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【要約と感想】髙谷浩樹『「GIGAスクール」を超える』

【要約】ICT教育について語る前に、まずは道具としてのICTを理解しましょう。まずこれまでの学校DX化失敗の歴史を反省して、官民協働で一人一台端末を実現しました。教育DX化を進めることで、個別最適化した学習などテクノロジーを活用した新たな取り組みが進むことに加え、教育データ駆動によって思いもよらなかったイノベーションを期待することもできます。しかし教育データ駆動のためには単に一人一台端末の整備だけでは不十分で、セキュリティを踏まえてデータを収集・分析・可視化・活用するためのクラウドやプラットフォーム標準化などの整備が必要です。教育DX化を妨げる学校文化が残存しているので、打破しましょう。

【感想】GIGAスクール構想立ち上げに関わったキーパーソンが内部から見たこと考えたことを書き連ねていて、まずは手っ取り早く事実関係を把握できるのがありがたい。
 内容としては、具体的な授業改善へのICT活用についてはさらっと触れるだけで、主にビッグデータを教育的に活用する意義と、それを実現するためのインフラやセキュリティについての解説、さらにDX化を阻む教育界の障壁について詳しく書いてあるのが類書と異なる特徴だろう。
 ということで、現場の最前線に立つ教師向けに書かれたというより、教育政策立案や条件整備やカリキュラム編成に携わる立場、つまり教育委員会や管理職に向けて書かれた本ということになる。まあ、現場の教員が知っていて損はないだろうとは思う。

■髙谷浩樹『「GIGAスクール」を超える―データによる教育DX実現への道程』東洋館出版社、2022年

【要約と感想】浅野大介『教育DXで「未来の教室」をつくろう』

【要約】義務教育段階での一人一台端末が実現しましたが、まだ入口です。本気で教育DXを進め、「学びの自律化・個別最適化」と「学びの探究化・STEAM化」を本格化しましょう。生徒の学び方と教師の働き方が根底から変わります。
 経済産業省だからこそできる仕事かもしれませんが、あくまでも文部科学省と対抗したいわけではありません。文科省の言う「生きる力」を本当に育てる教育を目指しましょう。

【感想】単に机上の空論に終始するのではなく、先行している具体的事例を踏まえて帰納的に理論を組み上げ、そしてその理論から演繹的に実践例を構想して、実際に実現にこぎつけるという、理論と実践の往還が、話に説得力を持たせている。そうやって前のめりに新しい時代に対応していけるところは、どんどん実現していけばいいのだろう。止める筋合いはない。今は、前に進める人たちからどんどん進むべき時間帯だ。先に進むために、教育学が積み重ねてきた知見と知恵は大いに役に立つだろう。
 忘れてはいけない問題は、ついて行けない人や置いて行かれる人が必ず出る、というところだ。ついて行けない人や置いて行かれる人の存在を言い訳として改革を止めるようなことをせず、そしてそれでもついて行けない人や置いて行かれる人を少しでも減らし、あるいはケアするために、おそらく経済産業省が関心を示さない教育学の知恵が必要になってくる。

【要検討事項】教員免許制の柔軟化や標準授業時数の廃止(217頁)、デジタル教科書制(218頁)や就学義務の柔軟化(221頁)にまで踏み込んでいるところは、メモしておく。仮にこれらが実現したら、もう文部科学省の存在意義自体がなくなりそうなものだ。

■浅野大介『教育DXで「未来の教室」をつくろう―GIGAスクール構想で「学校」は生まれ変われるか』学陽書房、2021年

【要約と感想】平井聡一郎編『GIGAスクール構想で進化する学校、取り残される学校』

【要約】一人一台端末が実現しましたが、従来のICTのイメージを引きずっていると取り残されます。単にICTを授業内で活用するだけでなく、学校活動全体をDX化して組織を根本から変革できる学校がどんどん進化していきます。端末を触って分かった気になるのではなく、少なくともクラウドについては理解しておいた方がいいでしょう。
 大事なのは、まずやってみることです。教員が完璧でなくても、子どもの方はどんどん先に進めます。むしろそうやって子どもが自主的に学びを進められるのが、ICT本来の強みです。管理職や教育委員会は、過剰な規制強化などで改革の芽を潰してはいけません。ICTをバリバリ使いこなすカッコいい教員を目指しましょう。

