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教育原論(保育)-3

短大保育科 4/25・4/27

前回のおさらい

・西洋古代の教育:ソクラテスの思想。外部から知識をつけ加えるのではなく、自分の内部から本物の知を出産する手助け。
・生理的早産:人間は他の高等哺乳類と比べて弱々しい状態で生まれます。しかしだからこそ、人間は他の動物と違って様々な可能性に満ちています。
・しかし、7歳以前の子どもの扱いは現在と比べてたいへん苛酷でした。7歳以降は、大人と一緒に労働をしていました。

今回の目標

・昔の「家族」の姿が現在とはまったく異なっており、子育てに対するイメージが違っていたことを理解しよう!
・「形成」という言葉を手がかりに昔の子育ての様子を理解し、現在の「家族と学校」中心の子育てと比較しよう!

「形成」とは?

昔の「家族」の生活を考えてみよう

・「家族」は子育てしていたでしょうか?
*生産力:生産力の低い世界では、子供も労働しなければ家族が生きていけません。父親も母親も、生きるための労働で精一杯であって、子育ての優先順位は下がっていきます。←昔(第一次産業が主流だった頃)、専業主婦はいませんでした。共働きが当たり前でした。
(専業主婦が登場したのはせいぜい100年ほど前のことで、広く一般的になったのは50年ほど前のことです。)
*社会(ムラ)と家族との関係:現在は家族が独立した島宇宙のようになって社会から隔絶していますが、かつては家族と社会(ムラ)の間の境界線は曖昧でした。家族が子育てをできなければ、社会全体でそれを担います。

「形成」と「教育」の違い

・要するに、私たちが現在当たり前だと思っている教育(学校教育や家族の子育て)は、昔は行われていませんでした。
・「学校」がなかったころも人々は人間形成を行っていました。「教育」と異なる形の人間形成のことを専門用語で「形成」と呼びます。
・たとえば初めてのアルバイトをするとき、仕事の内容をどうやって覚えていくでしょうか?

形成と教育の違い
カテゴリー形成(前近代)教育(近代)
【何を習得するか】カンとコツ知識と教養
【どこに修めるか】身体
【どうやって伝えるか】行動文字
【規範意識】恥じ・しつけ公共性・道徳
【根拠】経験と仕来り科学と合理性
【指導する人】村落共同体資格を持った教師
【見える光景】背中
【労働との関係】労働と一体労働と分離
【祭祀との関係】祭祀と連続祭祀と分離
【遊びとの関係】遊びと連続遊びを排除
【カリキュラム】実践的・偶然的意図的・計画的
【行政】自治中央集権
【大人の条件】一人前人格の完成
【人間像】身分・地域の特殊性普遍的人間

・商人や職人の世界では、「方-弟」の疑似親子関係を結ぶことがあります。徒弟制、丁稚奉公、ギルド等、実の親以外にも「親」がたくさんいました。←先生は「親」ではありません。

【教育と形成に関する意識アンケート】自分が保育のプロとして活躍するためには、知識を獲得するための勉強と、実際に経験を積む実習と、どちらが役に立ちそうですか?

*昔の子どもは活き活きしていた? →子どもが変わったわけではなく、子どもを取り巻く環境のほうが変化したと考えれば、理解できそうです。
*昔の大人は尊敬されていた? →大人が変わったわけでも、子どもが変わったわけでもなく、労働と教育のあり方が変わったことを考慮すれば、理解できそうです。
*どうして「形成」ではなく「教育」が必要となったのか? →親と一緒の仕事をするなら「形成」で問題なさそうですが、別の職業に就く場合には「形成」はむしろ意味がなくなりそうです。労働のかたちが変わると、教育のかたちも変わるということです。

復習

・「形成」という人間形成について、現在の教育と比較しながら理解しておこう。

予習

・「イニシエーション」や「若者宿(メンズハウス)」という言葉の意味を調べておこう。
・イニシエーションの具体例をいくつか調べてみよう。
・昔の人(平安時代や鎌倉時代)が、何歳で父親や母親になっていたのか調べよう。
調査結果はこちらに記入

