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【要約と感想】リチャード・E・ルーベンスタイン『中世の覚醒』

【要約】ヨーロッパの中世は暗黒時代などではありません。カトリック教会が科学を弾圧したというのは皮相的な見方で、近代の科学的思考を準備したのは信仰と理性を調和させようとした神学的営為です。
 12世紀にアリストテレスの思想が再発見されたのは偶然ではありません。ヨーロッパの知的水準がアリストテレス思想を受容する用意が調ったのが12世紀ということです。中世のアウグスティヌス、アベラール、カタリ派異端、トマス・アクィナス、オッカム、エックハルトなどが、それぞれ固有の課題を持ってアリストテレス思想を受容したり対峙したりしながら、西洋中世は一貫して信仰と理性を協調させるべく科学的・合理的な思考様式を鍛え上げていきます。
 しかし近代の入口で、資本主義的価値観を正当化しようとしたトマス・ホッブズのような人物がトマス・アクィナスと共にアリストテレスを葬り去ることによって、中世の知的営為が忘却され、理性と信仰が分離し、西洋中世は暗黒時代と見なされるようになります。しかしいま再び、理性と信仰の統合について創造的な仕事が求められています。

【感想】章ごとに主人公が交替していくが、どの章も活き活きと個性が描かれた主人公と非凡なライバルとの対決が非常にエキサイティングで、おもしろく読んだ。それぞれの章(時代)に固有の課題が簡潔かつ明確に示されつつも、最初に提示されたモティーフが最後までブレない一貫して筋の通ったストーリーで、最後まで飽きずに読みとおせる。言ってみれば「ジョジョの奇妙な冒険」の第一部から第八部までのおもしろさに通じるような、この種の本としては異例のエンターテイメント性を備えているのではないか。(だから逆に言えば、純粋な学術的にはそういう部分をさっ引いて判断しなければならない)。

 ドミニコ会とフランシスコ会の違いとその間の確執については、とても勉強になった。それぞれの会派については摘まみ食いしていてなんとなくイメージはしていたのだが、そのライバル関係について時代背景も含めて具体的に記述している文章は実は初めて読んだ。勉強になった。

 ただし専門的に気になるのは、エピクロス派の扱いだ。本書は後の近代科学に連なる思想の源泉を全てアリストテレス(およびそれに対する反応)に帰しているが、私としてはエピクロス派の唯物論と社会契約論の思想の方が遙かに近代的な発想に類似しているように思っている。実際にルネサンス期にはエピクロス派のルクレーティウスの本がよく読まれている。アリストテレスやトマス・アクィナスを葬ったとされているトマス・ホッブズの社会契約論は、エピクロス派の思想に影響されているかもしれない。エピクロスやルクレーティウスに言及しないで科学的思考の展開を説明しきるのは、少々乱暴のような気はする。
 まあ本書は明らかに、現代の新自由主義的思想が公共性の基盤を掘り崩している危機的な現状を、近代の自由主義的思想(ホッブズが代表)が公共性の基盤(トマス・アクィナスが代表)を掘り崩した過去になぞらえ、読者に警告を発することを隠れテーマとしているので、エピクロス派を無視するのも勉強不足ではなく意図的な戦略なのだろう。

【個人的な研究のための備忘録】集合的人格と個性と三位一体
 一人一人の人格を超えて集団があたかも一つの人格を構成するような集合的人格(エヴァンゲリオンの人類補完計画のような)について言及し、さらにそこから「個性」が剔出される過程を描いていて、私のライフワークにダイレクトに関わる話をしていたので、サンプリングしておく。

