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【要約と感想】小田貴美子『人とうまくつき合えない子どもたち』

【要約】不登校や引きこもりの子どもに苦労しているご両親向けの本です。
不登校や引きこもりになる子どもは、自己主張が苦手で、親など周囲に合わせて、気を遣って、ずっといい子を演じ続けてきて、疲れてしまうという特徴があります。本人が周囲のせいにして親を恨んでいる状態では、問題は解決しません。
本人がやりたいことを十分にやらせれば、そのうち自分で動きはじめます。親は、子どもが本来もっている力を信じましょう。

【感想】誤字脱字が多く、稚拙な表現が多いところが気になってしまった。「高校生の七割は煙草を吸っています」(42頁)とか、デタラメが平気で書かれていたりもする。こういうのを放置すると、本の全体的な信頼度が下がってしまう。編集者はもっと頑張ってもよかったのではないか。

小田貴美子『人とうまくつき合えない子どもたち―不登校・ひきこもり・ニート、その理解と支援』学事出版、2006年

【要約と感想】三池輝久『学校を捨ててみよう!―子どもの脳は疲れはてている』

【要約】不登校は、心理的な葛藤ではなく、病気です。ホルモンバランスが崩れ、免疫機能が低下しています。身体からエネルギーが枯渇しているので学校に行けないのです。本人の努力とか気合いという問題ではありません。
子どもが疲れているのは、強制的に協調性を押しつける学校の責任です。人格を持つ一人の人間として子どもと向き合わないせいです。学校に行く必要はありません。ゆっくり休んで、薬を飲んで、まず身体を治しましょう。

【感想】脱学校論そのものは1970年代から連綿と続いているわけだけど、こういうふうに脳科学と結びつくのは21世紀の傾向なんだろうなあ。まあ、科学的な装いをしつつも、言っていること自体は変わらない気がするのであった。
気にかかるのは、現代社会に対する分析と認識が甘いというか、資本主義や新自由主義に対する洞察が一切欠けているところだ。とりあえず、変な人に変な利用をされないように気をつけてもらえばなあというところではある。私からは、「脳科学」を自称する人たちがエビデンス抜きで自分勝手な主張をしまくる傾向にあるように見えている。

【言質】
「人格」や「個性」という言葉の使い方で、けっこう言質がとれた。

「私は何人かの教師の主治医であったが、そのような例を知らない。当然、登校刺激などあるはずがない。それは学校の教師が一人前の人格をもった「人」として扱われているからではないのか。そして、けっして怠けで登校できないなどと考えもしないからではないか。
逆に言えば、子どもたちは教師たちから、けっして一人前の人格が認められておらず、怠けているなどの疑いの目でみられていることを示すのである。(中略)
残念なことに、不登校はこれからは加速度をつけて急速に増えつづけると断言できるのであるが、その要因の一つに、保護者や教師が生徒を一人前の人格をもった人間として認めていないところにあると気づいていただきたいのである。」(143頁)
「扁桃体には、年齢を問わず、それまでの経験や学習に裏打ちされたその人独自の価値観が詰まっている。この価値観は、それを上回る強力で納得できる経験がない限り、簡単に塗り替えることはできない。それゆえに子どもたちの個性を大事にすることの重要さが解かれるわけである。現代学校社会では、すでに子どもたちの個性が大事にされているという人もあるようだが、それは個性というものを理解できていない人の話である。子どもたちの個性を大事にするということは、子どもたちの価値観を大事にするということにほかならない。」(155頁)
「大人が考えた理屈ではなく、子どもたちが幸せと感じるか否か、この感じるということが重要なのである。扁桃体に存在する自分の価値観が納得され、前頭葉に収斂されて判断されたことがその人の個性となる。この個性が本当に大事にされるときはじめて自由を得ることになり、「生きる力」がつちかわれる。」(156頁)

まあ、なるほどなあというところではある。著者によれば、「個性」の定義とは「扁桃体に詰まった価値観」ということになるようだ。そういう定義で本当に大丈夫なのかどうか、要検討事項だ。

三池輝久『学校を捨ててみよう!―子どもの脳は疲れはてている』講談社+α新書、2002年

【要約と感想】中山憲治・橋本俊英・遠藤光男共著『学校だからできる―いじめ・不登校・虐待への対応―』

【要約】いじめや不登校を解決する鍵は、学校での人間関係の改善です。近年の子どもの規範意識は低下しています。現代の課題を乗り切るためには、カウンセリングだけでは不十分で、規律が必要です。教師が集団で足並みを揃えて対応しましょう。悪質な場合は、ためらわず警察へ相談しましょう。

【感想】いわゆるゼロ・トレランスの影響が見られる本だ。長年最前線で仕事をした著者たちの実感なのかもしれない。が、現在では状況がそこそこ変わってきている気もする。世紀転換点の状況を記録する歴史的文書として考える本なのかもしれない。そういう意味では、夜間中学校に関わる具体的な話は、かなり興味深く読める。なかなか生々しい。

中山憲治・橋本俊英・遠藤光男共著『学校だからできる―いじめ・不登校・虐待への対応―』田研出版、2000年

【要約と感想】奥地圭子編著『子どもに聞くいじめ―フリースクールからの発信』

【要約】実際にいじめを経験した子どもたちの声に耳を傾けてください。「頑張れ」というメッセージは、単に子どもたちを潰しています。親や教師の初動ミスが致命傷になります。まずは子どもの話をしっかり聞く姿勢が大事です。説教するのは逆効果です。政府や教育再生会議のいじめ対策は、まったく効果がありません。現実を見ていません。いじめとは戦わずに逃げるのが肝心です。「学校に行かない」という選択肢を真剣に考えましょう。

【感想】10年以上前の本で、出版当初から現在までにずいぶん状況は変わっている。本書に示された見解の有効性が証明された形で、現実は変わっている。いじめに対しては、もはや真剣に立ち向かう価値などないということでファイナルアンサーだ。まずは逃げるのが肝心だ。子どもの安全と安心を確保してから、さあ、じっくり解決に向おうというのが現在のセオリーとなりつつある。
そういう後知恵を持ってみると、本書で子どもたちが語る具体的事例で、両親や教師が実際に採った対応はあまりにも稚拙ではある。状況をよくする要素が、まるでない。とはいえ、それは後知恵だから言えることではあって、渦中にある人たちにとっては真剣な対応だっただろうことも分かる。その真剣な対応が逆効果でしかなかったことは、教訓としてしっかり記憶しておかなければならない。いじめには立ち向かう価値などない。逃げるのが肝心。
不幸を繰り返さないために、教育関係者一同、しっかり教訓を共有していかなければならない。

不登校に関しては、2016年に不登校に関する調査研究協力者会議から「不登校児童生徒への支援に関する最終報告~一人一人の多様な課題に対応した切れ目のない組織的な支援の推進~」が提出され、それを踏まえて文部科学省が「不登校児童生徒への支援の在り方について(通知)」を通知した。注目されるのは、「フリースクール」の重要性が大きく打ち出されたことだ。「学校に行く」ことが最終解決ではないことが正式に表明されたことは、とても意味があることかもしれない。答申と通知を踏まえ、東京シューレをはじめとするフリースクールの取り組みに対してこれからますます注目が集まることになるだろう。フリースクールへの支援と協力の体制についても、教育関係者一同、真剣に考えていかなければならない。

奥地圭子編著『子どもに聞くいじめ―フリースクールからの発信』東京シューレ出版、2007年