参考文献

ファン・ヘネップ『通過儀礼』
文化人類学の観点からイニシエーション(通過儀礼)を捉え、人生の節目で危機を乗り越えるための儀礼と理解し、越境の過程を「分離→過渡→統合」という図式で理解する。古典的名著。

佐野賢治『ヒトから人へ』
「大人になる」ために昔の人々が行っていた伝統的な習俗を、「一人前」という視点から描き出すエッセイ集。高度経済成長後に失われた伝統的な人間形成の在り方について考えさせられる。

教育原論(栄養)-2

栄養科 4/23

前回のおさらい

・教育基本法の概要:教育の目的は「人格の完成」です。知識を外からたくさん付け加えることではありません。
・西洋古代の教育:ソクラテスの思想。外部から知識をつけ加えるのではなく、自分の内部から本物の知を出産する手助け。
・西洋近世の教育:コメニウスの思想。印刷術が発明された結果、リテラシー(文字を読んだり書いたりする能力)がとても重要になりました。

今回の目標

・日本でもリテラシーが重要になった経緯を理解しよう!
・昔の日本の教育機関のことを知ろう!
・寺子屋と藩校の違いを理解しよう!

昔の日本の教育

・ほとんどの人は学校に行っていませんでした。生活をする上で、リテラシーはまったく必要ありませんでした。
・ごくごく一部の人が学校に行って勉強していましたが、それはリテラシーを必要とする専門家(書記・宗教)になるためでした。

書記の教育(儒教)

・律令制の整備とともに、書記の教育が始まります。書記は文字が読めないと務まりません。
大学寮(中央の公立官僚育成機関)・国学(地方の公立役人育成機関)
大学別曹(私立の書記育成機関):藤原氏の勧学院など

仏教の教育

・お坊さんは文字が読めないと務まりません。
空海(774-835):綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)。828-845年。
最澄(766/767-822):比叡山延暦寺。山家学生式(さんげがくしょうしき)。818年。

武士の教育

・武士の地位を上げるためには教養が必要です。
金沢文庫:北条実時。1275年?
足利学校:上杉憲実が再興。1432年。

日本での教育の始まり

※江戸時代の基礎知識:人間が平等ではなく、主に「サムライ/それ以外」で違いがありました。教育も、サムライの教育とそれ以外の教育で、かなり異なります。

寺子屋

寺子屋:一般庶民が自分たちのために必要とした教育機関です。幕府や藩など支配者層が上から押しつけたのではなく、下からの自発的な要求によって自然発生的に増加していきました。
・庶民の生活と要求に対応して、手習い(習字)を中心として、そろばんや裁縫を教えていました。
※「往来物」と呼ばれるテキストを使っていました。

・江戸時代中期(西暦1750年頃)あたりから子供に対する意識が変わり始めます。
←生産力の向上、遺産相続への関心、家意識の形成
←商品経済の展開、識字能力の有効性の拡大

リテラシーの展開

・リテラシーと学校:学校に行って勉強する目的の一つは、リテラシーを獲得することです。
・「話し言葉」は意図的にトレーニングしなくても身につけることができますが、「書き言葉」は意図的・計画的にトレーニングすることで初めて身につけることができます。
・かつてリテラシーを持っていたのはごく一握りの知的エリートだけで、大半の人々は文字の読み書きができませんでした。
・最初は一部の意欲のある人々だけが学校に行ってリテラシーを獲得していましたが、リテラシーの有用性が広く認識されてくると、次第に全ての人が強制的にリテラシーを持たされるような制度に変わっていきます。
コンピュータ・リテラシー:コンピュータを使って情報を獲得したり発信したりすることができる能力を意味します。現在はコンピュータ・リテラシーを持っていることが当たり前とされ、学校で習得するようになっています。この能力がないと就職活動すらできません。

