「読書感想」カテゴリーアーカイブ

【要約と感想】マキァヴェッリ『ディスコルシ―「ローマ史」論』

【要約】真の実力(ヴィルトゥ)を身につけて、運(フォルトゥナ)を乗り越えていこう!

【感想】代表作『君主論』と比較すると、こちらのほうが論の運びが丁寧で、実例も多く、視野も広い。が、その分、勢いには欠け、全体を通じての統一感は薄い。そして表面上、『君主論』のほうは君主制を称揚する一方、本書は共和政を重視しているように読める。また本書はローマ帝国の事例を豊富に扱っているだけあって、古典教養を重視する人文主義の傾向が強くなっている。
 とはいえ共通点ももちろん多く、まず解説でも指摘されているとおり「力(ヴィルトゥ)」への志向は一貫している。日本語ではいろいろな言葉に翻訳されているが、要するに、現実に影響を及ぼすことができる真の実力を意味している。偏差値や学力などのように相対的で潜在的な可能性を意味している言葉ではない。これがいわゆるマキアヴェリズム(目的のためなら手段を選ばない)に直接通じる傾向だ。
 そしてもう一つの共通点は、心理主義的な傾向だ。人々の行動の裏にある欲望や心情を推察し、その流れに乗ると何事もうまく運ぶし、逆らうと失敗する、と一貫して主張している。これは現代では当たり前のことなのだが、中世までは「こうあるべし」という規範を土台に据えた議論ばかりで、人間の欲望や心情を根本に据えて展開する議論にお目にかかることはない。この傾向が、いわゆるマキアヴェリズムの「手段」の説得力に関わってくる。
 ということで、「力への志向」と「心理主義」の二つが組み合わさって、目的のためなら手段を選ばないというマキアヴェリズムが成立するように思える。この2つとも中世までには見当たらないものだし、後の近代の傾向を先取りしているようにも思える。
 逆に言えば、「目的」についてはさほど大きな関心を持っていないように思える。『君主論』は確固たる君主制の実現を目指す方法を説き、『ディスコルシ』は国家を発展させるためには共和政のほうがよいと言っていて、表面上は矛盾しているわけだが、そもそも著者が「目的に関心を持っていない」と考えれば、辻褄が合ってしまう。いったん何かしらの目的を置いてしまえば、あとはそれを実現するための「手段」の考察に全力をかける、というわけだ。これは確かに「目的論の世界」にどっぷり浸かっていた中世から離陸した態度と言えるような気がする一方、アリストテレス(あるいはアヴェロエス主義)の姿勢を極端に推し進めたものとして中世から連続するものと考えてもよいような気もする。こうなると、マキアヴェッリが当時の「自然科学」からどの程度の影響を受けていたかが俄然気になってくるのであった。

【個人的な研究のための備忘録】マキアヴェッリにおける教育
 「教育」に関わる文章がそこかしこに出てきた。が、いま我々がイメージする「学校教育」を語っているわけではないことには注意する必要がある。

「英雄的な偉業は正しい教育のたまものであり、正しい教育はよき法律から生まれる。」42頁
「こうした連中が腐敗した都市に住みなれて、彼らの心に立派な人格を作る教育を受けていないような場合には、どんなささいなことにでも必ず異議を差し挟むものだ。」595頁
「このように好運に恵まれれば得意になり、逆境に沈めば意気消沈する態度は、君たちの生活態度とか、受けてきた教育から生ずるものなのである。教育が浅薄であれば、君たちはそれに似てくる。教育がそれと逆の行き方であれば、君たちは違った性質になる。」602頁
「同じような行為とはいうものの、地域によってその内容に優劣があるのは、それぞれの地域で教育の仕方が違うので、それにつれて異なった生活態度を掴み取るようになるからである。」642頁
「それぞれ異なった家風をもたらす原因は、教育差に基づくものである。なぜならば、若者は幼い時から、事の理非善悪をたたきこまれてはじめて、やがて必然的にこの印象がその人物の全生涯を通じて行動の規範となるからである。」649頁

 上記引用文で言及されている「教育」は、明らかに社会教育を含意している。子どもたちを一定期間教育施設に閉じ込めてもっぱらトレーニングを課す学校教育ではない。そして社会教育とは、「法律」を通じた人格形成を意味している。知識を脳味噌に詰め込むことではない。マキアヴェッリは本書を通じて「良い法律」の制定と遵守を極めて重視している。それは単に治安を維持するためだけでなく、それ以上に、ここで言及されているように「教育=人格形成」に対する効果を考慮してのことだ。「法律」を通じた平時の教育によって確固たる人格を形成することで、緊急時(主に戦争)においても毅然たる行動をとることが可能となる。
 このような「法律」を通じた教育は、なにもマキアヴェッリだけが主張しているわけではなく、プラトン(あるいはソクラテス)以来の伝統だ。またあるいは、「学校教育」による人工的な教育など近代になってから初めて登場したものであって、西洋だろうが東洋だろうが、「教育」と言えば法律を通じた社会教育を含意していたことには注意しておいていいのだろう。だからinstituteという言葉は、現在では「制度を設ける、制定する」という意味で理解されているが、中世までは「教育」を含意していた。(そういう観点から、上記引用部の「教育」の原語が何かは調べておいていいのかもしれない・・)

