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「遊び」について

遊びはなぜ重要なのか

 学生に「遊びはなぜ重要なのか」と聞くと、ほぼ例外なく、似たような答えが返ってくる。ストレス発散になる、コミュニケーション能力が育つ、想像力が伸びる、社会性が身につく。どれも間違っていない。しかし、どれも妙に収まりがよすぎる。
 それらの言葉はすべて、「役に立つ」という方向に整えられている。遊びが、何か別の価値へと変換されることを前提に語られている。
 ここに、最初の違和感がある。遊びは、本当に「役に立つから」重要なのだろうか。

資本主義と「役に立つ遊び」

 近代以降の社会において、遊びは明確な位置を与えられている。労働時間の外側、余暇としての時間である。そしてその余暇は、しばしば商品によって満たされる。娯楽、レジャー、コンテンツ、アプリ。私たちは遊んでいるというより、遊びを消費している。
 労働力が時間単位で売買されるようになると、労働時間とそれ以外の時間が切り分けられる。その外側に生じた時間が余暇であり、その余暇を埋めるものとして遊びが商品化される。さらに、その商品を購入する主体としての「消費者」も同時に形成される。
 つまり、遊びは単に発見されたのではなく、切り出され、商品化され、購入されるものとして再編成された。
 こう考えると、遊びの位置づけはかなり新しいものである。

かつて遊びはどうあったか

 では、それ以前の遊びはどうだったのか。
 前近代の庶民にとって、労働と遊びは未分化だった。田植え歌、祭礼、酒宴、共同体の行事。働くことと楽しむことは切り分けられていなかった。それらはすべて「生きること」の中に埋め込まれていた。
 一方で、貴族や権力者は、労働から解放された立場として、遊びを享受することができた。後白河院の『梁塵秘抄』はその象徴的な例である。遊女や傀儡の芸能を学び、それを収集し、記録する。そこには確かに「遊び」がある。しかしそれは、現代的な意味での余暇でもなければ、庶民に開かれたものでもない。
 遊びは存在していた。だが、それは今とはまったく異なる形で存在していた。それは労働から解放された層にのみ享受された。

中世の深層:「遊び」と畏れ

 「遊びをせんとや生まれけむ」という言葉がある。
 この「遊び」を、現代的な意味でのレジャーとして読むと、たちまち陳腐になる。しかし、その背後には、歌舞や身体、声、そしておそらくは神仏への感応をも含んだ、より広い意味での「遊び」がある。

 「遊ぶ子どもの声聞けば、我が身さえこそゆるがるれ」

 ここで動いているのは、意志ではなく身体である。社会の秩序の中にいる大人の身体が、まだ秩序に回収されていない何かに触れて揺さぶられる。その揺らぎには、どこか畏れに近いものがある。
 遊びは、単なる楽しさではなく、秩序を揺るがすものでもあった。

遊びの軽さと商品化

 しかし、近世に入ると状況は変わる。
 井原西鶴の描く世界では、遊びはすでに都市文化の中で転がっている。金、欲望、消費、洒落。遊びは軽くなる。そこにはもはや中世的な畏れはほとんどない。代わりに、計算と快楽がある。
 遊びは大衆化されると同時に、商品化される。
 そしてそれを抑えようとする権力が現れる。朱子学的な秩序は、遊びを「はかなきたはふれ」として位置づけ、必要に応じて取り締まる。ここで面白いのは、権力が遊びを軽蔑しつつ、同時に恐れていることである。遊びはくだらない。しかし、それが広がれば秩序を崩す。
 遊びは常に、余剰でありながら危険でもある。

欲望の転換

 同じ時期、ヨーロッパでは別のことが起きている。欲望を抑圧するのではなく、それを活用するという発想である。ハーシュマンの言うように、情念は利益へと変換される。アダム・スミスは、私益の追求が社会の富につながると説明する。
 教育においても同じである。コメニウスは感覚や興味を教授法に組み込み、ロックは遊びを習慣形成のために利用し、ルソーは欲望そのものを発達の原理として位置づける。
 ここでは、遊びもまた変換されている。遊びは、抑えるべきものではなく、使えるものになる。

「失敗」と余白

 このとき、遊びの本質はどこにあるのか。
 おそらくそれは、失敗にある。
 遊びの中では、失敗がそのまま終わらない。笑いになる、ルールが変わる、別の展開が生まれる。無数の無意味な試行の中から、意味のある何かが生まれる。
 現代の合理性は、これを嫌う。無駄を削り、効率を上げ、PDCAを回す。しかし、その合理性は、既に見えている目的にしか対応できない。新しいものは、無数の無駄の中からしか出てこない。
 遊びは、その無駄を引き受ける場である。

「退屈」と「徒然」

 だが現代では、その遊びすら回収される。
 退屈はすぐに埋められる。スマホ、動画、ゲーム。空白は許されない。しかし、退屈と徒然は違う。退屈は埋めるべき空白だが、徒然はまだ何かが生まれる前の余白である。
 遊びは、おそらくこの徒然からしか生まれない。

遊びを教えるという矛盾

 ここで教育に戻る。
 授業で遊びを扱うとき、すでにそれは回収されている。意義を問うた瞬間に、遊びは何かのためのものになる。それでもなお、遊びを扱わざるをえない。
 ではどうするか。
 遊びを守ることはできないかもしれない。しかし、遊びが完全に回収される瞬間に違和感を持つことはできる。その違和感を残すことが、教育の役割なのかもしれない。

それでも遊びは必要か

 結局のところ、問いは最初に戻る。遊びはなぜ重要なのか。あるいは、遊びは本当に「重要」でなければならないのか。
 この問いに答えがあるのかどうかは分からない。ただ一つ言えるのは、遊びを説明しきったとき、そこにはもう遊びは残っていない、ということである。

【教育学でポン!?】2025年11月26日

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