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【城と猫】城に行くと猫がいる―Castles & Cats

城に行くと、猫がいるのは何故。
Dungeons & DragonsとかTunnels & trollsのノリでCastles & Catsということでよろしくお願いします。

湯山館(有馬温泉)

野面積み石垣前。

(2019年8月 有馬温泉)

人吉城(熊本県人吉市)

城の東側、石柱標識。

城の東側。

(2019年7月 人吉城)

唐沢山城(栃木県佐野市)

虎口脇。当時の佐野市は摂氏38.7度。まるで警備警戒していない。

本丸に向かう参道。行きは元気。

城を見学して帰ってきたら、こう。

(2019年8月 唐沢山城)

大高城(愛知県名古屋市)

二の丸の東屋下。

本丸に向かう途中。

(2015年8月、2011年5月 大高城)

和歌山城(和歌山県和歌山市)

大手門付近お堀端

(2015年6月)

岡山城(岡山県岡山市)

帯曲輪の石垣麓。

(2017年10月 岡山城)

韮山城(静岡県伊豆の国市)

城池親水公園。

(2016年1月)

高井城(茨城県取手市)

(2018年2月)

他に、目視はできても、写真ではうまく撮れなかったニャンコもたくさんいるからなあ。気がついたらアップしていこう。
ちなみに、石垣の城ではよく猫を見るものの、土の城や山の城ではほとんど猫をみかけませんね。

【熊本県人吉市】人吉城は、ぜひ球磨焼酎とセットで堪能したい

人吉城に行ってきました。日本百名城の一つに数えられている名城です。
行きは八代から人吉まで普通電車に揺られましたが、車窓から覗う球磨川の景色が実に絶景でした。

人吉城は球磨川沿いの河岸段丘に築かれています。川岸に整然と築かれた石垣に、さっそくテンションが上がります。

人吉城は球磨川と胸川の合流地点に築かれています。大手門は胸川沿いにあります。

大手門の脇には、胸川に降りていく階段もあります。なかなか珍しいように思いました。

大手門を入ると、西外曲輪で、かつては家臣の屋敷が並んでいたところです。現在は「人吉城跡ふるさと歴史の広場」として整備されていて、人吉城歴史館があります。

人吉城歴史館では人吉城と相良家700年の歴史を予習しましょう。全体模型もあって、ありがたいです。

模型だけ見ても、極めて広大な城であったことが分かります。現在城跡として整備されているのは球磨川沿いの台地部分だけで、模型手前側の部分は宅地になっています。

案内パネルによると、相良氏が地頭として入ってから700年間の支配が続いたようですね。

西外曲輪には、全国でも他に例がない地下室遺構が見つかっていて、しかも相良藩の歴史「御下の乱」に深く関わるなど、興味は尽きません。

西外曲輪だけで既にお腹いっぱいになってきますが、まだほんの序章に過ぎません。まずは三の丸に出ます。

三の丸も広大です。遙か前方に二の丸を構成する石垣が見えます。画面中央から右に伸びている石垣の曲輪は、まだ三の丸です。

三の丸の西側階段から二の丸に上がります。

二の丸には、案内パネルによると、江戸時代には城主の住む御殿が建っていたようです。現在は大きな杉の木が林立しているだけです。

三の丸から二の丸に上がる入口はもう一つあって、こちらの「中の御門」のほうが正式登城ルートでしょう。

たいへん立派な石垣です。築地塀や長屋が建っていたら、さぞかし壮観だったことでしょう。

そして二の丸から本丸へ向かいます。

現在は木が鬱蒼と茂っていて当時を偲ぶよすががあまり残されていません。当時はどんな感じだったんでしょうかね。

登りきったところに見える本丸は、こぢんまりとしているようには感じます。

が、三の丸や二の丸が巨大すぎたための錯覚で、普通の山城の規模を考えたら、かなり大きな曲輪のはずです。

本丸からは遙か彼方の山並みまで見晴るかすことができます。

風も爽やかで、とても気持ちいいです。いい季節に来ました。

本丸の気分をしばらく堪能してから、下城します。登りは西外曲輪から東に向かってきましたが、帰りは北側の球磨川に向かいます。
球磨川沿いに、御下門が構えています。こちらが正式な登城ルートなのでしょう。

素晴らしい石垣です。長屋門が残っていたら、さぞかし壮観だったことでしょう。

さらに城の東側に回ります。西側が西外曲輪などを中心に比較的よく整備されているのに対して、東側は整備が少し遅れていて、ワイルドな感じが残っているような気がします。

うん、ワイルド……。
猫から谷筋をまっすぐ登って行くと、「原城」という中世城があります。左側が城の東側で、地蔵院や春日社の跡が残っている機構を通って、球磨川に通じています。

