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【要約と感想】志水宏吉『公立小学校の挑戦―「力のある学校」とはなにか』

【要約】いま全国的に学力格差が広がっていますが、その問題を克服している力のある学校もあります。教員同士が「集団」として一丸となり、いわゆる「しんどい子」を中心にした「集団づくり」に力を入れている学校は、学力が高くなります。経済資本や人的資本のハンディを克服するポイントは、「社会関係資本」です。

【感想】本書のキーワードは「集団」だ。具体的には教員同士の「集団」の質と、子どもたちの「集団」の形成が、学力向上にとって決定的な鍵を握る。
教員同士の集団の質としては、「個々の教師は、自分らしさを保ちながら、しかもチームワークで動いている」(56頁)という文章が象徴的だ。「集団主義」とは「全体主義」の対極にあるものだ(59頁)。人格の尊厳を土台とした集団(societyとかassociation)形成が重要なのだ。個々の人格を無視した集団は、目的意識を欠落させたただの大衆(mass)となる。残念ながらassociationとmassの区別をつけずに「集団」を即座に否定する論調も散見されるところだが、本来の「集団」とは「個」を活かすものだ。
そして子どもたちの集団づくりも、人格の尊厳を保証するところから成立する。ただ単に同調圧力を強めるということではない。

とはいえ、疑問もなくはない。「長時間労働にもかかわらず、皆はつらつと仕事をしている」(55頁)という記述に対しては、本書発行から16年を経た現在では、やはり疑問を感じざるを得ない。教師の長時間労働が前提となる実践では、やはり手放しで賛同するのは難しい。真似できると思えない。良質な労働環境を確保しながら同じ成果を挙げていくための知恵と工夫が必要となっている。

ちなみに本書は志水宏吉『学力を育てる』のダイジェスト版に当たる。本書は小学校の事例だけを扱っているが、『学力を育てる』のほうでは同じ学区の中学校の事例も加わって、話に厚みがある。

志水宏吉『公立小学校の挑戦―「力のある学校」とはなにか』岩波ブックレット、2003年

【要約と感想】佐藤優・杉山剛士『埼玉県立浦和高校―人生力を伸ばす浦高の極意』

【要約】ホンモノのエリートに必要なのは、理系や文系などに関係なく、自分をマネジメントできる「総合知」です。受験勉強も含め、一見役に立たないようなことも、総合知を磨くのに役立ちます。文系でも数学を捨ててはいけません。

【感想】数学や理科を捨てるような受験テクニックに特化した新興進学校を揶揄しつつ、総合的な知力を磨く伝統的進学校(浦和高校も含め、灘や桜蔭)の教育方針を称揚している。まあ、私も御多分に漏れず地方公立名門校(愛知県立岡崎高校)を出て現役で東大(理科Ⅰ類)に合格している手合いではあるので、言いたいことは肌感覚で分かってしまったりする。数学を完全に捨てて私立文系に進んでも、確かに本書の言う「ホンモノのエリート」になることはないだろう。まあ、それが良いことか悪いことかは、また別の議論になるのだけれども。

本書で一番感心したのは著者が浦和高校の生徒に直接アドバイスするパートで、特に在日二世の子に話しかけた内容には不覚にもうるっときてしまった。とても良い大人のアドバイスだと思った。

とはいえ、著者(佐藤優)の見解には同意できるところと「おや?」と思うところが混在しており、本書でも「怪しいな…」と思ったところは何点かあるのだが、一番おかしいと思ったのは大学の「作問力」に関する話だ。著者(佐藤)は、大学は生き残りをかけて独自の大学入試問題を作るべきだと主張するのだが、現実の国際的・国内的なトレンドはAO入試全面導入に向かっている。一発入試で学力を推測するのではなく、高校生活全般で培った人間力を計測する方向に向っているのだ。そして加えて、大学が独自に入学許可基準を設定するのではなく、高校が設定した卒業認定基準に準拠する方向へと向っているのだ。本書は、こういう総合的な学制改革(大学カリキュラム改革+高校カリキュラム改革+大学入試改革)の情報をアップデートできていないように読めたのだが。さて、教育に関する「情報」に精通していないのは、私のほうなのかどうか。【参照:センター試験廃止で大学入試は「カオスな世界」になるのか?

