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【要約と感想】『エラスムス=トマス・モア往復書簡』

【要約】固い友情で結ばれたルネサンス期人文主義者二人の間に交わされた1499年~1533年の現存書簡全50通を収録しています。最初のうちはお金を無心する下世話な話が目立つものの、中盤からはヨーロッパを股にかけた人文主義者コミュニティの在り様が伺えるようになり、最終的には国家の命運を左右するような話題に至ります。

【感想】まず驚くのは、当時ヨーロッパで沸騰してたはずの大航海時代に関わる話がこれっぽっちも出てこないということだ。1503年にはアメリゴ・ベスプッチがアメリカを新大陸とする本を出版しており、この事実はエラスムスとモア両者存命中に広く知れ渡っていたはずだが、書簡ではアメリカ大陸なんかまるで存在しないかのような話に終始する。1516年に『ユートピア』を書いているトマス・モアのほうは明らかに大西洋を意識していたはずだが、ヨーロッパ全体に名声が轟いたコスモポリタン知識人エラスムスのほうはまったく関心を持っていなかったように見える。辺境イスパニアのほうで起こっているローカルな出来事のように思っていたのだろうか。もっぱらヨーロッパ中央、フランス・神聖ローマ帝国・イタリア諸都市に意を注いでいる。
 この界隈の先行研究においても、近代社会を準備したのはもっぱらルネサンス人文主義と宗教改革であることにされ、大航海時代は完全に視野の外にある。確かにエラスムスなどの人文主義者やルターなどの宗教改革者の資料を見る限りでは、まるでアメリカなんか存在しないかのように、中世以来のヨーロッパの枠の中で話が進んでいる。先行研究がそれを踏まえるのも当然なのだろう。しかし現実においては、大航海時代はヨーロッパ社会に決定的に大きな影響を与えているはずだ。ヨーロッパ近代を準備したのは、実はルネサンスと宗教改革ではなく、大航海時代とそれに続く産業革命ではないのか。
 だとすれば研究者が本当に考えなければいけない問題は、「どうしてエラスムスは大航海時代にコミットしなかったか」ではないだろうか。いま現在、世間では「人文学は死んだ」などと言う人もいる。仮にその見解が確かだとして、その方向で話を突き詰めていくと、実は人文学は大航海時代を視野に入れなかったエラスムスの時代から既に死んでいて、私たちが見ている「いわゆる人文学」はゾンビだったのではないか。いや人文学は死んでいないというのなら、大航海時代で沸騰するヨーロッパに生きていたはずの人文学者の王者エラスムスにどうしてその影すら見当たらないのかは明らかにしなければいけない。というのも、まさに21世紀を生きるいわゆる人文主義者の面々も、21世紀版大航海時代のインパクトを完全に無視しているように見えるからだ。

 それはともかく内容はとても興味深く読んだ。二人の友情や、あるいは高度な修辞でありつつ下世話で幼稚な論争だとか。この大人文学者2人にして児戯にも似た不毛な論争に血道を上げてしまう様子を見ると、現代SNSで毎日のように不毛な論争が発生するのも宜なるかなと思えてくる。人間は論争に突き進んでしまう生き物だ。
 また印象に残るのは「印刷」と「出版」に関わる記述が非常に多かったところだ。印刷術の登場が人文学の展開に決定的に重要な役割を果たしたことが伺える内容になっている。この印刷と出版の革命によって出現した大海原こそがエラスムスにとって臨むべき冒険世界の対象になり、大西洋は関心の埒外に放っておかれたということか。

【今後の研究のための備忘録】自由意志
 エラスムスとルターが袂を分かった教義論争の焦点が「自由意志」にあったことは両者の本のタイトルからして一目瞭然なのだが、エラスムスの「自由意志」に関する考え方がよく分かる文章があったのでメモしておく。

「パウロやアウグスティヌスの言うところに従えば、人間の自由意志にゆだねられている部分は、ごくわずかだということになります。確かにアウグスティヌスは、ウァレンティヌスに向けて晩年に書いた二冊の本のなかで、自由意志というものは存在すると書いております。とはいえ、神の恩寵はきわめて強く是認していますので、アウグスティヌスがどれほどのものが自由意志にゆだねられる余地があるとしているのか、私には見分けられないのです。彼は人間が神の恩寵をこうむる以前になしたことは死んだものと認め、我々が懺悔したり、善をなそうと思ったり、善行をなしたり、固く信仰を守ったりするのは、神の恩寵によるとしています。つまり、こういったことはすべて恩寵の働きによると、認めているわけです。とすると、人間の功績はどこにあるのでしょうか。この点で追い詰められると、アウグスティヌスは逃げを打って、神は我々の功績に応じてよきことを授けたまい、我々のうちにおいてその恵みに栄冠を授けたもうと、言っているのみです。なんともみごとに自由意志の存在が弁護されているではありませんか。私としては、我々は生来与えられた力だけで、特別な神の恩恵をこうむらなくとも、中世の神学者たちが言っているように、まずは神の恩寵に浴することができるという見解に傾いています。もっとも、パウロはさような見解には反対ですし、スコラ哲学者たちもこういった見方を受け容れないとは思いますが。」296-297頁

 アウグスティヌスの論理の射程距離が1000年以上の時を超えてルネサンス期まで及んでいるのがわかるが、ルターとエラスムスの論争は、このアウグスティヌスをどちらが味方につけるか、という争いだったのかもしれない。

『エラスムス=トマス・モア往復書簡』沓掛良彦・高田康成訳、岩波文庫、2015年

【要約と感想】エラスムス『痴愚神礼賛』

【要約】私は痴愚神。ちなみに女神。誰も褒めてくれないから、自分で自分を褒めちゃおっかな。バカ最高!
 まず覚えてほしいのは、実はみんなバカが大好きだということ。口でいくら立派なことを言おうと、行動を見ればみんなバカが好きってことは一目瞭然だし、昔の偉い人たちも口をそろえて言っています。バカ最高!
 そしてもっと重要なのは、バカなほうが幸せになれるってこと。頑張って勉強して賢くなっても、健康を損なうのが関の山です。みんなでバカになって幸せになろう!バカ最高!
 でも決定的に大切なのは、バカはキリスト教徒が目指すべき生き方だということ。だってイエス・キリスト自身がそう言ってるし、そもそもイエスその人が最高にバカだからね。イエスを見習ってみんなでバカになろう!バカ最高!