「ここに至って、中世ルネサンスの思想家たちが普遍論争にあれほど熱中した理由が明らかになってくる。中世以前のキリスト教徒は自身を一つの人種――単なる生物学的な種ではない道徳的な種――のメンバーとみなすよう、教えこまれていた。この種はその霊においても運命においても完全に一体化しているので、彼らの始原の父母であるアダムとイヴが犯した罪を一人一人の人間が直接負っている。「真実在」の普遍たる人間という観念は、一人一人の人間の違いは本質的でも重要でもなく、場合によっては救済の障害にさえなることを、暗に意味していた(中略)。ヨーロッパの伝統的な社会体制も、個人を軽視する傾向を助長した。なぜなら、ある人物の個性など、彼または彼女が農民や聖職者や貴族等の社会階層のいずれに属しているかということに比べれば、取るに足りないことだったからだ。ところが、いまや、古代のプラトン主義の氷が溶け始めたのだ。大多数の人々は依然として、いかなる世襲グループに属しているかによって限界づけられていたとしても、一部の人々は従来の枠組みから脱け出そうとしていた。放浪する学者やトルバドゥール、貿易業者や十字軍兵士、巡歴説教師や地方から都市に移住する人々――これらすべての人々が、新しい意識を育みつつあったのだ。そう、いかなる階層に属していようと、重要なのは自分の個性なのだという意識を。」205-206頁

 そしてこの記述からすぐさま「三位一体」の話に繋がっていく。

「キリスト教の神はただ一つのペルソナではなく、父と子と聖霊という三つのペルソナを有しているが、中世ルネサンスの人々はその三つのペルソナすべてに熱烈な関心を寄せていた。創造主としての神はあまりに神秘的で想像を絶していたとしても、十二世紀のキリスト教徒は父なる神に正義を期待した。彼らは子なる神を愛し、あたかも彼らが磔刑に処せられたばかりであるかのように、彼のために悲しんだ。そして、すでに始まっている偉大な復活を象徴する聖霊、すなわち慰め主に彼らの望みを託したのだ。」207頁

 非常に興味深い。ただし、三位一体の思想が「個性」という観念の源であるとまでは言っていない。坂口ふみ『〈個〉の誕生―キリスト教教理をつくった人びと』は三位一体の思想に対する神学的な深まり(4~6世紀)が「個」の誕生にとって決定的に重要だったと説いているのだが、本書ではむしろ十二世紀の社会的・経済的変動を重要な背景と考えているようだ。その意味では阿部謹也『西洋中世の愛と人格―「世間」論序説』が個性誕生の瞬間を13世紀に見ている見解に近いのかもしれない(ちなみに阿部もキリスト教の三位一体が個の思想誕生にとって重要な背景だと示している)。
 このあたり、本書の論理展開は残念ながらあまり明快ではない。アベラールにとって三位一体思想がどういう意味を持っていたかは詳細に追究されるものの、西洋の「個性」という観念とどう絡むかについてはそれほど深掘りしてくれていないのだった。まあ、それが中心的なテーマというわけではないので、ないものねだりではある。

【個人的な研究のための備忘録】光
 キリスト教における「光」についての言及が気になった。というのは、コメニウスの教育思想の理解に関わってくるからだ。

「ベーコンをはじめとするフランシスコ会士にとって、超自然と自然とを結ぶ架け橋、宗教的経験の領域と科学的実験の世界とを結ぶ架け橋は「光」だった。(中略)「あらゆる哲学の精華」たる数学という鍵によって鍵を開かれる宝の箱は――のちに光学と呼ばれるようになるが――ベーコンの時代には「遠近法」と呼ばれていた光の科学だったのだ。」325-326頁
「ドミニコ会から見てもっと重大な問題点は、フランシスコ会士による光の霊化がはなはだしく時代に逆行していることだった。この点でフランシスコ会はアリストテレスから大きく後退していた。アリストテレスは光をある種の実体の特性とみなすにとどまり、純粋な形相とか霊とはみなしていなかった。ましてや光を、光ほど霊的でない自然の事物を動かす力とはみなしていなかった。アルベルトゥスとその若き盟友のトマス・アクィナスの見るところでは、光を普遍的な原因とみなす理論は――しょせん実験や観察によって立証できない神秘主義的な信念に過ぎないがゆえに――科学的営為を個々の原因を探求するものから、超自然的な相互関係を試作するものへと変容させてしまった。彼らはまた、人間の知解は神の「証明」によってもたらされるという説にも同意せず、それはむしろ、創造者が人間に天賦の能力として授けた理性によってもたらされると主張した。ロジャー・ベーコンらフランシスコ会士に属する教師たちは、アリストテレスの著作を講義し、アリストテレスの用語によって彼らの理論を構築した。けれども、彼らがよって立つ基盤は新プラトン主義的な神秘主義であり、それは物質と霊という時代遅れの区別を復活させた。」328-329頁

