「歴史散歩」カテゴリーアーカイブ

【池袋散歩】チャレンジ・ザ・グルメ2024

 2024年の11月は、池袋西口の東武百貨店に日参しておりました。というのは、東京家政大学の栄養学部の学生と東武百貨店レストラン街Spiceのお店が協力してメニューを開発する「チャレンジ・ザ・グルメ2024」が開催されていたからです。(開催期間:2024.11.1~12.1 ※イベントは終了しています)。
 今年のテーマは「サステナブルな美味しい未来!」ということで、植物由来の代替肉や環境に優しい油を使ったメニューとのことです。実はわたくし何を隠そうお肉大好きマンで、高くて旨い肉に目がないので、植物由来のお肉は人生で一度も口に入れたことがありません(気がついていないだけかもしれないが)。さて、ベジミートなるものは旨いのか。
 イベントで提供された47メニューのうち、30日間で実際に食べたのは24メニュー、かろうじて過半数を実食できました。いただいた料理の感想を記しておきます。

【熟成肉 ハンバーグ&ステーキ Old Manhattan】植物由来!!ダブル濃厚チーズハンバーグプレート

 お肉が植物由来というだけでなくチーズも植物由来というコラボで、ワンプレートに載っているものすべてが実は野菜というところでイベント趣旨に徹底しているわけですが、この組み合わせは味の面でもピッタリだったと思います。このお店はがっつり食べるために8,000円覚悟で入る肉食系の店という印象でしたが、お値段もお財布に優しくて、ベジタリアンも安心して連れて行けて、みんなに嬉しいメニューじゃないでしょうか。

【北海道イタリアン Mia Bocca】北海道産ソーセージと「農家のベーコン」のディアボラ

 ピザのチーズだけでなく、そぼろのお肉も植物性由来ですが、ソーセージとベーコンは本物肉というハイブリッドな一品です。そんなわけで本物と植物由来のそぼろ肉を比べてしまうわけですが、ベジミートの存在感はソーセージ・ベーコンに負けていません。植物性チーズもとろとろで、全体的なバランスも良かったと思います。

【タイ料理 サイアム セラドン】大豆ミートのガパオチャーハン

 にんにくやトウガラシなどで濃いめの味つけがあるからか、由来が動物性か植物性かに特に影響なく、肉を食ったなあという食後感になります。パプリカなどとの食感の組合せもよかったように思います。濃いめ味付けのアジア系フードには、全般的にベジミートが合いそうな印象です。

【純喫茶・スイーツ・軽食 但馬屋珈琲店】デリプランツのティラミス風クリーミーチーズケーキ

 ホットコーヒーと一緒にいただきました。このクリームチーズが植物由来とは、私がスイーツを食べなれていないせいかもしれませんが、指摘されても分かりません。肝臓にダメージを負っている身としては、罪悪感なく甘いものが食べられてありがたいのでした。

【ゆであげのスパゲッティー 洋麺屋五右衛門】植物ベースのチーズとホイップで作る濃厚カルボナーラ

 ランチでいただきました。バターもチーズもホイップクリームも植物由来だそうだけれど、言われたところで私の舌ではまったく区別できず、普通においしいカルボナーラとしていただきました。

【鮨処 銀座 福助】大豆ミートのビビンバ風肉寿司・ツナサラダ軍艦

 握り寿司ランチに、このチャレンジメニュー2品を加えていただきました。ビビンバ風肉寿司のほうは、さすがに舌が慣れてきてベジミートだと分かりますが、味付けも絶妙で、最初からこういうものだと分かっていれば普通においしくいただけます。一方、ツナがベジミートというのは知らないとなかなか気付かなそうで、味付けがあると何の違和感もなくいただけます。いずれにせよ、寿司ネタに植物性由来の肉を使うのはおもしろくて、アイデア次第でいろいろな可能性が開けそうだと思いました。

【北京料理・餃子 銀座 天龍】大豆ミートの回鍋肉

 油断して餃子一人前も一緒に頼んだら凄い量が来てしまって、テーブルに並んだ時には一瞬どうしようかと思ったけれども、結局ぜんぶさくさくおいしく食べてしまいました。味付けも濃いめで、野菜の食感も合っていて、言われないと大豆ミートとは分からなさそうです。

