「ルネサンス」タグアーカイブ

【要約と感想】ダンテ『神曲【完全版】』

【要約】ダンテは地獄・煉獄・天国を巡る数奇な体験を得て、詩を詠みました。
 まず古代詩人ウェルギリウスの案内で地獄を経巡ります。地獄では、カトリック法王を始めとして、様々な罪を犯した人々が呵責ない責めにあって苦しむ様子を見ます。中には旧知の人々もいましたが、地獄に落ちて当然の奴らなので悲しんではいけません。
 煉獄では、天国に行くまでに様々な罪科の禊ぎを済ませるために苦しんでいる人々を見ます。中には旧知の人々もいて、地上に戻ったらよろしく伝えてくれと言われます。
 天国に入ると、それまで案内を努めてくれた頼もしいウェルギリウスの姿は見えなくなり、代わって初恋の女性であったベアトリーチェが至高天まで先導してくれます。ご先祖様から激励されたり、キリスト教の聖人たちと学理問答をしたりして、最終的に神の領域に辿り着きますが、それは言葉にできません。

【感想】予習をぬかりなくしたので噂には聞いていたものの、初恋の人ベアトリーチェをここまで神々しく描くというのは、いやはや、ちょっと私の感覚からは理解しがたい。やり過ぎ感がすごい。単に好きというレベルを遙かに超えるストーカー的偏執も含みこんだような情念を感じて、そこそこ怖い。

 地獄編は、訳者もノリノリに翻訳している感じが伝わってきて、けっこう楽しい。コントのような展開も多い。地獄に落ちた人々は基本的にダンテの独断と偏見で選ばれている。露骨に党派性が現れていて、槍玉に挙げられた人たちがちょっとかわいそうではある。しかし一方、党派性を離れて、キリスト教の原理原則に従って地獄に落ちざるを得なかった人々の立ち居振る舞いには、見所が多い。具体的には例えば男色などカトリック教義的に許容できない人々は、原理原則に従って地獄に落とされるものの、人格的矜持は高潔に保っていたりする。そういうところにキリスト教原理主義をはみ出す「人文主義」の臭いを感じる。
 天国篇は、訳者も言っていたように、確かに抽象度がくんと上がって、物語的に興趣が減じる上に、人文主義の臭いもなくなる感じがする。まあ個人的にはキリスト教神学の構成に興味があるので、そこそこおもしろく読める。

 文体的には、いわゆる「直喩」のオンパレードで、意外性のある喩えも多く、とても楽しい。現代で言えば、お笑いのくりぃむしちゅー上田のツッコミ(まるで○○のようだな!)を想起させる直喩だ。具体的な次元では遠くかけ離れていても形式的には似ている、というものを繋げて表現する才能は、ダンテと上田はよく似ているのかもしれない。

【今後の研究のための備忘録】子どもに関する言及
 各所に子どもに関する言及があったので、サンプリングしておく。というのは、子どもに対する意識が中世と近代を切り分けるメルクマールだ、というアリエス『子供の誕生』が示唆するテーゼを検証する資料になるからだ。ダンテが属するのが中世なのか近代なのか、あるいはアリエスのテーゼそのものが信用に足るのかを検証するために、『神曲』の記述は有力な資料になる。

ウゴリーノ伯爵がおまえ〔ピーサ〕を裏切って
 城を敵方に明け渡したという風評があるにせよ、
 おまえは子供をああした刑に処するべきではなかった。
ああ第二のテーバイよ、ウグイッチョーネやブリガータ、
 また前に詩に出たあと二人の子供たちは
 年端もゆかず無邪気だった。
(地獄編第33歌85-87)

 ウゴリーノ伯爵と共に塔に閉じ込められた幼い子どもたちが餓死に追い込まれるという陰惨な場面で、よほど印象深いのか、訳者も何回も繰り返し言及している。ただ個人的に注目したいのは、ダンテが子どもたちを「年端もゆかず無邪気」と表現し、父親との連帯責任を取らせることに批判的な姿勢を示しているところだ。アリエス的な理論枠組みからは、少々外れている。

そこで私は、人間の罪から免れる〔洗礼の〕前に
 死の歯にかまれてしまった
 あどけない幼児たちと一緒にいる。
三つの聖なる徳に身を包むことをしなかった人たちと
 そこで私は一緒なのだ。
(煉獄篇第7歌31-35)