江戸時代の文化

長期間にわたる平和と繁栄によって、学問が独自に発達を遂げていました。
*儒学:中国発祥の学問ですが、徳川家が推奨したのをきっかけとして、江戸時代の日本で独特の発展を遂げます。昌平坂学問所や藩校などで教えられていました。基本的には支配者階級のための学問で、主に武士が学んでいました。
昌平坂学問所:林羅山の私塾(1630年)を起源として、1790年に正式に幕府の直轄学校となりました。1871年に閉鎖された後、現在では建物が湯島聖堂として残っています。
藩校:全国に260あった藩が、それぞれ作っていた教育機関です。水戸藩の弘道館、長州藩の明倫館、薩摩藩の造士館、会津藩の日新館が有名です。
郷校:例外的に武士ではない人々も学ぶことができた教育機関です。岡山藩の閑谷学校が有名です。
私塾:学問サークルが発展して、個性的な塾が運営されていました。広瀬淡窓の咸宜園や、伊藤仁斎の古義堂、吉田松陰の松下村塾などが有名です。

*蘭学:日本は外国との交流を避けていましたが、長崎などを通じて入ってくる海外情報を元に、ヨーロッパの学問が研究されていました。シーボルトの鳴滝塾や、緒方洪庵の適塾が有名です。
*国学:中国とは異なる日本独自の文化を特に尊重して研究する姿勢が生まれていました。私塾としては本居宣長の鈴屋が有名です。

復習

・日本にあった学校について、創設者や成立年代など、自分なりに整理しておこう。

小テスト

日本の昔の学校地図へのリンク

予習

・「ジョン・ロック」や「ジャン・ジャック・ルソー」について調べておこう。

【要約と感想】新井潤美『パブリック・スクール』

【要約】パブリック・スクールはイギリスの上流階級が入る学校ですが、小説や演劇を通じて、階級の差を超えてイギリスの文化や考え方全体に影響を与えています。

【感想】イギリスではパブリック・スクールを舞台とした物語が人気だったことが分かるが、日本でも1970年代から少女マンガで寄宿舎ものがやたらと発展したことを思い出す。まあイギリスではなく大陸ぽいけれども。イギリス階級ものマンガだと『エマ』とか『アンダーザローズ』を思い浮かべたりする。

教育史的関心から読むと、パブリック・スクールが増え始めるのが16世紀というのは(7頁)、本書が言うように宗教改革の影響も多々あるだろうが、個人的には印刷術の影響が決定的だろうと思ってしまう。
あるいは、教育史の学生用教科書にはパブリック・スクールはほとんど取り上げられず、一方でオーエンの性格形成学院とベル・ランカスターのモニトリアルシステムばかりが強調されるわけだが、本書では逆にそれら教育史的素材に一言も触れられないところは、イギリスの如何ともしがたい階級制をむしろ顕わにしていて、いろいろと感慨深いものがある。
体罰を描写するくだりでは、寺崎弘昭先生の素晴らしい仕事(ホープリー事件)を思い出さざるを得ない。が、本書ではジョン・ロックの「ジョ」の字も出てこない。教育史の専門家としてはイギリスの教育というとロックとかスペンサーとかを即座に想起するわけだが、まあ現実からズレているのは我々の方なのかもしれない。いやはや。

【個人的な研究のための備忘録】
本書では「人格」という言葉が随所に登場する。パブリック・スクールが知識や教養ではなく、人格形成を重んじていたという記述に登場する。

「しかしこうして見ると、「プライベートな教育か、パブリックな教育か」という論争で重要なのは、与えられる知識の質や量ではなく、「しつけと人格形成」であることがわかる。」24頁

「パブリック・スクールが人格形成の場所であり、弱点や欠点を持った少年でも、良い感化を受けて変わることが可能であるという、従来の「学校物語」のメッセージや教訓」62頁

「「ボーイ・スカウト」運動も、ワーキング・クラスの少年に、パブリック・スクールの規律と人格形成の機会を与えようという試みである。」69頁

「…土地を所有することで生活が成り立つアッパー・クラスにとっては知識や教養を詰め込む必要がないという考え方にもとづいている。しかし、何らかの職につくひつようがあるアッパー・ミドル・クラスにとっては、パブリック・スクールでいかに人格形成が重んじられようと、或る程度の知識や教養の取得が必要であることは言うまでもない。」130頁

