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【要約と感想】長尾十三二・福田弘共著『人と思想ペスタロッチ』

【要約】近代教育の幕を開いたペスタロッチの来歴と思想をコンパクトにまとめ、その教育史的意義を多角的な観点から明らかにしています。後世のペスタロッチ思想の影響と広がりについても目配りが行き届いています。

【感想】ペスタロッチに限らず、西洋教育思想史の人物を研究している人たちは、なかなか熱い。本書も、後書きが熱い。同じ研究者として、感じ入るものがある。

内容も、単なる初心者向けの解説に終わらず、教育思想史上の課題を明確にしつつ、多角的にペスタロッチの人生と思想に迫っている。読み応えがある。教育思想史の概説書には書かれていないことが極めて多く、学ぶものがたくさんあった。勉強になった。

ただ、「メトーデ」の内容自体がそれほど具体的に記述されていないのは多少食い残し感があるところだ。まあ、本書は本書自体が設定する課題に沿って丁寧に書かれているわけで、私が知りたいことは私自身がしっかり他書で勉強せよということではある。

【個人的な研究のための備忘録】
私の専門である明治日本教育史について言及があったので、メモしておくのだった。

「高嶺の指導のもとに、東京師範学校の付属小学校の教員、若林虎三郎と白井毅が著した『改正教授術』は、日本における初めての本格的な教授学書として普及し、開発主義流行の原動力ともなった。これは、児童の天性を開発するという原則に立つものであったが、必ずしもペスタロッチ思想をそのまま具現するものではなく、しかも政府の強力な教育内容統制のもとでは、十分本来の趣旨を発揮したとは言えない。」186-187頁

言及されている通り、『改正教授術』を実際に読んでみれば、これがペスタロッチ本来のものと随分かけはなれていることはすぐ分かる。形式的すぎて、活力を欠いているのだ。
ペスタロッチ専門家から見ても「十分本来の趣旨を発揮したとは言えない」ということは、言質としてありがたい。

長尾十三二・福田弘共著『人と思想ペスタロッチ』清水書院、1991年

【要約と感想】西研『ルソー・エミール―自分のために生き、みんなのために生きる』

【要約】ルソー『エミール』は、人が自由に生きるために必要なことを考えた本です。そのために、どのような社会が理想的で、どのような人間がそれに相応しいかを徹底的に考え抜きました。

【感想】とてもいい解説書だと思った。『社会契約論』との論理的関係を丁寧に解説してあって、分かりやすいのではないかと感じた。特に、通常の読者に分かりにくいのは「一般意志」の概念なのだが、「公共」の概念と絡めてうまく説明している。「公共」概念の重要性も丁寧に述べられている。読みやすかったのは、まあ、私の思想的方向とよく似ているというのも、あるのだろうけど。

100分de名著」は、伊集院光のナビゲーションも良くて好きなテレビ番組の一つだ。このエミールの回もテレビで見た。が、テレビ番組で見るのと、この「NHK100分de名著ブックス」で読むのとは、印象がかなり違う。どちらがいいということではない。やはり伊集院光の合いの手は絶品ではあるが、論理的にまとまった本の形で読むのも良い。総合的に、なかなか得がたいユニークな番組であることが再確認できるのであった。

【個人的研究のための備忘録】
「自由」に関して、いろいろ興味深いことが書いてある本だった。

自由な活動ができるためには依存が必要だ」59頁

「きみ自身の支配者(ton propre maitre)」という言葉は「自分自身の主人」とも訳されますが、ルソー独特の表現で「自由」を意味します。自分で自分をコントロールするときにこそ自由がある、という思想がそこには含まれています。」115頁

自分が自分であるときこそが幸福であり自由であるという思想は、ソクラテス以来のものであるようには思う。が、これを国家構成の原理(主権)にまで鍛え上げたのは社会契約論の思想なのだろう。(そしてプラトンは社会契約論に真っ向から対立するという)。私が追っている「人格」概念を考える上でも、「自由」はきわめて重要な補助線を引いてくれる。

西研『NHK「100分de名著」ブックス ルソー「エミール」自分のために生き、みんなのために生きる』NHK出版、2017年

【大分県日田市】幕末私塾の雄「咸宜園」と、広瀬淡窓墓「長生園」

江戸後期の巨大私塾として有名な咸宜園(かんぎえん)に行ってきました。
日田へは、博多からリゾート特急「ゆふいんの森」で向かいます。乗客は、ほぼ外国人観光客です。高級感溢れる車内を満喫して、咸宜園へ。

咸宜園は国指定史跡となっており、いくつかの建物が保存されている他、たいへん立派な学習施設が付設しています。

案内パネルに、咸宜園のユニークさが説明されています。教員採用試験では「三奪法」と「月旦評」がよく出てきますね。教育史の専門家的には、近代的個人主義と業績主義(メリトクラシー)の芽ばえとしてどうなのかというところが注目されます。

域内には、塾主の広瀬淡窓(ひろせたんそう)が詠んだ漢詩の石碑が建っています。ちなみに石碑の後ろに見えるのは学習施設です。貴重な資料が展示されている他、映像資料も充実しています。