佐藤優・杉山剛士『埼玉県立浦和高校―人生力を伸ばす浦高の極意』講談社現代新書、2018年

【要約と感想】R.P.ドーア『江戸時代の教育』

【要約】日本が植民地化されなかったのは、江戸時代の教育のおかげかもしれません。たとえば経済的合理主義と実用主義に基づいた教育が庶民に行き渡っており、個人的な向上という観念が根付き始めていたことは、明治以降の国民教育のすみやかな浸透にとって有利な条件でした。また儒学が普遍的な原理を志向して創造性を発揮する余地を残していた上に、実績による競争原理が一定程度導入されていたことは、明治維新期の変革にはずみをつけました。
とはいえ、日本人が純粋に「学ぶこと」を喜びを感じる民族であったことが、教育にとってはとても幸せなことでした。

【感想】もう50年近く前の本だ。明治維新で教育が途切れていると見るのではなく、江戸時代と近代を連続的に捉えようとする視点は、石川謙の仕事と本書が常識にしていったのかもしれない。今ではお馴染みの論旨になっている。

経済的合理性と業績主義=メリトクラシーの展開に焦点を当てて江戸時代と近代教育の連続性を捉えようとする理論枠組は、極めて明快だ。が、使用している史料はほぼ刊行済みの資料集ばかりだ。もっぱら刊行済資料の読み取りと理論仮説の検証に終始する。足で史料を稼いで新しい知見を加えるというタイプの地道な研究ではない。また著者がイギリス人だけあって、イギリスとの比較教育史的な見解とユーモアも多々示される。本書の持ち味と限界は、このあたりの方法論に由来するだろう。

この50年の間に寺子屋や藩校など江戸時代の教育に関わる様々な新史料が発見され、様々な知見が加わっている。このような地道な史料捜索の努力を本書に見ることはできない。また講座派や労農派が積み重ねてきた江戸時代の経済史的な背景についても触れられておらず、もっぱら教育関係史料に依拠しているのも、本書の限界だろう。江戸時代と近代の連続・非連続を議論の対象にするなら、やはり日本資本主義論争の成果を踏まえておく必要があったのではないか。

とはいえ、本書の見解を根本的に覆すような画期的な新発見があったかというと、必ずしもそうとは言えないだろうとも思う。本書が示した理論枠組は、50年経った今でも基本的に有効なようにも思う。今でもなお読む価値があるかと聞かれれば、「あるんじゃないの?」と言うしかないのだった。

【今後の研究のための個人的メモ】
Educationという言葉の意味に関して、ネイティブの見解が示されているところは、なかなか興味深い。

「Education(教育)という語は英米人にとって一般に「学校で行なわれる事」、更に厳密にいえば「何らかの正式かつ規則的な手順に従って児童の能力、知識ないし態度の発展に影響を与えようとする意識的な行為」を意味し、この意味では親による人格づくりを主な内容とするupbringing(養育)や純粋に知的錬成を主眼とするstudy(学習)とは明瞭に区別される。一八世紀末以来「教育」という日本語は――近代日本においても今なお使われているのと――大体において同じ意味で用いられることが多くなる。」p.30

また、江戸時代の学習手法として、現在で言うところの「アクティブ・ラーニング」が常識的であったことは、改めて思い起こされてよいかもしれない。

「彼らとて、もし問われれば、児童にとって何か他の形での組織的訓育が必要であろうということをおそらくは否定しなかったかもしれないが、彼らの関心は主として教義の「学問」learningにあった。」p.31
「講釈」というような一斉教授の形態について、「それは、個々の生徒の能力に応じて教材を類別することを不可能にするもので、従って学生にとって有害である。それは形式的な衒学ばかりを教え、独自の探求を行なう能力を失わせ、生徒を受動的な学習機械に変えてしまう、と徂徠は説く。」p.129

また、ネット上には江戸期の識字率を80%と見積もるような驚くべき常識外の見解を示している文章も散見されるが、本書の著者が「就学率」を慎重に見積もっていることは、押さえておきたい。

「従って維新当時のこの種の教育の普及状況について量的な推定を行なうことはむずかしい。最も事実に即した推定は、日本の全男児の四〇%強、女児の約一〇%が家庭外で何らかの改まった教育を受けていたというところだろうと思われる。」p.235

そしてまたナショナリズムについて、明治以後に「想像の共同体」が成立するという議論が90年代に流行ったが、著者が江戸期から「想像の共同体」が成立しつつあったと言っていることには、注意しておいていいかもしれない。

「更に、個人的な向上という観念が普及していれば、国家としての向上という観念もそれだけたやすく理解され、受入れられることができたのである。」p.269
「寺子屋教育の内容の中にも、人が単に将軍の城下の町人や岡山藩主の百姓ではなく、日本国の一員であるという意識を児童に植付けるだけのものがあった。児童は国内の遠く離れた地方の地名や産物のことを習った。」p.273

R.P.ドーア/松居弘道訳『江戸時代の教育』岩波書店、1970年

小学校は「刑務所通わされてるようなもん」なのかどうか?