 一方、「学校」に関して興味深い記述があった。

「市内の上流貴族の子弟が学んでいた学園の一教師が、カミルスとローマ軍の歓心を買おうと考えた。彼は城外において実習を行なうという口実を作って、カミルスの陣営へ生徒全員を連れて行った。そして生徒をカミルスに引き渡し、彼らを人質にすれば、この都市はあなたの手に落ちましょうと言った。だがカミルスは、贈り物を受け取らないばかりか、この教師をまる裸にして後手に縛りあげ、生徒の一人ひとりに鞭を渡し乱打させたあげく、生徒の手で市内に送り返した。」561頁

 街の外で「実習」を行なうということだが、いったいどんなカリキュラムでどんな実習を想定していたかがとても気になる。

【個人的な研究のための備忘録】昔はよく見える
 「昔はよかった」という語りをけちょんけちょんにやっつけている文章があったので、引用しておく。

「人間は、しばしば理由もなしに過ぎ去った昔を称え、現在を悪しざまに言う。このように古い時代に愛着をそそられがちな人びとは、歴史家が書き残した記録を手がかりとして知りうるような古い時代だけにとどまらず、すでに年をとった人びとがよくわるように、自分たちの若かった頃に見聞きした事柄までも褒めあげるものである。人びとのこんな考え方は、たいていの場合間違っていることが多い。」267頁

【個人的な研究のための備忘録】自由
 「自由な政体」のほうが軍事的にも経済的にも発展するという主張は、古代のトゥーキュディデース『戦史』にも見えるところだ。現代の中国やロシアは、果たしてどうなるか。

「国家が領土でもその経済力でも大をなしていくのは、必ずといってよいほどその国家が自由な政体のもとで運営されている場合に限られている」283頁

【個人的な研究のための備忘録】人格
 「人格」という言葉を見つけたのでメモしておく。原語が何かは未調査。

「当人の人格を侮辱すること」479頁
「この人物が立派な人格と力量とで」594頁

マキァヴェッリ『ディスコルシ―「ローマ史」論』永井三明訳、ちくま学芸文庫、2011年

【要約と感想】ハリー・スタック・サリヴァン『個性という幻想』

【要約】精神科医としての臨床の経験を踏まえると、「個性」などというものは存在しません。ただの幻想です。「人格」も、単に存在が仮定されているものに過ぎません。その代わりに決定的に重要なのは人間関係であり、それを規定する場としての文化です。人間関係の在り方によって、つまり場面が異なれば、人の行動や思考は変わります。精神科医として大事なことは、「人格」や「個性」を所与の前提とせず、クライアントの人間関係の有り様を浮かび上がらせることです。そして精神病を生み出す「社会」の有り様の改善へ足を踏み出すことです。

【感想】人格や個性など仮説に過ぎないという1930年代アメリカの意見というと、もう即座にG.H.ミードを思い出して、何らかの関係があるのかと最後まで読んだが、本書にはミードの「ミ」の字も出てこない(シカゴ学派や社会心理学との関連については言及がある)。しかし専門論文を当たったら、やはり関係があった。後藤将之「George H. Mead のコミュニケーション論について」によれば、サリヴァンは1920年代に「Sapir を介して Mead の仕事を知った」とされ、ミードの論理をさらに先鋭化したということになっていた。そうだろうそうだろう、ガッテンである。
 そしてミードの社会心理学の議論はおそらく1920年代アメリカの高度消費社会を背景として成り立っていたのだろうが、精神科医のサリバンはもっと先鋭的に高度消費社会の被害者たち(特にスキゾフレニア=統合失調症)を目の当たりにしていたはずで、「人格や個性なんて者は仮説に過ぎない」という確信はそうとう強かったのではないかと推察する。

【今後の研究のための備忘録】個性
 編訳者の前書きで、まず全体をこう俯瞰している。

「――「個性とは幻想である」とサリヴァンが言ったとき、それはあまりにラディカルな危険思想として受け取られた。しかしまずそれは端的に、独立ないし自立した人間というのが机上論に過ぎないことの指摘であった。個人ごとの差異を、彼はまったく決定的であるとか、特別視するべきものとは考えない。人間は互いに相違点よりも共通点をずっと多く持っていると信じて「人間集団に対しての精神医学psychiary of people」を唱えたのだった。」10頁