図録を3冊買ったら、学芸員さん(?)のご厚意で、おまけでもう2冊いただきました。ありがとうございました。勉強します。

さて、保存されている建造物では、まず秋風庵が目立っています。趣のある建物です。

中に入ることができます。教育課程表等が掲げられています。

床の間には広瀬淡窓が詠んだ漢詩の掛け軸があったりなど。

落ち着いた佇まいで、たいへん風情があります。

ほか、講義や寮として使われた建物は、礎石だけ残っているようです。

もうひとつおもしろいのが、遠思楼という建物です。丸い窓がかわいいです。

こちらも中に入って、二階に上がることができます。

こういう落ち着いたところで読書・思索できたら、さくさく進歩するような気がするなあ。書斎、ほしいねえ。

咸宜園から東に300mほど行くと、広瀬淡窓の墓所「長生園」があります。閑静な住宅街の中にあって、初めてだとちょっと分かりにくい場所です。

広瀬淡窓のほか、家族や塾主を務めた門人のお墓が並んでいます。

学問の大先輩にお参りして学問の成就を誓い、外国人観光客でごった返す日田を離脱するのでした。帰りは高速バスで直接福岡空港へ。体感的には、電車よりバスのほうが楽だったかなあ。
(2019年7月訪問)

【要約と感想】三井綾子『教育者という生き方』

【要約】これから教育者を目指す若い人向けに、モデルとなる10人の教育者の生き方を紹介し、教育者としての資質・能力とは何かを示し、学ぶべきポイントを提げます。取り上げる10人は、ペスタロッチ、フレーベル、モンテッソーリ、コルチャック、緒方洪庵、福沢諭吉、嘉納治五郎、津田梅子、宮澤賢治、大村はまです。

【感想】まあ、教育者の伝記をまとめたものではあるが。著者の優しさがあふれるチョイスと表現になっていて、とてもいい。同じく伝記をまとめるにしても、私がやったら、逆立ちしてもこうはならない。著者の温かみが存分に出ている、とてもいい本だと思った。教員を目指す学生が読むには、とてもいい本ではないだろうか。

三井綾子『発見!しごと偉人伝 教育者という生き方』ぺりかん社、2012年

【要約と感想】市川寛明・石山秀和『図説 江戸の学び』

【要約】江戸時代の学びは、近代的な学校教育とはまったく異なっていました。18世紀中頃から市場経済の展開に伴って全国に普及していった寺子屋では、師匠からの一方的な教え込みではなく、自発的な学習の姿勢が重んじられていました。自発的な学習を重視する姿勢は、教授法を発展させたヨーロッパには見られない傾向です。
しかし一方、侍の学習機関である藩校では、18世紀の半ば以降の商品経済の展開に対して旧来の身分制ではもはや対応しきれず、実力主義的な傾向が強まり、試験制度の導入が進行します。この傾向は最終的に明治維新以後の実力主義的な教育制度の受容に繋がっていきます。
自発的な人格形成を大事にする江戸の学びは、現代教育の閉塞感を打破するために大きなヒントを与えてくれそうです。

【感想】図版が多く、解説も丁寧で、とても面白く読める。絵を見ているだけで楽しい。寺子屋や昌平坂学問所、藩校の基礎はもちろん、石門心学や往来物、さらにリテラシーの諸相までも網羅されていて、情報量が極めて多い。西洋近代教育と江戸の学びを比較する論理も明快で、それぞれの特徴を掴みやすい。地方の教育状況に関する記述は手薄ではあるが、大都会江戸から見た近世の学びのあり方を概観する上で、かなり良い本であるように思う。

【要検討事項】気になるのは、江戸時代の学びに対して「人格形成」を重視しているという記述が連発されるところだ。本書は一方で商品経済の展開による功利主義的な展開を強調している。両者の整合性がどうなっているのか気にかかるところなわけだ。本書の論理では、18世紀半ばまでは市場経済の進展による功利主義的な傾向が強く、18世紀後半以降は儒教の影響を受けて「人格形成」に傾くという構成になっているが、本当だろうか? 私個人の知識と教養から見れば、相当に怪しい記述になっていると思う。
たとえば日本資本主義発達史論争や幕末明治維新期の経済史を踏まえれば、天保期に向かって不可逆的に市場経済が進展していく。商品経済の圧力が増える条件は揃っていても、「人格形成」に直ちに向かう素材は必ずしも見出せない。あるとすれば「衣食足りて礼節を知る」という条件くらいだろう。市場経済の進展によって生活に余裕ができた層から教養形成に関心を向けることは確かにあるだろうが、その逆は考えられない。人格形成への関心向上は、市場経済の更なる進展が前提条件となるはずだ。
また仮に当時の教育関係者が「人格形成」を強調する文書を遺していたとしても、それが直ちに現実を反映しているわけもない。なぜなら現在の教育関係者も声を大にして「人格形成」の重要性を説いているはずなのに、現実には反映していないからだ。
あるいはそもそも、西洋近代の契約社会を背景として成熟した「人格の尊厳」が土台となっている「人格の完成」の観念と、儒学的な天思想(自然=社会観)を背景とした江戸期の「人となる」観念は、本質的な人間理解が相当に異なっているはずなのだ。本書は、近世の「人となる」と現代教育の「人格の完成」を、そもそも「人格とは何か」についての教育原理的な考察を欠いたまま、単にアナロジーだけで結びつけているように見える。個人的には、かなり危険な論理のように見える。要検討事項だ。

市川寛明・石山秀和『図説 江戸の学び』(ふくろうの本)河出書房新社、2006年