【感想】抜群のオリジナリティで類書が他に見当たらない文句なしの傑作。パリ大学神学部も怒髪天を衝くおもしろさだ。刻の試練を乗り越えて現代まで語り継がれている理由がよく分かった。
 先行研究も構成についていろいろ検討しているところだが、私は3段構えのように読んだ。第1段では、エラスムス専門の古典教養が遺憾なく発揮されて、様々な古典文献からこれでもかというほど大量に「バカ」を礼賛する章句が引用される。自由闊達で縦横無尽な引用には、圧倒されて唖然とするしかない。第2段では、現実世界の人々が実際にいかに愚かが活写される。市井の人物から王侯貴族、さらに修道士や神学者まで、めっためたに撫で切りされる。確かな社会観察眼を土台にしたテンポ良い皮肉と諧謔が酷すぎる(褒め言葉)。しかし恐ろしいのは、聖書の記述をふんだんに引用しながらキリスト教の本質に切り込んでいく第3段だ。やはり引き続きユーモアに満ちた記述ではあるのだが、いきなり本質的な問いをぶつけられて、「痴愚神って実は本当にすごいんじゃないか」と真顔に戻ってしまう。それは、「キリスト教は本質的に反知性主義ではないか」という問いだ。そしてさらに「表面的に反知性であることが真の知性」という反転を見せられると、もう恐れ入るしかない。

【今後の研究のための備忘録】子ども観
 テーマが「痴愚」である以上、「子どもの痴愚」に関しての記述がそこそこある。教育史研究者としては、当時の子ども観を伺う上で重要な証言になるので、メモしておきたい。

「わけのわからぬことを言ったり、めちゃなことを言ったりすること以外に、幼年期の特徴があるでしょうか? 右も左もわからないこと以上に、もっと大きな魅力がこの年ごろにあるでしょうか? おとなのような知恵を持った子どもなど、いやらしい化け物ではないでしょうかしら?」38頁
「クピドは、いつでも子どもでいますね。なぜでしょうか? なぜかと申しますに、ふざけまわっていて、「まじめなこと」はいっこうにやりもせず、考えもしないからです。」45頁

 この文章からは、子どもを一人の人間として見るのではなく、ただただ理性を欠きつつも微笑ましく愛くるしい生き物として捉えている中世人の姿が浮かび上がってくる。キューピッドがいつも子どもの姿で描かれることにエラスムスが言及していることは記憶しておきたい。
 本書の全体構成としては、この子どもの痴愚が「老人の痴呆」に結びついて循環思想を示しているところがおもしろかったりする。昨今流行った「老人力」を先取りしているような洒落た文章もあったりして、エラスムスは侮れない。

【今後の研究のための備忘録】消極教育
 「教育」に言及した文章も見つけた。

「ねえ皆さん、その他の動物のうちで、いちばん快適な生活をしているのは、教育などをいちばん授けられておらず、自然だけに教え導かれているようなものだとは思いませんか?」95頁

 見ようによってはルソー『エミール』を経てロマン主義的な消極教育論に流れ込んでいくような発想ではある。しかも『エミール』の論理で決定的に重要な役割を果たす「自然に教え導かれる」という発想が寸分違わず登場している。おそらくエラスムス自身は本気で消極教育を唱えているわけではなかろうが、こういう発想そのものがルネサンス期に既に見られることは記憶しておきたい。逆に言えば、ルソーはまさに痴愚神から霊感を受けたということかもしれない。

【今後の研究のための備忘録】自己肯定感・自尊感情
 また昨今教育界でもてはやされている自己肯定感あるいは自尊感情について、エラスムスが「自惚れ心」という言い回しで以て痴愚の一種として描いていることは、なかなか興味深かった。

「どうでしょうか、うかがいますが、いったい、自分を憎んでいる人間は他人を愛せるものでしょうかしら? 自分といがみ合っている人間がだれかほかの人と折れ合えるものでしょうか? 自分の荷厄介になっている人間がだれかほかの人を喜ばせられるものでしょうか?」62頁

 エラスムスの言う「自惚れ心」は、なんらかの根拠があって自信を持つような社会的自尊感情ではなく、なんの根拠がなくても自信を持つような根源的自尊感情を意味している。なんの根拠もないのに自信を持つのだから、痴愚にされているわけだ。しかしこの痴愚の固まりである自尊感情を持っているからこそ、人間はなんとか生きていくことができる。こういう自尊感情の存在意義について、エラスムス以前に誰か言及しているだろうか? 少なくともストア派やエピクロス派の倫理説や、キリスト教系思想家には見あたらないように思う。個人的にはかなりのオリジナリティを感じるのだが、如何か。
 そしてエラスムスは、この「自惚れ心」をナショナリティに結びつける。