 この「ラディカルな危険思想として受け取られた」というのは、誰にどの程度そうだったのかは気になる。というのは、既に社会心理学者のG.H.ミードが同じようなことを言っていて、シカゴ学派の間ではそこそこ受け容れられていたように思えるからだ。そしてまた精神医学の分野であっても、フロイトやユングに連なる人たちが衝撃を以て迎えるとも考えにくい。
 ともかく、「個性とは幻想である」というテーゼが、思想全体を貫く決定的な軸であることは間違いない。以下はサリヴァン本人の言で、1944年の「「個性」という幻想」からの引用。

「不安の舞台となるのは、「自己self」と呼ばれる人格の一部分です。」102頁
「ここでは「人格の一部分」としたが、「人格」がそもそも仮説であるので、ここで述べているのは仮説内仮説に過ぎないと留意しておくこと。」114頁
「そして人格の作用もまた――一対一ないし多対多の関係を通じてのみ観察されます――目を瞠るばかりであって、そして人間的です。人格は、多数の人々そして文化からなる世界と深く絡み合った生命のコンタクトから生まれるものです。ですからその領野においては、人間が単純素朴であるとか、事物の中心にいて、個々独立していて、単位的であるなどと考えるのはまったく愚かしいことであります。」105頁
人格それ自体は単独で取り出すことが不可能です。」106頁
「それが完了すれば、個性というものが永遠不滅でも唯一無二でもないと明らかになるはずです。私たちは皆、対人関係の数と同じだけ人格の数を持ちます。」107頁
「「個性とは幻想である」と私が言うのは、そう考えることが実際の対人関係に手を入れることをずっと簡単にしてくれるという意味においてです。これ以外の仮定に基づいた操作をするのでは、理論的にも相当な無理が生じます。別の言い方をすれば、議論の出発点としてどこが一般に都合がいいか、ということを私は言っているのです。」110頁
「私自身についていえば、一人ひとりに備わった特別な個性なるものを仮定する必要はなさそうだと、ここのところ少しずつ考えるようになってきました。」110頁
人間が個々独立した個体であるというのは可能性の一つに過ぎないわけです。そして私が言っているのは、その考え方が果たして役に立っていますか、ということです。」113頁
「あなたが自分の人格を皮膚で覆われた骨格とその付属器に限定したいのならそれで構いません。どういう参照のシステムなら数多の学術用語だとか概念だとか複雑性を片付けられるか、そしてシンプルな操作によってそれと同等の結果を得られるかについて、私はそれと違う提案をします。しかしこのような考え方は、今の教育システムからどうやら相当の反発を受けるようですね。」113頁

 言っていることは明快だ。が、それがオリジナリティに溢れるかというと、21世紀の現在では「ですよね」としか言いようがないありきたりの言辞に見える。現在の生物学の知見を踏まえれば、群体であれ、共生であれ、DNAであれ、一人の人間を単位として絶対視することに有効性はまるでない。だから、このサリヴァンの見解が、1944年の時点で、G.H.ミードの社会心理学とどういうふうに響き合い、どの程度ラディカルなものと見なされていたのか、ということが関心の対象となる。

 さて、他の論文からも「人格」の用例サンプルを得られる。

人格personalityとはまず第一に、ヒトという可塑的動物に被せられた、文化なるものの産物である。西欧文明といえども不均一であって、その内側に多くの下位文化をもっている。下位文化の間では矛盾や対立のあることが珍しくない。そのなかにある個々の人格とはどういっても<様々な対人関係を取りまとめる比較的に持続性のシステム>以上のものではないだろう。いずれは満足とか安全保障の感覚に回収されていくものだ。人格が成長していく途上には障害物とか、余計な口出しばかりであるから、そのせいで前進と後退を繰り返し、そのうちに落ちぶれていく。それでいながら自己意識self-consciousnessは人格のことを独立独歩で、一定不変で、無矛盾なシステムとして認識する。自分で自分について語るときはとてもシンプルで、今日の記憶と機能の行動が違っていても気にはならない。だからこそ逆に、言行不一致を他人から指摘されると人間はまったく落ち着かなくなって、自尊感情が傷つくことを恐れて「何か」しなければいけない気分になる。」146頁

 上は「プロパガンダと検閲」と題された論文からの引用だ。「人格の一貫性」について正面から説こうという趣旨ではなく、人に影響力を行使するにはどうしたらいいかという関心から書かれていて、そして「人格の不一致」こそが相手をぐらつかせると言っているわけだ。まあ、「ダブスタ」を衝いたら「はい論破」と言えるのは、こういう理屈が背後にあるわけだ。しかしそもそも「人格の一貫性」そのものが成立しないのであれば、「ダブスタ」をいくら衝かれても、痛くも痒くもない。場面によって人格が切り替わるのは、当たり前のことなのだ。

「精神科医がクライアントについて一切合切を知ろうとすることはない。人格なるものは定義不能であり、たえず動きながらあると知っているからである。」247頁

 上は「緊張―対人関係と国際関係」にある一文だ。臨床の場面で「人格」概念が役に立たないと言っている。実際、そうなのだろう。ただし、具体的な人間関係が成立する場面において,「人格」という概念の実質的な意味内容である「人間の尊厳」という観念は、決定的に重要な役割を果たす可能性はある。

