「読書感想」カテゴリーアーカイブ

【要約と感想】内田良・山本宏樹編『だれが校則を決めるのか―民主主義と学校』

【要約】8人の著者が、「子どもの権利」を尊重して「民主主義」の発展に寄与するという価値観を共有しながら、校則の問題に多様な専門性からアプローチしています。
 アプローチの仕方や強調点は個々の論者によって異なりますが、教師の労働環境を改善した上で考え方をアップデートし、子どもを信頼してルール作りに参加させることが大切であるという認識と、校則改定への熱を一過性のブームに終わらせてはならないという危機感は共通しています。

【感想】どちらかというと実践的というよりは理論的な本だ。すぐさま校則をどうにかしていやりたいという関心を持つ人よりは、じっくりと地に足を着けて原理的に学校教育について考えたい人に有益な本だろう。
 個人的な感想では、教育実践的にはともかく、教育原理的には「校則」は周辺的なテーマであって、なかなか教育の原理・原則から研究の俎上に載せられることはないような印象だ。おそらく教育の本質から考えても校則は「必要悪」に過ぎず、原則的には見たくない対象ということなのだろう。さすがに科学的教育学の元祖であるヘルバルトは教育の三領域の一つとして「管理」を挙げているが、その記述は「教授」や「訓練」と比較してそっけないものだ。
 しかし逆に、校則が単に「管理」のための必要悪だとしたら、話はそんなにややこしくならないのかもしれない。教育の本質と関係ないのであれば、時代の変化に合わせて必要に応じて改廃すればいいだけの話になる。話がややこしくなるのは、校則に「教育的効果」があると信じられている場合なのだろう。あるいは現状を維持したいだけの人が校則の存在理由と根拠として「教育的効果」を持ち出した時に、話は混乱するのだろう。そんなわけで、校則について考えたり発言したりする際、「管理のためのルール」と「教育のための手段」は理論的なレベルで厳密に分けることが大切だと思ったのであった。

内田良・山本宏樹編『だれが校則を決めるのか―民主主義と学校』岩波書店、2022年

【要約と感想】佐々木潤『個別最適な学び×協働的な学び×ICT入門』

【要約】主に小学校高学年の実践を踏まえながら、令和に相応しい学びのあり方を示します。教師主体の一斉教授は終わりにして、子どもたちを主役にした学びを展開しましょう。ICTを活用すると、簡単に実現できます。特別なスキルはいりません。子どもの力を信頼し委ねる勇気があればできるはずです。

【感想】机上の空論ではなく、著者の実践を土台にしているので、説得力がある。特別なアプリや環境なども必要なく、Google Workspaceさえあれば実現できるような取組みばかりで、ハードルも低い。実践で気をつけるべきポイントも分かりやすい。小学校で新たな取組みをはじめる際の入門書としてお勧めできる本だと思う。

佐々木潤『個別最適な学び×協働的な学び×ICT入門』明治図書、2022年

【要約と感想】苫野一徳×工藤勇一『子どもたちに民主主義を教えよう―対立から合意を導く力を育む』

【要約】異なる意見を論破して喜んだり、安易に多数決でものごとを決めるのは、民主主義ではありません。対立する立場が対話を重ね、双方が納得できるような合意を導き出す知恵こそが民主主義を成り立たせます。
 学校とは、立場の異なる人々が存在することを認識し、それぞれの立場を尊重する態度を身につけ、対話の知恵を育み、主体性を伸ばす場所です。学校を民主主義を育む場とするために、最上位の目標を見極めて、着実に前進していきましょう。

【感想】目まぐるしく変化する社会の中で従来の教育システムの賞味期限が切れて有効性を失い、学校と教師が自信を失ってどうしていいか迷う中、本書はこれからの教育の方針を力強く示し、未来への見通しと展望を提供する。現状に満足している人にはピンと来ないだろうが、迷ったり悩んだりしている人には刺さる本だろうと思う。総花的にテーマを網羅していて一つ一つの話題を深掘りしているわけではないが、深めようと思ったら著者の別の本を読めばいいだけなので、まずは本書を通読して自分の問題関心を見極めるのがいいかもしれない。教職志望の学生にも分かりやすい本だと思うので、参考文献リストに載せて勧めることにする。

