【要約と感想】尾木直樹『思春期の危機をどう見るか』

【要約】確かに思春期の若者たちの暴力が目立つような気がしますが、問題の根本は大人たちのほうにあります。子どもを一人の人間として尊重しないから、人間として成長しないだけです。「学力低下」などという言葉に踊らされて学校の管理体制を強化して詰め込み教育に戻るのは、愚の骨頂です。学校や教師に押しつけるのではなく、社会全体が教育に責任を持ちましょう。学校は「心の教育」なんて愚かなスローガンに惑わされて実践を空洞化させず、目の前の子どもをしっかりと見ましょう。
具体的には、ネットリテラシーへの対策や、キャリア教育の構築が急務です。しかしなんといっても、子ども自身の社会参画がいちばん重要です。思春期とは、そもそも自立と依存の根本的な矛盾です。若者は必死にもがいています。形式的な管理に走らず、目の前の若者ひとりひとりを大切にしましょう。

【感想】10年以上前の本で、個々の事例(学力やキャリア教育等)は多少古くなっているけれども、基本的な考え方は古くなっていないと思う。子どもの社会参画を促進する考え方は、これからますます重要になってくるだろうと思う。
「大人/子ども」の境界線が曖昧になった現代では、子どもを一方的に学校に押し込めて保護するシステム自体が時代遅れになっている。新卒一括採用=終身雇用という「ふつうの大人のなり方」が崩れた現代では、「大人」というもののイメージも大きく変えていかなければならない。著者が「キャリア教育」に大きな期待をかけているのも、こういう背景があるからだろう。ここ10年間の現実の「キャリア教育」の展開にはなかなか厳しいものがあったが、基本的な考え方自体は時代の流れに沿っていると思う。他人事でなく、おとなたちが頑張らなければならない。

【言質】「自己同一性」の用法に関して具体的なサンプルを得た。

「まず思春期の重要な発達課題は”自立”ということです。つまり、「自己同一性(ego identity)」を確立することで、これまでの親や教師に頼ってきた”他律”的な自己から脱却し、自己を相対化し、客観的にとらえ直そうと試みるのです。つまり、「これこそまぎれもない自分である」という、自己同一性を獲得するための精神的な自立を遂げるためにもがくのです。」114頁

自己同一性が、「他律」ではなく、「相対化・客観化」された「自己」との同一ということが端的に示されている。気になるのは、平成の発達心理学が、こういうアイデンティティ概念を相対化し続けているという傾向だ。むしろ「複数のペルソナ」という話をよく見かける昨今であった。

また「人格」の用法も得た。

「ここには、子どもたちを一個の人格をもった、大人と対等な完成体として尊重し、穏やかで優しく、寛容に満ちた姿勢で接する教師の姿が提示されています。」203頁

「人格」というものが「完成体」であることを端的に示す用法である。これも、昨今の心理学とはずいぶん異なる用法であることには気をつけておきたい。個人的には、心理学の方が酷い間違いを冒しがちだと思っているが。

尾木直樹『思春期の危機をどう見るか』岩波新書、2006年