 ダンテの案内役ウェルギリウスがどうして天国に行けないかを説明している箇所で、子どもへの言及がある。イエス降誕前に死んだウェルギリウスはもちろんイエスに対する信仰を持てるはずがないわけだが、それを理由として天国に行かせてもらえない。日本人からしたらわけが分からない変な理屈だ。ダンテも同じように感じていたらしく、何カ所かでこの理屈に言及して疑問らしきものも呈しているが、最終的には神の摂理として受け容れている。問題は、天国に行けない人々の中に、洗礼を受ける前に亡くなった「幼児」も含まれていることだ。これもやはり日本人からしたら意味が解らない理屈だが、ダンテも不審に思いつつ神の摂理として受け容れている。キリスト教の子ども観を考える上では重要なポイントになる。

だから、自分たちの行いやその功徳とは関係なく、
 もっぱら最初の視力の鋭さの違いによって
 子供たちは違った段に据えられている。
世界がまだ創られたばかりのころには
 ただ両親に信仰がありさえすれば、
 無垢な子供たちはそれで十分救うことができた。
そのはじめの時代が過ぎた後は
 罪のない男の子は割礼を受けることにより
 天へ舞いあがる力をその羽に得た。
しかし恩寵の時代が到来した後は
 キリストのまったき洗礼を受けぬ場合は
 このような無垢な子供たちもあの下界にとどめおかれた。
(天国篇第32歌73-84)

 いわゆる「洗礼」というものの秘儀を担保するためには、洗礼前の用事を犠牲にしても構わない、というところか。目の前の人間に対する救いよりも神学の論理的一貫性の方が大事というカトリック教義。

信仰と清純は幼児たちの中にしか
 見あたらなくなりました。しかもそのいずれもが
 頬に髭が生えるよりも前に逃げ出してしまいます。
口がまだまわらないころは、断食を守る子供も、
 舌がまわりだすと、食物の如何や月日の如何を問わず、
 大食らいとなってしまうのです。
口がまわらないころは、母親になついて言うことを
 よく聞いた子供も、弁が立つようになると、
 母親は墓にいる方がよい、などと思うようになるのです。
(天国篇第27歌127-135)

 子どもたちにピュアさを見出すのは近代的な心性だという見解があるが、これを見るとダンテは近代的だということになってしまう。アリエスのテーゼが間違っているのか、本当にダンテが近代的なのか、あるいは別の解釈があるか。

【今後の研究のための備忘録】個性に関する記述
 「個性」というものを考える上で興味深い箇所があったのでサンプリングしておく。

すると彼がまた尋ねた、「では訊くが、もし地上で人が
 市民生活を営まないとすれば、事態はさらに悪化するだろうか?
 私が答えた、「むろん悪くなります」
「とすると人がさまざまの職務についてさまざまの生活を送ることなしに
 地上で市民生活が満足に営まれるだろうか?〔答えは〕
 否だ。その点は君らの師の書物にもはっきりと出ている」
こうして彼はここまで演繹的に論をひろげ、
 ついで結論をくだした、「そうしたわけだから
 君らの職務には職掌柄さまざまの根が必要とされるのだ。
それである人はソロンに、ある人はクセルクセスに、
 またある人はメルキゼデク、またある人は
 空中飛行をこころみて子をなくした人のように生まれつくのだ。
天球は回転しつつ、正確に仕事を営み、
 人間という蝋に型を捺すが、
 ひとりひとりが生まれる家に区別はつけていない。
それでエサウとヤコブは体内にいるうちからすでに違っていた。
 それでクィリヌスのような男が生まれ出たりするのだ。
 実父の身分が賤しいからマルスが彼の親ということになっている。
もし神の摂理に力がなかったとするならば、
 生まれ出た子は必ず生みの親に似、
 かつ似通った道をたどるはずだ。
これで前に見えなかった点が見えるようになったろう。
 君の訳に立てば私には嬉しいのだ。だから
 いま一つ補足して君の身に着けさせようと思う、
運命が性に合わないと、性に合わぬ土地にまかれた
 種と同じで、およそ生命のあるものは
 どうしても育ちが悪くなる。
自然によって人々各自の中に据えられたこの基盤に
 もし下界の人が留意し、かつそれに従うならば、
 人々はみなその処を得るはずだ。
しかるに君らは剣を帯びるべく生まれついた人を
 無理強いに宗門に入れ、
 説教をするべく生まれついた人を国王に仕立てたりする。
君らが道を踏みはずす原因は実はそこにあるのだ」
(天国篇第8歌115-148)

 人それぞれに持ち味や特徴があって、それに応じて相応しい役割が与えられるのが一番理に適っているという主張だ。これはたとえばガチガチの身分制では成立しない考えで、脱中世的な発想なのかもしれない。またあるいは119行に「市民生活」とあるように、適材適所の経済活動を想定した理屈なので、フィレンツェの卓越した商業活動が背景にあるのだろう。これが「個性」という概念の展開とどう関係してくるのか。

【今後の研究のための備忘録】近代科学観?