【今後の研究のための備忘録】人格と国家
 そして興味深いことに、人格と主権国家の相似性を指摘する一文がある。

「国家はその周囲に他国のあることを前提としていると同時に、他国から独立して機能するための組織を備えるものである。この二点によって国家が他の集合体と決定的に区別されるとしたギュルヴィッチの議論は、まさに正鵠を得ている。国際的運動の核となるような組織は他にあるにしても、しかし主権を与えられている点で国家はやはり特殊である。
 無数の準・国家的な運動が収束するところに国家が成り立ち、そして主権の行使という独特のプロセスによって結束されている。これは内的ないし相互的な作用が人格のもとに統合されていることと並行しているように思われる。国家のもつ主権とは、個々の人間に受け継がれてきた方式が、歴史を通じて具体的な形をとるに至ったものであると私は考えている。」278-279頁

 国家と人格に相似性を認める議論は、もちろんプラトン以降2400年の伝統を持っている。近代の主権国家誕生以降も、ドイツ国家学や国家有機体論でお馴染みだ。この一精神科医の発言が、はたして精神科医としての臨床の経験から出てきたものか、それとも逆に20世紀半ばにはまだ影響力を持っていた国家有機体論に影響されたものなのか、興味は尽きないところだ。

ハリー・スタック・サリヴァン『個性という幻想』阿部大樹訳、講談社学術文庫、2022年

【要約と感想】佐藤三夫『イタリア・ルネサンスにおける人間の尊厳』

【要約】「人間の尊厳」という考え方そのものは古代や中世からありましたが、ルネサンス期に至って「世界内超越」という形で決定的に新しい思想へと昇華します。具体的にはペトラルカ、マネッティ、ピコに関する先行研究を網羅した上で、原典に即して考察しました。

【感想】中世からルネサンスにかけての「人間の尊厳」の問題を考える上でのポイントはおそらく2つで、一つは「自然」に対する考え方、もう一つは「自由」に対する考え方だ。
 まず「自然」に関しては、アリストテレスの立場(そしてそれを極端に推し進めたアヴェロエス主義)を採用するか、それに反対するかだ。もしも仮にアリストテレス(あるいはアヴェロエス主義)のように自然科学の立場を推し進めて、ついには「魂の不死」を否定するに至れば、人間は他の獣などの被造物と同じような扱いとなり、「人間の尊厳」は否定される。だから「人間の尊厳」を称揚する立場は、アリストテレスを否定するところから生じてくることになる。そして伝統的なカトリック主義は、アリストテレス(そしてアヴェロエス主義)に徹底的に反対する。もちろん加えてエピクロスやルクレーティウスなどの唯物論も唾棄すべき敵となる。それはいわゆる「単一知性論」への反対となっても現れるし、また翻ってプラトン(加えてプロティノス)に対する好意としても表現される。この立場はペトラルカに典型的に見られる他、いわゆるキリスト教的人文主義におおむね共通する傾向だ。
 一方「自由」に関しては、人間の自由を一切認めないアウグスティヌスの恩寵主義に立てば、神の前では塵芥に過ぎない人間ごときに尊厳などありえない。だからルターやカルヴァンなど自由意志を否定して神の恩寵を強調する立場からは「人間の尊厳」を称揚する発言は出てくるはずがない。仮に人間を称揚するとしたら「神の似姿」として他の被造物とは一線を画するという意味合いであって、近代以降の「人間の尊厳」の考えとは発想が根本から異なる。しかしだからこそ逆に人間の「自由」を認める立場からは、自分の意志で善にも悪にもなることが可能な人間の「尊厳」が語られることになる。これはアウグスティヌスが徹底的に論駁を試みたベラギウス的異端に親和的な立場であり、ルターが「奴隷意志論」で徹底的に論駁を試みたエラスムスの「自由意志論」に親和的な立場だ。
 こうしてみると、「人間の尊厳」とは、極左的な立場(唯物主義的無神論=アヴェロエス主義やエピクロス)と、極右的な立場(神の恩寵主義=アウグスティヌスやルター)に挟まれた、中道的な立場から出てくる主張であることがよく分かる。だからかどうか、「人間の尊厳」のチャンピオンと見なされてるピコ・デラ・ミランドラは調和を旨とした折衷主義的な議論が持ち味だ。あるいは人文主義者のチャンピオンと見なされているエラスムスの優柔不断な態度を想起してもよい。
 こういう観点から考えてみると、例えばペトラルカの場合は、最初はカトリックの観点からアヴェロエス主義を批判するという「反左翼」という立場にあったものの、詩作(ポイエーシス)を通じて人間の「自由」を謳歌するという形で中庸的な立場を得ることになったように見える。また例えばピコの場合は、最初はアリストテレスに学びアヴェロエス主義に近い観点から「左翼」という立場ではあったものの、後にフィチーノを介してプラトンに近づき、カラバなど神秘思想に親しんで右側に傾いていくことで中庸の立場を得たような感じもする。そうなると、「反左翼」から中庸に至るか「左翼」から中庸に至るかで、「人間の尊厳」の中身も具体的にはかなり違ってきそうな印象もある。

