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【要約と感想】阿原成光・瀧口優一編著『どうする小学校英語―英語ぎらいを出さないために』

【要約】財界主導で小学校に英語教育が導入されますが、お金も出さないし少人数制にもしない無責任のせいで、破綻するに決まっています。もし破綻しないとしたら、現場が無理をして頑張っているだけです。教育行政は本来果すべき役割を放棄しています。
それでも子どもたちが海外の事情を知って平和な世界を目指せるように、現場はいろいろ工夫して教材開発や授業に取り組んでいます。
本当に英語教育を良くしようと思ったら、一学級15人にして、学習指導要領の法的拘束性をなくし、教科書を教師が自由に採択できるようにすべきです。

【感想】まあ、英語教育は小学校から大学まで迷走している。大学入試の英語は、ほんと、どうするつもりなんだろう。このままの体制が続くと、小学校から英語嫌いが大量発生して、ますます日本人は英語コンプレックスをこじらせるだけに終わりそうだ。

10年前の本で、学習指導要領も一つ前のものが対象となっているが、危機的状況はさほど変わらない(というか悪化すらしているか)。小学校への英語教育導入時の混乱が垣間見える歴史史料としても意味がある本なのかもしれない。

阿原成光・瀧口優一編著『どうする小学校英語―英語ぎらいを出さないために』大月書店、2009年

【要約と感想】小野田博一『13歳からの勉強ノート―必ず成績が良くなる40のルール』

【要約】受動的に勉強をやらされていても、成績は伸びないし、辛いだけです。やめましょう。能動的に、楽しく勉強しましょう。好きなことを好きなだけ好きな格好で楽しめば、成績は勝手に上がっていきます。ストレスを減らし、楽しくやりましょう。

【感想】本書も最初に「やる気がある人向け」と断ってあるわけだが。本書が言っていることは、まあ、勉強ができる人にとってはまったく不思議でも何でもない、当たり前のことである。
ところが、できる人は本書に言われるまでもなくできてるし、できない人は何回言われたところでできるようにならない。本書も、子どもが自分で買ってくるケースでは別に読むまでもなくできるだろうし、親が買って子どもに与えるというのは最悪なんだろうな、と。

小野田博一『13歳からの勉強ノート―必ず成績が良くなる40のルール』PHP研究所、2009年

【要約と感想】河合隼雄・工藤直子・佐伯胖・森毅・工藤左千夫『学ぶ力』

【要約】嫌なものをムリヤリ学んでも、身につきません。楽しみましょう。役に立たないくらいが、ちょうどいいのです。
昭和ヒトケタ世代の経験を踏まえて、「学ぶ」とはどういうことかを考えた、講演とシンポジウムの記録です。

【感想】森節が炸裂して、河合隼雄のアクが目立たない感じの本であった。ちょうどいい。
合理化と経済化がますます加速していく昨今、こういう適当な本をのんびり読むような学生がいてくれると、安心なのだがね。

【今後の個人的な研究のための備忘録】
学力論争盛んな頃に出た本ではあるので、「学力」に関する興味深い言質をいくつか得た。

森「僕は学力低下と言われるのが嫌いなんです。何でかといったら、人のことを巻き込んで悪いけど、僕も河合さんも学力ないんですわ。(中略)その代わり、欠けた学力でも何とかするというのがものすごく上手だったですな。あとあとそれがけっこう役に立つんです。基礎学力なんかやってられへん。(中略)基礎学力はないけど、発想が違うから何か新しいことが生まれるかもしれない。つまり、日本の文化の未来のためには、学力なしで何とかする学力をいかに育てるかが大事だと思います。」26-30頁

森節が炸裂している文章だ。「学力なしで何とかする学力」とは言い得て妙な表現に思った。もちろん前者の学力と後者の学力では意味する内容が異なっている。前者の学力は、受動的に知識を教えてもらうだけのものだ。後者の学力は、もっている力を能動的・総合的に活用して問題解決する力のことだ。だから正確に翻訳すれば、「教科書的な知識なしでも何とか目の前の問題を解決できる総合的な能力」となるだろう。

また工藤左千夫の「児童文化と学び」という文章は、なかなか興味深く読んだ。

「一般論になるのだが、教育もしくは児童文化なるものの発祥は、古代ギリシャまで遡る。当時の教育的目的は、パイディア(教養)の育成にあった。その内容については、現代の「自己実現」と近似している。現代的な「自己実現」は、「自らの課題を自らが見つけ、それに自らが応えていく」という意味に収斂されるだろう。」104-105頁
「近代教育の目的は、「外部感覚」(観察力の向上)から「内部感覚」(感動を通しての心の活性化)へ移行するプロセスに人格の形成を展望したことである。心の感じ方は人それぞれであるが、この「それぞれ」の模索に「近代的自我」や「個性」などが語られた。」109頁

「自己実現」とか「人格」とか「近代的自我」という概念がコンパクトにまとまっているサンプルである。

それから、佐伯胖の論考は、とても勇気が出る。「できる」を中心に教育を語ることは、実は50年ほど前に一度流行って、そして認知心理学の興隆に伴って廃れた考え方だと明言しているのだ。

「そう考えると、「学ぶ」ということを、「○○ができるようになること」と言い換えてしまうことは、とてつもなくばかげた、おろかな、偏狭なものの見方だということは、誰でも認めることのように思えるでしょう。
ところが実際にはそうでもないのです。「学ぶ」ということは、すべて「○○ができるようになること」であり、それを達成したら「学んだ」ことになり、それが達成されなければ「学んでいない」ことだという考え方は、意外に根強く私たちの心の奥底に根付いていて、私たちの考え方や生き方を支配しているものなのです。」133頁