【個人的な研究のための備忘録】「人格の完成」について
 私がライフワークとしている「人格の完成」概念について言及があったので、本書の全体構成とはまったく関係がないが、サンプリングしておく。

「工藤「だって僕からすれば日本は教育基本法からして民主主義の思想をもとにつくられていないですよ。たとえば第1条にこうありますね。(中略)
人格の完成」とありますけど、完成した人格ってなんですかね、一般人には曖昧ですし、もう出だしから「心の教育」がはじまっているようにも感じるんですね。」137頁

 教育史の専門家から見れば、あっけにとられるような勉強不足が露呈している部分だ。草葉の陰で田中耕太郎も泣いていることだろう。しかしまあ、工藤校長をしてこの見解であれば、世間一般の理解は推して知るべきというところなのだろう。
 この見解に対して、教育学専門家の苫野先生はさすがにツッコミを入れている。

「苫野「ちなみに、「人格の完成」はおっしゃる通り曖昧な言葉で、まるで聖人君子を育てることが教育の目的であるかのようにも聞こえてしまいます。でも哲学的には、これは「他者の自由を尊重・承認できる自由な市民」を育むことに尽きると私は考えています。それ以上でも、それ以下でもありません。」139頁

 まさにまさに。草葉の陰で田中耕太郎もほっとしていることだろう。苫野先生の的確なフォローがあって、私もほっとした。(とはいえ、田中耕太郎の立法意図に踏み込むと、もっといろいろ出てくるところではある。が、まあ、そんなことは苫野先生も承知で言っているだろう。)
 しかし問題の本質は、工藤校長の無知ではなく、工藤校長のような最高峰の実践者ですら「人格の完成」という概念の正確な理解が困難になっている環境のほうにある。「人格の完成」の中身について、教員養成課程どころか教員になってからも学ぶ機会がなかったという環境に問題がある。というか、「人格の完成」の本質が理解されないように誰かが意図的に仕組んでいるという可能性も考慮してよい。
 私の個人的な調査では、問題の要点は高度経済成長期にある。高度経済成長期以前には、ほぼ田中耕太郎が意図したように「人格の完成」が理解されていた。しかし高度経済成長以後は、確かに工藤校長が主張するように「心の教育」に変質(あるいは堕落)したように見える。高度経済成長期を経た日本社会の変質によって、「人格の完成」という概念は本来の意味を失い、その空隙に儒教的な観念が滑り込んできたように見える。そのあたりの事情は私個人の研究で深めればいいところだが、ともかく現代日本では「人格の完成」の意味が見失われている証拠として、工藤校長から言質をとれたことは個人的にありがたかったりする。(ちなみに、もちろんこんな些細なことで工藤校長の考えや実践全体が否定されるわけではないし、本書の論旨に影響することもまったくない。)

【個人的な研究のための備忘録】多数決
 「多数決」について工藤校長はこう言っている。

「教育学者で多数決は問題だと主張している人も知りません。」34頁

 教育学者である私は、25年前の非常勤講師時代から一貫して「多数決」の問題を教育学の講義で取り上げ続けてきて、今現在もルソーの「一般意志」を鍵概念として「民主主義」の本質を説明する回で丁寧に取り上げている、という事実は書き残しておこうと思う。(たとえば2018年の講義記録がWEB上の「教育概論Ⅰ(中高)-6」に残っているし、ここではさらに「人格の完成」と「民主主義」の関係について触れている)。工藤校長が知らないのは、単に私の知名度が低いだけの話だ。自分自身の知名度が低いこと自体は気にならないのだが、教育学の名誉のためにはもっと頑張ったほうがいいな、と思ったのであった。

苫野一徳×工藤勇一『子どもたちに民主主義を教えよう―対立から合意を導く力を育む』あさま社、2022年

【要約と感想】リチャード・E・ルーベンスタイン『中世の覚醒』

【要約】ヨーロッパの中世は暗黒時代などではありません。カトリック教会が科学を弾圧したというのは皮相的な見方で、近代の科学的思考を準備したのは信仰と理性を調和させようとした神学的営為です。
 12世紀にアリストテレスの思想が再発見されたのは偶然ではありません。ヨーロッパの知的水準がアリストテレス思想を受容する用意が調ったのが12世紀ということです。中世のアウグスティヌス、アベラール、カタリ派異端、トマス・アクィナス、オッカム、エックハルトなどが、それぞれ固有の課題を持ってアリストテレス思想を受容したり対峙したりしながら、西洋中世は一貫して信仰と理性を協調させるべく科学的・合理的な思考様式を鍛え上げていきます。
 しかし近代の入口で、資本主義的価値観を正当化しようとしたトマス・ホッブズのような人物がトマス・アクィナスと共にアリストテレスを葬り去ることによって、中世の知的営為が忘却され、理性と信仰が分離し、西洋中世は暗黒時代と見なされるようになります。しかしいま再び、理性と信仰の統合について創造的な仕事が求められています。

