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【要約と感想】坂口ふみ『〈個〉の誕生―キリスト教教理をつくった人びと』

【要約】「個としての個」の思想は近代に誕生したと思い込まれていますが、実は決定的に重要なのは4~6世紀の古代末期(ビザンツ初期)にキリスト教公会議で交わされた三位一体とキリスト論に関わる教義論争で、特に古代ギリシア哲学の伝統を引き継ぎつつもそれと対決した東ローマ(ビザンツ)の神学者の思想が重要です。ウシア、ピュシスという概念(実体・本質)からヒュポスタシスという概念(基体)を切り離し、その宇宙論的な意味を担うヒュポスタシスというギリシア語が法的・社会的な意味を担うペルソナというラテン語によって翻訳されたときに、広大で多様なローマ帝国の多文化世界を背景とした化学変化が起き、元の概念を超える豊かな概念が新たに形成され、その新たな概念「ヒュポスタシス=ペルソナ」こそがまさにキリスト教が古代ギリシアの実体・本質重視の思想・文化を超えて表現しようとしていた「隣人への愛」という教義に明確な形を与え、「個としての個」の理念が固まりました。

【感想】非常におもしろい。論旨は極めて明快で、私の個人的な研究(人格概念の探求)にとっても実に都合がいい見解が小気味よく並んでおり、喜んで今後の論文に引用させていただくことについては吝かではない。勉強になった。
 ただし、逆に明快すぎて眉に唾をつけたくなる部分もなくはない。たとえばアリストテレスの評価と位置づけについては慎重に裏付けをとる必要を感じる。たとえばアリストテレスは「個あるいは一」を共約不可能な特異点としつつ、それが成立する条件を執拗に細かく分析していたのではなかったか。いわゆる「普遍論争」における唯名論の立場は、アリストテレスの範疇論における議論を背景として、存在するのは「個物」だと主張したのではなかったか。
 また東ローマ(ビザンツ)を重視する本書全体の傾向は、ラテン的西欧(あるいはカトリック)に対するカウンターとしての意味と意義は十分に理解できるものの、本書が書かれた20世紀後半におけるアカデミズム全体のポストモダン・ポストコロニアル的ムーブメントの文脈に置いて、多少は差っ引いて考える必要を感じる。
 また、歴史的には、「個の重視」はローマ文化にゲルマン的な要素が混入して誕生したというストーリーもあるはずだ。自由と権利を重視する「ゲルマン的な個」と、本書が扱う「ビザンツ的な個」は、やはり何か依って立つところが違っているのではないか。本書が言う「ビザンツ的な個」は、確かに「なんらかの単位としての個」であることは間違いないとしても、その属性として「自由・権利・尊厳」が伴うことはまったく自明ではない。ピュシスから切り離されたヒュポスタシスには自由や尊厳などない。それは線に対する点のような、無属性の特異点に過ぎない。かろうじてペルソナという言葉と概念が神と人の両者を表現する際に同じように使用されるという「類似」と「連想」によって自由・権利・尊厳の所在を仄めかすに過ぎない。しかし一方の「ゲルマン的な個」の本質は自由と切り離せないと理解されているのではないか。
 そしてどうしても2023年の段階で想起してしまうのは、ビザンツ的なプーチンが、ゲルマン的な自由の精神を心底憎んでいるという事実である。そしてそこから逆算すると、東方ではグノーシス的な二元的異端が根強く蔓延し、それが実は「ディープステート」の陰謀を云々するような反知性的な心性に連なっているのではないか。穢れたものと見なす俗世間から隠遁して野蛮な反知性的修行で「神化」を目指す隠修士のような在り方は、イエスが説いた「隣人の愛」と本質的にまったく関わりがなく、「個としての個」にモナド的に引きこもる退廃した姿ではないのか。
 まあそういう疑問を差っ引いても、非常に面白く、勉強になる本である。

【今後の研究のための備忘録】人格、ペルソナ
 本書で鍵となる概念はラテン語の「ペルソナ」とギリシア語の「ヒュポスタシス」だが、それを日本語に敢えて置き換えると「個」とか「人格」という言葉で表現される。似たような言葉に「独」とか「孤」もあるが、圧倒的に「個」という感じがふさわしいのは間違いないだろう。

「純粋な個としての個、かけがえのない、一回かぎりの個の尊厳、そういったものが思想的・概念的に確立したのは、近代よりはるか以前のことだったと思われる。遅くとも紀元五、六世紀の、あのローマ帝国末期の教義論争のなかで、それははっきりとした独自の顔をあらわし出している。中世を通して生き続けたその顔を、近代はふたたび新たなかたちでとりあげたのである。」36頁
「今まで目に映らなかった「人格」というもの、「個の存在」というものが、見えてくるということは、やはり人の世界や他人への関わりを変える。」37頁
「そしてキリスト教の教義も、キリスト教の哲学化・思想化・体系化も、イエスが単純な「隣人の愛」ということばで語ったことのいわばパラフレーズであり、この単純な理想に、できるかぎり普遍的で透明で共時的なかたちを与えようとする努力にほかならなかった。その努力の中で人びとは、実はヨーロッパの思想・哲学にとって基本的に重要な新しい概念、新しい存在論を生み出していったと思われる。それが後に詳しく述べるような、個としての個の概念であり、純粋存在性の存在論であり、それが人格の絶対性とか尊厳とかなどに根拠を置く人権思想や民主主義体制をも支える一端となっていると思われる。」48頁
「純粋な「個」「ペルソナ」の概念が明確なものとなるのは、カルケドンのキリスト論のみならず、その前段階をなす三位一体論があってはじめて可能だったのだ。」51頁
「しかし末期ローマのこの社会の状況においては、この問題は起らざるをえない問題だった。この宗教は、この戦いを戦い抜いて、この宗教の本質の少なくとも重要な一部を、この社会・文化なりのかたちに造りあげ、救いとったのだと思われる。そこで救われ、現れてきたのが「ペルソナ=個としての個」を基盤に置く思想のかたちである。」71頁

 ここまでの記述で本書の主張が既に明らかになっている。「個」という概念を生んだのがキリスト教で、特に4~6世紀の教義論争が極めて重要という立論である。しかしキリスト教の教義論争の分析に入る前に、ギリシア哲学の話を丁寧に進める。しかもローマ帝国でヘレニズム化したギリシア哲学(具体的には新プラトン主義)の話が延々と続く。

「神とキリストの関係の問題は、イエス自身の問題ではけっしてなかったが、すでに福音記者や使徒たちにとっては問題であった。それは、古代哲学が現象の根底に見いだそうとした一なる原理と、現象の多との間の関係への問いと同質の面を持つ。感覚に触れてくる多のうちに一を求めるのは、人間理性の本能とでもいうべきものだろう。」75頁
「キリスト教の教義が問題となった「教義論争」の時代以前に、すでに現象のすべてのうちに「一なる善」を見る視線がとぎすまされてきていた」78頁
「この一元論的なピタゴラス的・プラトニズム的体系ではじめて、かっきりした理性の対象でないもの、その意味で「普遍」ではないものが、存在的・価値的に優位に立つことが、理性的に確立される。個の個性、隣人の核心をなすもの、などもそういった種類のものであるから、隣人愛を説くキリスト教とこの思想が結び付くことになっていくのは、理由あることだった。」81頁
三位一体論の背理は、個としての個なる人を論理的にも救いとる要求のためだった。」111頁

 新プラトン主義とキリスト教の教義の親和性そのものについては、特に本書が明らかにしたわけではなく、古代教父アウグスティヌス本人が証言しているので疑いようがない。
 しかしところで、「一なる原理」「一なる善」についてはプラトンやアリストテレスなど古代ギリシア哲学が徹底的に追求したものだし、東洋でも道教や朱子学が「太一」として追求しているわけだが、ここで本書がその営為を「人間理性の本能」と呼んでいるのは、なんというか、「多のうちに一を求める」というメカニズムがはたして「本能」なのか何なのかがそもそも哲学的に追求すべき究極の問題であって、それを「本能」と言ってすませられるのなら大半の問題は簡単に解決してしまうので、私個人としてはあまり軽率に「本能」という言葉に還元したくないところではある。まあ、そう言いたくなる傾向があることを仄めかしたいときには、ありがたく本書を引用させていただくということで、言質がとれているのはありがたい。
 また、「三位一体」という現代的な感覚では圧倒的にどうでもよい論理を、「個としての個なる人を論理的にも救いとる要求」と理解しているのは引っかかる。確かにそういうストーリーも成り立つだろうし、そのストーリーで全体を構成する本書の論理に対して異論を差し挟むつもりはない。しかし個人的には、「三位一体」なる屁理屈はただただ単純にグノーシス主義的二元論への現実的な対抗策として強弁しただけで、当時の現場としては個としての個なる人なんかどうでもよかったが、意図しない副作用として偶然にそれを救いとった、というストーリーも捨てがたいところだ。
 ともかく古代ギリシアの「一」にまつわる思想を整理したところで、続いて「ペルソナ」とその周辺概念の整理を行う。