【牛カツ・和食 牛カツと和定食 京都勝牛】植物生まれのチーズを使用したチーズサルサ牛カツ膳

 牛カツ自体を食べたことがたぶん初めて(豚カツはやたらと食べる)だったけど、チーズとの組み合わせに全然違和感がなく、さくさく食が進みました。肉自体は本物?としても、ソースなど味付けに植物由来のチーズや油を使うという選択肢が加わると、新しいアイデアや工夫の余地がぐんと広がりそうです。

【日本そば 永坂更科 布屋太兵衛】ダブルカレー南蛮そば

 本物肉とベジミートの両方がトッピングされたカレーそばです。本物肉と並べて食べると、さすがに大豆ミートだということはよく分かるので、分かったうえで食感と風味を楽しむメニューでしょう。ところでカレーそばとかカレーうどんというメニューは自分から進んでオーダーすることはなくて、こういう機会でもないと食べませんが、ふつうにおいしいですね。

【ベトナム料理 ロータスパレス】食感豊かなごろごろ野菜のベトナムカレー

 さすがにベジミートを食べまくって味や食感を直接経験した後だと、これぐらいの大きさの塊で入ってるものは確実にそれと分かるようになってきます。で、ベジミートをカレーの具材として、特に野菜たっぷりカレーの具材に使うというのは、味や風味の観点からも、とてもぴったり来るやり方のように思います。春巻も一緒に頼んでボリューム大満足でしたが、実質野菜ばかりでカロリーはそんなにないんだよね。

【四川料理 四川飯店】色とりどりの冬野菜きんぴら

 どうやら本来は大人数で小皿でいただくメニューっぽかったのですが、ソロだったからライスセットも頼んで定食にしていただきました。そぼろ状態のベジミートで味付けもしっかりしていると、言われたところでベジミートだとは分かりません。そぼろ状ベジミートには多様な使い方がありそうな印象です。

【韓国旬彩料理 妻家房~柳香姫の台所~】大豆ミートの石焼ビビンバ

 このお店は前菜バイキングが心躍ります。石焼ビビンバはメインのお肉だけでなく、バターも植物由来というところが素敵です。ベジミートは塊で存在感を主張しているのですが、鍋でじゅうっとして、溶かしたバターと絡めていただくと、本物肉とはまた異なった味わいがあって、なかなか挑戦的なメニューだと思いました。おいしかったです。

【フルーツパーラー&レストラン 果実園リーベル】ピスタチオとチーズムースのパフェ

 さすがにオッサンひとりでこういう映えるスイーツを注文するのはどうかと思っていましたが、逆にこんな機会でもないと一生食べないメニューだろうと考えなおし、ドリンクバーでコーヒーを何杯かいただきつつ、完食してまいりました。罪悪感なく生クリームをいただいて大満足でした。頼んでよかった。

【季節の天ぷら 銀座ハゲ天】れんこんとさつまいもでVEGEサンド天2品盛り

 ディナーの天ぷらメニューに追加でいただいてきました。そぼろ肉とチーズが植物由来のメニューです。そぼろ肉はやはりこういう形で調理されると、言われたところでベジミートだとは気がつきません。さくさくの衣と濃厚なチーズのコクが相まって、たいへんおいしくいただきました。天ぷら大好きだけど肝臓にダメージを負っている身としては、コレステロール大幅カットだと聞いて大喜び。

【海鮮和食 海鮮魚力】厚揚げでツナサラダサンド

 ランチの刺身メニューに追加していただきました(ごはん少なめにした)。このツナが植物由来とは、言われてもまったく気がつきません。そもそも厚揚げでツナを挟んで揚げるという発想が私の人生からは出てこないので、感心しながらいただきました。厚揚げサンドを深堀したら、低カロリーのおもしろいメニューがいろいろできそう。

【ケーキ&洋食 66ダイニング 六本木六丁目食堂】トマトソースと秋野菜の煮込みハンバーグ

 ベジミートもこれくらいの大きな塊になっていると、さすがに言われなくても分かるようになってくるのですが、カレーなどと同じく煮込み系だったり、大きくカットされた野菜と一緒になっていると、特に違和感もなくおいしくいただけるような印象です。大きな塊になるほど料理人の腕が活きてくる感じでしょうかね。

【抹茶ダイニングカフェ 京都 茶寮翠泉】秋色抹茶のレアチーズケーキ

 彩りも素敵なスイーツでした。普段はオッサン一人では頼まないような素敵メニューですが、せっかくの機会を逃さず喜び勇んで注文してきました。まあ、スイーツを食べなれていないせいがあるのかどうか、言われたところで植物性由来だとは気がつかないでしょう。

