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【要約と感想】河野淳『ハプスブルクとオスマン帝国-歴史を変えた<政治>の発明』

【要約】ハプスブルク(神聖ローマ帝国)は、一般的には軟弱だと勘違いされていますが、実はオスマン帝国からヨーロッパ・キリスト教世界を防衛するという役割を果たすため、16世紀には軍制を中心に逸早く中央集権的な体制を整えつつありました。決定的に重要なのは、理念によって政策を決めるのではなく、情報を収集・分析することで現実的な方針を立てていたことです。その実証主義的な情報処理は、商人たちの行動規範を基盤として16世紀中に大きく発展した「数量化」を背景に培われています。

【感想】オスマン帝国と接触する最前線からの情報が宮廷軍事局に集約され、帝国議会で説得に活用される様子が、具体的な議事録を根拠に示され、たいへん説得力があった。前近代的な「有機体的国家論」と、情報をもとにした近代的な「実証主義政策論」の違いも鮮やかで、分かりやすい。とても勉強になった。
 一方気になったのは、ハプスブルクの情報化戦略成功の背景を「オスマン帝国という外圧」の一点に集約しすぎのところか。というのは、やはり当時の状況を考えると、宗教改革とか神聖ローマ帝国固有の「権力の重層性・複数性」については丁寧に考える必要があるような気がするのだった。

【検討事項】本書は16世紀の対オスマン政策を中心として記述されるのだが、私個人は17世紀前半三十年戦争に直接的な関心を持って本書を手に取った。多少は言及されるものの、痒いところには手が届かない。ちょっと調べてみると、宮廷軍事局の役割は三十年戦争でも極めて大きいようだ。どうやらヴァレンシュタインと皇帝側の軍事・宮廷機構との膨大な書簡・文書が残されているらしい。
 しかし一方、ヴァレンシュタインのほうでも独自の情報網を持っていたようでもある。本書では情報を収集・整理・分析する「方法」の発達が集中的に論じられているが、公権力と傭兵が同じように情報を収集していることを考えると、情報そのものを各地から運んでくる「回路」についても検討する価値があるのだろう。とりわけ16世紀以来発達した郵便網は、単なる手紙の輸送手段ではなく、軍人・官僚・外交官・商人らの情報を結びつけるネットワーク基盤でもあったはずだ。「中央集権化」と「ネットワーク化」は対立するのではなく、むしろ両者が同時に進んだのではないか。

【個人的な備忘録】
・A・W・クロスビー『数量化革命』1996
・山本義隆『十六世紀文化革命』2007
 これらのグランドセオリーについては本書をきっかけに詳しく知ることになったけど、私のパースペクティブと親和性が高い。私が思いつくことくらいは他の人がとっくに精緻化していることを少し残念に思いつつ、同じことを考えている人間がちゃんとどこかにいることに安心を得る。

河野淳『ハプスブルクとオスマン帝国-歴史を変えた<政治>の発明』講談社選書メチエ、2010年

【要約と感想】ジャック・アタリ『教育の超・人類史』

【要約】人類は長い間学校ではなく家庭や職場を通じて知識を伝達してきましたが、500年前の印刷術普及と宗教改革によって知識が社会に広がり始め、120年ほど前から学校による知識伝達が当たり前になりました。
 しかし過去の教訓から考えれば、教育によって社会を改善できると考えるのは幻想に過ぎず、さらに現在はテクノロジーの発達によって急速に状況が変わりつつあり、根本的に考え方を改めないと人類は滅びるでしょう。

【感想】著者出身のフランスの事情だけやたら解像度が高く、他の地域についてはスカスカだというツッコミは置いておいて。まずは女性に対する教育と子どもに対する虐待について全時代・全地域に渡って丁寧に目配りしているのは、ものすごく感心した。素晴らしい。逆に、従来の教育通史がこの問題にいかに無関心だったかが浮かび上がる。
 また、過去の教育から引き出される教訓については、教育学を専攻する者からすれば苦々しい話ではあるが、なるほどと思わざるを得ない。理想的な教育を行ったからといって、理想的な社会になるわけではない。教育にはできないことがたくさんある。
 勢い、悲観的なディストピアに説得力が出てくる。そして現実世界の動きを見ていると、悲しいことに、預言が当たりそうな雰囲気が漂っている。
 まあ私がいくら心配したところで現実は変わらないので、まずは自分にできることをできる範囲で丁寧にやっていくしかない。幸いなことに、著者が示す明るい未来の可能性に関わる仕事に、私も参加できそうではあるのだ。

