「読書感想」カテゴリーアーカイブ

【要約と感想】岡田祥吾『英語学習2.0』

【要約】英語ができるようになるために決定的に重要なのは、自分に最適な学習方法を見つけることです。メタ認知とセルフモニタリングが大切です。学習法を効率化し、永続きする方法を選び、学習効果を実感しながら英語を身につけましょう。

【感想】著者本人はコンサル時代に身につけた「問題解決アプローチ」だと言っているけれども、私が専攻する教育学の文脈では、それを「メタ認知」あるいは「セルフモニタリング」という概念で説明する。目標を定め、自分の性向を分析し、方法を意識的に選択し、その効果を客観的に測定して、方法を微調整する。いわゆるPDCAサイクルを適切に回すためには、自分自身の適性を見極め、方法が最適化されているかを確認する視点が必要となる。それが「メタ認知」であり「セルフモニタリング」だ。それができる人間は、英語に限らず、目標さえ定まれば、自然と伸びていくに決まっているのだった。逆に言えば、力がつかないのは、目標が適切に定まっていないか、メタ認知ができていない可能性が極めて高いことになる。
そんなわけで、本書は本気で英語を身につけたい自発的な大人のための本であって、むりやり学習させられる受け身な学生向けの本ではない。

岡田祥吾『英語学習2.0』角川書店、2019年

【要約と感想】共同通信大阪社会部『大津中2いじめ自殺―学校はなぜ目を背けたのか』

【要約】2011年に発生した中学生の自殺は、どうして防ぐことができなかったのか、学校や遺族への綿密な取材を通して明らかにしようとした本です。
あわせて、いじめの実態を把握することがいかに難しいか、いくつかの実例を元に記します。また近年注目されるようになった第三者調査会の意義についても触れています。
いま、学校と教師は競争と管理に圧迫され、ゆとりを急速に失っています。教師がゆとりをもって同僚性を取り戻さない限り、解決は難しそうです。

【感想】いじめを扱った本、特に実例を丁寧に取材して再構成した本は、読んでいて暗澹たる気分になる。自殺した子どもの気持ちを想像すると、やりきれない気持ちになる。本書も、読んでいるうちに辛くなって、なかなか先に進まない。が、読まねばならぬ。最後の、生徒たちのアンケートが、重い。

意を強くしたのは、やはりいじめを解決するためには「同僚性」がキーワードになるということだ。教員同士のコミュニケーション量を増やし、情報を共有し、風通しを良くすることがいちばん大事なのだ。ひとりで問題を抱えても、ロクなことにはならない。個性的な教員がチームを組んで、一体となって解決に向かうのべきなのだ。一人の教員が単独で力をつけるだけでは、根本的な解決には至らない。
しかし、昨今の教育行政は、新自由主義の悪いところばかり強調して、競争と管理を強め、むしろ同僚性の破壊を推し進めてきた。子どものいじめを解決するどころか、教員同士でいじめが発生する始末だ。
本気でいじめを解決しようとするなら、教員一人一人の資質のせいにして責任を押しつけるだけでなく、教育行政が根本的に欠陥を抱えていることを疑った方がいい。

共同通信大阪社会部『大津中2いじめ自殺―学校はなぜ目を背けたのか』PHP新書、2013年

【要約と感想】荻上チキ『いじめを生む教室―子どもを守るために知っておきたいデータと知識』

【要約】いじめを解決するために必要なデータと知識は、かなり集まっています。しかし愚かで勉強不足の芸能人など、マスコミはそれらの知見をまったく利用せず、トンチンカンでいい加減でデタラメな感情論を垂れ流しています。道徳教科論者も同様に愚かです。それではいじめは解決しません。
いじめを解決するために、まず日本特有の現象を把握しましょう。それは、いじめが「教室」で起こっていることです。また、9月に深刻化し、その芽は6月にあることです。先生が解決できるということです。体罰がいじめを助長することです。
データを踏まえて、「不機嫌な教室」から「ご機嫌な教室」へと転換しましょう。「良い/悪い」ではなく「アウト/セーフ」で指導しましょう。ハイリスク層へのケアを厚くしましょう。教員のゆとりを増やしましょう。

【感想】いじめに関する総合的な知見として、2019年時点ではもっともコンパクトに良くまとまっている本かもしれない。理論、実態、予防法、解決策など、総合的な理解が得られる好著のように思う。
おとなたちが力を合わせて、いじめを解決していきたいものだ。(しかしその前に、おとな同士のいじめをなくさなければな…)

【言質】道徳教科化といじめの関連に関する言及をメモしておく。

「そもそも道徳教科化の推進論者は、その政策がいじめ対策に効くという論拠を示せていません。もともと道徳を教科化したいと考えていた人たちが、大津の事件を政治利用したにすぎないのです。」79頁

