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【要約と感想】近藤卓『子どもの自尊感情をどう育てるか』

【要約】自己肯定感を育むことの重要性は広く知れ渡っているようですが、ただ単に褒めればいいと勘違いしている向きもあるようです。「自尊感情」と「自己肯定感」は厳密には異なるものであり、良かれと思った働きかけが逆効果を生むこともあります。「基本的自尊感情」と「社会的自尊感情」をしっかり区別して、基本的自尊感情を育む働きかけを行ないましょう。
基本的自尊感情と社会的自尊感情を測定する尺度を開発し、「そばセット」と名付けました。広く活用されることを期待します。
自尊感情を育てる授業の実践例も提示しました。ポイントは「共有体験」です。

【感想】「自尊感情の4つのタイプ」という分類は、なかなか分かりやすい。これが頭に入っていると、確かに生徒指導等にも大いに役に立ちそうな気がする。以前に研修で聞いた「子どもの4つのタイプ=働きかけ方の4類型」も、おそらくモトネタはここだろう。実践的にも広く使える類型であるように思う。
尺度開発にもしっかり時間をかけていて、妥当性・信頼性ともに説得力があるように思った。短い本ではあるが、なかなか得るものが大きかったように思う。

近藤卓『子どもの自尊感情をどう育てるか そばセット(SOBA-SET)で自尊感情を測る』ほんの森出版、2013年

【紹介と感想】藤澤文編『教職のための心理学』

【紹介】オーソドックスな発達心理学と教育心理学に関する知識に加えて、教育相談や学校適応、さらに保護者対応や教師自身の成長過程についても触れるなど、具体的な場面で役に立つことを目指して編集されています。

【感想】タイトルに違わない編集方針で、好感を持つ。変にマニアック?な方向に向かわないで、現場で応用されることを踏まえて書かれているので、心理学に関心が薄い教職志望者にも読みやすいのではないか。

藤澤文編『教職のための心理学』ナカニシヤ出版、2013年

【要約と感想】都築幸恵『すぐに役立つ教師のための心理学講座』

【要約】人間の性格は、4つの因子で16パターンに分かれます。このパターンに対応すれば、学習が効果的になります。学習が効果的に行なわれていないとすれば、学生が怠慢なのではなく、性格パターンに合致していない可能性を考えるべきです。教師はこの4因子を認識することで、より良い授業をすることができるでしょう。
教師のほうも16パターンに分かれていますが、一般社会とでは比率が大きく異なります。

【感想】教育心理学の教科書かなあと思って読み始めたら、まったく違って、性格心理学の話だった。現場の実践に役に立ってもらおうという意識が強く滲み出た表現で、なかなか読みやすかった。筆者の経験も織り交ぜられていて、なかなか説得力も感じた。現場の先生には歓迎されやすい類の本だと思う。
とはいえ、教育方法は「教材」のほうにも規定されるものであって、なかなか学生の気質にだけ気を配ればいいというものでもない。教材と学生の気質をどう調整するか、結局は臨機応変な現場の対応が鍵を握っているのであった。

都築幸恵『すぐに役立つ教師のための心理学講座』大修館書店、2007年

【要約と感想】柏木惠子『おとなが育つ条件―発達心理学から考える』

【要約】おとなになってからも、人間は発達します。むしろ、発達しなければいけません。というのは、高齢化した現在、退職後や育児終了後にも長い人生が待っており、そこでの過ごし方によって幸福になれるかどうかが決まってくるからです。
幸福になれるかどうかの鍵は、「自分とは何か」というアイデンティティの模索がうまくいくかどうかです。旧来の性別役割感に縛られると、幸福にはなれません。自分の個性と「なりたい自分」を認識し、「個」として充実することが大切です。
幸福になりたいなら、男性は家事と育児をしましょう。「おとな」の条件とは、弱者をケアする力と意志を持つことです。女性は家に閉じこもらず、仕事をするなど社会に出ましょう。

【感想】実践的に、身につまされる話であった。もっと家事をしなくちゃなあ。

【今後の研究のための備忘録】
「個性」や「アイデンティティ」という言葉の用例など、様々なサンプルを得た。

「教育や指導法の効果は学習者の個性とマッチしているかどうかによる、個性(適正)に応じた処遇―教育が有効なのです。」(44頁)
個性が大事、独創性を、としきりにいわれています。しかしその実現は容易ではありません。きちんとすること、間違いをしないことを促す強い社会化は、個性やチャレンジする心と行動を育ちにくくします。」(46頁)

発達心理学の文脈で語られる「個性」であって、教育哲学の言う「個性」とはかなり違う意味を担っている。ここで言う「個性」とは、44頁で括弧を付けて「適正」と言い換えていることからも顕著に分かるとおり、社会の中での相対的な「個人差」を意味している。教育哲学の言う「個性」とは、相対的な個人差を問題にせず、かけがえのない存在の独自性を土台とする。