【要確認事項】
 古代を持ち上げて中世を下げている。これは中世を暗黒時代と決めつける古臭い歴史観のようにも思えるが、大丈夫か。

ローマ時代の記述に続き「ところが、教育の普及はまもなく崩壊した(ただし、ユダヤ人社会は除く)。その後、世界で大衆の教育レベルがこの程度にまで回復するのには一五〇〇年以上を要した。」74頁

 一方、商業が発達したオランダやイタリアでは世俗的な教育が発達しているような記述がある。経済史や教育史の専門家はもうちょっと慎重な書き方をしているように思うが、ここまで断定的に言いきって大丈夫か。

「一〇世紀以降、フランドルの港町の商人や貴族は、「子供は純真な存在」と考えるようになり、子供の教育に熱心になった。なぜなら、読み書き算盤の能力を必要とする仕事が急増したからだ。(中略)仕事に忙しい商人は、自分たちの知らないこれらの知識を(将来の従業員に)教える学校を必要とした。つまり、聖職者がラテン語で祈りを唱える小教区学校の出番ではなくなったのだ。」107頁

 印刷術により知識普及の質と量が格段に上がったことはマクルーハン以来の常識ではある。が、中世の書物の価格が「家一軒分」というのはハスキンズが引用する史料に出てくるくらいだと思うのだが、何の根拠があって言っているのか。まあ中世の書物の価格について具体的に言及するものは少ないので、ありがたく参照させていただくが。

印刷術の登場によって「書物の価格は急落した。手書きの本の価格は家一軒分だったが、キケロの著作の印刷版の本の価格は、すぐに教授の一か月分の給料と同じくらいにまで下落した。」137頁

 私の理解では、デューイは『学校と社会』で「人格」という概念を前面に打ち出すような話をしていないが、著者は何を見てそう言っているのか。

「一八九九年、当時のリベラリズムに触発された心理学者ジョン・デューイは『学校と社会』を出版し、シカゴ大学内に実験学校を設立した。デューイの考える学校のおもな役割は、子供が「人格」を養うこと(完全な自己実現に導く習慣と美徳を身に付けること)だった。」300頁

【個人的な研究のための備忘録】学校教育
 教育史では常識に属するが、人類の長い歴史の中で学校教育という形式は例外的だ。常識が示されたテキストということで、いちおうサンプリングしておく。

「社会を機能させるのに必要な知識の伝達は、世界中で何千年もの間、一九世紀中頃までは、おもに学校抜きで、学校外で、さらには学校に反して行われてきた。学ぶ時期は子供時代であり、これは現在も変わらない。学びの場は一般的には家庭であったが、多くの子供が職場で学んでおり、女子は学ぶ機会を持たなかった。学びの場では虐待が横行していた。」19頁
「今日、われわれが「学校」と呼ぶ施設は、各種教会の神官や権力者に仕える高官の養成を除き、ほとんど何の役割も担っていなかった。」75頁

ジャック・アタリ/林昌宏訳『教育の超・人類史』大和書房、2024年

【要約と感想】J.L.アブー=ルゴド『ヨーロッパ覇権以前』

【要約】16世紀以降に西ヨーロッパはアメリカ大陸からの収奪によって原始蓄積を進めることでグローバルな世界システムの覇権を握りましたが、それはヨーロッパの科学や技術や思想や文明にアドバンテージがあったからではなく、ただそれ以前の13世紀から存在した世界システムの衰退による権力の空白にたまたま便乗できただけです。
 13世紀には西欧―東地中海ー中東ーインドー東南アジアー中国の各サブシステムが連動して各地域を結ぶ交易が活発に行われ、資本主義的な流通・金融・生産様式が発達しました。モンゴル帝国の覇業によって、中央アジア内陸ルートの終着点である中国北部と、紅海・ペルシャ湾を経由するインド洋ルートの終着点である中国南部が繋がり、世界システムが駆動するようになりました。しかし14世紀半ば以降はペストの流行やモンゴル帝国の衰退に伴って世界システムに綻びが生じ、元を引き継いだ明にもインド洋海上交易ルートを確保する経済的余裕がなく、インド洋海上ルートに権力の空白が生じ、そこに西欧がつけ込みました。

