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【要約と感想】苫野一徳『『エミール』を読む』

【要約】教育学を齧った者なら誰もが名前くらい聞いたことがある古典、ルソー著『エミール』ですが、残念なことに多くの人が途中で挫折しています。現代でも、いや現代だからこそ、エミールは丁寧に読む価値があります。
 エミールのエッセンスが分かりやすく理解できるよう、現代の教育実践事例も交えながら、不十分なところはしっかり批判しつつ、生きた思想として解説しました。これは、どうすれば幸せになれるかが書いてある本です。

【感想】とても分かりやすい。また教職課程の「教育原理」授業担当教員の立場から見ても、エミール全体の思想をしっかりカバーした内容になっている。この分量でよくまとまったなと、著者の筆力に感心せざるをえない。
 実は教員採用試験(およびその対策参考書等)での『エミール』の扱いは酷いもので、重要な内容が伝わらないどころか誤解を蔓延させているような印象がある。単に「エミール=消極教育」と唱えるのは、意味がないどころか、害がある。本書は、どうして消極教育なのかがしっかり分かるように、原理的なところから丁寧に説明してある。教職課程の学生にも安心して推薦できる、良質のエミール解説書だ。
 さらに本書の特徴として、ルソーの理論と現代の教育実践との関連が極めて明瞭に描かれている点が挙げられる。まあ古典指南書を書く際には多くの著者が多少なりとも実践との関わりを意識するものだけれども、本書ほど説得力あふれる本も珍しいだろうと思う。著者が研究室に籠って本に噛り付くような陰キャではなく、広く教育実践に打って出ていることが、説得力を裏打ちしている。逆にまた一方で、実践だけに這いずり回っている現場至上主義では見えない「本質」を見通す力は、古今の教育・哲学理論書を渉猟した研究者としての積み重ねに由来するのだろう。そしてさすが、フッサールの言う本質直観を我が物としているだけのことがあるということだろう、時代も地域も異なる理論と実践の本質を一気に貫き通す洞察力が半端ない。これは見習いたい。

 まあ教育学の専門家としてつい言いたくなったのでやっぱり言ってしまうと、私と著者の『エミール』読解は、かなり本質的なところで異なっている。筆者はことさら「自由」を本質として前面に押し出すが、私個人は研究者としての矜持を持ってそれは違うだろうと確信している。『エミール』の本質は「わたしがわたしである」という回帰的なアイデンティティのあり様にある。「自由」はそのオマケだ。私個人の『エミール』読解はこちら→【要約と感想】ジャン・ジャック・ルソー『エミール』。そして自由がオマケであるということの理屈は、こっちに書いてあった。→【要約と感想】西研『ルソー・エミール―自分のために生き、みんなのために生きる』
 が、まあ、そういう見解の違いは、現代日本の教育実践が抱える問題の前では、そしてそれを解決しようという意志の前では、ぶっちゃけどっちでも構わないような、ただオタクでマニアックな専門家のこだわりに過ぎず、本書の価値を下げるようなものではもちろんない。
 本書が一般読者に広く読まれることを望むし、私個人も教職課程の学生たちに参考文献として提示し、積極的に推薦しようと思う。個人的にも、とてもおもしろく、一気に読み終わったのは間違いないのであった。

苫野一徳『『エミール』を読む』岩波書店、2024年

【教育学でポン!?】2024年4月1日

会議がたくさんあって、たいへんな一日でした。
【本日の歩数】13513歩■自宅と学校を往復。

ICT

■教育DX? 先生たちの半分以上は「全く知らない」…アナログ教員に学びの場を、鹿児島県が専用サイトを開設(南日本新聞)
まあ情報発信そのものは大切だしやらなくちゃいけないんですが、ビルド&ビルドになっている以上は効果は極めて薄いと思っておいた方がいいでしょう。何かをスクラップしないと本質的な改善は望めません。

いじめ

■国家権力を介入させない『私学の自由』と『いじめ対応』苦悩する生徒や保護者「行政機関なり役所なりが助けてくれると思っていた」学校に不信感…でも行政は指導できず(毎日放送)
私学の自由はもちろん大切なのですが、「こども基本法」ができた以上、優先順位は下がっていいはずなのです。

学校

■「東京都が切り捨てた」スクールカウンセラーに広がる余波 江東区はSCを「有償ボランティア」として募集(東洋経済ONLINE)
まあ、そもそもの問題の根は当初のSC制度設計にあり、さらに記事内でも仄めかされているように「教員のムラ社会」こそが問題の本質です。が、とばっちりをうけて皺寄せを食らっている人たちはかわいそうではあります。

