【要約と感想】ペトラルカ『無知について』

【要約】若い者4人に「無知」だと決めつけられてしまいました。いや結構、確かに私は無知です。しかしそれは、若い者4人が考えるような意味の無知ではありません。本当の「無知」とはどういうことなのか改めて考えてみれば、我々人間など、神様の前ではみんな無知です。というか、若い者4人はアリストテレス主義にかぶれてしまい、甚だしい勘違いと思い上がりによって、神様の素晴らしさを忘れ去っています。神様をあざ笑い、信仰厚い人々を「無知」と決めつけてあざ笑うくらいなら、私は無知で結構です。知者であることよりももっと大切なものがあります。

【感想】イタリア・ルネサンスを代表する詩人との呼び声が高いペトラルカの本を初めて読んだわけだが、いろいろ印象が変わった。まずペトラルカ自身について、ルネサンス人というよりは、中世人の印象が強くなった。心からカトリックを信仰しているように見えた。確かにルネサンスの特徴である人文主義的な教養は炸裂しているのだが、それは16世紀ルネサンスのように「人間」に関心の焦点を当てたものではなく、あくまでもカトリック教義に付随するものと扱われている。ペトラルカがプラトンに関心を示してギリシャ語を学び原典を読もうとしたのも、人文主義的な関心というよりは、当時まだ大きな影響を持っていた東ローマ帝国(ビザンツ帝国)との関係が決定的だろう。ビザンツ帝国の存在を忘却して単純なヨーロッパ主義に陥れば「ヨーロッパの原点であるギリシアに遡ろう」というルネサンス文脈に回収できるのだろうが、ペトラルカが生きていた14世紀にビザンツ帝国が君臨していたことを踏まえれば、ギリシアへの関心は東西キリスト教会の分裂という同時代の問題が前提にあるに決まっている。しかもペトラルカはビザンツ帝国の知識人との交流が実際にあったのだから、古代へ遡ろうという人文主義的な関心ではなく、同時代的な問題解決への関心がないはずがない。ペトラルカをルネサンス人に規定してしまうのは、単に「ビザンツ帝国の存在を忘却し、単一のヨーロッパを実体化しよう」という欲望に基づくように思える。改めて、ペトラルカを何の考えもなしにルネサンスの文脈に落とし込むのは、なかなか危険なように思う。

  さらに問題になるのは、ペトラルカを誹謗中傷したという4人の若者だ。もちろん本書内ではボロクソにこき下ろされているわけだが、むしろこの4人のほうがルネサンス人ではなかったのか。本書内ではこの4人がアリストテレスに心酔し、カトリックの教義に対して冷淡で、「唯物論」的で「無神論」的な傾向にあったことが仄めかされている。中世カトリック信者から見ればとんでもない瀆神者になるわけだが、現代から見ればむしろ唯物論的な世俗感覚を持つ人間のほうが大多数を占める。本書は「アウグスティヌスをバカにするな」と繰り返し主張するが、しかしアウグスティヌスはあまりにも荒唐無稽で馬鹿馬鹿しい幼稚な奇跡を信じていて、現代的感覚から見ると目を覆うほど「愚か」で「無知」に見える。少なくとも私にはそう見える。そしてペトラルカを「無知」と決めつけた4人にも、既にそう見えていた。だとしたら、こっちの4人こそが真性の「近代人」だ。
(ちなみに150年ほど後のイタリア、ピコ・デラ・ミランドラの甥であるジャン・フランチェスコ・ミランドラは同様にアリストテレスを批判して「聖なる無知」を礼賛するが、その信仰絶対主義に基づいた理性への懐疑は同時期の宗教改革に対する反動としても役割を果たすことになる。)
 しかも解説によれば、4人はヴェネツィアというグローバル商業都市に経済的基盤を持っていた。とういことは、カトリックの中世的世界観を覆すために必要な社会経済史条件が揃っていた可能性が高い。ペトラルカが評価しないアヴェロエス主義は、むしろアリストテレスに基づいた実証主義の精神で以てヴェネツィアの経済的繁栄を支え、近代へ向かう足がかりになったのではないか。だとすれば、グローバル経済に足場を置いて実証主義を唱える4人を敵視するペトラルカの方が保守反動だ。
 またあるいは例えばペトラルカはこの4人が「ラテン語を扱えない」ことを馬鹿にするが、グローバル商業都市を基盤とした商業活動を前提にすれば、むしろ「ラテン語はオワコン」というのが共通理解になってくる。グローバル経済圏の中心であるヴェネツィアで唯物的経済生活を駆動させる商業資本から見れば、ラテン語よりもアラビア語の方が圧倒的に重要だ。実際、17世紀が終わる頃にはジョン・ロックが「ラテン語はオワコン」と主張するようになる。ラテン語に固執するペトラルカの態度は実は単なる保守反動で、ラテン語なんか気にしない4人の態度の方が近代的ではないのか。ここまでくると、4人がペトラルカを「無知」と決めつけたのにも、相当の社会経済史的理由があるように思えてくる。