「…学校を見に来た父親も「この手の学校がやるのは教育だけじゃないんだ、人生で大切なのは人格なんだ」と、パブリック・スクールの精神を認めている。」181頁

本書が言う「人格」の原語が気になるところではあるが、私が推測するに、十中八九「character」であって、「personality」ではないだろう。
そしてここにイギリスのアッパークラスにとって知識や教養を獲得する教育自体が必要でないという意識を補助線に入れると、「characterの形成には知識や教養が必要ない、必要ないどころか相反する」という公式が見えてくる。
しかしながら、大陸においては「personality」を形成する物語は「教養小説」と呼ばれている。人格形成は教養獲得と一体化している。日本語では同じく「人格」と呼ばれながら、実は「character」と「personality」では指しているものがまるで違うことに気がつく。
そしてロバート・オーエンが労働者階級のために設立した学校の名前が「性格形成学院=New Institution for the Formation of Character」であったことを想起したりする。果たしてイギリス人にとって「人格=Character」とは何なのか、気になるところだ。personalityとの違いも含め、明らかにしなければならない。

新井潤美『パブリック・スクール―イギリス的紳士・淑女のつくられかた』岩波新書、2016年

【要約と感想】藤原辰史『給食の歴史』

【要約】給食について、貧困・災害・運動・教育・世界史の5つの観点から多角的に考えることで、給食の歴史と思想の実相を捉えます。すると、給食とは「境界」にあるものだということが分かります。給食を通じて、日本や世界の姿がはっきりと見えてきます。

【感想】事前の予想に反して(と言ったら失礼で恐縮だけれども)、非常に情報量が多いにも関わらず論理的に明快で、読み応えがあって、勉強になり、様々なインスピレーションを与えてくれる本だった。おもしろかった。意表を突かれるような記述も多かったが、それだけ私の視野が狭かったということだ。目から鱗が何枚か落ちた。

本書の論理的な柱である5つの観点それぞれがいずれも重要な論点を提出している。たとえば「貧困」に関しては、私も個人的に地域の「子ども食堂」に少し噛んでいるわけだが、貧困対策の本丸は給食にあるという本書の記述には、激しく納得する。表面上はどれだけ「飽食」を叫ぼうとも、貧困は見えないところに確実に存在する。現在は、ますます貧困の実相が見えにくくなっている。その貧困を掬い上げるのが福祉の仕事のはずだ。ところが小さな子ども食堂ですら「教育/福祉」の境界をどう調整するかで悩ましい問題がたくさん生じているなか、給食ではさらに大変な問題に直面しているであろうことは想像に難くない。その問題を解くには、おそらく「教育/福祉」を一体化した理念を提出できるかどうかがポイントになるのだろう。やはり児童の権利条約の精神が鍵を握っている気はする。

そして「教育」に関しては、大学で栄養教諭養成に関わっていることもあって、多少は勉強して知っているつもりではあったものの、改めてその重要性を認識し直した。授業では学生に対して「食育基本法」の精神だとか「教科等横断的な視点」における食育指導について話をしているわけだが、やはりまずは給食に関する根本的な理念を土台に据えることが決定的に重要なのだと感じた。表面上の条文やカリキュラム規定を暗記しても、土台となる精神を理解していなければ、何の意味もない。
また、教育学者が給食に対して関心を持ってこなかったという告発には、頭が下がる思いがした。確かに教育学の世界では「学力」に関する論争は盛んに行なわれる一方で、「食」に関しては周辺的な領域に追いやられがちなのだ。単に「食」を学習の題材にするという意識では、おそらくいつまでも周辺的な要素に留まり続ける。既存の常識に固執するのではなく、「生活」という広い観点から本質的に発想を組み換える論理が必要とされているように思った。