球磨川に通じるさまざまな機構は、とてもおもしろいです。河川通運が発達していたことが伺えます。

こちらは「谷口船渡跡」で、対岸の商人町との交通に利用されていたもののようです。

こちらは水の手門。

中世城の特徴は「山」ですが、近世城の特徴は「水」です。海や川に付く城が増えます。近世城は行政の中心地であると同時に、物資の集散地としても機能させることが重要だったことが分かります。

さらに面白いのが、球磨川沿いの石垣の上部に設置された「武者返し」です。

石垣の上から板が出っ張っている機構で、単純な気もするのですが、西洋の建築技術で、他にあまり例がないようです。

そんなわけで、たいへん素晴らしい史跡でした。

そして夜、たまたまホテルの真ん前にあった居酒屋「大衆酒場CHABO」で晩飯にしようと思ったところ、陽気なマスターと偶然隣り合わせた蔵こんの偉い人のおかげで、美味しい球磨焼酎を味わいつつ、楽しい時間を過すことができたのでした。
鳥が美味しいお店だったので、気になってマスターに話を伺ったところ、人吉は文化的には宮崎や鹿児島に近いところがあるということでした。なるほどなあと。
蔵こんの取材は、渾身の記事「最もハイボールが美味しい米焼酎(球磨焼酎)の銘柄はどれ?」に結実していました。人吉城に行ったら、ぜひ球磨焼酎とセットで味わいたいですね。

(2019年7月訪問)

【栃木県佐野市】佐野城に行くと、いつも若いカップルがいる

佐野城跡に行ってきました。JRと東武の佐野駅改札からいきなり徒歩10秒で三の丸に行けるという、たいへん立地条件のいい城です。

現在は公園として整備されています。が、大きな堀切の跡をしっかり見ることができます。
入口の案内パネルによると、関ヶ原後に唐沢山城を廃城にして、新たにこちらに築城したようですね。完全に山城の唐沢山城よりは、確かに平地が広がっている佐野城のほうが行政の中心としては都合が良さそうです。

南から北へ、三の丸・二の丸・本丸・北出丸と続く連郭式の城です。かなりの比高差があって、駅から続く跨線橋がそのまま三の丸の高さになっています。縄張図を見ると、外堀もたいへん立派です。近世城郭としてかなりの規模であったことが分かります。

見所は、やはり堀切です。こちらは二の丸と本丸を隔てる巨大堀切。

関東の「土の城」らしい佇まいが、見事です。
本丸の案内パネルによると、どうも石垣も残っていたようです。ただし保存のために埋め戻されていて、見学はできません。

石畳の様子も見たかったのう。

本丸と北出丸を隔てる堀切も、迫力があります。かなりの比高差があることが分かります。

北出丸の北は断崖絶壁になっていて、こちらから攻め上ることはほぼ不可能ではないかなと思います。絶好の要害に城を作ったなあ。

現在、本丸には東屋が、二の丸には文化施設が建っています。2019年に訪れたときには二の丸で、2012年に訪れたときには本丸で、高校生らしきカップルがいちゃついていたのでした。どうやらここは現在ではカップル憩いの場として定着しているようでありました。

佐野らーめんチャーシュー増し増しをいただいて、佐野を離脱するのでありました。
駅直結の「らーめんミニ博物館」には、佐野市内のラーメンが高クオリティの食品サンプルで展示されていて、一見の価値はあるかも知れません。
(2019年8月訪問、2012年5月訪問)

【栃木県佐野市】関東七名城の唐沢山城は、暑すぎて猫が伸びていた

唐沢山城に行ってきました。関東七名城の誉れも高く、2014年にはめでたく国指定史跡となりました。続百名城にも選出されています。

国指定史跡になる前、2012年にも一度訪れています。そのときはゴールデンウィークで、ツツジが見事に咲いていたのでした。

唐沢山城は、案内板によれば、藤原秀郷が築城したとのこと。

とはいえ、現在の見事な高石垣の姿は、戦国時代の佐野氏によって整備されたものでしょう。上杉謙信の猛攻を何度も耐えた城として知られています。関東戦国史を語る上で絶対に外せない城です。

縄張図を見るだけで、固い城だということが分かりますね。現地に行くとよく分かるのですが、平野の端にいきなり断崖絶壁が屹立しており、まさに天然の要害といった趣です。関東平野の北端に位置し、戦略上も極めて重要なところです。

さっそく虎口から城に入りましょう。駐車場からすぐ虎口が見えます。

実に見事な食い違い虎口です………ん? 虎口の脇になにやら白い物体が見えますが。

どうやら猫が二匹倒れていたようです。

生きてます。ただ伸びているだけでした。
この日の佐野は、気温38.7度を記録する大変な猛暑でありました。やる気が出ないのは分かります。しかし、どう見ても「警備警戒中」とは思えない、ダラけた姿です。