「神の一性と、それにもかかわらず厳存する父と子の区別を、すでにラテン世界ではテルトゥリアヌスが、実体(substance)の一性とペルソナ(personaいわば基体)の二性として表現し分けていたが、このペルソナにあたる語を、アタナシウスはまだ確立していなかった。」103頁
「「ペルソナ」は法律上の人格・役割を意味する、もともと非形而上学的なことばであって、社会的人間の持つ多面性を表現し得ることばであった。法律家テルトゥリアヌスは、ひとりでありつつ多くの役を矛盾なく演じ、しかもその際他人になるわけでもない具体的人間のあり方との類比で、この概念を柔軟に、それゆえ矛盾につきあたって困惑することもなく、用いることができたのであろう。いかにもラテン的なことばであり、概念である。
 しかし、これがギリシア的な自同律と矛盾律を基本に持つ形而上学的概念と結びつき、転化し、その体系のうちに組み込まれようとするとき、現実感覚の柔軟さは論理的矛盾として姿を現すことになる。」115頁
「中世末から近代にかけてのいわゆる「アリストテレス批判」「実体概念の解体」は、すでにここに、ビザンツ初期の白熱した数世紀の議論の中に準備されている。人びとは信仰上の情熱から、このきわめて基本的な問題に執拗なまでに取り組まざるをえなかった。この議論を「自然」のうちに移しさえすれば、そこに、近代科学の基本的考え方への一歩の寄与があることがわかるだろう。十三世紀スコラの盛期に、トマス・アクィナスが、ペルソナは「自存するものである関係」だという衝撃的なことを平然と言うのを見るとき、もうこれら実体とか関係とかいう概念がそれほど「いわゆるアリストテレス的」に明白なものではなく、変質してきていることがよくわかる。」128-129頁
「論理性・秩序・組織というロゴス原理は西洋の強みであり、それによって「人格」「愛」「精神(霊・プネウマ)」というような、とらえがたく柔らかい価値をも守るという、逆説的な仕事をある程度なしおおせたということが、西欧文化のもっとも大きな強みであったように思う。しかし、その場合、「愛」や「精神」はやはりともすれば内実を失って空洞化しなかったろうか?
 (中略)たとえばレヴィナスとか、バフチンなどの人びとに、私は東方思想の血筋を見る気がする。そこでは人間性(という呼び方が妥当かどうかわからないが)、人間のいきいきとした姿、人間の芯にある火――おそらくそれが、ペルソナとか人格とか呼ばれるものだろうが――そういったものへの感受性が、まだ西欧思想におけるように解体・枯渇してしまわずに残っているような気がする。」140-141頁
「その一つの答えは、ラテン語では、このヒュポスタシスがペルソーナ(persona 以下慣例に従って短くペルソナとする)と翻訳されたからである。personaは近代ヨーロッパ語のperson、Person、personeなどとなり、日本語でも「人格」などと訳されている。これが西欧思想の一つの中核語であることに異論をとなえる人はないだろう。
 しかし、ペルソナが本来はヒュポスタシスとはまったく異なった意味の語であることは明らかである。いわば、もともとギリシア語ではじまったキリスト教の思想化の努力が、西方ラテン世界に翻訳され、移行するときに、このもっとも中核的な概念が迷子になり、脱落して別のものとすりかわったかに見える。しかも、「ペルソナ」の語にしても、これからの叙述で見えてくるように、これは当時は独自の存在論の中核をなす語であった。それが西欧の中世から近代の歴史の中では、次第に単なる人間論の術語としてしか意味をもたなくなっていく。せっかく四世紀から六世紀に至る政治と理論の白熱のうちで姿を現してきたこの独自の存在性が、少なくとも西ヨーロッパでは次第にまた消滅してゆくのである。これは、「個」にきわめてよく似るが単なるギリシア的「個体存在(individium)」ではなく、おきかえのきかない純粋個者、しかも、つねに他者との文脈のうちにあることを本質とする単独者である。西欧はこの概念を失ったことによって、多くのものを失いはしなかったろうか。」150-151頁
「ヒュポスタシスは、実体・本質と区別された神の位格(父・子・精霊)を表示し、この「位格」が西方のラテン語ではペルソナと呼ばれるものである。したがって、ヒュポスタシスはまさに神のペルソナ的な、いわば人格的(正しくは位格的)な面を示すことばと言えるのである。この区別は、あるいは西方で先に確立したという面もあるかもしれない。ニカイア公会議がまだウシアとヒュポスタシスの区別をどうつけてよいかわからないでいた一方で、西方ラテン世界のテルトゥリアヌスは、そのほぼ百年も前に、父・子・精霊という古い呼びかけと神の一性を、一つの実体(essentia)と三つの位格(persona)というかたちで両立させていたのだから。」154頁
「ニカイアの公会議自体は、キリストが、また精霊も、父なる神と実体(ウシア)を同じくする「神からの神」、つまり父とまったく同一の神であることを語っただけで、「ヒュポスタシス」とか「ペルソナ」とかいう、三位格の共通名を出していない。しかし、およそ四、五十年後に、カパドキアの教父たちは明瞭にヒュポスタシスとウシアについて論じているし、さらにその四十年後にアウグスチヌスは、先に引用した『三位一体論』五巻八章のくだりで、明らかに三位格にペルソナ(persona)という共通名を与え、ギリシア語ではそれをヒュポスタシスと言うと語っている。」171頁
「まったく本来は意味の違うペルソナとヒュポスタシスという二語が、どうして対応語として用いられつづけたのか。」171頁
「カルケドン信経は、プロソーポン(ペルソナに対応するギリシア語、原義は顔、そこから個人)とヒュポスタシスを同義として列挙し、ラテン語はペルソナとスブステンチアを列挙している。この四語のうちからなぜ、ヒュポスタシスとペルソナだけが残って等値されることになったのか。」172頁
「テルトゥリアヌスが早くに用いていたペルソナという語は、この混乱を避けて、神の本質と区別された、ある種の存在性(父・子・精霊という)を指し示すために便利だったのである。」173頁
「紀元前二百年前後、第二ポエニ戦争のころに、すでにペルソナの語は、(1)劇場の仮面、(2)劇での人物、(3)たぶん役割、(4)たぶん文法での人称、などの意味をすでにもっていたと思われる。そしてこの語の意味を一挙に広めたのは(ほかの多くのラテン語のヴォキャブラリーにおけると同様)、やはりキケロだった。」177-178頁
「ローマ人の法的思考のうちで、ペルソナの語は、ギリシア語プロソーポンよりもはるかに豊かに発達し、かえってプロソーポンの語義を広めるのに影響したことが指摘される。ただ、法的発展をのぞいても、それ以前に仮面と劇の人物という意味から、タイプ、性格、社会的・道徳的役割という意味への移行は、日常言語のうちで行われていた。また劇のヒーローの尊厳やユニークさのニュアンスも、この期に与えられていた。ペルソナとはこのように豊かな社会的・法的・道徳的意味を含む語として、キリスト教成立以前にラテン語のうちに確立していたのである。」178-179頁
「「沈殿」「基礎」が、「仮面」と訳されるという奇異な事態が起こったのは、既述のような歴史的経緯の中で、おのおのの語の多様な意味のひろがりの中にある「個存在」という共通項・媒介項を介してであった。ラテン語のペルソナには、徹頭徹尾社会のうちなる個人というニュアンスがあり、役割、人に与える影響、印象、尊厳といった含意がある。ヒュポスタシスには、元来そうした意味合いはまったくない。そのかわり、ヒュポスタシスにはまた、ペルソナにはまったくなかった宇宙的視野と連関とがある。ヒュポスタシスは自然学的・形而上学的な存在論のことばであり、ペルソナは劇場と法律と日常社会生活のことばである。この両者が等値されて、一つの同じ対象を指すとされるとき、その対象には複雑な交響が生じ、多様な倍音が生じる。キリスト教思想の中核となったペルソナ=ヒュポスタシスは、このようにしてきわめて豊かな概念となった。」180頁
「ここで注目すべき重要なことは、両概念に共通する一つの性格である。それは、この両者いずれにおいても、個存在性と流動性・関係性という一見矛盾した二要素が密接に共存しているということである。ヒュポスタシスは、流動きわみない、一者からの存在の流出のうちの束の間の留まりとしての純粋存在性であった。宇宙的流動と因果関連の網なしには、ヒュポスタシスは存在しえない。ペルソナはまた、劇場という演劇的場のうちの一要素であり、そこから転じて法体系のうちでの要素、社会的関係のうちで役割をもつ個人であった。
 (中略)ヒュポスタシスは宇宙的循環の一要素であるし、劇全体の構成や社会全体の依存関係と関連性なしにはペルソナペルソナたりえない。劇は成立しない。この両概念がそのまわりにひろげる関連の場は、異質なものである。しかし、両者とも個存在性と関係性の両面をにらみ、両面を必須とする概念であることは共通している。そして、この両者が等値されるとき、結合された概念のもつ場は、宇宙的かつ人間的、自然的かつ法的・社会的、非人間的かつ日常人生的なものが重なり合い。混じり合い、対位法的に関わり合う不思議な場となった。」181-182頁
「それはやはりもとをただせばローマ帝国というものの広大さ、多民族・多文化の交響であったのだ。互いに異質なものをもつギリシア語圏、それもヘレニズムの小アジア、シリア・エジプトなどの文化を含みもつギリシア語圏の文化と、ラテン語圏の文化と、東方の思弁と神秘と超越に対する西方の現世と人間の現実へのたしかな眼ざし。形而上学と宗教に対する歴史と法とレトリック。その出会いがこのヒュポスタシスとペルソナの出会いであった。キリスト教思想が豊かな種子をもったとすれば、それは、多文化混淆のローマ帝国の豊かさであった。」183頁

