【要約と感想】佐藤猛『百年戦争―中世ヨーロッパ最後の戦い』

【要約】百年戦争(1337?-1453?)を通じて、中世の封建体制が解体し、近代国家(国境が画定され権力が一元化し臣民に帰属意識が芽生える)へと時代が展開し始めます。

【感想】一本筋の通った歴史観と、それを説得的に表現するための多面的・多角的な論点と、それを裏づける史料に基づいた詳細な知識と、三拍子揃った力作で、個人的にはとても面白く読んだ。が、歴史学(特に方法論)の基礎を押さえていない向きには、多少読みにくいかもしれないと危惧する。いちばん人気のジャンヌ・ダルクのエピソードもアッサリしてるし。
 さて、歴史観については、中世がどのように終わって近代がどのように始まるか、という歴史学の最重要テーマで、最初から最後まで貫徹している。副題に「中世ヨーロッパ最後の戦い」とある通りである。(ところでだとすれば、近代最初の戦いは三十年戦争ということになるのか、はたまたマキアヴェッリが題材にしたフランスによるイタリア侵略か)。で、この場合の中世とは、国境が画定されず、権力が複層化していて、身分制秩序の下でバラバラな民衆、をイメージして中世と呼んでいる。百年戦争が始まるとされる1337年は、あらゆる状況が全面的に中世であった。いちばん象徴的に中世の様相を呈していたのは、イギリス王が大陸(フランス)側に領土を持っていて、その領土を維持するためにフランス王に臣従していたという事実である。近代国民国家では100%ありえない状況で、現代に生きる我々には想像を絶する事態である。ちなみに私の大学の講義(教育学)において「近代国民国家」について説明する際に、まず対比的に「近代国民国家でないとはどういうことか」を捉える目的で、百年戦争時の英仏両王の関係を具体的な材料にしてきた。「700年前、イギリス王はフランス貴族だったんだ」と言って、我々がイメージする近代国民国家の常識が中世封建制にはまるで通じないことを説明したいわけだが、学生たちに伝わっていたかどうか。
 で、本書によれば、100年あまりの戦争と和平交渉の過程を経て、中世的要素がどんどん後退し、近代的な状況が立ち上がっていく。国境が画定し、権力の複層構造が解消されて一元化に向かい、王と臣民が税と対話を通じて向きあうことで国家に対する帰属意識が芽生えることになる。本書が和平交渉の内容を丁寧に紹介するのも、戦争の過程よりもより深く「中世から近代へ」の変化を表現しているからだ。またフランス国内では、イギリス王のみならず有力貴族の封土も王権に統合されていき、いわゆる絶対王政へ向けて権力一本化が進行する。この観点から論点を浮き彫りにするために、本書では戦争の過程を丁寧に負うだけでなく、「税」と「司法」の在り方の変化について相当丁寧に跡づけていく。最初は「なんでこんなに税金にこだわるのか」と思っていたけれども、読み終わってみれば、著者の狙いは明確だ。百年戦争勃発当初は「王個人」の戦争だったのが、税金による王と臣民の一体化を通じて「国民」の戦争になっていくという筋書きを描いていたわけだ。なるほどなあ、というところである。思い返してみれば、明治維新の国民統合も「税の一本化=地租改正」からスタートするのであった。

【要検討事項】さて、こういうふうに「封建制→絶対王政→市民社会」という粗筋を見せられると、日本史学の徒として即座に思い浮かべなければいけないのは「日本資本主義発達史論争」だ。明治維新ははたして市民革命だったのか、はたまた江戸徳川政権は封建主義なのか絶対王政なのか、が争われた論争である。本書との絡みでは、具体的には応仁の乱(1467年)から小田原征伐(1592年)までの戦国125年をどう理解するかという話になるだろうか。この戦国125年を、百年戦争(1337年?~1453年?)期間の116年と比較してどうか、というところになる。
 そういう観点を思い出しつつ改めて本書の主張を考えてみると、百年戦争後のヨーロッパでもハプスブルク家の支配を中心に中世的(近代国民国家ではないという意味)な状況は根強く続くわけで、本当に近代が訪れたと呼んでいいのは19世紀末の普仏戦争による第三共和政を待つ必要があるようにも思える。またあるいは、本書でもところどころで言及される「言語」に関わる統一も気になるところだ。本書はフランス東部ブルゴーニュの帰属意識について保留していたが、同じく言語がパリ周辺と異なる南仏(ラングドック)はどれくらいフランス国民としての帰属意識を持っていたのか。やはり19世紀まで待つ必要があるのではないか。他にもちろん、ヨーロッパでは教会権力との関係が極めて大きな問題となる。16世紀の宗教改革はヨーロッパ近代化に向けて極めて重要な役割を担うはずだが、100年戦争がひとまず終わる15世紀の段階をどう評価するか。またジャンヌ・ダルクのエピソードでフランス・ナショナリズムの萌芽に触れられていて、確かに「アンチ・イングランド」としてのパトリオティズム(愛国心)は見られるようにも思えるが、それは「フランスらしいフランス」を政治・経済・文化に渡って共有する近代的ナショナリズム(国民主義)と同じものだと考えていいのかどうか。
 というわけで、本書が掲げる「ヨーロッパ中世に終止符を打った戦争」という総括に関しては、個人的には多少の留保をつけておきたいところだ。まずもちろんヨーロッパと言って地域差が激しく、イギリスとフランスが国民国家形成の前提となる「絶対王政」の確立に向けて大きな一歩を踏み出したのは間違いないとしても(税制改革や常備軍の整備など)、「ヨーロッパ」が中世を脱したようには見えない(まあ「ヨーロッパ」の定義というややこしい問題が絡むが)。また英仏にしても、全体的に見れば、まだまだ中世的要素は無視できないほど色濃いような気はするのであった。そういえば、フランスのアナール中世史家ジャック・ル=ゴフはフランソワ1世のイタリア遠征(1515年)をルネサンスの起点にしていたりするし、近代化の起点を18世紀半ばに置いている(時代区分は本当に必要か?)。
 そういう留保はともかく、百年戦争が時代の大きな転換点であったことについては間違いないだろうし、とても勉強になったのは確かなのであった。

佐藤猛『百年戦争―中世ヨーロッパ最後の戦い』中公新書、2020年