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【要約と感想】佐藤賢一『ヴァロワ朝―フランス王朝史2』

【要約】カペー朝を引き継いで成立するフランスのヴァロワ王朝(1328-1589)13代の王の事跡と人となりを、おもしろおかしく解説します。ヴァロワ朝は、カペー朝と比較すれば国家の体(常備軍や財政など)をなしてきました。百年戦争、ブルゴーニュ戦争、イタリア遠征、宗教戦争と、大きな戦争をくぐりぬける間に、国内権力の統合が進みました。が、まだ「フランスのためなら死ねる」というナショナリズムの段階には至っておらず、次のブルボン朝の課題として残されます。

【感想】相変わらず憶測を交えつつの男女関係の下世話な話が軽妙な筆で織り交ぜられて、複雑な話も飽きずに楽しく読める。まあおそらく日本人にとってこの地域のこの時期の歴史で特にわかりにくいのは「ブルゴーニュ公国」の存在と意味なのだが、本書はそこそこ丁寧にブルゴーニュ公の人となり(けっこう酷い)を説明してくれていて、なんとなく分かった気にさせてくれる。このブルゴーニュ公国が独立国となるような(現在のルクセンブルクのように)世界線もあるのかもしれないが、そうはさせなかったのがヴァロワ朝の意志の賜物か、あるいは歴史の必然と考えるべきところなのか。
 それにしても戦争だらけの260年だが、それはちょうど日本史では鎌倉幕府滅亡から豊臣政権成立の時期に当たって、御多分に漏れずこちらも戦争だらけの260年だった。まあ日本のほうは下克上による既存勢力の没落が顕著である一方、フランスの方は既存勢力による権力統一という違いは大きいのだろう(フランスの方は200年後に破綻するのではあるが)。ともかく、この段階でも「フランス王朝」があったとしても「フランス国家は微妙」という状況が続くことは確認した。そしてまた日本も同じ。

【要検討事項】ナショナリズムについて。

「つまりはジャンヌ・ダルクだけではない。フランスに暮らす人々一般に、ナショナリズムという新しい感覚が芽生えていた。」p.147

 さてどうなのだろう。確かにパトリオティズム(愛国心)の拡大と見なしてよい事態だろうけれども、それをナショナリズム(みんな同じフランス人という意識)と見なしても大丈夫なのだろうか。

佐藤賢一『ヴァロワ朝―フランス王朝史2』講談社現代新書、2014年

【要約と感想】佐藤賢一『カペー朝―フランス王朝史1』

【要約】歴代フランス王朝のうち、西フランク王国をのっとる形で成立したカペー朝14代(西暦987年~1328年)の王の事跡と人となりを、おもしろおかしく説明しています。987年の王朝成立時には王とは名ばかりで、ほぼ一地方領主としてスタートしたカペー朝は、着実な男子相続を柱に、慌てず急がず硬軟織り交ぜながら地道に勢力拡大を続け、1328年には現在フランス領とされる地域の大半を勢力圏として押さえましたが、内政制度の未熟や有力領邦貴族の存在を考えると、未だ「国家」と呼ぶには至っていません。この課題には次のヴァロワ朝が応えることになります。

【感想】さくっとフランス史を押さえたい向きには良い本だろう。特に推測も交えた男女関係の下世話な話が楽しく、飽きずにおもしろく読める。
 個人的にはトマス・アクィナスが活躍した時代の背景を押さえておこうという関心もあったわけだが、トマスの生涯(1225-1274)が聖王ルイ9世の治世(1226-1270)とほぼ重なっていることを把握した。
 まあ、王たちの細かい事跡や紛らわしい固有名詞(ルイとかシャルルとか多すぎ)の数々は忘れてしまっても、歴史理論的には大きな問題ではない。カペー朝の段階ではまだ群雄割拠が続いていて、国家と呼べるような体をなしていなかったことを押さえておくのが重要だ。フランスの「王位」はあっても、まだフランスという「国家」は形になっていない。そういう意味で、確かに副題にあるように「王朝史」ではあっても、「フランス史」ではないわけだ。そしてそれは日本にも当てはまるのであった。

佐藤賢一『カペー朝―フランス王朝史1』講談社現代新書、2009年

【要約と感想】佐藤猛『百年戦争―中世ヨーロッパ最後の戦い』

【要約】百年戦争(1337?-1453?)を通じて、中世の封建体制が解体し、近代国家(国境が画定され権力が一元化し臣民に帰属意識が芽生える)へと時代が展開し始めます。