認知心理学の第一人者の言葉として、文部科学省の役人に熟読吟味していただきたいものである。認知心理学の知見によれば、大学のシラバスを「○○できる」で統一するのは、実に奇妙で、馬鹿げている愚かで時代錯誤な行為なのだ。
そして佐伯による「学力」の定義も味わい深い。

「「学力低下」への危惧から、かつての行動主義に逆もどりしてしまいそうな昨今、ほんとうの「学力」というのは、社会の中で、文化的な実践の共同体に参加していく力であり、それはたんにいろいろな知識や技能の「リスト」を、反復練習で「習熟」していくことではありません。」149頁

河合隼雄・工藤直子・佐伯胖・森毅・工藤左千夫『学ぶ力』岩波書店、2004年

【要約と感想】尾木直樹『思春期の危機をどう見るか』

【要約】確かに思春期の若者たちの暴力が目立つような気がしますが、問題の根本は大人たちのほうにあります。子どもを一人の人間として尊重しないから、人間として成長しないだけです。「学力低下」などという言葉に踊らされて学校の管理体制を強化して詰め込み教育に戻るのは、愚の骨頂です。学校や教師に押しつけるのではなく、社会全体が教育に責任を持ちましょう。学校は「心の教育」なんて愚かなスローガンに惑わされて実践を空洞化させず、目の前の子どもをしっかりと見ましょう。
具体的には、ネットリテラシーへの対策や、キャリア教育の構築が急務です。しかしなんといっても、子ども自身の社会参画がいちばん重要です。思春期とは、そもそも自立と依存の根本的な矛盾です。若者は必死にもがいています。形式的な管理に走らず、目の前の若者ひとりひとりを大切にしましょう。

【感想】10年以上前の本で、個々の事例(学力やキャリア教育等)は多少古くなっているけれども、基本的な考え方は古くなっていないと思う。子どもの社会参画を促進する考え方は、これからますます重要になってくるだろうと思う。
「大人/子ども」の境界線が曖昧になった現代では、子どもを一方的に学校に押し込めて保護するシステム自体が時代遅れになっている。新卒一括採用=終身雇用という「ふつうの大人のなり方」が崩れた現代では、「大人」というもののイメージも大きく変えていかなければならない。著者が「キャリア教育」に大きな期待をかけているのも、こういう背景があるからだろう。ここ10年間の現実の「キャリア教育」の展開にはなかなか厳しいものがあったが、基本的な考え方自体は時代の流れに沿っていると思う。他人事でなく、おとなたちが頑張らなければならない。

【言質】「自己同一性」の用法に関して具体的なサンプルを得た。

「まず思春期の重要な発達課題は”自立”ということです。つまり、「自己同一性(ego identity)」を確立することで、これまでの親や教師に頼ってきた”他律”的な自己から脱却し、自己を相対化し、客観的にとらえ直そうと試みるのです。つまり、「これこそまぎれもない自分である」という、自己同一性を獲得するための精神的な自立を遂げるためにもがくのです。」114頁

自己同一性が、「他律」ではなく、「相対化・客観化」された「自己」との同一ということが端的に示されている。気になるのは、平成の発達心理学が、こういうアイデンティティ概念を相対化し続けているという傾向だ。むしろ「複数のペルソナ」という話をよく見かける昨今であった。

また「人格」の用法も得た。

「ここには、子どもたちを一個の人格をもった、大人と対等な完成体として尊重し、穏やかで優しく、寛容に満ちた姿勢で接する教師の姿が提示されています。」203頁

「人格」というものが「完成体」であることを端的に示す用法である。これも、昨今の心理学とはずいぶん異なる用法であることには気をつけておきたい。個人的には、心理学の方が酷い間違いを冒しがちだと思っているが。

尾木直樹『思春期の危機をどう見るか』岩波新書、2006年

【要約と感想】清水義範『行儀よくしろ。』

【要約】学力低下とか、心配する必要はありません。そもそも学校にそんなに期待しても仕方ありません。そもそも「学力」と「知力」は違うものです。
子どもは、社会全体が育てるものです。学校や教師を批判する前に、ひとりひとりの大人がしっかりしましょう。普段からぴりっと行儀よくしてますか。大人が文化を大切にしないのに、子どもがよく育つわけがありません。

【感想】まあ、教育を学校や教師にまかせず、大人たちがよってたかって、社会全体で育てていこうよ、という。当たり前のことではあるが、この当たり前のことが高度経済成長では通じないということではある。
著者は文化退廃の原因を戦後のアメリカナイズに求めているようだが、本当だろうか。ちゃんと調べれば、決定的なポイントが高度経済成長にあることが見えるはずだ。

【言質】「学力」の用法に関して、いろいろサンプルを得ることができた。

「日本人の学力が低下しているという明確な根拠はほとんどない。」27頁
学力なんて、学習したことをよく修得してテストでいい店が取れる、というだけのことなんですけど。そのいい点が取れる子は、知力が高いんでしょうか。」33頁
「人間にあらまほしきは知力である。学力は知力の一部分ではあるが、知力とイコールなのではない。」35頁

まあ、世間一般の空気を上手に掬った表現であるように思う。「学力」なんて所詮そんなもんよ、という。

清水義範『行儀よくしろ。』ちくま新書、2003年