「自然はこの自惚れ心というものを、どの人間にもつけて生まれさせるわけですが、どの国民にもどこの都市にも同じくそれをつけてくれました。」123頁

 そして具体的に、イングランド、スコットランド、フランス、イタリア、ローマ、ヴェネツィア、ギリシア、トルコ、ユダヤ、イスパニア、ゲルマニアの特徴を挙げ、それぞれ無根拠に「自惚れ心」を持っていると言う。ルネサンス期のナショナリズムを考える上でも重要な証言だが、現代的には自己肯定感とか自尊感情という概念が持つ射程距離を改めて考えさせるような記述でもある。エラスムスは侮れない。

エラスムス『痴愚神礼賛』渡辺一夫・二宮敬訳、中公クラシックス、2006年

【要約と感想】金子晴勇『エラスムスの人間学―キリスト教人文主義の巨匠』

【要約】エラスムスは16世紀を代表する人文主義者で、確かに人間の尊厳を大事にしつつ、ギリシア・ラテン古典とキリスト教を統合しようと試みますが、17世紀以降の啓蒙主義と比較するとキリスト教に軸足を置いているところが決定的に異なっており、本書では敢えて「キリスト教人文主義」と呼びます。
 エラスムスが後の時代へ与えた影響を考える際、ルターとの違いが決定的に重要です。エラスムスは文献学者として聖書テキスト批判を通じスコラ神学を相手に宗教改革の精神を準備し、ルターとも通じるものがありましたが、穏健なエラスムスと苛烈なルターは袂を分かたざるを得ません。エラスムスは神律の範囲内と断りつつ人間の自由意志を尊重する一方で、ルターは断固否定します。それは古代のアウグスティヌスとペラギウスの間で行なわれた論争を引き継いでいますが、17世紀啓蒙主義以降では人間の自由意志が無制限に尊重され、それがむしろ逆に不幸を招き寄せることになります。

【感想】とてもおもしろく、勉強になった。
 著者がアウグスティヌスとルターの専門家としてキリスト教神学の要点を押さえているところが、エラスムスを理解するうえで極めて重要だった。エラスムスの『痴愚神礼賛』も『自由意志論』も、やはり人文知の観点からのみ理解しようとする態度は片手落ちの謗りを免れず、キリスト教神学の土台を踏まえた上で読み込む必要があることを痛感した。
 その理解の上で、著者が16世紀ルネサンス期と18世紀啓蒙期を明確に区別していることを承知できる。著者の見解によれば、16世紀ルネサンス期には人文主義とキリスト教神学はそんなに離れていなかった。具体的には、エラスムスはあくまでもカトリック教義の枠を踏まえて、人文知とキリスト教を統合しようと試みた。14世紀のペトラルカもまた同様。だから本書のタイトルにも「キリスト教人文主義の巨匠」というサブタイトルがついている。しかしルターによって宗教改革が開始された後は、人文主義とキリスト教がみるみる分裂していく。物別れのポイントは「自由意志」の位置づけにある。エラスムスが自由意志の存在意義を(最小限度に限るにしても)認めたのに対し、ルターは徹底的に否定しにかかる。その結果、100年以上を経た18世紀啓蒙期には、人文知は神様抜きで「自由意志」を語るようになる。逆に言えば、エラスムスは「神様抜きの自由意志」の萌芽であったとしても、彼自身にはそういう意図はまったくない。ルネサンスは、未だ中世に属している。

【今後の研究のための備忘録】人文主義の位置づけ
 「人文主義」とは、乱暴に言えば、中世に忘れ去られていた古代ギリシャ・ラテンの知恵を学んで甦らせようという知的ムーブメントだ。それが政治的・宗教的なスキャンダルになってしまうのは、この古代ギリシャ・ラテンの知恵が無色透明の中立的な知ではなく、キリスト教とは相容れない多神教の異端という点にある。だからキリスト教保守派は、異端の匂いがする古代ギリシャ・ラテンの知恵そのものを排除しようとする。その動機は単純明快で、よく分かる。
 しかし逆に、古代ギリシャ・ラテンの知恵をキリスト教に結び付けようという人文主義に共通する知的行為を成立させるためには、単純明快とはいかず、アクロバティックなこじつけを必要とする。こじつけのロジックを放棄したときに、人文主義は容易にキリスト教から乖離し、「神様ぬきでの人間」を語り始めることになる。
 エラスムスは、この難解なこじつけのロジックを放棄せずに、人文主義とキリスト教を統合しようと試みた、最後の世代に当たるようだ。最後の世代とは、その直後からキリスト教が宗教改革によってまったく新しいステージに突入することになるからだ。宗教改革によって、人文主義はキリスト教のロジックから切り離されていく。
 こうしてみると、ルネサンスだけでも近代は訪れないし、宗教改革だけでも近代を招来することはできない。両方の合わせ技によって18世紀啓蒙主義が用意されたことが理解できる。勉強になってナルホドと思ったところを以下に引用しておく。

「エラスムスの決定的に重要な特徴点は、人文主義の方法をキリスト教神学に適用し、両者を統合したことであり、さらにそれによって神学における根本的変革を創造したことに求められる。この統合過程はペトラルカにはじまりエラスムスにおいて完成する。それはキリスト教的人文主義に結晶した思想として提示されている。」15頁
「この人文学[イタリア・ルネサンスの新しい人文学]の復興こそエラスムスの生涯にわたって遂行された事業であったが、そこには新しい人間観が誕生してきていた。この人間観は、この時期の全過程を貫いている共通の主題で表現すると、「人間の尊厳」(dignitas hominis)であると言うことができる。ルネサンスは最初14世紀後半のイタリアに始まり、15世紀の終わりまで続いた文化運動である。」22頁
「こうした状況にもかかわらず、わたしたちがルネサンス思想を全体として考えるならば、それは中世思想よりもいっそう「人間的」であり、いっそう「世界的(世俗的)」であったといえよう。」23頁
「彼[ペトラルカ]の人間の尊厳についての論考はルネサンスにおけるこの主題を先取りするものであった。」26頁
「[ピコの言う]世界を超えて無限に上昇しようとする魂の運動は近代的主体性の根元に見られるものであり、一方において神性の意識を生みだし、他方において自律的な自由意志を確立して来たものである。」39頁

