【要約と感想】本村凌二『多神教と一神教―古代地中海世界の宗教ドラマ』

【要約】地中海地域はもともと多神教の世界でした。特にイシス崇拝やミトラス教はローマ帝国各地に広がっていました。が、現在の地中海地域はキリスト教とイスラム教という一神教で覆われています。
一神教へと変化した根本的な原因は紀元前1000年あたりにあります。まず重要な原因は、アルファベットが開発されて多種多様な文字が少数の文字へと収斂していったことです。文字の少数精鋭化は、アレクサンダー大王やローマ帝国がオリエント地域を支配して数々の神が少数の神格へと統合されていく動きと並行して理解することができます。
もうひとつの有用な原因は、危機と抑圧です。アルファベットの発明によって文字文化が拡大し、音声文化が痩せ細ったことによって、それまで人間に聞こえていた神の声が聞こえなくなります。地域や都市固有の神から切り離されてグローバル化した世界で個人化・孤立化した人々は、従来の形式的な儀礼宗教には頼ることができず、内面の救済を強烈に求めるようになります。この内面救済の要求に応えたのがキリスト教でした。

【感想】新書だからこそ書けるような大胆な仮説が繰り広げられて、わくわくしながら読める本だ。逆に言えば、大胆な仮説に過ぎない記述も多いので、眉に唾をつけながら読まなければいけないものでもあるだろう。
たとえばユダヤ教の起源がエジプトのアクエンアテン宗教改革にあるという仮説は、著者ではなくフロイトが言い出したものだが、なかなか刺激的ではある。旧約聖書との記述とも辻褄が合ってしまいそうではあるが、史料に基づいて実証することはできず、なかなか扱いに困る。
それから本書の根幹をなす「アルファベットの発明と神々の習合」の議論については、なかなか刺激的ではあるが、もちろん史料に基づいて実証することはできない。文字体系を合理化しようという志向と神々の体系を合理化しようという志向が、果たして同時並行的に起こるものなのか、まず俄には首肯しがたい。まず単純に言って、日本中世で起こった神仏習合は文字体系の合理化と何の関連もないからだ。とはいえ、明治以降の神社合併と文字体系の合理化が、同じ根から起こっているように見えるのも確かではある。一つの刺激的な仮説として頭に置いておくことについては吝かではない。印刷術の発明が人類史を大転回させた議論等とも関連して、「リテラシー・イノベーションと人類史」の枠組で捉えるべき具体的テーマのひとつではあろう。
それから、宗教的情熱の興隆と性的抑圧の関連についての記述もあって興味深いのだが、あまりにもあっさりとしていて、いまいち具体性に乏しい。まあ、著者の別の本で補完できるので、ないものねだりをするところではないのかもしれない。宗教的情熱の盛り上がりによって性的表現が規制されるというストーリーは分かりやすいのだが、しかし「禁欲」思想はストア派やヒポクラテス由来のものもあるはずなので、そう単純に扱えない気もする。

全体的に、具体的な事実に基づいた実証的な記述を期待する本というよりは、ある観点からのストーリーを俯瞰的に楽しむために読む本だった。どちらも歴史にとっては重要である。が、具体的な記述に期待している向きには、同じ時代と地域とテーマを扱っている小川英雄『ローマ帝国の神々―光はオリエントより』のほうが役に立つかもしれない。

本村凌二『多神教と一神教―古代地中海世界の宗教ドラマ』岩波新書、2005年