【感想】日本で何かを売りつけようとするときには、「みんなもう持っていますよ」と働きかけるのが一番効果が高いわけだが、この本はタイトルからしてそういう日本人の弱みに上手につけ込んできている感じがすごい。とはいえ実際、できる学校とできない学校、やれる自治体とやれない自治体で、どんどん格差が拡大している。不甲斐ない自治体の有様は公教育に対する不信感を広げて、私立受験の誘因にもなる始末だ。
 本書は、幅広い領域から著者を集め、多面的・多角的に教育DXとGIGAスクール構想について取り上げており、さしあたってこの一冊で全体像を概観できるようになっている。ICTを実際の日々の授業に活かしたい教員は別の即戦力系実践本を買った方がいいが、まず話の前提とか大雑把な全体像を把握しておきたい管理職や教育委員会の中の人には丁度いいのではないだろうか。というか、これくらいは知っておかないと、本当に取り残されてしまうだろう。

■平井聡一郎編『GIGAスクール構想で進化する学校、取り残される学校』教育開発研究所、2021年

【要約と感想】石戸奈々子編著『日本のオンライン教育最前線―アフターコロナの学びを考える』

【要約】日本のオンライン教育は世界から2周ほど遅れていましたが、2019年からようやく本格的に動きはじめ、そして2020年のコロナ禍によって一気にICT整備が進みました。子どもたちの学びを止めないために、行政、教育委員会、学校、教師、保護者、民間企業、教育産業界など、様々な立場の人々が積極的に役割を果たそうと努力しました。様々な立場の人々が、コロナウイルスによる全国一斉学校休校のさなか、何を考え、どのように動いたか、そしてコロナの脅威が去った後の教育をどのように考えているか、そして日本以外の国々では何をしたのか、インタビュー等で明らかにします。
それらを踏まえて考えると、学校教育が始まってから150年、社会の方が大きく変わっているのに学校がまったく変わっていないのは、やはり異常です。学校を変えていくために、ICTの活用は必須です。

【感想】2020年に何が起こったのか、総合的・俯瞰的に理解できるようになるまでには、しばらく時間がかかるだろう。本書は、様々な立場から見える風景が示されて、その点と点を結ぶことで、何らかの全体像が見えるような気にはさせてくれる。その景色は、これまでの教育の常識が根底から大きく変わるような予感に満ちている。様々に具体的な成果が挙がっている。ICTによって個別最適化の教育が実現し、150年来の学校教育の形が大きく変わっていくような雰囲気が醸成されつつある。本書には、改革への期待と実現可能性が随所で表明されている。示された期待と可能性は、確かに2020年のリアルが感じさせてくれるリアリティであった。
とはいえ、ここに掬い上げられていない声が大量に埋もれているのもまた確かだ。日本社会で格差は確実に広がりつつある。ICTが導入されて「教育方法」に革新が起きたとしても、「公教育のシステム」が根本的に見直されない限り、単に格差を拡大したり隠蔽したりするような働きをする恐れもある。「教育の商品化」という経済的な潮流が続く限り、ICTという技術はその流れを変えるというよりは、その流れに乗って加速度を増していくだけのような気もするのだ。「戦術」の革新によって「戦略」のミスをカバーできるのかどうかという話である。
個人的には、ICT活用の可能性を追究していくこと自体は吝かではない。真剣に取り組む価値も意味もおもしろさもあると思う。自分の授業でも存分に活用していきたい。現場で大きな成果を挙げている方々には頭が下がる。が、教育の専門家としては、技術や方法を真剣に追究するのと同時に、社会経済システム全体に対する目配りも忘れてはならないと改めて思ったのであった。