また「世界史」に関して、アメリカの影響と新自由主義の波がこれほどダイレクトに給食に表れていることは、言われてみればナルホドではあるが、普段はさほど気にしないところではあった。給食ほど日常生活の中に「世界史」が組み込まれている例は、確かにあまりないかもしれない。一点突破全面展開の材料として、給食がこれほど実り豊かな成果を出し得るポテンシャルを持っていたものだったとは、不覚にも認識していなかった。著者の着眼点の鋭さと、着実な成果を挙げる研究手法の確かさには、かなり感じ入った。いい本だった。
個人的には「遅刻しそうになって食パンを加えながら学校へ急ぐ」という戯画的なエピソードが極めてアメリカ的な心性の反映であり、象徴であるという仮説を持っていたわけだが、本著の成果と研究スタイルは私の仮説を裏付けるのに何かしらの意味を持っているように感じた。

【今後の個人的研究のための備忘録】
教育という営みが本質的に抱え込むアポリアに対して誠実に向き合っている本は、実はそんなに多くないだろうと思った。だいたいは、アポリアを抱え続ける不安定な緊張に耐えられず、どちらか一方の立場から論を進めてしまうものだ。以下の記述は、なかなか感慨深く読んだ。

「給食は、国家に依存しない自立した人間をつくる、という考えは、当然、冷戦体制が急速に構築されていくなかで生じたものであるが、それ以上に、給食とは何かを根源的に問うものだ。なぜなら、学校とは社会の力で子どもを守るところであるとともに、一人の自立した人間として育てるところでもあり、厳守すべき社会のルールを学ばせつつ自己の独創性を育てなければならない、という、決して簡単には調和しない課題を引き受けており、日本の給食はまさにその教育の二面性の象徴だからである。」(123頁)

教育を仕事にするということは、この本質的なアポリアをアポリアとして断念したまま、それでも前に進む意志を持ちつづけるということだ。すぱっと割り切れないモヤモヤしたものをいつまでも抱え続ける勇気と根性が必要なのだ。いやはや。
本書が示した「境界」という言葉は、どちらか一方に倒れ込むことなく緊張感を保つための、よい戒めの言葉だと思った。境界に立っていることを自覚できれば、軽率に一方に決め込む愚を避けられる。

藤原辰史『給食の歴史』岩波新書、2018年

教育概論Ⅰ(中高)-2

栄養・環教 4/19
語学・心カ・教福・服美・表現 4/20

前回のおさらい

・教育基本法の概要:教育の目的は「人格の完成」です。知識を外からたくさん付け加えることではありません。
・東洋古代の教育:「教」と「育」の漢字の源。外部(神)から強制される規範と、出産を出発点にした人間関係。
・西洋古代の教育:ソクラテスの思想。外部から知識をつけ加えるのではなく、自分の内部から本物の知を出産する手助け。
※教育を「外部から知識を与える」ものと考えるようになったのは、いつでしょうか?

今回の目標

・大人と子供の境界線の存在と理由を意識しよう!
・子供に関する学説のあらましを理解しよう!
・「家族」の形について、常識を捉え直そう!

大人と子供の境界線

・「人格の完成」とは、日常的なことばで簡単に言い換えれば、「大人になる」ということになります。
・「教育」とは、「子供」だった存在を「大人」へと成長させる手助けと言うこともできます。

【思考実験】「子供」と「大人」の違いとは?

▼自分が「子供」なのか「大人」なのか、生活を振り返って考えてみよう。

子供と大人の境界線アンケート

・現在は、様々な基準で大人と子供の間に境界線が引かれています。
・たとえば、労働(働いているのが大人、働いていないのが子供)、経済的自立、年齢制限(酒や煙草を許されるのが大人、許されないのが子供)、選挙権、結婚、子供を持つ、精神的な成熟などという基準が考えられます。

【思考実験】「子供」とはどういう存在か?

▼あなたは「子供」をイメージすると、どういう言葉を思い浮かべますか?

