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【要約と感想】藤野京子『困っている子を支援する6つのステップ』

【要約】意地悪をしたり暴れたりする困った子に対して、頭ごなしに叱っても、問題は解決しないどころか、むしろ悪化します。問題行動のパターンを見極め、適切な支援を行なえば、確実に問題は解決し、子どもは成長していきます。

【感想】心理学の知見を応用しながら、現実的な問題対処のパターンを確立しようと試みている本だ。理論的背景はLSCI(Life Space Crisis Intervention)というものらしい。
6つのステップとは、(1)落ちつかせよう(2)整理させよう(3)見極めよう(4)気づかせよう(5)訓練しよう(6)準備させよう、ということらしい。そして問題のパターンにも6つあり、(1)現実誤認(2)問題の発生源(3)攻撃行動の正当化(4)自己価値(5)スキル(6)他者との不適切な関係、とのことだ。

本書はいろいろ具体的な対処を示しているわけだが、一言で言えば「メタ認知」とか「セルフ・モニタリング」という概念に集約されるように思った。子どもが意地悪や暴力など不適切な行動を起こしてしまうのは、要するに自分を客観視できておらず、その行動がどのような帰結を招くのか予測ができていないからだ。自分の行動や感情を第三者視点から分析できるようになれば、功利主義的に考える限り、不適切な行動は減るに決まっているのだった。いかにメタ認知の視点に気づかせるかが、具体的な対処のスキルとなってくる。

とはいえ、メタ認知ができる上で問題行動を起こす人間も、世の中には存在するわけだ。こういう人間に対しては、本書の対処法は役に立たないような気がする。
まあ、本書は素直な年齢の子どもを対象にしているので、あまり心配することもないのだろうけれども。

藤野京子『困っている子を支援する6つのステップ―問題行動解決のためのLSCI(生活空間危機介入)プログラム―』明石書房、2010年

長岡利貞『自殺予防と学校―事例に学ぶ』

【要約】自殺予防に関して、日本は遅れています。マスコミも無責任です。「寝た子を起こす」ようなことは、ありません。本書は具体的な事例を通じて、自殺予防のあり方について考えます。
自殺の形は様々です。マスコミが言うような一般事例に解消することはできません。子どもの自殺を予測することは簡単ではありませんが、関係者一同が力を合わせていく必要があります。

【感想】パラグラフのまとめに自殺に関連した短歌が置かれるなど、文学的な余韻があって、格調高い本であった。個別事例についても深く踏み込みつつ、現代の精神医学的知見だけでなく歴史的社会的背景についても目配りが行き届いており、著者の幅広い教養と知性を感じる。感じ入りながら読んだ。自殺予防に関してマイルストーンになり得る本なのかもしれないと、個人的には高く評価する。

長岡利貞『自殺予防と学校―事例に学ぶ』ほんの森出版、2012年

【要約と感想】全生研常任委員会編集『荒れる中学生をどうするか』

【要約】1998年頃から、中学生の荒れ方が変化してきています。それまではツッパリのように目に見える荒れだったのですが、最近は「普通の子」が「いきなりキレる」ようになりました。表面上は「やさしい」けれども、実際は競争と同調の圧力によってストレスが貯まり、「権力的・暴力的なもの」が鬱積しているのではないかと思われます。

【感想】1998年の黒磯教師刺殺事件等をきっかけにして、新たな荒れが注目され始めた頃の本だ。ただ、本書の内容そのものは「新しい荒れ」というよりも、昭和型のツッパリ対応が中心となっている。新しい事態を正確に受けとめて対応することは、なかなか難しい。
近年では、学校の様相がまた変わってきているように思う。学校の中での荒れそのものは目立たなくなっている。その代わりに、静かに「無力感」が子どもたちを支配しているようにも見える。ゼロ・トレランスは、子どもの「生きる力」を叩きのめすという点では、これ以上ない効果を上げているように思える。
学校や教育をどうするのか。現場も教育理論も知らないし知ろうともしない政治家たちが適当でいい加減な対応を繰り返し、現場は混乱に陥っている。