【ポイントとなる著作】
・ペトラルカ(1304-1374)『秘密』
・アントーニオ・デ・フェッラリイス「人類の高貴さと区別について」
・バルトロメオ・ファーチョ(1400-1457)『人間の優越と卓越について』
・ジャンノッツォ・マネッティ(1396-1459)『人間の尊厳と優越について』
・マルスィーリオ・フィチーノ(1433-1499)『人間の尊厳と悲惨についての手紙』
・ジョヴァンニ・ピーコ・デッラ・ミランドラ(1463-1494)『人間の尊厳について』1486

【今後の研究のための備忘録】ルネサンス
  著者は一貫して中世主義者に対しても近代主義者に対しても批判を加えて距離を取り、ルネサンス特有の性格を浮き彫りに使用と努力している。

「イタリア・ルネサンス文化とフランスを中心とした中世文化とは、ある程度並行的に共存したことになる。しかもフランス文化が遅まきながらイタリア文化に影響した結果、イタリア文化は十三世紀の末頃になってその内部に同時にスコラ主義とヒューマニズムという二重の伝統をはらむことになった」22頁
ルネサンスを直線的な時間の経過において、「中世の秋」あるいは「近代の初め」、さらには中世から近代への単なる「過渡期」として捉える見方に対しては、われわれは批判的にならざるをえないであろう。」22頁

 このルネサンス特有の位置は単に時間的・空間的な区分ではなく、「中世カトリックの恩寵主義に対する自由主義」に加えて「近代の自然科学主義(アリストテレス・アヴェロエス主義的)に対する人文主義」という思想内在的な位置から主張される。こうなると、「人間の尊厳」がルネサンスに位置づくのも論理必然的ということになる。

【今後の研究のための備忘録】人間の尊厳
 「人間の尊厳」について、先行研究の見解をコンパクトにまとめた上で原典をほぼそのまま紹介してくれているので、めちゃめちゃ勉強になる。

「それ(自由学芸artes liberales))を市民のサルターティやブルーニが「人文学研究」studia humanitatisと読んだのは、その学芸を学ぶことによって人間としての限りにおいて人間を完成させる(hominem perficiant)研究とみなしたからである。つまり人間を尊厳ならしめる学芸という意味でそう呼んだのである。」50頁

「通称イル・ガラテオと呼ばれたアントーニオ・デ・フェッラリイスは、その「人類の高貴さと区別について」という書簡の中で、人々の間の基本的区別を、社会的身分によってではなく、むしろ人々を動物から区別する特徴そのもの、すなわち悟性と理性に基づけている。」60頁

「注意すべきことが三つある。第一は、「人間の尊厳」ということだけが一般的に問題であるならば、すでにギリシアの文学や哲学の中にも認められるし、旧約聖書の創世記にも記されているところであって、ルネサンス・ヒューマニスト固有の問題とは言えないことである。第二には、「ストゥディア・フマニタティス」についてルネサンスにおいて最初に語ったサルターティは、それを「ストゥディア・ディヴィニタティス」すなわち神学と対比して問題に下。それゆえ「ストゥディア・フマニタティス」から結果する「人間の尊厳」に関しては、人間としての限りにおける人間の尊厳、言いかえれば世俗的人間の尊厳が問題であることである。第三に「人間の尊厳」の問題は、トリンカウスが指摘しているように、中世における「人間の状態」の問題と関連しており、それゆえ中世的伝統のある概念であって、それにも拘らずルネサンス・ヒューマニストが自分たちの固有の問題として「人間の尊厳」を強調したのには、その概念の中世的伝統以上の何ものかが強調されているということである。」68-69頁
「中世の思想の特徴がもっぱら「世の蔑視」あるいは「人間の悲惨」であって、ルネサンスになってようやく「人間の尊厳と優越」が発見あるいは回復されたとみなす通俗の見解は、誤りであると言わなければならない。つまり、中世の初めからすでに「世の蔑視」は「人間の尊厳」と盾の裏表のように密接に関連づけられて問題にされてきたのである。」87-88頁
「「世の蔑視」の精神は、それゆえ教父の時代とこの修道生活改革時代においてその典型を見出すことができるであろう。それは愛による神との一致の中に最高の人間の尊厳を見出す、禁欲的神秘主義であると言えよう。」89頁

