「読書感想」カテゴリーアーカイブ

【要約と感想】Joyce Divinyi『子どもの問題行動への効果的な対応』

【要約】問題児に対するときは、まず落ち着こう。感情を抑えよう。問題児は感情と衝動に支配されていて、未来のことが考えられず、自分に選択肢があることにすら気がついていません。ルールを作って、首尾一貫してご褒美を与え、罰を加えましょう。子どもに選択肢を与えて、結果の責任を負う経験を積ませましょう。
そして大人のほうは、ゆとりを持って対応するために、自分を褒めて、エネルギーをたっぷり蓄えておきましょう。自分でコントロールできることに集中し、コントロールできないことは気にしないことです。

【感想】長年にわたって現場で問題児と対峙して効果を上げたり上げられなかったりした著者の経験が詰め込まれていて、言葉に重みがある。貴重な経験から得られた教訓の数々は、私自身の教師としての行動に活かしていきたい。

【今後の研究のためのメモ】
「人格」という言葉の用法に関していくつかサンプルを収集できた。原文ではなんとなく「personality」ではなく「character」のような気がするのだが、さてどうだろうか。

「前述した少女に私が褒め言葉を言えた理由の一つは、対決している最中でも少女の行動と人格とを区別するように注意していたからです。」(58頁)
「褒める対象は常に行動や活動で、人格や個人ではありません。」(97頁)

また「自由」という言葉の用法に関しても、アングロ・サクソン的な伝統が垣間見えるような気がする。

「子どもに自分で考えて選択する自由を与えると、あなたが望んでいることをやらなくなるのではないかと思うかもしれません。しかし、そんな心配は不要で、事実は逆です。選択肢を与えて選択の結果を理解させれば、子どもは自分にいちばん合う方法で行動する自由を感じるようです。」(106頁)

Joyce Divinyi/吉原桂子訳『子どもの問題行動への効果的な対応』田研出版、2010年

【要約と感想】佐藤佐敏『学級担任これでいいのだ!先生の気持ちを楽にする実践的教育哲学』

【要約】先生が一人で頑張ってもうまくいくわけないし、逆に頑張らなくてもうまくいくことが往々にしてあるので、そんなに肩肘張らずにいきましょう。個性なんて、ないならないで困らないし。自己実現も、別に求めなくていいんじゃない? 一貫性なんて、そもそも無理。最初から「無理」って言っとけば、子どもも先生も楽になりますよ。

【感想】これ、「哲学」じゃなくて、「エッセイ」だなあ。まあ、別にどっちでもいいんだけど。
感心したのは、教育のサービス化という厳しい現実から「教師の勤労意欲が大事だろ」(155頁)という命題を導き出す流れ。いやほんと、まさにそれ。もっと声を大にして言っていただきたいし、主張していきたいところなのだった。

【個人的研究のためのメモ】
人格とか個性とか、用法サンプルをいろいろ収集できたのだった。

「師弟の間に甘い時間が流れます。しかし、教師はそれに酔ってはいけませんよね。人格の完成を目指すのが教育です。子どもとの距離の近さに不感症になってはいけません。」(56頁)

お、こういう文脈で「人格の完成」(教育基本法第一条)が使用されるのか、とニヤリとしたのだった。生徒が先生のことを忘れるくらいが「人格の完成」の目指すところという、なかなか含蓄のある話だ。
またあるいは「個性」について。

個性を煽られたくないのだ(個性という概念の弊害)
一九九〇年代から最近まで、「個性の伸張」が大きな教育課題でした。
学校はこぞって「個性を伸ばす教育」「を生かす教育」といった研修主題を掲げていました。(中略)
しかしながら、最近個性を伸ばすことの弊害もまた指摘されるようになりました。(中略)
これまで私たち教師は、子どもたちに対して「自分らしさを大切に」「あなたの持ち味を活かして」と語ってきました。実は、私もそう語ってきました。それがかえって子どもたちを息苦しくしているとなると、大変に難しい時代に入ったと言えそうです。
自分らしさを追究して途方に暮れている子どもがいたら、「個性なんて、いらないよ」(ちょっとオドけて)「だいたい、先生であるオレ自身、個性なんてないから」「オレみたいな先生、世の中ごまんといるしね」と言ってあげたいものです。」(123-126頁)

まあ、ナルホドねという感じではある。が、哲学的に言えば「個性」という概念を極めて表層的に捉えている言葉ではある。とはいえ、著者が悪いというよりは、日本全体が「個性」という言葉を薄っぺらく表層的なものにしてしまった結果とも言えなくはない。21世紀初頭の「個性」をめぐる雰囲気を言い表わしている文章として、なかなかいいサンプルなのかもしれない。

佐藤佐敏『学級担任これでいいのだ!先生の気持ちを楽にする実践的教育哲学』学事出版、2013年

【要約と感想】田中千穂子『ひきこもり―「対話する関係」をとり戻すために』

【要約】人は、新しい自分にステップアップしようとするときに、自分自身を問い直し、造り替えるため、多かれ少なかれいったん内側に引きこもるものです。その移行がうまくいかなかったとき、いわゆる「ひきこもり」が発生します。心が壊れてしまいそうなとき、自分を守るために「ひきこもり」を起こすのは、人間として普通の行動です。
現代の学歴社会で、子どもたちは想像以上のプレッシャーを受けています。子どもの成長ペースと社会が求める成長ペースがズレているのが、「ひきこもり」の社会的背景です。社会が要求するペースに惑わされないようにしましょう。学校に行かなくなることなど、長い目で見れば、たいして問題ではありません。
対応で大事なのは、とにかく両親が焦らないことです。初動で焦って引っ張り出そうとすると、たいてい良くない結果に終わります。ちょっと良くなったからといって、焦って結果を求めてはいけません。子どもが本来持っている力を信じましょう。対話への姿勢を諦めないことが大事です。両親のほうが辛い思いをして、投げ出したくなる気持ちも分かります。それでも子どもの力を信じてあげてください。
そして社会全体では、学歴偏重の教育のありかたを根本から見直す必要があります。「ひきこもり」という現象は日本にしか見られないのです。