日刊スポーツが「堀江氏、小学校は「刑務所通わされてるようなもん」」という記事をネット配信した(2019年5/10)。彼の価値観云々に対してではなく、このような言説を含めた状況全体について、思ったことがあるので、備忘録がてらコメントを残しておく。

まず「学校が刑務所のようなもの」という見解には、学問的なモトネタが存在する。ホリエモンのオリジナルではない。フーコー『監獄の誕生』(1975年)やイリッチ『脱学校の社会』(1971年)等で、40年以上前から学問的に示されてきた見解だ。それらの著書では、学校と刑務所(さらには病院)を、単に比喩的な意味ではなく、人間性を強制的に作り替えるものとして、本質的に同じ作用を持つ権力装置として議論している。そこには「近代」という時代の本質に対する透徹した洞察が示されている。

そもそも昔は、人々の大半は学校に行っていなかった。平安時代や鎌倉時代には、99.99%の人間は学校に行かなくても、生活上なんの問題もなかった。ヨーロッパでも事情は同じだ。大半の人間は学校なんかに行かなくても、普通に暮らすことができた。
しかし現在は逆に99.99%の人間が学校に行く。学校に行かなくては普通の生活ができないと、多くの人が思っている。どうして昔は学校に行かなくても平気だったのに、現在は行く必要があるのか? 本当に学校に行かなくてはいけないのか? この疑問を突き詰めていくと、学校や教育のみならず、「近代」に対する洞察へと至ることとなる。

結論だけ言えば、「資本主義で歯車となる人間」を供給するためには、人々を学校にむりやり収容し、生活習慣を強制的に組み替え、工場労働に適合する習慣形成を行う必要があるのだ。たとえば工場が期待する優秀な労働者とは、無断欠勤しない、遅刻しない、上司の命令はどんなに理不尽でも聞く、密告するなどの習慣を身につけた人間だ。
そして人間は、学校に通わなかったら、こういう習慣を身につけない。家庭学習で頭が良くなるだけでは、ダメなのだ。あらゆる人間をむりやり学校に収容し、長年にわたって工場労働に適合するためのトレーニングを積ませる必要があるわけだ。

資本主義を発展させるためには、こういった「歯車」が大量に必要であった。そしてその期待に、学校はしっかり応えた。日本が資本主義国へと成長できたのは、学校教育制度が機能したおかげと言える。これが「近代」という時代の特徴だ。

しかし、いったん資本主義が成長しきって成熟段階に入ると、実はこういった「歯車」が必要なくなってくる。単純作業は機械やAIがやってくれるし、会社が必要とするのはイノベーションを起こせるような創造的な人間だ。どちらにしろ「歯車」の需要はなくなる。このあたりの事情は、宮台真司が90年代から「成熟した近代」という言葉で主張している。たしか上野千鶴子も同じような主張をしていた。というか、80年代後半から、だいたいみんなが「近代は終わった」という議論をしていた。

こうして「近代」が終わると、「歯車」を世の中に大量供給していた学校の必要度も下がってくる。人々から学校へ通うモチベーションが失われていく。学校に行く必要を感じなくなる人々が増えてくる。不登校が増える。佐藤学が「学びからの逃走」と呼んだ事態が広がっていく。
ホリエモンが記事内で主張していることは、90年代から既に議論し尽くされた話を、「分かりやすい極論」として示したもののように読める。

さて、議論として必要なのは、「学校は必要だ」とか「必要ない」という主観的な意見ではない。「近代という時代がどういう特徴を持った時代で、どうして学校は近代では有効に機能して、そして21世紀ではそのままで機能するのかしないのか?」という問いの立て方が重要なのだ。
私個人としては「学校は機能しなくなる」とまでは言いたくないが、「このままの学校では、遅かれ早かれ機能しなくなる」という危機感は共有すべきだと思っている。ホリエモンの発言は教育界に1ミリたりとも影響を与えないわけだが、しかしそのイロニーに込められているものから学校の危機を感じておくのは、無駄ではないと思う。

個人的には、ホリエモンとは誕生日が20日ほどしか違わない同年代で、同じ時期に駒場や本郷にいたことから、動向が気になる人物の一人ではあるのだった。

【和歌山県高野町】高野山金剛峯寺で南無大師遍照金剛と唱える

高野山は空海(弘法大師)が816年に開山し、現在は100以上の寺院が建ち並ぶ宗教的聖地です。奥深い山中にあって交通アクセスは不便なのですが、険しい森を越えると意外なほど開放感ある空間が広がる、不思議な場所です。
今回は露天風呂のある宿坊に泊まって、ゆっくり高野山を巡ったのでした。