起きる気配のない猫を虎口に残し、東方向、本丸へと向かいます。現在は神社の参道として整備されています。途中で何か寝てますけどね。

西側から三の丸に入るところには、立派な堀切があります。「四つ目堀」と名前がついています。

三の丸と二の丸の南側には、神社に向かう参道が整備されています。当時は帯曲輪だったのかなあ。現在は「風鈴参道」ということで、たくさんの風鈴が並べられています。

気温は38度ですが、木陰で風鈴の音が鳴ると、なんとなく涼しく感じます。

この参詣道を進むと、直接本丸に行くことができます。やはり虎口から本丸に直通することは考えにくいので、戦国時代当時の道ではなく、後から整備されたのでしょう。
本丸には唐沢山神社が鎮座しております。

唐沢山神社の祭神は、藤原秀郷公です。佐野市には秀郷の墓もあるようです(未訪)。

本丸は中世山城らしく、こぢんまりとしています。なんとなく後詰めの城という趣ではあって、従来の居館は麓にあったような気もするところです。

神社の境内は、なかなか清廉な雰囲気が漂っております。

本丸境内でも風鈴が爽やかな音を奏でていました。

本丸の南西側には、たいへん立派な石垣が組まれています。

関東戦国期の城で、これほど立派な高石垣を見ることはほとんどありません。他には八王子城か金山城くらいでしょうか。

二の丸から西に本丸を見るの図。今は神社本殿への参道として整備されていますが、かつては虎口等が整備されていたのでしょうか。

二の丸から本丸の高石垣を臨む。

実に見事です。国指定史跡になるのも、頷けます。

虎口まで戻って、南側の天狗岩に登ります。

天狗岩からの眺望は、実に見事です。

唐沢山城が関東平野の北の端に位置していることが、よく分かります。何も遮るものがなく、遙か彼方まで見晴らすことができます。空気が澄んだ冬なら、新宿のビル群まで見えるようです。いやあ、絶景。

しかしそんな見事な眺望も、ニャンコどもにはまったく意味がないのでありました。人間が近寄っても、ぴくりともしません。だらしないなあ。

駐車場脇のレストハウスでソフトクリームをいただき、焼き付けるような日差しの中を下山するのでした。空気が澄んだ季節に、また来よう。
(2019年8月訪問、2012年5月訪問)

【群馬県前橋市】上泉城と剣聖上泉伊勢守信綱のお墓

新陰流の創始者にして剣聖の名も高い、上泉伊勢守信綱ゆかりの地を訪れました。上泉城の跡地と、伊勢守のお墓がある西林寺です。

上泉城の跡地は、現在は自治会館となっています。伊勢守の銅像が鎮座しております。新影流の基本である「無形の位」という構えだそうです。かっこいい。

上泉城跡地を遠くから眺めると、こんな感じ。

このあたりが本丸と二の丸のようです。

城の全体像は、上泉駅近くの案内板で確認することができます。2012年に訪れたときは生誕500周年記念事業の一環として綺麗なパネルが設置されていましたが、2019年現在は風雨に曝されてボロボロになってしまっております。

地図を見ると、東と南を川に囲まれた、天然の要害であることが分かります。

さて、本丸の跡である自治会館の敷地には、生誕500年事業等の記念碑が並んでいます。

ちょっと驚いたのは、「剣聖・上泉伊勢守」という歌を作った上に、ボタンを押すと歌が流れるような装置が設置されていることです。

試しに押してみると、大音量で歌が鳴り響きます。素晴らしい演歌なのではありますが、真っ昼間の静かな住宅街に大音量で3番まで鳴り響くと、多少気まずい感じはいたします、はい。

ボタンは二個所あって、自治会館の壁には歌詞も展示されています。

2012年に訪れたときには歌のポスターも展示されていたのですが、2019年再訪時にはなくなっていました。日焼けして色落ちしてしまったのかもしれませんね。

さて、上泉城本丸跡地の自治会館から西へ向かうと、かつての「一の郭」であった西林寺に着きます。こちらには伊勢守のお墓があります。

ハカマイラーとしてはぜひとも訪れたいところです。
西林寺にも顕彰碑が建立されております。

こちらには伊勢守信綱の略譜も記されています。

お墓はとても質素な佇まいでした。なんとなく人柄が偲ばれるような気持ちがしました。

2012年に訪れたときには、自治会館にいらっしゃった方から記念冊子をいただいたり、居合わせた地元の政治家の方に車で駅まで送っていただいたりと、たいへん良くしていただきました。再訪できて、とても嬉しく思いました。また遊びに行きたいと思います。
(2012年訪問、2019年再訪)