【感想】章ごとに主人公が交替していくが、どの章も活き活きと個性が描かれた主人公と非凡なライバルとの対決が非常にエキサイティングで、おもしろく読んだ。それぞれの章(時代)に固有の課題が簡潔かつ明確に示されつつも、最初に提示されたモティーフが最後までブレない一貫して筋の通ったストーリーで、最後まで飽きずに読みとおせる。言ってみれば「ジョジョの奇妙な冒険」の第一部から第八部までのおもしろさに通じるような、この種の本としては異例のエンターテイメント性を備えているのではないか。(だから逆に言えば、純粋な学術的にはそういう部分をさっ引いて判断しなければならない)。

 ドミニコ会とフランシスコ会の違いとその間の確執については、とても勉強になった。それぞれの会派については摘まみ食いしていてなんとなくイメージはしていたのだが、そのライバル関係について時代背景も含めて具体的に記述している文章は実は初めて読んだ。勉強になった。

 ただし専門的に気になるのは、エピクロス派の扱いだ。本書は後の近代科学に連なる思想の源泉を全てアリストテレス(およびそれに対する反応)に帰しているが、私としてはエピクロス派の唯物論と社会契約論の思想の方が遙かに近代的な発想に類似しているように思っている。実際にルネサンス期にはエピクロス派のルクレーティウスの本がよく読まれている。アリストテレスやトマス・アクィナスを葬ったとされているトマス・ホッブズの社会契約論は、エピクロス派の思想に影響されているかもしれない。エピクロスやルクレーティウスに言及しないで科学的思考の展開を説明しきるのは、少々乱暴のような気はする。
 まあ本書は明らかに、現代の新自由主義的思想が公共性の基盤を掘り崩している危機的な現状を、近代の自由主義的思想(ホッブズが代表)が公共性の基盤(トマス・アクィナスが代表)を掘り崩した過去になぞらえ、読者に警告を発することを隠れテーマとしているので、エピクロス派を無視するのも勉強不足ではなく意図的な戦略なのだろう。

【個人的な研究のための備忘録】集合的人格と個性と三位一体
 一人一人の人格を超えて集団があたかも一つの人格を構成するような集合的人格(エヴァンゲリオンの人類補完計画のような)について言及し、さらにそこから「個性」が剔出される過程を描いていて、私のライフワークにダイレクトに関わる話をしていたので、サンプリングしておく。

「ここに至って、中世ルネサンスの思想家たちが普遍論争にあれほど熱中した理由が明らかになってくる。中世以前のキリスト教徒は自身を一つの人種――単なる生物学的な種ではない道徳的な種――のメンバーとみなすよう、教えこまれていた。この種はその霊においても運命においても完全に一体化しているので、彼らの始原の父母であるアダムとイヴが犯した罪を一人一人の人間が直接負っている。「真実在」の普遍たる人間という観念は、一人一人の人間の違いは本質的でも重要でもなく、場合によっては救済の障害にさえなることを、暗に意味していた(中略)。ヨーロッパの伝統的な社会体制も、個人を軽視する傾向を助長した。なぜなら、ある人物の個性など、彼または彼女が農民や聖職者や貴族等の社会階層のいずれに属しているかということに比べれば、取るに足りないことだったからだ。ところが、いまや、古代のプラトン主義の氷が溶け始めたのだ。大多数の人々は依然として、いかなる世襲グループに属しているかによって限界づけられていたとしても、一部の人々は従来の枠組みから脱け出そうとしていた。放浪する学者やトルバドゥール、貿易業者や十字軍兵士、巡歴説教師や地方から都市に移住する人々――これらすべての人々が、新しい意識を育みつつあったのだ。そう、いかなる階層に属していようと、重要なのは自分の個性なのだという意識を。」205-206頁