 うーむ、なるほどだ。このあたりの話は類似のテーマを扱う論文や概説書でも読むところではあるが、いまのところ本書がいちばん丁寧に分析しているように思う。「ペルソナ」概念の整理については、今後の研究でありがたく引用させていただきたい。というか、こういう優れたまとめ研究があるにもかかわらず、今でも「ペルソナの原義は仮面です」と言って分かった気になっている概説書が多いのは如何なものか。
 ただしかし、この概念が中世ヨーロッパで欠落した(そして本書では強調されないが、ルネサンス以降に復活する)と繰り返し主張しているところは、眉に唾をつけておきたい。この西欧中世をディスる見解は、西洋中世が遅れた暗黒時代で、その時期の東方(ビザンツとイスラーム)のほうが進んでいたというブルクハルト的な歴史観に合致する。しかし近年では、こういうブルクハルト的な歴史観を乗り越えて西欧中世の知的水準を再評価しようとする動きが盛んだ。本書は「個としての個」に対する感受性をレヴィナスやバフチンなど現代の東方思想家に見出し、それに対する憧憬を隠そうとしない。私もレヴィナスやバフチンの現代的な思想が独創的で魅力的だと認めることについては同意するものの、ただしかし個人的な感想では、西洋中世に劣らず東方中世でも「ペルソナ」概念は忘れ去られていたように思うのだった。実際、本書でも東欧中世についての実証的な資料は提出されず、レヴィナスやバフチンなど現代的な人物名(あるいは近代以降のロシア文豪)が散発的に傍証として上がってくるだけだ。仮にブルクハルトの衣鉢を継いで西欧中世をディスるのは結構だとしても、だからといって返す刀で東欧(そしてあるいは日本など)を持ち上げることには慎重でありたい。
 さてともかく下準備が終わったので、いよいよ本格的にキリスト教教義論争の中身に入っていく。

「もっとも決定的だったのは、東方ではキュリルス風の一本性説が、キリストという特殊な例のうちで人間性がいわば神化されるさまを表現していると思われていたことだろう。上昇と神化への欲求は、プラトニズム的・ギリシア的東方の宗教性の根づよい憧憬であった。キリストという範型的な人間の神化は、人間全体の神化の可能性を示し、モデルを与え、道を開くものと解されていた。これは「全く人」の現実性にあくまでも執し、仲介者についてもその現実的人間性を尊いものと思い、その受苦の現実性によってこそ罪の贖いと人類全体の買い取りが可能であると考える西方の、人間主義的で法律的匂いがしないでもない見方とは、同じキリストという存在の理解の上でも大きなへだたりがあった。」244頁

 本書の立論からすれば傍証の位置に当たる文章ではあるが、ここで言及されている東方の「神化」という概念は気に留めておきたい。というのは、西欧中世でもグノーシス主義的二元論異端や、あるいはエックハルトのような神秘思想家が目指しているのが、明らかにこの「神化」だからだ。あるいは対抗宗教改革としてイグナチオ・ロヨラが打ち立てたイエズス会の修行の在り方も想起していいのかもしれない。だとすれば、この西欧中世の「神化」思想は、ビザンツからもたらされたものなのか。そしてそれはルネサンスや宗教改革以降の「個」の思想になにかしらのインパクトを与えているのか。だとしたら1453年のビザンツ帝国に伴う知識人や宗教家の流出にどれほどの意味を見出すべきなのか。こういう問題系が関わってくるところだ。

「三位一体論とキリスト論は、プラトン-アリストテレス風の、普遍を実体とし、真実在とする存在論を逆転する構図を人びとにつきつけてきたのである。その先駆はストアやネオプラトニズムにあったと思われるが、ここまで先鋭に、非妥協的に正面から対決するに至ったのは、このきわめて抽象的な存在論的差異が、実は何よりもごくふつうの人びと心情と希求の差であり、政治的党派の差でもあったからだ。存在論はここでは希み、愛し、生き、党派と体制をつくり、またそれに反抗し、利害と権力を争う人間のあり方をまるごと受肉しているのである。
 ヒュポスタシス=ペルソナというかたちでここに姿を見せてきたこのものは、まさにあの透明な、いかなる属性をも顧慮しない、神の愛・隣人愛の向うもの、その対象でもあり、またその愛を与える源泉でもある。」291-292頁
「ギリシアがものの神髄として、本質として見たものが何といっても共通的なものだったのに対し、キリスト教がもっとも尊貴なものとして、その意味での本質として見るものは、個の個たるところである。トマスがアリストテレスをうけつつ、例の鋭さで「働きは単独者のものである」と語っていたのが思い出される。キリスト教があらゆる出来事と存在の神髄として説くのは、個々の人間の心の救いであり、そのために一回一回独自の仕方で、つまりいわば単独者として働く、神の行為と愛である。その神への愛と隣人への愛である。」315頁

 ここが本書の一番の肝になる部分だ。この論証が成功しているかがどうかが、本書全体の説得力を決定する。そして、それは極めて難しい。なぜなら、これこそ普遍的なことばに変換して他者と「共約」することが不可能な部分だからだ。
 そしておそらくそのことを一番わかっているのは著者自身で、だからこそ本書全体の構成が本書のようになったのだと思う。本書の書き出しと書き終わりは、他者と共約不可能な極めて個人的なエピソードとなっている。まさに「一回一回独自の仕方で、つまりいわば単独者として働く」ような感情と行為が書き連ねられている。そういう共約不可能なものを共約しようと努力を重ねる「単独者」としての行為こそが、おそらく本書の一番の見どころなのだ。そう思ってみれば、レヴィナスやバフチンに対する偏りが表明されようが、東方に共感を寄せようが何だろうが、そんなものを論理的に難詰する必要などないわけだ。隣人としてできることは、この本書の仕事を私自身が「一回一回独自の仕方」で受け取るだけであり、それがいままさにこのような私自身の単独者としての感想として現れているということだ。不遜にもいろいろ疑問点を書き連ねてはいるが、著者をディスっているのではなく、私自身の研究を進める橋頭保とするための備忘録であることは独り言として言っておきたい。そしてこういう読書が「交流」として成立するのであれば、それに越したことはない。

「アリストテレスの場合はピュシスをひき去ってしまった基体は無性質無形の、ほとんど無にひとしい「質量」であったが、レオンチウスで姿をあらわす純粋のヒュポスタシスはまったく逆である。これはネオプラトニズムの系統をひく、むしろ非質量的な、活動的統一原理、つまり「一者」の流れをひく能動的な個的存在性そのものである。」322頁
「アウグスチヌスはまた、さきに三位一体論のところで述べたように、この「個」の問題への、まったく独特のアプローチを西欧に与えた。それは、外界、自己の肉体などのすべてがそこから証明されてくる「心(cor)」という場の探求であった。自己の心の奥深くへ沈潜することが、すべての自己の意識、記憶、思考、意志、感覚を統合する一なるもの、あのプロチヌスのはるかな「一者」につらなる真我の体験に至ることを、アウグスチヌスは私たちに具体的にかいま見させてくれた。彼は東方でレオンチウスたちがうちたてた、人を統合し、またはキリストという存在を統合するペルソナ=ヒュポスタシスの存在論を、いわば内面から、内的体験として証明してみせてくれたのである。」329-330頁
「このようなことはすべて、受肉のロゴスのヒュポスタシスについて言われることである。この個こそが、もっとも範型的な個、個の内の個であることは明らかだろう。この強烈な凝集力、無限の包容力、無限の多様性は、あらゆるヒュポスタシス-ペルソナの範型であり、キリスト存在の類比者として語られる人間存在にも弱められたかたちで似姿的に存在するわけである。それゆえ、人間の心と身体を集めるヒュポスタシス=ペルソナも、同様に「統合されたヒュポスタシス」と呼ばれる。」341-342頁

 ここは丁寧に論証を求めたいところだが、やはりこういうふうにしか書けないことを認識させられたところだ。私個人の関心は「人間の人格」にあるわけだが、それはやはり神の「類比者」とか「似姿」という形でしか表現できないものだった。ともかく、私自身はとてもではないがここまでの論証はできないので、巨人の肩に乗せていただくような気持ちで、ありがたく引用させていただく。

