【要約と感想】小林標『ローマ喜劇―知られざる笑いの源泉』

【要約】演劇とは時代の雰囲気を反映する総合芸術であって、観客の反応を抜きにして語ることはできません。ローマ喜劇とは、外来のギリシア演劇を受容して独自の展開を見せた総合的な芸術運動と把握して初めて理解できるものであって、単にテキストだけを解釈するのでは見失うものが多いでしょう。具体的には、たとえば「プロロゴス」の在り方を見ることによって、ローマ時代の芸術運動の一端を伺うことができます。そしてその時代に寄り添う芸術運動の在り方は、まさに日本の演劇運動を理解する上での参照軸となり得るものです。

【感想】事前に想像していた内容とかなり違っていたのだが、それもまたタイトル買いの醍醐味ではある。ローマ時代の特徴を理解しようと思って手に取ったものの、本書は歴史よりも「演劇」の在り方のほうに軸足を置いていた。史料に即してストイックに語るというより、現代日本の演劇の在り方や演劇運動の意義等と往還しながら、普遍的な芸術精神に訴えつつダイナミックに二千年以上前の演劇の真の姿を再構成しようとしているのだ。実際に演劇運動の渦中にいたであろう人だからこそ、歴史の論理ではなく演劇の論理からかつての在り方を再構成できると確信しているのであろう。素人目にもかなり大胆に見える仮説を、そうとう自信を持って展開している。そんなわけで、ナルホドと思う一方で、「でも仮説だよな・・」と思う私も同時にいる。
あるいは一般的に、情報の受け手の素養が時代の空気を決めるという観点から言えば、演劇に限らず、「表現」全般に敷衍できる話かもしれないとも思った。たとえば、ローマ時代の劇作家がプロロゴス(前置き)において状況をでっちあげて観客の同情を誘う在り方は、インターネット上でのテキストの流通に対しても一般的に見られる現象だ。twitter等で、自分の発言に注目を集めようとしてありもしない状況をでっちあげることは、もはや日常的な光景となっている。われわれは、情報の受け手と想像される得体の知れないものに対して必死になって状況を捏造し続ける「情報の発信者」なのであった。

小林標『ローマ喜劇―知られざる笑いの源泉』中公新書、2009年

教育学Ⅱ-13

■新松戸キャンパス 12/21(金)

前回のおさらい

・道徳の教科化

教育行政:教育委員会制度

教育委員会は、都道府県及び市町村等に置かれる合議制の執行機関であり、生涯学習・教育・文化・スポーツ等の幅広い施策を展開します。
1948年「教育委員会法」:旧教育基本法第10条に基づいて教育委員会を創設。
1956年「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」:公選制から任命制への転換。
2015年「改正地方教育行政法」:教育委員長を廃止して事務を教育長に一本化。首長の主催による「総合教育会議」の設置を義務化。

旧教育基本法第十条(教育行政) 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。
2教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。

教育委員会制度の概要

(1)政治的中立性の確保→首長からの独立性。
行政委員会の一つとして、独立した機関を置き、教育行政を担当させることにより、首長への権限の集中を防止し、中立的・専門的な行政運営を担保します。
(2)継続性、安定性の確保。
教育は、子どもの健全な成長発達のため、学習期間を通じて一貫した方針の下、安定的に行われることが必要です。
また、教育は、結果が出るまで時間がかかり、その結果も把握しにくい特性から、学校運営の方針変更などの改革・改善は漸進的なものであることが必要です。
→合議制:多様な属性を持った複数の委員による合議により、様々な意見や立場を集約した中立的な意思決定を行います。
(3)地域住民の意向の反映→レイマンコントロール
住民が専門的な行政官で構成される事務局を指揮監督する、いわゆるレイマンコントロールの仕組みにより、専門家の判断のみによらない、広く地域住民の意向を反映した教育行政を実現します。