 そしてこの記述からすぐさま「三位一体」の話に繋がっていく。

「キリスト教の神はただ一つのペルソナではなく、父と子と聖霊という三つのペルソナを有しているが、中世ルネサンスの人々はその三つのペルソナすべてに熱烈な関心を寄せていた。創造主としての神はあまりに神秘的で想像を絶していたとしても、十二世紀のキリスト教徒は父なる神に正義を期待した。彼らは子なる神を愛し、あたかも彼らが磔刑に処せられたばかりであるかのように、彼のために悲しんだ。そして、すでに始まっている偉大な復活を象徴する聖霊、すなわち慰め主に彼らの望みを託したのだ。」207頁

 非常に興味深い。ただし、三位一体の思想が「個性」という観念の源であるとまでは言っていない。坂口ふみ『〈個〉の誕生―キリスト教教理をつくった人びと』は三位一体の思想に対する神学的な深まり(4~6世紀)が「個」の誕生にとって決定的に重要だったと説いているのだが、本書ではむしろ十二世紀の社会的・経済的変動を重要な背景と考えているようだ。その意味では阿部謹也『西洋中世の愛と人格―「世間」論序説』が個性誕生の瞬間を13世紀に見ている見解に近いのかもしれない(ちなみに阿部もキリスト教の三位一体が個の思想誕生にとって重要な背景だと示している)。
 このあたり、本書の論理展開は残念ながらあまり明快ではない。アベラールにとって三位一体思想がどういう意味を持っていたかは詳細に追究されるものの、西洋の「個性」という観念とどう絡むかについてはそれほど深掘りしてくれていないのだった。まあ、それが中心的なテーマというわけではないので、ないものねだりではある。

【個人的な研究のための備忘録】光
 キリスト教における「光」についての言及が気になった。というのは、コメニウスの教育思想の理解に関わってくるからだ。

「ベーコンをはじめとするフランシスコ会士にとって、超自然と自然とを結ぶ架け橋、宗教的経験の領域と科学的実験の世界とを結ぶ架け橋は「光」だった。(中略)「あらゆる哲学の精華」たる数学という鍵によって鍵を開かれる宝の箱は――のちに光学と呼ばれるようになるが――ベーコンの時代には「遠近法」と呼ばれていた光の科学だったのだ。」325-326頁
「ドミニコ会から見てもっと重大な問題点は、フランシスコ会士による光の霊化がはなはだしく時代に逆行していることだった。この点でフランシスコ会はアリストテレスから大きく後退していた。アリストテレスは光をある種の実体の特性とみなすにとどまり、純粋な形相とか霊とはみなしていなかった。ましてや光を、光ほど霊的でない自然の事物を動かす力とはみなしていなかった。アルベルトゥスとその若き盟友のトマス・アクィナスの見るところでは、光を普遍的な原因とみなす理論は――しょせん実験や観察によって立証できない神秘主義的な信念に過ぎないがゆえに――科学的営為を個々の原因を探求するものから、超自然的な相互関係を試作するものへと変容させてしまった。彼らはまた、人間の知解は神の「証明」によってもたらされるという説にも同意せず、それはむしろ、創造者が人間に天賦の能力として授けた理性によってもたらされると主張した。ロジャー・ベーコンらフランシスコ会士に属する教師たちは、アリストテレスの著作を講義し、アリストテレスの用語によって彼らの理論を構築した。けれども、彼らがよって立つ基盤は新プラトン主義的な神秘主義であり、それは物質と霊という時代遅れの区別を復活させた。」328-329頁

 コメニウスの活躍した時代はこの記述から400年ばかり遅れることになるが、ロジャー・ベーコン(およびフランシスコ会士)の言う「光」の論理は即座にコメニウスを想起させる。あるいは、コメニウスが関わっていたとされる薔薇十字会は、フランシスコ会士ロジャー・ベーコンの「錬金術」と「占星術」から影響を受けていることも分かっている。コメニウスはヤン・フスの系列に連なる神学者としてプロテスタントに位置付けられているが、実はその神学がフランシスコ会士のような修道思想(あるいはさらに東方キリスト教)に由来する何かだったりする可能性はあったりしないか。

【個人的な研究のための備忘録】ヨーロッパ中心主義
 自文化中心主義とトマス・ホッブズの位置づけには、なるほどと思ってしまった。ホッブズを読む時には、この観点を忘れないようにしたい。