「ハルナックはまったく正しくも、この概念の中にすでに「自然と区別された〈人格(Personlichkeit)〉という近代的概念が、もとより影のようにではあるが、姿を現わしている」と書く。ただし、私はこれが近代の人格概念の影であるというよりは、むしろアウグスチヌスーデカルトという線を辿ってひたすら意識的内省へとその場を移していった近代の人格概念の方が、もとのヒュポスタシスにあった存在の意味を見失っているのではないかと思う。」347頁
「この思想の中心であるヒュポスタシス=ペルソナは、知、情、意、身体的なもの心的なもの、すべてをひとしなみに集め、かけがえない個として形づくるものである。しかもそれは、それら多なる要素を束ね、集め、覆い、あるいは生み出す純粋な働きであり、他のそのような純粋な働きたちと、根において連なり、交流している純粋存在である。
 そのモデル、範型は、もとより神の性質をも人の性質をも、これほど相容れないものどもを、集め、束ね、一つにしている受肉した神の第二の位格、キリストである。彼はまた、神としても、三位の交流関係によってはじめて存在する、関係者にして存在者、とでも言うべきものである。存在が関係においてはじめて成り立つことのモデルでもある。」353頁
「東方でスコラ的に精錬されたヒュポスタシス=ペルソナ思想の概括を、ペルソナの定義というかたちで西方中世に伝えたのは彼(ボエティウス)であった。しかしその「功績」には多少の疑義もある。彼の定義「理性的本性の個的実体」は、アウグスチヌスが賢明にも注意深く避けた実体(substance)という語を、ペルソナの定義の中心にふたたび導入してしまった。そのことによって、個なるペルソナの中核は、ネオプラトニズム系・セム系の動性を失って、アリストテレス風の静的に閉じた個になりはしなかったか?」356頁
「キリスト論は古代に現われた種々な存在論を、ほとんど不可能な仕方で一つに結び合わせる。それは、キリストという存在が、もともと不可能な存在だったからである。全く人・全く神。つまり人としては私と種的に同一なもの。しかし個なる私にとっては他者。神としては私と絶対に異であり他であるもの。しかも創造者として種的にも個としても、私の存在の根源であり、私を包み、あらしめているもの。私にとって絶対に他であり私と非連続であり、しかも私とある意味で絶対に同一なもの。物質的・人間的存在であり非物質的・非人間的な神存在。――それはこの世界と絶対者が一つに結合する場所であり、絶対者が自らを世界のために失うところであり、逆に世界が自らを失って絶対者に参与するところでもある。しかもまた、両者が自己を失わずに差異と区別を保ちつづける場とも考えなければならない。」364-365頁

 畳みかけるような論述で、圧倒される。ナルホドと頷くしかない。世間には「キリスト教は一神教だから個の概念を生んだ」などという粗雑でいい加減な思い付きで分かったようなことを言う文学者もいたりするわけだが、つまらないことこの上ないので、こういうクザーヌス的な「対立物の一致」くらいの技は見せてもらいたいところだ。

坂口ふみ『〈個〉の誕生―キリスト教教理をつくった人びと』岩波現代文庫、2023年<1996年

【要約と感想】ハリー・スタック・サリヴァン『個性という幻想』

【要約】精神科医としての臨床の経験を踏まえると、「個性」などというものは存在しません。ただの幻想です。「人格」も、単に存在が仮定されているものに過ぎません。その代わりに決定的に重要なのは人間関係であり、それを規定する場としての文化です。人間関係の在り方によって、つまり場面が異なれば、人の行動や思考は変わります。精神科医として大事なことは、「人格」や「個性」を所与の前提とせず、クライアントの人間関係の有り様を浮かび上がらせることです。そして精神病を生み出す「社会」の有り様の改善へ足を踏み出すことです。

【感想】人格や個性など仮説に過ぎないという1930年代アメリカの意見というと、もう即座にG.H.ミードを思い出して、何らかの関係があるのかと最後まで読んだが、本書にはミードの「ミ」の字も出てこない(シカゴ学派や社会心理学との関連については言及がある)。しかし専門論文を当たったら、やはり関係があった。後藤将之「George H. Mead のコミュニケーション論について」によれば、サリヴァンは1920年代に「Sapir を介して Mead の仕事を知った」とされ、ミードの論理をさらに先鋭化したということになっていた。そうだろうそうだろう、ガッテンである。
 そしてミードの社会心理学の議論はおそらく1920年代アメリカの高度消費社会を背景として成り立っていたのだろうが、精神科医のサリバンはもっと先鋭的に高度消費社会の被害者たち(特にスキゾフレニア=統合失調症)を目の当たりにしていたはずで、「人格や個性なんて者は仮説に過ぎない」という確信はそうとう強かったのではないかと推察する。

【今後の研究のための備忘録】個性
 編訳者の前書きで、まず全体をこう俯瞰している。

「――「個性とは幻想である」とサリヴァンが言ったとき、それはあまりにラディカルな危険思想として受け取られた。しかしまずそれは端的に、独立ないし自立した人間というのが机上論に過ぎないことの指摘であった。個人ごとの差異を、彼はまったく決定的であるとか、特別視するべきものとは考えない。人間は互いに相違点よりも共通点をずっと多く持っていると信じて「人間集団に対しての精神医学psychiary of people」を唱えたのだった。」10頁

 この「ラディカルな危険思想として受け取られた」というのは、誰にどの程度そうだったのかは気になる。というのは、既に社会心理学者のG.H.ミードが同じようなことを言っていて、シカゴ学派の間ではそこそこ受け容れられていたように思えるからだ。そしてまた精神医学の分野であっても、フロイトやユングに連なる人たちが衝撃を以て迎えるとも考えにくい。
 ともかく、「個性とは幻想である」というテーゼが、思想全体を貫く決定的な軸であることは間違いない。以下はサリヴァン本人の言で、1944年の「「個性」という幻想」からの引用。

「不安の舞台となるのは、「自己self」と呼ばれる人格の一部分です。」102頁
「ここでは「人格の一部分」としたが、「人格」がそもそも仮説であるので、ここで述べているのは仮説内仮説に過ぎないと留意しておくこと。」114頁
「そして人格の作用もまた――一対一ないし多対多の関係を通じてのみ観察されます――目を瞠るばかりであって、そして人間的です。人格は、多数の人々そして文化からなる世界と深く絡み合った生命のコンタクトから生まれるものです。ですからその領野においては、人間が単純素朴であるとか、事物の中心にいて、個々独立していて、単位的であるなどと考えるのはまったく愚かしいことであります。」105頁
人格それ自体は単独で取り出すことが不可能です。」106頁
「それが完了すれば、個性というものが永遠不滅でも唯一無二でもないと明らかになるはずです。私たちは皆、対人関係の数と同じだけ人格の数を持ちます。」107頁
「「個性とは幻想である」と私が言うのは、そう考えることが実際の対人関係に手を入れることをずっと簡単にしてくれるという意味においてです。これ以外の仮定に基づいた操作をするのでは、理論的にも相当な無理が生じます。別の言い方をすれば、議論の出発点としてどこが一般に都合がいいか、ということを私は言っているのです。」110頁
「私自身についていえば、一人ひとりに備わった特別な個性なるものを仮定する必要はなさそうだと、ここのところ少しずつ考えるようになってきました。」110頁
人間が個々独立した個体であるというのは可能性の一つに過ぎないわけです。そして私が言っているのは、その考え方が果たして役に立っていますか、ということです。」113頁
「あなたが自分の人格を皮膚で覆われた骨格とその付属器に限定したいのならそれで構いません。どういう参照のシステムなら数多の学術用語だとか概念だとか複雑性を片付けられるか、そしてシンプルな操作によってそれと同等の結果を得られるかについて、私はそれと違う提案をします。しかしこのような考え方は、今の教育システムからどうやら相当の反発を受けるようですね。」113頁

 言っていることは明快だ。が、それがオリジナリティに溢れるかというと、21世紀の現在では「ですよね」としか言いようがないありきたりの言辞に見える。現在の生物学の知見を踏まえれば、群体であれ、共生であれ、DNAであれ、一人の人間を単位として絶対視することに有効性はまるでない。だから、このサリヴァンの見解が、1944年の時点で、G.H.ミードの社会心理学とどういうふうに響き合い、どの程度ラディカルなものと見なされていたのか、ということが関心の対象となる。

 さて、他の論文からも「人格」の用例サンプルを得られる。

人格personalityとはまず第一に、ヒトという可塑的動物に被せられた、文化なるものの産物である。西欧文明といえども不均一であって、その内側に多くの下位文化をもっている。下位文化の間では矛盾や対立のあることが珍しくない。そのなかにある個々の人格とはどういっても<様々な対人関係を取りまとめる比較的に持続性のシステム>以上のものではないだろう。いずれは満足とか安全保障の感覚に回収されていくものだ。人格が成長していく途上には障害物とか、余計な口出しばかりであるから、そのせいで前進と後退を繰り返し、そのうちに落ちぶれていく。それでいながら自己意識self-consciousnessは人格のことを独立独歩で、一定不変で、無矛盾なシステムとして認識する。自分で自分について語るときはとてもシンプルで、今日の記憶と機能の行動が違っていても気にはならない。だからこそ逆に、言行不一致を他人から指摘されると人間はまったく落ち着かなくなって、自尊感情が傷つくことを恐れて「何か」しなければいけない気分になる。」146頁