■「ふなばし制服バンク」 市内公立高校5校の制服取扱開始から1年(船橋経済新聞)
需要はたくさんありそうです。

■【鎌ケ谷市】令和6年度から小学1年生の学校給食費が無償化。給食センターの見学、試食に伺いました。(Yahoo!JAPANニュース)
よい施設とよい取り組みの紹介記事でした。遅れている自治体もたくさんあるので、参考にしてほしいですね。

高等教育

■国立大留学生の授業料上限を撤廃、値上げ可能に…文科省が省令改正(讀賣新聞オンライン)
どんどん教育の「商品化・サービス化」が進行していきます。

■アカハラでは? 学生と大学つなぐ「アカデミック・アドバイザー」(朝日新聞DIGITAL)
一般的には「メンター」と呼んでいませんかね。

■大学の現役事務職員が明かす「ざんねんな大学教員」のリアル 学生提出のレポートを紛失、出席してない学生に「A+」をつけるトンデモ事例まで(マネーポストWEB)
まあ、昔より遥かに減ってはいますかね。

教育全般(国内)

■こども家庭庁「未来を担う子どもの利益を最優先に考える」…渡辺由美子長官、縦割り行政打破に力(讀賣新聞オンライン)
ほんと、たのんますよ。

■夜の居場所を利用する若者たちの変化 392名への調査結果(Yahoo!JAPANニュース)
かつては意図的に用意するまでもなく同じような機能を期待できる場所はいくらでもあったのですが、資本主義の進展によってあらゆるものがサービス化し、つまり「遊ぶ金」が必要となってしまいました。

■“あたたかい家庭当たり前に” 入所理由の9割は虐待 子供の居場所守る男性の思い【佐賀県】(SAGA TV)
近年だんだん「里親」を強調するようになってきてはいますが、まだまだとても大切な仕事です。

【教育学でポン!?】2024年3月31日

今日も街に出ました。
【本日の歩数】11924歩■渋谷の南のほうを闊歩。

学校間接続

■横浜の高校を「留年→退学」で島根に転校したら、東大に現役合格…「地方留学」で切り開く大学進学の新ルート いつの間にか「自分の言葉」をもつ高校生になっていた(PRWSIDENT Online)
とても刺激的でおもしろい記事でした。未来の日本(あるいは世界)を支えるのはこういう若者でしょう。

■「中学受験はコスパが悪い」納得の理由。“高偏差値の私立中学”を目指すのは有益な投資ではない(日刊SPA!)
コスパが悪いのはご指摘の通りで、それに加えて人間的な幸福という観点からも悪いことしかないでしょう。

学校

■雇用契約は3年、年収は大幅減…元ソニー社員が隠岐諸島で始めた「高校生の地域留学」が全国に広がった理由 生活費を含めて月数万円で「地方の公立高校」に入れる(PRESIDENT Online)
形式的には「学校選択制」が極まったものではありつつも、むしろ高校三原則本来の狙いを実現するような仕組みであるところが、いやいや、本当におもしろいです。時代の流れを考えると、今後ますますおもしろい展開になるだろうと推測します。成果に注目しましょう。

■奈良教育大付属小の問題で集会 「独自の創造的な教育を守ろう」(共同通信)
いやほんと、報道だけでは背景が見えないので、何らかの手段を発動して深堀りしたい事案です。

■「偏差値45の地方の高校」から東大生が生まれた…留学生も地元生も成績が伸びる「地域みらい留学」の可能性(PRESIDENT Online)
重要なキーワードが高密度で充満している、非常に興味深い記事でした。中等教育や高大接続の在り方を考えるうえで必須の情報があったように思います。

■51年間「生徒会長」がいなかった高校で起きた「生徒会改革」 疑問を持って動き出した生徒たち【DIG School】(tbc東北放送)
とても面白く読みました。当事者意識が芽生えるとすごい力を発揮するという、とても良い実例です。

■在校生4人…山間の小さな小学校が閉校 地域の人たちも出席して最後の卒業式 静岡市(静岡朝日テレビ)
■「3日前」に廃校決定、市対応を問題視する声 11km先の小学校へ(毎日新聞)
様々な事情で廃校がやむなしとしても、手続きは丁寧に行いたいものです。

高等教育

■大学の教養教育を「資本の論理」からどう守るか 加速する資本主義社会における「知識人の使命」(東洋経済ONLINE)
言いたいことはよく分かるし、基本的な方向性については共有していると思う一方、古代雄弁術の展開を踏まえると「本当にそうかな」という疑いを完全に拭うことはできないかな。

■”定員割れ”で看護専門学校「閉校」相次ぐ 約5人に1人が「75歳以上」超高齢化社会「2025年問題」…医療ニーズに応えきれなくなる懸念(BSS山陰放送)
教育の問題というより、お給料の問題だと思っちゃいますが。