【リンク】
ストップいじめ!ナビ いますぐ役立つ脱出策

荻上チキ『いじめを生む教室―子どもを守るために知っておきたいデータと知識』PHP新書、2018年

【要約と感想】五嶋節『「天才」の育て方』

【要約】自分勝手に子育てしたら、周りが天才とか神童とか言ってくれるような子に育ちました。

【感想】私がこの人の子どもだったら、間違いなく私の才能は無残に潰されていただろうなあ。親子にも相性ってものはきっとあるだろうね。愛情があるなどと言い訳しようが、体罰とかされて育ったら、自分だったら大人になったときに100倍返しするだろうな。まあ、少なめに見積もっても、間違いなくしんどかったと思うわ。しらんけど。

まあ、子育てに迷ってマニュアル本を読みまくって、さらに泥沼にハマっているお母さんにとっては、ひょっとしたらいい本になる可能性はなくはない。そこそこ母親が自分勝手でも、子どもはのびのび育つもんだ。しらんけど。

しかしまあ、科学的に間違っていることが平気で書かれていることは、気にならなくもない。しらんけど。

この本を読むなら、鈴木鎮一の本を併せて読んだ方がいいような気がする。しらんけど。

五嶋節『「天才」の育て方』講談社現代新書、2007年

【要約と感想】大村はま/苅谷剛彦・夏子『教えることの復権』

【要約】大村はまの国語教室で実際に受けた授業を振り返り、さらに教育学的に考察を加え、「教えること」の重要性を再確認します。近年のいわゆる「新学力観」によって、教えることを躊躇する教師が増えましたが、とんでもない間違いです。一方的な詰め込みも、ただの放任も、どちらも教育の本質を見失っています。
しっかりと「教える」ためには、目の前の一人一人の子どもの個性を理解し、それぞれに適した教材を用意し、「てびき」を作って「考える」ためのきっかけをお膳立てし、それぞれの躓きを把握するために適切な評価を行ない、さりげなく背中を押すことです。教師は楽をしてはいけません。

【感想】なかなか凄い組み合わせの本だ。奇跡的な繋がりと言ってもいいのかもしれない。(まあ、教育界隈にいる人じゃないと、どこがどう奇跡的なのか分からないとは思うけれども……)

著者の組み合わせから受ける期待に違わず、中身もエキサイティングであった。昨今(といってももう15年前か)の「新学力観」に真っ向から立ち向かい、実践面と理論面の両方からばったばったと薙ぎ倒していく様は、かなり痛快だ。まあその痛快さは、ブーメランのように自分自身に突き刺さってくることになるのだけれども。

ともかく「教育の本質」を考える上で、侮れない本であることは間違いないように思う。私自身も、いろいろ反省しなければならない。

「研究者という、考えることのプロであるはずの大学教師でさえ、教員養成課程の学生たちに考える力をつける授業ができているかどうか。生きる力が大事だというわりには、大学の授業も心許ない。」193頁
「「生きる力」を唱える教育学者の授業が、案外と学生たちに考える力をつけさせない、退屈で一方的な授業にとどまっているという皮肉な例も少なくないようだ。」209頁

あいたたた。

【言質】
「個性」とか「自己実現」に関する多角的な言質を得た。

「夏子:もう一つ、子どもの自主性とか個性、創造力というのが、じょうずにてびきをしたぐらいで損なわれるかという問題があるかと思う。どう思いますか。私は自分では損なわれた気などしていないけれども。
大村:損なわれない。」124頁

「教育関係の審議会の答申などでも、教育は子どもたちの「自己実現」をめざすものだとか、教師の役割は、生徒の「自己実現」を支援するといったような文章が登場することが多い。」201頁
「これと似た例に、「個性」がある。教育の世界で多用される個性ということばは、実に多義的に使われている。いろいろな意味を帯びているのに、それでも会話が成立してしまう。ちょっと考えてみると、不思議ではないか。」204頁

苅谷は、「自己実現」や「個性」という言葉が、内実を伴わず、イメージと雰囲気で流通している様を浮き彫りにする。まあ、言うとおりなんだろう。が、個人的には、それを現象として認めた上で、さらに一歩本質的に先を行きたい気分ではあるのだった。

【個人的研究のための備忘録】
「学力」に関する言及も、メモしておく。もちろん、新学力観を批判する文脈である。

「学習のための条件ともいえる「関心、意欲、態度」を、「学力」の一部に組み入れたことで、目的と手段との関係はあいまいになってしまった。」188頁

大村はま/苅谷剛彦・夏子『教えることの復権』ちくま新書、2003年