 コメニウスの活躍した時代はこの記述から400年ばかり遅れることになるが、ロジャー・ベーコン(およびフランシスコ会士)の言う「光」の論理は即座にコメニウスを想起させる。あるいは、コメニウスが関わっていたとされる薔薇十字会は、フランシスコ会士ロジャー・ベーコンの「錬金術」と「占星術」から影響を受けていることも分かっている。コメニウスはヤン・フスの系列に連なる神学者としてプロテスタントに位置付けられているが、実はその神学がフランシスコ会士のような修道思想(あるいはさらに東方キリスト教)に由来する何かだったりする可能性はあったりしないか。

【個人的な研究のための備忘録】ヨーロッパ中心主義
 自文化中心主義とトマス・ホッブズの位置づけには、なるほどと思ってしまった。ホッブズを読む時には、この観点を忘れないようにしたい。

「自文化中心主義者というものはそのタイプを問わず、おのれが属している文明は、その一部たりとも「ほかの文明」の思想の産物ではなく、完全に独力で創造されたと信じたがるものだ。アリストテレス革命を歴史から抹殺することは、西欧文明がより進んだイスラーム文明から非常に大きな恩恵を受けたという事実を隠しおおす役に立つ。だが、過去を抹殺することは、そのほかにもさまざまな形で、ヨーロッパの新しい時代のリーダーたちを利していたのだ。アリストテレス主義的キリスト教は、カトリック教会の権力を粉砕し、教会による教育資源の独占を終わらせたいと願うものたちすべてにとって――すなわち、国民国家の世俗統治者や、改革派教会の指導者や、新興の実業家階層や、科学を重視する知識階級にとって――大きな障害だった。だが――ここが当惑を禁じえないところなのだが――これらのエリートたちが排除しようとしていたのは、カトリック教会の政治的・組織的権威そのものではなく、カトリック教会が自然法や「正義の戦争」という類の概念を用いて繰り返し人々に教えこみ、押しつけようとしてきた道徳的な束縛だったのだ。」478-479

 この記述は、明らかに現代の状況とシンクロしている。16世紀にはナショナリストと自由主義者が結託して教会の排除に動いたが、現代ではネオ・ナショナリストと新自由主義者が結託してリベラルの排除に動いている。おそらく私の深読みではなく、著者がだれにでも分かるようなアナロジーとして強調して書いている。まあ、そういう政治的意図を抜きにしても、西欧の歴史(あるいは日本の歴史も)を正確に理解する上で「自文化中心主義」のバイアスをかいくぐる技術が重要であることは間違いないだろう。

リチャード・E・ルーベンスタイン『中世の覚醒―アリストテレス再発見から知の革命へ』ちくま学芸文庫、2018年<2008年

【要約と感想】ウィンストン・ブラック『中世ヨーロッパ―ファクトとフィクション』

【要約】中世ヨーロッパに関して、誤解と偏見に満ちた大間違いのイメージが広く流布しています。しかし人が言うほど中世ヨーロッパは「暗黒時代」ではありません。何が真実の中世ヨーロッパだったのか、一次史料を踏まえてお見せしましょう。