 上は「プロパガンダと検閲」と題された論文からの引用だ。「人格の一貫性」について正面から説こうという趣旨ではなく、人に影響力を行使するにはどうしたらいいかという関心から書かれていて、そして「人格の不一致」こそが相手をぐらつかせると言っているわけだ。まあ、「ダブスタ」を衝いたら「はい論破」と言えるのは、こういう理屈が背後にあるわけだ。しかしそもそも「人格の一貫性」そのものが成立しないのであれば、「ダブスタ」をいくら衝かれても、痛くも痒くもない。場面によって人格が切り替わるのは、当たり前のことなのだ。

「精神科医がクライアントについて一切合切を知ろうとすることはない。人格なるものは定義不能であり、たえず動きながらあると知っているからである。」247頁

 上は「緊張―対人関係と国際関係」にある一文だ。臨床の場面で「人格」概念が役に立たないと言っている。実際、そうなのだろう。ただし、具体的な人間関係が成立する場面において,「人格」という概念の実質的な意味内容である「人間の尊厳」という観念は、決定的に重要な役割を果たす可能性はある。

【今後の研究のための備忘録】人格と国家
 そして興味深いことに、人格と主権国家の相似性を指摘する一文がある。

「国家はその周囲に他国のあることを前提としていると同時に、他国から独立して機能するための組織を備えるものである。この二点によって国家が他の集合体と決定的に区別されるとしたギュルヴィッチの議論は、まさに正鵠を得ている。国際的運動の核となるような組織は他にあるにしても、しかし主権を与えられている点で国家はやはり特殊である。
 無数の準・国家的な運動が収束するところに国家が成り立ち、そして主権の行使という独特のプロセスによって結束されている。これは内的ないし相互的な作用が人格のもとに統合されていることと並行しているように思われる。国家のもつ主権とは、個々の人間に受け継がれてきた方式が、歴史を通じて具体的な形をとるに至ったものであると私は考えている。」278-279頁

 国家と人格に相似性を認める議論は、もちろんプラトン以降2400年の伝統を持っている。近代の主権国家誕生以降も、ドイツ国家学や国家有機体論でお馴染みだ。この一精神科医の発言が、はたして精神科医としての臨床の経験から出てきたものか、それとも逆に20世紀半ばにはまだ影響力を持っていた国家有機体論に影響されたものなのか、興味は尽きないところだ。

ハリー・スタック・サリヴァン『個性という幻想』阿部大樹訳、講談社学術文庫、2022年

【要約と感想】佐藤三夫『イタリア・ルネサンスにおける人間の尊厳』

【要約】「人間の尊厳」という考え方そのものは古代や中世からありましたが、ルネサンス期に至って「世界内超越」という形で決定的に新しい思想へと昇華します。具体的にはペトラルカ、マネッティ、ピコに関する先行研究を網羅した上で、原典に即して考察しました。

【感想】中世からルネサンスにかけての「人間の尊厳」の問題を考える上でのポイントはおそらく2つで、一つは「自然」に対する考え方、もう一つは「自由」に対する考え方だ。
 まず「自然」に関しては、アリストテレスの立場(そしてそれを極端に推し進めたアヴェロエス主義)を採用するか、それに反対するかだ。もしも仮にアリストテレス(あるいはアヴェロエス主義)のように自然科学の立場を推し進めて、ついには「魂の不死」を否定するに至れば、人間は他の獣などの被造物と同じような扱いとなり、「人間の尊厳」は否定される。だから「人間の尊厳」を称揚する立場は、アリストテレスを否定するところから生じてくることになる。そして伝統的なカトリック主義は、アリストテレス(そしてアヴェロエス主義)に徹底的に反対する。もちろん加えてエピクロスやルクレーティウスなどの唯物論も唾棄すべき敵となる。それはいわゆる「単一知性論」への反対となっても現れるし、また翻ってプラトン(加えてプロティノス)に対する好意としても表現される。この立場はペトラルカに典型的に見られる他、いわゆるキリスト教的人文主義におおむね共通する傾向だ。
 一方「自由」に関しては、人間の自由を一切認めないアウグスティヌスの恩寵主義に立てば、神の前では塵芥に過ぎない人間ごときに尊厳などありえない。だからルターやカルヴァンなど自由意志を否定して神の恩寵を強調する立場からは「人間の尊厳」を称揚する発言は出てくるはずがない。仮に人間を称揚するとしたら「神の似姿」として他の被造物とは一線を画するという意味合いであって、近代以降の「人間の尊厳」の考えとは発想が根本から異なる。しかしだからこそ逆に人間の「自由」を認める立場からは、自分の意志で善にも悪にもなることが可能な人間の「尊厳」が語られることになる。これはアウグスティヌスが徹底的に論駁を試みたベラギウス的異端に親和的な立場であり、ルターが「奴隷意志論」で徹底的に論駁を試みたエラスムスの「自由意志論」に親和的な立場だ。
 こうしてみると、「人間の尊厳」とは、極左的な立場(唯物主義的無神論=アヴェロエス主義やエピクロス)と、極右的な立場(神の恩寵主義=アウグスティヌスやルター)に挟まれた、中道的な立場から出てくる主張であることがよく分かる。だからかどうか、「人間の尊厳」のチャンピオンと見なされてるピコ・デラ・ミランドラは調和を旨とした折衷主義的な議論が持ち味だ。あるいは人文主義者のチャンピオンと見なされているエラスムスの優柔不断な態度を想起してもよい。
 こういう観点から考えてみると、例えばペトラルカの場合は、最初はカトリックの観点からアヴェロエス主義を批判するという「反左翼」という立場にあったものの、詩作(ポイエーシス)を通じて人間の「自由」を謳歌するという形で中庸的な立場を得ることになったように見える。また例えばピコの場合は、最初はアリストテレスに学びアヴェロエス主義に近い観点から「左翼」という立場ではあったものの、後にフィチーノを介してプラトンに近づき、カラバなど神秘思想に親しんで右側に傾いていくことで中庸の立場を得たような感じもする。そうなると、「反左翼」から中庸に至るか「左翼」から中庸に至るかで、「人間の尊厳」の中身も具体的にはかなり違ってきそうな印象もある。

【ポイントとなる著作】
・ペトラルカ(1304-1374)『秘密』
・アントーニオ・デ・フェッラリイス「人類の高貴さと区別について」
・バルトロメオ・ファーチョ(1400-1457)『人間の優越と卓越について』
・ジャンノッツォ・マネッティ(1396-1459)『人間の尊厳と優越について』
・マルスィーリオ・フィチーノ(1433-1499)『人間の尊厳と悲惨についての手紙』
・ジョヴァンニ・ピーコ・デッラ・ミランドラ(1463-1494)『人間の尊厳について』1486

【今後の研究のための備忘録】ルネサンス
  著者は一貫して中世主義者に対しても近代主義者に対しても批判を加えて距離を取り、ルネサンス特有の性格を浮き彫りに使用と努力している。

「イタリア・ルネサンス文化とフランスを中心とした中世文化とは、ある程度並行的に共存したことになる。しかもフランス文化が遅まきながらイタリア文化に影響した結果、イタリア文化は十三世紀の末頃になってその内部に同時にスコラ主義とヒューマニズムという二重の伝統をはらむことになった」22頁
ルネサンスを直線的な時間の経過において、「中世の秋」あるいは「近代の初め」、さらには中世から近代への単なる「過渡期」として捉える見方に対しては、われわれは批判的にならざるをえないであろう。」22頁

 このルネサンス特有の位置は単に時間的・空間的な区分ではなく、「中世カトリックの恩寵主義に対する自由主義」に加えて「近代の自然科学主義(アリストテレス・アヴェロエス主義的)に対する人文主義」という思想内在的な位置から主張される。こうなると、「人間の尊厳」がルネサンスに位置づくのも論理必然的ということになる。

【今後の研究のための備忘録】人間の尊厳
 「人間の尊厳」について、先行研究の見解をコンパクトにまとめた上で原典をほぼそのまま紹介してくれているので、めちゃめちゃ勉強になる。

「それ(自由学芸artes liberales))を市民のサルターティやブルーニが「人文学研究」studia humanitatisと読んだのは、その学芸を学ぶことによって人間としての限りにおいて人間を完成させる(hominem perficiant)研究とみなしたからである。つまり人間を尊厳ならしめる学芸という意味でそう呼んだのである。」50頁

「通称イル・ガラテオと呼ばれたアントーニオ・デ・フェッラリイスは、その「人類の高貴さと区別について」という書簡の中で、人々の間の基本的区別を、社会的身分によってではなく、むしろ人々を動物から区別する特徴そのもの、すなわち悟性と理性に基づけている。」60頁