エラスムスとルターの訣別とを以て、「ここに人文主義と宗教改革の二つの運動の統一は最後の可能性を失い、分裂する。その結果、人文主義はキリスト教的宗教性を失って人間中心主義に変質する道をとりはじめ、他方、宗教改革も神学という狭い領域に閉じこもり、ドグマティズムによって人間性を喪失する方向を宿命的に辿らざるをえなくなった。」201頁
「ルターはエラスムスが力説する「人格の尊厳」(dignitas personae)は恩恵による義と矛盾するので、神の前には通用しないという。ルターは人間のdignitasではなく、「神の荘厳」(majestas Dei)の前に立っている。二人の間の論争は実にこの二つの存在の関係を明らかにするものであるが、そこには人間性の偉大さと卑小さ、栄光と悲劇が語られているということができる。」224頁
「ルターはノミナリズムのビールの神学のなかに育ち、このセミ・ペラギウス主義を批判的に超克することによって宗教的な高次の自由に到達した。この自由は罪の奴隷状態からの解放を内実にしているため、献身的に隣人に奉仕する強力なエートスを生みだしていった。他方、エラスムスは人文主義を土台にして新しい神学を形成し、人格の尊厳のゆえに神と隣人とに向かいうる主体的自由と責任、およびそこから生じる実践的倫理の確立の必要を説いた。しかし両者とも神への信仰によって人は根源的には自律しうることを徹底的に信じていた。そこに「神律」(Theonomie)の立場が共有されており、自由意志を最終的に「恩恵を受容する力」として把握していた。ここに近代自由思想の共通の源泉が見えてくる。自由は神律においてはじめて可能である。これこそノミナリズムの自由論が哲学的な「偶然性」に自由の源泉を求めたのとは異質な、もう一つの源泉であり、二つの流れが合流することによって近代の自由思想の源流が形成されるのである。」240-241頁
「ここには人文主義に固有なヒューマニズムにまつわる問題が剔抉されたことによって、古代から現代にいたるヒューマニズムの歴史は、真に意義深い決定的瞬間に到達したといえよう」273頁
「エラスムスは自律を可能とみる理想主義者である。このような自律は近代的な自主独立せる個人の特徴であって、カントの倫理思想において最終的に確立されるに至った。」276頁
「すでに明らかにしたように、神の恩恵は人間の自由意志を助けてよいわざを実現させると説いて、少なくとも最小限において人間の主体性は肯定されていた。それゆえ神中心的と称された彼のヒューマニズムは、やがて人間中心的ヒューマニズムとして18世紀啓蒙主義の思想を生んでゆくことになる。」278頁

 上記引用部で個人的に気になるのは、やはり「人格の尊厳」というものが浮上してくる経緯だ。エラスムスの段階では既に人文主義の文脈で洗練されており、浮上のポイントはもっと前、ペトラルカ、ヴァッラ、ピコ、フィチーノが鍵を握っている。だとすればやはり古代ギリシャ(特にプラトン)の異教的な知恵が決定的な意味を持つことになる。
  しかし一方で、人文主義とはまったく関係なく、キリスト教の三位一体の教義から「人格の尊厳」が浮上してくると言う人もいる。果たして異教的センスが外から加えた圧力が重要なのか、それともキリスト教神学の内側から盛り上がるエネルギーが重要なのか。ともかく、論点は絞られてきたような気もする。
 個人的に思うところでは、古代ギリシャ・ローマの知恵とキリスト教の教えを統合することはむちゃくちゃアクロバティックな無理難題にしか見えないのだが、その無謀を可能にするロジックの要に来るのが「人格の尊厳」という観念ではないだろうか。人文知とキリスト教を統合しようとすればするほど、その無理無茶無謀でアクロバティックな知的行為の過程から「人格の尊厳」なるものが剔抉されてくるのではないだろうか。だとすれば人文知とキリスト教のどちらかに「人格」の種のようなものがあると決めつけるのは悪手で、実は両者をむりやりすり合わせているうちに隙間から立ち上がってきたと考えるべきものではないだろうか。

【今後の研究のための備忘録】自由意志に関する論争の歴史
 おそらく著者の別の研究所で詳述されているのだろうが、自由意志に関する論争の歴史が簡潔にまとめられていて、勉強になったので、引用して忘れないようにしておく。

「近代以前においては人間的な自由は主として「自由意志」(liberum arbitrium)の概念によって考察されてきた。それはアウグスティヌス以来中世を通して哲学と神学の主題となり、とくに16世紀においては最大の論争点となった。今日では自由意志は選択意志として意志の自発性のもとに生じていることは自明のこととみなされる。この自発性についてはすでにアリストテレスにより説かれており、「その原理が行為者のうちにあるものが自発的である」との一般的命題によって知られる。そして実際この選択意志としての自由意志の機能を否定する人はだれもいないのであって、「奴隷意志」(servum arbitrium)を説いたルターでもそれを否定してはいない。
 では、なぜペラギウスとアウグスティヌス、エラスムスとルター、ジェスイットとポール・ロワイヤルの思想家たち、さらにピエール・ベールとライプニッツといった人々の間で自由意志をめぐって激烈な論争が起こったのか。そこでは自由意志が本性上もっている選択機能に関して争われたのではなく、自由意志がキリスト教の恩恵と対立的に措定され、かつ恩恵を排除してまでもしれ自身だけで立つという「自律」の思想がこの概念によって強力に説かれたからである。こうして自由意志の概念はほぼ自律の意味をもつものとして理解され、一般には17世紀まで用いられたが、やがてカントの時代から「自律」に取って換えられたのである。
 近代初期の16世紀ではこの自律の概念は、いまだ用語としては登場していないけれど、内容的には「恩恵なしに」(sine gratia)という表現の下で述べられていたといえよう。ところで、このように恩恵を排除した上で自由意志の自律性を主張したのはペラギウスが最初であった。」284-285頁