全生研常任委員会編集『荒れる中学生をどうするか』大月書店、1998年

【要約と感想】Joyce Divinyi『子どもの問題行動への効果的な対応』

【要約】問題児に対するときは、まず落ち着こう。感情を抑えよう。問題児は感情と衝動に支配されていて、未来のことが考えられず、自分に選択肢があることにすら気がついていません。ルールを作って、首尾一貫してご褒美を与え、罰を加えましょう。子どもに選択肢を与えて、結果の責任を負う経験を積ませましょう。
そして大人のほうは、ゆとりを持って対応するために、自分を褒めて、エネルギーをたっぷり蓄えておきましょう。自分でコントロールできることに集中し、コントロールできないことは気にしないことです。

【感想】長年にわたって現場で問題児と対峙して効果を上げたり上げられなかったりした著者の経験が詰め込まれていて、言葉に重みがある。貴重な経験から得られた教訓の数々は、私自身の教師としての行動に活かしていきたい。

【今後の研究のためのメモ】
「人格」という言葉の用法に関していくつかサンプルを収集できた。原文ではなんとなく「personality」ではなく「character」のような気がするのだが、さてどうだろうか。

「前述した少女に私が褒め言葉を言えた理由の一つは、対決している最中でも少女の行動と人格とを区別するように注意していたからです。」(58頁)
「褒める対象は常に行動や活動で、人格や個人ではありません。」(97頁)

また「自由」という言葉の用法に関しても、アングロ・サクソン的な伝統が垣間見えるような気がする。

「子どもに自分で考えて選択する自由を与えると、あなたが望んでいることをやらなくなるのではないかと思うかもしれません。しかし、そんな心配は不要で、事実は逆です。選択肢を与えて選択の結果を理解させれば、子どもは自分にいちばん合う方法で行動する自由を感じるようです。」(106頁)

Joyce Divinyi/吉原桂子訳『子どもの問題行動への効果的な対応』田研出版、2010年

【要約と感想】高木清『15歳までの必修科目―非行臨床と学校教育の現場から』

【要約】愛情と信念を持って接すれば、非行少年も必ず更生します。そうならないのは、教育現場がおかしいからです。

【感想】まあ、言いたいことは分からなくもないし、少年鑑別所での粘り強い取り組みには頭が下がる。こういう誠実な人が現場に増えれば、鑑別所でも学校でも、救われる子どもは増えるだろう。それは間違いない。
だがしかし、教育制度についての勉強不足は、著しい。教育基本法に対する無理解には、唖然とせざるを得ない。真に受けるわけにはいかない。御本人が誠実であることはとてもいいことなのだが、だからといって不勉強であることが免罪されるわけではない。
たとえば「○○するべきだ」という文章があまりにも多すぎるが、大半は誰もが気づいていて文部科学省が既に着手しているものばかり(キャリア教育とか人権教育とかカリキュラム・マネジメントとかチーム学校とか能力別学級編成とか初任者研修とか)だし、そもそもこのような大量の要求によって現場が疲弊しているのだということには、気がついた方がいい。教育現場に「○○するべきだ」ということを言っても、誰も幸せにならない。「○○なんて、無駄だから、やらなくていいよ」と言ってあげるほうが、遙かに大切な時代なのだ。ほんとうに、無駄な行事や書類書きは、さっさとやめるほうがよろしい。

著者の真摯さと誠実さと熱意と粘り強さと愛情をしっかり受け取め、著者が多くの若者たちを救った具体例や経験に敬意を払いつつも、教育現場に対する具体的な提言に対しては見なかった振りをするべき本であるだろうと思った。個人的な成功体験は、必ずしも組織や制度全体の改善には結びつかない。具体的な改善については、皆で知恵を出し合っていかなければならない。

高木清『15歳までの必修科目―非行臨床と学校教育の現場から』海鳥社、2014年