「注意すべきことが三つある。第一は、「人間の尊厳」ということだけが一般的に問題であるならば、すでにギリシアの文学や哲学の中にも認められるし、旧約聖書の創世記にも記されているところであって、ルネサンス・ヒューマニスト固有の問題とは言えないことである。第二には、「ストゥディア・フマニタティス」についてルネサンスにおいて最初に語ったサルターティは、それを「ストゥディア・ディヴィニタティス」すなわち神学と対比して問題に下。それゆえ「ストゥディア・フマニタティス」から結果する「人間の尊厳」に関しては、人間としての限りにおける人間の尊厳、言いかえれば世俗的人間の尊厳が問題であることである。第三に「人間の尊厳」の問題は、トリンカウスが指摘しているように、中世における「人間の状態」の問題と関連しており、それゆえ中世的伝統のある概念であって、それにも拘らずルネサンス・ヒューマニストが自分たちの固有の問題として「人間の尊厳」を強調したのには、その概念の中世的伝統以上の何ものかが強調されているということである。」68-69頁
「中世の思想の特徴がもっぱら「世の蔑視」あるいは「人間の悲惨」であって、ルネサンスになってようやく「人間の尊厳と優越」が発見あるいは回復されたとみなす通俗の見解は、誤りであると言わなければならない。つまり、中世の初めからすでに「世の蔑視」は「人間の尊厳」と盾の裏表のように密接に関連づけられて問題にされてきたのである。」87-88頁
「「世の蔑視」の精神は、それゆえ教父の時代とこの修道生活改革時代においてその典型を見出すことができるであろう。それは愛による神との一致の中に最高の人間の尊厳を見出す、禁欲的神秘主義であると言えよう。」89頁

「この「人間の尊厳」観を先ず問題にした代表者のひとりがペトラルカであった。」50頁
「ペトラルカが多くの頁を割いて自然主義的探究に対して「ストゥディア・フマニタティス」(人文学研究)を対立させている」(57頁)
「「新しき人間homo novusなるものは真に存在するか」という問いを発するジュゼッペ・トッファーニンにとって、ルネサンスの人間観を中世の人間観から根本的に区別することは疑わしいことのように思われる。対立は中世の人間観とルネサンスのそれとの間にあるのではなくして、むしろペトラルカが定式化したように、霊魂としての人間の科学(真の知恵つまりフマニタス)と自然としての人間の不毛な科学との間にあるのであり、精神的な価値と科学的な価値との間にあるのである。つまりはアヴェロエス主義的な科学的人間観と、古典文学的人間観との対立が問題である。そしてヒューマニズムは教会と同様にギリシア・ローマ・カトリック的なものとみなされる。」85頁
「死すべき人間にとって自分の生命を受け継ぎながら独立の人格を担った作品を生み出すことは、永遠へ橋をかけることである。ペトラルカはこうして死すべきものと自覚しつつ、「世界内超越」の有意義性を『秘密』のアウグスティヌスに主張して譲らないのである。そしてかかる「世界内超越」こそは、固有の意味でルネサンス的な「人間の尊厳」を特徴づけるものである。それゆえペトラルカは、その詩作を通してルネサンスの地平をひらいたと言いうるであろう。」96頁

ジャンノッツォ・マネッティ『人間の尊厳と優越について』
「ペトラルカにおいては受動的防禦の姿勢で弁明されていた「世界内超越」の思想が、今やマネッティにおいて積極的攻撃の姿勢で宣言される。その意味でまさにマネッティのこの論著は、ルネサンス的人間観および世界観のマニフェストであると言えよう。」101頁
「こうして「世界内超越」による「人間の尊厳」の概念が確立される。ペトラルカにとってこの超越は何より詩的なものであったが、マネッティにとってそれはむしろ道徳的なものである。そして両者の「人間の尊厳」の概念には共通して一種の個人的貴族主義が見られる。「個人的」というのは、「貴族が貴いのは血統による」という考え方ではなく、むしろ「個人的ヴィルトゥvirtuによる」とみなすからである。こうした個人的貴族主義こそは、ルネサンス独自の貴族主義である。」102頁

「フィチーノにおける「人間の尊厳」の問題にとって最も重要なことは、理性的霊魂が自然の初段階を結合するきずなであるということである。」

ディ・ナポリによればバルトロメオ・ファツィオ(15世紀のヒューマニスト)『人間の優越と卓越について』は「修辞学的小論」であり「その作品において、人間の偉大さは、聖書の語っているかの『神の像にして似姿』に関わっていた。反アヴェロエス的命題を強調しながら、ファツィオは、人間はまさに不死ということに関して神に同一視されるのだと言明する。かかる不死ということが、人間のすべての偉大さにとって基本的にして根源的なテーマとして、『霊魂の神性』について語ることを得しめる。」167-168頁

「中世においても近代においても、「人間の尊厳」が問題になったとしてもそれは二義的な意味においてであった。ところがルネサンス・ヒューマニズムにとって「人間の尊厳」はまさに第一義的な主題をなしていた。人間はかれ自信のヴィルトゥ(virtu能力)によって評価され、「より大なる自己の名誉のために」世の中に出ようとした。つまり尊厳の問題は、人間がこの世において自分のヴィルトゥによって凡俗の世間を超え出て永遠の名誉をかち得ることであり、このようにして「世界内超越」の問題であった。」119頁
「このようにしてルネサンスの世界観・人生観は、多少ともベラギウス的異端に近くなり、多少とも主体性を重視する創造的な人間主義となった。」120頁

「古典的精神は、例えばマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で述べられたような精神とは基本的に異なっている。ウェーバーやトレルチの言うように近代文化がルネサンスからではなく、プロテスタンティズムから生まれたとするならば、ひとはなぜ近代文化のもとで人間の自己疎外が展開したのかをよく理解するであろう。」まえがき2頁
「実際、もし人間が神の奴婢であったり、あるいは反対に、ニーチェのいう末人der letzte Menschであったりしたならば、「人間の尊厳と優越」についてどうしてひとは語りえようか。つまりその意味では、中世人も近代人も、「人間の尊厳と優越」について語る資格を喪失していると言えるのではなかろうか。それゆえ、ルネサンスにおける「人間の尊厳と優越」について、われわれは、メディーヴァリストや近代主義者のような超越的な仕方ではなく、ルネサンス文化の固有性に内在的に即しながら再評価することが必要であるように思う。」179頁

 ナルホド、というところだ。

【今後の研究のための備忘録】人格
 ジャンノッツォ・マネッティ(1396-1459)『人間の尊厳と優越について』について述べるところで、「人格」という言葉がよく出てくる。

「それらのうち第一の理由は、初めの三巻で述べられた人間の身体と霊魂の全ての天賦、および全的人間のすべての特権が、あならのまことに気高く見事な人格の中に、いかに豊かに群がり集うているかを、この序文によって示さんとしたことであった、」180頁
「わたしが著作全体を四巻に分けたのは、わけもなく偶然によってではなく、ある独特の特別な考察によってである。すなわち、人体において、次いでその霊魂において、また全人格において、ある程度まで明らかになっている長所の各々をわたしは入念に性格に考察したので(攻略)」181頁
「つづいて、人間の全人格と人間生活について、不名誉なこと、非難さるべきこと、また呪わしいことの理由が、若干の有能な著作家たちによって言及されたことを、手短に考察することへと進もう」186頁

 ここで語られる「人格」が「人間の尊厳」の概念と論理内在的な関係にあるのかどうかは、よく分からない。さしあたって、ルネサンス期に「人格」の用例があることは記憶しておきたい。

【今後の研究のための備忘録】教育機関
 本書の趣旨と直接関係するわけではないが、間接的には実はけっこう重要なことかもしれない。

「マルスィーリオ・フィチーノのアカデミア・プラトニカにしても、いわゆる大学のような教育機関でもなければ、後世の学会のような規則的な集会がなされる公式な機関とも異なっていた。」45頁

 ここから「台頭しつつあった市民階級の人間観を代弁する」(50頁)ものとして「人文学研究(studia humanitatis)」が立ち上がる。「人間の尊厳」の観念が生まれたのは公的な教育機関からではなく、私的な学問サークルのようなものからだった。ルネサンスのいわゆる「人文主義」が、中世大学のスコラ学の外から出てきていることには注意しておく必要がある。日本における鎌倉時代の金沢文庫、近世の伊藤仁斎「古義堂」や本居宣長「鈴屋」を想起していいかもしれない。公的なアカデミアにはない「自由なポイエーシス」から生まれる何ものかがある、ということだ。今のマンガやアニメやゲームのようなものにも、同じような可能性がある。

【今後の研究のための備忘録】子ども観
 本筋とは関係ないが、「子ども観」についてメモしておきたい一文があった。

フィチーノの「「人間性について」と題されたトンマーソ・ミネルベッティに宛てた手紙においては、「子供たちが老人たちよりも、狂人たちが賢明な者たちよりも、愚鈍な者たちが才能のある者たちよりも、なぜいっそう残酷なのであるか。なぜなら、前者は他の者たちほど言わば人間でないからである。」」109頁