「退職後は、肩書きのない個人として「自分は何者か」が問われ、どうふるまうかを自分で決めねばなりません。個人としてのアイデンティティが求められます。活動への参加体験は、とりもなおさず「個人」としてのアイデンティティの発見と確立の機会となります。」(75頁)
「エリクソンの理論に源をもつアイデンティティ―「自分とは何者か」「私はどう生きるか」の問いに解を出すことは、長らく青年の発達課題とされ、青年心理学の中心的テーマでした。そして青年期にアイデンティティが確立できていれば、その後の人生は揺るぎなく展開すると考えられてきました。しかし、今日、アイデンティティはおとなにとって重要な発達問題となっています。」(146頁)
「人類が初めて出会った長期の非生産年齢期間が、おとなのアイデンティティという課題を突きつけたのです。」(148頁)
「青年から成人のアイデンティティの発達を総覧しますと、アイデンティティの確立には二つの場での発達があります。一つは他者との親密な関係の中での自己の定義/確認、もう一つは自分自身の活動と存在で獲得する有能感や自存を基盤とした自己定義です。換言しますと、「かかわりの中での発達・成熟」と「「個」としての発達」で、この二つの発達プロセスをもつことがアイデンティティの確立と安定には重要です。」(208頁)

やはりアイデンティティという言葉の使い方も教育哲学と発達心理学では大きく異なっている。特に発達心理学ではエリクソンの業績を踏まえて使用される言葉となっている。が、教育哲学では、プラトンやアリストテレスに由来しスコラ哲学で鍛え上げられてきた「同一性」の概念と無縁ではいられない。
またそれは、「自己実現」という言葉が、発達心理学ではマズローに引っぱられることとも同様である。

「女性が長い人生を、育児(繁殖)だけでなく自己実現のために使う方向に行動指針を取り始めた、史上初の事態です。」(150頁)

また、恋愛結婚や「おとな/子ども観」に関しても言質を得た。

「一九六九年を境に、見合い結婚と恋愛結婚との割合が入れ替わり、今やほとんどが恋愛結婚、見合いや紹介で始まっても交際後「恋愛的」関係になることで結婚となりました。このことは男女の関係に大きな影響をもたらしました。第一は対人関係スキルとりわけコミュニケーション能力が重要となったことです。」(83頁)
「「おとな」であることの条件はいうまでもなく自立です。しかしそれだけでは「おとな」ではありません。幼弱病老者へに配慮と援助―ケアの心と力を備えていることは、おとなの必須の条件です。ケアすることは即おとなが育つ条件です。」(97-98頁)

「おとな」であることの条件が弱者へのケアの心と力だという見解には、教育哲学的な立場からも絶大な賛意を示したい。

柏木惠子『おとなが育つ条件―発達心理学から考える』岩波新書、2013年

【要約と感想】内田昭利/守一雄『中学生の数学嫌いは本当なのか―証拠に基づく教育のススメ―』

【要約】教育はエビデンス(証拠)に基づいて行なうべきです。科学的な実験を積み重ね、非科学的な思い込みを排除していきましょう。
著者が開発したテストにより、子どもたちが隠していた本音を明らかにすることができます。具体的には、中学生は数学嫌いだと思われていましたが、開発したテストによって「偽装」であることが明らかになりました。そして偽装している中学生に「本当は数学を嫌いじゃない」と教えたら、有意に成績が上昇しました。
今後は教育心理学が復権して教育を科学化するとともに、ガラパゴス化した日本の教育研究界を国際化していくべきです。

【感想】感情的な熱い思いに満ち、行間から情念が溢れ出ていて、とても興味深く読めた。本書の本来の趣旨は科学的な研究手続きの貴さを訴えることと、その実践の例示のはずなのだが、情念に溢れるばかりに本筋とは無関係な主観的な記述が極めて多くなっている。たとえば著者が学会と喧嘩したことなど、本筋にはまるで関係のない、どうでもいい情報だ。仮に本書が成功するとしたら、本来の趣旨である科学的な手法のせいではなく、情念と人間味に溢れる感情的な記述が読者に与える感銘が決定的な要因となるだろう。
ということで、読み終わる時にはもはや「中学生の数学嫌いは本当なのか」はどうでもよくなっていたのであった。研究の内容そのものよりも、研究に真摯に向き合う姿勢と態度そのものが極めて尊いように思ったのであった。そういう意味では、著者自身が「エビデンスに基づいた教育」から完全にはみ出していることは、とても面白い。

まあ今後の教育界はエビデンス・ベースの呪縛から逃れられないわけだが、声高に「エビデンス」が叫ばれるのは財務省が教育予算を増やしたくない場合に限られるのであった。いやはや。

まあいちおう、「エビデンスに基づいた教育」がそれだけでは無用であり、危険な理由は、別の本から引用しておこう。

「エビデンスに基づいた実践という概念に関して重大な問題点とは、端的に言えば、文化的選択肢を見逃すということである。それは、所与の目的のために手段を作り出すことに焦点化しており、研究上の問いを「技術的効率性や効果性の語用論」へと矮小化する。それは研究について技術的な期待をしているだけである。」ガート・ビースタ/藤井啓之・玉木博章訳『よい教育とはなにか―倫理・政治・民主主義』白澤社、2016年、70頁

内田昭利/守一雄『中学生の数学嫌いは本当なのか―証拠に基づく教育のススメ―』北大路書房、2018年