【要約と感想】内田昭利/守一雄『中学生の数学嫌いは本当なのか―証拠に基づく教育のススメ―』

【要約】教育はエビデンス(証拠)に基づいて行なうべきです。科学的な実験を積み重ね、非科学的な思い込みを排除していきましょう。
著者が開発したテストにより、子どもたちが隠していた本音を明らかにすることができます。具体的には、中学生は数学嫌いだと思われていましたが、開発したテストによって「偽装」であることが明らかになりました。そして偽装している中学生に「本当は数学を嫌いじゃない」と教えたら、有意に成績が上昇しました。
今後は教育心理学が復権して教育を科学化するとともに、ガラパゴス化した日本の教育研究界を国際化していくべきです。

【感想】感情的な熱い思いに満ち、行間から情念が溢れ出ていて、とても興味深く読めた。本書の本来の趣旨は科学的な研究手続きの貴さを訴えることと、その実践の例示のはずなのだが、情念に溢れるばかりに本筋とは無関係な主観的な記述が極めて多くなっている。たとえば著者が学会と喧嘩したことなど、本筋にはまるで関係のない、どうでもいい情報だ。仮に本書が成功するとしたら、本来の趣旨である科学的な手法のせいではなく、情念と人間味に溢れる感情的な記述が読者に与える感銘が決定的な要因となるだろう。
ということで、読み終わる時にはもはや「中学生の数学嫌いは本当なのか」はどうでもよくなっていたのであった。研究の内容そのものよりも、研究に真摯に向き合う姿勢と態度そのものが極めて尊いように思ったのであった。そういう意味では、著者自身が「エビデンスに基づいた教育」から完全にはみ出していることは、とても面白い。

まあ今後の教育界はエビデンス・ベースの呪縛から逃れられないわけだが、声高に「エビデンス」が叫ばれるのは財務省が教育予算を増やしたくない場合に限られるのであった。いやはや。

まあいちおう、「エビデンスに基づいた教育」がそれだけでは無用であり、危険な理由は、別の本から引用しておこう。

「エビデンスに基づいた実践という概念に関して重大な問題点とは、端的に言えば、文化的選択肢を見逃すということである。それは、所与の目的のために手段を作り出すことに焦点化しており、研究上の問いを「技術的効率性や効果性の語用論」へと矮小化する。それは研究について技術的な期待をしているだけである。」ガート・ビースタ/藤井啓之・玉木博章訳『よい教育とはなにか―倫理・政治・民主主義』白澤社、2016年、70頁

内田昭利/守一雄『中学生の数学嫌いは本当なのか―証拠に基づく教育のススメ―』北大路書房、2018年