える傾向にある。本書は経済史的背景の要点を簡潔に押さえ、それを踏まえて各陣営の動向を説明するなど、私としてはかなり納得しやすい書き方になっている。カエサルが確かに代わりが効かない時代の英雄(秦の始皇帝や織田信長などと同様)であることは間違いないとしても、彼がその才能を十分に発揮するためには経済史的背景が煮詰まっている必要はあるだろう(秦の始皇帝や織田信長などと同様)。まあ、ローマ共和政末期の経済的矛盾(中小農民の没落)そのものは高校の世界史教科書に書いてある程度の知識ではあるが。
 一方、本書はカエサルの人となりについてはかなり抑制して描写している。学術的に確かな事柄しか扱わないという姿勢が現れている。が、それでもカエサルが魅力的な人物だったんだろうな、と覗わせる記述はそこかしこにある。敗北者には寛容だが、自らの尊厳を汚した相手は徹底的にやっつける。そんなカエサルと比較すると、キケローのほうがキレイゴトばかり並べる小物に見えてしまうのは仕方ないのであった。

小池和子『カエサル―内戦の時代を駆けぬけた政治家』岩波新書、2020年