【感想】まあ、広域的な統一権力が成立すると国家が積極的に関与しようがしまいが流通や金融取引のコストとリスクが下がって交易が盛んになり、都市後背地の商品作物生産とマニュファクチュアも発達するという、言ってみればそれだけの話を、世界的規模で地政学的な知見も絡めながら展開したからおもしろく読める本になっているのかな、と思ってしまった。本書でも言及されているように、紀元前後のローマ帝国と漢帝国のように東西に広域権力が並び立った時にはシルクロードを通じた交易が栄えた。本書が扱う14世紀には、モンゴル帝国が中央アジアと中国北部さらに中国南部を広域支配し、ムスリムがエジプトからペルシャまでを広域支配したことで、政治的安定を背景に交易が栄えた。またたとえば江戸時代の日本は幕藩体制による広域的な政治的安定を土台として商品経済が発達した。海賊や山賊の恐れがなければ流通のコストが下がり、ルール違反者を取り締まる治安が良ければ金融のコストが下がる。戦争がなければ商品作物の生産力やマニュファクチュアが発達する。広域的統一権力は、民兵を取り締まり、治安を強化し、戦争を起こさないことで、経済を発展させるための土台となる。
 しかしその広域統一権力による平和と安全を土台とした経済発展が永久に続くことはない。なぜなら、商品経済の進展に伴って地域ごとの役割が固定して格差が拡大し、矛盾が看過し得ないところまで拡大したところで広域統一権力の破綻が起きるのは必定だからだ。もちろん21世紀の現在は、大方の世界システム論者が予見したとおり、パックス=アメリカーナが破綻しつつあるところ、ということになるのだろう。やれやれだ。

【個人的な研究のための備忘録】ルネサンス
 本書の趣旨からいえば脇筋のテーマになるのだが、ルネサンスに関わるイタリア諸都市の位置づけについてメモしておく。

「南ヨーロッパは、北西ヨーロッパが被った世界からの分離や再結合の過程を経験することはなかった。暗黒時代に北西ヨーロッパではたとえ光が消えたとしても、イタリアでは光が灯りつづけていたのである。」58-59頁
「もしこの定義を使うとすれば、ジェノヴァとヴェネツィアの都市国家(フィレンツェや他のイタリアの内陸商業都市は言うまでもなく)が、多少のちがいこそあれ、十三世紀までにはほぼ資本主義国家であったことに、疑う余地はほとんどないだろう。」155-156頁

J.L.アブー=ルゴド『ヨーロッパ覇権以前(上)』岩波現代文庫、2022年<2001年
J.L.アブー=ルゴド『ヨーロッパ覇権以前(下)』岩波現代文庫、2022年<2001年

【要約と感想】橋場弦『古代ギリシアの民主政』

【要約】紀元前5世紀以降にアテネを中心として東地中海に広がった民主政は、かつてはローマ帝国による支配後(2世紀半ば)に衰退したと思われていましたが、碑文調査など最新の実証研究によってその後に成熟していたことが分かりました。本書では民主政の要件として(1)広範囲の参政権(2)一人一票の原則(3)最高意思決定機関としての民会(4)役人抽選制(5)市民裁判権を挙げ、アテネを中心に民主政の実態を解説します。アテネの民主政を支えたのは、地域共同体レベルで民主政の精神と制度が根付き、人々が考え方と運用に習熟していたからです。プラトンやアリストテレスなどの権威的著作者による「衆愚政」とのレッテル張りによって現代知識人の間でも民主政に対する固定観念は根強いのですが、古代民主政とは思想として理論化されたり著述されたりするものではなく、実際に生きるものであり、一つの共同体をみんなで平等にわかちあうものです。

【感想】30年以上前に世界史で習った知識とはずいぶん異なっていて、教養は定期的にアップデートしておくべきだ、と改めて実感したのであった。陶片追放やソクラテス裁判の意味など、勉強になった。
 プラトンやアリストテレスは知的エリートとして、クセノフォンは軍人エリートとして、それぞれ民主政に対して批判的な姿勢を示している。キレッキレの君主が統治すれば下々の者は幸せになれる的思考は、いくら田中芳樹が批判しようが、根強く人々を捉えている。ただソクラテスに関しては、確かに「人々を導く教育」に関しては衆愚観を隠さないものの、それは一般の人々をコケにしようというよりはソフィストたちを批判する際の視点であって、政治の場面では民主政を遵守していたし、実際に国法には最後まで従った。本書は「有罪票を投じたアテナイ市民の立場に立てば、この判決はけっして不条理なものとは言えない」(168頁)と言うが、それはない。「〇〇の立場に立てば、不条理ではない」というのは、形式論理的に当たり前の話で、陰謀論だってなんだって正当化できてしまう。何も言っていないに等しい。たとえば「プラトンの立場に立てば、民主政を批判するのは不条理ではない」となる。お師匠さんを殺されたわけだから。
 ソクラテス裁判の判決は、民主政にあっても間違いなく不条理だった。民主政だって無謬ではない。ただし民主政以外の政体だったとしたら、ソクラテスは100回くらい有罪になっていただろう。僭主に奴隷に売られてしまったプラトンを見よ。ソクラテス裁判を不条理だと認めたからと言って、民主政を排除するという話にはならない。我々がどんなに愚かだろうと、実際愚かなのだが、民主政を成熟させていくしかない。民主政の良いところは、科学の手続きと同じく、「かつての過ちを認められる」ところにあると思う。「無謬」を主張する者ほど信用ならない。

