【要約と感想】岩田靖夫『増補ソクラテス』

【要約】「反駁的対話」やソクラテスにおける「無知」の論理構造を中心に、ソクラテスの思想を分析。

【感想】「無知の知」に関する本文の記述が、「これで本当に大丈夫なのか?」と不安にさせるものだったが、増補版の追加で大幅修正されていた。私と同じように不安に思った人が多かったらしく、シンポジウムでさんざん突っ込みが入ったようだ。

私が思うに、「対話術」に関する極めて重要な事実は、筆者も述べるように、プラトンがこの原理について本質的なことを「一言の説明もしていない」(296頁)ことだ。『国家』で触れられた太陽の比喩とか線分の比喩でディアレクティケーの方法が述べられているとする解説書もあるが、あそこには本質的なことは書いてないと思う。つまり、いかにして本物の真実へたどり着くかという保証は、あの説明では得られない。この「書かれていない」ということ、「否定」という事実そのものが極めて重要なのだと思う。ここに「無知の知」の深淵が現れている。

対話術がどのように真理に到達するかについて、プラトンは何も述べない。第七書簡によれば、そもそもそれは語れないし伝えられないものだ。このような真理にロゴスによっては到達することは不可能で、神話によってある程度仄めかすことは可能としても、どこかで深淵を跳躍する必要がある。

これはおそらく、世界を論理的に語るときに、どうしても深淵への跳躍を要請してくる「特異点」が必要となることを示している。「特異点」の抹消が原理的に不可能なことを自覚することが、いわゆる「無知の知」と言える。その「特異点」をどこに設定するかで世界の記述の仕方が変わる。「人格」を特異点にするか=カント、「個物」を特異点にするか=唯物論、「世界の見え方」を特異点にするか=フッサール、「世界そのものの外側」を特異点にするか=ヴィトゲンシュタイン、「言語」を特異点とするか=論理実証主義。むしろ何でも特異点になり得る。絶対無だろうが、メガネだろうが。しかし特異点を抹消することは、最後まで不可能なのだ。それがおそらく神を生む。

とはいえ、どの特異点も平等というものではない。出来の良い特異点は、射程範囲が広い(そしてその分、裂け目も深い)。「善のイデア」は、そうとう出来が良い。メガネも負けていられない。

岩田靖夫『増補 ソクラテス』ちくま学芸文庫、2014年<1995年

→参考:研究ノート「ソクラテスの教育―魂の世話―」