幼児教育

■「先生がやめて教育は崩壊」「息子が不安定に」松戸・不適切保育問題で保護者ら、すすり泣きも(弁護士ドットコムニュース)
もちろん現場の問題ではありませんが、しかしある特定の人物のパーソナリティの問題に限定することなく、「構造的な問題」だと理解しないといけませんよ。

【要約と感想】JDiCE編『はじめよう!デジタル・シティズンシップの授業』

【要約】デジタル・シティズンシップの実践は、従来行われてきた情報モラル教育とはまったく異なります。一方的に禁止することではなく、善きデジタル市民として前向きに行動できるためのマインドセットを身につけるための教育を目指します。
 小学校低学年から中高生、特別支援教育で行われた先進事例の指導案が13例掲載されています。

【感想】「デジタル・シティズンシップ」は、GIGAスクール構想の前倒し導入に伴って、教育界で急速に注目された概念だ。昨年度から大学の教職課程でもICT教育の必修事項が拡張された。担当教員が私となってしまったために、ご多分に漏れず慌てて勉強している次第である。
 本書の基本方針は、従来の「寝た子を起こすな」的な隔離や禁止はもう意味がないし逆効果だということだ。そしてこれまで不可能だった実践を可能にするテクノロジーはどんどん導入したほうがいいわけだが、自他共生を図るためには自立した民主主義的マインドを育成していく必要がある。だから単なるメディア教育ではなく、民主主義的精神・シティズンシップの育成を全面的に志向することになる。授業実践も、昭和的な一斉教授ではなく、必然的に主体的・対話的な学びとなる。単に知識を脳みそに詰め込むのではなく、具体的な行動にまで落とし込まないと意味がないからだ。紹介されている実践事例は、なるほど、数他の試練を経て洗練されているように見えるのであった。
 とはいえ、実践は始まったばかりだし、テクノロジーはみるみる進化する。常にアップデートする姿勢がないと、あっという間に置いて行かれてしまう領域なのであった。私も教育界(そしてICT教育)の末席に引っかかっている立場として、責任をもってアップデートに励む所存なのであった。

日本デジタル・シティズンシップ教育研究会編『はじめよう!デジタル・シティズンシップの授業』日本標準、2023年

【要約と感想】工藤勇一・植松努『社会を変える学校、学校を変える社会』

【要約】教育が変われば社会が変わります。人口増加時代の成功体験を引きずった賞味期限切れの教育(暗記中心・前例主義・集団主義・学歴主義)をおしまいにし、人口減少時代に対応した新しい形の教育(主体性・好奇心・チャレンジ精神・失敗上等・個別最適化)に取り組みましょう。

【感想】工藤先生はいつも通りの工藤節で安心するわけだが、対談相手の植松氏のキャラが立っていて、時折工藤先生を圧倒しているように見えるところがすごい。面白く読んだ。ロケットを飛ばす実践の話には、感動した。実は似たような経験は私にもあるが、こういう奇跡的な瞬間に立ち会うことができる(かもしれない)のが教育という仕事の醍醐味だ。
 個人的には、ときどき学生指導に対して自信を喪失するようなタイミングもなくはないのだが、そういうときに思い返したい本だ。もう一度子どもたちが本来的に持っている力を思い出すことができる。

【個人的な研究のための備忘録】人格の完成
 工藤先生が他の本でも主張しているところで、だから単なる思い付きなどではなく確固とした持論であるところの教育基本法一条批判をサンプリングしておく。

「教育基本法の第1条も僕から見ると問題で、教育の目標として「人格の完成を目指し」から入るのですが、そもそも、「人格の完成」って何でしょうか(中略)。しかも、「人格の完成」と条文にあるから、「人格」とは何かという解説書を作る人が出てくるんですよ。解説しないと分からないようなことを法律にするのかって話ですよね。」127-129頁

 まあ仰る通りで、教育基本法が誕生した1947年の時点ではある程度解説なしでも理解できたことのはず(とはいっても旧制高等学校の教養主義の文脈において)だが、おそらく1960年代の天野貞祐や高坂正顕など京都学派あたりの策動を最後に、もはや理解するための文脈が途絶えている。現在、主に道徳教育関連の研究者や実践者が「人格の完成」について分かったかのような解説をすることもあるが、法制当初の精神のかけらも残っていない、頓珍漢なタワゴトになってしまっている。工藤先生が時代に合わせて法律をアップデートさせるべきだと主張する気持ちも分からなくもない。

工藤勇一・植松努『社会を変える学校、学校を変える社会』時事通信社、2024年