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【要約と感想】小島和男『プラトンの描いたソクラテス』

【要約】テキストそのもののみから分かることを丹念に当たった結果、プラトンはソクラテスの徒ではありませんでした。

【感想】表題の問いに対する回答に関しては、ちょっと結論を急ぎすぎてるかなあという印象だけど、まあ、それはいいか。

ソクラテスが言う「知」と「無知」の間の矛盾に関しては、私も前から気になっていたので、本書が示すような見解があると知り、大いに参考になった。「ソクラテスの中にははっきりと「悪と分かっていること」と、「よいか悪いか分からないこと」の二つがあり、そういった構造のもとで、「美しく善なることを全く知らない」と言っている」(60頁)ことが論理的な要点。最初から感じていたように、ソクラテスは積極的に肯定的な何らかの知を示すのではなく、「否定」を重ねることでターゲットを絞っていくということ。この手続きは、「否定の否定」によって語り得ぬものを語ろうとする否定神学へと向かうことになるのだろうかね。

あと、ソクラテスの「神」が「措定かつ前提」(160頁)と言い切ってくれたのはありがたい。私はそこまで言い切れる自信はないが、言いたいので、都合良く引用していきたい。

小島和男『プラトンの描いたソクラテス―はたしてプラトンはソクラテスの徒であったか』晃洋書房、2008年

【要約と感想】岩田靖夫『増補ソクラテス』

【要約】「反駁的対話」やソクラテスにおける「無知」の論理構造を中心に、ソクラテスの思想を分析。

【感想】「無知の知」に関する本文の記述が、「これで本当に大丈夫なのか?」と不安にさせるものだったが、増補版の追加で大幅修正されていた。私と同じように不安に思った人が多かったらしく、シンポジウムでさんざん突っ込みが入ったようだ。

私が思うに、「対話術」に関する極めて重要な事実は、筆者も述べるように、プラトンがこの原理について本質的なことを「一言の説明もしていない」(296頁)ことだ。『国家』で触れられた太陽の比喩とか線分の比喩でディアレクティケーの方法が述べられているとする解説書もあるが、あそこには本質的なことは書いてないと思う。つまり、いかにして本物の真実へたどり着くかという保証は、あの説明では得られない。この「書かれていない」ということ、「否定」という事実そのものが極めて重要なのだと思う。ここに「無知の知」の深淵が現れている。

対話術がどのように真理に到達するかについて、プラトンは何も述べない。第七書簡によれば、そもそもそれは語れないし伝えられないものだ。このような真理にロゴスによっては到達することは不可能で、神話によってある程度仄めかすことは可能としても、どこかで深淵を跳躍する必要がある。

これはおそらく、世界を論理的に語るときに、どうしても深淵への跳躍を要請してくる「特異点」が必要となることを示している。「特異点」の抹消が原理的に不可能なことを自覚することが、いわゆる「無知の知」と言える。その「特異点」をどこに設定するかで世界の記述の仕方が変わる。「人格」を特異点にするか=カント、「個物」を特異点にするか=唯物論、「世界の見え方」を特異点にするか=フッサール、「世界そのものの外側」を特異点にするか=ヴィトゲンシュタイン、「言語」を特異点とするか=論理実証主義。むしろ何でも特異点になり得る。絶対無だろうが、メガネだろうが。しかし特異点を抹消することは、最後まで不可能なのだ。それがおそらく神を生む。

とはいえ、どの特異点も平等というものではない。出来の良い特異点は、射程範囲が広い(そしてその分、裂け目も深い)。「善のイデア」は、そうとう出来が良い。メガネも負けていられない。

岩田靖夫『増補 ソクラテス』ちくま学芸文庫、2014年<1995年

→参考:研究ノート「ソクラテスの教育―魂の世話―」

【要約と感想】マテイ『プラトンの哲学-神話とロゴスの饗宴』

【要約】プラトン思想は、五元構造である。

【感想】まず、フランス人がプラトンを読むとこういう解釈になるのかあ(←ざっくりしすぎ)という感想。率直に言って、何がしたいのかよくわからない。新プラトン主義的な方向に傾いている気しかしないけど、著者はそれを否定しているという。いやはや。