子供に対するイメージアンケート

・子供は……かわいい・守ってあげたい・将来の世の中のために大切・初々しい・無邪気・純粋・天真爛漫、あるいは自立していない・弱い・未熟。
・しかし実は、日本でもヨーロッパでも、「子供」をこのように考え始めたのはそう昔の話ではありません。
・かつて、「大人」と「子供」の間には、現在のような明確な境界線はありませんでした。

子供はいなかった?

・かつての世界では、「7歳」という年齢が大きな境界線となっていました。
労働:7歳以後、人々は働いていました。つまり大人たちの仲間として世界と関わっていました。子供の仕事としては、日本では柴刈りや馬引、水汲み、子守などに従事している姿が絵の中に残されています。
遊び:同様に、遊びは子供だけの特権ではなく、大人も一緒に楽しむものでした。日常生活のなかに、定期的に「遊び」が組み込まれていました。
→昔は、労働や遊びという点で、大人と子供に明確な区別はありませんでした。

生理的早産

・人間以外の高等哺乳類(犬や馬や象や鯨)は、誕生してからすぐに親と同じような行動をとることができます。しかし人間の赤ん坊は「能なし」で生まれてきます。他の高等哺乳類と同じくらいできるためには、人間はあともう一年は母親の胎内にいる必要があります。←頭が大きくなりすぎるので、無理です。
・この一年早く生まれてくる現象を「生理的早産」と呼びます。この特徴こそが、人間を人間たらしめているのかもしれません。
・生物学的・自然科学的な過程によって必然的に成長が決められるのではなく、歴史的・文化的な過程によって選択的に成長が決まります(たとえば、箸を使うのか、フォークを使うのか)。ここに人間らしい「個性」が生まれるわけです。
【参考文献】ポルトマン『人間はどこまで動物か』

人間はどこから人間か?

・かつては「7歳」に境界線がありました。7歳未満の存在が「人間」として扱われていなかったのではないかという疑惑は、埋葬、捨て子、マビキなどの在り方に見ることができます。
・妊娠中絶は殺人か? →昔と今とでは、「なかったことにする」という意味で、やっていること自体は変わりません。単に「どこから人間か」という境界線が移動しているだけなのかもしれません。

昔の「家族」の生活を考えてみよう

・「家族」は子育てしていたでしょうか?
*生産力:生産力の低い世界では、子供も労働しなければ家族が生きていけません。父親も母親も、生きるための労働で精一杯であって、子育ての優先順位は下がっていきます。
*社会(ムラ)と家族との関係:現在は家族が独立した島宇宙のようになって社会から隔絶していますが、かつては家族と社会(ムラ)の間の境界線は曖昧でした。家族が子育てをできなければ、社会全体でそれを担います。

復習

・「子供」が「大人」になるとはどういう意味なのか、自分の生活を振り返って考えてみよう。
・アリエスやポルトマンの学説を踏まえながら、昔の人の「子供」に対するイメージが現在とまるで違っていることを、自分なりにまとめておこう。
・「家族と社会」の関係によって「子育て」に対する考え方がまるで変わってくる理屈を、自分なりにまとめておこう。

予習

・「イニシエーション」や「若者宿(メンズハウス)」という言葉の意味を調べておこう。
・イニシエーションの具体例をいくつか調べてみよう。
・昔の人(平安時代や鎌倉時代)が、何歳で父親や母親になっていたのか調べよう。
調査結果はこちらに記入

参考文献

フィリップ・アリエス『<子供>の誕生』
主にフランスにおいて「子供期」がどのように生じてきたかを分析した社会史研究書。中世まで人々は子供に無関心だったが、17世紀から子供と大人の間の境界線が厚くなっていったという見解。

カニンガム『概説子ども観の社会史』
ヨーロッパと北米において、子どもの実際と観念がどのように変化したかを概観した社会史研究書。20世紀における急激な変化を強調。

柴田純『日本幼児史』
日本において7歳という境界線がどのように生じたかを分析した歴史学の本。古代・中世の人々は子供に対して無関心だったが、江戸中期以降に子供に対する心性が大きく転回したという見解。