【感想】ことさらカトリックを貶めてやろうとするプロテスタントや啓蒙主義者によって中世ヨーロッパの姿が酷く歪んで喧伝されたのは、日本においても明治政府が徳川幕府をことさら貶めてやろうと過剰に「士農工商」や「鎖国」を強調したのと同じ力学が働いている。
 しかし事態がややこしいのは、確かに一方に中世をこき下ろす主張があるのに対して、過度に中世を持ち上げる主張もあるところだ。本書の解説でも指摘されているが、本書の著者が中世研究者ということもあって、筆が滑っているところが実際にあったりする。本書に限らず、たとえばルネサンスをどう評価するかという問題でも、中世を賛美する論者は中世からの連続性を強調するし、近代を賛美するものは中世との断絶性を強調する。ドイツ法学の世界でも、古代との連続性を重視するローマ派と、中世との連続性を強調するゲルマン派があったりするのを連想する。
 もちろん日本でも、江戸時代に対する評価は、そのまま近代の連続性と断続性のどちらを重視するかという立場の違いに直結するし、それはそのまま日本資本主義発達段階をどう理解し、現実の課題をどう設定するかというお馴染みの問題へと連なる。
 ともかく、歴史のストーリーをどう描くかという立場に様々あれども、まず一次史料を押さえておくことの大切さが極めてよく伝わってくる本だった。

【個人的な研究のための備忘録】ルネサンスとペトラルカ
 ルネサンスとペトラルカについての言及をサンプリングしておく。

「中世を歴史上の一時代と特定することは、ヨーロッパの思想家たちが、遠く離れたギリシアやローマの過去に高い価値を置き、自分たちの生きる時代や直近の時代をさかんに貶すことではじめて可能になった。これが生じたのは、十四世紀と十五世紀のイタリアにおいてである。この時代はやがて、古典文化の「再生」を成し遂げたとみなされる「ルネサンス」として知られるようになった。この歴史区分を行った最初の著述家の一人はフランチェスカ・ペトラルカである。」23頁

 日本で言うと本居宣長のような人を想起させるような話ではある。

ウィンストン・ブラック『中世ヨーロッパ―ファクトとフィクション』大貫俊夫監訳、平凡社、2021年

【要約と感想】渡辺一夫『フランス・ユマニスムの成立』

【要約】人々が本質を見失って人間性を喪失しそうになるとき、ユマニスムは「それは人間であることと何の関係があるのか?」と問います。その営みが始まったのはフランスでは16世紀のことで、当初はキリスト教の本義から外れて枝葉末節にこだわる形式主義的な儀式や議論に対して発する「それはキリストと何の関係があるのか?」という問いでした。その問いはギリシア・ラテンの古典語・古典文学の研究によって洗練され、必然的に旧態依然のローマ・カトリック教会に対する批判となり、宗教改革と密接に結びつきます。しかしカトリック批判が先鋭化した結果、むしろ宗教改革側のほう(特にカルヴァン)が当初の目的を見失って本義から外れてしまい、「それはキリストと何の関係があるのか?」という問いがブーメランのように返ってくることになりました。ユマニスムと宗教改革は袂を分かつことになりますが、それは常に批判されるべき対象に「もっと……であるように」「もっと……でないように」と臨み続けるユマニスムの態度がもたらす必然的な帰結です。