教育委員会制度の仕組み

・教育委員会は、地域の学校教育、社会教育、文化、スポーツ等に関する事務を担当する機関として、全ての都道府県及び市町村等に設置します。
・首長から独立した行政委員会として位置付けられます。
・教育委員会は、教育行政における重要事項や基本方針を決定し、それに基づいて教育長が具体の事務を執行します。
・月1~2回の定例会のほか、臨時会や非公式の協議会を開催します。
・教育長及び教育委員は、地方公共団体の長が議会の同意を得て任命します。任期は教育長は3年、教育委員は4年で、再任可です。
・教育委員は原則4人です。ただし条例によって、都道府県・政令指定都市は5人以上、町村は2人以上にすることが可能です。

教育委員会の事務

(1)学校教育の振興
学校の設置管理、教職員の人事及び研修、児童・生徒の就学及び学校の組織編成、校舎等の施設・設備の整備、教科書その他の教材の取り扱いに関する事務の処理。
(2)生涯学習・社会教育の振興
生涯学習・社会教育事業の実施、公民館・図書館・博物館等の設置管理、社会教育関係団体等に対する指導・助言・援助
(3)芸術文化の振興・文化財の保護
文化財の保存・活用、文化施設の設置運営、文化事業の実施
(4)スポーツの振興
指導者の育成・確保、体育館・陸上競技場等スポーツ施設の設置運営、スポーツ事業の実施、スポーツ情報の提供

総合教育会議と教育振興基本計画

・すべての地方公共団体に「総合教育会議」を設置します。←首長のリーダーシップが強化されると予測されています。
・教育に関する「大綱」を首長が策定します。←エビデンス(客観的な根拠)に基づいた着実な施策(PDCAサイクル)が求められています。

第三章 教育行政
(教育行政)
第十六条 教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。
2 国は、全国的な教育の機会均等と教育水準の維持向上を図るため、教育に関する施策を総合的に策定し、実施しなければならない。
3 地方公共団体は、その地域における教育の振興を図るため、その実情に応じた教育に関する施策を策定し、実施しなければならない。
4 国及び地方公共団体は、教育が円滑かつ継続的に実施されるよう、必要な財政上の措置を講じなければならない。
(教育振興基本計画)
第十七条 政府は、教育の振興に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図るため、教育の振興に関する施策についての基本的な方針及び講ずべき施策その他必要な事項について、基本的な計画を定め、これを国会に報告するとともに、公表しなければならない。
2 地方公共団体は、前項の計画を参酌し、その地域の実情に応じ、当該地方公共団体における教育の振興のための施策に関する基本的な計画を定めるよう努めなければならない。

第3期教育振興基本計画

・内閣が2018年度~2022年度の教育方針を閣議決定(2018年6月)しました。生涯にわたる一人一人の「可能性」と「チャンス」を最大化することを重点事項としました。
(1)夢と志を持ち、可能性に挑戦するために必要となる力を育成する。
(2)社会の持続的な発展を牽引するための多様な力を育成する。
(3)生涯学び、活躍できる環境を整える。
(4)誰もが社会の担い手となるための学びのセーフティネットを構築する。
(5)教育政策推進のための基盤を整備する。

都道府県・市町村の教育振興基本計画

・教員採用試験に決定的に重要なので、志望する自治体の計画は読み込んでおくこと。

復習

・「教育行政」という言葉の中身について、「教育委員会」の具体的な仕組みとともに理解しよう。

 

【要約と感想】丹下和彦『ギリシア悲劇―人間の深奥を見る』

【要約】紀元前5世紀にギリシア悲劇が大発展したのは、当時のギリシアの状況を反映しながらも、人間の姿を普遍的に描いたからです。紀元前5世紀のギリシアの歴史は、異国であるペルシアとの戦争から始まり、同民族の争いであるペロポネソス戦争で終わります。この間の情勢が、ギリシア悲劇に大きく反映しています。
たとえば前半では、ギリシアの優位性である自由・法・叡知・勇気が、バルバロイであるペルシアとの比較を通して称揚されます。しかし後半では、ギリシアの優位性であった自由や法や叡知に対する疑惑が次第に高まり、作品の中で相対化されます。ギリシア的価値が低落する過程で、法や理性では捉えきれない人間性の奥底にあるものが抉り出されていきます。ここにギリシア悲劇が普遍性を持つ契機があります。