 やはり16世紀ルネサンスの段階と18世紀啓蒙主義の段階で、自由意志に関する態度も根本的に違うことが分かる。そしてその分岐点に立つのがエラスムスとルターだということも分かる。個人的には明解な見取り図であるように思えるので、しばらくはそういう歴史観で以って勉強していく所存。

【今後の研究のための備忘録】
 ほか、気になる記述が散見されたのでメモをしておく。

「エラスムスにはホッブズの社会契約という思想は未だ認められていないが、それに近い思想が芽生えている。」248頁

 私の理解では、いわゆる「社会契約」という思想は古代ギリシアのエピクロスに既に見られる。そしてエラスムスはエピクロスに関して様々な言及をしている。だとすれば、著者がエラスムスに感じた社会契約に近い思想とは、エピクロスからもたらされている可能性はないか。

「エラスムスは君主たちが臣下の民族意識を利用して戦争を企てていることに気付いてた。パウロはキリスト者の間に分離の生ずることを望まなかったが、問題は民族感情である。」263頁「「私たちがトルコ人と呼んでいる人々の大部分は、半ばキリスト教徒と称してもよく、あるいはむしろ、わたしたちの大部分以上に、真の意味でのキリスト教のそば近くに位置するかも知れない」」267頁

 確かにエラスムスは著書のそこかしこでヨーロッパ各国の民族的な特徴をあげつらって記述していて、興味深い。民族性の自覚は主権国家の成立以後のことと言われる場合があるが、実はエラスムスの生きていた時代に既に民族感情がかなり明確に自覚されていたことが分かる。
 いっぽう、トルコ人に対する記述も、特にエラスムスが生まれる直前にトルコがビザンツ帝国を滅ぼしているという事情を考え合わせると、たいへん興味深い。滅びたビザンツ帝国からギリシア人学者がヨーロッパに流入してきたおかげでヨーロッパ全体の人文学の水準が上がったことは周知のとおりだ。ただしエラスムスがトルコ人やビザンツ帝国をどう思っていたかは、私の乏しい読書の範囲ではほとんど出てこない。なんとも思っていなかったという可能性もあり得るか。たとえば、同時代のヨーロッパは新大陸発見で沸き上がっていたはずなのだが、その痕跡がエラスムスにまったく見られないのはどういうことか。

「エラスムスはもう一つの例をあげて説明する。それは妻に対する愛で、三つに分けられる。(1)名目上の愛。妻であるという名目だけで愛する場合には異教徒と共通したものである。(2)快楽のための愛。これは肉をめざしている。(3)霊的な愛。」94頁

「愛」は、言うまでもなく、アウグスティヌス以来の伝統を誇るキリスト教神学の中心テーマだ。御多分に漏れずエラスムスも言及していたという事実は覚えておきたい。

金子晴勇『エラスムスの人間学―キリスト教人文主義の巨匠』知泉書院、2011年

【要約と感想】沓掛良彦『エラスムス―人文主義の王者』

【要約】エラスムスは16世紀北方ルネサンスを代表する知識人ですが、ラテン語が死語となったのに伴って忘れられ、現代日本ではルターとの比較で語られるくらいで、文学的業績についてはほとんど知られない人物となりました。様々な貌を持つエラスムスのうち、特に人文主義者としての活動に焦点を当て、著作、往復書簡を材料にして、人となりや業績について紹介します。詩はヘボだし、キリスト教に関わる著作は退屈ですが、流暢なラテン語とギリシア語を駆使して風刺的文学の傑作を遺したり、ギリシア原典から聖書を校訂したのは歴史に残る圧倒的な仕事で、書簡文学者としてもユニークです。エラスムスは、世界市民的な平和主義者として、そして普遍人文学的な知性として、現代でも読み継いでいく価値が大いにあります。

【感想】「ルネサンス」に対する理解を深めようと手に取った本で、期待に違わず勉強になった。東西の古典に通じた著者の語り口が、重厚な語彙を駆使している割に軽妙で、心地よかった。日本語が巧い。
 ただ、キリスト教に関わる諸々を「退屈だ」としてスッパリ切り落とし、人文主義的な側面に限って話を進めたことについては、意図そのものは分からなくもないけれど、個人的にはかなり食い足りないものを感じてしまう。というのは、個人的に興味関心のある「ルネサンス」とか「人文主義」というものを本質的に理解しようとする時、どうしてもキリスト教との絡みが外せなくなるのだ。そこを削られると、痒いところに手が届かない。

【今後の研究のための備忘録】ルネサンス
 ということで問題はルネサンスというものの理解だ。16世紀に活躍したエラスムスはトマス・モアと並んで「北方ルネサンスの二大巨頭」と呼ばれる。ギリシア古典に精通していたという意味においては確かに「人文主義」ではある。

「エラスムスの在世中だけでも六〇版、一六世紀中に実に一三二版という、当時としては破格の大ベストセラーとなったこの書物[『格言集』]は、ギリシア・ローマ世界全体の俯瞰図として、古典の知識の普及という面において、ヨーロッパ全体に絶大な影響を及ぼし、古代ルネッサンスをつなぐ重要な役割を果たした。極言すれば、この書物は、古代近代をつなぐ役割を果たしたということになる。」130頁