 「子供たち」が「人間でない」ということで、身も蓋もない。

佐藤三夫『イタリア・ルネサンスにおける人間の尊厳』有信堂高文社、1981年

【要約と感想】稲葉一将・稲葉多喜生・児美川孝一郎『保育・教育のDXが子育て、学校、地方自治を変える』

【要約】教育DXによって学校や地方自治が変わりそうですが、「悪い意味」で変わるということなので、気をつけて下さい。命令・強制型の権力から監視・管理型の権力に切り替わる際に鍵を握っているのが、DXという技術なのです。

【感想】タイトルだけ見て、教育DXのポジティブな可能性について書かれた本だと思っていたら、中身はまったく反対だった。世の中が危険な方向に進んでいることを警告する本だった。
 本書には「フーコー」という人名は出てこないものの、ポイントはやはりフーコーの言う生・権力の要としてDXという技術が活用される、ということだと読んだ。命令・強制型の権力を維持すしようとすると、どうしても警察・軍隊のような暴力装置や大規模な官僚組織などのメンテナンスに莫大な維持費がかかる。これが監視・管理型の権力になると、一気に官僚組織をスリム化できて、低コストでの体制維持が可能となる(ように見える)。学校スリム化に見られるような公教育を解体しようとする意志も、根底にある欲望はこれだ。そしてDXは、これらを一気に実現するような技術に見える。本書は、生・権力の欲望のありかと、欲望を支える技術の仕組みを示そうと努力している。

【今後の研究のための備忘録】人格
 読む前の安易な予想を裏切り、「人格」に関する言質をたくさん得た。

「2006年に全部が改正されたとはいえ、教育基本法は、「個人の尊厳」(前文)や「人格の完成」(1条)といった旧教育基本法(1947法律第25号)の性格を特徴づける文言を、そのまま維持しています。明治期の君主制国家が臣民を教育したのとは逆で、「個人」単位でその「人格」を尊ぶというのが、日本国憲法や教育基本法の「精神」でしょう。大量の「教育データ」が連携されることで、保育期以降の「こども」の像や類型が、徐々に精緻なものとして形成されるようになれば、「個人」であるはずの子どもが「データ連係」によって形成された「こども」に適合するように「転形」しかねません。これを、教育基本法1条が定めているような「人格の完成」のための教育といえるのか否かが、これから問われてきます。」42-43頁、稲葉一将執筆部

「しかし、残念なことに、この報告書は、全体としては経産省の政策構想に対抗できるような内容にはなっていません。それは、報告書のタイトルに「教育」ではなく(ましてや、教育基本法第1条が掲げる「人格の完成」でもなく)、「人材育成」という用語、しかも、Society5.0という特定の社会に向けた「人材育成」という表現が採用されていることに象徴的に示されていると言えます。つまり、ここでの教育は、子どもたちの「人格の完成」という教育独自の目的や価値を持つものではなく、特定の社会の実現のための手段に成り下がっているのです。」77頁、児美川執筆部。

 個人的な感想から言えば、「人格の完成」の理念は1970年代後半には既に失われている。現在のOECDが言うような「エージェンシー」に夢中の人々は、「人格の完成」などに見向きもしない。というか、内容に対する無理解以前の話として、そもそも理解しようとする関心や意欲すらないように見える。重要なのは個人の「能力」の開発であって、「人格」という概念がそこに介在する余地は一切ない。仮に彼等が「人格」という言葉を使っていても、それは教育基本法が言う「人格」という概念にはかすりもしていない。本書が言う教育DXに関わる人々も、いちおう「人格」という言葉を使う場面もないこともないが、その意味内容は空疎で、「個々の能力を束ねる主体」程度のことしか言っていない。上記引用部が危惧することは、まさにその通りに実現してしまうだろう。「人格の完成」とはまったく無関係のところで、粛々と教育DXは進むのだろう。そして、それが「悪いこと」かと聞かれれば、まあ、特に「悪いこと」ではないと言うしかない。そういう時代ということに過ぎない。
 ただ個人的には、何も考えずこういう時代風潮に流されるのは気持ち悪い、とは思うのであった。

稲葉一将・稲葉多喜生・児美川孝一郎『保育・教育のDXが子育て、学校、地方自治を変える』自治体研究社、2022年

【要約と感想】金子晴勇『エラスムスの人間学―キリスト教人文主義の巨匠』

【要約】エラスムスは16世紀を代表する人文主義者で、確かに人間の尊厳を大事にしつつ、ギリシア・ラテン古典とキリスト教を統合しようと試みますが、17世紀以降の啓蒙主義と比較するとキリスト教に軸足を置いているところが決定的に異なっており、本書では敢えて「キリスト教人文主義」と呼びます。
 エラスムスが後の時代へ与えた影響を考える際、ルターとの違いが決定的に重要です。エラスムスは文献学者として聖書テキスト批判を通じスコラ神学を相手に宗教改革の精神を準備し、ルターとも通じるものがありましたが、穏健なエラスムスと苛烈なルターは袂を分かたざるを得ません。エラスムスは神律の範囲内と断りつつ人間の自由意志を尊重する一方で、ルターは断固否定します。それは古代のアウグスティヌスとペラギウスの間で行なわれた論争を引き継いでいますが、17世紀啓蒙主義以降では人間の自由意志が無制限に尊重され、それがむしろ逆に不幸を招き寄せることになります。

【感想】とてもおもしろく、勉強になった。
 著者がアウグスティヌスとルターの専門家としてキリスト教神学の要点を押さえているところが、エラスムスを理解するうえで極めて重要だった。エラスムスの『痴愚神礼賛』も『自由意志論』も、やはり人文知の観点からのみ理解しようとする態度は片手落ちの謗りを免れず、キリスト教神学の土台を踏まえた上で読み込む必要があることを痛感した。
 その理解の上で、著者が16世紀ルネサンス期と18世紀啓蒙期を明確に区別していることを承知できる。著者の見解によれば、16世紀ルネサンス期には人文主義とキリスト教神学はそんなに離れていなかった。具体的には、エラスムスはあくまでもカトリック教義の枠を踏まえて、人文知とキリスト教を統合しようと試みた。14世紀のペトラルカもまた同様。だから本書のタイトルにも「キリスト教人文主義の巨匠」というサブタイトルがついている。しかしルターによって宗教改革が開始された後は、人文主義とキリスト教がみるみる分裂していく。物別れのポイントは「自由意志」の位置づけにある。エラスムスが自由意志の存在意義を(最小限度に限るにしても)認めたのに対し、ルターは徹底的に否定しにかかる。その結果、100年以上を経た18世紀啓蒙期には、人文知は神様抜きで「自由意志」を語るようになる。逆に言えば、エラスムスは「神様抜きの自由意志」の萌芽であったとしても、彼自身にはそういう意図はまったくない。ルネサンスは、未だ中世に属している。

【今後の研究のための備忘録】人文主義の位置づけ
 「人文主義」とは、乱暴に言えば、中世に忘れ去られていた古代ギリシャ・ラテンの知恵を学んで甦らせようという知的ムーブメントだ。それが政治的・宗教的なスキャンダルになってしまうのは、この古代ギリシャ・ラテンの知恵が無色透明の中立的な知ではなく、キリスト教とは相容れない多神教の異端という点にある。だからキリスト教保守派は、異端の匂いがする古代ギリシャ・ラテンの知恵そのものを排除しようとする。その動機は単純明快で、よく分かる。
 しかし逆に、古代ギリシャ・ラテンの知恵をキリスト教に結び付けようという人文主義に共通する知的行為を成立させるためには、単純明快とはいかず、アクロバティックなこじつけを必要とする。こじつけのロジックを放棄したときに、人文主義は容易にキリスト教から乖離し、「神様ぬきでの人間」を語り始めることになる。
 エラスムスは、この難解なこじつけのロジックを放棄せずに、人文主義とキリスト教を統合しようと試みた、最後の世代に当たるようだ。最後の世代とは、その直後からキリスト教が宗教改革によってまったく新しいステージに突入することになるからだ。宗教改革によって、人文主義はキリスト教のロジックから切り離されていく。
 こうしてみると、ルネサンスだけでも近代は訪れないし、宗教改革だけでも近代を招来することはできない。両方の合わせ技によって18世紀啓蒙主義が用意されたことが理解できる。勉強になってナルホドと思ったところを以下に引用しておく。

「エラスムスの決定的に重要な特徴点は、人文主義の方法をキリスト教神学に適用し、両者を統合したことであり、さらにそれによって神学における根本的変革を創造したことに求められる。この統合過程はペトラルカにはじまりエラスムスにおいて完成する。それはキリスト教的人文主義に結晶した思想として提示されている。」15頁
「この人文学[イタリア・ルネサンスの新しい人文学]の復興こそエラスムスの生涯にわたって遂行された事業であったが、そこには新しい人間観が誕生してきていた。この人間観は、この時期の全過程を貫いている共通の主題で表現すると、「人間の尊厳」(dignitas hominis)であると言うことができる。ルネサンスは最初14世紀後半のイタリアに始まり、15世紀の終わりまで続いた文化運動である。」22頁
「こうした状況にもかかわらず、わたしたちがルネサンス思想を全体として考えるならば、それは中世思想よりもいっそう「人間的」であり、いっそう「世界的(世俗的)」であったといえよう。」23頁
「彼[ペトラルカ]の人間の尊厳についての論考はルネサンスにおけるこの主題を先取りするものであった。」26頁
「[ピコの言う]世界を超えて無限に上昇しようとする魂の運動は近代的主体性の根元に見られるものであり、一方において神性の意識を生みだし、他方において自律的な自由意志を確立して来たものである。」39頁