「自文化中心主義者というものはそのタイプを問わず、おのれが属している文明は、その一部たりとも「ほかの文明」の思想の産物ではなく、完全に独力で創造されたと信じたがるものだ。アリストテレス革命を歴史から抹殺することは、西欧文明がより進んだイスラーム文明から非常に大きな恩恵を受けたという事実を隠しおおす役に立つ。だが、過去を抹殺することは、そのほかにもさまざまな形で、ヨーロッパの新しい時代のリーダーたちを利していたのだ。アリストテレス主義的キリスト教は、カトリック教会の権力を粉砕し、教会による教育資源の独占を終わらせたいと願うものたちすべてにとって――すなわち、国民国家の世俗統治者や、改革派教会の指導者や、新興の実業家階層や、科学を重視する知識階級にとって――大きな障害だった。だが――ここが当惑を禁じえないところなのだが――これらのエリートたちが排除しようとしていたのは、カトリック教会の政治的・組織的権威そのものではなく、カトリック教会が自然法や「正義の戦争」という類の概念を用いて繰り返し人々に教えこみ、押しつけようとしてきた道徳的な束縛だったのだ。」478-479

 この記述は、明らかに現代の状況とシンクロしている。16世紀にはナショナリストと自由主義者が結託して教会の排除に動いたが、現代ではネオ・ナショナリストと新自由主義者が結託してリベラルの排除に動いている。おそらく私の深読みではなく、著者がだれにでも分かるようなアナロジーとして強調して書いている。まあ、そういう政治的意図を抜きにしても、西欧の歴史(あるいは日本の歴史も)を正確に理解する上で「自文化中心主義」のバイアスをかいくぐる技術が重要であることは間違いないだろう。

リチャード・E・ルーベンスタイン『中世の覚醒―アリストテレス再発見から知の革命へ』ちくま学芸文庫、2018年<2008年

【要約と感想】森安達也『東方キリスト教の世界』

【要約】カトリック(西方教会)とは異なる伝統や教義を持つ東方キリスト教について、巡礼・神秘思想・建築・イコン・儀礼・異端などを詳述しています。

【感想】御多分に漏れず、東方キリスト教と言えば私も馴染みがあるのはお茶の水にあるニコライ聖堂くらいで、西方から見た偏った知識しか持ち合わせていなかったわけだが、実際には東方キリスト教にもいろいろあることがよく分かった。勉強になった。印象に残るのは、神化を目指して山に籠もり修行に励む隠修士の姿だ。日本で言えば修験道の山伏のような感じか。
 印象としては、カトリックの方が弱者救済に焦点を当てる大乗的な姿勢を示すのに対し、東方教会は修道士などの個人的な修行による「神化」を目指す小乗的な傾向を示しているように思えた。カトリックがビザンツ的な文化を蔑むのは、大乗仏教の壮大な宇宙論を学んだ正統派僧侶が無学な修験道山伏のスピリチュアルな言動をバカにするのと似ているような感じがする。カトリックはイエス・キリストを人間には手の届かない絶対的な無限遠に置くが、東方キリスト教はお手本となる先達だとみなす。それは仏教でいえば、絶対に手の届かない「如来」と手の届く「菩薩」の違いに当たりそうだ。そして、14世紀ヨーロッパの神秘主義(主にエックハルトを想定)は、この東方キリスト教の修験道的な文化に影響を受けているのではないかとも思ったりした。
 で、「個」に関する思想史では、東方キリスト教の理論が「個の誕生」に極めて重要な役割を果たしたという研究があるが、だとしたら大乗仏教に対する小乗仏教の論理も同じような機能を果たすこともあるのではないかとも思ったりするわけだ。さてはて。

【個人的な研究のための備忘録】神化への傾向
 いわゆる「三位一体」論のうちの父と子についてはなんとなく分かるような気がするものの、日本人にとってまったく理解できないのは「精霊」というものの存在と意味と役割で、これまで私以外にも「精霊についてサッパリわからない」という言質をたくさん得てきたわけだが、本書でもは精霊の意味不明さの原因に触れている。