とはいえ、断片的には参考になる解釈もたくさんあって。たとえば「問答法」と「神話」に対する解釈は、補助線の一つとしてはとても有効だと思った。著者によれば、問答法とはつまるところ「総合と分析」にかかわる論理的な手続き(=ロゴス)だ。そしてそれに対して「神話」という異邦人による一人語りは、死すべき者(感覚界)と不死の者(可知界)との境界線をつなぎ、越境する役目を負う。

多くのプラトン解説書は、イデア論を中心として、プラトン思想の論理的・体系的な解釈を目指す。そうすると、問答法=ロゴスは哲学の方法として視野に入ってきても、「神話」(=論駁も論証も受け付けない原初の話し言葉)はこぼれ落ちていく。確かに、この「神話」を視野から除いてしまったら、プラトン体系の半分を無視してしまったことになる。

まあ、ロゴスと神話を陰陽五行説で統一的に解釈する(ロゴス=陰陽二元論、神話=五元的世界論)という構想は、なかなか素敵だ。フランス人の著者がどう思っているか知らないが、言っていることは古代東洋思想とものすごく親和性があるのだった。

ジャン=フランソワ・マテイ/三浦要訳『プラトンの哲学 ─ 神話とロゴスの饗宴』白水社、2012年

【要約と感想】藤沢令夫『プラトンの哲学』

【要約】プラトン思想の核心は徹底的にイデア論である。

【感想】イデア論に関して、個人的には「広義のイデア論」と「狭義のイデア論」があって、後期プラトンで放棄されたのは狭義のイデア論の方だって見えていたわけだけど。まあ大雑把には、そんな見え方で問題ないことは確認できた。が、具体的な論理展開に関しては、ずいぶん勉強になった。

本書は、認識を成立させるために不可欠な根拠としてイデア論が要請される、と考える。経験の総和としては不可能な「先験的な総合判断」というものが成り立つためには、どうしても論理的にイデアという概念が要求されねばならない。そしてこのイデアは、「存在」の体系などではなく、「価値」と「意味」の体系として経験的な知覚を成立させる基盤となる。そしてこの体系に説得力を持たせるためには、認識論から「主語となる個物」を消去する手続きが必要となる。

もう、なるほどなあと。これならイデア論が、確固とした認識論を伴いながら成立する。後期で放棄されたのは、「分有」という述語を伴った狭義のイデア論ということになる。そして、イデア論は現象学と相性がいいという印象がさらに強まった。とても勉強になった。

藤沢令夫『プラトンの哲学』岩波新書、1998年

【要約と感想】納富信留『プラトンとの哲学 対話篇をよむ』

【要約】プラトンの本から有益な何かを一方的に教えてもらおうとしても、得るものはありません。プラトンとの対話の渦に巻きこまれることで、問いの本当の意味が初めて見えてきます。ということで、実際にプラトンと対話してみました。

【感想】「入門書」と銘打ちながら入門書らしからぬ著作が散見される中、本書はしっかりプラトンの著書の概要を伝えていて、なかなか入門書らしい体裁を取っているように思った。しかし一方で、入門書だからこそできる(つまり学術的な手続きに即した論証なしの)意見も前面に出てきている。著者のスタイルは、対話篇が対話篇である本質的な意義を土台に据えているところにある。たとえばその意識は言語論に対する丁寧な扱いに垣間見える。「イデア論」を絶対的な真実と単純に決めつけるのではなく、どうして「イデア論」が必要となるかを、奥歯に物が挟まったような回りくどい言い方を積み重ねて説明していく。

イデア論には明らかな論理的欠陥があって、プラトン自身もそれを認めている。しかし一方で、プラトンにつきあっていると、それでもやっぱりイデア論は必要だと思ってしまう。その行き詰まりと粘り強くつきあうこと自体が重要な哲学的営為なのであって、たとえばイデア論をズバっと単純明快に説明することにはおそらくあまり意味はない。そういう意味では本書は通常の入門書とは言えない書き方になっているが、そもそもプラトンに通常の入門書を求めること自体が原理的に不可能だとも言える。そういう逆説に果敢に挑んだ入門書だと思うのがよいかなあと。

納富信留『プラトンとの哲学―対話篇をよむ』岩波新書、2015年