 しかしエラスムスは、果たして現代の我々が言う「人文主義」的な関心からギリシア古典に触れたのだろうか? 私が見るところ、エラスムスはキリスト教のありかたには徹頭徹尾こだわっている一方で、「神から人間を解放」しようなどとは一切していない。その姿勢は私が理解する「人間中心の人文主義」ではなく、中世キリスト教の勢力圏ド真ん中にある。
  確かに「頑迷固陋」なスコラ神学から異端宣告されるなど、エラスムスの考え方はカトリックの教義とは明らかにズレている。しかしそれは「人文主義」的な関心から生じたカトリックへの反抗と理解していいのかどうか。そもそもスコラ神学自体が11世紀頃にまでしか遡れない、歴史の浅い派閥に過ぎない。スコラ神学に逆らったからといって、直ちにルネサンスの仲間に入れて大丈夫なのか。またたとえば具体的には1453年に滅亡したビザンツ帝国との関係はどうだろう。ビザンツ帝国滅亡はエラスムスが生まれる10年少々前の出来事であり、存命中にはヨーロッパ全土にビザンツ帝国の記憶が生々しく残っていたはずだ。さらに言えば、確かにビザンツ帝国は滅びたものの、東方ギリシア正教会そのものはコンスタンティノープルからキエフやモスクワへと本拠地を移して生き残り、ギリシア語で組み立てられた東方キリスト教は21世紀の現在もロシア正教となって健在だ。もちろんエラスムス存命中にも活動している。だとしたら、パリ大学を始めとするスコラ神学がエラスムスを警戒したのは、それが人文主義的だからというよりも、現在進行形で敵対していた東方ギリシア正教会に連なるものだったからという可能性はないだろうか。また逆に言えば、エラスムスの関心も、従来言われているようにギリシア古代の「古典」そのものにあったというより、現在進行形で問題となっていた「分裂した東西キリスト教会の再統合」にあった可能性はないのだろうか。実際15世紀にはフィレンツェ公会議において再統合への試みが引きつつき行なわれている。そう考えると、西ローマ帝国以後のカトリック教会で独自に進化した「修道会」等の制度や儀礼に対してエラスムスが冷淡なのも説明がつきやすい。エラスムスが繋ごうとしていたのは、具体的には「古代と近代」ではなく、「東と西」だったのではないだろうか。
 ちなみに本書には以下のような記述がある。

「異教の古典を重んずる古典尊重、古典主義と、キリスト教精神を融合させようとするいわゆる「キリスト教人文主義(humanismus Christianus)はペトラルカ(1304-74年)にはじまるとされるが、ペトラルカが異教ラテン世界に深くのめりこんでいったのに対し、エラスムスが早くから、「よき学問」を、あくまで神学・聖書研究のための予備課程としてとらえ、副次的なものに位置づけていたことは注目される。」22頁

 どうだろう、私の印象では、ペトラルカもエラスムスと同じく、異教ラテン古典を「神学・聖書研究のための予備課程としてとらえ、副次的なものに位置づけて」いる。深くのめり込んでいるような印象はない。そしてペトラルカ存命中はもちろんビザンツ帝国も健在で、ビザンツから訪れたギリシア知識人とペトラルカは実際に交流していたりもする。だとするとペトラルカのギリシアに対する関心も単なる古典教養趣味というよりは、同時代的な大問題である「東西協会の分裂」という現実に規定されていたと考えるのが自然ではないだろうか。東方からもたらされるギリシア古典そのものに魅了されたのは間違いないとしても、それは伝統的なカトリックの勢力圏内で咀嚼されたのではないだろうか。そしてその事情は、エラスムスにとっても同じような気がする。

【今後の研究のための備忘録】印刷術
 ただしエラスムスがペトラルカと明らかに異なる文脈に位置付くのは、印刷術のせいだ。ペトラルカの時代にはなかったテクノロジーによって、エラスムスはインプット(ギリシア語原典へのアクセス)でもアウトプット(著書や手紙の印刷出版)でも、かつて誰も持つことを許されなかった巨大なアドバンテージをフル活用できる立場にある。

「エラスムスがその在世中に名高い存在となり、ヨーロッパ全土に影響力をもつ存在となったのは、彼が書簡を含む全著作を、当時のヨーロッパ知識人の共通語であり国際語であったラテン語で書いたためであるが、またひとつには、当時における印刷術の急速な発展と出版業の興隆という事情も加わっていた。」13頁
「エラスムスの膨大な著作が広く流布し、影響力をもつに至ったのは、やはり印刷術の進歩によるところが大きい。この空前の多作な著者が執筆生活に入った時代は、ちょうどヨーロッパで印刷術が発達完成し、それまでの手写本に代わって、活字本が多量に刊行された時代でもあった。エラスムスこそは、まさにその活字本の申し子であって、その著作活動は、彼が深くかかわったヴェネツィアのアルド・マヌーツィオの印刷工房や、バーゼルのフローベンの出版事業と緊密に結びついていることを見逃してはなるまい。」14頁