実験こそ人間の学芸の流れの変わらぬ泉なのです。
(天国篇第2歌96)

 訳註によれば「フィレンツェ市は(中略)ルネサンス期には自然科学の研究が非常に盛んになった学芸の都市である。その種の実験の精神ははやくもダンテのこの詩行に観取される。」とされる。一般的に科学的な実験で最初に名を挙げたのはイギリスのロジャー・ベーコンで、生年は1214年~1294年だ。ダンテはベーコンの約半世紀後に生まれているので、ベーコンの影響があっても不思議ではない。が、註が指摘しているとおり、ベーコン云々というより、フィレンツェの先進的な学芸を観取するところなのだろう。「ルネサンス」というものを考える上でもかなり気をつけるべき論点になる。

【今後の研究のための備忘録】三位一体

その時が来るに及び、神は造物主から離れていた人性を
 永遠の愛の働きによって
 神に、神の位格において、結びつけました。
(天国篇第7歌31-33)

 三位一体の秘儀について語られているところだが、訳者はペルソナを伝統通り「位格」と訳している。

この人性が結びついていた
 〔神の〕位格が蒙った非礼を考えてみると、
 かつてなく不当な罰といえるわけです。

 こちらは人性と神性の結びつきという観点から神のペルソナについて語った部分だ。問題になるのは、この「位格」という言葉の具体的な中身になる。

ダンテ/平川祐弘訳『神曲【完全版】』河出書房新社、2010年<1966年

【要約と感想】平川祐弘『ダンテ『神曲』講義』

【要約】ダンテ『神曲』の日本語翻訳者による連続講義です。『神曲』のストーリー全体を概観できる構成になっている上に、訳者ならではの適切な読書案内がありがたいことこの上ないのですが、本当の見所は、著者の学問や文学や教育に対する姿勢を垣間見ることができる様々なエピソードです。
 『神曲』そのものについては、特に地獄篇を大きく取り上げて、煉獄篇と天国篇については触りだけ扱っています。これは作者の『神曲』観が深く関わった処置です。また随所で様々な日本古典文学や西洋の詩作品との比較を行っており、これこそ著者の本領発揮です。特にボッカッチョとの比較を行って、世間的にダンテを高く祭り上げる傾向があるのを批判し、むしろ好感を持ってボッカッチョを遇すのは、ダンテに精通している著者だからこそ可能な真摯な身振りです。

【感想】500頁二段組の大著なのだが、著者の洒脱な語り口や豊富なエピソードのなせる業のせいなのかどうか、飽きずに読み通すことができた。私はダンテ『神曲』を読む前に本書を手にとって予習してしまったが、著者の文学観によればあまりよろしくない行為だったようで、失礼いたしました。

 で、そもそも私がダンテ『神曲』に手を出したのは、作品そのものに興味があったというよりは、「ルネサンス」という概念を批判的に検討するための材料を手に入れるのが目的であった。教科書的にはルネサンスは14世紀初頭、ダンテやペトラルカの人文主義から始まったとされることが多いが、個人的にはこれに大きな違和感を持つ。個人的な意見では、メディア論的に考えて、印刷術を経た15世紀末から16世紀がルネサンスの本丸であって、ダンテやペトラルカは本質的には中世に属するのではないかと思っている。で、こういうことを『神曲』も読んだこともないくせに主張するのは最悪なので、最低でも翻訳には一通り目を通しておくべきだと思いつつ、まずは予習として本書を手に取った次第。
 ちなみに本書では、『神曲』のことをルネサンスともルネサンスでないとも言っていない。そんなことは著者の関心にはない。ただただ、作品そのものに対してまっすぐに向きあう姿勢が大切なのだというメッセージが力強く繰り返される。なんだか私の動機が邪だったように思えてきて、ちょっぴり恥ずかしい感じになったのであった。