【洋食&スイーツ 不二家レストラン】5種きのこのポルチーニソースオムライス

 実は普段からオムライスには目がないのですが、これは食感がユニークなメニューでした。それに気を取られていると、おいしくいただいているソースに大豆ミートが使われていたことにまったく気がつかないまま、完食です。食べ終わった後に、どこにベジミートが使われているかを調べて、へーっと思ったのでした。

【ラーメン 鯛塩そば 灯花】ピリ辛!オーツ鯛らぁ麺

 そぼろ肉だけでなく、オーツミルクも植物由来ということで驚きます。鯛の出汁と相性がぴったりでした。腎臓にダメージを負っているのでラーメンスープは飲まないようにしている(というか基本的にラーメンは食べない)のですが、塩分とコレステロールが低いと罪悪感なくいけます。

【火鍋・中華料理 小肥羊】大豆ミートのピリ辛あんかけ丼

 そぼろ肉でこれくらい強めの味付けだと、言われたところで大豆ミートだとは分からず、ふつうにおいしくいただきました。ここのお店の本来の売りである火鍋はオーダーしなかったので、それはまた近いうちに試してみたいです。

【イタリアンバール POLLO PORRO】ポテトのガーリックチーズソース

 これは何種類かの植物由来チーズとバターをブレンドしたもののようで、とろっとろの状態でおいしくいただきました。ディナーで行ったのでメインが来る前にワインと一緒にいただきましたが、確かに相性が良いです。

【インディアンダイニング&バー ロイヤルココナッツガーデン】パンプキンといんげんとキーマと3種のチーズカレー

 野菜ゴロゴロ系カレーだから肉にベジミートが使われているかと思い込んでいたら、チーズ3種類が植物由来で、意表を突かれました。コクがあっておいしい。初めてのお店だったから中辛でオーダーしたけど、このチーズがあるなら辛口でいくのもおいしそう。

【とんかつ 伊達かつ】植物肉梅メンチカツと牡蠣フライ定食

 実は一番驚いたのはこのお店の牡蠣(さすがに動物性)のあまりのデカさだったけれども、何も気がつかずに普通においしく植物性メンチカツもいただいておりました。植物由来肉そぼろは他のメニューでも使い勝手が良いだろうことは分かりますが、メンチカツみたいに固めてもおいしいです。ロールキャベツとか、肉まんとか、いろいろバリエーションが広がりそう。

総括

 いやまあ、とにかく感心しました。うまい。さすがにデカいベジミートの塊だと本物肉?と違うことはすぐに分かるけれども、メニュー開発の工夫と料理人の腕でどうにでも美味しくなることを実感しましたし、違いがあること自体はたぶん本質的な問題ではないでしょう。
 思い出したのが、もう30年ほど前の大学院生時代のできごとです。ドイツからマーティン君という留学生が日本教育史研究室に配属されたのですが、その彼が、私が初めてリアルで出会ったベジタリアンでした。で、彼が大学生協に興味があるというので(ドイツにはなかったらしい)生協食堂に連れて行ったところ、その当時は(あるいは今でも)ベジタリアン向けメニューなんてものは一切なく、メニュー表を見て困っていたマーティン君に「サラダ」をお勧めするしかなかったのですが、なんと提供されたサラダにはツナが満載されていて、彼はツナを全部よける努力をする羽目に陥ったのでした。その光景は自分にとってはなかなかのカルチャーショックで、「多様性」なるものの実態を肌で感じた出来事でした。
 で、現在は東京のところどころにビーガン向けやハラルメニューのお店があるけれども、まだまだ数は少ないし、一般店舗で配慮することは(30年前の生協食堂と同じく)まだまだ広まっていないように思います。つまり、マーティン君を「ふらっ」と連れていけるお店がないということです。逆に、こういうメニューが一品目でも用意されているお店を知っていれば、そこにはどんな人(特に海外からのお客)でも安心して連れていくことができます。マーティン君にサラダを勧めてツナをよけさせるなんてガッカリなことは起こりません。(そのお店のツナは植物由来ですから)。
 今後ますます国際化が進行する日本で多様な食文化が混在する状況になりつつあるとき、あるいは個人の食物アレルギー等への配慮を進めようというとき、こういうメニュー開発がいよいよ重要になっていきそうな気がします。