【感想】さくっとギリシア悲劇の粗筋を理解したい人にはお勧めしない。全体像が簡単に分かるような書き方にはなっていない。逆に、原典を多少なりとも読んでいて、自分の解釈に多様性を持たせたい人にとっては有益な本かもしれない。そういう意味では、気軽な新書スタイルというよりは、研究書に近い感じで多少身構えて読む類の本かもしれない。
というのは、それぞれの作品には長い研究史の中で解釈が問題になっている章句があるわけだが、本書はその研究史的課題に対する筆者なりの解釈から切り込み、作品全体の意図を見定め、当時の状況の中に位置づけるというスタイルを採用しているのだ。素人にとってみれば研究史的課題なんかどうでもいいので、もっと手っ取り早く内容そのものを理解したいわけだが、そういう書き方にはなっていない。だから筆者の解釈を正当化するために外堀を埋める作業がだらだらと続き、同じことが何回も繰り返され、素人にとってみれば文体が冗長に感じることにもなる。とはいえ逆に言えば、長い研究史の中で焦点になっている章句の解釈に説得力を与えるためには、幾重にも取り巻かれた外堀を埋める作業が必須であって、研究者としては誠実な態度ではある。
そんなわけで、実際に原典を(ただし翻訳で)読んでいた『オイディプス王』や『アンティゴネー』や『バッカイ』に対する著者の解釈に対しては、目から鱗が落ちる感じがした。特にアンティゴネーが再び葬儀に戻ってくることに対する解釈には、なるほどと思った。オイディプスが「知」の観点から英雄である理由についても、神々の掌の上で踊っていることを承知しながら自らの行動を自らで律する意志に存していることなど、よく分かった気がする。素人に分かりやすく書くスタイルでは、このあたりはしっかり説明できない気がする。逆に、原典を読んでいない人に著者の意図がちゃんと伝わるかどうか、不安なところではある。実際、ちゃんと読んでいない『キュクロプス』と『オレステス』に関する記述では、私にはどこがどう凄いのかがいまいちピンときていない。すみません。

丹下和彦『ギリシア悲劇―人間の深奥を見る』中公新書、2008年

【要約と感想】本村凌二『多神教と一神教―古代地中海世界の宗教ドラマ』

【要約】地中海地域はもともと多神教の世界でした。特にイシス崇拝やミトラス教はローマ帝国各地に広がっていました。が、現在の地中海地域はキリスト教とイスラム教という一神教で覆われています。
一神教へと変化した根本的な原因は紀元前1000年あたりにあります。まず重要な原因は、アルファベットが開発されて多種多様な文字が少数の文字へと収斂していったことです。文字の少数精鋭化は、アレクサンダー大王やローマ帝国がオリエント地域を支配して数々の神が少数の神格へと統合されていく動きと並行して理解することができます。
もうひとつの有用な原因は、危機と抑圧です。アルファベットの発明によって文字文化が拡大し、音声文化が痩せ細ったことによって、それまで人間に聞こえていた神の声が聞こえなくなります。地域や都市固有の神から切り離されてグローバル化した世界で個人化・孤立化した人々は、従来の形式的な儀礼宗教には頼ることができず、内面の救済を強烈に求めるようになります。この内面救済の要求に応えたのがキリスト教でした。