【感想】一本筋の通った歴史観と、それを説得的に表現するための多面的・多角的な論点と、それを裏づける史料に基づいた詳細な知識と、三拍子揃った力作で、個人的にはとても面白く読んだ。が、歴史学(特に方法論)の基礎を押さえていない向きには、多少読みにくいかもしれないと危惧する。いちばん人気のジャンヌ・ダルクのエピソードもアッサリしてるし。
 さて、歴史観については、中世がどのように終わって近代がどのように始まるか、という歴史学の最重要テーマで、最初から最後まで貫徹している。副題に「中世ヨーロッパ最後の戦い」とある通りである。(ところでだとすれば、近代最初の戦いは三十年戦争ということになるのか、はたまたマキアヴェッリが題材にしたフランスによるイタリア侵略か)。で、この場合の中世とは、国境が画定されず、権力が複層化していて、身分制秩序の下でバラバラな民衆、をイメージして中世と呼んでいる。百年戦争が始まるとされる1337年は、あらゆる状況が全面的に中世であった。いちばん象徴的に中世の様相を呈していたのは、イギリス王が大陸(フランス)側に領土を持っていて、その領土を維持するためにフランス王に臣従していたという事実である。近代国民国家では100%ありえない状況で、現代に生きる我々には想像を絶する事態である。ちなみに私の大学の講義(教育学)において「近代国民国家」について説明する際に、まず対比的に「近代国民国家でないとはどういうことか」を捉える目的で、百年戦争時の英仏両王の関係を具体的な材料にしてきた。「700年前、イギリス王はフランス貴族だったんだ」と言って、我々がイメージする近代国民国家の常識が中世封建制にはまるで通じないことを説明したいわけだが、学生たちに伝わっていたかどうか。
 で、本書によれば、100年あまりの戦争と和平交渉の過程を経て、中世的要素がどんどん後退し、近代的な状況が立ち上がっていく。国境が画定し、権力の複層構造が解消されて一元化に向かい、王と臣民が税と対話を通じて向きあうことで国家に対する帰属意識が芽生えることになる。本書が和平交渉の内容を丁寧に紹介するのも、戦争の過程よりもより深く「中世から近代へ」の変化を表現しているからだ。またフランス国内では、イギリス王のみならず有力貴族の封土も王権に統合されていき、いわゆる絶対王政へ向けて権力一本化が進行する。この観点から論点を浮き彫りにするために、本書では戦争の過程を丁寧に負うだけでなく、「税」と「司法」の在り方の変化について相当丁寧に跡づけていく。最初は「なんでこんなに税金にこだわるのか」と思っていたけれども、読み終わってみれば、著者の狙いは明確だ。百年戦争勃発当初は「王個人」の戦争だったのが、税金による王と臣民の一体化を通じて「国民」の戦争になっていくという筋書きを描いていたわけだ。なるほどなあ、というところである。思い返してみれば、明治維新の国民統合も「税の一本化=地租改正」からスタートするのであった。

【要検討事項】さて、こういうふうに「封建制→絶対王政→市民社会」という粗筋を見せられると、日本史学の徒として即座に思い浮かべなければいけないのは「日本資本主義発達史論争」だ。明治維新ははたして市民革命だったのか、はたまた江戸徳川政権は封建主義なのか絶対王政なのか、が争われた論争である。本書との絡みでは、具体的には応仁の乱(1467年)から小田原征伐(1592年)までの戦国125年をどう理解するかという話になるだろうか。この戦国125年を、百年戦争(1337年?~1453年?)期間の116年と比較してどうか、というところになる。
 そういう観点を思い出しつつ改めて本書の主張を考えてみると、百年戦争後のヨーロッパでもハプスブルク家の支配を中心に中世的(近代国民国家ではないという意味)な状況は根強く続くわけで、本当に近代が訪れたと呼んでいいのは19世紀末の普仏戦争による第三共和政を待つ必要があるようにも思える。またあるいは、本書でもところどころで言及される「言語」に関わる統一も気になるところだ。本書はフランス東部ブルゴーニュの帰属意識について保留していたが、同じく言語がパリ周辺と異なる南仏(ラングドック)はどれくらいフランス国民としての帰属意識を持っていたのか。やはり19世紀まで待つ必要があるのではないか。他にもちろん、ヨーロッパでは教会権力との関係が極めて大きな問題となる。16世紀の宗教改革はヨーロッパ近代化に向けて極めて重要な役割を担うはずだが、100年戦争がひとまず終わる15世紀の段階をどう評価するか。またジャンヌ・ダルクのエピソードでフランス・ナショナリズムの萌芽に触れられていて、確かに「アンチ・イングランド」としてのパトリオティズム(愛国心)は見られるようにも思えるが、それは「フランスらしいフランス」を政治・経済・文化に渡って共有する近代的ナショナリズム(国民主義)と同じものだと考えていいのかどうか。
 というわけで、本書が掲げる「ヨーロッパ中世に終止符を打った戦争」という総括に関しては、個人的には多少の留保をつけておきたいところだ。まずもちろんヨーロッパと言って地域差が激しく、イギリスとフランスが国民国家形成の前提となる「絶対王政」の確立に向けて大きな一歩を踏み出したのは間違いないとしても(税制改革や常備軍の整備など)、「ヨーロッパ」が中世を脱したようには見えない(まあ「ヨーロッパ」の定義というややこしい問題が絡むが)。また英仏にしても、全体的に見れば、まだまだ中世的要素は無視できないほど色濃いような気はするのであった。そういえば、フランスのアナール中世史家ジャック・ル=ゴフはフランソワ1世のイタリア遠征(1515年)をルネサンスの起点にしていたりするし、近代化の起点を18世紀半ばに置いている(時代区分は本当に必要か?)。
 そういう留保はともかく、百年戦争が時代の大きな転換点であったことについては間違いないだろうし、とても勉強になったのは確かなのであった。

