【要約と感想】ボイス・ペンローズ『大航海時代―旅と発見の二世紀』

【要約】15世紀前半ポルトガルの航海王エンリケ王子による西アフリカ航路の開拓から、コロンブス、バスコ・ダ・ガマ、マジェランの三大就航を経て、17世紀前半の北米植民までの、2世紀に渡る発見と開拓と征服と植民と交易と旅と海賊行為と希望と挫折、さらに科学的な地理学や地図製作の進展をコンパクト(といっても分量は780頁)に概観します。

【感想】原典は70年前の出版ということで、もはや古典に属する。オリエンタリズム批判を経た今日の目から見たら如何なものかと思うような無邪気な記述も散見される。そういう難点を脇においておけば、大航海時代の全体像を理解するための最低限の知識をコンパクトに吸収するにはうってつけの本なのだろう。訳も非常にこなれていて、というかそもそも日本語として極めて達者で、楽しく読める。

 そしてやはり気にかかるのは、大航海時代がこれほどの巨大なインパクトを西欧世界に与えているにも関わらず、少なくとも本書からは人文主義や宗教改革との内的関連がまったく見いだせないところだ。かろうじてエラスムスやトマス・モアの名前が出てくるものの、表面をかすった程度の関係にしか見えない。フランソワ1世やヘンリー8世やローマ教皇が海外雄飛に大きな関心を寄せているのに対し、エラスムスやモアやマキアヴェッリやルターは無関心のように見える。大航海時代・宗教改革・ルネサンスはまったく同時代の出来事であるにもかかわらず、お互いに無関係に進行しているようだ。
 たとえばそれは、未来の人が1969年の世界を見たときに、アポロ11号(科学技術の発展)と学生紛争(教育)と「男はつらいよ」公開(芸能)という出来事がそれぞれまったく無関係に見えるのと同じようなものと考えていいのか。
 ともかく、私の本業の教育史に関して、ルネサンス期の人文主義の展開と性格を考える際には、人文主義者たちが「大航海時代に冷淡だった」という事情を頭の片隅に置いておく必要がある。ルネサンスが「古代世界の復活」であるのに対し、大航海時代とは「古代世界の否定」だ。古代の文献の探索(人文主義)では絶対に辿り着けない新しい知識と経験と技術を、大航海時代はヨーロッパにもたらした。プトレマイオス(人文主義的教養)の知識は、大航海時代(最新のテクノロジー)の経験によって覆った。人文主義者たちはカトリック教会に対する改革者としての役割を果たす一方で、サイエンスに対してはむしろ反動者として機能したのではないか。ルネサンス期人文主義というものを考えるときには、大航海時代という補助線を一本引くだけで、ずいぶん世界の見え方が変わるように感じる。

【個人的な研究のための備忘録】時代区分
 大航海時代の観点からは1515年頃が大きな区切りだという知見を得た。

「一五〇〇年当時、ヨーロッパの読書界が持っていた新発見に関する知識は、印刷物または地図のいずれによるにせよ、真に微々たるものでしかなかった。例えばコロンブスの第一次航海にしても単に彼の『手紙』の様々な版があるだけで、しかもそれは精々のところスケッチ程度の代物に過ぎず、そこから新発見の土地に関する本当の概念を得ることは不可能であったに違いない。(中略)。一般的に言えば一五〇〇年頃の古典地理学者達は、事態の進行と地球の姿の発展形式については大して判っていなかったのである。」674-675頁
「一五一五年までには事情は一変してしまう。というのは、この新しい世紀の最初の一五年間は他に類を見ない期間であって、史上最大級の地理知識の拡大が起きた時期なのである。(中略)。実にこの期間たるや比類を絶する地理思想の大革命時代であったと言ってよい。」675-676頁

 ちなみに人文主義の観点からは、1516年が奇跡の年とされている。というのは、この年にエラスムス『校訂版新約聖書』、トマス・モア『ユートピア』(これだけ色濃く新大陸の影響が確認できる)、マキアヴェッリ『君主論』(刊行は後)が現れるからだ。そしてもちろん翌1517年にはルター「95箇条の提題」が控えている。これに対し、大航海時代は1515年が大きな画期になるということだが、この符合の一致(そしてそれにも関わらず両者の没交渉)は何を意味しているのか。

ボイス・ペンローズ/荒尾克己訳『大航海時代―旅と発見の二世紀』ちくま学芸文庫、2020年