橋場弦『古代ギリシアの民主政』岩波新書、2022年

【要約と感想】井上文則『軍と兵士のローマ帝国』

【要約】ローマ帝国はローマ軍でもっていたと言っても過言ではありません。ローマ共和政は紀元前2世紀半ばに属州を得てから統治の在り方が大きく変化し、軍では従来のアマチュア的な市民軍からプロの職業軍人へと変わります。アウグストゥス帝に至って給料制の常備軍となりますが、経済的背景にはシルクロード貿易を通じた関税収入があります。しかし2世紀の大規模な疫病と対外戦争を経て、機動軍の創設や能力主義的な人材抜擢など軍の在り方が大きく変わり、属州出身者も軍で出世するようになって、軍の実力を後ろ盾とした軍人皇帝が続出します。属州防衛のために東西を分担して統治するようになりますが、本格的にゲルマン移動が始まると、経済圏が崩壊して西ローマ軍の質と量が劣化し、軍にも異民族を大規模に取り入れるようになります。最後は異民族に滅ぼされます。

【感想】ユーラシア大陸全体の動向を視野に入れて分析し、シルクロードの交易による収入がローマ帝国草創期の常備軍を支えたと主張するのは、なるほど、説得力を感じる。アンティオキアやアレキサンドリアの地政学的な重要性がとてもよく分かる。

 一方気になるのは、ピレンヌテーゼではゲルマン民族移動などたいしたことなかったとみなしているのに対して、本書は教科書通りゲルマン民族移動をローマ帝国衰亡の原因として当然視しているところだ。異民族の侵入に対して属州の人々が反抗しなかった理由として、本書は軍隊の駐留形式(民家に分泊)を挙げているけれども、ピレンヌだったら「そもそも大したことがなかったし、異民族の方がローマ文明に同化した」と言うところだろう。
 ピレンヌの主張の肝は、仮にローマ皇帝が廃位されて政権が変わったとしても、文化的には旧来のローマ的生活を問題なく引き継いでいるというところだ。そういう観点からは、一般市民から切り離された軍隊がどれだけ変化あるいは衰亡しようと、一般市民のローマ的生活には何の影響も与えないということになる。確かに476年に政権としての西ローマ(および軍)は滅びたかもしれないが、ローマ的生活が終了するのは6世紀にイスラム勢力がシリアとエジプトを抑えて西地中海の交易システムが崩壊した時だ。アレクサンドリアから地中海を通じてもたらされる物品が途絶えると、古代ローマ的生活は崩壊する。
 そういう観点からは、本書もシリアとエジプト(あるいはヘレニズム世界)の地政学的な意義を極めて大きく見積もっているところは印象的だ。従来の通説的な見方では、世界の境界としてユーフラテス川が自明視されていたが、それは「ローマ帝国」を実態視する故の錯誤に過ぎず、本質的な境界線は西ローマと東ローマの間にあると言う。西ローマは地中海世界(現代で言うヨーロッパ)で、東ローマ以東はヘレニズム世界だ。つまりビザンツ(東ローマ)はヨーロッパに近いのではなく、ヘレニズム世界に近いということだ。この視点は、「ローマカトリック=ラテン語世界/ギリシア正教=ギリシア語世界」のあまりの違いを考える上では、極めて有効に働きそうだ。たとえば、文化的にはラテン世界ではキケロ的な雄弁術の伝統が前面に出て来るのに対し、ビザンツではギリシア語的な神秘主義の伝統が前面に出て来る、ということになるか。

井上文則『軍と兵士のローマ帝国』岩波新書、2023年