佐藤猛『百年戦争―中世ヨーロッパ最後の戦い』中公新書、2020年

【要約と感想】阿部拓児『アケメネス朝ペルシア―史上初の世界帝国』

【要約】アケメネス朝ペルシアは、狭義には紀元前550年キュロス王による創建(諸説あり)から紀元前330年マケドニアのアレクサンドロス大王東征による滅亡まで、220年にわたってアジア・アフリカ・ヨーロッパの三大陸にまたがって君臨した、史上初の世界帝国です。歴代ペルシア王9代の事跡を内外史料に基づいて確認しながら、帝国の歴史全体を概観します。

【感想】アケメネス朝ペルシアの歴史そのものについても勉強になったが、科学的な歴史学の研究手法と最新研究動向が幅広く紹介されていて、「歴史学の方法論」についても興味深く読める内容になっていた。おもしろかった。具体的には、「オリエンタリズム」や「受容史」というポストモダン的な動向を横目で睨みつつも、歴史学の伝統に基づいて丁寧な史料批判の土台の上で議論を展開して、落ち着いた筆致ながらも立体的で奥行きのある記述になっている。筆者の推測もふんだんに披瀝されるが、史料に基づいて根拠を示しながら対立する見解との比較考量も丁寧に行ってくれるので、かなり納得する。こういう方法論とそれに立脚した歴史記述は、歴史学を志す学生にとってはかなりためになるのではないだろうか。
 まあ全体として平和時の庶民の暮らしぶりはほとんど分からず、殺伐とした政争と戦争の歴史になっているのは、史料の性質上仕方がないところではあるか。

 で、ペルシアというと、私個人としてはギリシア人の書いたもの(ヘロドトスやトゥキディデス)を通して触れてきたので、無意識のうちにヨーロッパ中心史観(いわゆるオリエンタリズム)に影響されいるようだ。大いに反省するきっかけになった。あるいは「オリエンタリズム」というと近代以降の話だと思い込んでいたけれども、古代のギリシア・ローマ中心史観に対しても意識的に相対化する視点を用意しておく必要を理解したのであった。

阿部拓児『アケメネス朝ペルシア―史上初の世界帝国』中公新書、2021年

【要約と感想】小池和子『カエサル―内戦の時代を駆けぬけた政治家』

【要約】カエサルを扱った本は既に山ほど出版されていますが、本書の特徴は、学問的な成果に基づいてごくごく基本的な事柄を扱いつつ、同時代の時代状況や政治制度、あるいはキーパーソン(特にキケロー)の動向を踏まえて、カエサルの一生と人となりを描くところにあります。
 政治史的には、マリウス(平民派)とスッラ(閥族派)の抗争から内乱の一世紀に突入し、ポンペイユス・クラッスス・カエサルの三頭制を経て、最終的にカエサルがポンペイユス等との内戦に勝利、独裁制を始めることになります。

【感想】『ガリア戦記』は読んだし、キケローの著作や書簡集にも目を通したし、サルスティウスやルーカーヌスなど同時代の歴史書も読んだので、本書は「答え合わせ」の意図をもって読み始めたのだけれども、いやいや、知らないことだらけだった。勉強になった。
 で、私の個人的な好みとして、歴史が動くのは一人の英雄的行為ではなく、経済史的背景が決定的な要因になっていると考える傾向にある。本書は経済史的背景の要点を簡潔に押さえ、それを踏まえて各陣営の動向を説明するなど、私としてはかなり納得しやすい書き方になっている。カエサルが確かに代わりが効かない時代の英雄(秦の始皇帝や織田信長などと同様)であることは間違いないとしても、彼がその才能を十分に発揮するためには経済史的背景が煮詰まっている必要はあるだろう(秦の始皇帝や織田信長などと同様)。まあ、ローマ共和政末期の経済的矛盾(中小農民の没落)そのものは高校の世界史教科書に書いてある程度の知識ではあるが。
 一方、本書はカエサルの人となりについてはかなり抑制して描写している。学術的に確かな事柄しか扱わないという姿勢が現れている。が、それでもカエサルが魅力的な人物だったんだろうな、と覗わせる記述はそこかしこにある。敗北者には寛容だが、自らの尊厳を汚した相手は徹底的にやっつける。そんなカエサルと比較すると、キケローのほうがキレイゴトばかり並べる小物に見えてしまうのは仕方ないのであった。

小池和子『カエサル―内戦の時代を駆けぬけた政治家』岩波新書、2020年