【要約と感想】アリソン・ブラウン『イタリア・ルネサンスの世界』

【要約】ルネサンスという概念は、研究が進むにつれ、かつてのような進歩性を剥ぎ取られ、プロパガンダの一種であることが明らかになってきましたが、しかしだからといって中世と一切変わらないというわけではなく、独特の心性が生まれつつあったのも確かです。ルネサンスという概念を一貫性をもちつつも包括的に描写するために、商業的な「交換」や「流通」という観点を盛り込んで、パトロネージの重要性や劇場の表象的な意味を浮き彫りにしました。

【感想】極端な見解(ルネサンスが西洋の近代化に決定的に重要だったとか、あるいはルネサンスなど何の価値もなかったなど)に偏ることなく、最新の研究成果を踏まえた上で、具体的な史料を提示しながら落ち着いた筆致で論を展開しており、大きな違和感もなくナルホドと思いながら読んだ。勉強になった。中世のイタリアは、ガリア(フランス)やゲルマン(ドイツ)とは異なり、古代ローマの共和制の衣鉢を継ぎつつ(政治的)、地中海貿易で蓄えた富とネットワークを背景に(経済的)、「自由」への感覚を独自に展開していったようだ。政治的な自由を確保しようと試みるとき、現在の為政者が支配権を獲得するよりも前の時代に遡って正統性を覆そうとするのは洋の東西を問わない普遍的な現象で、日本では武家政権を倒そうと試みた王政復古に見ることができる(あるいは天皇制を相対化しようと試みるときは、縄文にまで遡る)。イタリアでは王政や貴族制に対抗しようとするとき、古代ローマの共和制が呼び起こされる。この試みが経済的な利益と結びついて共振したとき、新しい時代に対応した新しい人間像(そして社会像)が説得力を持ち、それに応じた新しい教育(人文主義・リベラルアーツ)が生まれるのだろう。

 また本書を読んで意を強くしたのは、「新大陸発見」のインパクトだ。ルネサンスの王者エラスムスがほとんど新大陸発見に関心を寄せていないように見えることからどれほどのインパクトがあったかを推し量りかねていたものの、本書では新大陸発見のインパクトを(印刷術との関係も含めて)そうとう高く見積もっている。ルネサンスや宗教改革を考えるときは、それが同時に大航海時代でもあったことを忘れてはならないように思う。

【今後の研究のための備忘録】教育
 ルネサンス期の教育に関する言及がたくさんあった。

「ペトラルカの本に対する情熱は、次々と他の新たな熱狂をもたらした。その中でも最も重要であるのは、新たな指導カリキュラムを備えた新たな学校であった。彼自身は教師ではなかったが、彼が育んできた教科――歴史記述、詩や文学、手紙の書き方や個人と道徳の問題に関する自問自答――は全て人文主義、つまりはリベラルアーツにかかわるものである。これは中世の教育カリキュラムのより技能志向的な、あるいはより科学志向的な諸教科とは対照的なものである。芸術もペトラルカが育てた教科の一つである。」80頁
「学者たちはノウハウを提供した。まさに彼らが、古代の学校や往事の教育プログラムを当世に伝える古代の書物を復活させ、その内容を実践したのである。この新たな知識人階層が人文主義的教育に、制度的支援や生徒を提供した。これ無くしては何事も変わらなかっただろう。」80-81頁

 そして決定的に重要な本として、クインティリアヌス『弁論家の教育』とプルタルコス『子どもの教育について』を挙げ、「それらは共々に新たな学校と新たな教師の出現を促した」(81頁)と言う。まあ、ここまでは教育史の教科書でもお馴染みのところではあるが、具体的に職業軍人や新たな商人階級の子息に対する教育として機能したことは、なるほどと読んだ。

「ゴンザーガ家のような職業軍人やアルベルティ家のような商人銀行家にとって、この新たな教育の何が魅力的であったのか。表面上、ラテン語やギリシャ語やアーチェリーといったものは、軍人にとっても銀行家にとっても実用的な技能ではない。それらが急速に流行するようになった。(中略)歴史家は人文主義教育によって教えられる自由主義、共和主義の価値観は魅力的なものであったと考えている。なぜならそれらはイタリアの自治都市における政治生活に関わっており、中世の学校における聖職者養成教育に取って代わる、より世俗的かつ「人間的」な尺度を提供してくれるからであった。修辞学のようなコミュニケーション技術や言語、歴史は、市民が政治に積極的に参加する自治社会にとって明らかに有用な知識であった。」85頁

 しかしそれは一方で「旧スコラ哲学よりも自主性を抑制した」(86頁)とされ、「このカリキュラムは、自治市民というよりも忠実な官僚や廷臣を作ることに適合していた」(86-87頁)ということで、「つまり我々は、ルネサンスの教育を共和主義や個人主義と全く同一視すべきではない。」(88頁)と評価されている。

【今後の研究のための備忘録】ルクレーティウス
 ルクレーティウスはルネサンス期に再発見されることになり、個人的には後の社会契約論との関係が気になっているわけだが、本書でも言及されている。

「ネジェミーが述べているようにルネサンスは、ルクレティウスのそれの如き文献の発見とも相まって、それらの持つ恐怖と空想に形を与えることにより、新世界の発見がその克服の助けとなったような、人間の身体の「通常の生活」に関する「懸念の深さ」を思わず露呈させてしまっている。」187-188頁
「ルクレティウスのような古代の文献の再発見もまた、人間性に関するこの新たな「非文明的」視点に寄与した。なぜなら彼の評判は高いが危険な詩『事物の本性について』において、宗教的迷信を非難することによりルクレティウスは、心も魂もそれなしでは生きることはできないと肉体の重要性を強調するだけでなく、さらに重要なことに、人間の動物からの進化に関するダーウィンに先行する記述をも提供しているからである。」189頁

 本書はルネサンスの「野蛮さ」を強調する文脈でルクレティウスに言及しており、私が関心を持っている社会契約論との関係には一切触れていないものの、ルクレティウスがルネサンス期に大きなインパクトを与えていることは確認しておきたい。

アリソン・ブラウン『イタリア・ルネサンスの世界』石黒盛久・喜田いくみ訳、論創社、2021年