【感想】ルネサンス期の人文主義について深めようと思って本を探したわけだが、イタリア(ペトラルカ、ダンテからピコあたり)や北方(エラスムスやトマス・モア)に関しては最近の文献が出てくるものの、フランスに関しては65年前の本書が筆頭に上がってくる。少し後のラブレーやモンテーニュに関しては深まっている様子が伺えるが、16世紀初頭(ビュデなど)の研究については時間が止まっている感がある。(まあ専門的な論文は出ていて、私が知らないだけなのだろう……。)
 まあ、本書はとてもおもしろく読めて、人文主義と宗教改革の関係についてそうとう分かった気にさせてくれた。人文主義がカトリックを批判することで宗教改革が始まったものの、宗教改革がやりすぎてしまったことで今度は逆に人文主義が宗教改革を批判し始める、という構図。これは残念ながら現代にも当てはまる構図のようにも見えてしまう。たとえばリベラリズムとポリティカル・コレクトネスのような。(まあ本書が書かれた1950年代後半の当時は、60年安保闘争も絡んで、まさに資本主義とマルクス主義の対立が念頭にあったのだろう)。そういう観点からは、ルネサンス期のユマニスムは中道右派的な位置を占めていたということかもしれない。だから左派(カルヴィニスト)からも右派(カトリック)からも批判され、敵と見なされる。本書が強調する「もっと……であるように」という言葉は、頑迷な教条主義に陥らないための呪文のようなものなのだろう。

【個人的な研究のための備忘録】ユマニスムとルネサンス
 ユマニスムがルネサンス期に成立したかどうかについて、奥歯にものが挟まったような慎重な言い回しに終始しているが、それだけ繊細な話題ということだ。浅学の徒としては、断片的な知識でいい加減なことを言ってはいけない領域だという警戒感を持っておくことにしたい。

「フランスにおいてユマニスムという語は、ルネサンス期にはなかったけれど、この語の内容となる思潮乃至態度は存在していたし、この思潮乃至態度は、それ以前の中世から糸を引くとは言え、ルネサンス期になると、既に近代的な意味内容を、即ち近代用語であるユマニスムという語の内容を持っていた」1頁
ユマニスムは、先に記した通り、ルネサンス期以前の中世から糸を引く思潮ではあるが、単なる”古典語・古典文学の研究”以外の目的と意識とを、ルネサンス期に、新たに獲得したとは言えないまでも、改めて鮮やかに自覚したように思われる。」2-3頁

 個人的な研究の関心では、「人格」とか「個性」という概念が浮上してきたかどうかが問題となる。ルネサンスの文脈では「人間の尊厳」の概念が極めて重要だ。本書は慎重な言い回しに終始しているものの、この「人間の尊厳」という観念がルネサンス期にほぼ近代的な意味内容で登場してくることを仄めかしている。碩学が到達した境地として尊重したいと思う。

【個人的な研究のための備忘録】ルキアノスとエピクロス

「カルヴァンは、更に、”ルキヤノスやエピクロスの徒、即ち、神を蔑ろにする人々は悉く、福音に従うふりをしながらも、その心中に於いては、これを侮り、寓話ほどにもこれを重要視していないが、私は、ここでこのような連中について語ることを欲しなかった”と記している。このルキヤノスやエピクロスの徒とは、誰のことを指すものか不明ではあるが、この”連中”のなかに、フランソワ・ラブレーが這入っているのではないかという推定がなされている。」159頁

 ルキアノスはローマ帝政期の風刺作家で、現代では名前を聞くこともあまりないが、ルネサンスの当時はエラスムスやトマス・モアにも極めて甚大な影響を与える人気作家だったらしい。ここでカルヴァンがエピクロスと並べて名前を挙げているのは、けっこう気にかかる。エピクロスは現代では単なる快楽主義者として知られているが、中世では唯物主義の無神論者として最大限の警戒が向けられていたはずだ。エピクロスは素朴な形ながら社会契約論のアイデアも示していて、後のフランス革命のことを視野に入れると、かなり重要な役割を果たしていた可能性を考慮する必要がある。

渡辺一夫『フランス・ユマニスムの成立』岩波書店、1958年

【要約と感想】チョーサー『カンタベリー物語』

【要約】カンタベリー大聖堂へ向かう29人の巡礼者(著者チョーサーもそのうちの一人)が、宿屋の主人の提案で、道すがら持ち回りで物語を話すことになりました。騎士や僧侶や粉屋や大工や貿易商や医者や錬金術師など、様々な立場のキャラクターが、下品な話からお上品な話まで、バラエティーに富んだ話を語ります。大聖堂に着く前に未完。