【感想】1996年の初版から、2003年までに7刷りを数える、なかなか売れた本だ。今や古典の部類に入ってくる本になるだろう。斉藤環の仕事より早い。おそらく類書が少ない中で、本書を頼りにしたご両親や先生方が多かっただろうことが推測される。
そして初版発行から23年を経て、いま「80-50」の問題が取り沙汰される世の中になっている。ひきこもりは、ますます加速して社会問題化している。それは本書の知見が活かされなかったというより、我々が「わかっていながら見ない振り」をしてきたことのツケなんだろうと思う。今さらではあるが、しかし、腰を上げて真剣に対応せざるを得ない。

とはいえ、「学歴偏重」と「ひきこもり」を直接的に結びつけることは、直感的には「ありえそう」と思えるものの、明確なエビデンスがあるわけでもない。たとえば本書では家族関係(特に母子関係)の在り方にも言及しているわけだが、それと学歴偏重主義との関連は論理的に明確ではない。教育関係者として、モヤモヤしたものが残るところだ。
何かもっと本質的な原因があるかもしれないことを考慮に入れつつ(たとえば日本における学校と宗教の関係とか)、しかしまずは目の前の具体的な問題にひとつひとつ対応していくしかない。最前線で奮闘する関係者一同の努力には、頭が下がる。

田中千穂子『ひきこもり―「対話する関係」をとり戻すために』サイエンス社、1996年

【要約と感想】若松亜紀『10歳からの男の子は「聞く」より「待つ」でうまくいく』

【要約】子育てに迷っているお母さん向けの本です。
男の子は10歳くらいから、お母さんの言うことを聞かなくなります。当然です。子どもが変わっているのに、お母さんが変わらないのが本質的な問題なのです。お母さんのほうから変わりましょう。何か言いたくなる気持ちを、ぐっとこらえましょう。子どもを信頼して、自由と責任を与えて、自立を待ちましょう。イライラしたら、見ない工夫をしましょう。大丈夫です。待っていれば、とてもいいことがあります。

【感想】まあ、かつて男の子であった身として、既視感が否めない事例が並ぶという。お母さん、ごめんなさい。苦労をおかけしました。でも、まあ、背伸びしたいお年頃なんです。恐れ入ります。この歳(46歳)になれば、もはや感謝しかありません。

一方、気になるというか、なんというか、本書で「性」的な話が一切出てこないのは、多少どうなんだろうかという気もする。実は10歳くらいから、この問題の扱いがとても難しくなってくると思うのだけれども。まあ、ないものねだりではある。それぞれの家庭で真剣に向き合っていくしかないのではあった。

若松亜紀『10歳からの男の子は「聞く」より「待つ」でうまくいく』PHP研究所、2015年

【要約と感想】奥地圭子編著『子どもに聞くいじめ―フリースクールからの発信』

【要約】実際にいじめを経験した子どもたちの声に耳を傾けてください。「頑張れ」というメッセージは、単に子どもたちを潰しています。親や教師の初動ミスが致命傷になります。まずは子どもの話をしっかり聞く姿勢が大事です。説教するのは逆効果です。政府や教育再生会議のいじめ対策は、まったく効果がありません。現実を見ていません。いじめとは戦わずに逃げるのが肝心です。「学校に行かない」という選択肢を真剣に考えましょう。

【感想】10年以上前の本で、出版当初から現在までにずいぶん状況は変わっている。本書に示された見解の有効性が証明された形で、現実は変わっている。いじめに対しては、もはや真剣に立ち向かう価値などないということでファイナルアンサーだ。まずは逃げるのが肝心だ。子どもの安全と安心を確保してから、さあ、じっくり解決に向おうというのが現在のセオリーとなりつつある。
そういう後知恵を持ってみると、本書で子どもたちが語る具体的事例で、両親や教師が実際に採った対応はあまりにも稚拙ではある。状況をよくする要素が、まるでない。とはいえ、それは後知恵だから言えることではあって、渦中にある人たちにとっては真剣な対応だっただろうことも分かる。その真剣な対応が逆効果でしかなかったことは、教訓としてしっかり記憶しておかなければならない。いじめには立ち向かう価値などない。逃げるのが肝心。
不幸を繰り返さないために、教育関係者一同、しっかり教訓を共有していかなければならない。

不登校に関しては、2016年に不登校に関する調査研究協力者会議から「不登校児童生徒への支援に関する最終報告~一人一人の多様な課題に対応した切れ目のない組織的な支援の推進~」が提出され、それを踏まえて文部科学省が「不登校児童生徒への支援の在り方について(通知)」を通知した。注目されるのは、「フリースクール」の重要性が大きく打ち出されたことだ。「学校に行く」ことが最終解決ではないことが正式に表明されたことは、とても意味があることかもしれない。答申と通知を踏まえ、東京シューレをはじめとするフリースクールの取り組みに対してこれからますます注目が集まることになるだろう。フリースクールへの支援と協力の体制についても、教育関係者一同、真剣に考えていかなければならない。

奥地圭子編著『子どもに聞くいじめ―フリースクールからの発信』東京シューレ出版、2007年