リンク

▼プロの料理人と学生との協働 プラントベースフードを使ったメニュー開発(東京家政大学ヒューマンライフ支援センター)
▼チャレンジ・ザ・グルメ2024(東武百貨店)

■産学連携企画 池袋東武×東京家政大学 「チャレンジ・ザ・グルメ 2024~未来のグルメにチャレンジ~」 プラントベースフードを使用した新メニューを共同開発!(@Press)
■東京家政大学の学生と東武百貨店 池袋本店 レストラン街スパイスがプラントベースフードを使用した新メニューを共同開発 ― 11月1日~12月1日の「チャレンジ・ザ・グルメ 2024~未来のグルメにチャレンジ~」で提供(大学プレスセンター)

【愛知県東浦町】於大公園と宇宙山乾坤院

 徳川家康の母親於大の方が生まれたのが東浦にある緒川城で、現在は於大公園として整備されています。公園の南西に、緒川を治めた水野家の菩提寺、宇宙山乾坤院があります。

 境内は他の寺とは随分異なった趣で、不思議な羅漢像がたくさんあります。みんな宇宙を向いています。

 宇宙を指さしていたり、頬杖を突いて宇宙を見ていたり。

 片膝ついたり寝転がったりして宇宙を見ています。

 境内には水野氏四代の墓所と、先祖を顕彰する堅雄堂があります。於大の方は、初代忠政の娘です。於大の兄の信元は水野家当主でしたが、謀反を疑われて信長と家康に誅殺されることとなり、こちらには葬られておらず(墓所は緒川と衣浦湾を挟んだ対岸の刈谷楞厳寺)、乾坤院に葬られているのは水野忠善に連なる忠守流水野家の四代です。水野忠善は最終的に岡崎藩主となり、幕末まで幕政の要衝を占めます。天保の改革を主導した水野忠邦(唐津藩から浜松藩・山形藩に転封)も、こちらの家系です。ちなみに忠善以降の当主は、下総結城に墓所があります。

 立派な建物ですが、2016年に火事で焼失してしまったとのこと。写真は2011年のものです。もっと撮っておけばよかった。

 堅雄堂の脇には初代忠政の石塔。こちらも火災に遭ってどうなっているのか。

 乾坤院の東南には、宇宙稲荷大明神があります。不思議な響きの名前の神社ですが、まあ「宇宙」という単語はもともと『日本書紀』からworldの意味で使われていたりして、近代以後のuniverseとかcosmosの翻訳語としての意味は持っていないはずです。

 桶狭間合戦時に水野氏は緒川城と刈谷城を支配しておりますが、両城の立地条件を考えると、どうしても水野氏が水軍を運用していたとしか考えられません。戦略的に重要な衣浦湾を制圧していた水野氏の役割は、桶狭間合戦時にも極めて重要だったはずですが、実はイマイチ何をしていたかよく分かっていません。織田と今川に挟まれて戦略要衝である衣浦湾を押さえていた水野氏が何もしていないわけがありませんが、水野信元が誅戮されて水野氏がいったん断絶した際に重要史料が散逸してしまった可能性が高いところです。もしも史料が残っていたら、衣浦湾から三河湾さらに伊勢湾にかけての水軍の状況が分かり、鵜殿氏の動向に関するヒントもたくさんあったのではないかと推測されるだけに、残念なところです。
(2011年8月訪問)

【東京都文京区】於大の方が眠る伝通院は新選組(の前身)結成の地

 徳川家康の母、於大の方の菩提寺伝通院は、東京都文京区にあります。春日通り沿いにあって、池袋から東大本郷キャンパスまで自転車で通っていた頃は、いつも脇を通り過ぎておりました。

 2023年に訪れた時、境内にはまだお正月の雰囲気が残っておりました。

 伝通院は、まずは於大の方の菩提寺として知られています。2013年に訪れた時には地元の方に「てんつういん」と濁らず発音するんだと言われましたが、於大の方の実家刈谷では問題なく「でんづういん」と濁って発音しますので、個人的には東京の方が邪道だと思います。今後も「でんづういん」でいきます。

 於大の方のお墓は、とても立派です。が、江戸時代中期以降の墓はもっとド派手になっていて、境内のバカでかい墓を見た後だと、ちょっと地味に感じます。

 於大の方生誕の地、愛知県東浦町による案内パネルも設置されております。

 境内には、他にもたくさんお墓があります。11代将軍家斉の子どもの墓がたくさんあります。家斉は53人の子どもを設けたにも関わらず、無事に成人できたのは28人だけだったと言われております。ここには、成人に至らずに亡くなった子どもの墓があるようです。