「この「人間の尊厳」観を先ず問題にした代表者のひとりがペトラルカであった。」50頁
「ペトラルカが多くの頁を割いて自然主義的探究に対して「ストゥディア・フマニタティス」(人文学研究)を対立させている」(57頁)
「「新しき人間homo novusなるものは真に存在するか」という問いを発するジュゼッペ・トッファーニンにとって、ルネサンスの人間観を中世の人間観から根本的に区別することは疑わしいことのように思われる。対立は中世の人間観とルネサンスのそれとの間にあるのではなくして、むしろペトラルカが定式化したように、霊魂としての人間の科学(真の知恵つまりフマニタス)と自然としての人間の不毛な科学との間にあるのであり、精神的な価値と科学的な価値との間にあるのである。つまりはアヴェロエス主義的な科学的人間観と、古典文学的人間観との対立が問題である。そしてヒューマニズムは教会と同様にギリシア・ローマ・カトリック的なものとみなされる。」85頁
「死すべき人間にとって自分の生命を受け継ぎながら独立の人格を担った作品を生み出すことは、永遠へ橋をかけることである。ペトラルカはこうして死すべきものと自覚しつつ、「世界内超越」の有意義性を『秘密』のアウグスティヌスに主張して譲らないのである。そしてかかる「世界内超越」こそは、固有の意味でルネサンス的な「人間の尊厳」を特徴づけるものである。それゆえペトラルカは、その詩作を通してルネサンスの地平をひらいたと言いうるであろう。」96頁

ジャンノッツォ・マネッティ『人間の尊厳と優越について』
「ペトラルカにおいては受動的防禦の姿勢で弁明されていた「世界内超越」の思想が、今やマネッティにおいて積極的攻撃の姿勢で宣言される。その意味でまさにマネッティのこの論著は、ルネサンス的人間観および世界観のマニフェストであると言えよう。」101頁
「こうして「世界内超越」による「人間の尊厳」の概念が確立される。ペトラルカにとってこの超越は何より詩的なものであったが、マネッティにとってそれはむしろ道徳的なものである。そして両者の「人間の尊厳」の概念には共通して一種の個人的貴族主義が見られる。「個人的」というのは、「貴族が貴いのは血統による」という考え方ではなく、むしろ「個人的ヴィルトゥvirtuによる」とみなすからである。こうした個人的貴族主義こそは、ルネサンス独自の貴族主義である。」102頁

「フィチーノにおける「人間の尊厳」の問題にとって最も重要なことは、理性的霊魂が自然の初段階を結合するきずなであるということである。」

ディ・ナポリによればバルトロメオ・ファツィオ(15世紀のヒューマニスト)『人間の優越と卓越について』は「修辞学的小論」であり「その作品において、人間の偉大さは、聖書の語っているかの『神の像にして似姿』に関わっていた。反アヴェロエス的命題を強調しながら、ファツィオは、人間はまさに不死ということに関して神に同一視されるのだと言明する。かかる不死ということが、人間のすべての偉大さにとって基本的にして根源的なテーマとして、『霊魂の神性』について語ることを得しめる。」167-168頁

「中世においても近代においても、「人間の尊厳」が問題になったとしてもそれは二義的な意味においてであった。ところがルネサンス・ヒューマニズムにとって「人間の尊厳」はまさに第一義的な主題をなしていた。人間はかれ自信のヴィルトゥ(virtu能力)によって評価され、「より大なる自己の名誉のために」世の中に出ようとした。つまり尊厳の問題は、人間がこの世において自分のヴィルトゥによって凡俗の世間を超え出て永遠の名誉をかち得ることであり、このようにして「世界内超越」の問題であった。」119頁
「このようにしてルネサンスの世界観・人生観は、多少ともベラギウス的異端に近くなり、多少とも主体性を重視する創造的な人間主義となった。」120頁

「古典的精神は、例えばマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で述べられたような精神とは基本的に異なっている。ウェーバーやトレルチの言うように近代文化がルネサンスからではなく、プロテスタンティズムから生まれたとするならば、ひとはなぜ近代文化のもとで人間の自己疎外が展開したのかをよく理解するであろう。」まえがき2頁
「実際、もし人間が神の奴婢であったり、あるいは反対に、ニーチェのいう末人der letzte Menschであったりしたならば、「人間の尊厳と優越」についてどうしてひとは語りえようか。つまりその意味では、中世人も近代人も、「人間の尊厳と優越」について語る資格を喪失していると言えるのではなかろうか。それゆえ、ルネサンスにおける「人間の尊厳と優越」について、われわれは、メディーヴァリストや近代主義者のような超越的な仕方ではなく、ルネサンス文化の固有性に内在的に即しながら再評価することが必要であるように思う。」179頁

 ナルホド、というところだ。

【今後の研究のための備忘録】人格
 ジャンノッツォ・マネッティ(1396-1459)『人間の尊厳と優越について』について述べるところで、「人格」という言葉がよく出てくる。