【感想】14世紀後半の作品ということで、その頃既にフィレンツェにはダンテ『神曲』(14世紀前半)とボッカッチョ『デカメロン』(14世紀中盤)が現れている。本書にもその影響が見て取れる。というか、チョーサーはイタリアに旅行して、ダンテやボッカッチョから影響を受けていることが明らかになっているようだ。ということもあるのだろう、デカメロンで最もムカついた話(貞淑で敬虔な妻を夫が試す話)がこっちにも再録されていて、同じようにムカついたのであった。ちなみに本書ではボッカッチョではなく、ペトラルカから聞いた話ということになっている。

 まず気になるには、『デカメロン』と『カンタベリー物語』は枠物語としては似たような形式を持ちつつ、作品から受ける印象がかなり違っているところだ。
 まず『カンタベリー物語』のほうが、話者のキャラクターが圧倒的に立っている。『デカメロン』のほうは話者によって話の内容が変わることはない。そもそも個性が際立つキャラクターが設定されていない。誰が何を話しても特に違和感はなく、似たようなテイストの話が100話並んでいるに過ぎない。ところが一方『カンタベリー物語』のほうは話者のキャラクターが極めて個性的に作られていて、話の内容もキャラクターに関連して設定されている。だから『デカメロン』の方は「枠」が形式的に設定されているに過ぎないように見えるのに対し、『カンタベリー物語』の枠設定は高い必然性を感じるような作りになっている。
 そういう「枠」の違いに伴っているのだろうが、『カンタベリー物語』のほうが、話のバリエーションに富んでいるように見える。『デカメロン』のほうが一貫して下品でバカバカしいのに対し、『カンタベリー物語』のほうには、下品でバカバカしい話もありつつ、高尚で格調高い(むしろ高すぎて退屈な)話もあったりする。けつあなを焼かれる話と七つの大罪の大まじめな話が混在しているのは、考えてみればかなり不思議なことだ。

 そして『デカメロン』との比較で目につくのは、処女崇拝的な描写の数々だ。『デカメロン』には処女崇拝の影もなく、一貫して人妻に恋慕する話ばかり並ぶ。そして一応『カンタベリー物語』にも5人の夫を持った女傑キャラクターが設定されていて、読んでいる方が恥ずかしくなるような下品な話を展開したりもしている。しかし尼僧が語る「セシリア」の話を筆頭に、そこかしこで処女崇拝的な描写が繰り返されてもいる。女傑バースの女房にしても、処女崇拝を前提に自説を展開している。この『デカメロン』と『カンタベリー物語』の相違が、地域の違い(トスカーナとイングランド)によるものか、階級的な影響によるのか、それとも単に著者の性癖によるものなのか、少々興味を誘われるところだ。
 また解説から得た知識だが、本書は英語で書かれた最初の本格的な作品とのことだった。14世紀の終わりになって俗語文学が立ち上がってくる事情として、フィレンツェの文学状況(ダンテ・ペトラルカ・ボッカッチョ)が関わっているのはまず間違いないところだろうが、イングランド特有の事情として百年戦争が関わってくるだろうことは容易に想像がつくところだ。百年戦争の過程でフランス側にナショナリズムの萌芽が見られることは別の本(佐藤猛『百年戦争ー中世ヨーロッパ最後の戦い』)で読んだが、似たような状況はイングランドの方にも発生しているだろう。ナショナリズムの離陸(あるいは「近代」の立ち上がり)を考える上で、本書は重要な参照軸になるのだろう。

【今後の研究のための備忘録】三位一体
 キリスト教神学の奥義である「三位一体」についての言及があったが、これは明らかにアウグスティヌスの見解を土台にした理解だ。

「ちょうど人が三つの知恵、すなわち、記憶、想像力、それに知性、これらをもっているように、神の一つの存在の中に三つの人格が宿るのも、まさにことわりです」第二の尼僧の物語、下巻91頁