平川祐弘『ダンテ『神曲』講義』河出書房新社、2010年

【要約と感想】伊東俊太郎『十二世紀ルネサンス』

【要約】ヨーロッパの近代はいわゆるルネサンス(16世紀)後に急に始まったわけではありません。西欧の転換点として決定的に重要な時期は12世紀です。しかも、ビザンツ帝国やイスラム教から刺激と影響を受けたことが極めて重要です。西欧から失われた古代ギリシアの知恵は、キリスト教異端(ネストリウス派と単性論)によって東方ビザンツ帝国やイスラム世界に伝わり、シリア語やアラビア語への翻訳を通じて保存され、さらにイスラム学者達が発展させていきました。ただの辺境にすぎなかったヨーロッパは、12世紀になってから、イスラム世界で発展していた科学的精神をラテン語に翻訳して受け容れることで大きな飛躍を遂げ、近代に繋がっていくことになります。

【感想】とてもおもしろかった。勉強になった。個人的には、長いあいだ謎だったミッシングリンクをぴったり埋めてくれるような、知的爽快感がある良い本だった。「12世紀ルネサンス」という言葉そのものは各方面から様々な形で聞いてはいて、概要くらいは小耳に挟んでいたのだが、改めて自分事として革新的な意義がよく分かった。というのは、私の興味関心に直接応えてくれるような知識だったからだ。

【研究のための備忘録】三位一体
 キリスト教神学の奥義とされる「三位一体」を一笑に付しているのは、爽快感がある。私としても三位一体論は破綻しているようにしか見えないが、他の学者もそう思っているのだと分かると安心する。

「「三位一体」というのは、どうなのでしょう。私なども、キリスト教神学のなかで、これが一番わかりにくい。どうして父と子と聖霊が一体になっているのか、特に父と息子がひとつになったりするのか、一番わかりにくい。だから、キリストを神ではなく預言者であるとするイスラムの考えのほうが筋が通るのではないかなどと思ってしまうのですが。」pp.68-69
「それでは正統は何かといえば、それは神と人と聖霊との三位一体を認める立場です。前講でいったように三位一体というのはなかなかわかりにくい教義です。アウグスティヌスが論じたり、他にもいろいろな神学者が一生懸命弁じていますが、我々にとってはなかなかわかりにくい。むしろネストリオス派とか、単性論者のほうが、ある意味で割り切っていて話の辻褄が合うわけです。」p.134

 で、カトリックに異端と決めつけられてビザンツ帝国から追放されたネストリウス派と単性論者が東(シリアとペルシア)に向かい、そこで古代ギリシアの知恵が生き残るというのが趣深い。だからいわゆるルネサンス(復興)と言った時、実は何が本当に復興したのかというと、もう紛う方なき「異端」なのだ。ルネサンスとは、「異端の異端による復興」だ。キリスト教が批判して止まなかった多神教古代ギリシアの世界が育んだ科学的な知恵が、カトリックに排除されたネストリウス派や単性論者によって保存され、カトリックを批判する人文主義者たちによって西欧にもたらされる。追い出したはずの異端が西ヨーロッパに逆流してきたのがルネサンスということになれば、自分たちの方から排除したヨーロッパは本来なら神妙な顔をして受け容れなければいけないはずで、「これが俺たちの原点だ」などとデカい顔をする権利はない。というか、もともとローマ・カトリック(ラテン語)の世界にはそういう合理的精神が息づいていなかったのだから、実ははじめから「原点」なんかではなく、「復興」と呼ぶのもおこがましい態度なのかもしれない。本当は単に「外国から学んだ」と言えばいいだけの話に過ぎないのに、そのオリジナルを自分たちのものだと言い張るのは、端的に言って傲慢な態度だ。「ルネサンス」とは、その言葉自体からして西欧史の隠蔽と捏造を試みたものである疑いが強い。
 ということで、個人的にはかねてから「ルネサンスの経緯がわかりにくいなあ」と思ったいたのだが、歴史が捏造されていたのだとすれば、私がわからないのも当たり前だ。私がミッシングリンクだと思っていたものは、私が見失っていたのではなく、実は最初からなかったのだ。ルネサンスが「復興」などではなく「異端からの輸入」だったという事情が分かれば、極めてすっきりと流れを理解できる。この「異端からの輸入」という事実を隠蔽して辻褄を合わせようとするから、ルネサンスの説明が変なことになる。

【研究のための備忘録】ダンテやペトラルカはルネサンスなのか。
 そして図らずも、知りたいと思っていたルネサンス問題に直接切り込んでくる文章があった。ありがたい。ここでもミッシングリンクがイスラム世界であったことが明らかになる。