石戸奈々子編著『日本のオンライン教育最前線―アフターコロナの学びを考える』明石書店、2020年

【要約と感想】佐藤明彦『教育委員会が本気出したらスゴかった。―コロナ禍に2週間でオンライン授業を実現した熊本市の奇跡ー』

【要約】熊本市はもともとICT後進自治体でしたが、市長と民間出身の教育長のリーダーシップの下で環境を整備し、公立小中学校での双方向オンライン授業を実現しました。成功のポイントは、目的を明確にした上で採り得る手段を比較考量し、十分な資源(カネとモノ)を揃えた上で、フットワークの軽い学校支援体制を整え、現場の教師の力を信じ、フィルタリングなどの規制を最低限に抑えたことです。

【感想】公立学校でのオンライン授業に関しては、全国的に実現できた学校は5%程度と極めて厳しい状況なのだが、熊本市と広島県の実績は突出している。ネット記事でも、熊本市と広島県の成功事例は様々な形で紹介されている。本書は、熊本市がどのようにオンライン授業を実現したか、主に教育委員会の立場から紹介し、成功した要因を考察している。現場の教師や保護者の視点からはまた別の意見や考えが出てくるのだろうけれども、まずは行政がどのように考え行動したかを押さえておくことは大切だ。

専門的な視点からは、本書が「総合教育会議」の機能について高く評価していることに注目しておきたい。総合教育会議とは、教育委員会改革の一環として2015年に導入された、首長の意見を教育に反映しやすくするための制度だ。熊本市がICTの導入に迅速に成功できた要因の一つとして、まず間違いなく首長と教育長の意思疎通が円滑に図られたことが挙げられる。それを可能にした制度として「総合教育会議」の名前が挙がってくるわけだ。そもそも「教育長の任命」に関して首長のリーダーシップが前面に打ち出されることも、教育委員会改革の結果でもある。熊本市のケースは、総合教育会議を含めて首長のリーダーシップが前向きに働いた例として今後も参照されることになりそうだ。
逆に言えば、熊本市以外の自治体でICTの導入がうまくいっていないとすれば、教育やICTに対する首長の見識が頼りないということになる。つまり「総合教育会議」を導入したから物事がうまく運ぶということではなく、首長の教育に対する見識そのものが問題になってくる。制度設計そのものが良いか良くないかは、うまくいった例だけでなく、うまくいっていない例も参照しなければ分からないところだ。

そして熊本市の「教育に対する見識」が高いのが間違いないのは、現場の教師の力を信頼していることだ。教育の専門家としての教師の力を信頼して、現場の自由と裁量権を確保し、管理ではなく支援の体制を整えることで、全体がうまく回る。逆に、現場の教師の力を信頼せず、むやみやたらに管理を強化すると、なにもできなくなる。オンライン授業ができなかった自治体は、要するに現場の教師の力を信頼せず、自由と裁量権を抑え込み、管理ばかり強めていたということだ。行政に「教育に対する見識」があるかどうかは、現場の自由と裁量権をどのように考えているかに決定的に現れてくる。

さて、本書を読む限りでは、熊本市のチャレンジは成功しているように見える。ものすごく頑張っている。が、教育というものは結果が出るまでに時間がかかるものだし、「塞翁が馬」みたいなところもある。強みに見えたものがアッと言う間に弱点に変わることもあるし、また逆もある。たとえば「首長のリーダーシップ」は諸刃の剣だ。熊本市の取組みがどのような結果を出すか、今後も注目しつつ、応援していきたい。

佐藤明彦『教育委員会が本気出したらスゴかった―コロナ禍に2週間でオンライン授業を実現した熊本市の奇跡ー』時事通信社、2020年