「それらのうち第一の理由は、初めの三巻で述べられた人間の身体と霊魂の全ての天賦、および全的人間のすべての特権が、あならのまことに気高く見事な人格の中に、いかに豊かに群がり集うているかを、この序文によって示さんとしたことであった、」180頁
「わたしが著作全体を四巻に分けたのは、わけもなく偶然によってではなく、ある独特の特別な考察によってである。すなわち、人体において、次いでその霊魂において、また全人格において、ある程度まで明らかになっている長所の各々をわたしは入念に性格に考察したので(攻略)」181頁
「つづいて、人間の全人格と人間生活について、不名誉なこと、非難さるべきこと、また呪わしいことの理由が、若干の有能な著作家たちによって言及されたことを、手短に考察することへと進もう」186頁

 ここで語られる「人格」が「人間の尊厳」の概念と論理内在的な関係にあるのかどうかは、よく分からない。さしあたって、ルネサンス期に「人格」の用例があることは記憶しておきたい。

【今後の研究のための備忘録】教育機関
 本書の趣旨と直接関係するわけではないが、間接的には実はけっこう重要なことかもしれない。

「マルスィーリオ・フィチーノのアカデミア・プラトニカにしても、いわゆる大学のような教育機関でもなければ、後世の学会のような規則的な集会がなされる公式な機関とも異なっていた。」45頁

 ここから「台頭しつつあった市民階級の人間観を代弁する」(50頁)ものとして「人文学研究(studia humanitatis)」が立ち上がる。「人間の尊厳」の観念が生まれたのは公的な教育機関からではなく、私的な学問サークルのようなものからだった。ルネサンスのいわゆる「人文主義」が、中世大学のスコラ学の外から出てきていることには注意しておく必要がある。日本における鎌倉時代の金沢文庫、近世の伊藤仁斎「古義堂」や本居宣長「鈴屋」を想起していいかもしれない。公的なアカデミアにはない「自由なポイエーシス」から生まれる何ものかがある、ということだ。今のマンガやアニメやゲームのようなものにも、同じような可能性がある。

【今後の研究のための備忘録】子ども観
 本筋とは関係ないが、「子ども観」についてメモしておきたい一文があった。

フィチーノの「「人間性について」と題されたトンマーソ・ミネルベッティに宛てた手紙においては、「子供たちが老人たちよりも、狂人たちが賢明な者たちよりも、愚鈍な者たちが才能のある者たちよりも、なぜいっそう残酷なのであるか。なぜなら、前者は他の者たちほど言わば人間でないからである。」」109頁

 「子供たち」が「人間でない」ということで、身も蓋もない。

佐藤三夫『イタリア・ルネサンスにおける人間の尊厳』有信堂高文社、1981年

【要約と感想】渡辺一夫『フランス・ユマニスムの成立』

【要約】人々が本質を見失って人間性を喪失しそうになるとき、ユマニスムは「それは人間であることと何の関係があるのか?」と問います。その営みが始まったのはフランスでは16世紀のことで、当初はキリスト教の本義から外れて枝葉末節にこだわる形式主義的な儀式や議論に対して発する「それはキリストと何の関係があるのか?」という問いでした。その問いはギリシア・ラテンの古典語・古典文学の研究によって洗練され、必然的に旧態依然のローマ・カトリック教会に対する批判となり、宗教改革と密接に結びつきます。しかしカトリック批判が先鋭化した結果、むしろ宗教改革側のほう(特にカルヴァン)が当初の目的を見失って本義から外れてしまい、「それはキリストと何の関係があるのか?」という問いがブーメランのように返ってくることになりました。ユマニスムと宗教改革は袂を分かつことになりますが、それは常に批判されるべき対象に「もっと……であるように」「もっと……でないように」と臨み続けるユマニスムの態度がもたらす必然的な帰結です。

【感想】ルネサンス期の人文主義について深めようと思って本を探したわけだが、イタリア(ペトラルカ、ダンテからピコあたり)や北方(エラスムスやトマス・モア)に関しては最近の文献が出てくるものの、フランスに関しては65年前の本書が筆頭に上がってくる。少し後のラブレーやモンテーニュに関しては深まっている様子が伺えるが、16世紀初頭(ビュデなど)の研究については時間が止まっている感がある。(まあ専門的な論文は出ていて、私が知らないだけなのだろう……。)
 まあ、本書はとてもおもしろく読めて、人文主義と宗教改革の関係についてそうとう分かった気にさせてくれた。人文主義がカトリックを批判することで宗教改革が始まったものの、宗教改革がやりすぎてしまったことで今度は逆に人文主義が宗教改革を批判し始める、という構図。これは残念ながら現代にも当てはまる構図のようにも見えてしまう。たとえばリベラリズムとポリティカル・コレクトネスのような。(まあ本書が書かれた1950年代後半の当時は、60年安保闘争も絡んで、まさに資本主義とマルクス主義の対立が念頭にあったのだろう)。そういう観点からは、ルネサンス期のユマニスムは中道右派的な位置を占めていたということかもしれない。だから左派(カルヴィニスト)からも右派(カトリック)からも批判され、敵と見なされる。本書が強調する「もっと……であるように」という言葉は、頑迷な教条主義に陥らないための呪文のようなものなのだろう。