 教育学的には、江戸時代の乳幼児死亡率に関わる話や、子どもの埋葬に関わって、注目すべき事例です。ここまで死亡率が高かったのは、一説には大奥の子育て法に問題があったと考えられております。

 さて、この伝通院、実は新選組の前身である「浪士隊」のセレクションが行なわれた場所としても知られております。近藤勇、土方歳三、沖田総司などはこのセレクションを通過して京都に向かい、後に新選組として活躍することになるわけですが、そのセレクションを行なった側に「鵜殿鳩翁(長鋭)」という人物がおります。山岡鉄舟と一緒にセレクションをしておりますので、もちろん幕臣です。セレクションの後、近藤勇などと共に、というか取締役として京都に向かいますが、聞いていたのと話が違うということで辞職して、江戸に帰ってきます。問題はもちろん、清川八郎にありました。

 清川八郎のお墓も伝通院にあります。清川八郎は尊皇攘夷思想に傾いていて、つまり幕府の方針に逆らっていたのですが、幕府を出し抜いて浪士隊の結成に成功し、京都に入ります。しかし近藤勇や土方歳三など佐幕のつもりで浪士隊に入った立場としてみれば、清川八郎が「本当の目的は攘夷だ!」なんて訴えても、ただの詐欺にしか聞こえません。京都で袂を分かち、佐幕の近藤や土方は改めて新選組として行動することになります。清川八郎は江戸に戻ってきて、幕府の刺客に暗殺されます。鵜殿鳩翁は無事に江戸に戻り、日米和親条約締結時にはペリーの対応係を務めるなどしますが、一橋慶喜についたために大老井伊直弼に安政の大獄の一環で処罰されています。

 ほか、明治をメインフィールドとする教育史学者として見逃せないのは、杉浦重剛の墓です。明治初期から中期にかけて官立学校の校長を務める他、教育学関連の本をたくさん書いていて、明治教育史を語る上でのキーパーソンの一人です。

 江戸から明治まで激動の歴史の舞台となってきた伝通院も、今は境内で子どもが縄跳びをするなど、のどかな空間になっています。いつまでも平和であってほしいものです。
(2013年5月、2023年1月訪問)

【愛知県刈谷市】於大の方ゆかりの椎の木屋敷

 愛知県刈谷市は私の故郷で、祖父の家が刈谷城のすぐ傍にありました。徳川家康の母親がここで過ごしたということも子どもの頃からよく聞かされていたもので、於大の方はここで生まれ育ったものだとすっかり思い込んでいましたが、実は衣浦湾を挟んだ対岸の緒川が成育の場だったと知るのはずいぶん後のことです。

 現在の刈谷城の東にある「椎の木屋敷」は、松平広忠(家康の父)に離縁された於大の方が、再婚までの間を過ごした屋敷です。現在は公園として整備されています。

 公園は西側に開けており、谷を挟んで刈谷城を臨めるほか、衣浦湾の向こうには生まれ故郷の緒川も見えるようなロケーションです。

 江戸時代には神君の母ゆかりの地ということで一般庶民がおいそれと足を踏み入れられるような場所ではありませんでしたが、明治維新で徳川の権威が地に落ちた結果、いまでは私でも簡単に立ち入ることができます。

 公園内には於大の方の石像もありますが、せっかく西側が開けていて生まれ故郷の緒川が臨めるロケーションにも関わらず、完全に反対側の東の方を向いております。

 刈谷の東は、もちろん岡崎です。
▼「椎の木屋敷跡」(刈谷市)
▼「於大の方の由緒の地 椎の木屋敷跡」(刈谷市観光協会)
(2023年1月訪問)

【愛知県岡崎市】大樹寺で厭離穢土欣求浄土

 徳川将軍家と松平家の菩提寺として知られている大樹寺に行ってきました。立派な三門です。

 三門をくぐって180°回れ右をして南側を向くと、大樹寺小学校の校庭の向こうに総門が見え、さらにその総門の向こう3km南に岡崎城が見えます。写真ではピントが合わずによく分かりませんが、肉眼だと見えてます。