 著者がことさらアウグスティヌスそのものに影響を受けていたというよりは、アウグスティヌスの見解がそのままカトリックの公式見解として通用していたということなのだろう。

【今後の研究のための備忘録】処女崇拝
 処女崇拝的な記述が頂点に達するのは、第二の尼僧が語る「処女にして殉教者なるセシリア聖人」(下巻75頁)の物語だ。エンターテインメントとしては退屈きわまりない(失礼)し、宿屋の主人の辛辣な批評が一言もないのが残念なところなのだが、ともかく処女崇拝が極まっていることだけはよく分かる。そして他の箇所でも、処女崇拝の記述が繰り返されている。

「処女であることが二度の結婚に勝る」「処女であることとは大いなる道徳的完全さ」バースの女房の話、中巻11頁

「姦淫のもう一つの罪は処女からその純血を奪うことです。というのはこの罪を犯す者は、確かに、処女をこの現世の最高の位置から投げ落とし、聖書が百の果実と呼ぶような、かの貴重な果実を彼女から取り去るからです。」教区司祭の話、下巻256頁

 さしあたっては中世キリスト教のセンスが表現されていると理解しておくところか。

チョーサー『カンタベリー物語(上)』桝井迪夫訳、岩波文庫、1995年
チョーサー『カンタベリー物語(中)』桝井迪夫訳、岩波文庫、1995年
チョーサー『カンタベリー物語(下)』桝井迪夫訳、岩波文庫、1995年

【要約と感想】新井政美『オスマンvs.ヨーロッパ〈トルコの脅威〉とは何だったのか』

【要約】現代の後知恵はオスマン帝国を非キリスト教・非ヨーロッパの東方専制国家として扱いますが、実際の歴史過程を見てみると、オスマン帝国はキリスト教徒も人材として有効に活用しながらローマ帝国の後継を自認して地中海で勢力を維持する一方、ヨーロッパ諸国(特にハプスブルクを牽制するフランス王家)はオスマン帝国と手を結びながら勢力を伸ばそうと試みており、単純にキリスト教とイスラム教が対立していたと考えてはいけません。オスマンはイスラム教で統一されていたわけではなく、様々な民族や宗教や立場が渾然となりながらも、人材登用や土地経済の制度等で統一が保たれていた帝国です。だからこそイスラム教の立場が強くなり始めると、むしろ従来の寛容な人材登用や土地経済制度が機能しなくなり、力が弱くなっていきます。近代ヨーロッパの形成を考える上では、寛容と規律の精神で強力な統一国家を作り上げたオスマン帝国のインパクトを無視できません。

【感想】歴史を遡って国と「国でないもの」の間に境界線を引こうとするとき、たとえば中国にとって戦国時代の秦は境界線の内であるのに対し、匈奴は境界線の外だ。春秋時代の呉や越は境界線の内であるのに対し、三国時代の南蛮は境界線の外だ。しかしおそらく紛争の真っ最中にこういう境界線が明確に引かれていたのではなく、もともとは緩やかなグラデーションだったものが、後に歴史書を編纂する過程で徐々に細部が忘れられ、大雑把な二分化が進行し、境界線が固定されていったのだろう。
 ヨーロッパにとってのオスマン帝国もそういうものなのだろうが、中国史と決定的に異なるのはビザンツ帝国の存在だ。ローマ帝国の正統な後継として、西ローマ帝国滅亡後も約千年間存続した東ローマ帝国→ビザンツ帝国は、同時代のヨーロッパ(あるいはそれを束ねるローマ教会)にとっては極めて厄介な存在だった。このカトリックにとって厄介で目障りな存在だったビザンツ帝国を滅ぼしてしまった(1453年)のが、オスマン帝国にとっては結果的によくなかったような気がする。オスマン帝国はコンスタンティノープルを掌握したことで「ローマ帝国の正統な後継」を自認し、実際に地中海への進出を目論むようになった一方、厄介なグラデーション地帯だったビザンツ帝国が滅んだことでオスマン帝国から剥き出しの圧力を受けるようになったヨーロッパのほうは、かえって曖昧なグラデーションではなく明確な境界線を引っ張って、オスマン帝国を「外」として認識する地政学、そして旧ビザンツ=東ローマ=ギリシアを内として認識する歴史認識が成立したのではないか。だとすれば、ルネサンスとは西欧が忘れていたギリシアを「取り戻した」のではなく、実際にはもともと西洋ではなかったもの(ビザンツ=東ローマ)を境界線の内側に簒奪するムーブメントで、それはオスマン帝国という「明らかな外側」を設定することで初めて成立するものではないか。
 ということを考える上でも、後知恵からは「境界線の外側」に設定されているオスマン帝国について、歴史過程に基づいて境界線が曖昧なまま把握しようとする本書は、とても刺激的なインスピレーションを与えてくれるのであった。