エラスムスとルターの訣別とを以て、「ここに人文主義と宗教改革の二つの運動の統一は最後の可能性を失い、分裂する。その結果、人文主義はキリスト教的宗教性を失って人間中心主義に変質する道をとりはじめ、他方、宗教改革も神学という狭い領域に閉じこもり、ドグマティズムによって人間性を喪失する方向を宿命的に辿らざるをえなくなった。」201頁
「ルターはエラスムスが力説する「人格の尊厳」(dignitas personae)は恩恵による義と矛盾するので、神の前には通用しないという。ルターは人間のdignitasではなく、「神の荘厳」(majestas Dei)の前に立っている。二人の間の論争は実にこの二つの存在の関係を明らかにするものであるが、そこには人間性の偉大さと卑小さ、栄光と悲劇が語られているということができる。」224頁
「ルターはノミナリズムのビールの神学のなかに育ち、このセミ・ペラギウス主義を批判的に超克することによって宗教的な高次の自由に到達した。この自由は罪の奴隷状態からの解放を内実にしているため、献身的に隣人に奉仕する強力なエートスを生みだしていった。他方、エラスムスは人文主義を土台にして新しい神学を形成し、人格の尊厳のゆえに神と隣人とに向かいうる主体的自由と責任、およびそこから生じる実践的倫理の確立の必要を説いた。しかし両者とも神への信仰によって人は根源的には自律しうることを徹底的に信じていた。そこに「神律」(Theonomie)の立場が共有されており、自由意志を最終的に「恩恵を受容する力」として把握していた。ここに近代自由思想の共通の源泉が見えてくる。自由は神律においてはじめて可能である。これこそノミナリズムの自由論が哲学的な「偶然性」に自由の源泉を求めたのとは異質な、もう一つの源泉であり、二つの流れが合流することによって近代の自由思想の源流が形成されるのである。」240-241頁
「ここには人文主義に固有なヒューマニズムにまつわる問題が剔抉されたことによって、古代から現代にいたるヒューマニズムの歴史は、真に意義深い決定的瞬間に到達したといえよう」273頁
「エラスムスは自律を可能とみる理想主義者である。このような自律は近代的な自主独立せる個人の特徴であって、カントの倫理思想において最終的に確立されるに至った。」276頁
「すでに明らかにしたように、神の恩恵は人間の自由意志を助けてよいわざを実現させると説いて、少なくとも最小限において人間の主体性は肯定されていた。それゆえ神中心的と称された彼のヒューマニズムは、やがて人間中心的ヒューマニズムとして18世紀啓蒙主義の思想を生んでゆくことになる。」278頁

 上記引用部で個人的に気になるのは、やはり「人格の尊厳」というものが浮上してくる経緯だ。エラスムスの段階では既に人文主義の文脈で洗練されており、浮上のポイントはもっと前、ペトラルカ、ヴァッラ、ピコ、フィチーノが鍵を握っている。だとすればやはり古代ギリシャ(特にプラトン)の異教的な知恵が決定的な意味を持つことになる。
  しかし一方で、人文主義とはまったく関係なく、キリスト教の三位一体の教義から「人格の尊厳」が浮上してくると言う人もいる。果たして異教的センスが外から加えた圧力が重要なのか、それともキリスト教神学の内側から盛り上がるエネルギーが重要なのか。ともかく、論点は絞られてきたような気もする。
 個人的に思うところでは、古代ギリシャ・ローマの知恵とキリスト教の教えを統合することはむちゃくちゃアクロバティックな無理難題にしか見えないのだが、その無謀を可能にするロジックの要に来るのが「人格の尊厳」という観念ではないだろうか。人文知とキリスト教を統合しようとすればするほど、その無理無茶無謀でアクロバティックな知的行為の過程から「人格の尊厳」なるものが剔抉されてくるのではないだろうか。だとすれば人文知とキリスト教のどちらかに「人格」の種のようなものがあると決めつけるのは悪手で、実は両者をむりやりすり合わせているうちに隙間から立ち上がってきたと考えるべきものではないだろうか。

【今後の研究のための備忘録】自由意志に関する論争の歴史
 おそらく著者の別の研究所で詳述されているのだろうが、自由意志に関する論争の歴史が簡潔にまとめられていて、勉強になったので、引用して忘れないようにしておく。

「近代以前においては人間的な自由は主として「自由意志」(liberum arbitrium)の概念によって考察されてきた。それはアウグスティヌス以来中世を通して哲学と神学の主題となり、とくに16世紀においては最大の論争点となった。今日では自由意志は選択意志として意志の自発性のもとに生じていることは自明のこととみなされる。この自発性についてはすでにアリストテレスにより説かれており、「その原理が行為者のうちにあるものが自発的である」との一般的命題によって知られる。そして実際この選択意志としての自由意志の機能を否定する人はだれもいないのであって、「奴隷意志」(servum arbitrium)を説いたルターでもそれを否定してはいない。
 では、なぜペラギウスとアウグスティヌス、エラスムスとルター、ジェスイットとポール・ロワイヤルの思想家たち、さらにピエール・ベールとライプニッツといった人々の間で自由意志をめぐって激烈な論争が起こったのか。そこでは自由意志が本性上もっている選択機能に関して争われたのではなく、自由意志がキリスト教の恩恵と対立的に措定され、かつ恩恵を排除してまでもしれ自身だけで立つという「自律」の思想がこの概念によって強力に説かれたからである。こうして自由意志の概念はほぼ自律の意味をもつものとして理解され、一般には17世紀まで用いられたが、やがてカントの時代から「自律」に取って換えられたのである。
 近代初期の16世紀ではこの自律の概念は、いまだ用語としては登場していないけれど、内容的には「恩恵なしに」(sine gratia)という表現の下で述べられていたといえよう。ところで、このように恩恵を排除した上で自由意志の自律性を主張したのはペラギウスが最初であった。」284-285頁

 やはり16世紀ルネサンスの段階と18世紀啓蒙主義の段階で、自由意志に関する態度も根本的に違うことが分かる。そしてその分岐点に立つのがエラスムスとルターだということも分かる。個人的には明解な見取り図であるように思えるので、しばらくはそういう歴史観で以って勉強していく所存。

【今後の研究のための備忘録】
 ほか、気になる記述が散見されたのでメモをしておく。

「エラスムスにはホッブズの社会契約という思想は未だ認められていないが、それに近い思想が芽生えている。」248頁

 私の理解では、いわゆる「社会契約」という思想は古代ギリシアのエピクロスに既に見られる。そしてエラスムスはエピクロスに関して様々な言及をしている。だとすれば、著者がエラスムスに感じた社会契約に近い思想とは、エピクロスからもたらされている可能性はないか。

「エラスムスは君主たちが臣下の民族意識を利用して戦争を企てていることに気付いてた。パウロはキリスト者の間に分離の生ずることを望まなかったが、問題は民族感情である。」263頁「「私たちがトルコ人と呼んでいる人々の大部分は、半ばキリスト教徒と称してもよく、あるいはむしろ、わたしたちの大部分以上に、真の意味でのキリスト教のそば近くに位置するかも知れない」」267頁

 確かにエラスムスは著書のそこかしこでヨーロッパ各国の民族的な特徴をあげつらって記述していて、興味深い。民族性の自覚は主権国家の成立以後のことと言われる場合があるが、実はエラスムスの生きていた時代に既に民族感情がかなり明確に自覚されていたことが分かる。
 いっぽう、トルコ人に対する記述も、特にエラスムスが生まれる直前にトルコがビザンツ帝国を滅ぼしているという事情を考え合わせると、たいへん興味深い。滅びたビザンツ帝国からギリシア人学者がヨーロッパに流入してきたおかげでヨーロッパ全体の人文学の水準が上がったことは周知のとおりだ。ただしエラスムスがトルコ人やビザンツ帝国をどう思っていたかは、私の乏しい読書の範囲ではほとんど出てこない。なんとも思っていなかったという可能性もあり得るか。たとえば、同時代のヨーロッパは新大陸発見で沸き上がっていたはずなのだが、その痕跡がエラスムスにまったく見られないのはどういうことか。

「エラスムスはもう一つの例をあげて説明する。それは妻に対する愛で、三つに分けられる。(1)名目上の愛。妻であるという名目だけで愛する場合には異教徒と共通したものである。(2)快楽のための愛。これは肉をめざしている。(3)霊的な愛。」94頁

「愛」は、言うまでもなく、アウグスティヌス以来の伝統を誇るキリスト教神学の中心テーマだ。御多分に漏れずエラスムスも言及していたという事実は覚えておきたい。

金子晴勇『エラスムスの人間学―キリスト教人文主義の巨匠』知泉書院、2011年