【要約と感想】『エラスムス=トマス・モア往復書簡』

【要約】固い友情で結ばれたルネサンス期人文主義者二人の間に交わされた1499年~1533年の現存書簡全50通を収録しています。最初のうちはお金を無心する下世話な話が目立つものの、中盤からはヨーロッパを股にかけた人文主義者コミュニティの在り様が伺えるようになり、最終的には国家の命運を左右するような話題に至ります。

【感想】まず驚くのは、当時ヨーロッパで沸騰してたはずの大航海時代に関わる話がこれっぽっちも出てこないということだ。1503年にはアメリゴ・ベスプッチがアメリカを新大陸とする本を出版しており、この事実はエラスムスとモア両者存命中に広く知れ渡っていたはずだが、書簡ではアメリカ大陸なんかまるで存在しないかのような話に終始する。1516年に『ユートピア』を書いているトマス・モアのほうは明らかに大西洋を意識していたはずだが、ヨーロッパ全体に名声が轟いたコスモポリタン知識人エラスムスのほうはまったく関心を持っていなかったように見える。辺境イスパニアのほうで起こっているローカルな出来事のように思っていたのだろうか。もっぱらヨーロッパ中央、フランス・神聖ローマ帝国・イタリア諸都市に意を注いでいる。
 この界隈の先行研究においても、近代社会を準備したのはもっぱらルネサンス人文主義と宗教改革であることにされ、大航海時代は完全に視野の外にある。確かにエラスムスなどの人文主義者やルターなどの宗教改革者の資料を見る限りでは、まるでアメリカなんか存在しないかのように、中世以来のヨーロッパの枠の中で話が進んでいる。先行研究がそれを踏まえるのも当然なのだろう。しかし現実においては、大航海時代はヨーロッパ社会に決定的に大きな影響を与えているはずだ。ヨーロッパ近代を準備したのは、実はルネサンスと宗教改革ではなく、大航海時代とそれに続く産業革命ではないのか。
 だとすれば研究者が本当に考えなければいけない問題は、「どうしてエラスムスは大航海時代にコミットしなかったか」ではないだろうか。いま現在、世間では「人文学は死んだ」などと言う人もいる。仮にその見解が確かだとして、その方向で話を突き詰めていくと、実は人文学は大航海時代を視野に入れなかったエラスムスの時代から既に死んでいて、私たちが見ている「いわゆる人文学」はゾンビだったのではないか。いや人文学は死んでいないというのなら、大航海時代で沸騰するヨーロッパに生きていたはずの人文学者の王者エラスムスにどうしてその影すら見当たらないのかは明らかにしなければいけない。というのも、まさに21世紀を生きるいわゆる人文主義者の面々も、21世紀版大航海時代のインパクトを完全に無視しているように見えるからだ。

 それはともかく内容はとても興味深く読んだ。二人の友情や、あるいは高度な修辞でありつつ下世話で幼稚な論争だとか。この大人文学者2人にして児戯にも似た不毛な論争に血道を上げてしまう様子を見ると、現代SNSで毎日のように不毛な論争が発生するのも宜なるかなと思えてくる。人間は論争に突き進んでしまう生き物だ。
 また印象に残るのは「印刷」と「出版」に関わる記述が非常に多かったところだ。印刷術の登場が人文学の展開に決定的に重要な役割を果たしたことが伺える内容になっている。この印刷と出版の革命によって出現した大海原こそがエラスムスにとって臨むべき冒険世界の対象になり、大西洋は関心の埒外に放っておかれたということか。

【今後の研究のための備忘録】自由意志
 エラスムスとルターが袂を分かった教義論争の焦点が「自由意志」にあったことは両者の本のタイトルからして一目瞭然なのだが、エラスムスの「自由意志」に関する考え方がよく分かる文章があったのでメモしておく。

「パウロやアウグスティヌスの言うところに従えば、人間の自由意志にゆだねられている部分は、ごくわずかだということになります。確かにアウグスティヌスは、ウァレンティヌスに向けて晩年に書いた二冊の本のなかで、自由意志というものは存在すると書いております。とはいえ、神の恩寵はきわめて強く是認していますので、アウグスティヌスがどれほどのものが自由意志にゆだねられる余地があるとしているのか、私には見分けられないのです。彼は人間が神の恩寵をこうむる以前になしたことは死んだものと認め、我々が懺悔したり、善をなそうと思ったり、善行をなしたり、固く信仰を守ったりするのは、神の恩寵によるとしています。つまり、こういったことはすべて恩寵の働きによると、認めているわけです。とすると、人間の功績はどこにあるのでしょうか。この点で追い詰められると、アウグスティヌスは逃げを打って、神は我々の功績に応じてよきことを授けたまい、我々のうちにおいてその恵みに栄冠を授けたもうと、言っているのみです。なんともみごとに自由意志の存在が弁護されているではありませんか。私としては、我々は生来与えられた力だけで、特別な神の恩恵をこうむらなくとも、中世の神学者たちが言っているように、まずは神の恩寵に浴することができるという見解に傾いています。もっとも、パウロはさような見解には反対ですし、スコラ哲学者たちもこういった見方を受け容れないとは思いますが。」296-297頁

 アウグスティヌスの論理の射程距離が1000年以上の時を超えてルネサンス期まで及んでいるのがわかるが、ルターとエラスムスの論争は、このアウグスティヌスをどちらが味方につけるか、という争いだったのかもしれない。

『エラスムス=トマス・モア往復書簡』沓掛良彦・高田康成訳、岩波文庫、2015年