【知りたくて書いてあったこと】遅れたヨーロッパ
 中世までのヨーロッパが世界的に後進地域だったことは周知の常識ではあるが、周知の常識過ぎて引用できる文章はそんなになかったりする。本書にはしっかり「文化果つる地」と書いてあった。ありがたい。

「たしかにビザンツによって東地中海の拠点奪回は緊要だったから、各地で戦闘が繰り返されていた。しかし、そうした軍事的・政治的対立が、経済や文化の交流を完全に遮断することにはならなかった。したがって商人たちの活動は絶えることなく続いたが、ただしイスラム勢力にとって、東地中海からさらに西に向かう公益は、魅力に乏しいものだった。そのため、この方面での公益活動は、もっぱらユダヤ系やアルメニア系の商人が担うことになった。
 一方西ヨーロッパは、イスラム勢力の進出以降、地中海地方から自らを隔絶させ、内陸化することによって独自の世界を形成し始める。文明の中心を離れた彼等にとって、地中海はもはや「異域」であって、彼らがこの地域へ乗り出してくるには一一世紀後半を待たねばならない。そして、この「文化果つる地」西ヨーロッパと地中海地方とを結ぶ上で重要な役割を果たし始めたのが、ヴェネツィアをはじめとするイタリアの商人たちだった。」122頁

 イスラム・ビザンツ・ユダヤ・アルメニア・イタリアの商人たちの活動商圏についても簡潔にまとまっている。

【今後の研究のための備忘録】ルネサンス
 ルネサンスは、言葉そのものが西欧視点のものであるため、もちろん西欧史の文脈でのみ語られる。そして実態は語義通りの「復活」なんてものではなく、輸入と言った方が正確だろう。西欧のガリアやゲルマンには、ローマはともかくとして、ギリシアの伝統があるはずがない。ギリシア文化は、ビザンツから輸入して学びとっている。復活ではない。ルネサンスとは、西欧がギリシア文化を簒奪し僭称するために捏造した概念だ。そういう事情は、イスラム側から見ればさらにはっきりする。

「コンスタンティノープル陥落によって、文人、芸術家の多くがイタリアへ避難し、それによってルネサンスが開花したと、ほとんど決まり文句のように言われてきたが、多くの芸術家やユマニストが――「トルコの征服者」に関する、さまざまなまがまがしい噂が流布していたにもかかわらず――コンスタンティノープルを訪れようと望み、そして実際にイタリアからオスマンへの人の流れが存在していたことを指摘するのも、公平を図る上で無意味ではあるまい。」110頁

 ビザンツ=ギリシア正教が必ずしも西欧=カトリックと結びついていたわけではなく、オスマン=イスラムとも容易に結びついていたことを思い起こさせる、大切な指摘だと思う。

新井政美『オスマンvs.ヨーロッパ〈トルコの脅威〉とは何だったのか』講談社学術文庫、2021年<2002年