【要約と感想】森安達也『東方キリスト教の世界』

【要約】カトリック(西方教会)とは異なる伝統や教義を持つ東方キリスト教について、巡礼・神秘思想・建築・イコン・儀礼・異端などを詳述しています。

【感想】御多分に漏れず、東方キリスト教と言えば私も馴染みがあるのはお茶の水にあるニコライ聖堂くらいで、西方から見た偏った知識しか持ち合わせていなかったわけだが、実際には東方キリスト教にもいろいろあることがよく分かった。勉強になった。印象に残るのは、神化を目指して山に籠もり修行に励む隠修士の姿だ。日本で言えば修験道の山伏のような感じか。
 印象としては、カトリックの方が弱者救済に焦点を当てる大乗的な姿勢を示すのに対し、東方教会は修道士などの個人的な修行による「神化」を目指す小乗的な傾向を示しているように思えた。カトリックがビザンツ的な文化を蔑むのは、大乗仏教の壮大な宇宙論を学んだ正統派僧侶が無学な修験道山伏のスピリチュアルな言動をバカにするのと似ているような感じがする。カトリックはイエス・キリストを人間には手の届かない絶対的な無限遠に置くが、東方キリスト教はお手本となる先達だとみなす。それは仏教でいえば、絶対に手の届かない「如来」と手の届く「菩薩」の違いに当たりそうだ。そして、14世紀ヨーロッパの神秘主義(主にエックハルトを想定)は、この東方キリスト教の修験道的な文化に影響を受けているのではないかとも思ったりした。
 で、「個」に関する思想史では、東方キリスト教の理論が「個の誕生」に極めて重要な役割を果たしたという研究があるが、だとしたら大乗仏教に対する小乗仏教の論理も同じような機能を果たすこともあるのではないかとも思ったりするわけだ。さてはて。

【個人的な研究のための備忘録】神化への傾向
 いわゆる「三位一体」論のうちの父と子についてはなんとなく分かるような気がするものの、日本人にとってまったく理解できないのは「精霊」というものの存在と意味と役割で、これまで私以外にも「精霊についてサッパリわからない」という言質をたくさん得てきたわけだが、本書でもは精霊の意味不明さの原因に触れている。

「精霊論は古代教会の時代に徹底的に議論されなかったつけが中世以降にもち越されたわけである。」30頁

 とはいえ、西方カトリックよりは東方キリスト教の方が精霊に対する理解と尊敬は深いようで、それが小乗的な「神化」の思想にも繋がってくるようだ。

「東方の修道士が厳しい修行と禁欲生活を身に課してひたすら求めた自己完成とは、限りなく神に近づくことであった。異端とされたキリスト単性論が東方であれほど根強く信奉された理由も、自己完成の目標ともいうべき模範、キリストに少しでも近づきたいとの願望からキリストの完全なる神性を特に重視したことに求められるであろう。」91頁

 このような「神化」への憧憬が、一般教養を旨とする学問の発達を阻害するのかもしれない。

「教育思想は意外に扱いにくい問題である。その理由はいくつか挙げられる。まずビザンツ帝国の教育の実態があまりわかっていない。首都コンスタンティノープルに大学と称すべき高等教育機関が存在したことは疑いないが、それに関する直接史料は現存しない。(中略)
 次に、ビザンツ文化は神秘思想家は多数生んだが、教育思想の面ですぐれた著作家を輩出していない。(中略)こうした著作家の作品分析を通じてビザンツ時代に特有の教育思想を抽出することは多大の困難を伴うし、またあまり意味がない。」72-73頁

 個人的な修行を通じての「神化」という傾向が東方キリスト教にあるという補助線を引くだけで、いろいろな事象がすっきり見えてきそうな気がするのだった。

【個人的な研究のための備忘録】ルネサンスとの関連
 イタリア・ルネサンスを多面的に考える上でのヒントもあった。

「東方におけるラテン語の衰退は西方におけるギリシア語の忘却とほぼ軌を一にする。これは考えてみれば奇妙な現象である。ギリシア語にしろラテン語にしろ有力な文化的背景を持ち、通用語としての衰退は理解できるものの、政治と文化の領域においてはけっして無視しえない重要な言語のはずである。結局、ビザンツ文化そのものが本質的には内部に留まる、すなわち求心的なものであったからかもしれない。」77頁

 いや、本当に、「奇妙な現象」だ。地理的にもただアドリア海を挟んでいるだけなのに、どうしてカトリックとビザンツはこんなにも交流が絶たれたのか。あるいは両者の間に位置するヴェネツィアやナポリやシチリアが実は地政学的に何かしら決定的に重要な役割を果たしていたということか。

「ヘシュカスモスをめぐって教会が論争に明け暮れた十四世紀は、他方ではパライオロゴス朝ルネサンスの名で知られるヘレニズムへの回帰がおこった時代でもある。(中略)
 しかしパライオロゴス朝ルネサンスの灯が消えたわけではなかった。著名な異教的哲学者ゲミストス・ブレトンはフェララ・フィレンツェ公会議に参加したのちイタリアに留まり、フィレンツェのプラトン・アカデミアの創設に尽力した。ブレトンはイタリア・ルネサンスの展開に大きな足跡を残したわけである。」94-95頁

 ビザンツ帝国からイタリア・ルネサンスへの影響は各所で語られているが、実は具体的に詳しい実相はさほど詳らかになっていないように思う。

【個人的な研究のための備忘録】近代以降の東欧の教育
 スラヴの教育に関わって気になる記述があった。

「オストロクスキ公は、イエズス会の教育活動をまのあたりにして、正教徒の教育の必要を痛感し、教会スラヴ語の聖書(いわゆるゲンナディイの聖書)を刊行するほか、1580年にはオストルクに正教徒のための最初のコレギウム(神学校だが一般教育をも行った)を開設した。」233-234頁
「そこで信徒団に学校開設の許可をあたえ、出版事業のためにイヴァン・フョードロフの印刷機を買わせた。」234頁

 オストロクスキ公とは、キーフ付近と西ウクライナ・リトアニアに領地を持った大貴族だ。もちろん教育学者として気になるのは、この時期の直後にヨーロッパ全域で活躍することになるモラヴィア(現在のチェコ)出身の教育学者コメニウスとの関係だ。コメニウスは薔薇十字団と関連があると指摘されているし、ポーランドのソッツィーニ派からの影響も気になるが、コメニウスの「光」への極度のこだわりなども鑑みて、彼のキリスト教はプロテスタント的に理解するよりも、東方キリスト教の文脈で理解する方が分かりやすくなるかもしれないと思った。

森安達也『東方キリスト教の世界』ちくま学芸文庫、2022年