【個人的な研究のための備忘録】ユマニスムとルネサンス
 ユマニスムがルネサンス期に成立したかどうかについて、奥歯にものが挟まったような慎重な言い回しに終始しているが、それだけ繊細な話題ということだ。浅学の徒としては、断片的な知識でいい加減なことを言ってはいけない領域だという警戒感を持っておくことにしたい。

「フランスにおいてユマニスムという語は、ルネサンス期にはなかったけれど、この語の内容となる思潮乃至態度は存在していたし、この思潮乃至態度は、それ以前の中世から糸を引くとは言え、ルネサンス期になると、既に近代的な意味内容を、即ち近代用語であるユマニスムという語の内容を持っていた」1頁
ユマニスムは、先に記した通り、ルネサンス期以前の中世から糸を引く思潮ではあるが、単なる”古典語・古典文学の研究”以外の目的と意識とを、ルネサンス期に、新たに獲得したとは言えないまでも、改めて鮮やかに自覚したように思われる。」2-3頁

 個人的な研究の関心では、「人格」とか「個性」という概念が浮上してきたかどうかが問題となる。ルネサンスの文脈では「人間の尊厳」の概念が極めて重要だ。本書は慎重な言い回しに終始しているものの、この「人間の尊厳」という観念がルネサンス期にほぼ近代的な意味内容で登場してくることを仄めかしている。碩学が到達した境地として尊重したいと思う。

【個人的な研究のための備忘録】ルキアノスとエピクロス

「カルヴァンは、更に、”ルキヤノスやエピクロスの徒、即ち、神を蔑ろにする人々は悉く、福音に従うふりをしながらも、その心中に於いては、これを侮り、寓話ほどにもこれを重要視していないが、私は、ここでこのような連中について語ることを欲しなかった”と記している。このルキヤノスやエピクロスの徒とは、誰のことを指すものか不明ではあるが、この”連中”のなかに、フランソワ・ラブレーが這入っているのではないかという推定がなされている。」159頁

 ルキアノスはローマ帝政期の風刺作家で、現代では名前を聞くこともあまりないが、ルネサンスの当時はエラスムスやトマス・モアにも極めて甚大な影響を与える人気作家だったらしい。ここでカルヴァンがエピクロスと並べて名前を挙げているのは、けっこう気にかかる。エピクロスは現代では単なる快楽主義者として知られているが、中世では唯物主義の無神論者として最大限の警戒が向けられていたはずだ。エピクロスは素朴な形ながら社会契約論のアイデアも示していて、後のフランス革命のことを視野に入れると、かなり重要な役割を果たしていた可能性を考慮する必要がある。

渡辺一夫『フランス・ユマニスムの成立』岩波書店、1958年

【紹介と感想】『日本の保育の歴史―子ども観と保育の歴史150年』

【紹介】タイトルどおり明治維新から平成までの保育150年の歴史をコンパクトにまとめた本ですが、ヨーロッパ近代や日本近世の状況にも言及していて目配りが効いています。制度史だけでなく民間保育運動の展開にも気を遣ってページを割いています。幼稚園と保育所を両方扱いながら幼保一体化に向けた動きとそれを阻む要因について触れているのも特徴です。保育という領域が、教育の論理と福祉の論理が交錯するところで展開してきた様子がよく分かります。

【感想】勉強になった。個人的には、この領域(保育の歴史)のスタンダードだと見なして、折に触れて眺め返そうと思った。
 保育の歴史が学校を中心とした教育史と大きく異なるのは、「家族」の形態変化と表裏一体となっているところなのだろう。それと絡んで、学校教育史では「国家」との絡みが決定的に重要な問題になるが、保育史では「家族」が問題になる代わりに「国家」の占める比重が大きく下がる。もちろん「家族」の形には「国家」が大きな影響を与えているので両者を簡単に切り分けることはできないとしても、それでも「国家」の意向で「家族」の形をコントロールできないことは現今の少子化の進展を見るだけで分かる。乱暴に言えば、教育行政にかかる幼稚園はある程度「国家」のコントロール下に置くことができる一方で、福祉行政にかかる保育所の方は家族の在り方を「国家」が後追いして辻褄を合わせるしかないものだ(まあ、辻褄すら合わせようとしないのが昨今の教条主義的な政府ではあるが)。明治の当初から150年の間ずっと懸案であり続けた幼保の分離という問題は、こういう「国家」と「家族」の間の矛盾を反映したものだったのだろう。

汐見稔幸・松本園子・高田文子・矢治夕起・森川敬子『日本の保育の歴史―子ども観と保育の歴史150年』萌文書林、2017年