「十一世紀に頂点に達したイスラムにおける愛の伝統がトゥルバドゥールの発生を刺激したことは疑いえないと思われます。」p.283
「トゥルバドゥールがアラビアの影響を受けたと言われるのは(中略)さらに内容の上で両者ともに官能的な恋愛を歌うこと、そして恋人を守るために自分の身を犠牲にする男性の心情を歌うことも共通しています。(中略)このロマンティック・ラブの理想が、西欧に初めて生じたのは、十二世紀のラングドックやプロヴァンスの地であったわけですが、それが十三世紀に北方に移ってトゥルヴェールになり、さらにドイツへ行きますとミンネジンガーになります。これが十四世紀にイタリアに伝わるとダンテ耶ペトラルカを含む清新体の詩というものを生み出します。」p.267
「トゥルバドゥールの愛は、さらにイスラム神秘主義の変容を経て、十四世紀にイタリア「清新体」の詩人に引きつがれ、古典主義やキリスト教をも打って一丸とし、ダンテとペトラルカに最も完成された姿を現したといってよいでしょう。」p.268

 まあ、なるほどだ。高校の世界史レベルの教科書では、ルネサンスを扱うところで何の脈絡もなくいきなりダンテやペトラルカが登場して、なんでこの時代のこの地域に新しい思想が現れたのか理由がサッパリ分からないわけだが、辻褄が合わないまま話が先に進んでしまう。しかし「実はイスラム世界の影響だったんだよ」と言われれば、いきなり視界がクリアになる。クリアになった目で歴史の流れを見てみれば、ダンテやペトラルカは、いわゆるルネサンスなんかではない。それは明らかに、中世に属する事象だ。11世紀イスラム世界から12世紀ルネサンスを経て13・14世紀に至る、一連の中世的な文脈の末期に見られる事象だ。だから、15世紀のいわゆる教科書的なルネサンスと、ダンテやペトラルカの活動は、別の文脈にある事象だ。そしてダンテやペトラルカをイスラム世界の影響から切り離して「西欧固有のルネサンス」なる文脈で語られるのは、ただただ西欧人が歴史を隠蔽・捏造して辻褄を合わせようとしただけのことだ。カラクリがよく分かった。
 ルネサンスという言葉は、やはりそれを人文主義的な動向に及ぼして使用するのは好ましくない。もともとの意味通り、ミケランジェロやラファエロなど芸術方面に限って使用するべきだろう。そして仮に敢えて人文主義的な動向に及ぼそうとするのであれば、「自分たちが追い出した異端が保存してくれた知識をイスラム世界から教えを請うて学んだ12世紀ルネサンス」という理解の下で使用した上で、従来ルネサンスと呼ばれてきた15世紀以降のたとえばエラスムスなど人文主義者の仕事については改めて「印刷術」との関係で理解するべきということになるだろう。そしてこの時点で、破綻している「三位一体」の論理は問題にもならなくなる。

【研究のための備忘録】人格
 さてそこで気になるのが、「人格」という言葉の変化だ。ラテン語のpersonaは、周知の通りキリスト教の奥義「三位一体」を語る上で極めて重要な言葉だったのだが、その大本である三位一体が破綻していたということになれば、perosnaという言葉は理論体系から放り出されて宙に浮いてしまう。この宙に浮いたpersonaという言葉がどういう経緯で近代の「人格」という言葉に着地していくのか。このあたりは極めて不可解なミッシングリンクだったのだが、ヒントは12世紀ルネサンスにあるのかもしれないと思った。三位一体の正統教義から排除された異端が「復興」と称して西欧に戻ってきた際に、三位一体の呪縛から解き放たれたpersonaという言葉が改めてどう理解されるか、ということである。もちろんそういう話は本書には出てこない。

伊東俊太郎『十二世紀ルネサンス』講談社学術文庫、2006年<1993年

【要約と感想】瀬谷幸男・狩野晃一編訳『シチリア派恋愛抒情詩選』

【要約】13世紀初頭、シチリアの王宮で、俗語を用いて恋愛を歌った詩作が流行します。12世紀南仏トルバドゥールの影響を受けつつ、13世紀後半トスカーナ清新体派、さらにダンテ、ペトラルカ等に引き継がれていきます。
 詩の内容は、「愛しすぎて死んじゃう」という感じです。