 というわけで、本書から見えてくるのは、ペトラルカ自身はルネサンス人でも何でもないが、同時代には確かに近代(神を必要としない唯物的世界)に向けた地殻変動が起こりつつあった、という事実だ。そしてペトラルカの証言が確かであれば、無神論的傾向の助長にはアリストテレス主義が決定的に関わっている。そしてそれはいわゆる「12世紀ルネサンス」に属する事項だ。そしてそのアリストテレス主義がアヴェロエス主義という形でイスラム世界からもたらされ、13世紀にはトマス・アクィナスが真剣に対峙して新境地を開拓することを思えば、教科書的に「ペトラルカはルネサンスを代表する人文主義者」などと呑気に言っている場合ではなく、むしろ12世紀以来200年近くに渡って成長しつつあった近代化傾向に対して冷や水を浴びせる体制内保守派知識人として理解するべき人物かもしれないのだが、どうなのか。
 だからペトラルカに対する評価は、彼のプラトンやキケロに対する興味関心が何処から生じたかが決定的な問題となる。単純に人文主義的な興味関心とするなら、確かにルネサンス文脈に回収できる。しかし12世紀ルネサンスを踏まえて、ビザンツ帝国の存在を視野に入れると、別のストーリーも出てくる。思い出すのは、ペトラルカのギリシア語の師匠(1342年頃)であった修道士バルラームが、かつてビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルで宰相の知遇も得て活躍した(1330年頃)果てに、ヘシュカスモス(静寂主義)という神秘主義的教義論争に巻き込まれて失脚した(1342年)という経歴だ。ペトラルカがバルラームから学んだのはギリシア語だけだったのか。さてはて。

 ちなみに本題である「無知」については、哲学史を多少でも齧っていれば直ちにソクラテスの「無知の知」を想起するはずだ。もちろんペトラルカもソクラテスに言及する。ただし本格的に掘り下げていないのは、プラトンの著作が伝わって間もないので仕方がないところではある。むしろペトラルカが依拠するのは、アウグスティヌスの論理だ。この「知」よりも「愛」のほうが大事という論理は、哲学の語源が「知を愛すること」であったことを思えば、実はソクラテスにも通ずる話ではある。改めて、「無知」というテーマが哲学的にも教育学的にも極めて重要であることを認識したのであった。

【今後の研究に対する備忘録】
 本書の本筋とはあまり関係ないところだが、私の興味関心にとっては都合のよい言質なのでサンプリングしておくのだった。

「けだし真の神は唯一でしかありえず、どこにおいても自己より大きくも小さくもなく、どこでもつねに同一の自己です。ときによって自己と異なることも異なったこともありえません。」89頁

 カトリック教義の本丸で、もちろんペトラルカだけがこう考えているわけではない。誰もが繰り返しこの「同一性」の教義を述べているということを知っておくことに意味がある。

「とはいえ、教えること自体も技術的熟練を必要とします。なぜなら、キケロが『法律論』第二巻で言うように、「なにかを知っていることだけが技術ではなく、教えることもなんらかの技術なのです」(第一九章四七)。しかしこの技術はむろん知性と学知との明晰さにもとづいています。じっさい、自分の考えを表現して他者の心にきざみつけようとすれば学知のほかにもこの種の技術が要求されるとしても、しかしいかなる技術も明晰でない頭脳から明晰な弁論を生み出すことはないでしょう。」100頁

「わたしの見るところ、アリストテレスはたしかに、徳をみごとに定義し、分類し、するどく論じ、さらに悪徳や美徳のあらゆる特質についても論じています。それらを学び知ったとき、わたしの知識は以前よりすこしばかり増えます。しかし魂は以前のまま、意志ももとのままで、わたし自身は変わりません。知ることと愛することとは別であり、理解することと意志することは別なのです。かれはたしかに、徳とはなにかを教えてくれます。しかし徳を愛し悪徳をにくむよう、ひとの心をかりたてたり燃えたたせたりする、ことばの力や炎が、かれの論述には欠けています。あるいは、ごくわずかしかそなわっていません。
 そのようなことばの力や炎をもとめるひとは、これをわがラテン作家たち、なかでもキケロとセネカに見いだすでしょう。」113頁

 ペトラルカはアリストテレス主義に対してプラトン及びアウグスティヌスを対峙させて、攻撃する。それに加えて、キケロやセネカなど「ラテン作家」を持ち出して、アリストテレス主義を攻撃する。前者と後者では、攻撃の意味合いが異なる。
 プラトンとアウグスティヌスを持ち出すときは、アリストテレス主義の唯物論的傾向が批判の対象となる。プラトンのイデア論を、ペトラルカは神に近づいた認識として好意的に記述する。
 一方ラテン作家を持ち出すときは、文体と雄弁が問題の焦点となる。現代風に言えば「コミュニケーション論」ということになるか。近代化が進展するに伴って「雄弁」の意義が忘却されていくように個人的には思えて、ペトラルカのように「雄弁」の意義を強調する議論に触れると、なんとなく中世的な匂いを感じてしまうのであった。

ペトラルカ・近藤恒一訳『無知について』岩波文庫、2010年