「精霊論は古代教会の時代に徹底的に議論されなかったつけが中世以降にもち越されたわけである。」30頁

 とはいえ、西方カトリックよりは東方キリスト教の方が精霊に対する理解と尊敬は深いようで、それが小乗的な「神化」の思想にも繋がってくるようだ。

「東方の修道士が厳しい修行と禁欲生活を身に課してひたすら求めた自己完成とは、限りなく神に近づくことであった。異端とされたキリスト単性論が東方であれほど根強く信奉された理由も、自己完成の目標ともいうべき模範、キリストに少しでも近づきたいとの願望からキリストの完全なる神性を特に重視したことに求められるであろう。」91頁

 このような「神化」への憧憬が、一般教養を旨とする学問の発達を阻害するのかもしれない。

「教育思想は意外に扱いにくい問題である。その理由はいくつか挙げられる。まずビザンツ帝国の教育の実態があまりわかっていない。首都コンスタンティノープルに大学と称すべき高等教育機関が存在したことは疑いないが、それに関する直接史料は現存しない。(中略)
 次に、ビザンツ文化は神秘思想家は多数生んだが、教育思想の面ですぐれた著作家を輩出していない。(中略)こうした著作家の作品分析を通じてビザンツ時代に特有の教育思想を抽出することは多大の困難を伴うし、またあまり意味がない。」72-73頁

 個人的な修行を通じての「神化」という傾向が東方キリスト教にあるという補助線を引くだけで、いろいろな事象がすっきり見えてきそうな気がするのだった。

【個人的な研究のための備忘録】ルネサンスとの関連
 イタリア・ルネサンスを多面的に考える上でのヒントもあった。

「東方におけるラテン語の衰退は西方におけるギリシア語の忘却とほぼ軌を一にする。これは考えてみれば奇妙な現象である。ギリシア語にしろラテン語にしろ有力な文化的背景を持ち、通用語としての衰退は理解できるものの、政治と文化の領域においてはけっして無視しえない重要な言語のはずである。結局、ビザンツ文化そのものが本質的には内部に留まる、すなわち求心的なものであったからかもしれない。」77頁

 いや、本当に、「奇妙な現象」だ。地理的にもただアドリア海を挟んでいるだけなのに、どうしてカトリックとビザンツはこんなにも交流が絶たれたのか。あるいは両者の間に位置するヴェネツィアやナポリやシチリアが実は地政学的に何かしら決定的に重要な役割を果たしていたということか。

「ヘシュカスモスをめぐって教会が論争に明け暮れた十四世紀は、他方ではパライオロゴス朝ルネサンスの名で知られるヘレニズムへの回帰がおこった時代でもある。(中略)
 しかしパライオロゴス朝ルネサンスの灯が消えたわけではなかった。著名な異教的哲学者ゲミストス・ブレトンはフェララ・フィレンツェ公会議に参加したのちイタリアに留まり、フィレンツェのプラトン・アカデミアの創設に尽力した。ブレトンはイタリア・ルネサンスの展開に大きな足跡を残したわけである。」94-95頁

 ビザンツ帝国からイタリア・ルネサンスへの影響は各所で語られているが、実は具体的に詳しい実相はさほど詳らかになっていないように思う。

【個人的な研究のための備忘録】近代以降の東欧の教育
 スラヴの教育に関わって気になる記述があった。

「オストロクスキ公は、イエズス会の教育活動をまのあたりにして、正教徒の教育の必要を痛感し、教会スラヴ語の聖書(いわゆるゲンナディイの聖書)を刊行するほか、1580年にはオストルクに正教徒のための最初のコレギウム(神学校だが一般教育をも行った)を開設した。」233-234頁
「そこで信徒団に学校開設の許可をあたえ、出版事業のためにイヴァン・フョードロフの印刷機を買わせた。」234頁

 オストロクスキ公とは、キーフ付近と西ウクライナ・リトアニアに領地を持った大貴族だ。もちろん教育学者として気になるのは、この時期の直後にヨーロッパ全域で活躍することになるモラヴィア(現在のチェコ)出身の教育学者コメニウスとの関係だ。コメニウスは薔薇十字団と関連があると指摘されているし、ポーランドのソッツィーニ派からの影響も気になるが、コメニウスの「光」への極度のこだわりなども鑑みて、彼のキリスト教はプロテスタント的に理解するよりも、東方キリスト教の文脈で理解する方が分かりやすくなるかもしれないと思った。

森安達也『東方キリスト教の世界』ちくま学芸文庫、2022年