麓から歩いてきた巡礼者が最初に辿り着くのは、大門(重要文化財)です。巨大で、たいへん立派です。

が、まあ、私は公共交通機関で来たので、他のところを見て昼食後に辿り着いたのですが。

次回訪れるときは、ぜひ麓から歩いて登って大門を拝みたいと思います。

さて、大門を通過して参道をまっすぐ東に向かい、中門をくぐると、金堂や根本大塔などが立ち並ぶ壇上伽藍に出ます。

壇上伽藍の建物には、それぞれ中に入って参拝することができます。

今回はたっぷり時間があったので、大師教会・教戒堂で受戒して参りました。大勢の巡礼者と一緒に声を上げてお経を唱えるなど、日常的に経験できる儀式ではなく、改まった気持ちになったのでした。

さらに先に進むと、金剛峯寺(国指定史跡・世界遺産)があります。

しかし気になるのは、案内パネルの内容です。

これまで私は「高野山=金剛峯寺」と暗記していたのですが、案内パネルを読んで理解したところでは、金剛峯寺は実は空海とは直接的には関係なく、1131年に建立されたということですね。現在の歴史の教科書等にはどう書かれているのか、ちょっと気になるところでした。

さて、さらに参道を奥に進むと、奥之院一の橋に着きます。ここから雰囲気ががらりと変わります。

杉並木に囲まれた参道に沿って、歴史上の人物のお墓がたくさんあります。たとえば、明智光秀の墓。

そして、織田信長の墓。

死んでしまえばノーサイドで、同じ墓地に葬られるのですね。まあ、光秀や信長の墓は他のところにもあるのですけれども。

さらに奥に進むと、いよいよ弘法大師の廟所に着きます。この御廟橋の向こうは、聖地すぎるので、写真撮影禁止です。

というわけで、日常では不可能な荘厳な体験ができる場所でした。暗黒の地下道を手探りで進む体験とか、とてもおもしろかったです。

さて。で、つい空海(弘法大師)と最澄(伝教大師)を比較してしまうわけですが。高野山で感じたのは、空海個人の圧倒的なカリスマ性です。高野山は空海個人に対する崇拝で成立しているような印象を受けました。一方の比叡山には、確かに伝教大師の廟所をお守りする聖地もあるのですが、全山的に最澄個人のカリスマはそれほど感じませんでした。それは、比叡山では法然・親鸞・日蓮・道元・栄西といった絢爛たる鎌倉新仏教のエースたちが育っており、その痕跡が残されているからかもしれません。逆に高野山には、空海以外には教科書に載るような僧侶を輩出していません。そういう意味では生産性がないようにも思えてしまうわけです。
まあ教科書に載るような僧侶を輩出することが素晴らしいかどうかは一概には言えないのは確かですが、私のような「教育」畑の人間からしてみれば、ここに高野山と比叡山の本質的な違いを見てしまいます。いいか悪いかは別として、空海の個人的なカリスマ性が強い高野山において、教育的想像力を発揮する余地が比叡山と比較してどれほどのものだったのか、という疑問です。
あるいは、仏教本来の考え方から思い起こして、空海に対する個人崇拝でいいのかどうかという疑問にも通じるところです。私も高野山で「南無大師遍照金剛」(意味は、ざっくり言えば、空海を無条件で全面的に信頼しますので私のことをよろしくお願いしますという感じ)と唱え、空海個人への尊敬の念を顕わにして、受戒したわけですが。改めて思い返してみれば、個人崇拝で終わって仏教的に大丈夫なのかという。もちろん真言宗によれば仏教の奥義は言葉で表現し尽くせないものなので、私のような宗教センスのない人間が人間的尺度でどうこう言う問題ではないのかもしれませんが。単に空海への個人崇拝で終わってしまったら、教育的生産性は一切ないのも確かだと思うのです。個人崇拝が単なる通過点という理屈であれば、分からなくもないのですが。
あるいは、自分自身の宗教的能力に対する限界を謙虚に設け、真理の啓示者である聖人個人(空海)を信仰の対象とする在り方は、プロテスタント的であるという点では、一神教的な浄土宗と並んで、実はヨーロッパ的な宗教の観念に近いとは言えるかもしれない。

まあともかく、露天風呂のある宿坊に泊まり、夜は写経会に参加して外国人観光客に混じって般若心経を写し、朝は早くから読経会に参加したりと、極めて充実した時間を過してきたのでありました。
ぜひまた機会を作って訪れたいと思います。
(2015年6/19・20訪問)