【感想】新書だからこそ書けるような大胆な仮説が繰り広げられて、わくわくしながら読める本だ。逆に言えば、大胆な仮説に過ぎない記述も多いので、眉に唾をつけながら読まなければいけないものでもあるだろう。
たとえばユダヤ教の起源がエジプトのアクエンアテン宗教改革にあるという仮説は、著者ではなくフロイトが言い出したものだが、なかなか刺激的ではある。旧約聖書との記述とも辻褄が合ってしまいそうではあるが、史料に基づいて実証することはできず、なかなか扱いに困る。
それから本書の根幹をなす「アルファベットの発明と神々の習合」の議論については、なかなか刺激的ではあるが、もちろん史料に基づいて実証することはできない。文字体系を合理化しようという志向と神々の体系を合理化しようという志向が、果たして同時並行的に起こるものなのか、まず俄には首肯しがたい。まず単純に言って、日本中世で起こった神仏習合は文字体系の合理化と何の関連もないからだ。とはいえ、明治以降の神社合併と文字体系の合理化が、同じ根から起こっているように見えるのも確かではある。一つの刺激的な仮説として頭に置いておくことについては吝かではない。印刷術の発明が人類史を大転回させた議論等とも関連して、「リテラシー・イノベーションと人類史」の枠組で捉えるべき具体的テーマのひとつではあろう。
それから、宗教的情熱の興隆と性的抑圧の関連についての記述もあって興味深いのだが、あまりにもあっさりとしていて、いまいち具体性に乏しい。まあ、著者の別の本で補完できるので、ないものねだりをするところではないのかもしれない。宗教的情熱の盛り上がりによって性的表現が規制されるというストーリーは分かりやすいのだが、しかし「禁欲」思想はストア派やヒポクラテス由来のものもあるはずなので、そう単純に扱えない気もする。

全体的に、具体的な事実に基づいた実証的な記述を期待する本というよりは、ある観点からのストーリーを俯瞰的に楽しむために読む本だった。どちらも歴史にとっては重要である。が、具体的な記述に期待している向きには、同じ時代と地域とテーマを扱っている小川英雄『ローマ帝国の神々―光はオリエントより』のほうが役に立つかもしれない。

本村凌二『多神教と一神教―古代地中海世界の宗教ドラマ』岩波新書、2005年

【要約と感想】小川英雄『ローマ帝国の神々―光はオリエントより』

【要約】帝政ローマでは伝統的なギリシアやローマの神々に対する信仰は失われており、ペルシアやエジプトやシリア由来の神々が信仰の対象となっていました。マケドニアやローマ帝国のオリエント侵略以降、人口の移動やローマ帝国の宗教的寛容政策の影響だけでなく、オリエント諸宗教自体の魅力(派手な儀礼等)によって、ローマ帝国内に様々な宗教が流入しました。
具体的には、エジプトからはイシスやセラピス、シリアからはアドニスやユピテル・ドリケヌスやバールベック、小アジアからはキュベレやアッティクス、イランからはミトラス、パレスチナからはユダヤ教やキリスト教やグノーシス主義が流入し、隆盛します。そして熱心な布教活動を行なった排他的な一神教であるキリスト教が最終的には勝利します。

【感想】淡々とした客観的な記述に終始するので一見迫力がないように思ってしまったのだが、よくよく考えると凄いことがさらっと書いてある。世界史の教科書には載っていないことが典拠なしでさらっと書いてあったりするので俄には信じがたいことが多いのだが、実は高校世界史教科書の方があまりにも単調すぎるのであって、本書が描いたような多面的で複雑な世界の方が真実により近いわけだ。雑然とした多神教の世界をいったん受け入れると、むしろそのほうが当然の姿のように思えてくる。日本だって、皇室ゆかりの整然とした神話体系に基づく神社の中に、八幡とか熊野とか稲荷とか得体の知れない謎の神様が平然と同居しているわけだ。アレクサンダー大王やローマ帝国が征服した土地の土着神がギリシア・ローマの神々と習合し、帝国内の人々の移動に伴って、体系化されたりされなかったりしながら雑然と信仰の形がつくられていったのは、おそらく日本と事情が同じなのだろう。
様々なオリエント起源の神々とキリスト教を並列して記述するのは、現在の後知恵的観点から見ると異様ではあるが、当時の発生的現場に立ってみればむしろ多様な価値観が並列している状態のほうが当たり前であることも分かる。キリスト教に特権的な位置を与えずに当時の多様な宗教状況を淡々と記述するスタイルには、派手さはないが、静かな迫力がある。

中二病の人に読ませると様々な創作を行なうインスピレーションの源泉になるかもしれない、なかなか刺激的な本であるように思った。

小川英雄『ローマ帝国の神々―光はオリエントより』中公新書、2003年