 岡崎城から大樹寺までの3kmは、矢作川の作る扇状地でゆるやかな登りになっています。大樹寺からは岡崎城を見下ろす形になるので、よく見えます。三代将軍家光が、大樹寺から岡崎城が臨めるように伽藍を整備したそうで、大樹寺と岡崎城を結ぶ3kmの直線を現在は「ビスタライン」と呼んでおります。

 境内は膨大に広いわけではありませんが、清潔感あふれる心地よい空間です。

 岡崎高校に通っていたので、「大樹寺」という名前そのものはバスの行き先としてよく聞いていたのですが、実際に訪れることはまったくありませんでした。岡崎市内の繁華街からはずいぶん北にあるので、高校生の時は特に用事がありません。

 前回訪問は10年前の2013年でしたが、そのときには存在しなかった家康像が本堂の脇に鎮座しておりました。

 家光が夢に出てきた家康を狩野探幽に描かせた像を元にデザインされているようです。

 沿革を見ると、創建は応仁元年(1467)年に松平親忠(第4代)にかかるものとのことです。歴史上名高いのは、桶狭間合戦の後、大高城から逃げ帰った家康が大樹寺に籠もって自害しようとしたエピソードです。

 時の住職登誉上人が「厭離穢土欣求浄土」の教えを説いて自害を思いとどまらせたほか、祖洞和尚が門から閂を引き抜いて奮戦したエピソードは、若き家康伝では必ず登場します。

 500円の拝観料を払うと、まず外陣まで入れます。入る価値があります。金色の柱に「厭離穢土・欣求浄土」と書いてあります。ただし「欣求浄土」のほうの「土」には点がついているのが注目ポイント。

 「厭離穢土・欣求浄土」は、穢れた戦乱の世を終わらせて天下泰平の世を目指そうという願いを込めた言葉で、徳川軍の旗印にも描かれ、家康の天下統一までのキャッチフレーズとなります。
 ところで個人的にずっと気になっているのは、「江戸」と「穢土」の発音が通じているということです。歴史学者の本郷和人先生は、家康はもちろん江戸から穢土を想起していたはずだが敢えて改名しなかった、と唱えています。史料はありませんが、まあ、ありそうなことだと私も思います。

 500円を払った人だけ、さらに庫裏に進んで屏風絵を干渉したり、貫木のご神木を拝めたりしますが、ハイライトは徳川将軍歴代位牌の間です。撮影禁止なので、写真はありません。

 徳川幕府歴代14代の将軍の位牌が安置されていて(15代慶喜だけは神式で葬られているので仏式の位牌がありません)、ポイントはその位牌が全て等身大で作られている(という寺伝がある)ところです。確かに8歳で亡くなっている第7代将軍家継の位牌は135cmと小さく、等身大というのもナルホドだと思うのですが。問題は第5代将軍綱吉の位牌が124cmということです。どういうことか。
 本当かウソかというところでいえば、個人的にはウソの可能性が高いと思っています。本当に低身長だったとすれば、当時の文献資料等に記録されないわけがないと思うからです。特に生類憐れみの令に絡んでアンチが多かったので、本当に低身長だったとすれば、どんなに権力側が箝口令を敷こうとも、どこかで言及されないわけがないと思うのです。そしてウソだとすれば、後にアンチ綱吉が悪質な嫌がらせをした、ということになります。アンチがたくさんいたので、あり得る話だと思っています。一方、大樹寺の位牌が正しいと考える人たちもたくさんいます。もちろん大樹寺は、124cmが正確な身長だったということを前提に展示の解説をしています。何が本当かは、今となってはまったく分かりません。

 さて、境内には松平8代の墓もあります。

 案内パネルによると、大坂の陣の後に、家康が先祖の墓を再建したとのことです。江戸時代中期以降はどんどんお墓が巨大化していくので、それと比べると、この松平家8代の墓は素朴な感じに見えます。

 ちなみに写真で一番手前に見えるのが家康の墓ですが、これは昭和44(1969)年になってから勧請したもので、江戸時代にはなかったものです。
 しかしまあ、松平初代親氏の来歴が極めて怪しく、家康が家柄ロンダリングをした疑いが濃厚なところですが、大樹寺を創建した4代親忠(安城松平家)は間違いなくこの地で大きな力を振るっており、三河では松平諸家と鵜殿家の争いが続きます。松平家と鵜殿家の争いに決着がつくのは1562年、桶狭間の2年後のことになります。
(2013年8月、2023年1月訪問)