 だがしかし、ここでは印刷術を脇役として話が進むが、実は16世紀ルネサンスの本丸は「印刷術」であって、ダンテやペトラルカの14世紀イタリアから16世紀のエラスムスやトマス・モアに関わるいわゆる「人文主義」は、ビザンツ帝国やイスラム世界の存在を背景とするいわゆる「12世紀ルネサンス」に連なる中世的な事象ではないだろうか。エラスムスは「近代の始まり」ではなく「中世の終わり」を代表している可能性はないか。その場合、もちろん「近代の始まり」のメルクマールは「印刷術」であって、エラスムスがその恩恵を受け効果を発揮した「活字の申し子」なのは間違いないとしても、「近代の始まり」はルターによって「ドイツ語」で活字出版された聖書になるのではないか。あるいは「近代の始まり」をペトラルカやエラスムスのような人文主義者に見たがるのは、同じく読書人の系譜に連なる近現代の知識人や研究者の過度な思い入れに過ぎず、近代はもっと身も蓋もないところ(たとえば俗語と金にまみれた低俗ジャーナリズム)から始まったりはしていないか。たとえば同時代に激しく進行していた「大航海時代」の影響が人文主義の文脈で顧みられない(トマス・モア『ユートピア』除く)のは不気味だ。実は資本主義の急速な進展と国民国家の形成が、人文主義の動向などとは無関係に、身も蓋もなく近代(無神論・唯物論・俗世主義)を推し進めていくのではないか。トマス・モアが『ユートピア』で喝破した「囲い込み」に象徴される資本の本源的蓄積について、エラスムス他の人文主義者はそれが将来何をもたらすか予見できていたか。

沓掛良彦『エラスムス―人文主義の王者』岩波現代全書、2014年

【要約と感想】ペトラルカ『無知について』

【要約】若い者4人に「無知」だと決めつけられてしまいました。いや結構、確かに私は無知です。しかしそれは、若い者4人が考えるような意味の無知ではありません。本当の「無知」とはどういうことなのか改めて考えてみれば、我々人間など、神様の前ではみんな無知です。というか、若い者4人はアリストテレス主義にかぶれてしまい、甚だしい勘違いと思い上がりによって、神様の素晴らしさを忘れ去っています。神様をあざ笑い、信仰厚い人々を「無知」と決めつけてあざ笑うくらいなら、私は無知で結構です。知者であることよりももっと大切なものがあります。

【感想】イタリア・ルネサンスを代表する詩人との呼び声が高いペトラルカの本を初めて読んだわけだが、いろいろ印象が変わった。まずペトラルカ自身について、ルネサンス人というよりは、中世人の印象が強くなった。心からカトリックを信仰しているように見えた。確かにルネサンスの特徴である人文主義的な教養は炸裂しているのだが、それは16世紀ルネサンスのように「人間」に関心の焦点を当てたものではなく、あくまでもカトリック教義に付随するものと扱われている。ペトラルカがプラトンに関心を示してギリシャ語を学び原典を読もうとしたのも、人文主義的な関心というよりは、当時まだ大きな影響を持っていた東ローマ帝国(ビザンツ帝国)との関係が決定的だろう。ビザンツ帝国の存在を忘却して単純なヨーロッパ主義に陥れば「ヨーロッパの原点であるギリシアに遡ろう」というルネサンス文脈に回収できるのだろうが、ペトラルカが生きていた14世紀にビザンツ帝国が君臨していたことを踏まえれば、ギリシアへの関心は東西キリスト教会の分裂という同時代の問題が前提にあるに決まっている。しかもペトラルカはビザンツ帝国の知識人との交流が実際にあったのだから、古代へ遡ろうという人文主義的な関心ではなく、同時代的な問題解決への関心がないはずがない。ペトラルカをルネサンス人に規定してしまうのは、単に「ビザンツ帝国の存在を忘却し、単一のヨーロッパを実体化しよう」という欲望に基づくように思える。改めて、ペトラルカを何の考えもなしにルネサンスの文脈に落とし込むのは、なかなか危険なように思う。

  さらに問題になるのは、ペトラルカを誹謗中傷したという4人の若者だ。もちろん本書内ではボロクソにこき下ろされているわけだが、むしろこの4人のほうがルネサンス人ではなかったのか。本書内ではこの4人がアリストテレスに心酔し、カトリックの教義に対して冷淡で、「唯物論」的で「無神論」的な傾向にあったことが仄めかされている。中世カトリック信者から見ればとんでもない瀆神者になるわけだが、現代から見ればむしろ唯物論的な世俗感覚を持つ人間のほうが大多数を占める。本書は「アウグスティヌスをバカにするな」と繰り返し主張するが、しかしアウグスティヌスはあまりにも荒唐無稽で馬鹿馬鹿しい幼稚な奇跡を信じていて、現代的感覚から見ると目を覆うほど「愚か」で「無知」に見える。少なくとも私にはそう見える。そしてペトラルカを「無知」と決めつけた4人にも、既にそう見えていた。だとしたら、こっちの4人こそが真性の「近代人」だ。
(ちなみに150年ほど後のイタリア、ピコ・デラ・ミランドラの甥であるジャン・フランチェスコ・ミランドラは同様にアリストテレスを批判して「聖なる無知」を礼賛するが、その信仰絶対主義に基づいた理性への懐疑は同時期の宗教改革に対する反動としても役割を果たすことになる。)
 しかも解説によれば、4人はヴェネツィアというグローバル商業都市に経済的基盤を持っていた。とういことは、カトリックの中世的世界観を覆すために必要な社会経済史条件が揃っていた可能性が高い。ペトラルカが評価しないアヴェロエス主義は、むしろアリストテレスに基づいた実証主義の精神で以てヴェネツィアの経済的繁栄を支え、近代へ向かう足がかりになったのではないか。だとすれば、グローバル経済に足場を置いて実証主義を唱える4人を敵視するペトラルカの方が保守反動だ。
 またあるいは例えばペトラルカはこの4人が「ラテン語を扱えない」ことを馬鹿にするが、グローバル商業都市を基盤とした商業活動を前提にすれば、むしろ「ラテン語はオワコン」というのが共通理解になってくる。グローバル経済圏の中心であるヴェネツィアで唯物的経済生活を駆動させる商業資本から見れば、ラテン語よりもアラビア語の方が圧倒的に重要だ。実際、17世紀が終わる頃にはジョン・ロックが「ラテン語はオワコン」と主張するようになる。ラテン語に固執するペトラルカの態度は実は単なる保守反動で、ラテン語なんか気にしない4人の態度の方が近代的ではないのか。ここまでくると、4人がペトラルカを「無知」と決めつけたのにも、相当の社会経済史的理由があるように思えてくる。