【感想】内容は、ほぼ、ない。極めて抽象的で、「愛しすぎて死んじゃう」以上のことは言っていない(しかし、それは極めて現代的な見方に過ぎず、13世紀には最新の感覚だった)。言葉はとても雅びで、美しい。中二病的なラブレターに引用すると、効果がありそうだ。
 引用される古典で目につくのは「トリスタンとイゾルデ」の伝説で、それに絡んでアーサー王伝説への言及が散見される。ギリシア、ローマの古典は完全無視というところが、後のルネサンスの空気とは根本的に異なっている。

【研究のための備忘録】俗語
 で、問題は、内容ではなく形式だ。当時の国際標準語であるラテン語ではなく、俗語(シチリア語)で表現されていることが重要になる。中世からルネサンス、あるいは近代への変化を考察する材料の一つとして、13世紀シチリアというビザンツ帝国やイスラム帝国の影響を色濃く受けた時代と地域の特性を踏まえつつ、14世紀イタリア・ルネサンス(ダンテやペトラルカ)への影響をどう評価するのか、具体的に考える必要がある。

「ラテン語に固執して俗語を軽蔑し続けるローマ教皇庁に逆らい、中世では公式文章は教会の公用語のラテン語で書かれる慣わしに反して、シチリア王国の憲法たる「メルフィ憲章」を誰でも理解できる俗語で書かせたフェデリコ帝に準って、この流派の詩人らはラテン語に対する揺籃期のイタリア語の文章語としての俗語の優位性を導き出したのである。」255頁

 本書では、この分野の研究の常識なのか、ダンテとの関係は強調するものの、ルネサンスという概念との関係には触れない。個人的にはかなり気になるところだ、というかそういう関心から本書を手に取った。12世紀ルネサンスによって、古代地中海文明に関する知識をヨーロッパは手に入れているはずだ。しかし本書所収の詩には、ギリシア・ローマ文明の面影はない。
 また俗語に関して言えば、フェデリコ帝の宮廷で俗語を使用していたとしても、恋愛詩に俗語を使うのはそういう政治的な意図に出ていたのか、あるいは南仏やドイツの抒情詩と同じ流れを汲むのか。12世紀南仏トルバドゥールが使用したオック語は北イタリアまで広がっていたし、12世紀後半ドイツのミンネゼンガー、ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデも中高ドイツ語を使用している。俗語を用いて詩作するのは、シチリア特有の現象ではない。さらに言えば、本書がイタリア語でフェデリコ帝と呼んでいる人物は、神聖ローマ皇帝(ドイツ語)のフリードリヒ二世であって、そしてフリードリヒ二世(1194年~1250年)とヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ(1170年~1230年)に直接の接触があるわけだから、ドイツのミンネゼンガーの影響を受けていたと考えることも可能ではないか。さらに言えば、シチリアはイスラム文化の影響を極めて色濃く受けているわけだが、そもそも南仏トルバドゥールの起源がイスラム文化だという話もある。フェデリコ帝=フリードリヒ2世はアラビア語もよくしたと言われているので、宮廷でラテン語を使わないことにそもそも違和感はなかったりする。疑問は尽きないが、門外漢としては口をつぐんでいるのが賢明な段階である。

瀬谷幸男・狩野晃一編訳『シチリア派恋愛抒情詩選―中世イタリア詞華集』論創社、2015年

【要約と感想】R.W.B.ルイス『ダンテ』

【要約】初期ルネサンス期イタリアの詩人ダンテの伝記で、主著『神曲』の概要も紹介します。

【感想】「ルネサンス」という概念について思案するための材料を得ることを期待して手に取ったけれども、そういう期待に直接応えるような本ではなく、堅実にダンテの生涯と著書の概要をまとめた本だった。それはそれで勉強になったからいいのだけれど。
 まあ改めて、フィレンツェという街が13世紀後半あたりから何かおかしなことになっていることは理解した。トスカーナ方言という「俗語」で文学を著すこと、そしてそういう著書が印刷術発明前にも関わらず速やかに流布すること。他の地域では不可能だったことが、どうしてフィレンツェ(あるいはトスカーナ)で可能だったのか。いわゆる12世紀ルネサンス(特にイスラムと融合したシチリア周辺の文化)との関係はどうだったのか。そのあたりの事情に対する具体的な理解が、いわゆる「ルネサンス」という概念を掴む(あるいは却下する)には不可欠のようだ。

R.W.B.ルイス『ペンギン評伝双書 ダンテ』三好みゆき訳、岩波書店、2005年