【要約と感想】市川寛明・石山秀和『図説 江戸の学び』

【要約】江戸時代の学びは、近代的な学校教育とはまったく異なっていました。18世紀中頃から市場経済の展開に伴って全国に普及していった寺子屋では、師匠からの一方的な教え込みではなく、自発的な学習の姿勢が重んじられていました。自発的な学習を重視する姿勢は、教授法を発展させたヨーロッパには見られない傾向です。
しかし一方、侍の学習機関である藩校では、18世紀の半ば以降の商品経済の展開に対して旧来の身分制ではもはや対応しきれず、実力主義的な傾向が強まり、試験制度の導入が進行します。この傾向は最終的に明治維新以後の実力主義的な教育制度の受容に繋がっていきます。
自発的な人格形成を大事にする江戸の学びは、現代教育の閉塞感を打破するために大きなヒントを与えてくれそうです。

【感想】図版が多く、解説も丁寧で、とても面白く読める。絵を見ているだけで楽しい。寺子屋や昌平坂学問所、藩校の基礎はもちろん、石門心学や往来物、さらにリテラシーの諸相までも網羅されていて、情報量が極めて多い。西洋近代教育と江戸の学びを比較する論理も明快で、それぞれの特徴を掴みやすい。地方の教育状況に関する記述は手薄ではあるが、大都会江戸から見た近世の学びのあり方を概観する上で、かなり良い本であるように思う。

【要検討事項】気になるのは、江戸時代の学びに対して「人格形成」を重視しているという記述が連発されるところだ。本書は一方で商品経済の展開による功利主義的な展開を強調している。両者の整合性がどうなっているのか気にかかるところなわけだ。本書の論理では、18世紀半ばまでは市場経済の進展による功利主義的な傾向が強く、18世紀後半以降は儒教の影響を受けて「人格形成」に傾くという構成になっているが、本当だろうか? 私個人の知識と教養から見れば、相当に怪しい記述になっていると思う。
たとえば日本資本主義発達史論争や幕末明治維新期の経済史を踏まえれば、天保期に向かって不可逆的に市場経済が進展していく。商品経済の圧力が増える条件は揃っていても、「人格形成」に直ちに向かう素材は必ずしも見出せない。あるとすれば「衣食足りて礼節を知る」という条件くらいだろう。市場経済の進展によって生活に余裕ができた層から教養形成に関心を向けることは確かにあるだろうが、その逆は考えられない。人格形成への関心向上は、市場経済の更なる進展が前提条件となるはずだ。
また仮に当時の教育関係者が「人格形成」を強調する文書を遺していたとしても、それが直ちに現実を反映しているわけもない。なぜなら現在の教育関係者も声を大にして「人格形成」の重要性を説いているはずなのに、現実には反映していないからだ。
あるいはそもそも、西洋近代の契約社会を背景として成熟した「人格の尊厳」が土台となっている「人格の完成」の観念と、儒学的な天思想(自然=社会観)を背景とした江戸期の「人となる」観念は、本質的な人間理解が相当に異なっているはずなのだ。本書は、近世の「人となる」と現代教育の「人格の完成」を、そもそも「人格とは何か」についての教育原理的な考察を欠いたまま、単にアナロジーだけで結びつけているように見える。個人的には、かなり危険な論理のように見える。要検討事項だ。

市川寛明・石山秀和『図説 江戸の学び』(ふくろうの本)河出書房新社、2006年