 というわけで、本書から見えてくるのは、ペトラルカ自身はルネサンス人でも何でもないが、同時代には確かに近代(神を必要としない唯物的世界)に向けた地殻変動が起こりつつあった、という事実だ。そしてペトラルカの証言が確かであれば、無神論的傾向の助長にはアリストテレス主義が決定的に関わっている。そしてそれはいわゆる「12世紀ルネサンス」に属する事項だ。そしてそのアリストテレス主義がアヴェロエス主義という形でイスラム世界からもたらされ、13世紀にはトマス・アクィナスが真剣に対峙して新境地を開拓することを思えば、教科書的に「ペトラルカはルネサンスを代表する人文主義者」などと呑気に言っている場合ではなく、むしろ12世紀以来200年近くに渡って成長しつつあった近代化傾向に対して冷や水を浴びせる体制内保守派知識人として理解するべき人物かもしれないのだが、どうなのか。
 だからペトラルカに対する評価は、彼のプラトンやキケロに対する興味関心が何処から生じたかが決定的な問題となる。単純に人文主義的な興味関心とするなら、確かにルネサンス文脈に回収できる。しかし12世紀ルネサンスを踏まえて、ビザンツ帝国の存在を視野に入れると、別のストーリーも出てくる。思い出すのは、ペトラルカのギリシア語の師匠(1342年頃)であった修道士バルラームが、かつてビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルで宰相の知遇も得て活躍した(1330年頃)果てに、ヘシュカスモス(静寂主義)という神秘主義的教義論争に巻き込まれて失脚した(1342年)という経歴だ。ペトラルカがバルラームから学んだのはギリシア語だけだったのか。さてはて。

 ちなみに本題である「無知」については、哲学史を多少でも齧っていれば直ちにソクラテスの「無知の知」を想起するはずだ。もちろんペトラルカもソクラテスに言及する。ただし本格的に掘り下げていないのは、プラトンの著作が伝わって間もないので仕方がないところではある。むしろペトラルカが依拠するのは、アウグスティヌスの論理だ。この「知」よりも「愛」のほうが大事という論理は、哲学の語源が「知を愛すること」であったことを思えば、実はソクラテスにも通ずる話ではある。改めて、「無知」というテーマが哲学的にも教育学的にも極めて重要であることを認識したのであった。

【今後の研究に対する備忘録】
 本書の本筋とはあまり関係ないところだが、私の興味関心にとっては都合のよい言質なのでサンプリングしておくのだった。

「けだし真の神は唯一でしかありえず、どこにおいても自己より大きくも小さくもなく、どこでもつねに同一の自己です。ときによって自己と異なることも異なったこともありえません。」89頁

 カトリック教義の本丸で、もちろんペトラルカだけがこう考えているわけではない。誰もが繰り返しこの「同一性」の教義を述べているということを知っておくことに意味がある。

「とはいえ、教えること自体も技術的熟練を必要とします。なぜなら、キケロが『法律論』第二巻で言うように、「なにかを知っていることだけが技術ではなく、教えることもなんらかの技術なのです」(第一九章四七)。しかしこの技術はむろん知性と学知との明晰さにもとづいています。じっさい、自分の考えを表現して他者の心にきざみつけようとすれば学知のほかにもこの種の技術が要求されるとしても、しかしいかなる技術も明晰でない頭脳から明晰な弁論を生み出すことはないでしょう。」100頁

「わたしの見るところ、アリストテレスはたしかに、徳をみごとに定義し、分類し、するどく論じ、さらに悪徳や美徳のあらゆる特質についても論じています。それらを学び知ったとき、わたしの知識は以前よりすこしばかり増えます。しかし魂は以前のまま、意志ももとのままで、わたし自身は変わりません。知ることと愛することとは別であり、理解することと意志することは別なのです。かれはたしかに、徳とはなにかを教えてくれます。しかし徳を愛し悪徳をにくむよう、ひとの心をかりたてたり燃えたたせたりする、ことばの力や炎が、かれの論述には欠けています。あるいは、ごくわずかしかそなわっていません。
 そのようなことばの力や炎をもとめるひとは、これをわがラテン作家たち、なかでもキケロとセネカに見いだすでしょう。」113頁

 ペトラルカはアリストテレス主義に対してプラトン及びアウグスティヌスを対峙させて、攻撃する。それに加えて、キケロやセネカなど「ラテン作家」を持ち出して、アリストテレス主義を攻撃する。前者と後者では、攻撃の意味合いが異なる。
 プラトンとアウグスティヌスを持ち出すときは、アリストテレス主義の唯物論的傾向が批判の対象となる。プラトンのイデア論を、ペトラルカは神に近づいた認識として好意的に記述する。
 一方ラテン作家を持ち出すときは、文体と雄弁が問題の焦点となる。現代風に言えば「コミュニケーション論」ということになるか。近代化が進展するに伴って「雄弁」の意義が忘却されていくように個人的には思えて、ペトラルカのように「雄弁」の意義を強調する議論に触れると、なんとなく中世的な匂いを感じてしまうのであった。

ペトラルカ・近藤恒一訳『無知について』岩波文庫、2010年